第五十四話 密談
お待たせしました。今週より連載を再開します。
12/21
連載再開に先立ち、47話『老将』から53話『父と子』にかけて修正を行いました。
ほとんどは微修正ですが、48話『〈ドラ息子〉』は銃剣付き小銃についての会話が追加されていますので、もしよければご再読ください。
――〈カダーンの丘〉にて
時は水車小屋の落成式の後にさかのぼる。俺は領主館の自室で、メグと二人だけで向き合っていた。
王国元帥などという仰々しい肩書にそぐわない、質素な部屋だ。
先々代の元帥閣下が集めていた薄気味悪いオークグッズを処分したおかげで、今は妙に広々としている。
俺は木でできたごく普通の椅子を勧めながら話とは何かと訊ねると、彼女はムスっとしながら答えた。
「勇者様、私、いつまで待てばいいんですか?」
プロポーズ待ちの乙女のようなセリフだが、もちろんそういう話じゃないだろう。
早く自分を戦に連れて行けという意味だ。
「今はまだその時じゃない。もう少し待て」
「それがいつなのかと聞いているんです」
もっともな疑問であるが、答えるのは難しい。俺も知らないのだ。
しかし正直に答えてしまうのは危険だろう。
彼女が俺に従っているのは、俺についていけば活躍の場が得られるだろうと考えているからだ。
それを用意できないと知られればどうなるか?
当然彼女は活躍の場を求めて独自に動き出すだろう。
オーク相手にあれこれやってくれればいいが、なにしろメグだ。
あどけない顔をして俺を手玉に取った女だ。その矛先が人類に向かわないとも限らない。
わざわざ山脈を越えてオークに遊んでもらうより、ご近所さんと遊んだほうがよほど手軽というのは子供でも分かる道理だ。
賢いメグが気づかないはずがない。実際、うちのジョージの正体に気づくや、唾をつけようとしてたしな。
彼女の目をしっかりとオークに向けさせておく必要がある。
「あ~、そうだな。うん。
いいかメグ。オーク軍は極めて強大だ」
「知ってます。
さもなければお父様が負けたりしません」
馬鹿にするなとでも言いたげな様子だ。
「奴らはただ数が多いだけじゃない。
恐らく、文明自体が奴らのほうがずっと進んでいる
何より恐るべきは、今俺たちが相対しているのは、
強大なオークの大国の一地方領主の軍勢にすぎないのだ!」
自分で言っといてなんだが、この状況はかなり絶望的だな。
ノリと勢いでこの世界に残ることを決めたけど、大人しく珠と〈黒犬〉を始末して帰還しておくべきだったんじゃなかろうか。
今からでも〈黒犬〉を殺せば間に合うのかしらん?
そんな考えがチラリと頭を過ったがまあいい。これに関しては後悔しないことに決めている。
奴らのあんな反応を見られただけでも十分じゃないか。
「……薄々、そうではないかと思っていました。
私も領地を経営してきた身だからわかります。
私たちに見えている範囲だけでは、あのオーク達の繁殖力や生産力は説明できません。
彼らの背後に、もっと広大なオークの生存圏があるのは間違いないでしょう。
でも、だからどうしたというんです。
それでも私達は戦わなくてはいけません。
そうしなければ生き残れませんから。
そうでしょう? 勇者様」
さすがはメグだ。俺よりずっと男前である。
「その通りだ。
そして、勝つための方策もきちんと考えてある!」
「聞かせてください」
幸いなことに、俺のぼんやりとした頭には、それにふさわしいぼんやりとしたプランがちゃんと備わっていた。
「いいか、オークも決して一枚岩ではないはずだ。
強大なオーク大国も、必ずどこかに敵を抱えているに違いない。
そうした『敵の敵』を見つけ出し、彼らと同盟を結んで対抗するのだ!
そして、あわよくば軍事技術の提供を受けて、我々の戦力も強化する!」
どうだ完璧なプランだろう!
ところが、メグは感心するどころか、疑いに満ちた視線をこちらに向けてきた。
「あの……、さすがにふんわりしすぎじゃありませんか?」
図星をつかれたが、こういう時は堂々とした態度で押し通すほかはない。
「そ、そんなことはないぞ。
既に俺はオークの言葉を習得した。
計画は着々と進んでいる」
「そういえば、先ほども何やらオークたちと意思疎通してましたね。
それで、同盟の交渉はうまくいってるんですか?」
「いや、目下情報を収集中だ」
「……交渉相手の見当ぐらいはついてるんですよね?」
「……まだだ。
引き続き情報を集める予定だ」
メグは頭を振りながらため息をついた。
それから居住まいを正して、俺の眼をキッと見据えて言った。
「まさかとは思いますが……勝てそうにないからといって、
オーク達と和睦してしまおうなんて考えていませんよね?」
「な、なんでそう思ったんだ」
おっと、さすがはメグだ。
元々はそのつもりだったのだからある意味正解だ。
「当然です。いるかどうかも分からない同盟相手を探すより、
よっぽどその方が現実的じゃないですか」
もっともな推理である。
普通はそう考えるだろう。俺も最初はそう考えていたのだ。
「あのスイシャ小屋とかいうのもそうです。
あれはオークの労働力への依存を下げるための処置でしょう?
労働力が必要なくなれば、私達が討伐軍を送り出す動機は半減します。
そうなれば、和睦に向けて人類の意志も統一しやすくなるはずです。
交渉だって、囚われているオークの解放をちらつかせれば有利に進められます」
ごめん、そこまでは考えてなかった。
しかしメグが水車小屋を見て不機嫌になった理由は分かった。
彼女は俺がこの世界を平和にし、彼女から活躍の機会を奪おうとしていると思ったのだろう。
俺は運がいい。こうして誤解を解く機会を与えられたのだから。
後ろからズブリと刺されていたとしてもおかしくなかったのだ。
メグならやりかねないし、おそらくその気になればできたはずだ。
以前に稽古をつけてやったことがあるのだ。なかなかの剣筋だった。
「誤解があるらしいな」
「誤解、ですか」
俺にとっても、もはや和睦による平和は望むところではない。
なにしろ、この世界に長くとどまる算段が付いたのだ。
しかしどこから説明したものか。
「なあ、メグ。以前、俺に『平和じゃ物足りないか』って聞いたよな?」
「そんなこともありましたね」
俺は正直に話すことにした。俺の知力ではメグを丸め込むなんて到底無理だろう。
それどころか逆に丸め込まれるのがオチだ。
俺のような人間にとって誠実さに勝る武器はない。少なくとも自分のついた嘘に付け込まれる羽目にはならない。
嘘は俺より賢い人たちのための武器だ。
「あの時は否定したが、実際のところお前の言う通りだ。
俺は平和な世界では生きていけない。
戦いのある場所にしか、身の置き場がないんだ」
それ言った通りじゃないかといわんばかりのドヤ顔でもされるかと思ったが、意外にもメグは茶化してこなかった。
ただ、まっすぐ俺の眼を見ながら耳を傾けてくれた。
俺はこれまでの人生を話した。
十五で初めて異世界に送り込まれたこと。
その世界を救うと同時に、元の世界に引き戻されたこと。
それからいくつもの世界を救い続けてきたこと。
戦いを重ねるうちに、少しずつ自分が変わっていってしまったこと。
今では、戦いなしでは生きている実感が得られなくなってしまっていること。
そして、内心であの娘にたてた誓いのこと。
俺は話のうまいほうじゃない。
退屈だったに違いないその話を、メグは黙って聞き続けてくれた。
最後に俺は、先日の〈竜の顎門〉で起きたことを話した。
「実はこの間、帰還するチャンスがあったんだ」
俺がそういうと、メグの表情が初めて少しだけ動いた。
「この間、〈竜の顎門〉が襲撃されただろ。あの時だ。
あの襲撃部隊に〈黒犬〉がいた。俺はそいつを捕らえたんだ。
元はといえば、何か情報を得られないかと期待してのことだった。
ところが、奴のカバンから転がり出た青い珠を手にした瞬間、奴らが俺を祝福したんだ」
「奴ら、ですか?」
「俺をこの世界に送り込んだ奴らだ。
奴らが何者なのかは俺は知らない。
ともかく、それはいつもの兆しなんだ。
〈黒犬〉を殺して、珠を壊せばミッション完了だと俺は悟った」
「でも、勇者様はそうしなかった」
俺は頷いた。
彼女は「何故?」とは聞かなかった。聞くまでもなかったんだろう。
ただ少し考えるような仕草をした後、ニッと笑って言った。
「うまくやりましたね」
実にあっけらかんとしたものだった。
「……いいのか?」
本来であれば、あの時この世界は救われたはずなのだ。
それが一時凌ぎにすぎなかったとしてもだ。
俺の選択により、この世界の人類はいまだ滅亡の危機に瀕している。
てっきり軽蔑されるものと思っていた。少なくともいい顔はされないだろうと。
だが、メグは違った。
「気にしませんよ。むしろありがたいぐらいです。
今更勇者様に消えてもらっては私が困ります。
塔に上って梯子を外されるようなものですからね」
彼女はすがすがしい程、自己中心的に肯定してくれた。
「もしかして、気に病んでるんですか?」
「まぁ、多少は」
やはり、心のどこかに後ろめたさがくすぶっていたことを、俺は今頃になって自覚した。
もちろん神めいた振る舞いをしながら俺を使い倒してきた奴らに対してじゃない。
「気にする必要はないと思いますけどね。
元々は私たちが自分でどうにかしなきゃいけなかった問題ですから。
勇者様が私たちを救わなかったところで、文句を言えた筋合いじゃありませんよ。
だからあの時私は言ったんです。
『勇者様も自由に生きればいいじゃないですか』って」
相変わらずの男前であった。
俺は思わずため息をつく。同時に少し気持ちが軽くもなっていた。
「ねえ、勇者様。
もし最初の異世界に戻れるなら、戻りたいですか?」
「いいや。
最初に言ったろう。あの世界は平和になったんだ」
そうあって欲しかった。
「あそこではもう、俺は生きられない」
俺の答えを聞いてメグはにんまりと笑った。とても満足げだ。
「それで、勇者様はどうするつもりなんですか?
オークと平和に過ごすつもりはない。
神様の言うとおりにするつもりもない。
まさか、死に場所を求めて居残ったわけでもないんでしょう?」
死ぬのは嫌だ。
何より、内心であの娘に捧げた誓いはまだ生きている。
俺は誰かを救うために戦うのだ。
ただ、その救済の対象に自分自身を含むよう方針を修正したに過ぎない。
だから意識して口角を上げて、力強く答えた。
「もちろんだ」
「だったら、私の忠誠は引き続き貴方のものです。
ともに世界を救いましょう、勇者様」
メグは席を立つと、手を差し出してきた。
俺は同じように席を立ち、その手を握った。
一見すると柔らかそうだったその手は、剣ダコでガチガチだった。
俺の手を力強く握りしめながらメグは言った。
「ところで勇者様」
「なんだ」
「弟が成人すれば、私は当主代行の任を解かれます。
その後は、どこかに嫁がされるか、修道院に送られることになるでしょう。
私が自由でいられるのは今だけなんです」
メグはメグで切実な事情を抱えているわけだ。
「計画は計画として、一度ぐらいは戦を経験してみたいと思っています」
「……分かった。
近いうちに連れてってやる」
今はまだ、あまりオークたちを刺激したくないが仕方あるまい。
俺から戦場行きの確約を得るとメグは手を離した。
それから足取りも軽く扉へと向かう。
俺はその背中を呼び止めた。
「なあ、メグ。
戦いたいんなら討伐隊ぐらい勝手に出せばいいじゃないか」
メグは振り向いて答えた。
「勇者様と一緒に戦いたいんですよ」
「なんでだ」
いつもの、あの素適な笑みを浮かべながらメグは。
「大義があった方がかっこいいじゃないですか。
どうせなら、神の御使いの下で、人類の存亡をかけて戦う方が熱いですからね」
なるほど。分からん。
次回は1/1の更新を予定しています。




