第五十一話 トーソンとオーク
――〈カダーンの丘〉にて
水車小屋の建設予定地は、カダーンの丘を迂回しながら領内を南北に縦断する川のほとりが選ばれた。
立地を選定したのは、オークの水車名人である〈骨太〉である。
彼の言によれば、『もう少し高低差があればよかったが、流量は十分である』とのことだった。
俺に案内されてこの建設現場にやってきたトーソンは、眼前に広がる非常識な光景を見てあんぐりと口を開けた。
彼が目にしたのは、工具を手に大工仕事に精を出すオーク達だった。
彼らは〈骨太〉の指揮の下、自分たちを苦役から解放するべく水車小屋の建設に励んでいた。
体格が違うせいか、人間用の工具の扱いに苦労しているようだ。おかげで彼らが働くさまは少々コミカルに見える。
トーソンは俺の顔を見ながら、パクパクと口を動かした。驚きのあまり声も出ないようだ。
同行してきていた賢者様がそんなトーソンの様子を見てケタケタと笑っていた。
珍しく館の外に出たと思ったら、どうやらトーソンが驚く様子を見るためにわざわざついてきたらしい。
俺はベルトから革袋を外してトーソンに手渡した。中身は発酵途中のリンゴ酒だ。
まだ甘みが強く、飲めばさわやかな酸味にシュワシュワとした炭酸が口の中を刺激する素敵な奴で、最近の俺のお気に入りだ。
トーソンは、それを一気に飲み干して大きく息をつくと、空になった革袋を俺の方に突き出した。
全部飲まれるのは予想外だった。楽しみにしていたのに。あとで誰かにもう一度取りに行かせよう。
「これは、一体、なんですか!」
リンゴ酒で少しだけ落ち着きを取り戻したトーソンが、一語ずつ区切りながら俺に言った。
「これが水車小屋です。
完成はまだ先ですが、そう長くはかからないとのことです。
楽しみにしていてください」
「そうではありません!
どうしてオーク達が鎖もなしにうろついているのですか!
その上、刃物まで!」
「あれは大工道具です。
さすがに鎖をつけていては仕事になりませんよ」
俺にしてみれば驚くほどのことではない。
何しろ、あのオークたちも元はといえば自給自足が原則の開拓民たちだ。
本職ほどではなくとも、最低限の大工仕事はできて当然だろう。
「何を暢気なことを!
万が一オークどもが逃げ出したらどうするつもりですか!」
あぁ、そっちの心配か。
「問題ありません。
ああしてジョージやルマにも槍を持たせて監視させています」
ルマに目をやると、大口を開けてあくびをしている。暢気なものだ。
ジョージもジョージで、槍を天秤棒のように担ぎながら気の抜けた顔でオーク達を眺めている。
二人とも最初はもっとまじめにオーク達を監視していたのだ。
ところが今やすっかりこの仕事に飽きてしまっている。
「それにまぁ、逃げたところでどこにも行けません。野垂れ死ぬだけです。
それはあいつらも分かっているでしょう」
「オークが、分かっている?」
「そうです。彼らには知能があります」
ちょうどその時、作業の監督をしていた〈骨太〉が俺のところにやってきて、胸に手を当てるオーク流のお辞儀をした。
〈骨太〉はもはや全裸ではない。服を着ている。
領民から集めたボロ着をオークの体にあわせて縫い詰めたものだったが、中々上手に着こなしていた。
馬子にも衣装というべきか、全裸で過ごしていた頃に比べて随分と知的に見える。
「作業の進捗はどうだ」
俺は頭を垂れたままの〈骨太〉に声をかけた。
傍らに控えていた花子が、すかさず俺の言葉をオーク語にして〈骨太〉に伝えた。
それに対して〈骨太〉がブヒブヒと答え、花子が石板に文字を書き込む。
『至って順調です』
「そうか、では引き続き頼む」
花子から俺の言葉を伝えられた〈骨太〉は、もう一度オーク流のお辞儀をして作業に戻っていった。
「今のは一体……?」
トーソンが青ざめた顔でこちらを見てきた。
彼にはもうネタばらしをしておくべきだろう。
俺は花子の頭に手を乗せて言った。
「この、花子と呼んでいるオークは、私の言葉を理解します。
この花子を通じて、オーク達に水車の建設を命じたんです」
トーソンはポカーンと大口を開けて俺の顔を見ていたが、やがて絞り出すように言った。
「……私には、勇者様の仰ることが理解できません」
ふむ。やっぱりすぐには受け入れられないか。
仕方がないことだろう。山脈のこちら側では、オークは力の弱い、安上がりな家畜としか見られていないのだ。
「トーソンさん、オーク討伐に参加したことはありますか?」
「はい、まだ従士だった時分に幾度か……」
なら話は早いな。
「だったら、オーク達が建てた家を見たことがあるはずです。
複雑な構造の武器を使いこなす姿も見ているでしょう?
どれもこれも、オークたちが自分で作りだしたものです。
こいつらには高い知能があるんですよ」
トーソンは、かつて敵として遭遇したオーク達を思い出したらしかった。
「う~む……確かに、しかし……」
トーソンはそれでもこの現実を完全には受け入れられない様子だった。
まあ、即座に否定してこないだけましな部類だろう。
常識というのは強固だ。
生まれたころからずっと刷り込まれてきた意識は、ちょっとばかり証拠を突きつけられたところで簡単には揺らがない。
俺だって、元の世界でコンピューターを操る鼠を見せられたとしても、「よく芸を仕込まれているな」としか思わないだろう。
ましてや、「こいつは人類より賢い鼠だ!」なんて言われたら鼻で笑うに違いない。
こいつを解きほぐすには時間がかかる。
だが、ここのオークと日常的に接していればそのうち慣れる。慣れればいずれは受け入れてくれるはずだ。
飲み込んでくれるのをゆっくりと待てばいい。
「実はこの水車小屋の設計も、賢者様ではなくあのオークがやったんですよ」
俺が、オーク達にあれこれと指示を出しているらしい〈骨太〉を指さしながら言うと、トーソンは俺の顔を正気を疑うような目で見てきた。
それから、〈骨太〉たちと俺を交互にみた後、こめかみを抑えて考え込んでしまった。
トーソンはしばらくそうしていたが、やがて顔を上げて怒鳴った。
「ルマ! ジョージ! たるんでいるぞ!
もっとまじめに見張らんか!」
オーク達による作業は継続して構わないということか。
どうやら、トーソンは全面的ではないにしろ現実を受け入れることにしたらしい。
「そこまで気張らなくても大丈夫ですよ。
あのオーク達は真面目な働き者です」
俺はトーソンを宥めたが、彼はそこまでオークを信じることができないようだった。
「しかし、万が一ということもあります」
「そんなに心配なら、しばらく自分の目であいつらを観察してみるといいですよ」
「……そうさせていただきます」
翌日から、完全武装の上に騎乗したトーソンが作業場の見張りに加わった。
思っていたより暇だったらしい。
その恐ろし気な鎧姿は、平和な建設現場の光景からは浮いていて、どことなく滑稽に見えた。
*
〈黒犬〉が伯都近郊の駐屯地にたどり着いてすぐ、まだ旅装も解き終わらぬうちにその男は現れた。
『これは常備連隊長殿』
〈黒犬〉は利き手の拳を反対側の胸にあてるオーク式敬礼をして出迎えた。
常備連隊長の共はたった一人。真新しい少尉の階級章をつけた少年だけだった。
〈黒犬〉はその少年に覚えがあった。竜を仕留めた分遣隊を率いていた、あの見習士官だった。
いったいこの男は何をしに来たのだろうと〈黒犬〉はいぶかしんだ。
常備連隊長といえば、辺境伯軍の最高幹部にして辺境伯の古参側近の一人だ。
先の遠征時のような例外を除けば、平時の序列は〈黒犬〉よりずっと上になる。
何か用があるならば、わざわざこちらに出向かずとも自分のところに呼びつければいいはずだ。
まして、戻って早々の登場だ。
市壁の見張り台から〈黒犬〉らの接近が報告されると同時に、連隊兵舎を飛び出してきたに違いなかった。
いったい、何をそんなに急ぐ必要があったのか。
『楽にしてよい』
常備連隊長は鷹揚に返礼して言った。
それから、周囲で忙しく働きまわる〈黒犬〉の傭兵隊を見回した。
『ずいぶん数を減らしたな。首尾はどうだった?』
どうやら、常備連隊長は〈黒犬〉に与えられた「秘密任務」について既に知っているらしかった。
『失敗しました。〈壁〉への突入には成功しましたが、目的を果たす前に強力な人間の個体に遭遇し、阻まれました』
『強力な個体……例の報告にあった〈魔王〉のことか』
『はい』
常備連隊長はうめくように鼻を鳴らした。
『……そうか。しかしよく無事に戻ってくれた』
〈黒犬〉はオークの老将が発したその言葉を意外な思いで聞いた。
先の遠征軍が編成されたとき、〈黒犬〉の事実上の総司令官への任命に、この男が強硬に反対していたのを彼は忘れていなかった。
無論、〈黒犬〉とて常備連隊長が今回の陰謀にかかわっていたとは考えていない。
だが、それでも〈黒犬〉は、この老将は余所者である自分を疎ましく感じているとばかり思っていたのだ。
『意外そうだな』
常備連隊長が言った。
『言わんでも顔に出ているぞ。
どうせ、ワシに嫌われているとでも思っておったのだろう』
『はい、その通りです』
〈黒犬〉は正直に答えた。
貴族どもがやるような腹の探り合いは苦手だった。
『ずいぶんあけすけにものを言う。
まあいい、実際その通りなのだからな。
ワシはお前が嫌いだ』
苦々しげな顔で、常備連隊長は言い放った。
〈黒犬〉は顔色一つ変えずに話の続きを待った。
腹を立てる必要はなかった。老将の言葉は、今まで〈黒犬〉が感じていたことを改めて裏付けたに過ぎなかった。
『この北の大地は、この地に住む者によって守られねばならん。
当然であろう?
自分の身すら守れぬ者が、どうしてこの地で生きていくことができようか!
余所者の力を借りねば生きられないようでは、もはや未来はない。
だから我が一族は戦い続けてきた。
我こそが北の大地の守護者であると、そう自負してきた。
だが……』
老将の言葉が途切れた。そして肩を落として続けた。
『貴様の活躍を見せつけられるたびに、その自負が揺らいでいく。
ワシらが仕方のない犠牲と割り切っていた者たちを貴様が守って見せるたびに
ワシは己の不甲斐なさを突き付けられる。
……もはや、貴様抜きに開拓地の防衛は成り立たん。
ワシはそのことが情けなくて仕方がないのだ』
老将は俯いて、小さく鼻から息を吐いた。
それから、顔を上げ、〈黒犬〉をまっすぐ見据えていった。
『貴様、嫁を取らんか?』
あまりに唐突な提案だった。
『もし貴様がこの地に根を張ってくれるのであれば、もう憂いはない。
同じこの地に住まう同志として、共に手を取り、盾を並べることもできよう。
どうだ、考えてみないか?』
突然のことに戸惑い、言葉を返せずにいる〈黒犬〉を見て、老将はぎこちない笑みを浮かべながら言った。
『……冗談だ。
つまらぬ手間を取らせたな。ゆっくり体を休めるがいい』
そうして、〈黒犬〉に背を向けて歩き始めた。
だが、すぐに足を止め、振り返った。
『次にあのドラ息子めに無理を押し付けられた場合には、ワシを頼れ。
もはや、貴様を失うわけにはいかんのだ』
再び歩き出した彼の背中は、どことなく晴れ晴れしているように〈黒犬〉の目には映った。
〈黒犬〉はふと、急ぎ報告すべき情報があったことを思い出した。
『常備連隊長殿。しばしお待ちを』
老将は意外そうな顔をして振り向いた。
『どうした。嫁でも取る気になったか』
『いえ、辺境伯閣下にお伝えしなければならぬことがあります。
第二令嬢に生存の可能性があります』
それを聞いた常備連隊長の目が見開かれた。
『それは本当か!
情報の出どころは……いや、いい。
とにかくついてこい』
『どちらに?』
『閣下のところに決まっておろうが!
報告するのだ。
貴様自身が! 今すぐに!』
〈黒犬〉が引き摺られるようにして連れていかれた先は、辺境伯邸の寝室だった。
常備連隊長が部屋の主人の眠りを妨げぬように控えめに扉を叩くと、それはすぐに音もなく開かれた。
部屋の中には辺境伯の側近が数名、暗い顔で屯していた。
〈ドラ息子〉によって役職を追われた者たちだった。
彼らは〈黒犬〉を見て、眉間にしわを寄せた。
戦塵にまみれたその姿は、病人を見舞うには確かにふさわしくなかった。
看護にあたっていた侍従がこの不潔な傭兵を追い出そうと立ち上がったが、常備連隊長に制止され、不承不承の様子で引き下がった。
常備連隊長は〈黒犬〉を辺境伯の枕元へと連れて行くと、早速報告せよと促した。
〈黒犬〉は跪き、頭を垂れて小さく息を吸った。
先ほどは眉をひそめていた側近たちも、今は興味深げにその様子を見守っている。
『朗報でございます。ご息女が生存しておるかもしれぬ、という情報を得ました』
辺境伯は、眠ったまま何の反応も示さなかった。
〈黒犬〉は構わずに報告を続けた。
耳には届かずとも、魂には届くかもしれない。
この報告がもたらす微かな希望が、僅かなりとも大恩ある老オークの霊魂の慰めになることを〈黒犬〉は願った。
『先日私はご子息より命を受け、〈壁〉を破壊する力を持つという古代の遺物の力を試すべく北へと向かいました。
残念ながら〈壁〉を破壊することはかなわず、私は人間どもの虜囚となりました。
しかし驚くべきことに、私はそこで、ご息女に侍女として仕えていた女と出会ったのです。
彼女が申すには、ご息女は彼女と共に人間に捕らえられ、後に奴隷市場にて別れ別れになったとのことです。
人間どもは、おそらく労働力として我らを攫っているのでしょう。
御息女も、働き手として買われていったと思われます。
であれば、まだ生存している可能性は十分にあります」
側近らが、難しい視線を〈黒犬〉に投げかけていた。
辺境伯は相変わらず小さな寝息を立てるばかりだった。
〈黒犬〉は何の反応もないことを確認すると、静かに立ち上がり、辺境伯に一礼した。
そしてに常備連隊長と側近らに向き直ってもう一礼し、立ち去ろうとしたその時だった。
辺境伯の鼻から、微かな呻きが漏れた。
〈黒犬〉はゆっくりと振り返った。
部屋中の者が固唾をのんで見守る中、うっすらと、本当に少しだけ辺境伯が目を開いた。
そのほんの僅かな瞼の隙間で白濁した瞳が弱々しく動き、そして〈黒犬〉を確かに捉えた。
居合わせた側近たちがどよめいた。
あの何事にも動じない常備連隊長ですら驚愕に目を見張っている。
部屋の隅で待機していた医師たちが駆け寄り、脈をとり、熱を測り始めた。
先ほどまで静まり返っていた部屋にささやかな騒ぎが起きる中、辺境伯は再びその目を閉じた。
その日はそれで終わった。
医師たちは患者をこれ以上興奮させてはならぬといって、全員を部屋から追い出した。
使用人に背を押されながら、〈黒犬〉はもう一度振り返り、肩越しに辺境伯を見た。
その寝顔は心なしか先ほどより安らかに見えた。
次回は8/7を予定しています




