第五十話 オークと水車
――〈カダーンの丘〉にて
きっかけは、粉挽小屋で飼われていた一匹のオークだった。
骨太なのだろうか、痩せ衰えてもなおがっしりとした体つきの、オークたちの中でも特に厳つい顔をした個体だ。
珍しいことにこのオークは、人間語こそ理解しないもののオーク文字の読み書きができた。
粉挽小屋で飼われているニ十匹のオークの中で、文字が読めるのは花子以外にはこいつだけだった。
そういうわけで、俺は便宜上「〈骨太〉」と名付けたこのオークをちょくちょく借りてきては、花子を介さずに直接筆談をする練習の相手に使っていた。
賢者様の指導のおかげか、俺のオーク語筆談のスキルもだいぶ上がってきたある日のことだった。
俺は何の気もなしに、この〈骨太〉に「何か不満に思っていることはないか?」と訊ねた。
これ自体は、他のオーク達にも、〈骨太〉自身にも、いままで何度もしてきていた質問だった。
大抵は『腹が減った』だとか、『毛布が欲しい』だとか、そんな答えが返ってきた。
以前、別のオークに「個室が欲しい」と言われた時はさすがに無理だと伝えたが、これまでのところ俺はできる限り彼らの要望に応えてきた。
おかげでトーソンはいつも渋い顔をしている。
さて、この日の〈骨太〉はいつもと様子が違った。
しばらく俺の顔をじっと見つめた後、チョークで石板をトントンと叩いた。
自分の思うところを書いてもよいかどうか、迷っている様子だった。
迷い続ける〈骨太〉に、おれは「まずは言うだけ言ってみろ」と伝えた。
彼はまたしばらく考えた後、意を決したように石板に書き殴った。
『もう大臼を回すのはうんざりだ!』
なるほど確かにあれはつらい仕事だろう。
肉体的にしんどいばかりではない。なにしろ一日中、同じ場所をグルグル、グルグルと単調に回り続けるのだ。
どれだけ前に進もうが、決して景色が変わることはない。もはやある種の拷問ですらある。
うんざりするという気持ちもわかるが、さすがにこればかりはどうにもならない。
そもそも、彼らはあの臼を回すために買われてきたんだから。
俺は石板に『それが仕事なのだから仕方がない』と書いて伝えた。すると〈骨太〉は俺の手から石板をひったくり、憤懣やるかたないといった様子でさらに書き殴った。
『XXXXを使えば良いだろう! どうして俺が回す必要があるんだ! こんなのは間違っている!』
まったく知らない単語が出てきた。賢者様の辞書をいくらめくっても『XXXX』に相当する言葉が見つからない。
俺は〈骨太〉に訊ねた。
『そのXXXXとは一体なにか?』
〈骨太〉は、信じられないといった目つきで鼻を広げた。
『XXXXを知らないだって!?』
驚く〈骨太〉に、俺は大きく頷いて説明を求めた。
〈骨太〉によれば、それは水の力で車輪を回して動力を得る装置であるらしい。
つまり水車だ。
確かに水車を使えば、オーク達に大臼をグルグル回させる必要は全くない。
まったく目から鱗だった。どうやら俺はこの世界に毒されすぎていたらしい。
わざわざオークたちが臼を回していることについて、何の疑問も抱いていなかったのだ。
ごく単純な発明が欠けているなんてことは、異世界ではよくあることだったから気にも留めずにいた。
水車小屋の建設は良い案だったが、問題が一つあった。
水車の作り方がわからないのだ。
おそらくこの世界の人類は誰一人として知らないはずだ。なにしろ、水車という単語そのものがなかったんだから。
実際、この世界に来て半年以上たつが俺は一度も水車を見ていない。
いや、一度だけどこかで見た気がするな。あれはどこだったか。まあいいや。
まぁ、単純な機械だからといって見よう見まねでやれば必ず失敗する。
試行錯誤すればそのうち完成させることもできるだろうが、そのためのコストが問題だ。
水車が木製とはいっても、ちゃんとした材木というやつはそれなりのお値段がするのだ。
さすがにこれ以上はトーソンを説得する自信がない。
『残念だが、水車の作り方がわからない』
俺はなるべく申し訳そうな顔をしながら石板に書き込んだ。
〈骨太〉が人間の表情を識別できるは知らないが、多分誠意は伝わるだろう。
いや待てよ。俺はどこで水車を見たのか思い出したぞ。
そうだ、オークの村の焼け跡だ。
つまり、オークの中には水車の作り方を知っている者がいるということだ。
俺は続けて石板に書き込んだ。
『粉挽小屋のオークの中で、水車の作り方を知っている者はいないか?』
〈骨太〉は俺の手から石板をひったくると、俺の言葉を消しもせずにそのまま上から何事かを書き殴った。
『俺がその水車技師だ!』
なるほど、〈骨太〉に臼をグルグルさせ続けるのは、確かに間違いに違いなかった。
*
聞くところによれば、この〈骨太〉は水車作りの親方であったらしい。
弟子たちを率いて方々の村を巡っては、要望に応じて様々な水車を建てて暮らしていたのだそうな。
彼の建てた水車は他より三割増しでよく回ると評判で、国内でも一二を争う水車職人として名が通っていたという。
評判の真偽は知らないが、ともかく彼の名はオークの国の北の端、北方の大領主の耳にまで届いた。
大領主はこの〈骨太〉を自らの屋敷へ招き、親しく言葉をかけて協力を要請した。
大領主ともあろうお方が、名人とはいえ一介の職人に頭を下げたのだ。普通では考えられないことだった。
この対応に気をよくして二つ返事で了承したのが運の尽き。
早速北の開拓地へ赴いた〈骨太〉は、一件目の水車を建て終わったところで人間に捕まってしまった。
おまけに、建てたばかりの水車を目の前で焼かれるというおまけまでついた。
以来、この天下一の水車職人は、水車に代わって自分で大臼を回しながら欝々と過ごしてきたのだった。
これまでは、オーク達の過去を聞くのを避けていた。
どうせ気まずい話を聞かされるのがオチだからだ。
だが、これからはもう少し彼らの身の上話を聞いてみたほうがよさそうだ。
思わぬ技能の持ち主が他にも潜んでいるかもしれない。
とにもかくにも、まずはトーソンだ。
水車小屋を建設するためには、どうにかして彼を説き伏せ、予算を引っ張り出さなければならない。
翌日、俺はトーソンの執務室を訪ねた。
彼はいつものようにしかめっ面で帳面とにらめっこをしていた。
こころなしか、俺の顔を見て一層機嫌が悪くなった気がする。
トーソンに水車を作りたいと伝えると、彼は先のしかめっ面をますます険しくして言った
「なんですか、そのスイシャというのは」
「水の流れる力を動力に変える装置です。トーソンさん」
俺の答えを聞いて、トーソンの顔が先ほどとは違った意味で険しくなった。
「水の流れる力……?
古の精霊術のことでしょうか?」
聞いたことのない言葉ができてきた。
なんとなく想像はつくが、一応聞いてみたほうがいだろう。
「精霊術? それはどんなものですか?」
俺の質問に、彼は声を落して応えた。
「精霊術はかつて邪教の呪術師たちが用いていた魔法です。
今では邪法として禁じられています。
万物に宿るという精霊たちの力を借りて、人智を超えた呪詛を呼び起こす技であったと伝えられています。
多くの場合、力を得るためには生贄を必要としたそうです。
生贄には穢れなき幼い子供、それも高貴な血を引く者が最上とされ……」
「いやいや、そんな大層な代物じゃありませんよ!」
俺は慌てて彼の解説を遮った。
なんだその黒魔術みたいなのは。
俺が作りたいのはそんな恐ろしげなものではない。
まぁ、こういうのは見てもらうのが一番早いだろう。
俺は木製の細工を取り出してトーソンの前に置いた。
木の板を十字に組んで、軸を通したものだ。
それから、これまた木の棒を組んで作った台を机の端に二つ並べて、先ほどの十字の板の軸を乗せた。
ごく簡単な水車の模型だ。〈骨太〉に命じて作らせたのだ。
「これが水車です」
トーソンがその板をピンと指で弾くと、簡易水輪がクルクルと回った。
「それで、これをどうするのですか、勇者様」
「こうするのです」
俺はあらかじめ用意しておいた水差しから、水車に水を垂らす。
水輪が水を受けてクルクルと回り、床が少しだけ濡れた。
ここの床は荒い石畳だからすぐに乾くだろう。
「なるほど。これが水車ですか。
似たようなものを子供たちが作って遊んでいるのを見たことがあります。
ですが……こんなものを作って一体どうするつもりなのですか?」
おもちゃ扱いされてしまった。
「この回転の力を利用して、粉挽小屋の臼を回すんです。
今後、オークの供給はますます不安定になるでしょう。
しかし、この水車を使えばもうオークの消耗を怖れる必要はなくなります」
トーソンもう一度水車を指で弾いて、クルクル回るそれを見ながら考え込んだ。
「……しかしながら勇者様。見たところこの水車は縦方向にしか回らないように見えます。
大臼を回すためには、水平方向に回転せねばなりません」
おっと、さすがはトーソンだ。いいところに気が付く。
俺はすかさず、次の細工を取り出して見せた。
木の円盤の円周部に、一定間隔で柱を植えたものだ。それが二つ。
これも、昨晩〈骨太〉に作らせた。
その二つを円盤を、柱がかみ合うように垂直に組み合わせる。
そうして片方を回すと、円盤から生えた柱が歯車のようにかみ合って、もう一方の円盤も回る。
「こうすれば、回転方向を変えることができるのです」
「なるほど、言われてみれば城門の落し格子にも似たような機構が使われていますね。
これであれば確かに大臼を回すこともできますが……」
「まだ何か問題がありますか?」
「……なるほど、実現すれば大変便利ですな。
しかし、このような装置は私が知る限り前例がありません。
前例がないということは、おそらく膨大な試行錯誤が必要になるはずです」
そこまで言ってトーソンは大げさにため息をついて見せた。
「ここのところ、オーク達にかかる費えがかさんでおります。
これ以上の出費は……」
おっと、財政危機だ。
だが、問題ない。俺は最後の切り札を取り出した。
「これを見てください」
俺は羊皮紙の束をトーソンの前にドンと置く。
「勇者様、この紙はどこから……」
「ちょっと倉庫からお借りしました」
「勝手にそんなことをされては困ります! これも決して安いものではないのですよ」
「まあまあ、そんなことは置いておいて、とりあえず中身を見てください」
トーソンは諦め顔でそのうちの一枚を手に取る。
「ほう、これは……」
気の無い様子だったトーソンが、一目見て感嘆の声を上げた。
彼が手にしているのは、水車小屋の詳細な設計図だった。
〈骨太〉が一晩で書き上げてくれたのだ。
先ほどこれを受け取りに小屋に寄ったときには、ジョージと一緒にぐったりと寝込んでいた。
少し無茶をさせてしまったかもしれない。
「水車は未開発の技術ではありません。
このとおり、きちんとした図面も存在しているのです」
「これは、例の賢者殿の発明ですか?」
トーソンが次々と図面をめくりながら俺に訊ねた。
「えぇ、その通りです」
全然違うが、そういうことにしておいた。
常識人であるトーソンに、これがオークの仕業であると説明するのは面倒だ。
それに、賢者様のおかげでオークとお話ができるようになったのだから、まったくの嘘でもない。
「なるほど、確かに役に立つ知恵者であるようですね。さすがは勇者様が見込んだお方です。
しかし、必要な資材はどれほどになるのか……」
「それについては一番最後の紙にリストがあります」
そのリストは、ジョージがこれまた一晩で翻訳してくれたものだった。
彼もまた、俺と一緒に賢者様の弟子になっていた。
必要資材リストを見て、トーソンがまた顔をしかめた。
「む、これはやはり……しかし、う~む……」
トーソンは頭の中で何やら計算を始めたらしかった。
「いや、完成後にオークを売り払えば……う~ん……分かりました。その水車とやらに賭けてみましょう」
彼はしばらく考え込んでいたが、ついに決断してくれた。
途中、何か不穏な呟きが聞こえたような気がするが、たぶん気のせいだ。
なに、また駄々をこねれば何とかなるさ。
「ご理解いただけたようで何より。では早速手配の方をお願いします」
「承りました。
しかしながら、先の見積もりには職人を雇う費用が含まれておりませんが……」
「職人については私が手配するので問題ありません。資材と、道具の確保だけお願いします」
トーソンはまたまた妙な顔でこちらを見たが、それ以上は何も言わなかった。
きっと、俺のことを信頼してくれているのだろう。
次回は7/31を予定しています




