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第四十八話 〈ドラ息子〉

 常備連隊長は従僕共の制止を振り払うと、辺境伯の執務室の扉を勢いよく開け放った。

 扉の内側に待機していた従僕が、ゴンッという鈍い音を立てて扉に弾き飛ばされた。


 オークの老将は罪のない従僕に内心で詫びつつ、ズンズンと部屋の奥へ進む。


 部屋の奥にある執務机では二人のオークが向き合っていた。

 本来なら辺境伯が座っているはずの椅子にふんぞり返ってかけているのは辺境伯のドラ息子だ。

 あの辺境伯の種とは到底信じられぬ、鼻の形以外何一つ似ていない愚物である。

 北方辺境伯家代々の特徴である『逆さ反りの牙』がなければ、奥方の不貞を疑っているところだった。


 それに向き合う形でだらしなく机に寄りかかっているのは〈ドラ息子〉の腰巾着だ。

 華美な衣装に身を包んだ、〈ドラ息子〉と同年配のオークだった。

 こちらは帝国系貴族でも下級の家の出で、口先一つで〈ドラ息子〉に取り入った男だった。

 自身では何一つ満足な仕事ができないくせに、どういうわけか根回しだけは人並み以上にやってのける。


 辺境伯であれば軽佻浮薄の輩として遠ざけていたことだろう。

 だが、〈ドラ息子〉はどういうわけかこの男を気に入り、側近としていた。


 机の上には一丁の銃が置かれており、彼らはそれについて何か話し合っていたらしかった。


『どけ!』


 常備連隊長が一喝すると、〈腰巾着〉は怯えた様子で後じさり、老将に居場所を譲った。


(所詮はこの程度か。忠臣を気取るなら、立ち塞がる振りぐらいはして見せろ)

 

 常備連隊長は、〈腰巾着〉に軽蔑を込めた一瞥をくれてから、〈ドラ息子〉の前に立った。

 それから、直立不動の姿勢をとり、一礼する。

 こんな男でも辺境伯代行という立場は正式なものだ。

 その地位に対しては敬意を示さねばならない。


『閣下、北方辺境伯領の防衛に責を負う者として、お答えいただきたいことがございます』


 常備連隊長は勤めて丁寧な口調で用件を切り出す。


『し、質問を許す。言ってみろ』


 常備連隊長は、一枚の紙を差し出した。

 それは〈黒犬〉が現在就いているという『極秘作戦』についての調査報告だった。


『これはどういうことですかな?辺境伯代行(・・)閣下』


 常備連隊長は、牙をむき出しにしながら〈ドラ息子〉を睨み付けた。

 だが、〈ドラ息子〉はこの報告を見て幾分か余裕を取り戻したようだった。

 彼は軽く鼻を鳴らして常備連隊長に問い返した。


『何か問題でも?』


『この作戦は何なのですか!

 いや、こんなもの作戦とは呼べません! これではただの自殺指令ではないですか!』


 〈ドラ息子〉は常備連隊長の剣幕を見て、意外そうな顔をした。


『てっきり、お前は喜んでくれるものとばかり思っていたのだが。

 あいつのことを邪魔に思っていたのだろう?

 喜べ、次に遠征軍を起こすことがあれば、その総指揮官はお前だ』


 その言葉は、常備連隊長を苛立たせた。


(なるほど、この小僧は俺をそのようにみているのか。

 権力欲しさに味方の死を喜ぶような、そんな男だと考えているわけだ)

 

 彼の腹の内で、怒りが止めようもなく膨らんでいく。


『そのようなことを問題にしているのではありませぬ!

 あの男抜きでは開拓地の防衛に重大な支障がでます!』


『な、何を大げさな。

 我が軍が雇っている狼鷲兵はあれだけではなかろう』


 事実、辺境伯軍は他にも三つの狼鷲の傭兵隊と契約している。

 だが、いずれも〈黒犬〉の隊ほどの戦果は挙げていない。


『あの者の隊は別格であります。

 他の者では、到底代わりは務まらぬのです』


『北の守りは我々自身で行うべきと豪語していたのは、他ならぬ貴様ではないか。

 今更、あの男がいなければ民を守れぬなどと泣き言をいうつもりか?

 そもそも、今回の任務には奴が自分から志願したのだ。

 なぁ、お前も聞いていたろう?』


 そういって〈ドラ息子〉は振り返ると、いつの間にか自身の背後に移動していた〈腰巾着〉に尋ねた。


『いかにも、閣下の仰る通りです。

 あの傭兵隊長は、自ら志願してあの任務に就きました』


『貴様は黙っておれ!』


 そう言って〈腰巾着〉を怒鳴りつけたものの、彼は〈ドラ息子〉の主張を否定する材料を持ち合わせていなかった。

 言葉に詰まる常備連隊長を見て、〈ドラ息子〉は完全に普段の調子を取り戻したようだった。

 意地の悪い笑みを浮かべながら続けた。


『たかが傭兵隊が一つ減ったぐらいで、そのような弱気なことを言ってもらっては困る。

 なにしろ今後は軍を縮小せざるを得ないのだからな』


 常備連隊長の眉間にグッと皺が寄る。

 だが、軍の縮小自体は彼自身既に覚悟していたことではあった。

 先の遠征に多額の費用が掛かっていたことに加え、その後の竜による空襲で北の入植地は甚大な損害をだしている。

 入植地の復興と、難民たちの支援には膨大な予算が必要になるだろう。

 どこかから、その費用を捻出せねばならない。

 軍のみならず、辺境伯領のあらゆる部署で予算の縮小が告げられているはずだ。


『……財政上の問題は小官も把握しております』


 常備連隊長は唸るようにして応えた。


 幸い、先の会戦では勝利をおさめ、人間どもにも相応の代償を払わせている。

 竜への対処は頭の痛い問題だが、通常の襲撃に関してはいくらか明るい見通しを持てるはずだ。

 だから、軍の縮小自体は受け入れられる。

 問題は、それがどれほどの規模になるか、だった。


『ならば話は早いな』


 〈ドラ息子〉は得意げに説明を始めた。


『まず、全ての開拓特区の指定を解除する』


 常備連隊長の目が見開かれた。それは到底信じられない話だった。

 〈ドラ息子〉は、そんな彼の様子に気づかぬまま話を続ける。


『こうすれば、他の地域と同様に徴税が可能になるからな。収入が増える。

 免税特権がなくなる代わりに、兵役も課されなくなるのだから、民は喜ぶだろう』


 常備連隊長は辺境伯の執務机に思い切り拳を叩きつけた。

 分厚い樫の天板が衝撃で震える。

 インク壷からペンが飛び出し、床に転がった。

 従僕がインクを拭きとろうと慌てて駆け寄ったが、続く常備連隊長の怒声に思わず身をすくませる。

 

『馬鹿な! 開拓民兵は北方辺境伯軍の根幹だぞ!

 削減ならまだしも、全廃だと! 貴様正気か!?』


 常備連隊長のあまりの剣幕に、インクを拭こうとしていた従僕はそのままの姿勢で凍り付いた。

 目の前でペン先から染み出たインクが絨毯にジワリと広がっていくのを、その従僕は身動きが取れないまま泣きそうな目で見つめていた。


『じょ、常備連隊長殿!

 辺境伯代行閣下にたいして――』


『黙れ!』


 〈腰巾着〉が甲高い声で窘めようとするのを、再度一喝して黙らせる。


『いくらなんでも、常備連隊だけで広大な入植地を守り切ることはできん!

 いくら復興に金がかかるとはいえ、守ることができないのでは無意味!

 一体どうするつもりだ!』


『どうするも何も、放っておけばよいではないか』


『な、なに……!?』


 〈ドラ息子〉の言葉に、常備連隊長は絶句した。


『そもそも、谷の突破など企てたがために先の空襲を誘発したのではないか?

 だったら、何もせずに放っておくのが最上だ。

 開拓地など、人間どもとの緩衝地帯にすぎん。

 適当に貧民どもを住まわせておけば、あの獣共も満足して奥地までは攻め入らぬだろう。

 幸い、貧民どもは南からいくらでも流れ込んでくる』


『き、貴様は、開拓地を見捨てるのというのか!』


『元々、特区指定で一銭の税収もなかった土地だ。

 わざわざ金をかけて守る必要はあるまい』


『自分が何を言っているのか分かっているのか!

 民を守らずして何が支配者だ!』


『父上もよくそう言っていた。

 実に古臭い考えだ。

 だが、よく考えてみろ。我らは領地の経営者に過ぎん。

 皇帝陛下に代わってこの地を治め、帝国に貢献することこそが我が使命。

 父上はそのことをすっかり忘れてしまっていた。

 なにが『我が民』だ。民に施しを与える暇があるのなら、皇帝陛下に貢献するのが本分であろうに』


 そこまで言って、〈ドラ息子〉は何かに気づいたらしかった。

 すぐに作り笑いを浮かべると、常備連隊長に向かって付け加えた。


『あぁ、そうだった。

 心配せずとも、お前の常備連隊まで縮小したりはせん。

 大事な伯都の守りだからな。

 なんなら難民共を強制徴募する権限もくれてやる。

 奴らなら、飯と寝床をやるだけで喜んで集まってくるだろう』


 常備連隊長は、サーベルに手を伸ばすのを寸でのところで思いとどまった。

 怒りのあまり、全ての言葉が消し飛んでしまっていた。

 老将の怒気を察した〈腰巾着〉が慌てた様子で会話に割って入ってきた。


『じ、常備連隊長殿。

 戦力低下を防ぐための手立てについては、我々も十分考えております。

 帝国本国より最新の軍事技術を導入し、軍の改革を試みておるのです。

 ほら、これをご覧ください』


 そう言って彼は、机の上に置かれていた銃を指した。

 奇妙な銃だった。

 一見するとごく普通の小銃だが、筒先の下から奇妙に長い槍の穂先のようなものがにゅっと突き出していた。

 少しだけ興味をそそられた常備連隊長は、怒りを今の間だけ脇に追いやることにした。。


『……見せていただいてもよろしいか』


『好きにしろ』


 〈ドラ息子〉の許可を待って、常備連隊長は小銃に手にとってしげしげと眺めた。

 見た所、辺境伯軍で採用されている小銃と何一つ変わるところはない。

 先端から突き出す刃物は従来の小銃に後付けされたもののようで、金具でがっちりと固定されている。

 常備連隊長がその銃を眺めまわす様を見て、これに興味を持ったものと思ったらしい。

 〈ドラ息子〉が得意げに説明を始めた。


『これは剣付銃と呼ばれているものだ。

 先の内戦の末期に発明され、十年程前から帝国本国でも採用され始めた最新の武器だ。

 それでいて、既存の銃に後付けできるから導入にはさほど金もかからん。

 これを装備すれば銃兵にも白兵戦が可能になり、長槍兵も銃兵に置き換えることができる。

 そうなれば、一隊列あたりの火力はより一層向上し――』


 不意に、常備連隊長が手にしていた銃の筒先を〈ドラ息子〉に向けて構えた。

 〈ドラ息子〉の顔が恐怖に凍り付く。

 老将がすかさず引き金を引くと、撃鉄が当たり金にあたってカチャリと音を立てた。


 凍り付いたままの〈ドラ息子〉を見て常備連隊長は馬鹿にするように鼻を鳴らした。


『先端が重くなりすぎだ。

 これでは構えたまま狙いを維持するのは難しい。

 かといって、槍としては長さが不十分だ。

 狼鷲相手ならともかく、人間の乗る巨大な獣相手ではどうにもならん。

 おまけに、槍として使えば銃身が歪む。そうなればますます当たらなくなる。

 銃としても槍としても中途半端で、まったく役に立たんな』


 老将は新兵器をそう評して、〈ドラ息子〉と〈腰巾着〉を睨み付けた。


『それで、これだけか? 他には?』


『こ、行軍用の天幕を廃止しようと考えている。

 これも、最近になって本国で採用されたやりかただ。

 野営ではなく、兵を民家に分宿させる。

 兵士の疲労は最低限になり、輜重の減少で行軍の効率も大幅に――』


 常備連隊長は〈ドラ息子〉の話を遮って言った。


『とんだ浅知恵だな。全く話にならん。何が本国の最新軍事技術だ。

 本国とここでは環境が違いすぎる。

 どうしてもやるというなら、まずは強制徴募とやらで集めた兵で試せ。

 成果が出たなら常備連隊でも採用してやる』


 そういって、彼は〈腰巾着〉に剣付銃を押し付けると、ノシノシと部屋を後にした。


 *


 常備連隊長が退室すると同時に、辺境伯の息子は執務机に思い切り拳を振り下ろした。

 分厚い樫で作られた執務机は、彼の拳をどっしりと受け止め、微動だにしなかった。


 〈ドラ息子〉の背後で、〈腰巾着〉が鼻を鳴らした。


『次期辺境伯に対してあの態度。

 敬意というものがまるで欠けておりますな』


 全く〈腰巾着〉の言うとおりだった。

 あの〈北の民〉の老将ときたら、怒鳴り散らすばかりでこちらの意見など聞こうともしない。

 まったく傍若無人と言うほかはなかった。


先代(・・)に厚遇されて、いい気になっておるのでしょう』


 そういって、〈腰巾着〉はふうと鼻から息を漏らした。


『父上はまだ生きているのだぞ』


『これは失礼。

 ただ、辺境伯の座につくあなたの姿が、あまりにも自然に、かつ相応しく思われましたので、つい』


 〈ドラ息子〉は窘めて見せたものの、悪い気はしていなかった。

 大体、彼自身が父親のことをあまり快く思っていないのだ。


 彼には父と共に過ごした記憶がほとんどなかった。

 辺境伯は、息子が物心がつくと同時に彼を帝都にある帝国学習院へと送り出した。

 帝国貴族として正規の教育を受けさせるためだ。


 だが、帝都での暮らしは彼にとって楽しいものではなかった。

 本来であれば、帝国学習院での生活を通じて本国や他の領邦の貴族の子弟と交わり、人脈を広げることが期待されていた。

 だが、彼は友人を作ることができなかった。


 いささか内向的であった彼の気質によるところもあったが、それだけではなかった。

 まず、本国では北方辺境伯に対する風当たりが強かった。

 それもそのはず、辺境伯は先の内戦において日和見を決め込んだのみならず、これ幸いと他領の難民を取り込んでひたすら自領の開発に励んでいたのだ。

 そのような姿勢が他領から見て面白いはずがない。

 その上、〈ドラ息子〉はその出自に弱点を抱えていた。

 彼は側室から生まれた子だった。辺境伯の正室は子をなすことができなかったからだ。

 本国や他地域の貴族の子弟には様々な陰口を叩かれ、時には公然と『妾の子』と嘲られることすらあった。


 そんな彼を支え、他所からの敵意に立ちふさがるはずだった自領の同輩達は、その任を果たそうとはしなかった。

 なにしろ、北方辺境伯領において、帝国系の貴族たちは辺境伯に冷遇されていると感じていた。

 ある種の逆恨みではあったが、子供たちは親世代の空気を敏感に察知し、それが辺境伯の息子に対する態度につながった。

 そしてなお悪いことに、彼を産んだ側室は〈北の民〉の出であった。


 いずれにせよ辺境伯の息子は、当人には全く責の無いことで迫害に晒されたのだった。

 そしてその原因である彼の父は、その生活の大部分を己の領地で過ごし、滅多に帝都に顔を出そうとはしなかった。


 こうした生い立ちが、彼の精神に暗い影を落としていた。


『……あのような無礼者はすぐにでも免職すべきでは?』


『そうしてやりたいが、すぐには無理だ』


 〈ドラ息子〉は〈黒犬〉の手柄を横取りし、その一部を常備連隊長に押し付けていた。

 一度大変な功績があると持ち上げた以上、しばらくはあの老将の地位に手を付けることができないのだった。

 あの男もそうしたところを見抜いたうえであのような態度をとっているに違いなかった。

 ああ見えて、政治的な嗅覚も備えた老獪なオークなのだ。


『あの老害共は、北方辺境伯領が置かれた状況を全く理解しておらん!』


 〈ドラ息子〉はそう叫ぶと、もう一度執務机に拳を振り下ろした。

 拳がジンジンと痛んだが、彼の怒りはまるで収まる気配を見せなかった。


『全くですな、閣下。

 誠に嘆かわしいことです』


 〈腰巾着〉が、主の言葉に同意する。

 〈ドラ息子〉はそんな彼に振り向きながら言った。


『俺が信用できるのはお前だけだ』


『身に余る光栄にて』


 彼は優雅に礼をしながら主に応える。

 彼は、〈ドラ息子〉の言うことを決して否定しない。

 辺境伯(ちち)であれば、そのような輩は自身から遠ざけただろう。


 だが、〈ドラ息子〉はそうするつもりはなかった。


 このオークは、帝都での暗黒の日々において唯一、彼の側につき、彼を支えてくれたのだ。

 その親友を、どうして無碍に扱うことができようか?


次回は7/17を予定しています

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