第四十七話 老将
しばらく間が開きましたが、本日より投稿再開です。
書籍化に伴い、〈竜の咢〉の表記を〈竜の顎門〉に変更しました。
以下、前回までのあらすじ
〈竜の顎門〉にてオーク軍の襲撃を退けた勇者は、〈黒犬〉の仇名で知られるオークの英雄を捕縛することに成功した。
しかし勇者は、自身を異世界に送り込んだ何者かの意思に逆らい、〈黒犬〉を解放した。
――〈竜の顎門〉にて
「少し見ない間に、随分イイ男になりましたね、勇者様」
メグが俺の顔を見るなりそう言った。
〈門塔〉前の広場にはモールスハルツの騎士達がずらりと整列していた。
オーク襲来の第一報を受けたメグが、自慢の従士団を率いて駆けつけてきたのだ。
メグの後ろにはゴルダン叔父が疲れ切った顔をして控えていた。
「手練れのオークにやられた。
すごかったぞ。
なんせ俺をあと一歩で殺しかけたんだからな」
そう言って、俺は左腕の包帯を見せた。
「むぅ~。どうして私に取っておいてくれなかったんですか。
ひどいですよ」
メグがぷぅっと頬を膨らませてむくれた。
ろくでもないことを言っているのに、こいつがやればかわいらしく見えるからずるい。
「遅刻するのが悪い」
「これでも全力で駆け付けたんですよ。
勇者様ばっかりずるいです」
確かに遅刻とはいえ、情報の伝達速度を考えればあり得ないほどの速さだ。
相当無理な行軍をしたに違いない。
しかし、いったいどういうルートでオークどもの襲撃を知ったんだろうか?
「惜しかったな。
お前も領地に戻らずにここで待ってれば、いい女にしてもらえたのに」
そういってニヤリと笑って見せようとしたが、火傷がひきつれた痛みでしかめっ面になってしまった。
「私は勇者様みたいに暇でも自由でもないんです!」
「この世界で一番の自由人が何を言うか」
おっと、思わず本音が漏れてしまった。
「……勇者様、大分雰囲気が変わりましたよね」
「傷のせいだろう。
おかげで人相が悪くなった」
多分、以前より三割増しで強そうに見えるはずだ。
「う~ん、そういうんじゃなくて、もっと気分的なところです
何か心境の変化でもありましたか?」
相変わらず鋭いな。
「そんなに違って見えるか?」
「はい。
以前はいかにも無気力な感じで、いつもつまらなそうな顔をしてましたね。
初めてお会いしたときはこんなのが勇者なのかとがっかりしたものです」
意外と辛辣な評価だ。
「お前、よくそんなのを担ぐ気になったな」
「あんまりしがらみがなくて、そこそこの権威があるとなると他に選択肢がなかったんですよ。
それに、担ぐ分には扱いやすそうでしたし、少しだけ私に似た匂いもしましたし。
いざとなれば他に乗り換えればいいかな、と」
散々な言われようだ。使い捨て前提か。
「……今はどう見える?」
「ほとんど別人に見えます。
今の勇者様になら、嫁いであげてもいいですよ」
なぜか臣下に上から目線で結婚を打診されてしまった。
「遠慮しとくよ。ろくでもないことに利用されそうだ」
「もう少し私のことを信じてくれてもいいと思いますけど」
メグがまたむくれた。
「一体、お前のどこに信用できる要素があるんだ」
おっと、また本音が漏れてしまった。
こいつといると調子が狂うな。
「だって、こうして誰よりも早く駆け付けたんですよ!
これを忠勤と呼ばずしてどうしますか!」
メグにとっては楽しいパーティーに駆け付けたようなものだろうが、表向きは確かに忠義を果たしているのだからたちが悪い。
俺はため息をついた。
そんな俺に、メグが囁く。
「まあ、私にはそれでもいいですけど。
でも、皆にはお褒めの言葉の一つもくれてやってくださいよ」
もっともだった。
メグの思惑はさておいて、メグの背後にいる騎士達はこの〈竜の咢〉を救援すべく強行軍で駆け付けてくれたのだ。
俺は精一杯の威厳をだすべく、背筋をピンと伸ばして居住まいを正す。
メグが俺の足元で片膝をつき、頭を下げた。
背後に控えていたゴルダンもそれに倣う。
「モールスハルツの騎士らよ!誠に大儀であった!
我が危機に、真っ先に駆け付けたことは決して忘れぬ。
メグリエール殿こそ、我が第一の忠臣であり、友である!
一度は敵を退けたとはいえ、いまだ油断は許されぬ状況である。
そのようなときに、諸君らのような精鋭中の精鋭の助力が得られたことは誠に心強い!
だが、諸君も急ぎの旅でさぞ疲れていることだろう。
今日のところはゆっくりと体を休め、英気を養ってほしい」
「ありがたきお言葉にございます。元帥閣下」
メグが顔を上げて答えると、背後でゴルダンがすくと立ち上がり騎士たちに解散を命じた。
俺の後ろで控えていた要塞の主計官が、ゴルダンのところに駆け寄って何事か相談を始めた。
多分、騎士達の寝床や食料について話し合っているんだろう。
「では勇者様、私はエベルト閣下に挨拶に行ってまいります」
メグは俺に一礼してから、護衛の騎士を引き連れて主閣に向かって歩き出した。
「あ~、メグ。さっきのことなんだが……」
俺が呼びかけると、メグが意外そうな顔で振り返った。
「結婚してくれるんですか?」
「違う。心境の変化についてだ」
メグが少しだけ首を傾げた。
「どうやら、この世界には長く留まれそうだ。
その目途が立ったんだ」
「長くってどれぐらいですか?」
「断言はできないが、まあ、たぶんずっとだ」
「なるほど」
メグがニッと笑った。
「だったら、ますます私が必要になるんじゃないんですか?
結婚、まじめに考えてみてくださいよ」
確かに。
この世界に居座り続けるとなれば、諸々の関わり方も今までとは違ってくるだろう。
「……考えておくよ」
それを聞いたメグは満足そうに歩き去っていった。
*
辺境伯の見舞いに訪れたオークの老将は、大きな寝台の傍らで病人の寝顔を長いこと黙って見つめていた。
辺境伯の安らかな寝息以外、何一つ物音のしない部屋。
容体こそ落ち着いたものの、辺境伯は一日の大部分をこうして眠ったまま過ごしていた。
たまに目を覚ましても言葉にもならぬうわ言をつぶやくばかり。
もう先が長くないことは誰の目にも明らかだった。
この老将は、辺境伯第一の忠臣としてその名が知られていた。
長らく辺境伯の側近を務めてきた彼は、〈北の民〉の古い武門の出だった。
そのような出自にあって、辺境伯軍常備連隊長という職は前例のない大抜擢だった。
ここ北方辺境伯領は、帝国を構成する五つの領邦のうちでは、帝国の一員としての歴史が最も浅い。
時にして僅か三百年程度。
この地に古くから住まう〈北の民〉は、独自の神と文化を持っている。
〈北の王〉が帝国に屈服した後も度々反乱を起こし、帝国の支配に抵抗してきた。
帝国に対する反骨の気風が――現在は南部からの移民の流入によって幾分か薄れたものの――〈北の民〉の間には未だに根強く残っていた。
おかげで〈北の民〉は『兵トシテ忍耐強ク精強ナリ』と高く評価されながらも、同時に『常ニ帝国ニ対シ叛逆ノ気アリ』とも評され、軍の要職に任じられることはなかった。
従って、辺境伯軍の上級将校の地位は帝国本国にルーツを持つ軍人貴族の家系によって占められてきた。
これは軍に限った話ではなかった。
辺境伯領の統治機構のどの分野においても、〈北の民〉が一定以上の要職に就くことはなかった。
それでも彼の一族は古くから武に生きる一族として、時に帝国の、時に人間の、様々な脅威から北の大地と民とを守るために戦い続けてきた。
戦いこそが彼の一族の使命だった。「我らこそが北の守り手である」という強い自負を持ち、誇ってきた。
それだけに、彼自身も帝国本国やこの地の支配層である帝国系貴族達に対する反感を人一倍抱えていた。
そんな背景を持つこの老将をして「我こそ辺境伯の忠犬」とまで言わしめるほどの忠誠を勝ち得たのは、偏に現辺境伯の人柄と統治方針によってだった。
歴代の辺境伯達の多くは、辺境伯領の運営を代官たちに丸投げし、自らは帝都に邸宅を構えて中央での政争に明け暮れていた。
当代の辺境伯はまずこれを改め、その活動の中心を帝都から自らの領地へ移した。
最北部の小さな街を伯都と定め、そこに辺境伯府を開いた。
自領の立て直しと経営に乗り出した若き辺境伯は、主の不在をいいことに私腹を肥やしていた代官どもを罷免し、代わって若い下級官吏たちを次々と取り立てた。
登用にあたって、血筋や縁故は一切考慮しなかった。
ただ能力のみがその選考基準とされた。
成果は公平に評価され、これまで上級官吏からは頑なに排除されていた〈北の民〉にも、栄達の道が開かれた。
常備連隊長は、そうして出世の糸口を掴んだ、かつての若者の一人だった。
それだけではなかった。
辺境伯は〈北の民〉の名族から一人の女を側室として娶ると、それを厚遇して融和の象徴とした。
これまで政争の名の元に帝都で浪費されていた予算を、領地への投資に振り向け始めた。
折しも帝国本国で勃発した大規模な内乱にも背を向け、のらりくらりと中立を保ちながら領地の経営に没頭した。
そうして南から押し寄せた難民たちを引き受け、開拓地へ送り込んだ。
辺境伯は、開拓民たちの保護を怠らなかった。
少なからぬ予算を辺境伯軍に投じ、旧式化しきっていた装備を更新し、開拓民兵の制度を整えた。
近代化された辺境伯軍は北部へ進軍し、人間どもから開拓地を守るために戦った。
若手将校らによって対人間用の戦術が練り上げられ、少なからぬ成果を上げた。
全ての民を守ることは出来なかったが、それでも開拓の最前線は少しずつ北へと押し上げられていった。
若き日の常備連隊長にとって、それは幸せな、充実した日々だった。
そんな幸せな日々も、間もなく終わりを迎える。
辺境伯は間もなく死ぬ。
彼が最も敬愛する男の治世が、静かにその幕を下ろそうとしていた。
しばらくして、老将は静かに立ち上がると辺境伯に向かって深く一礼し、部屋を後にした。
常備連隊長は、巡察も兼ねて護衛の兵とともに徒歩で兵営へ向った。
伯都の治安維持は、彼の任務の一つでもあった。
間もなく冬も終わろうというのに、街の中はいまだに難民たちでごった返していた。
難民たちの殆どは、焼けた村に帰ろうとはしなかった。
まだ、あの竜の恐怖を忘れられずにいるのだ。
凱旋式において三頭の竜の首が晒されはしたものの、竜の数がそれきりでないことは周知の事実だった。
何より、最も多くの村を焼いたとされるあの白竜がまだ討ち取られていないのだ。
常備連隊長は凱旋式のことを思い出して、また胸の内に苦いものが込み上げてきた。
何度思い返しても屈辱的な出来事だった。
なんと凱旋パレードの序列において、彼には"総司令官閣下"に次いで名誉ある位置が与えられていたのだ。
彼は、本来その位置にあるべき者が誰かを知っていた。
だがその者に然るべき位置は与えられず、それどころか凱旋式そのものへの参加すら許されなかったという。
確かにあの傭兵隊長とは次席司令官――形ばかりの「総司令官閣下」に代わる、事実上の総司令官――の座を巡って確執があった。
常であれば、常備連隊長である彼がその地位につくはずであった。
常備連隊は辺境伯軍唯一の常設部隊であり、軍の中核を担う存在だからだ。
だが、辺境伯はその慣例を曲げ、〈黒犬〉にその地位を与えた。
これは常備連隊長にとって我慢のならないことだった。
他ならぬ辺境伯の判断である。己にその能力がないと言われれば、それは仕方のないことだった。
だが、辺境伯領軍の全てを一介の傭兵隊長、それも南方出身の余所者に任せるとなれば話は違う。
だから彼は猛然と辺境伯に抗議した。
『閣下、ご再考を!北の地は、そこに住まう者の手で守らねばなりませぬ!全軍の指揮を他所者に委ねるなど、あってはならぬことです!』
それに対して、辺境伯は穏やかに答えたものだった。
『友よ、君の能力を疑っているのではない。
だが、私も君も、もう年寄りだ。私は若い者が活躍するのを見みたいのだよ。
そして、私の前では出自は関係ない。そのことは君もよく知っているはずだ』
敬愛する辺境伯に、友よ、と呼びかけられては、否応もなかった。
そんな経緯があったとはいえ、彼には〈黒犬〉がこれまで立ててきた功績を否定するつもりはなかったし、ましてやそれを横取りしようとは思いもよらぬことだった。
だが、辺境伯のドラ息子は常備連隊長の抗議に耳を貸すことはなく、おまつさえ断固としてパレードに参加するよう総司令官の名をもって命令までしたのだ。
かくして、常備連隊長はドラ息子の横に立ち、本来なら〈黒犬〉が受けるはずだった称賛を受け取った。
誇り高い彼にとってそれは、豚の餌を食わされるに等しいひと時だった。
腹立たしい思い出にふける間に、営門が彼の目に入ってきた。
兵営まであと少し。
常備連隊長はますます憂鬱になった。
連隊司令部の彼の執務室には、山のように書類が積まれているはずだ。
その大部分は先の遠征に関連するものであり、本来であれば総司令官閣下が始末するべきものだった。
だが、辺境伯のドラ息子はそれらの書類を放置した挙句、今頃になって常備連隊長に投げてよこしてきたのだ。
"軍事は専門外だ。これは本職のお前がするべきだ"とはあのドラ息子の言だ。
まったく忌々しい話だった。
ならばせめて、〈黒犬〉の奴に振るべきだろう。先の遠征で全軍の指揮を執ったのはあいつなのだ。
その〈黒犬〉はといえば、しばらく前から伯都から姿を消してしまっていた。
駐屯地はもちろんのこと、辺境伯への見舞いにすら顔を出していないらしい。
また狼鷲兵を率いて開拓地の防衛に駆けまわっているのだろうか?
それも妙な話だった。
この季節、人間どもが略奪に現れることは滅多にない。
不審に思っていたところ、なにやらドラ息子に"極秘任務"とやらを押し付けられたらしいという噂が耳に入ってきた。
きな臭い気配を感じ部下に詳細を調査するよう命じていたが、はて、あれはどうなっていただろうか?
そろそろ調査結果が出てもいい頃だった。
そんなことを考えながら、営門をくぐる。
執務室にはやはり書類の山。
小さく鼻を鳴らして仕事にとりかかったその時、一人の若い将校が入室してきた。
帰還直後に、〈黒犬〉の推薦で、開拓民兵の見習士官から常備連隊の将校に取り立てた若者だった。
細かな気配りができるかと思えば、人並以上の度胸もある。
さすがにあの男が推すだけのことはあった。
少年といってもいい風貌のその将校が、緊張した面持ちで常備連隊長に一通の封筒を差し出した。
彼はそれを受け取り、中を検める。
はたしてそれは、〈黒犬〉に与えられた極秘任務についての報告だった。
早速内容を確認する。
常備連隊長の手の中で、報告書がくしゃりと音を立てた。
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