第四十四話 選択
奇襲部隊による戦闘が始まったにも関わらず谷底の松明の群れに何の動きも起こらないのを見て、俺は確信した。
あの奇襲部隊は囮だ。
もし本当にあの奇襲部隊の目的が門の奪取であるなら、谷底にいるはずの軍勢が動かないわけがない。
なにしろ計画通り門を開けることができたとしても、あの奇襲部隊がどれだけの間そこを確保していられるかはわからないのだ。
ならば門が開くと同時に突入できるよう、できるだけ門に外の部隊を近づけようとするはずだ。
なのに、奴らは動かない。つまり、本命は別にある。
外の奴らは囮ですらない。
囮を本命と誤認させるための飾りなのだ。
いま、奇襲部隊は守備隊を東側に引き付けている。
ならば奴らの本命は西側にあるに違いなかった。
俺は足りない頭を必死で回転させる。
奴らは西側から何をするつもりだ?
西側にある重要施設といえば、大魔法陣の間だ。
あれの入口は、〈顎門〉の西端に近い位置にある。
そしていま、大魔法陣の間には神殿に所属する魔力持ちの神官のほとんど全てが集結しているのだ。
もし突入できれば、奴らはその無力な神官たちを一方的に殺戮することができるだろう。
〈加護の魔法〉は、人間の軍勢がオーク軍に勝る最大の力だ。
彼らを失えば、もはや人類側の抵抗は絶望的になる。
もちろん、他の可能性だってある。
西側の敵は、単に東側の敵と戦闘中の守備隊を背後から襲うつもりなのかもしれない。
あるいは、主塔に突入して水門を破壊するのが目的かもしれない。
そもそも、今あの塔に神官が集まっているなんて、オークどもには知りようのないことなのだ。
ましてや、塔の隠された入口の存在なんて絶対に分かるはずがない。
だが、俺の勘が告げていた。
それでも本命は大魔法陣の間だ。
俺の勘はそれほどあてにならないが、万が一本当に敵があそこを襲えば、それはまさに世界の危機だ。
絶対に阻止しなければならない。
間違っていたとしても、まぁその時はその時だ。
その時はあらためて救援に向かえばいい。
俺は西塔へ向かって駆けだした。
大急ぎで西塔の階段を駆け上り、見張りの兵士に敵がここを素通りしたら俺に知らせるよう命令する。
それから俺は隠し通路を開け、大魔法陣の間への階段を駆け下りた。
西側の城壁上で敵を待たなかった理由は二つ。
一つ、敵の数が多い場合、城壁の上では迎撃しきれずに頭上を飛び越される危険がある。
二つ、大魔法陣の間で迎撃すれば、入り口の狭い階段で敵を渋滞させることができる。
そうなればしめたもので、こちらは通路の出口で敵を各個撃破できる。
この場合、敵のクチバシ犬による機動を封じられるのも大きい。
もしエベルトがこちらに増援を寄こしてくれた場合、敵を塔の内部で挟み撃ちにすることさえ可能になる。
大魔法陣の間へ駆け込んだ俺はすぐにウォリオンを呼び出し、神官たちを周囲の部屋に避難させた。
俺が負ければ結局逃げ場はないが、今更塔の外に逃がすこともできない。
もっとも、その心配はほとんどないだろう。
あの狭い階段にクチバシ犬が侵入できるとは思えない。
それなら負ける気がしなかった。
程なくして、オーク兵が魔法陣の間に姿を現した。
すぐには攻撃しない。
敵がどれだけいるかはわからないが、十匹までは入ってくるのを待つつもりだった。
一、二、三……六。
たった、これだけか。
俺は少しだけ落胆したが、その中に見覚えのある顔を見つけて、一気に気分が盛り上がる。
片目のオーク。
最初の退却行の最中に、俺の背後からの投槍をかわして見せた奴だ。
〈黒犬〉と呼ばれていたっけ?
聞けば、人類の間でもその名が知られたオーク軍の名将だったそうじゃないか。
ここでまた出会えるとは思わなかった。
なるほど、ならば連れているのも並のオークじゃあるまい。
おそらく、選び抜かれた精鋭中の精鋭たちだ。
相手にとって不足はない。
しかし、オーク達はどういうわけか動かない。
まさか、この部屋の光景に見とれてしまっているのか?
まぁ、無理もない。無人の大魔法陣の間は、見慣れた俺ですらその神秘に打たれたほどの美しさだ。
まずは目を覚まさせてやらねばなるまい。
俺は槍を出現させると、〈黒犬〉めがけて投げつけた。
一番最初に反応したのは、〈黒犬〉の隣にいた比較的大柄なオークだった。
そいつはとっさにまだ動けずにいた〈黒犬〉をかばいながら突き飛ばした。
俺の投げた光の槍が、そのオークの肺をまっすぐに貫く。
これでようやくオークどもは目を覚ましたらしい。
全員が腰に差していた短銃を引き抜き、素早く発砲してきた。
俺は〈光の盾〉を出現させ、難なく銃弾を弾く。
間髪入れずに〈黒犬〉がこちらに突進してくる。
おっと、こいつはまだ殺すわけにはいかない。
どうやってここを知ったのか聞きだす必要がある。
俺は〈黒犬〉の攻撃をかわしながら。その脇腹を思いっきり蹴り飛ばした。
〈黒犬〉は入り口わきの壁までぶっ飛び、そのままずるずると崩れ落ちた。
これでよし。すぐには立ち直れまい。
だが、一息つく間もなく二匹のオークが俺の両脇から斬りかかってきた。
できればこいつらも生け捕りたい。
俺は両手に槍を出し、左右のオークが持っていたサーベルの刃を同時に斬り落とす。
だが、武器を壊されたはずのそいつらは、怯むどころか、姿勢をグッと沈み込ませるとそのまま俺につかみかかってきた。
おっと危ない。
小柄なオークとは言え、足にしがみつかれれば厄介だ。
俺はひょいと上に跳んで彼らをかわす。
すると、残る二匹のオークが空中にいて身動きが取れない俺に前後から同時につきかかってきた、
くそ! いつの間に後ろに回ってやがった!
ご丁寧にもこちらがかわしにくくなる様に、微妙な時間差までつけている。
すかさず俺は前にいるオークに手を伸ばし、その手をサーベルの柄ごと握ってグイと引っ張った。
手を掴まれたオークの顔に驚愕の色が浮かぶ。
勢いよく手を引いた反動を利用し体をぐるりと回転させる。
その回転で後ろからの刃をギリギリ回避し、着地。
視界の端に〈黒犬〉が上半身を起こそうもがいているのが映る。
あいつもう立ち上がろうとしてやがる。
急がなきゃならんな。
俺は他の連中の生け捕りを諦めた。
まずは、再び俺につかみかかろうと突進してきた素手のオークに〈光の槍〉をたたき込む。
もう一匹を後ろに跳んでかわすと、すぐ傍にいたサーベル持ちのオークを一突き。
振り向きざまに、斬りかかってきたもう一匹のサーベル持ちの足を払う。
その時、残った方の素手オークがついに俺の脚を掴んだ。
サーベルオークが起き上がって俺に突きかかるが、間に合わなかった。
そいつの刃が届く前に、俺は脚を掴んでいたオークの背に一突き食わせ、死体を振り払って横に跳んだ。
着地と同時に、俺を見失って周囲を見回すサーベルオークの脇腹に〈光の槍〉の一撃を見舞う。
手ごわい連中だった。
人間でも、俺を相手にこれだけ戦える奴はそうそういないだろう。
どさりと崩れ落ちるそいつを尻目に、俺は〈黒犬〉に視線を向ける。
驚いたことに、〈黒犬〉はもう立ち上がっていた。
まだ足をガクガクさせてはいるが、確かに立っていたのだ。
大した奴だ。
さらに驚いたことに、そいつはまだ戦意を失っていなかった。
こちらをピタリと見据え、真っ直ぐにサーベルを構えて見せたのだ。
破れかぶれでもなければ、死を恐れぬ狂信者でもない。
諦めることなく、ただ冷静に、微かな勝機も逃すまいと構える武人の姿がそこにあった。
コイツ、まだ何か隠してやがるな。
この期に及んで、まだ俺を楽しませてくれるつもりらしい。
いいだろう、乗ってやろうじゃないか。
俺は槍を消し、腰に下げていた剣を抜いた。
それを正眼に構え、慎重に間合いを詰めていく。
まさか、剣技で俺に勝てるなんて思っちゃいないだろう。
何か隠し玉を用意しているはずだ。
ほんのわずかな動きも見逃さないよう、全力で〈黒犬〉を注視する。
俺の間合いに入る直前、不意に奴の足が止まった。
それきりピタリとも動かない。
……こちらから仕掛けてこいということか。
俺は意を決して〈黒犬〉めがけて斬り込んだ。
全力で振りぬいた俺の剣は、あっさりと〈黒犬〉のサーベルをその手から弾き飛ばした。
さらに衝撃でのけぞったその上半身に蹴りを入れて仰向きに転倒させる。
俺は倒れ込んだ〈黒犬〉を踏みつけて、動きを封じた。
今度こそ勝負ありだ。
何を狙っていたかは知らないが、その企みは粉砕したはずだ。
だが、俺に中ではいまだに警鐘がなり続けている。
まだ何かあるのか?
目を見ればわかるだろう。
コイツの目がまだ諦めていなければ――
〈黒犬〉の目を覗こうと屈みこんだその瞬間、奴の右手がピクリと動いた。
とっさに横っ飛びに跳んだ。
パンっという閃光とともに、何かが俺の頬をかすめ、耳朶を打ち抜いた。
くそ! 油断した!
俺は転がりながら着地し、二発目に備えて〈光の盾〉を展開する。
〈黒犬〉もすでに起き上がり、最初の投槍で倒れたオークの腰から短銃を抜き取っているところだった。
こちらの盾が既に展開されているとみるや、〈黒犬〉は全力で突進してきた。
奴が逆手に持ったナイフを振り上げたところに白刃一閃。
だが、ナイフを弾き飛ばそうという俺の意図は見抜かれていた。
姿勢を低くしてそれをかわした〈黒犬〉は、俺の懐に潜り込み左手の短銃を俺の顔面に向けた。
真っ黒な銃口が、俺の瞳孔をのぞき込んできた。
俺は全力で体を捻りながら、盾を顔面に引き寄せる。間に合えっ――!
〈黒犬〉が引き金を引いたが、一瞬だけ俺の方が速かった。
弾丸が光の縁に弾かれて甲高い音を立てる。
が、銃弾は弾いたものの、銃口から吐き出されたのは弾だけではなかった。
弾丸とともに飛び出た燃焼ガスが盾をすり抜けて俺の顔面に吹き付けられた。
一瞬で視界が奪われる。
俺は後ろに飛びのいて〈黒犬〉から距離をとった。
キーンという耳鳴りで聴覚も当てにならない。
ぞっとするような殺気を感じ、とっさに左腕を振り回した。
ザクッ!
左腕に焼けた火箸を押し当てられたような痛みが走る。
そこか!
俺は〈黒犬〉がいるであろう所めがけて蹴りを放つ。
少し浅いが、獲物を捕らえた確かな感触が足に伝わる。
これでいったん距離をとることができたはずだ。
油断なく気配を探りながら、ゆっくりと目を開く。
よかった。
まだ見える。
涙でぼんやりと滲んでいた視界が回復していく。
奴はどこだ?
顔面がヒリヒリする。
〈黒犬〉は少し離れた場所でナイフを構えながら、よろよろと立ち上がろうとしていた。
だが、奴は俺が立ち上がるのを見て、その場で膝をつき両手を上げた。
短銃とナイフが、カシャンと音を立ててその足元に転がった。
……今度こそ万策尽きたというわけか。
いや、あの目はまだ諦めていないな。
投降したと見せかけて、脱出の機会を待つつもりだろう。
捕虜になれるかもわからないのに、諦めることなく万に一つの可能性に賭けているのだ。
タフな野郎だ。
階段の方から、ガチャガチャという足音が聞こえてきた。
姿を現したのは守備兵たちだった。
守備兵達は〈黒犬〉を見つけるや否や取り囲んだ。
俺は彼らをかき分けて〈黒犬〉のもとに向かった。
守備兵の一人が、槍の石突で〈黒犬〉を思い切り突いた。
「やめろ!」
俺はその兵士を下がらせる。
こいつを生け捕りにするために俺がどれだけ苦労したと思ってるんだ。
〈黒犬〉が倒れた拍子に、その物入から何か丸い物が転がり出てきた。
それは、青白く光る魔法陣の複雑な溝にそって転がり、俺の足元で止まった。
それを拾い上げたとたん、誰かが俺を祝福した。
もちろん、声が聞こえてきたわけじゃない。
ただ、そんなような雰囲気が漂ってくるだけだ。
雰囲気の主は分かっている。
毎回俺を異世界に放り込んでくれる正体不明の何者かだ。
だがどうしてだ?
奴らが俺を祝福してくれる瞬間はただ一つ。
『世界の危機』を打破したその時だけだ。
まさか、この青い珠が『世界の危機』だっていうのか?
俺は小さくため息をついた。
これを壊せば世界は救われるらしい。
〈黒犬〉が何をするつもりだったかは知らないが、僅かな手勢とともに、こんなところまで侵入してくる輩はそうそう現れやしないだろう。
たぶん、この珠は〈黒犬〉とセットになって初めて世界の危機たりうるのだ。
一時はどうなることかと思ったが、終わってみれば案外ショボい案件だったな。
多分、この世界に来てからまだ半年もたっていないはずだ。
これまでの記録をぶち破る、圧倒的最短記録だ。
俺はもう一度、青い珠をじっと見つめた。
……もうあの世界に戻るのか。
いいじゃないか。
失踪期間は短い方がいいに決まってる。
俺は右手にナイフ大の〈光の槍〉を出現させた。
さっさとこいつを壊して終わらせよう。
だけど、もしこれを壊さなければどうなるんだ?
そんな思いが頭をよぎる。
この青い珠が世界の危機だというのなら、こいつを壊さなければここに留まれるんじゃなかろうか?
近いことをしたことはある。
仲間たちに別れの挨拶を済ますため、魔王に止めを刺すのを後回しにしたり、とか。
もちろん、余裕がある時に限っての話だ。
だが、ずっと留まることなんてことはできるのだろうか?
そもそも、世界の危機を放置すればこの世界は――
……いやいや、これは悪魔の誘惑だ。
俺の良心は、さっさとこいつを壊せとせかしてくる。
お前はこんな世界と心中するつもりか?
大体、あくまで「勇者として戦う」と誓ったじゃないか。
つまらないことを考えるな。あの娘が悲しむぞ。
さあ、早く世界を救って帰還しよう。
同時に、疑念もわく。
本当にこれで人類は救われるんだろうか。
たしかに、これでしばらくは安全になるかもしれない。
だが、オークどもはこんなものがなくても、その気になればいつでもこの壁をぶち破って人類を滅ぼせるはずだ。
奴らがそれをしないのは、要するに面倒だからにすぎない。
こいつを壊したところで、危機の先延ばしにしかならないんじゃなかろうか。
本当に大丈夫なのか?
奴らに問いかけてみても、何も答えは返ってこない。
……まぁ、いつものことだ。
俺の心の別な一面が囁く。
だが、もしこの世界により良い未来を用意できるとすればどうだろう?
お前が立てていた計画通りにオークと講和を結ぶことができれば、今よりずっと平和な世界になるぞ。
なにより、この世界に残ればお前はずっと戦っていられるじゃないか。
おい。
もっともらしいことを言っているが、最後に本音が漏れてるぞ。
しかも、矛盾してやがる。
ふいに、以前メグに言われた言葉が脳裏をよぎる。
"勇者様だって自由に生きればいいじゃないですか"
〈黒犬〉の方を見やると、奴は両手を上げたまま、不屈の闘志を秘めた眼で俺を睨み付けていた。
……諦めたら、そこで終わりだ。
諦めなかった奴だけが、自由を手に入れられる。
なるほど、その通りだ。
まずは試してみようじゃないか。
諦めるのはその後だ。
俺は青い珠をポケットに押し込み、守備兵たちに命じた。
「そいつを拘束しろ。いいか、絶対に殺すな」
俺の頭上で、何者かがざわざわと騒ぐのを感じた。
奴らがこんな反応をするのは初めてだ。
大変にいい気分だった。
次回は3/13を予定しています




