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第四十一話 古代の秘宝

 オーク語辞典を手に入れてから二か月近くがたった。


 魔法障壁再起動の儀式は順調に進んでいる。

 俺ももうじきこの退屈な任務から解放されるはずだ。


 俺たちのレッスンは急速に進展していた。

 同時に、オーク達の社会についてもぼんやりと分かってきた。


 まずは、身近な話題から。


 俺はオークの太郎に、自分の名前を書かせてみた。

 辞書で調べてみると、それは「白い花」を意味する言葉によく似ていた。

 女の子らしい可憐な名前だ。


 少しつづりは違うが、恐らく人名として使われるときに何かしらの変化があるんじゃなかろうか。

 そういう細かい文法の類は、賢者様が到着したら聞いてみよう。


 ともかく、それを知った俺は太郎の名を改めることにした。

 俺は『ジャガイモ』などと言ういい加減な名をつける輩とは違うのだ。


 だが、オークの言葉をそのまま発音するのは不可能だ。

 だから、似た意味の名前を付けることにした。


「いいか、お前はの名は『花子』だ。

 これ以降、お前のことは花子と呼ぶ」


 花子に向かってそう宣言したが、彼女はきょとんとしていた。

 何度か彼女を指さし、「花子、花子」と連呼すると、どうやらわかってくれたらしかった。

 それ以降、花子と呼んでも反応してくれるようになった。


 戯れに、何か欲しいものはあるかと辞書を引き引き尋ねたら、彼女はオドオドと小さく文字を描いた。


 そこには『服』と書かれていた。

 なるほど、季節はもう冬。衣類なしではきつかろう。

 なにより、花子は花も恥じらう乙女なのだ。


 もっと早くに気づいてやるべきだった。

 俺は早速、家政婦の老婆にオークサイズの服を用意するよう指示をし、聞き取りを続けた。


 彼女が書くオーク語の文章をどうにか読み解いたところによれば、彼女は、さる貴人の侍女の一人であったらしい。

 ところが数年前、領地を見回っていた彼女の主人は不幸にも我らが人類の襲撃を受け、一同揃って捕虜となってしまったのだという。


 ちなみに、彼女らを襲撃したのは白装束の軍勢だったそうだ。

 間違いなく、リアナ姫率いる神殿騎士団の仕業だな。

 彼女たちは収穫期以外にも時折”討伐”に出かけていたと聞いている。


 主人とは奴隷市場――人類側の呼称では家畜市場――で離ればなれとなり、その行方は杳として知れない。


 それ以降はご存知の通り。

 売られた先である粉挽小屋で俺やジョージと出会い、今に至る。



 さて、オーク達の情勢については、想像していた以上に人類にとって厳しいことが分かってきた。

 どうやら、俺たちが戦っているその相手は、オークの大国に所属する一地方領主にすぎないというのだ。

 オーク達の本国だけでも、現在俺たちが相対しているその地方領主軍の三倍近い兵力を持っており、似たような地方勢力全てを含めれば優に十倍近い数になるという。

 また、オークの国家は「本国」以外にも数多く存在する。


 なんということでしょう。

 これでは人類を救うためにオークを滅ぼすなんて到底無理な話だ。


 今のところ、俺たち人類は『秋になると山から下りてくるやっかいな獣』的な扱いを受けている。

 ただ、山脈を越えての討伐が難しいから放置されているだけだ。


 今までは、どうにかして一戦だけでも野戦で勝利をもぎ取り、その勝利を元手に和平を結ばせてもらおうと漠然と考えていた。

 だが、どうやらそれも難しいらしい。

 下手に目前の地方領主軍に勝利すると、オーク達に本気を出させることになりかねない。


 大事なのは、これ以上オーク達を刺激しないことだ。

 どうにかして人間たちを抑えなくては。


 だが、来年の秋になって"討伐"に出かけようとする彼らをどうやって抑えればいいんだろうか?

 空襲を用いて谷の封鎖を解除させたのは失敗だったかもしれない。


 谷が封鎖されたままなら、こちらからの出撃は不可能になる。

 こちらから略奪なんぞに出なければ、『山奥の無害な珍獣たち』としてそっとしておいてもらえたかもしれないのだ。


 だが同時に、奴らは巨大な大砲で〈竜の顎門〉を破壊しようともしていた。

 奴らを退却させなければ、近いうちにまた壁の破壊を試みていただろう。


 一体どうすればいいんだ!

 俺はこの世界を救う自信を完全になくしつつあった。


 *


 〈黒犬〉は、配下の狼鷲兵たちが苦労して絶壁を横切っていくのを見守っていた。

 徒歩であれば到底不可能なこの難行程も、山岳生まれの狼鷲たちなら踏破することができる。


 無論、まったくの無傷で、というわけにはいかなかった。

 なにしろ、雪山の危険度は、夏のそれとは格段に違う。

 今こうしている間にも、足を滑らせた一匹の狼鷲が目の前で部下もろとも落下していった。


 〈黒犬〉の胸はざわめいた。

 彼は、自分の部下の名はもちろん、その生い立ちや家族構成に至るまですべて把握している。

 戦死であれば、その損害を割り切ることもできた。

 だが、己の無理に付き合わせたうえでの事故死となれば話は違う。


 〈黒犬〉は懐から青い宝珠を取り出し、じっと見つめた。

 そして、それを手の中で弄びながら、あの凱旋式の日のことを思い出さずにはいられなかった。




 あの日、〈黒犬〉が寝室に入ると、辺境伯は巨大な寝台に伏せり、大勢の重臣たちに囲まれながらうわ言を繰り返していた。


『娘を……娘を……』


 その目に生気はない。

 どうやら、死期が近いという噂は事実であったらしい。


 側近の一人が、耳元で〈黒犬〉の到着を辺境伯に告げた。


 辺境伯の眼に光が戻った。

 だが、そこには多分に狂気が含まれていた。

 死の間際の執念の光だ。


『……ぉ、ぉお……よく来た……もっとこちらへ寄れ……』


 寝台を囲む重臣たちが、〈黒犬〉のために道を開ける。

 辺境伯は〈黒犬〉を認めると息も絶え絶えに言った。


『そなたに……頼みがある……娘……どうか娘を取り戻してくれ……』


 やはり、この老オークは死を前にして正気を失っていた。


 彼のいう娘とは、三年ほど前に行方不明になった第二令嬢のことだ。

 かつて、〈黒犬〉との婚約話が持ち上がったのもこの娘だ。


 領民思いの活発な女性だったが、それが仇となった。

 人間の領域に近い領地を見舞っていた際に季節外れの人間の略奪部隊と遭遇し、攫われてしまったのだ。

 人間に攫われたオークの行く末については様々な噂があったが、それを確かめる術はなかった。

 山脈の向こうに行ったオークが戻ってきたことは一度としてない。

 だから、この娘は既に死んだものとして扱われていた。


 この明るく素直な第二令嬢を溺愛していた辺境伯は大いに嘆き、以来体調を崩しがちになっていたのだった。


 〈黒犬〉はそんな老オークのすぐ傍によると、重々しく鼻を鳴らした。


『お任せください。必ずや、この私がお嬢様を連れ戻して見せます』


 それを聞いた辺境伯は、満足げに微笑むとゆっくりその眼を閉じた。

 周囲の重臣たちがざわついたが、すぐに穏やかな寝息が彼らを落ち着かせた。


 傍に控えていた医師が全員に退室を促した。




 重臣たちに続いて部屋を出たところで、〈黒犬〉は意外な人物に呼び止められた。

 例のドラ息子だった。


 彼は、幾人かの重臣を従えて〈黒犬〉を辺境伯の執務室へ連れ込んだ。

 ドラ息子は辺境伯の執務机にどっかりと座り込むと言った。


『貴様、誓ったな?』


 その顔にはニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮べていた。 


『死の床にある父上に、姉上を連れ戻すと、皆の前でそう誓ったな?』


 ドラ息子の言葉に、彼が従えていた重臣たちが重々しく頷いた。


『我々は、確かにこの男が誓うのを聞きました』


 〈黒犬〉の顔が歪む。

 あの場面で、他にどう言えというのだ。


『死の床での誓いは重いぞ。

 策はあるのか?』


 〈黒犬〉が黙っていると、ドラ息子は嘲笑とともに何か丸い物を放って寄こした。


『まぁ、そうだろうとも。

 仕方がない、いいものをやる。拾え』


 青い宝玉だった。

 オークの拳ほどの大きさだ。

 これが一体何だというのだ。


『遺跡を調べていた博士共が見つけたのだ。

 なんでも、あの忌々しい〈壁〉を打ち壊す力があるらしい』


 〈黒犬〉は宝玉を手に取って見つめた。

 均一に透き通った青い球体の内部に、見たこともない複雑で精緻な文様が立体的に刻まれている。

 美しくはあるが、それだけだ。

 こんなものに、あの〈壁〉を打ち壊す力があるとは思えない。


『信じられんといった顔だな。

 だが、これを見てみろ』


 ドラ息子が重臣の一人に向かって手を振った。

 その重臣が、〈黒犬〉に向かってずいと何かの報告書を差し出した。


 〈黒犬〉は訝りながら適当なページを開く。

 その中身を見て彼は驚愕した。


 それは、あの〈壁〉の見取り図だった。

 少なくとも、下から見上げた〈壁〉の外見と一致しているように見える。

 外見どころか、その報告書には〈壁〉の内部の様子まで詳細に書き込まれていた。

 単なる想像図にしては、あまりに真に迫っていた。


 ドラ息子は驚愕する〈黒犬〉を面白そうに眺めながら言った。


『博士共が、その宝玉とともに〈壁〉について記された書物を見つけたのよ。

 どうだ、それだけでも十分役に立とう?』


 悔しいが、ドラ息子の言う通りだった。

 もちろん、この見取り図が本当であれば、だが。


『だが、博士どもが見つけたのはその見取り図だけではない。

 その書物には、その宝玉の使い方も記されていた。

 お前、〈壁〉に魔法がかかっているのはその眼で見ているな?』


 人間どもが使う魔法については、本国にももちろん伝わっていた。

 だが、本国ではあまり真面目には信じられていない。

 野蛮な奴らが何か弾除けのまじないをしているらしい、程度の認識だ。

 〈黒犬〉自身、この地に来てその目で見るまではあまり本気にはしていなかった。


『その宝玉をある場所に押し込めば、あの魔法は消え失せ、〈壁〉自体も崩壊させることができる、と。

 まぁ、博士共はそう主張している』


 ……ありえないこととは言い切れなかった。

 要塞が敵の手に渡っても再利用できないよう、破壊する手段を用意するというのはありうる。


 オークの間で〈幽霊都市〉として知られるあの巨大遺跡は、太古の人間どもの都だったという話だ。

 そうした品が残されていたとしてもおかしくはない。


 だが、この宝玉がそうであると、本当に信じていいのだろうか?


『北方辺境伯代行として貴様に命じる。

 貴様は配下の蛮族どもと共に〈壁〉に向かい、この真偽を確かめてこい』


 無茶苦茶な命令だった。

 あるいはこれが辺境伯本人の指示であれば、心躍る冒険と思えたかもしれない。

 だが、ドラ息子では話にならなかった。

 信用しようがない。


 ドラ息子はいやらしい笑みを浮かべながら鼻を鳴らした。


『無論、タダとは言わない。

 なにしろ、〈壁〉の破壊にさえ成功すれば、〈毛無し猿〉(にんげん)どもの住処に侵攻することが可能になるのだ。

 あるいは本当に姉上を取り戻すことすらできるかもしれない。

 この任務を果たした暁には、宝玉の真偽に関わらず先ほどの誓いを果たした、もしくは果たすために最大限の努力をした、と見なし、誓いから解放してやろう。

 もし〈壁〉が本当に崩壊したら、遠征軍の正式な司令官にも任命してやる。

 まぁ、俺の下で働くのが嫌なら、契約を解除したうえで紹介状を書いてやってもいい。

 どこぞの都市の警備隊長ぐらいなら潜り込めるようにしてやろう。

 どうだ? 悪くはなかろう?』


 それでもなお〈黒犬〉が黙り込んでいると、ドラ息子が畳みかけてきた。


『命令を拒否して逃げ出したりしたら、敵前逃亡のかどで帝国中に手配書をばらまいてやる。

 お前にも言い分はあろうが、よく考えてみろ。

 北方辺境伯の金印が押された手配書と、蛮族傭兵風情の言い分と。

 世間はいったいどちらを信用するだろうな?』


 否応はなかった。

 ドラ息子は〈黒犬〉の脇腹を指さしながら続けた。


『こいつは極秘任務だ。誰にも言うなよ。

 まぁ、お前の傷が癒えるまでは待ってやる。

 その報告書もくれてやろう。

 死なずに済むように、精々策を練っておくんだな』


 ドラ息子の高笑いが部屋中に響いた。




 〈黒犬〉が物思いに沈んでいる間も、長年連れ添った彼の相棒は足場を踏み外すことなく、背に負った主人を運び続けていた。

 その時、前方から伝令が戻ってきた。

 斥候から重要な報告があるとのことだった。


 〈黒犬〉は雑念を振り払い、目の前の現実に思考を切り替えた。

 伝令とともに、斥候達の下へ駆ける。


 斥候達は、岩の陰に潜んで谷底を見下ろしていた。

 〈黒犬〉の到着に気づいた斥候の一人が、彼のために場所をあけた。


 空いた隙間に体を潜り込ませ、慎重に崖下をのぞき込む。


 そこには、大きな湖を背にした、巨大な〈壁〉が横たわっていた。

 あの〈壁〉を見下ろしたのは、彼も初めてだった。

 それどころかオーク史上初めてかもしれない。


 〈黒犬〉は例の報告書を取り出し、そこに記された構造図を確認した。

 上から見ても、気味が悪いぐらいに細部まで一致する。


 ……これは案外、与太話ではなかったのかもしれないぞ。

 〈黒犬〉はゾクリとしたものを感じた。


 無意識に脇腹を撫でる。

 傷はもうすっかり癒えており、胸甲に空けられた穴もすでにない。


 傷が癒えるのを待つ間に胸甲も新調したのだ。

 甲冑師は『身を守るためのちょっとした仕掛け』をつけたと自慢げに言っていたが、果たして本当にこんなものが役に立つのだろうか?


 ともかく、ここまで来てしまったのだ。

 もうやるしかない。


 彼は数名の古参兵を呼び寄せると、行動を開始した。


 後は、〈壁〉の内部構造が報告書の通りであることを願うばかりだ。


次回は2/20を予定しています

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