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第四十話 オークと辞典

書籍化に当たって、タイトルを変更しました。

『白の魔王と黒の英雄』をよろしくお願いします。

 オーク語辞典を回収した俺は、神官たちに見つからぬよう食堂の横穴から慎重に這い出した。


 が、石像の陰から出たところで近くの机で食事をしていた神官と目が合ってしまった。

 彼は突然現れた人影にぎょっとしたようだったが、疲れた顔で頭を小さく振ると、そのまま食事に戻った。


 そのまま食堂を出て、大魔法陣の間へと抜ける。

 そこでは千人を超える神官たちがブツブツと呪文を唱えながら魔力を放出し続けていた。


 人の気配がまるでない秘密の部屋から抜け出した後ではとても騒々しく思える。

 だが、同時に生命の気配にも溢れていて、少しほっとした。

 あの異界じみた空間から確かに戻ってこられたのだ。


 聖典を小脇に抱えて何食わぬ顔で大魔法陣の間を横切ろうとしたところで、ウォリオンと出くわした。

 丁度彼の巡回の時間だったらしい。


「おぉ! 勇者様!

 お久しぶりです。もうお戻りになっていたのですね」


「はい、挨拶が遅れて申し訳ありません。

 おかげさまでよい風に恵まれました」


 ウォリオンは俺が抱えていた聖典に目をやった。


「どうです、読み書きの教師は見つかりましたか?」


「はい、とても溌溂としたお方でした。

 この聖典を書写しながら、正しい文字と、正しい文、それから正しい信仰を学ぶようにと言われたのです」


「なるほど。それは良いことです。

 ……しかし、その聖典はとても貴重なものとお見受けします。

 くれぐれも、なくしたりせぬようにしてください」


 彼はこの聖典の中身を察しているらしい。


「もちろんです。

 師匠にも、必ず無傷で返せと言われております」


「ところで、勇者様は紙はお持ちですかな?

 それを書き写すとあれば、それなりにまとまった量が必要になるでしょう」


「いえ、これから手配する予定です」


「それならば、我々が持ち込んだものを少し融通しましょう。

 これ、勇者様に紙を一束わけて差し上げなさい」


 ウォリオンは従っていた少年神官の一人をこちらに寄こしてきた。

 それから相変わらず儀式は順調である旨を俺に報告し、去っていった。


「では勇者様、倉庫に案内します。

 ついてきてください」


 俺は少年神官の後を追った。


 *


 俺は重たい紙の束を抱えて、ジョージ達が滞在している民家へと向かった。

 戸口に迎えに出てきたジョージは、俺を見て目を丸くした。


「おかえりなさいませ、勇者様。

 あの、それは一体……」


「話は後だ。

 場所をあけてくれ」


 この家の床は土がむき出しだ。

 それなりに高価な品である羊皮紙をそのまま置くのは気が引けた。


「は、はい。少しだけ待ってください」


 ジョージは家政婦の老婆を呼び寄せると、彼女と一緒に大急ぎでまだ食器が残っていた机を片付けてくれた。


「それ、よっこいしょ、と」


 紙の束とともに、例の聖典を机の上に降ろす。

 さて、こいつをどうしたものか。


 本当であれば、すぐにでも〈カダーンの丘〉の居館に送って厳重に保管しておくべきなのだろう。

 トーソンは信用できる男だ。


 だけど、俺はどうしてもこいつのことを試してみたかったのだ。

 ついでに、可能であれば書き写して自分用の写本を作りたかった。


 書き写す許可はとってある。

 ただ、絶対に信用のおける者以外の目には触れさせるなと、くれぐれも念を押されていた。


 「写すのは構わんがな、書写屋はもちろん、製本屋にも決して渡すな。

  製本屋は、ワシが到着したらいいところを紹介してやる。

  盲の職人がおってな、そこでならどんないかがわしい本も、秘密を漏らすことなく製本させることができる。

  なに、腕は確かじゃ。

  くれぐれも、他の者に見せてくれるなよ。

  お前たち阿呆は時々信じられないことをするからな」


 家政婦には少し酒場で休憩してくるよう伝える。


 老婆が小遣いを握って遠ざかっていく気配を確認した後、俺はジョージを呼び寄せた。


「ジョージ君、秘密を守れますか?」


 俺の問いに、ジョージは訝しげな顔をする。


「はい、勇者様。もちろんです」


「漏らせば、命を落とすことになります。

 それでも守れますか?」


「はい。神に誓って。

 既に私の命は勇者様のものです」


 真っ直ぐな答えだ。

 俺はジョージにもう一度念を押した。


「その神の教えに反することだとしても?」


 この問いに、彼は明らかに動揺した。

 彼が決意するのには少しだけ時間を要した。

 だが、それでも彼は決意してくれた。


「はい、勇者様」


 大変よろしい。


「では、一つ頼みごとがあります。

 あの本を書き写してもらいたいんです。

 書写の経験はありますか?」


 そう言って俺は例の聖典と羊皮紙を指した。


「はい、修業の過程で聖典を書き写したことはありますが……」


 ジョージは、一体それのどこが神の教えに反する秘密なのか? といった顔をしている。

 もっともだ。


「開いてみてください」


 俺は聖典を開くよう促した。

 彼はおそるおそるそのページをめくる。


「勇者様……見たことのない文字です。

 これはいったい……」


「知る必要はありません。

 ただ、私の仕事と関係しているとだけ言っておきます。

 君には、これを書き写してもらいたいのです」


「……了解しました」


 ジョージはバカではない。

 これが何なのか薄々察したはずだ。

 なにしろ、彼は俺がオークに言葉を教えようとしているところを、一番間近で見てきたのだ。


「作業に入る前に、秘密を守るよう誓いを立ててもらいます」


 誓いがジョージにどの程度効果があるかは知らないが、何もしないよりはマシだろう。


「はい、神に……いえ、我が父の名に懸けて、私は秘密を守ります」


 彼にとって父親はどんな存在だったんだろうか。

 スレットの話を聞く限り、子供たちにはそれなりに慕われていたようだったが。


 俺たちがそんなやり取りをしていると、オークの太郎がヨタヨタとこちらへ歩いてきた。

 それから、机の上の本に気づいたらしく、中身を見ようとピョンピョン飛び跳ねた。


 以前なら、何かに怯えるようにビクビクとこちらの様子を窺うだけだったろう。

 それが、いつの間にかこんなにもノビノビ振舞っている。

 どうやらジョージは、彼もとい、彼女を随分とかわいがっているらしい。


 ジョージがこちらをちらりと見上げた。

 まぁ、かまわないだろう。


 俺が頷くと、ジョージは太郎を抱き上げた。

 本を持ち上げて見せてやった方が楽だろうに。


 さて次は、オーク文字が読めるオークを見つけてこなきゃな。

 太郎が読めれば話は早いが、そこまでは期待していない。


 オークどもの識字率はどの程度なんだろうか?


 オークたちは前装銃で武装していた。

 彼らが俺の世界の人類と同じような流れで発展してきたのなら、彼らの識字率はまだそう高くないはずだ。、

 おまけに、人間に捕まっているのはほとんどが農民か兵士たちだろう。

 十分な教育を受けていない可能性が高い。


 かといって、悲観しなければならないほどでもないはずだ。

 軍隊でも指揮官クラスであれば十分に期待できる。

 あるいは、どんな村にも一人二人は読み書きができる者がいたはずだ。

 さもなければ、まともに村を運営できないだろう。

 それらを見つけ出すには――


 その時、本の中身を見た太郎が激しくブヒブヒ言い出した。


 身をよじってジョージの手から抜け出すと、かまどに立てかけられていた火箸を手に取り、何やら床面をゴリゴリやりだした。


 おっと、これはまさか……!


 俺は急いで辞典を手に取ると、太郎が書きだした文字らしきものを探し、ページをめくる。

 探し出すのにはひどく時間がかかった。

 なにしろ、この辞書は人間の言葉の綴り順に並んでいるのだ。

 多分、人間の言葉を辞書から抜き出して並べた後、その隣にオーク語を書き加えていったのだろう。


 辞書を最初から最後まで嘗めるように調べて、ようやく見つけた太郎が書きだした三つの単語、その意味は――


 『私』


 『読む』


 『文字』



 ――いきなり大当たりだ。


次回は、2/13を予定しています。

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