表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
39/92

第三十九話 秘密の部屋

 大魔法陣の間の壁には、等間隔に二十の扉が存在している。

 それぞれが大小さまざまな部屋に通じており、それらは今は神官たちの休憩室として使われていた。


 中でも一番大きな部屋には大量の長机と椅子が運び込まれ、臨時の食堂に改装されている。

 ここには昼夜の別なく疲れ果てた顔の神官達が入れ代わり立ち代わりやってきては、もそもそと食事を詰め込んで去っていく。


 誰も一言もしゃべらない。

 皆疲れ切っているのだ。

 ここに食事を提供し続けるために、要塞の厨房も臨時の人間を雇い入れて昼夜を問わず稼働しているという話だった。


 その食堂の一番奥には、大理石で作られた今にも動き出しそうな等身大の人物像があった。

 表情はもちろん、服や装身具までもが精緻に彫り込まれており、服の下の筋肉まで感じとれそうだった。

 その手首には十三もの宝環が巻き付いており、高貴な人物を模していたらしい事が察せられる。

 ベルトのバックルには、水龍の紋章が彫られていた。



 その台座はまっさらで、彼の名前らしきものは刻まれていなかった。

 建造当時は、名前を記す必要がないほど有名な人物だったのもしれない。

 だが、長い年月の間にその由来は失われ、今なってはどこの誰だったのかも分らない。


 今はただ、すっかり色あせ、剥げ落ちた塗料の残りカスが昔日の栄華を物語っていた。


 さて、その石像の背後の壁に、大体五十㎝四方の小さな戸板がある。

 それをめくると、小さな横穴がぽっかりと開く。


 大人がかろうじて這い進める程度の小さな穴だ。

 かつては、周囲との石壁と同じようにブロックで塞がれていたという。

 かなりの奥行きがあり、ランタンのか弱い灯りでは一番奥まで見通すことができない。


 この中に這い込むには大変な勇気がいる。

 万が一途中で引っ掛かりでもすれば、穴の中で身動きが取れないまま一生を終えることになるのだ。


 やはりジョージを連れてくるべきだった。

 彼がいれば、ロープを俺に結わえておいて、万が一の時に引っ張ってもらうことだってできたのだ。


 だが、ジョージを連れてくるにはリスクもある。

 なにしろ、ここには魔力持ちの神官のほぼ全員が集められているのだ。


 もし万が一、彼を知っている神官に見つかれば、いらぬ注目を集めることになる。

 今回はあまり神官たちの注目を集めたくない。


 俺は周囲の様子を窺った。

 神官たちは皆、疲れ切った顔で黙々と食事を続けている。

 誰も俺に注意を向けてはいない。


 俺は意を決して、横穴へするりと入り込んだ。



 幸いにも、横穴は奥に行くにつれ少しづつ広くなっていき、やがてかがんで歩けるほどの広さになった。

 ランタンの小さな明かりを頼りに、さらに奥へと進む。

 通路の空気は湿っていてかび臭い。

 静まり返った闇の中で、時折水たまりを踏むぴちゃぴちゃという音がこだまする。

 幾度か角を曲がると、やがて二畳ほどの広さの小部屋に行きついた。


 一番奥の壁には、「真実の口」に似た不気味なレリーフが設置されていた。

 ポッカリと開いたその口の中は真っ暗で、ランタンをかざしても何も見えない。


 試しに少しだけ手を突っ込んでみると、黒い霧のようなものにすっと飲み込まれた。

 賢者様から聞いていた通りだった。

 古代人の魔法のなせる技だ。


 調査番号三十三 〈邪神の間〉。

 学僧達による大規模調査で発見された隠し部屋の一つだ。

 報告書には、この不気味なオブジェ以外には何も見つからなかったと記されている。


 だが、この部屋には、まだ報告されていない秘密があった。

 俺は邪神の口の中に差し入れた手を、思い切って肩まで突っ込む。


 この彫刻も、入口の石像と同じく今にも動き出しそうに見えた。

 このまま腕をかみちぎられたらどうしよう。


 恐怖感をグッと抑え、口の中を手で探っていく。


 指先につるりとした感触。これか。


 ようやく探り当てた球形のそれに掌をピタリと当て、魔力を込める。


 途端に、彫像の口から黒い霧が噴き出してきた。

 あっという間に視界が失われる。


「慌てて手を離すなよ」


 賢者様はニタニタ笑いながらそう言っていた。


「闇の中に取り残され、戻れんようになる」


 口元は嗤っていたが、目は真剣だった。

 ウソかホントか知らないが、試してみる気にはなれない。


 そのまま魔力を込め続けると、少しずつ黒い霧が薄れ始めた。

 視界が戻るまでにそう長くはかからなかった。 

  

 開けた視界の先には、先ほどまでとは全く違う景色が広がっていた。


 *


 俺は洞穴の隠者から一つの頼みごとを受けていた。

 

「さて、物のついでだ。

 〈竜の顎門〉へ行くなら、一つ頼みたいことがあるんじゃが」


「できることであれば、何なりと」


「実は捕縛される直前、あそこに辞書を残してきたんじゃ」


「辞書?

 なんでそんなものを?」


「阿呆め。わからんのか。

 オーク語の辞書じゃ。

 隠しておかねば、奴らに焼かれてしまうでな。

 ジャガイモに作らせた写しを、あそこに隠したんじゃ」


「じゃがいも!?」


 俺は間抜けにも聞き返してしまった。


「わしが飼っていたオークの名だ!

 ジャガイモをふかしたのが好物だった。

 どうでもいいことを一々聞くな。

 まったく、阿呆を相手にしておるといつまでたっても話が進まん」


 だって、辞書を書き写すジャガイモなんて気になるじゃないか。

 しかしひどいネーミングセンスだ。


「あそこには、ワシの秘密の書斎があってな。

 若い頃は、阿呆な上司に次々とつまらぬ調べ事を押し付けられる。

 偉くなってようやっと自分の研究ができるようになったと思えば、

 今度は阿呆な部下共がつまらぬことでお伺いをたてに来る。

 辟易していたところで、偶然ある部屋の秘密を見つけてな。

 神殿には報告せず、阿呆共から逃げ出したい時に籠る部屋にしておったのよ」


 なるほど。


 それから俺は、隠し部屋への入り方を事細かにレクチャーされた。


 レクチャーを受けた後に、俺は隠者殿に何と呼べばいいか聞いてみた。


「好きに呼べばいい。

 元の名前は自分で捨てた。

 神殿での名前はもうない」


 そっけない返事だった。


「では『賢者様』と呼ぶことにします」


 賢者様はものすごく嫌そうな顔をしたが、「好きにせい」と言ってくれた。


 俺はそれを聞いて、再び竜にまたがり〈竜の顎門〉へと舞い戻ったのだった。


 *


 黒い霧がはれた。

 俺は先ほどの〈邪神の間〉とは全く別の部屋にいた。


 おそるおそる邪神の口から手を引き抜くと、黒い霧の中からするりと自分の手が出てくる。

 その手が無事なことを確認して、俺はほっと一息ついた。


 俺の背後にあった、狭くて真っ暗な通路は消え失せ、天井の高い奥行きのある部屋に代わっていた。

 振り向いて真っ先に目に入ってきたのが、灯りに照らされた石の寝台だった。


 寝台の上には、一体の骸骨が仰向けに横たわっていた。

 よほど古い時代のものらしい。

 衣服はほとんどが風化し、僅かに残ったカサカサの切れ端がかすかにその名残をとどめていた。


 骸骨は金銀銅の様々な宝飾品を身にまとっていた。

 それらは、どことなく入り口にあった彫像が身に着けていたものにどことなく似ていた。

 ベルトのバックルであったらしい銅板には、あの彫像と同じ水龍の紋章があしらわれている。

 この骸骨は、あの彫像と同一人物なのだろうか?

 あるいは、その子孫だったのかもしれない。


 石の寝台には、骸骨に沿って人型の真っ黒なシミが残っていた。

 この男はきっと、肉を纏ったままここに安置されたのだ。

 あるいは、自分でここに横たわったのかもしれない。

 そしていずれにせよ、そのまま目を覚まさなかった。


 いったい、彼はどんな最期を遂げたのだろうか。

 今となっては知りようもない。


 彼が身に着けている数々の財宝は全くの手つかずで、手を触れた痕跡すらなかった。

 賢者様は自分の研究に夢中で財宝には興味を持たなかったのだろう。


 あるいは、あんな男でもこの遺体に冒してはならない尊厳のようなものを感じ取ったのかもしれなかった。

 少なくとも、俺はそれを感じた。

 この遺体は、このままそっとしておかなければならない。


 ひょっとして、この世界の守るに値する部分は、とっくの昔に彼とともに滅んでしまったんじゃなかろうか。

 俺は、その残滓を守るためにだけにここにいるのではないか?

 そんな気さえしてしまう。


 俺は不穏な考えを振り払い、周囲を見回す。

 すると、部屋の隅に小さな書き物机があるのを見つけた。


 こちらは木製で、さほど古い時代のものではなさそうだ。

 恐らく賢者様が自分で持ち込んだのだろう。


 しかし、一体どうやって持ち込んだんだろうか?

 一度バラバラにして、ここで組み立てたとしか思えない。


 賢者様が人目を盗んで木材を持ち込み、あの狭い通路を必死で通り抜けようとする様を想像すると少しだけ笑えた。


 あの老人は、この物音一つしない部屋で研究に没頭していたに違いない。

 骸骨の傍らで、黙々とペンを走らせるその姿が俺には容易に想像できた。

 いかにもあの老人らしい。

 

 書き物机の引き出しをそっと開けてみる。

 中にはインクやペンが転がっているだけだった。


 賢者様によれば、この書き物机にはちょっとした仕掛けが施されているらしい。

 秘密の部屋の、秘密の机だ。

 何とも男の子の心をくすぐってくる素敵なシチュエーションじゃないか。


 俺は賢者様に言われた通り、机の脚を自分の足で固定すると、天板を両手でつかんで横にずらした。

 さらに天板を縦にずらし、引き出しを半分だけ開ける。

 それから天板を持ち上げるとガコッっと音がして、外れた。


 天板を脇に置いて机の中を確認すると、引き出しのさらに奥に空間があった。 

 そこに目的のものが入っていた。


 それは分厚い一冊の本。

 その表紙は神殿の聖典そのものだが、中身は違う。

 偽装を兼ねているのだろうが、それ以上にあの老人の悪戯心の賜物に違いない。


 本を開き、その中身を確認する。

 近頃見慣れてきたこの世界の人類の文字と一緒に並ぶ、まったく見慣れない奇妙な文字。


 間違いない。これこそ賢者様の研究の集大成。

 聖典に偽装されたオーク語辞典だ。


次回は2/6を予定しています

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ