第三十七話 子供と老人
ガルオムにもらった地図のおかげか、エニデム村には何のトラブルもなく到着できた。
その村は、複雑に入り組んだ入江の奥の谷間にあった。
石だらけの小さな浜辺に、本当に浮かぶかも怪しいボロ船が数艘並べられている。
その浜辺を中心に、これまた吹けば飛びそうなボロ小屋が十軒ほど谷の斜面に張り付くようにして寄り集まっていた。
そのボロぶりたるやうちのオーク小屋がまだましに思える程だ。
いかにも貧しそうな、本当に小さな村だった。
入り江に吹き込む不規則な風に苦労しながらやっとのことであの狭い浜に竜を降ろす。
案内役の竜騎士はこの狭い浜に二頭目の竜を降ろすのを諦め、上空で旋回を続けている。
俺は竜から降りて周囲を見回してみたが、人っ子一人見当たらない。
もしかして、既に放棄されて廃村になってしまっているんじゃなかろうか?
いや、そんなはずはない。
さっき上空から見た時には、煙突から煙を出している家があった。
誰かしら人が住んでいるはずだ。
恐らく警戒されているんだろう。
こうなったらこちらから訪ねていくしかない。
俺は竜飼いにヴェラルゴン手綱を渡すと、一番手近なボロ小屋へと足を向けた。
近づいてみると、その小屋の戸がほんの少しだけ開いている。
その隙間から縦に並んだ二つの目が覗いていた。
位置が低い。恐らく子供だろう。
ちょうどいい。
確か例の隠者は子供たちに読み書きを教えているという話だった。
あの子供たちなら隠者のところまで案内してくれるかもしれない。
俺は笑顔を作ると彼らに声をかけてみた。
「やあ、こんにちは」
その途端二つの目玉が引っ込み、戸の隙間が勢いよく閉じられた。
一瞬だけ見えた細い腕はおそらく彼らの母親だろう。
俺はその家に前に行くと扉を軽くノックしてみた。
反応はない。
もう一度ノックし、今度は声をかけてみる。
「驚かせて申し訳ありません。害意はないのです。
一つお尋ねしたいことがあるのですが、よろしいでしょうか?」
やはり反応がない。
さて、どうしたものか。
カギはかかっていないようだし戸を開けて中の様子を確認することもできるが、あまり彼らを怖がらせても仕方がない。
諦めて他をあたってみよう。
そう考えて他の家に向かいかけると、背後からかわいらしい子供の声が追いかけてきた。
「おっちゃん、ゆうしゃさま?」
その声に振り向くと、ちょうど子供が家に引き戻されるところが見えた。
「しっ! ダメって言ったじゃろ!」
母親らしき女が小声で叱る声が聞こえる。
俺はなるべく友好的に聞こえるよう気を付けながら、再び家の中に声をかけた。
「あぁ、いらっしゃられたのですね。
怪しいものではありません。
この通り、領主様の許可状も持っています」
そういいながら、ガルオムにもらった羊皮紙を懐から取り出し、広げて見せた。
再びドアが少しだけ開いて、痩せた女が顔を出した。
「おぉ、高貴なお方……あいにくと、アタシは字が読めねぇですので、村長の方をお尋ねくだせぇ」
そういって村の奥の方にある、ここよりも少しだけ大きなボロ屋を指さすと彼女はドアを閉めようとした。
ところが、閉じようとする扉の隙間に小さな男の子が顔を突っ込んできた。
男の子は閉まる扉に頭を挟まれ、ウグッっとかわいいうめき声をあげた。
扉が少しだけ緩むと、彼は引っ張り込もうとする母親に抵抗しながらこちらを見上げて言った。
「字ならおいらが読めるよ! 見せておくれよ!」
「いいとも。ほら、これだよ」
俺は彼に先ほどの羊皮紙を見せた。
「え~っと……こ、の、もの、いせ、か、い、より、ま、ねかれ、し、ゆ、う、しゃ……
にーちゃん! 勇者だって! やっぱりこのおっちゃん勇者様だよ!」
彼に呼ばれて、家の奥から三つほど年かさと思われる少年が顔を出してきた。
「どれどれ! 僕にも見せてよ!」
そういって少年は弟らしき子供の頭を押し下げ、それにのしかかるようにして羊皮紙に目を通す。
「このもの、いせかいより、まねかれし、ゆうしゃにして、わがせんゆうなり……!?
どうけつの、いんじゃを、さがし、もとめるものなり
わが、りょうないのもの、かのうなかぎり、べんぎをはかるべし……!」
全て声に出し読み上げた後、少年は目を丸くした。
背後では母親がどうしたものかという顔でオロオロしている。
「領主様の紋章も入ってる!
本当に勇者様だったんだ!」
「いっただろ! 白い竜もいるし!」
兄弟は大盛り上がり。母親は顔を青くしている。
どうやら、こんなど田舎にもちゃんと俺の噂は届いているらしい。
「で、勇者様はいったい何を探しに来たんだい?」
小さい方が俺にたずねた。
すかさず大きい方がそれを窘める。
「ばっかだなぁ、ここに書いてあるだろ。
『どうけつのいんじゃ』だよ!」
「なんだよ『どうけつのいんじゃ』って」
大きい方は答えに詰まったようだった。
「僕は、この近くの洞穴に棲んでいるというおじいさんを探しに来たんだよ」
俺はできる限り優しい声で質問に答えてやった。
「あ! 知ってる! あなぐまじじい――むぐっ!」
兄が弟の口を塞いだ。
かつて学僧の長として神殿の学塔に君臨し、その知識の全てを司った男は、いまは〈あなぐまじじい〉と呼ばれているらしい。
「しっ! 他所の人には言っちゃダメってジジイに言われてるだろ!」
小声で言っているつもりだろうが、丸聞こえだ。
子供たちはアナグマじじいを隠し通すつもりらしい。
母親はといえば、書状と子供を交互に見やりながら、相変わらずオロオロとしている。
どうやらアナグマじじいは、領主の命令と天秤にかけられるぐらいには慕われているようだ。
俺は、我ながら気持ち悪いと思うぐらいの猫なで声で子供たちに話しかける。
「僕は、そのおじいさんに知恵を借りに来たんだ。
決して悪いことをしたりしないよ」
「証拠を見せろ!」
小さいほうが叫んだ。
なかなか勇敢な子供だ。できればこのまま大きくなってほしい。
さて、証拠といわれると難しいな。
俺は背嚢を背から降ろして、中をかき回した。
お、あったあった。
「ほら、こうしてちゃんとお土産も持ってきてある」
そういって、とりあえず見せたのは例の酒瓶だ。
これの価値がわかるとは思えないが、ガラスの瓶に入っているというだけでも高価なものだということは伝わるはずだ。
……伝わるといいな。
「……なにこれ」
子供たちが疑いに満ちた眼差しを俺に向ける。
だめだ、まったく伝わっていない。
まったくこれだから子供は。
「お酒だよ」
仕方がないので中身を教えてみると、とたんに子供たちの目から疑いが消えた。
「あ~お酒か」
「うん、お酒だね」
「お酒好きだからね」
彼らは納得したようだった。
〈あなぐまジジイ〉とやらはよほどの酒好きらしい。
「じゃあ、勇者様! おいらについてきて!」
そういうなり、幼い兄弟はドアから飛び出して山の方へと駆けていく。
「あ! お、お待ち!」
母親が止めようとしたが彼らは振り返りもしない。
俺は、そのまま戸口でオロオロし続ける母親に一礼し、彼らの後を追った。
*
まったく子供というのはどこの世界でも元気がいい。
ハァハァと息を乱しながらも、まるでペースを落とさずに谷の斜面を駆けあがっていく。
それにしても彼らは寒くないのだろうか?
彼らときたら継ぎの当たった古布の上下を一枚ずつ着ているっきりなのだ。
俺はといえば、竜騎士用の飛行服を着ていてすら肌寒く感じているのに。
「こ こ だ よ ~ !」
斜面の上から、元気な声で彼らが俺を呼んでいる。
ようやく追いついてみると、大きな木の根元に一枚のムシロが雑にかけられていた。
大きい方が、ムシロをめくって叫んだ。
「あなぐまじじぃ~! お客だぞ~!」
どうやら、そこが例の隠者が棲む洞穴の入り口らしい。
俺が想像していたよりも大分小さい。
恐らく、元は熊が冬眠用に掘った巣穴か何かだったのだろう。
意外と中は広かったりするのだろうか?
「じじ~い~!出てこないと煙でいぶすぞ~!」
そう叫びながら、子供たちは手にした石をカチカチと打ち合わせた。
火打石のつもりらしい。
その振舞いには師匠への敬意というものがまったく存在しない。
俺が聞いている通りなら、この穴の中にいる人物は彼らに読み書きを教えた恩師にあたるはずなのだが。
「じゃかぁしぃ!
騒がんでも聞こえとるわい!」
叫び声と同時にムシロがガバリとめくれた。
中から飛び出してきたのは、頭髪が抜け落ちガリガリに痩せた半裸の老人だった。
全身泥まみれで、最早服とは言い難いボロ布が申し訳程度に体を覆っている。
子供たちはキャー!っと言いながら斜面を駆け降りていった。
「なんじゃ! セイルんとこのクソガキ共か!
せーっかく気持ちよく寝とったのに!
もう二度と来るな!」
拳を振り上げてそう叫ぶ老人を見て、子供たちが斜面のずっと下からケタケタと声を上げて笑った。
「あなぐまじじぃ~! お客だよ~!」
「客だぁ!?
誰もつれてくるなとゆうといたろうが!」
「だって、勇者様だよ!」
「何をバカなことを!
そんなもん与太話に決まっとろうが!」
「ほんとだよ! 白い竜に乗ってきたんだよ!」
「白……ヴェラルゴンか? まさかのう……」
そこでようやく老人は俺の存在に気が付いたらしい。
「……では、お前が神殿に召喚されたとかいう勇者か?」
「はい、そうです」
老人がギロリと俺を睨んだ。
今にも死にそうなその体躯に似合わぬ、力のこもった恐ろしい眼だった。
次回は1/23を予定しています。
1/15
第10,11話の、領地に収入についての内容を微妙に変更。




