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第三十五話 学僧の願い

「これは一体どういうことですかな?」


 俺と、オークと、野次馬たちを順番に睨みつけながらウォリオンが言った。

 ウォリオンに睨まれた野次馬たちが、コソコソと気まずそうな顔で散っていく。


 しまった。見つかってしまった。

 しかも、あの温和な学僧の長が、ずいぶんと険しい顔をしていらっしゃる。


 やっぱりもっとひっそりとやるべきだった。

 後悔したがもう遅い。


 とりあえず言い訳をしなければ。

 大丈夫、言い訳はちゃんと事前に用意してある。


「我らの戦力不足は深刻です。

 オークの捕虜を我々の兵士として再利用できないかと考え、訓練を試みていたのです。

 オーク同士を戦わせることができれば、我々人類の犠牲を減らすことができます」


 うむ、完璧だ。


「オークの討伐は信徒に課せられた神聖な義務です。

 信徒が自ら戦わねば意味がありません」


 一撃で論破されてしまった。

 そういう教義なのか。


「それに、勇者様の訓練とやらを少々見物させていただきましたが――」


 ウォリオンが太郎の足元に目をやった。

 そこには、いろんな種類の野菜がゴロゴロと転がっていた。


 俺が野菜の名前をいくつか唱え、その順番に太郎が並べるという芸をやっていたのだ。


「野菜の名前を覚えさせることが、どうしてオークの軍事訓練につながるのか、私にはいまいちよくわかりませんな」


 おっと、この芸の本当の目的まで見破られていたか。

 いかにも、この訓練の目的は野菜の名前を覚えさせ、きちんと聞き取らせることだ。


「なにより、兵士にしようというならどうしてメスのオークを訓練しているのですか」


 衝撃の事実!

 太郎はメスだった!


 言い訳をさせてほしい。

 確かにオーク達は常に全裸だが、人間と同じように常にブラブラさせているわけではない。

 その性器は豚と同じく普段は体内に引っ込んでいるのだ。


 そんな分かりにくいオークの性別を一目で見抜くとは、さすが博学の徒、学僧たちの親玉である。


 ご存知の通り、俺のsd頭の回転はよろしくない。

 だからこうなるともうアワアワする他はなかった。


 そんな俺の様子を見て、ウォリオンは大きなため息をついた。


「……勇者様、どうやらまだ諦めていないようですな」


「え、えぇ、はい。そうです」


「オークどもが言葉を解するなどと言う戯言を、善良な信徒たちに吹き込まれては困ります。

 こういった見世物は、慎んでいただきたい」


「も、申し訳ございません」


 俺は縮こまって頭を下げる。

 それで面倒ごとが回避できるなら安いものだ。


「さぁ、見世物は終わりだ!

 誰も咎められることはないから安心しなさい。

 信徒諸君は己が務めを果たしに戻るのです。

 兵士諸君も今は休むのが仕事でしょう。

 こんなところにおらず、寝床か酒場でゆっくりとしてきなさい。

 さぁ、解散だ!」


 ウォリオンは、遠巻きにこちらをコソコソと窺っていた野次馬たちに大声で呼びかけた。

 彼らは今度こそ散っていった。


 周囲がすっかり落ち着いたことを確認してから、彼は言った。


「勇者様、こういうことをなされては本当に困るのですよ。

 どうも、この件についてはもう一度ゆっくり話し合う必要がありそうですね。

 近いうちに食事にお招きいたしますので、よろしくお願いします」


 どうやら、後でガッツリお説教されるらしい。

 だが、ひとまずこの場は収まったようだ。


「ご迷惑おかけしました」


 俺はもう一度頭を下げた。


「お判りいただければ結構です。それでは」


 彼は俺に向かって丁寧に一礼すると、神官たちを従えて要塞の方へ歩き去っていった。


 *


 その晩、俺はさっそくウォリオンから晩御飯に招待された。


 ウォリオンは、俺と同じく兵舎に貴人向けの一室をあてがわれている。

 貴人向けとはいっても、所詮は要塞の一室だ。

 飾り気はほとんどなく、さほど広いわけでもない。

 机と椅子を二つ並べて給仕役の神官が脇に控えると、少々手狭に感じられてしまう程度の広さだ。


 出された食事もいたって質素なものだった。

 メインの皿には川魚を焼いたのが二切れ。

 薄い野菜のスープ。

 固いパンが一切れ。

 水で割ったエールが一杯。


「申し訳ありません。普段のお食事と比べればずいぶんと貧相でしょうが、これが我らの流儀なのです」


 ちなみに、俺は普段は兵士たちと同じ食事をもらっている。

 さほど豪華な料理ではないが、必ず肉がついてくるし、魚の日だって量はもう少し多い。

 エールも水で割られてはいない。お代わりは二杯まで。


 ウォリオンと一緒に食前の祈りを捧げ、静かな食事が始まった。


 すぐに食べ終わった。

 少し気になったことがあったので聞いてみる。


「神官たちも、これと同じものを食べているのですか?」


 固いパンを味わうようにゆっくりとかみしめていたウォリオンは、それをゴクリと飲み込んでから答えた。


「いえ、それはさすがに。毎日全力で魔力を放出させておりますから。

 少なくとも、私よりはいいものを食べているはずです」


 そりゃそうか。


「さて、食事も済んだことですし、少しお話でもいかがでしょう」


 給仕役の神官が音もなく部屋から出ていった。

 いよいよ説教タイムの始まりだ!


 と思ったら、ウォリオンは席を立ち、背後にあった自分の荷物箱をごそごそと漁り始めた。


 どうやら目的の物は箱の一番奥にしまわれていたらしい。

 彼がようやく引っ張り出してきたそれは酒瓶だった。

 この世界ではあまり見かけないガラスの瓶だ。


 彼は給仕が残していった食器の中から、新しい木のカップを二つ取り出した。

 片方に例の酒瓶から琥珀色の液体をたっぷり注ぎ、俺の前に置く。


 飲めということかしらん?

 目でうかがうと、ウォリオンはどこかいたずらっぽい目でにこりと頷いた。


 毒か? いや、まさか。


 少し警戒しながらそれを口に近づけると、不思議な香りが鼻をついた。

 木の樽と、アルコール。


 蒸留酒か。

 この世界では初めて見るな。

 ケレルガースの宴でも、蒸留酒はなかった。

 今まで見かけたのはすべてエールや蜂蜜酒ミードの類だ


 俺はなんでもない顔をしながら、それをゆっくりと口に含み、頷いて見せた。


「素晴らしい香りですね」


「ご存知でしたか」


 ウォリオンは少し残念そうだ。

 大方、俺がアルコールでむせ返るのを期待していたんだろう。

 どうやらこの世界では、蒸留酒は相当珍しいものらしい。


「はい。私の世界には、もっときついのもありましたよ」


「なるほど。やはり進んでいますね。

 こちらでは〈清めの聖水〉と呼ばれております。

 酒に傷口が腐るのを防ぐ力があることは太古の昔から知られていました。

 百年ほど昔に、一人の学僧がその力を高める方法を見つけ出したのですよ。

 その方法は門外不出の秘法として扱われています」


 彼は自分のコップにも同じように酒を注いだ。


「この聖水には他にも不思議な力があるのです。

 例えば、これを飲んだものは嘘がつけなくなると言われています」


 そういって、彼はコップの中身をうまそうに啜った。

 酔っぱらいはなんでもべらべら喋ってしまうからな。


「いいんですか、そんなものを飲んで」


「尋問の際にはいくらでも。

 それ以外にも、酒精に打ち勝つ強い信仰持った者はこれを飲むことを許されます。

 まぁ、おおっぴらに飲めばさすがに咎められますが」


 なるほど、偉い神官達はコイツをこっそり楽しめるってわけだな。


 説教タイムかと思ったが、思っていたより話ができそうだ。

 酔って頭が回らなくなる前に、さっさと聞くべきことを聞いておくことにしよう。 


「……それで、オークが言葉を理解できるというのは、そんなに危険な考えなのですか?」


 ウォリオンはコップを机の上に置き、重々しく頷いた。


「えぇ、非常に重い禁忌とされています」


「理由をうかがってもいいですか?」

 

「私にもわからぬのですよ。

 私も、私の前任者がこの禁忌を犯して罰せられるまで

 それが禁忌とされているということすら知らなかった程です」


「そんな重大な禁忌なのにですか?」


「あの穢れた生物のことを調べようというもの好きはあまりおりませんからな。

 ましてや、その言葉など。

 ですから、その禁忌を広く知らしめてはかえって好奇心を刺激することになる。

 と上は考えているのかもしれません」


 なるほど。


「もっとも、師は……前任者は何度か警告を受けてはいたのですよ。

 それを無視したがために神殿を追われ、聖なる名までも奪われました。

 表向きは、神像を冒涜した咎によって罰を受けたことになっています」


「聖なる名?」


「正神官に任命された際に賜る名前です。

 元の名はその際に捨て去るのです。

 ですからこれを奪われることは、〈名を持たぬ者〉となることを意味し、神官としては死刑に次いで重い罰となります。

 事実上の死刑といってもいいでしょう。

 名の無い者は法の保護を受けることができませんから」


 ウォリオンは、コップの中身をまた少しだけ口に含む。


「……オークの言語を学ぼうなど、もうおやめになった方がいいでしょう。

 これが大神官長の耳に入れば、いかに勇者様とはいえど破門は免れますまい」


 破門か。

 ネズミ顔の堂主もそう言って脅かしてきたが、正直あまり俺には関係ないな。

 そんな俺の考えを見透かすかのように、ウォリオンが言葉を続ける。


「無論、貴方は異世界からお出でになった勇者様ですから、我らの神に見放されたところで道に迷うこともないでしょう。

 しかし、勇者様のご身分を認め、世間に向けて保証しているのもまた、我らが神殿であることをお忘れなきよう。

 私どもの保証がなければ、世の人々から信用を得るのも一苦労となるでしょう」


 これだけ聞けば強い脅しの言葉だ。

 だがその表情からは、彼が心底俺を心配して警告してくれていることが伝わってきた。


「ご忠告痛み入ります」


 俺はそれだけ言って頭を下げた。

 だが、オーク語の研究は絶対に外せない。

 彼の忠告を無駄にしないためにも、これからはもっと慎重にやることにしよう。


 そんな俺を見て、彼は大きなため息をついた。


「どうしても、おやめになるつもりはないのですね?」


 俺は黙って頷く。


 ウォリオン目をつむって天を仰ぐと、小さく祈りの言葉をつぶやいた。

 祈りを終えると、今度は手元のコップの中身を一気に飲み干す。

 それから、俺の目をまっすぐ見ながら言った。


「勇者様は、文字をお書きになれますかな?」


 唐突な質問に戸惑いながら答えた。


「いいえ、読むことはできるのですが、書く方はちょっと……」


 読む方は、例の翻訳機能で何とかなるのだ。

 書く必要があるときには代筆を頼んでいる。


 この世界では、貴族でも字が書けない人間は珍しくない。

 ある程度以上の身分では、地位のある人間は自ら筆を執るものではないと考えている節さえある。


「では、良い教師を紹介させてください」


「え、えぇ、よろしくお願いします」


 なんだかよくわからないが、渡りに船だ。

 この世界の価値観はさておいて、自分で書けるならその方が便利に決まってる。


「王国の北の西端、シェザリス城からさらに北、そこにエニデムという寒村がございます。

 外海に面した小さな入り江にある貧しい村で、最寄りの聖堂まで山を越えて二日という信仰からも遠く離れた土地です。

 その村のほど近くにある洞穴に、一人の隠者が棲んでいるそうです。

 時折村の子供たちに文字の読み書きを教えては飢えをしのいでいると聞きます。

 変わり者といわれてはおりますが、教えることにかけては右に出るものはないということです。

 勇者様も、かの隠者に文字を教わってはいかがでしょう?」


 シェザリス城だって?

 俺は耳を疑った。


 この国は、西側が欠けた三日月形の山脈に囲まれている。

 シェザリス城は、その三日月の北の方の先端に位置する城だ。

 リーゲル殿によれば、王都から最も遠い位置にあるとかいう話だ。

 その上、そこからさらに北に行った外海側の土地なんて、まさに世界の最果てといっていい。


 確か、竜でも最低二日はかかるとリーゲル殿は言っていたはずだ。

 日の短い今の季節なら少なく見積もっても四日はかかるだろう。

 文字を習いに行くにしてはあまりにも遠い。


「……その方のお名前をうかがっても?」


「名はありません。既に、名前を奪われておりますれば」


 ……なるほど。


「なにしろ、非常に気難しい御仁との噂です。

 信用を得るのも簡単ではないでしょう。

 ですが、これを手土産に持てば、どんな気難しい老人もきっと心を開いてくれるはずです」


 そう言って、ウォリオンは先ほどの酒瓶にもう一度コルクを押し込み、俺に押し付けてきた。

 蒸留酒は、貴重なモノのはずじゃなかったか?


「どうしてここまでしてくれるんですか?」


 こいつは禁忌破りの手伝いだ。

 彼のような立場の人間が進んでやるようなことではない。


「……オークと戯れる勇者様を見て、我が師のことを思い出しましてな」


 遊んでいたわけではないんだが。一応。


「我が師も、ああしてオークに言葉を教えていたものでした。

 あれも随分賢いオークでしたが、師が追放された折に殺されました。

 もったいないことをしたものです」


 ウォリオンは酒に血走った目で、こちらの目をじっと見据えてきた。


「勇者様は、我らのようにただ真理を追うためにオークの言葉を欲しているわけではない。

 恐らく何かを変えるためにその知識を欲しておられる」


 彼はそう言って、自分のコップの中身をあおろうとしたが、既に中身は空だった。

 彼の目は諦めきれない様子でさらにテーブルの上をさまよい、俺のコップを見つけた。

 彼はそれに手を伸ばし、一息に飲み干した。


「貴方が何を変えようとしているかは知りません。

 しかし、分かっていることも一つあります。

 上はその変化を怖れるがゆえに、我ら学僧の真理へと至る道の一つを閉ざし、我が師を追ったのです」


 彼の顔色は既に真っ赤だった。急激に酔いが回っているらしい。


「それは、真理を追究する我らの務めの否定にも等しい!

 これ以上の屈辱がありましょうか!

 つまるところ、これは復讐です。

 力も、勇気も持たぬ我が身に代わって、奴らの鼻を明かしていただきたいのです」


 ずいぶんと迂遠なことだな。


「ご期待に添えるかはわかりませんが、ご厚意は決して無駄にはいたしません」


 それでも彼は、俺の答えに満足したようだった。

 ウォリオンは大きく頷いた後、そのまま机に突っ伏していびきをかき始めた。

 あまり酒には強くないらしい。無茶しやがって。


 もう話は終わりだな。

 俺は席を立ち、ウォリオンに背を向けた。


 扉の把手に手をかけたところで、背後からウォリオンがむにゃむにゃと声をかけてきた。


「勇者様……かなうならば……彼を保護してください……。

 彼のお方は……もはや法の保護の外なれば、わずかな財も持てぬ身の上……。

 どうか……我が師を……友を……」


 言葉はここで途切れて、後は寝息しか聞こえなかった。


次回は1/9を予定しています

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