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第三十四話 暇つぶし

 オークの言語を研究している者はいないかと訊ねたとたん、学僧の長であるウォリオンから表情が消えた。


「奴らに言語など存在しません。ですから、それについて研究する者もおりません」


 彼は平板な声でそう答えた。


 だが、この態度の急変はいかにも不自然だ。

 俺はもう少しだけ食い下がってみることにした。


「そんなことはないでしょう。あれだけの数が、統率の取れた行動をとるんです。言葉もなしにそんなことは不可能でしょう」


「そうとは言い切れませんぞ。動物や鳥にも群れで行動するものは数多くいますが、彼らは言葉を持ちません。オークとて同じでしょう」


 そう言いながら、彼自身自分の言葉に全く納得していない顔をしている。


「勇者様、聖典にも『オークには知能も言語もない』と記されていますぞ」


「聖典には間違いもあると先ほど仰っていたではないですか。

 聖典の間違いを正すのも学僧の職務なのでしょう?」


 これを聞いたウォリオンは渋い顔をした。

 そして渋い顔をしながらも言い切った。


「この点に関しては、議論の余地なく聖典が正しいのです」


 その表情を見るに、彼自身この問題については思うところがあるらしい。

 ここでいう正しさ(・・・)は、彼らの真理の追及とは別な次元で決められた正しさ(・・・)なのだろう。


 要するに、何かしらの理由でオーク語の研究は禁忌とされている、ということらしい。

 これ以上この話題を続けてもいいことはなさそうだ。


「それならば、聖典が正しいのでしょう。

 つまらぬ質問にお時間をとらせてしまい、申し訳ありませんでした」


「いえ、とても有意義なお話ができました。

 また機会があれば、異界のお話をお聞かせください」


 俺はウォリオンと礼儀正しく別れのあいさつを交わした。


 *


 しばらく退屈な日々が続いた。


 日に一度、儀式を見て回り順調であることを確認する。

 もっとも、俺が見て回ったところで何かがわかるわけじゃない。

 形式的な話だ。


 その後ウォリオンと顔を合わせ、彼からも報告を受ける。

 報告はいつも同じ、「順調です。異状はありません」だ。


 そして、五日に一度、王都に向けて「異状なし」と書いた手紙を送る。


 俺にこの仕事が振られたのは不測の事態に備える意味もあるだろうが、それ以上に俺が「格の釣り合う暇な奴」だったからなんじゃなかろうか。

 ちゃんと仕事のできる奴に任せるには退屈すぎるし、もったいないからな。


 たぶん、多少さぼってみても何の文句も言われないだろう。

 今はまだ試していない。


 残りの時間はどうにかして暇をつぶさなければいけなかった。

 さほど広くない要塞はあっという間にすべて見て回ってしまった。


 たまにウォリオンが訊ねてくるので、俺の世界のことを彼に話して聞かせた。

 話すこと自体は構わないのだが、彼のあくなき探求心を満たすのは大変だった。


 ちょっと突っ込んだ質問を受けるだけで、俺は答えに詰まってしまうのだ。

 例えばテレビだ。


 俺はテレビの使い方を知っている。

 だが、その仕組みとなるとてんで分からない。


 彼のような人物に会うたびに、俺は自分の世界のことすら殆ど知らないのだと思い知らされる。


 そのうちに彼も俺が学問をする人間ではないと気付いたらしい。

 気がつけば、彼は俺に深い質問をしなくなっていた。


 そういえば嬉しい発見もあった。

 散々探し回って、ついにアリの巣をいくつか見つけたのだ。


 そのうちの一つはどうやら他の巣を襲撃するタイプらしかった。

 もう冬だというのに、毎日元気に略奪に出かけては勝ったり負けたりして巣に戻ってきた。

 見ていて全く飽きない奴らだ。


 今日は戦に勝利したらしく、それぞれが白くて丸い繭のようなものを抱えて戻ってきた。

 戦利品を掲げて列をなすその様は、まるで凱旋パレードのようだった。


「勇者様……あの、よろしいでしょうか……?」


 ぼんやりとしゃがみ込んでアリの巣を眺めていた俺に、一人の兵士がおずおずと声をかけてきた。

 要塞見学の際に俺を案内してくれた、あの若い兵士だ。

 俺はすくっと立ち上がって、勇者らしく背筋を伸ばし胸を張った。


「はい、何でしょう?」


 若い兵士は、そんな俺を見て微妙な表情を浮かべた。

 どうやらごまかしきれていなかったようだ。

 多分、ぼんやりとアリを眺めていた変人が突然立派な勇者になったから驚いたんだろう。

 

「ご領地より馬車が到着されました。

 使者が一名、勇者様に面会を求めておられます」


 お、頼んでいたものが到着したらしい。

 少し前に、ここに常駐している竜騎士の一人に〈カダーンの丘〉まで手紙を届けてもらったのだ。


「ありがとうございます。すぐに行きます。

 いま、使者はどこにいますか?」


「はっ! 主塔のホールで待機させております」


「分かりました」


 俺が主塔に向かって歩き始めると、背後から兵士が声をかけてきた。


「ゆ、勇者様。先ほどは何をなされていたのでしょう?」


 俺は立派な勇者としての態度を崩さず、まじめ腐って答えた。


「私の故郷に伝わる占術です。

 アリたちの戦いの様相から、我々の戦の行く末を占っていました」


 もちろんそんなわけはない。ただの暇つぶしだ。


「な、なるほど……」


 しかし、どうやら彼は俺の答えに半信半疑ながらも納得してくれたようだ。


「それで、何か分かりましたか?」


「はい、我々の最終的な勝利は揺るがない、と出ました。

 つらい戦いになるかもしれませんが、最後まで頑張りましょう」


 どう考えてもでたらめな話だが、勇者の肩書を持つ俺が自信満々に宣言すればそれなりに説得力が生まれるらしい。

 若い兵士は嬉しそうな顔で持ち場へ戻っていった。


 純朴そうな青年だった。

 きっと持ち場へ戻ったら、同僚たちに勇者の予言を吹聴して回るんだろう。

 

 *


 主塔のホールでジョージが俺を待っていた。

 手には鎖。

 その先には太郎が首輪でつながれている。


 太郎はおとなしくて賢い善良なオークだ。決して人に噛みついたりしない。

 けれども、こうして鎖でつないでおかなければ、野良オークと間違えられて駆除されてしまう。


 少なくとも俺の領地の外では、彼自身の安全のためにこの鎖が必要なのだ。


「元帥閣下。ご依頼の品をお持ちしました」


 ジョージが片膝をついて差し出したのは、もちろんオークの太郎だ。

 竜骨山脈の内側ではオークは品物だ。よく働く役畜だ。


「お疲れ様です。村の外れに小屋を確保してあります。当面はそこで太郎とともに寝起きしてください」


 〈竜の顎門〉から、少し離れたところに村がある。

 村といっても農村ではない。


 守備兵相手の商人たちが寄り集まってできた村だ。

 酒場や雑貨屋、娼館、といった兵隊相手の店がいくつか集まっている。

 ここの兵士達は休暇になればその村へ行く。


 ついでに、所帯を持った兵士の家族が住む民家が少々。

 かつてはもっと大勢の守備兵がいたらしく、今は空き家が目立つ。

 俺が確保したのは、そうした民家のうちの一軒だ。


 主塔の兵舎に泊まらせることも考えたが、その場合は太郎は他のオークと一緒に地下牢暮らしになる。

 何より、大勢の神官がうろついている中に、ジョージを置いておくのは少々危険だ。


 ジョージは元々神官として暮らしていたのだ。

 彼の過去を知っている者がいないとも限らない。


 *


 その日から、太郎との語学レッスンが再開された。

 俺は暇を見つけては村に通い、太郎に様々なものの名前を教えた。


 太郎とジョージが暮らす民家は、村の外れに近いところにある。

 家政婦として雇った婆さんは初めの内、太郎を連れたジョージ君から気味悪げに距離をとっていた。


 しかし、俺が何度か太郎に芸をさせて見せると、思いのほか喜んでくれた。

 そのうちに、素直で聞き分けのよい太郎のかわいらしさに目覚め、すっかり夢中になってしまった。


 素直で育ちのよいジョージのことも気に入ってくれたようで、ずいぶん親切にしてもらっていると彼からは報告を受けている。


 時折、俺が民家の庭先でジョージの訓練をしているところに休暇中の兵士が見物しに来ることがあった。

 訓練について、表向きはオークを兵士にするための研究だといっているが、彼らはその説明を信じていないようだった。


 彼らは、それが建前にすぎないということを見抜いていた。


 では彼らがどう認識しているのかといえば、俺が暇つぶしにオークに芸を仕込んで遊んでいると考えているらしかった。

 その証拠に、彼らは太郎が俺の指示通りに動けたときには、おひねりやらリンゴやらを寄こしてくるのだ。


 それらは全て、ジョージと太郎の小遣いやおやつになった。


 見学に訪れる兵士は少しづつ増えていった。

 いつの間にかジョージの家の前には勝手にベンチが設えられ、見物客が多い日には村の酒場が出張屋台をだしに来た。

 酒場の主人は、帰るときにはいつもニコニコ笑顔でこちらに会釈してから去っていく。

 この屋台も、そこそこの売り上げになるらしい。


 芸といっても、さほど派手なことをしているわけではないのだ。

 皆よほど娯楽に飢えているとみえる。


 正直なところ、野次馬のせいで太郎は怯えるし、やり難いことこの上ない。


 追い払おうかとも思ったが、下手に太郎を隠して妙な噂をたてられても厄介だ。

 好意的にみられているうちは、このままオープンにしておいた方がいいだろう。



 そんなこんなで、のんびりと過ごしていたある日のことだった。


 いつものように太郎に訓練を施していると、「あっ」という小さな声が上がり、それから家の前に群がっていた野次馬たちが急に静かになった。


 何が起きたのかとみてみれば、そこには幾人かの神官を引き連れたウォリオンが難しい顔をして立っていた。


「勇者様が何やら変わったことをしているとという噂を聞いて来てみれば……。

 これはいったいどうしたことですかな?」


 普段はあまり聞くことがない、厳しい口調だった。


次回は1/2を予定しています。

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