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第三十三話 要塞見学

 人類領域へのオークの侵攻を阻む巨大要塞〈竜の顎門〉。

 その要塞に対するあらゆる投射兵器を無効化する巨大魔法障壁を再起動させるための儀式が開始された。


 儀式とはいっても、大勢の神官がひたすら交代で魔力を込め続けるだけの作業だ。

 それが推定で三か月以上続けられるという。


 おまけに、どうやら俺はその間ずっとこの要塞に留まらなければならないらしい。

 王国元帥という肩書を持つ俺は、この国の軍事責任者としてこの儀式を監督しなければならないのだそうだ。


 監督といっても、この場になにか俺がするべき仕事があるわけではない。

 儀式そのものの手順の決定や、神官たちの管理は全て神殿側がやっている。


 することといえば、たまに大魔法陣の間に降りて神官たちの作業を見て回るぐらいだ。


 神官たちの動きは単調だ。

 ひたすら魔法陣に魔力を込め、体力がなくなったら他の者と交代する。

 それだけだ。


 正直、見ていて面白いもんじゃない。

 アリの巣を眺めているほうがよっぽど楽しい。


 実際そうしてしまおうと思ってアリの巣を探してみたが、季節のせいなのか、そもそもこの世界には蟻がいないのか、〈竜の顎門〉の周辺で蟻の巣を見つけることはできなかった。


 メグは最初の一日で飽きて、さっさと自分の領地に帰っていった。

 俺の従者役をしてくれるという話はどうなったのだろうか?

 自分から儀式が見たいといって無理やりついてきた癖に、本当に自由極まりない。


 まぁ、三か月もこんなのが続くというのはさすがに予想外だったんだろう。

 あれでも一応、盟主代理というそれなりに忙しい立場だ。

 あまり長く自分の領地をあけるわけにもいくまい。


 メグは当然のように俺に自分の領地まで送らせた。

 竜で往復一日。

 言いたいこともないではなかったが、気晴らしにはなったので良しとする。


 次の日から、空いた時間にヴェラルゴンで空中散歩を楽しむことにした。

 空を駆けまわるのは楽しかったが、三日ほどで竜飼いたちにもうやめてくれと泣きつかれた。


 竜にとって、冬というのは本来冬眠するべき季節であるらしい。


 飼いならされた竜は、それでも竜騎士に従う。

 だが、他の竜ならいざ知らず、あの気性の荒いヴェラルゴンだ。

 それを俺がたたき起こして無理やり飛ばすものだから、あの白竜はひどく不機嫌になるのだという。


「勇者様がいなくなったとたん、我々竜飼いに当たり散らすのです。

 昨晩はとうとう若い竜飼いの一人が怪我をしてしまいました。

 どうか、用もなくあの竜を飛ばすのはやめていただけないでしょうか」


 怪我人まで出たとあっては要請に従うほかはない。


 しかたがないので、〈竜の顎門〉を探検して回ることにした。


 *


 この要塞の構造はいたって単純だ。

 まずは谷を塞ぎ、雪解け水をため込む巨大な城壁が一枚。

 この城壁の(オーク)側には、城壁の西の端から東の端へ向かって昇っていく緩やかなスロープが設けられている。


 その城壁に、大小の塔が九基。

 いくつかは城壁から張り出すよう設けられており、スロープを登っていく敵軍に、真上から矢石を浴びせることができる。

 その塔の中でも、最も大きいのが城壁の中央付近にある主塔で、ここは兵舎も兼ねている。

 巨大な水龍が彫り込まれた水門も、この主塔の真下にある。


 次いで大きな塔が、東の端にある通称〈門塔〉(ゲートタワー)だ。

 先に説明したスロープの東側の終点が、この〈門塔〉へつながっている。


 この塔に設けられた門こそが、外界と人類世界をつなぐ出入り口だ。

 最も厳重に守られているのもこの塔で、魔法障壁が機能していれば、塔の各階に設けられた無数の矢狭間からスロープを登ってきた敵に一方的に矢の雨を降らせることができる。

 〈門塔〉の前は広場になっており、討伐に出かける軍勢はここで陣容を整えてから門をくぐるのだそうだ。


 この要塞は外側に向けては極めて厳重な守りが敷かれている一方で、内側に対しては全くと言っていいほど無防備だった。

 北側――つまり人類側に向けては、簡単な柵すら設けられていないのだ。


 竜騎士のための竜舎は要塞から少し離れたところに建てられているが、こちらの入り口も同様。

 もっとも、竜を盗みに入る物好きな盗賊はいないだろう。


 ついでに、どの塔の矢狭間も、内側に向けて空いているものはほとんどない。

 これは意図的なものに違いなかった。

 つまりここは、そういう性質の場所なのだろう。


 あちこち探検してみると意外なことが分かった。

 なんと、この要塞のあちこちでオークが使役されているのだ。


 *


 最初にオークを見かけたのは、〈門塔〉の内部を探検していた時だった。

 オーク達は、例によって部屋の真ん中に建てられたぶっとい柱と、そこから伸びる横棒に鎖で繋がれていた。

 これもきっと、オーク達が鞭でシバかれながらグルグル回す装置に違いなかった。


「ここは〈門塔〉の動力室です」


 と若い兵士が教えてくれた。

 念ためエベルトに探検の許可を申し出た際に、彼がこの兵士を案内係につけてくれたのだ。


「動力室、ですか」


「はい、そこの柱を回すと、鎖が巻上げられて正門の落し格子が持ち上がるわけです。同じ部屋が、反対側にもう一か所あります」


 この親切な青年は、何を聞いても丁寧に答えてくれる。

 なるほど、ここのオーク達はそのための動力源というわけか。


「しかし、こういう場所でオークを動力に使うのは危険じゃないですか?」


 戦闘中に勝手に門を開けられたら大変なことになりそうだ。

 俺の問いに、オークの番をしていた老兵士が笑って答えた。


「確かに連中も、戦場では勇猛でしたがね。ここにいる奴らはもうすっかり飼い慣らされとります。かわいいもんですよ」


 そういって彼は、部屋の隅の箱からリンゴを一つ取り出すと、オーク達に向かって放り投げた。

 リンゴは手前の方にいた二匹のオークのちょうど中間に転がった。

 すぐにオーク達がリンゴをめぐって取っ組み合いを始めた。


「おい、若いの。どっちに賭ける?」


 老兵士が、案内係の若い兵士に声をかけた。


「じゃあ、右側に」


 若い兵士は少し大柄なオークを指して答えた。

 勝負はすぐについた。

 若い兵士はちぇっと言いながら老兵士にコインを一枚放った。


「見ての通りでさぁ、勇者様。こいつらはただの獣です。

 それにこの部屋からじゃ、外の様子は見えも聞こえもしません。

 この間、奴らが攻めてきたときにだって何も起こりませんでした。大丈夫ですよ」


 老兵士がコインをポケットに納めながらいったところに、案内係が補足してくれた。


「普段は門の鎖はこの装置には繋がれていないので、仮にこいつらが勝手にこれを回してもどうにもなりません。

 緊急閉鎖時には、その鎖を切り離して落し格子を落下させることもできます。

 それでは、次は機械室の方をお見せしましょう」


 何やらうまいことできているらしい。


 同じようなオーク達が、水門の開閉や井戸水のくみ上げといったところで使われているようだった。

 うちの領地のオーク達と比べると大分待遇がよいらしく、なんと個室まで与えられていた。


 といっても、壁内に設えられた鉄格子付きの地下牢だ。

 室内は湿っぽく日も当たらない。

 それでも、20匹近くがまとめて雑魚寝しているうちのオーク小屋よりは落ち着けそうだった。


 これを参考にうちのオーク達の待遇も改善したほうがいいかもしれない。

 それに、ここにオークを連れ込むのが禁忌でないのなら、うちの領地からオークの太郎を呼び寄せることもできるんじゃなかろうか。


 この要塞だって、でかいだけでそれほど見るところがあるわけじゃない。

 太郎相手の語学レッスンならば大分暇が潰せるはずだ。


 そういえば、語学レッスンで一つ思い出したことがあった。

 学僧たちの間で、オークの言葉について研究をしている者がいないか聞こうと思っていたんだった。


 丁度いいことに、今ここには学僧の長であるウォリオンがいて、一日に一度儀式の様子を見て回る際に必ず顔を合わせるのだ。

 その時にでも、彼に尋ねてみることにしよう。


 *


「勇者様、その話をもう少し詳しく聞かせていただけませんか」


 ウォリオンがずいっと身を乗り出してきた。

 いつもは穏やかで知的な彼の瞳が、今は好奇心で爛爛と輝いている。


 ウォリオンがあまりにもグイグイと迫ってくるので、俺は思わず後ずさった。


 ここは大魔法陣の間。周囲では大勢の神官が儀式のためにひしめいている。

 折り悪く下がった先にはそんな神官たちが小さな円陣を作って祈りながら魔力を込めていた。


 後ろを確認せず下がった俺は当然のことながら蹴躓き、彼らを巻き込みながら盛大に転倒した。


「おぉ、これは申し訳ありません! 私としたことが。あまりに斬新な概念を耳にしたのでつい……」


 俺がひっくり返ったのを見て我を取り戻したらしいウォリオンが、謝罪しながら俺を引き起こしてくれた。


「すまなかったな、君たち。集中が途切れてしまっただろう、少し休んできなさい」


 ウォリオンに言われて、俺の転倒に巻き込まれた神官たちが、こちらに一礼して立ち去っていった。

 すぐ代わりの神官達がやってきてその穴を塞ぐ。


「いやはや、面目ありません。年甲斐もなく興奮してしまいましてな」


 学僧の長は照れ笑いをしながら、広さに余裕のある場所に移動する。

 ちょっと雑談のつもりで地動説の話を振ってみたら、ものすごい勢いで食いつかれた。


 本当はオークの言葉について聞きたかったのだ。

 だが、目の前のこの人物は仮にもオークを敵視する宗教の高官だ。


 彼らの聖典には「オークは馬鹿だから言葉をしゃべったりしない」と書いてあるらしい。

 いきなり「オークとおしゃべりしてみたいんだけど」 などと言ったらどんな反応をされるかわからない。


 予想以上の食いつきっぷりに焦りながら、身振りを交えてうろ覚えの地動説を説明する。


「なるほど、勇者様の世界では星々が大地の周りを巡るのではなく、大地が太陽の周りを回っているといわれているのですね」


「はい、そのように学校では教わりました」


「そのガッコウというのは……いや、それはまた後で。まずはその地動説を……」


 この男、学僧という俺達の世界でいうところの科学者みたいな連中の親玉だけあって、好奇心が非常に強いらしい。


「ちなみに、この世界ではやはり大地の周りを星が回っていると考えられているんですか?」


「えぇ、その通りです。聖典にもそのように書かれております」


 聖典、か。

 やっぱり、聖典に反する考えは受け入れがたいのだろうか。


「当たり前すぎて、今までは疑ってみたことすらありませんでしたが……大地の方が回っているなど、一体だれが思いつこうか……う~む……しかし、迷い星の運行を考えれば確かに……」


 ウォリオンはそのまま思考の海に沈んでしまった。

 放置された俺は、仕方がないので儀式の様子を眺める。


 大勢の神官達が、入れ替わり立ち代わり、魔力を込め、あるいは休憩室へ去っていく。

 退屈な光景だ。


 ウォリオンはまだ戻ってこない。


「おい! 紙を! 紙を寄こせ!」


 唐突にウォリオンが叫んだ。思考の海から戻ってきたらしい。

 傍らに控えていた、見習と思われる少年神官が、懐から羊皮紙とペンを取り出して恭しく差し出す。

 ウォリオンはそれをひったくると、少年が捧げたインク壷にペンを突っ込むのももどかし気に、何かを猛烈に書き始めた。


「これを天文の学房に届けるのだ。急ぎ検討するようにと伝えおけ」


「はい!」


 ウォリオンから手紙らしきものを受け取った少年は大急ぎで駆けていった。


「聖典に書いてあることは絶対ではないのですか?」


 俺はウォリオンにたずねた。


「聖典とは、神の教えをまとめたものです。

 神の教えは絶対ですが、聖典そのものは人の手で書かれたものにすぎません。

 間違った記述も多少は混ざりましょう。

 そういった間違いを正していくのも、我ら学僧の務めなのですよ」


 思っていたより、彼の聖典に対する考え方は柔軟なようだ。

 これなら、オークの言語について相談してみても大丈夫かもしれない。


「なるほど。ところで、学僧の方々でオークについて研究をしている人はいませんか?」


「オークについて?」


「はい、戦に勝つためには敵についてよく知っておく必要がありますので。

 オークについての研究は禁忌だったりしますか?」


「いえ、そのようなことは……しかし、何しろ奴らは穢れた生き物ですからな。

 進んで研究したがる者はあまりおりません。

 過去には奴らの身体について優れた研究を残した者がおりましたが……。

 オークどもの作る道具についてなら、研究している者が今でも何人かいます。

 特に、奴らの使う武器については国王陛下直々に研究の指示が出ておりますので。

 しかし、あの黒い粉の正体がさっぱりわかりませんでな。

 他にもいくつか、我らの鍛冶師には作ることができない部品がありまして……」


「言葉についてはどうでしょう?

 奴らの言語や文字を研究している人はいませんか?」



 先ほどまで穏やかな笑みを浮かべていたウォリオンから突然表情が消えた。

 戸惑う俺に向かって、彼は平板な声で言い切った。


「奴らに言語など存在しません。ですから、それについて研究する者もおりません」


次回は12/26を予定しています

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