第三十二話 再起動の儀式
いつの間にか、神官たちの列も随分短くなっていた。
だいぶ喋りすぎた気がする。
それも、メグなんかを相手にだ。
メグの俺への人物評が妙に当たっているのにも腹が立つ。
俺が、あの平和な世界で生きにくさを感じているのも確かなのだ。
仕事に就けず、居場所もないからというだけじゃない。
ありていに言ってしまえば、退屈だった。
元の世界では、何をしても楽しくないのだ。
語弊があるか。
うまいものを食えばうまいと思うし、面白いアニメを見れば面白いとは思う。
でも、退屈しのぎにはなるが、それだけなのだ。
昔はこうじゃなかった。
少なくとも、最初の冒険から帰る前は違った。
もっとささやかな、日常の細々としたことの中に、喜びや楽しみや悲しみといった様々な感情の浮き沈みがあった記憶がある。
今はもう違う。
このことをはっきりと自覚したのは、確か四つ目か五つ目の異世界から帰還した後だ。
多分、異世界で危険に身を晒し続けたおかげで、脳の中の色々なものが焼き切れてしまったんだと思う。
危険の中でだけ、生きているという実感を得られた。
危険であればあるほどよかった。
死にたいわけじゃない。俺は生きていたいのだ。
ただ、生きているという実感が、危険と隣り合わせでしか得られないというだけだ。
今では俺が生きていると感じられるのは、異世界にいるときだけだった。
異世界は良い。
俺が送り込まれる先は、どこだって危険と冒険に満ちている。
一見安全な場所ですらどこかしら滅びの気配が漂っていて、程よい緊張感を与えてくれる。
困ったことに、俺を異世界に送り込んでいる何者かは、俺にとって諸悪の根源であると同時に、唯一の救いにもなってしまっていた。
もちろんメグにこんな話をするつもりはない。
話せば、絶対に調子に乗るに違いないからだ。
俺はアイツとは違う。
少なくとも、俺は自分のために積極的に戦を起こそうなんて思っちゃいない。
俺はあくまで、勇者として戦う。
戦うことだけが生き甲斐のこんな身の上ではあっても、それでも俺は人で居たかった。
世界を、あるいは誰かを救うために戦う。
それが俺が人で居続けるための、最後の一線、決して欠かしてはいけない言い訳だった。
俺が道を踏み外せば、あの娘が悲しむような気がするのだ。
もちろん、そんなことがあるわけがない。
いくらあの娘だって、世界に隔てられてしまえば俺のことなんて知りようがないはずだ。
「ねぇ、勇者様。そろそろ私たちも行きましょう」
メグの言葉に顔を上げてみれば、ちょうど最後の神官が例の塔の中に吸い込まれていくところだった。
「……あぁ、そうだな」
俺たちは、神官たちの後について大魔法陣の間へと向かった。
*
大魔法陣の間は、〈竜の顎門〉の地下にある、野球場ほどの広大な空間だ。
その広大な空間も、数千人の神官達がひしめき合っていてはさすがにせまっ苦しく感じてしまう。
俺が召喚されたときには、その空間一杯に描かれた複雑な魔法陣から放たれた青白い光で満ちていた。
今はその光は失われ、代わって神官たちが持ち込んだランタンが点々と彼らの足元を照らしている。
「一体神官たちは何をしてるんでしょうね」
忙しく動き回っている神官たちを眺めながら、メグが退屈そうに言った。
自分で儀式を見たいといい出しておきながらこの態度である。
とはいえ、見ていて退屈なのは確かだった。
少なくとも儀式と聞いて想像していたものとは違っていた。
神を讃える歌を歌うでもなく、舞があるわけでもない。
もちろん生贄もない。
神官たちは、あちこちで小さな円陣を組んで跪き、床に手をついて何事かをぶつぶつ呟いているだけだ。
時折、何人かの神官がそれぞれの円陣から抜け出してどこかへ立ち去っていく。
そうすると、周囲を所在なさげにうろうろしていた他の神官がその隙間に入り込み、代わってまた何かぶつぶつ呟き始める。
立ち去っていく神官たちの多くが足元をふらつかせているところから察するに、どうやら彼らは魔法陣に向かって魔力を放出しているらしかった。
「勇者様、よければご説明差し上げましょうか?」
突然の声に振り向くと、そこには生真面目そうな顔をした壮年の神官が立っていた。
背後に若い神官二人ばかりを従えている。
どうやらそれなりの地位にある人物らしい。
「はい、お願いします。ですがその前にお名前を窺ってもよろしいでしょうか?」
「おぉ、申し遅れました。私は神殿にて学僧を束ねております、ウォリオンと申します。此度の儀式の責任者を務めてさせていただいております」
学僧というのは、神殿に所属して様々な研究を行っている神官たちのことだと聞いている。
俺の世界風に言えば、国立研究所の所長といったところだろうか?
「今回の儀式は、学僧の皆様方の長年の研究の賜物と聞き及んでいます。
そのような方に解説していただけるとは光栄です。
それで、今あの神官達は何をしているんでしょうか?」
学僧の長は、生真面目な顔で重々しく答えてくれた。
「魔法陣に魔力を流し込んでいます」
それは見ればわかる。
「え? それだけですか?」
半歩下がって控えていたメグが突っ込んだ。
思わず口をついて出てしまったのだろう。
主人を差し置いて会話に割り込むとは、従者としての自覚が足りないんじゃなかろうか。
でも気持ちはわかる。
「それだけです。お嬢さん」
メグの無礼極まりないであろうツッコミに、ウォリオンは穏やかに答えた。
彼はメグが何者か知らないのだろう。
知っていたら、モールスハルツの盟主代理をお嬢さん呼ばわりはすまい。
「ただそれだけのことのように思われるかもしれませんが、そのことを突き止めるために私どもは随分と時間をかけなくてはならなかったのですよ」
そういって彼はメグに向かってほほ笑んだ。
しかし、いたいけな少女に男装させて従者として連れまわす俺を、周囲はいったいどんな目で見ているんだろう?
「当初、私どもはこの魔法陣の機能についてまったく知識がありませんでした。
いまでも描かれた模様の大部分が何を意味しているのか分かっていません。
魔力をどこから注げばいいかすら、つい最近までわかっていなかったのですよ」
そういって、彼は自分の足元を示した。
「例えばこの模様も、この大魔法陣の実に二百四十三か所に繰り返し描かれておるのですが、それすら何の機能を担っているのか不明なままなのです。それでも、曲がりなりにもこうして儀式を行うことが可能になったのは、先代の学僧の長である聖マグオス――いえ、この名を呼ぶことは今や適切ではありませんな。彼の者が〈古の都〉よりもたらされた書物の部分的な解読に成功したためなのです。無論、その書物とて完全に解読できているわけではありません。彼のお方は図説のある個所について、自らの持つ魔法陣の知識と丁寧なすり合わせを行い地脈からの魔力をくみ出す方法の基本原理について推論を得ることに成功したのです。それによれば――」
ウォリオンは生真面目な表情をまったく崩さずにいたが、その口調には徐々に熱がこもり始めていた。
きっとこれは話し出すと止まらなくなるパターンだ。
「なるほど。ところで今行われている作業についてお聞きしてもよろしいでしょうか?」
俺は彼が息継ぎをした隙を見て強引に割り込んだ。
「おぉ、私としたことが。ご質問を窺いましょう」
「この巨大魔法陣は、地下の巨大な魔力を引き出して稼働していたと聞いています。
どうしてあんなに大勢の神官が魔力を注ぐ必要があるんでしょう?」
「よい質問ですな。まさに、そのことについてお話ししようとしていたのですよ」
彼は話の腰を折られたことに腹を立ててはいないようだった。
「時に、勇者様は〈聖ボーリガンの盃〉と呼ばれるものをご存知ですかな?」
「いいえ、この世界に来てまだ間がないもので」
「なるほど。そちらのお嬢さんはご存知ですね?」
彼の生真面目な顔が、心なしか少し緩んでいるような気がする。
孫娘を見るような目だ。
見た目に騙されてはいけないぞ、と俺は心の中で彼に警告する。
メグは一見すると、大人しそうな気立てのよいお嬢さんに見えるのだろうが、決して油断してはならない相手なのだ。
「はい。年初めには必ず使いますから」
メグの答えを聞いてウォリオンは満足げに頷いた。
俺の口にも出さなければ顔にも出さない警告に気付くわけもなく、彼は解説を続ける。
「かの盃は、十代前の学僧の長であった聖ボーリガンが、欲深者を戒め、教訓を与えるために発案したと伝えられております。どのようなものかは実物を見ていただくのが早いでしょう」
ウォリオンが振り向いて手招きすると、二人の神官が奇妙な盃と、水差しをもってこちらに寄ってきた。
説明のために事前に用意していたものらしい。
「これが〈聖ボーリガンの盃〉でございます。どうぞ手に取って良くご覧ください」
変な形の底の深い盃だ。
どういうわけか盃の真ん中からニョッキリと柱が突き出ていて、その天辺には精巧な竜の頭が彫り込まれている。
裏返してみると柱の裏側に穴が開いていて、どうやら柱の中に管が通っているようだ。
見たところ、魔力の流れは感じられない。
ただの変な形の盃だ。
コイツでどうやって欲深者を戒めるというんだろう。
「どうぞ勇者様。欲深な酒飲みになったつもりで、その盃にこれを注いでみてください」
こんどは水差しが差し出された。
こちらは何の変哲もない水差しだ。
特に仕掛けがあるようには見えない。
酒の匂いはまったくしない。ただの水のようだが、酒のつもりで注げということだろう。
おそるおそる盃に半分ほど水を注ぐ。
水が盃にたまっていく。
特に何かが起きるわけではない。
「あなたは欲深な酒飲みです。それでは満足できないでしょう?」
そういってウォリオンはさらに水をそそぐよう促した。
それをうけて俺がさらに水差しを傾けると、突然盃の裏側から水が流れ始めた。
水を入れすぎたのかと注ぐ手を止めても、水の流れは止まらない。
あっという間に盃は空っぽになってしまった。
「面白いでしょう?欲をかいて盃に酒を注ぎすぎると、かえって中身をすべて失ってしまうというわけです」
改めて確認すると、盃から突き出た柱の根本にも小さな穴が開いている。
なるほど、これはサイフォンの原理を応用した仕掛けだな。
そういえば、これと似たようなものを元の世界でも見たことがあった。
たしか、教訓茶碗とか十分杯とか呼ばれているやつだ。
「柱の根元の穴から柱の先端に向かって管が伸び、
そこで折り返して最後には盃の底の穴につながっている訳ですか」
「さすが勇者様は鋭い目をお持ちでいらっしゃる。
いかにもその通りです。
管の中が水で満たされると、水は自身の重さによって管を伝って押し出されてしまうのです」
なるほど、仕組みはわかった。
しかし、水自身の重みとな?
俺が学校で習ったときは、大気圧のせいだと聞いた気がする。
彼らの認識が違うのか、それともこの世界では違う仕組みなのか。
「これは水だけの性質ではございません。
鎖などによっても同じような現象が起きます。
鎖を高い台の上に置き、一方の端をさらに高く持ち上げます。
それから、鎖を高く持ち上げたまま、その端を引っ張って台より下に垂らしますと
台の上の鎖は持ちあげられた高さまで登った後に、先の端に従って下に落ちていきます。
これと同じことが、魔力でも起きるのです。
この場合、高さとは物理的な高さのことではなく、魔力圧のことを指すのですが」
メグはこの説明を聞いてもいまいちピンとこないようだ。
話を聞きながら盛んに首をひねっている。
俺もよくわからなかったが、まぁいいや。
言いたいことはなんとなくわかった。
俺の頭で難しいことを理解しようというのが間違いなのだ。
「つまり、今魔力を注いでいるのは、その管の中を魔力で満たすためなんですね?」
「さすが勇者様。ご理解が早くて助かります」
要するに、そそがれた魔力が一定の閾値を超えると、地脈の魔力が魔法陣に流れ込み始めるということらしい。
珍しく元世界の知識が役に立ったぞ。
「ところで、どれぐらいの魔力を込めればこの魔法陣は再稼働させられるんですか?」
「そうですね。思った以上に神官を集めることができましたから……」
そう言って、彼はしばし考え込んだ。
「……三か月もあれば、まぁ、雪解けまでにはどうにかなるでしょう」
青い顔をした一人の神官が、足をふらつかせながら立ち上がり、ヨロヨロと休憩所へと立ち去って行った。
空いた場所にはすぐに代わりの神官が入り込み、魔力を込め始める。
三か月か。
神官たちにとってはつらい冬になりそうだ。
次回は12/19を予定しています




