第三十一話 自由
伯都は歓喜に沸いていた。
辺境伯軍の凱旋式だ。
人間どもの軍勢を打ち破った兵士たちが、伯都の大通りを誇らしげに行進していく。
堂々たるその隊列の先頭を進むのは、世にも恐ろしい怪物の三つの生首。
そして、それを掲げる百人余のオーク銃兵。
北部の村々を脅かした邪悪なドラゴンの末路と、それをもたらした守備隊の勇士達だ。
泥だらけ、穴だらけ、ツギだらけの粗末な軍服が、かえって歴戦の兵ぶりを見るものに印象付ける。
もっともその実態は職業軍人と呼ぶには程遠い。
定期的な訓練と軍役への参加を条件に、免税特権と北部の荒野を与えられた食い詰め移民の群れが彼らの正体だ。
だが、兵士としての練度はともかく、自ら切り拓いた土地を守らんとするその士気が常に高いのは事実だった。
その後には、先の大会戦――無名の荒野で行われたあの戦いにはまだ名前がついていなかった――に参加した無数の兵士たちが続く。
パレードの中ほどには常備連隊が配されていた。
彼らは先を行くにわか兵士らと違い、一糸乱れぬ隊列で整然と進んでいく。
常備連隊は、辺境伯軍の中核をなす精鋭部隊だ。
大会戦に際しては、人間どもの白備えの騎馬隊の突撃を粉砕し辺境伯軍の勝利を決定的なものにしていた。
そんな精兵たちが、戦利品――討取った人間たちからはぎ取った兜の山――を満載した山車とともに姿を現すと、民衆はより一層の歓声を浴びせた。
だが、本当のクライマックスはそのすぐ後にあった。
山車のすぐ後に、辺境伯軍”総司令官”が乗る白い輿と、頑丈な檻の乗った荷車が続く。
檻の中には一匹の人間。
華麗な装飾が施されたその装備と、精兵たちに守られていたことから、高貴な身分であろうと推測されている。
常備連隊の中でも、さらに選り抜きの兵士たちに守られたこの捕虜こそが、このパレードの目玉だった。
オークの群衆が、”総司令官”と高貴な捕虜を、怒号と称賛が入り混じった、熱狂的な大歓声で迎えた。
その歓声は、遠く市壁の外、辺境伯軍臨時駐屯地まで響いていた。
〈黒犬〉はそこで、市壁の内側から響く歓声を歯噛みしながら聞いていた。
まったく、あの総司令官閣下は、あの時戦場にすらいなかったではないか。
大体、今度の戦役を勝利と呼ぶこと自体が片腹痛かった。
確かに会戦では敵を打ち破り、表向きは勝利したように見える。
だが、当初の戦略目標であった谷の突破を果たせなかったばかりか、竜による空襲で多くの村々が焼き払われた。
難民化して都市に流れ込んだ農民たちは、もはや元の農地に進んで戻りはしないだろう。
何しろ、空襲はこれまで比較的安全とされていた地域にも甚大な被害をもたらしていた。
あの恐怖は、容易にはぬぐえまい。
一部では戦火を怖れて、難を逃れた村までもが放棄されてしまっているのだ。
避難民の数からいえばそちらの方が多いかもしれない。
となると、それらの村々では焼き払われた秋の収穫はもとより、春の収穫もあてにできないことになる。
北方辺境伯領の来季の収穫は、大幅な減収は免れない。
食料不足による治安悪化を回避すべく、伯都では大規模な配給が行われている。
辺境伯軍の備蓄庫までも、そのために開放せざるを得ない状況だ。
当分は大規模な軍事行動は起こせないだろう。
しかし、かりそめの勝利とはいえ、何故その立役者たる〈黒犬〉がこんなところにいるのか。
それは、彼と、彼が率いる狼鷲兵が、他の辺境部族の傭兵隊ともども凱旋パレードへの参加を拒否されためだった。
いうまでもなく、例のドラ息子の手配りだった。
「蛮族どもを伯都の市壁の内に入れるわけにはいかない」というのが表向きの理由だ。
建前にするにしてもあまりにひどい理由だった。
実態はともかく、帝国法は全ての諸民族が皇帝の下に平等であると謳っている。
辺境伯が聞いたなら、いくら息子に甘いあの男でも総司令官の尻を蹴り飛ばしていただろう。
だが、その辺境伯はしばらく前から病に伏せっているという。
その病状はよほど悪いとの噂が、市壁の外にまで聞こえてくるほどだ。
いよいよ本格的に死期が迫っている、と囁くものもいる。
噂を聞いて、〈黒犬〉は暗鬱たる気持ちになった。
〈黒犬〉は、彼の部族の多くの子供たちがそうであるように、遠い祖先達の英雄譚を聞いて育った。
かつて、狼鷲にまたがった彼の祖先が中原諸国を荒らしまわっていた時代があったという。
中には、平野の諸国を切り取って、その支配者となった者もいたのだ。
〈黒犬〉がそんな時代の英雄たちに憧れたのは当然であったろう。
もっとも、現代ではそんなものは完全に夢物語だ。
彼らの部族が帝国に膝を屈してから既に数百年が経っている。
自らの王国を切り取るなんて夢はとうに忘れたが、それでも〈黒犬〉に芽生えた野心は消えなかった。
武勇をもって名を成したいという欲求が残った。
戦場で名を上げるというのは、ありえない話ではなかった。
彼の部族にはそうした男が少なからずいた。
彼の大叔父は、その最たる人物だ。
大叔父は、先の内乱で先代の皇帝陛下――当時はまだ第三皇子だった――に傭兵として従い、最後には皇帝陛下の股肱の臣に名を連ね、帝国伯爵にして「近衛狼鷲兵連隊」の連隊長という名誉ある地位に納まった。
辺境部族出身でありながら実力でその地位を切り拓いた、まさに生きた伝説ともいうべき人物だった。
〈黒犬〉は大叔父のようになりたかった。
だが、大叔父に憧れて仲間と故郷を飛び出した時には、戦乱の時代は既に終わりを告げつつあった。
彼は各地を転々としながら内乱の残党や匪賊の討伐に従事した。
当初は十名ほどの仲間と結成した彼の小さな群れも、狼鷲兵百五十騎を抱える一端の傭兵隊に成長した。
だが、彼が望むような大きな戦はもはや起こりようがなかった。
内乱の残滓も、ほぼ狩りつくされようとしていた。
匪賊共も、大規模な集団はもう存在しない。
帝国からは、彼のような傭兵の行き場は失われつつあった。
そんな彼が唯一の活路を見出したのが、この北方辺境伯領だ。
邪悪な〈毛無し猿〉どもが跋扈するこの未開拓の荒野で、ようやく彼は地歩を得ることができたのだった。
人間相手に数々の戦功を積み重ね、辺境伯とその幕僚らの信任も得た。
そして谷へ向けた大規模遠征の際には、辺境伯軍の事実上の指揮権を任されるまでに至った。
彼はこの北の地でその夢をかなえようとしていた。
だが、その地位ももはや風前の灯だ。
そもそも、これまでの厚遇ぶりが異常だったともいえる。
あのドラ息子は、現辺境伯のようには〈黒犬〉を重く用いないだろう。
〈黒犬〉はドラ息子に嫌われている。
あれは手柄を立てた配下を公正に扱うことができない。
器が小さすぎるのだ。
それでも困ったことに、あいつは高貴な血筋に連なっている。
だからと言って、この地を離れて行く当てもなかった。
東西の国境はおおむね安定しており、各地の治安も良好だ。
人間相手の小競り合いで武功を上げてはいるが、いまさら中央で役職を得るには物足りない。
大きな手柄となりえた先の大会戦の勝利は、中央ではあのドラ息子の功績ということになっている。
なにより彼の傭兵隊は去年に傭兵契約を更新したばかりだ。
辺境伯の容体がこれほど早く悪化するとは思っていなかったのだ。
期限内の契約破棄は、傭兵隊長としての信用を致命的に傷つける。
つまり、最低でもあと五年はあのドラ息子の下で働かねばならない。
何もかも放り捨てて、故郷に帰ってしまおうか。
幸い、小さな農場を買い取る程度の蓄えはある。
妻を娶り、のんびり畑を耕す暮らし。
暖炉の前で、子供や孫たちにかつての冒険を聞かせながら余生を送るのだ。
だがそれは無理だと、〈黒犬〉にはわかっていた。
彼は既に、生と死の狭間にある甘美な蜜の味を知ってしまっていた。
今更そのような暮らしに耐えられるわけがない。
現状は八方塞がりだった。
このままこの地で、ドラ息子に使いつぶされていく以外に道はないのだろうか?
〈黒犬〉が彼の将来について悲観的な考えを巡らせていると、辺境伯からの使者が来た。
辺境伯の側近の一人で、〈黒犬〉もよく見知った男だ。
『閣下が意識を取り戻した。貴殿を呼んでいるので急ぎ出頭するように』
彼はそう告げると、すぐに〈黒犬〉に背を向け、自分についてくるよう促した。
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小さな塔の前に、神官たちが長蛇の列をなしていた。
〈竜の顎門〉の西の隅っこにある、さほど高くもない見張り塔の一つだ。
高さは七メートルほどだろうか。
直径だって恐らく六メートルもないだろう。
その中に、大勢の神官たちがゆっくりと呑み込まれていく。
「すごいですねぇ。登ってった人たちはどこに消えたんですか?」
その様子を見てメグは目を丸くした。
既に千人以上が塔の階段を上がっていったはずだが、誰も塔からは出てこない。
それどころか、なおもこの小さな塔が神官たちを呑み込みつづけているのだ。
「大魔法陣の間は地下にあるが、そこへの入り口はあの塔の頂上にあるんだ」
あの塔の最上階には、奇妙な彫像がある。
それを持ち上げると隠し階段が現れるのだと、俺はメグに教えてやった。
俺がこの世界で最初に見たのがその階段を降りた先にある大魔法陣の間だ。
俺はそこで召喚されたのだ。
「なるほど。地下への入り口をあえて高いところに隠してるんですね」
メグは感心したように塔を見上げた。
先日俺のところに来た竜騎士は、やはり陛下からの使者だった。
オーク軍の砲撃で粉砕された〈竜の〉の魔法障壁を再起動させる準備が整ったから、王国の軍事責任者として儀式を監督してこい、という命令だった。
そうして俺はここにいる。
ではなぜメグまでいるのか。
俺と一緒に使者からの伝言を聞いたアイツが、私も儀式を見たいと駄々をこねたからだ。
最初は断った。
面倒だからだ。
*
「儀式に呼ばれたのは俺だけだ。俺一人で行くよ」
そう言った俺に、彼女は自分を従者として連れていくよう主張した。
「大体、王国元帥ともあろうお方が従者もつれずにうろつくなんてよくないですよ!」
「そうなのか?リーゲル殿もよく一人で出歩いてるぞ」
竜飼いを連れて飛ぶこともあるが、竜飼いはあくまで竜飼いだ。従者ではない。
竜から離れるわけにはいかないのだ。
「竜騎士は特殊なんです。平民出身が多いですし、そもそも竜で移動しますからね。でも、普通は従者の一人も連れ歩くものなんですよ」
「俺だって竜で移動するんだから、従者なしでもいいじゃないか」
「ダメです! 王国元帥ですよ! 国王の代理人ですよ!
今回は、前みたいにちょっと紛争に顔を突っ込みに行くのとは違うんです!」
「だからって馬で行くなんて面倒だろ」
「そこで私です! 竜にだって乗れますし、
姫殿下に仕えていましたから騎士の従者としての作法もばっちりです。
〈竜の〉には竜飼いが常駐していますから、今回は連れていく必要はありません。
代わりに私を従者として乗せていきましょう!」
彼女は胸を張っていった。
立派なそれを見て、俺の心が少しだけ揺らぐ。
「……今のお前は大領主だ。いまさら従者って身分でもないだろう」
「そんなことはないですよ。偉い人の従者には、それなりの家柄の人物がつくものです。
お父様だって先王陛下のお酌係をしたって自慢してたぐらいですし」
それからメグは拗ねたり泣いたり笑ったり手足をバタバタさせたり、散々に俺の前でごねまわった。
とうとう最後には俺も根負けし、彼女を従者として竜の後ろに乗せることに同意させられたのだった。
あくまで渋々と、だ。
何かの誘惑に負けたわけではない。
*
「……ホント、お前は自由でいいよなぁ」
神官たちの行列を眺めながら、ふとそんな言葉が口をついて出た。
「私がですか?」
メグがきょとんした顔でこちらを見る。
「あぁ、そうだ」
「……よくわかりません。女って結構不便ですよ?
私には勇者様の方がよっぽど自由だと思えますけど」
「俺が自由に見えるのは、この世界に何も持っていないからだ。
時間がたてば義理やしがらみも増えて、だんだんと身動きが取りづらくなっていく」
そういえば、スレットともこんな話をしたな。
「だったら私も同じですよ。
しきたりやら因習やら法やら、煩わしいことばっかりです。
女ってだけで、ちょっと軍勢集めるだけでも一苦労ですからね」
メグは拗ねたように口をとがらせる。
つまり、こういうところなのだ。
「お前は常識やしきたりを煩わしいと思うことはあっても、それに縛られたりはしないだろう。
どうにかしてそれを出し抜こうとする。場合によっては公然と無視しかねない」
「人を性格破綻者みたいに言わないでくださいよ」
メグはむくれた。
そう、ある種の性格破綻者ではある。だが――
「そういうのを自由っていうんだ。
決まり事を前に諦めない奴は、たまたま決まり事の緩いところにいるだけの奴より、本質的には自由だと俺は思うよ」
人間は飛べない。
重力に引かれる以上、当たり前の話だ。
人には変えようのない決まり事だ。
だが、それでも諦めなかった奴らだけが――魔法にせよ、機械にせよ――空を飛ぶ方法を生み出せるのだ。
「そういうのは、気の持ちよう一つだと思いますけどね。
実際に鎖で縛られているわけでもなし。
これを自由だというなら、勇者様だって自由に生きればいいじゃないですか。
明日といわず、今すぐにだって自由になれますよ」
「ごもっとも。だけど俺には無理だな」
まったくもって正論だ。
だが、そうはいかないから俺やスレットのような常識人は困っているのだ。
大体、誰も彼もが自由に生きたら世の中は大変なことになる。
「てっきり勇者様は、私と同じ種類の人間だとばかり思ってましたが」
「どういう意味だ」
「どういう意味でしょうね?」
メグはかわいらしく首をかしげて見せた。
俺はため息をつく。
「…………」
「…………」
神官の列はまだまだ続いている。
何しろ、あの塔の階段は狭い。
「そういえば、勇者様はこことは違う世界から来られたんですよね?」
「あぁ、そうだ」
「どんな世界なんですか?」
「ここよりもずっと文明が発達していて、快適さは比較にならないよ。
つまみ一つひねるだけで、いくらでもきれいで安全な水が飲めるし、
部屋の温度だって指先一つで温かくも涼しくもできる」
「ずいぶんいいところから来たんですね」
メグがひどく羨ましそうな顔をした。
「あぁ、その上平和だ」
まあ、少なくとも俺の生まれた国は。
「やっぱり私は、自分が生まれた世界が一番ですね」
だが、平和と聞いてメグは興味をなくしたらしい。
「勇者様は、早く帰りたいんじゃないんですか?」
もちろん、と即答しようとして俺は一瞬だけ言葉に詰まった。
「……あぁ、そうだな」
「妙な間がありましたね。やっぱり、平和じゃ物足りませんか」
メグが嬉しそうに言う。
「人を戦争中毒者みたいに言うな」
「違うんですか?」
「違う」
「だったら、他にここにいたがる理由なんてないじゃないですか
勇者様はここよりもずっと快適な世界で、英雄暮らしなわけですよね?」
「元の世界じゃ、別に英雄扱いされてはいない」
「え?沢山の世界を救ってるのにですか?」
どうやら、メグは俺の下の世界での立場を完全に誤解しているようだった。
「元の世界では、俺が異世界を救ってきたなんて言っても誰も信じちゃくれないよ。
証拠もなければ、目撃者だっていないんだから。
この世界でだって、失踪していた奴がある日突然戻ってきて、『俺は異世界帰りだ!』なんて言い出したら狂人扱いが関の山だろ」
「……じゃあ、どうやって暮らしてるんです?」
「仕事もせずに、親のすねをかじりながらブラブラしてる」
「え~……」
「好きで無職でいるわけじゃないぞ。
ちょくちょく異世界に呼び出されるせいで、まともな仕事に就けないだけだ」
誰が好き好んで中卒の失踪癖持ちなんか雇いたがるものか。
正直、俺にとって元の世界は、快適ではあっても居心地のいいところじゃない。
異世界じゃ竜だって飛ばせる。
古代の重武装ゴーレムも操縦できた。
伝説の武具だって自由に使えた。
だけど、元の世界に戻ってしまえば、駐車場の管理の仕事すら任せてもらえない。
靴磨きの子供がいたっていい。
できるならば異世界にとどまりたい。
それが俺の本音だ。
だけど、ダメなのだ。
世界を救い終われば俺は強制送還だ。
救わなければ、多分そのままデッドエンドだ。
心中してもいいと思えるほどの世界もないではなかったが、そういう世界こそ救いたいと思うのが人情だ。
幸いにも、今のところ世界を救い損ねたことはない。
大体、救い終わった世界に居残ったところで――
「勇者様ほどの武技の持ち主でもですか」
メグの質問で、おかしな方向に行きかけていた思考が中断した。
「平和な世界だからな。人殺しがうまくても就職の役には立たない。
まったく必要とされていないわけじゃないけど
そういうところじゃ、失踪癖の持ち主はお呼びじゃないんだ」
暴力を必要としている真っ当な組織は、どこも規則にうるさい。
治安を守るのが仕事なんだから当然だ。
かといって、真っ当じゃない暴力組織に所属する気は毛頭ない。
「……勇者様も大変なんですね」
メグは同情するような調子で言った。
分かってくれたらしい。
「こればっかりは、気の持ちようじゃどうにもならない」
俺は天を仰いだ。
次回は12/12を予定しています。
誤字報告を受け付けるよう設定を変更しました。
お気づきの際はご指摘よろしくお願いします。




