第二十九話 ファーストコンタクト
俺はギルスを連れて、領主の館まで歩いて戻った。
少し離れたところを、竜飼いがヴェラルゴンを曳いてついてくる。
近づきすぎると、ヴェラルゴンがギルスに噛みつこうとするのだ。
ギルスには素質がなく、ヴェラルゴンには乗せられそうになかった。そうでなくとも三人乗りはあまりやりたくない。
いったん竜で館に戻って、それから馬を連れてギルスを迎えに戻ることも考えたが、それはもっと不安だった。
待たせている間に、あの堂主に口封じされかねない。
歩きながらギルスにいろいろ訊ねた。
「これから当分の間、君は私が預かります。いいですか?」
「……はい」
少年はすっかり打ちひしがれていた。
そりゃそうだろう。
「とりあえず、新しい名前を考えなきゃいけないですね。希望はありますか?」
「……いえ、特には」
「じゃあ、ジョージで」
「……はい」
彼はずっとこんな感じだ。
まぁ、仕方あるまい。
「引きこもっていてくれても構いませんが、それもつまらないでしょう。
君にも何か役割を振ろうと考えています。
希望はありますか?」
「……いえ、特に」
「読み書きや計算は?」
「神殿で一通りの教育は受けています」
「なるほど。神殿では他に何を習いましたか?」
「神の教えについて。それから、祝福や祈祷も一通り。戦儀も一応修めていますが、魔法陣は描けません」
戦儀というのは、〈加護の魔法〉と呼ばれている、あの〈光の盾〉を生じさせる儀式のことらしい。
地面に描いた魔法陣に魔力を送ることにより、対になる護符が貼られた盾に〈光の盾〉と同様の効果を発生させると聞いている。
戦儀とやらは俺の役には立たないし、領内の神官は〈丘の聖堂〉で足りている。
さて、こいつをどう活用したものか。
「元々は、どのような仕事に就く予定だったんですか?」
俺の質問に、ギルス改めジョージ君はものすごく悲しそうな顔をした。
しまった。彼の将来はついこの間無茶苦茶になったばかりだったのだ。無神経なことを聞いてしまった。
だが、彼は俺の質問に答えてくれた。
「……正神官に叙任された後は、どこか遠方の聖堂に派遣されて実務経験を積むことになっていました。
それから、王都の大神殿でもう一度修業して位階を上げた後、ケレルガースの城付き神官として領地に戻り、父上か兄上に仕えるはずだったのです」
聞けば、領主の次男坊や三男坊には珍しくないコースであるらしい。
「私のように貴族の子弟で魔力持ちであれば神殿騎士になることもできましたが、そうなれば家とは縁を切らねばなりません。
中には、神殿での出世を目指す方もいましたが、その道は私には向きそうにありませんでした。
学僧として真理を追及する道もありました。興味はありましたが、兄たちは私が領地に戻ることを望んでいましたので」
あのネズミの堂主なんかは出世コースを目指したわけだな。
大神官長まで上り詰めれば、そこらの大領主よりよっぽど中央への影響力は強いだろう。
たしかにこの少年は、そういう世界には向いてなさそうだ。
学僧はこの世界の科学者みたいなものだろうか?
そういや、俺に歴史を教えに来てくれた神官も学僧を名乗っていたっけ。
「その学僧っていうのは、どんなことをしてるんですか?」
「聖典の解釈や戦儀について研究している方が多いようでした。
中には、神がこの世に定めたもうた法則を解き明かさんとしておられる方々もいました」
メインになる分野は聖典と魔法の使い方か。
多分、その二つが神殿の権力の源泉なのだろう。
〈加護の魔法〉を使う戦儀神官達は、オーク討伐や、各種反乱の制圧時に限って神殿から領主たちの下に派遣されるものだと聞いている。
「学僧の中に、オークについて研究している方はいませんでしたか?」
「オーク……?あの穢れた連中をですか?」
「はい」
この世界の魔法体系にも興味はあるが、俺が一番知りたいのはこれだった。
「分かりません。私も、学塔についてはあまり詳しくないので。
学僧の方々は浮世離れしている方が多かったので、あるいはそういう方もおられたかもしれません」
「……そうですか」
学者に対する世間の評価というのはどこの世界でもあまり変わらないな。
「申し訳ありません」
ジョージはそういってまた俯いてしまった。
おっと、話がずいぶんそれてしまったな。
今考えるべきは、ジョージにどんな仕事を与えるかだったか。
残念ながら、神官絡みで彼に頼める仕事はなさそうだ。
まぁいいか。
トーソンに任せれば何とかしてくれるだろう。
*
「勇者様、そちらのお方は?」
トーソンは俺が連れ帰った痣だらけの少年を見て、訝しげな顔をした。
「ジョージ君です。訳あって、ケレルガースから連れ帰ってきました」
「……なるほど」
トーソンの目が少しだけ鋭くなった気がした。
面倒ごとの気配をかぎ取ったのかもしれない。
服装こそ小汚いものの、ジョージ君からは貴族らしい育ちの良さが隠しようもなく漂っている。
そんな奴を紛争地帯から連れ帰ってくれば、普通はそう考えるか。
「それで、ジョージ殿はどのような待遇でお迎えすればよろしいのでしょうか?」
「彼にはもう帰る場所はありません。何か仕事を与えてやってください」
「……仕事、ですか」
トーソンは思案顔でジョージを見た。
「勇者様の従者……というわけにはいかないんでしょうな」
「はい、それは無理です」
身の回りの世話をさせるのは構わないが、竜に乗れない奴はどこへでも連れていくというわけにはいかない。
それに、俺の立場ではどんな人物の訪問を受けるかわからない。
従者として俺のすぐ側をうろうろさせるのはリスクが大きい。
要人の中にはケレルガースの先代盟主の息子の顔を知っている者もいるだろうからな。
神殿関係者だって油断がならない。
あるいはトーソンも彼の正体に気づいているのかもしれない。
「読み書きと計算はできるか?」
トーソンがジョージにたずねた。
「……はい」
ジョージが頷く。
「では、当面は私の助手として働いてもらいます。
今後のことはその働き具合を見て決める、ということでいかがでしょうか」
異議はない。
「それでよろしくお願いします」
さて、これで国王陛下からの依頼は片付いた。
俺は王都へは戻らず、しばらく自分の領地でのんびりすることにした。
王都にいたんじゃ、また王様に呼びつけられて面倒ごとを押し付けられそうだ。
ここにいればそう気軽には呼び出されはしまい。
ここに伝言を送るには、少なくとも竜騎士を一人飛ばさなきゃならないからな。
それに前々からやってみたいことがあったのだ。
*
帰還した翌日、俺は馬に乗って一人で粉挽小屋へと向かった。
竜で飛ぶような距離でもないし、オークたちに無暗に怯えられても困る。
いつか迎えるであろう講和の機会に備え、オークとコミュニケーションをとってみようと考えたのだ。
「ルマはいますか?」
小屋の扉を開けると、粉挽小屋の管理人であるルマがオーク達の鎖を真ん中の柱から外しているところだった。
どうやら、丁度休憩に入るところだったらしい。
いいタイミングだ。
「へい、元帥閣下。何か御用で」
ルマはいぶかしげな視線を俺に向けた。
「しばらくの間、オークを一匹貸してください」
「へぇ、そりゃこのオークは元帥閣下の持ち物ですから……」
厳密には、国王陛下の持ち物を俺に預けているという形式のはずだが、こいつにとってはあまり関係のない話なんだろう。
「しかし、何のためでごぜえましょう?」
説明したほうがいいだろうか?
いや、コイツが知る必要はないな。
オークとおしゃべりしたいからだなんていったら、また変人扱いされてしまう。
「暇つぶしに、芸でも仕込もうと思って」
代わりに適当な理由をでっち上げた。
ルマは呆れた顔をしながらも、一番小柄な、やせ細ったオークを俺の前に連れてきた。
コイツが一番力が弱く、仕事への影響が少ないからだろう。
その時、オーク達が突然ブウブウと声を上げ始めた。
どうやら、抗議しているらしい。
仲間がひどい目にあわせられるとでも思ったのだろう。
ルマが鞭で床を数発、派手な音を立てて叩いて見せると、抗議の声はすぐに弱々しくなり、やがてやんだ。
そういえば、前回倒れ込んでいたオークが見当たらない。
別にオークの見分けがつくわけじゃないので確信は持てないが、頭数自体が前回より二匹ばかり少ない気がする。
「この間のオークはどうなりました?
前に見に来た時に、倒れていた奴は」
「へぇ、あの後すぐに死にました」
ルマは答えながら縮こまってしまった。
多分、叱られるとでも思ったんだろう。
「残念です。ですが、仕方がないですよ」
あれは明らかに死にかけてたからな。
「ですが、今後はなるべくオークを減らさぬよう気を付けてください」
ほっとした様子のルマに、念のため釘を刺しておく。
「へぇ、わかりやした。それで、こいつで構わないでしょうか?」
ルマはそういって、先ほどのオークの背を押す。
そうだった。俺はオークを借りに来ていたんだった。
「あぁ、ありがとう」
「待ってください、首輪をつけますんで」
ルマは壁に掛けてあった鎖付きの首輪をそのオークに取り付けて、それからカギを俺に渡してくれた。
「くれぐれも逃がさんようにお願いしますよ、閣下」
「分かりました。気を付けます。ところで、少し屋根のある場所を借りたいんですが」
「……ワシが寝起きしている小屋でよければ」
しぶしぶといった調子で、彼は自分の家を使うよう申し出てくれた。
「いえ、倉庫のようなところで十分です」
俺がその申し出を断ると、彼は明らかにほっとしたようだった。
自分の寝床にオークを連れ込まれるのは嫌だったんだろう。そりゃそうだ。
俺だって、彼の寝床に案内されても微妙に気まずい。
「倉庫でよければ好きに使ってくだせぇ。
右隣が麦の倉庫。左隣がこいつらの餌置き場になります。
さらにその隣は家畜小屋です。
くせえから、そこは使わん方がよろしいでしょう」
*
ひとまず、俺はオークを連れて小麦倉庫に入った。
左手に挽く前の麦。右手には挽いた後の麦が積まれているようだ。
倉庫の中の空気は粉っぽく、少し歩いただけで薄っすらと足跡が残った。
餌置き場を使った方がよかっただろうか?
でも、先ほど見た限りでは、オーク達は明らかに腹を空かせていた。
恐らく、最低限の餌しか与えられていないのだろう。
餌に囲まれてこいつの集中力が途切れても困る。
改めて連れてきたオークに目をやると、その眼には明らかに恐怖の色が浮かんでいた。
うん、いきなり剣を持っている奴に連れ出されればそりゃ怖かろう。
まずはコイツの恐怖心を解くところからだな。
最初はニッコリとした笑顔を……見せたりすると失敗することがある。
それがうまくいくのは、同じ人間か、人間にごく近い種族だけだ。
コレぐらい外見が離れていると、笑顔を見せるのは逆効果になることがある。
種族によっては、人間の笑顔は牙をむいて威嚇しているように見えるらしいのだ。
表情から何かを読み取ったり、伝えたりするのは、お互いのことをよく知った後にした方がいい。
俺は無表情のままオークの首輪を外した。
それから、あらかじめ用意しておいたリンゴを差し出す。
オークはリンゴを受け取ろうとはしなかった。
だが想定の範囲内だ。
ナイフを取り出し、リンゴを半分に割る。
オークはナイフを見て少し後じさった。
だが、俺はリンゴの半分をかじって見せ、残りの半分をもう一度オークに向かって差し出した。
それでようやくオークは、恐る恐るリンゴに手を伸ばしてきた。
リンゴを手にしたオークは、もう一度窺うようにこちらをじっと見つめる。
俺はオークの持つリンゴを指さし、続けてそいつの口を指さす。
それから、自分の分のリンゴをもう一度ゆっくりかじって見せた。
それで通じたらしかった。
オークは一口目を恐る恐るかじり、それからむしゃむしゃと残りにかじりついた。
ファーストコンタクトはこれで良し。
じゃあ、まずは挨拶をしてみよう。
「こんにちは。私の言葉はわかりますか?」
次回は11/28を予定しています




