第二十八話 堂主と少年
〈カダーンの丘〉に戻った俺は、早速〈丘の聖堂〉へと出向いた。
威圧を与えないよう、聖堂から十分に離れた位置でヴェラルゴンから降り、よくよく宥めたうえで待たせておく。
竜飼いはヴェラルゴンと二人っきりで待たされるのを嫌がった。
だが、以前のように無意味に吼えさせて、あのかわいそうな堂主を怯えさせるわけにはいかないからな。
一昨日の火柱祭り以来、こいつもいくらか機嫌を戻しているし、たぶん大丈夫だろう。
〈丘の聖堂〉の堂主は、小悪党めいたネズミ顔の男だ。
だが、初対面の印象こそよくなかったものの、事情が分かってみればそう悪い人間とも思えなかった。
リカードによれば、あの堂主はスレットの上の弟の叔父にあたるのだという。
彼も、ケレルガースの三勢力の中で最も劣勢だった甥っ子を助けようと必死だったのだろう。
それで、あんなあからさまに偏向した情報を俺に吹き込んで、あの内戦に介入させようとしたのだ。
よくよく考えてみれば、彼が本当に策謀家ならあんな下手糞なやり口をするはずがない。
たぶん、根は嘘のつけない正直な人間なんだろう。
その善良さで聖地を守る堂主に任じられたに違いない。
そういえば、俺にいろいろ吹き込む際には、農民たちの被害について盛んに嘆いていた気がする。
あれもきっと多分に本音が含まれていたのだ。
何しろスレットは戦士としては優秀だったらしいからな。
有能な分だけ、戦に関しては容赦もない。
勝利のためには放火や略奪ぐらいは何のためらいもなく実行したことだろう。
それも、いたって効率的に。
実際ケレルガースへの行き帰りには、焼き尽くされた村落の残骸がいくつも残っているのを目にした。
彼の嘆きには幾ばかの真実も含まれていたわけだ。
そうと分かれば、あの御仁に会うのもそう苦痛なことではない。
もちろん、そう簡単にギルス君を匿っているとは認めないだろう。
大事な甥っ子を何が何でも隠し通そうとするはずだ。
だが、こちらが誠意をもって接すれば、伝言ぐらいは頼めると思う。
なにしろ伝言の内容そのものは、彼らにとってむしろ良い知らせなのだ。
もちろん、その伝言を受け取って彼がどうするかはまた別な問題だ。
今回のことはリカードの一存にすぎない。
もしかしたら、ギルスが死を覚悟でケレルガースへ戻ることもあるだろう。
それはそれで構わない。
だが、もし過去を捨ててこの領地にとどまりたいというのであれば、見て見ぬふりをするのも吝かではない。
たとえスレットから問い合わせがあったとしても、俺は「知らない」と返答するつもりだ。
一応、リカードにもそう約束しているからな。
*
恐らく、竜が飛んでくるのをまだ遠いうちから見つけていたのだろう。
俺が聖堂の前で名乗りを上げると、堂主はすぐに出てきた。
堂主の手には鎖が握られており、その先には痣だらけの少年がグルグル巻きにされていた。
スレットによく似た少年だった。
アイツの目から戦士特有の鋭さを除くと、こんな顔になるんだろう。
堂主は俺の顔を見るなりひれ伏しながら早口でまくし立てた。
「おぉ! 神より遣わされし慈悲深き我らが勇者様! まずは私に叛意など毛頭ないということをご承知おきください! 反逆者を匿う意図などなかったのです! ただ、この小汚い鼠めが我が聖堂に忍び込んだことに気づいていなかっただけなのでございます! その証拠に、反逆者をこうして手ずから捕らえてまいりました!」
いきなり何を言い出すんだ。
「叔父上! これは一体どういうことですか! 先日は私を匿ってくださると……!」
「黙れ反逆者め! 神の意に背いておきながら聖堂に逃げ込むなど、まったく厚かましい!
貴様のような薄汚い小鼠は木の洞の中で震えておればよかったのだ!」
思ってたのと違う。
なんかこう、怯える彼らにリカードの言葉を伝えて、それから「私も何も知りませんよ」的なことを言って、彼らの感謝の言葉を背に受けながらクールに立ち去る。
そんな感じを想定していたのだ。
俺が戸惑っている間に堂主はギルス少年の背をゲシと蹴った。
蹴り飛ばされた少年が俺の足元に倒れ込む。
彼は縛られたままモゾモゾと起き上がると、背筋をまっすぐに伸ばして正座し、俺を見上げた。
その眼は、既に覚悟を決めているようだった。
困った。
「勇者様! この者は私がこの手で始末させていただきます!」
俺の困惑をよそに、堂主がどこからともなく取り出した手斧を振り上げた。
少年は堂主をキッとにらんだが、抵抗するそぶりは見せなかった。
「待て待て待て!」
俺は慌てて堂主を制した。
「俺は彼を捕まえに来たわけじゃないんですよ」
「……え?」
「リカード殿は、『ギルスが領地に戻らぬ限り、そして過去を捨てて隠棲する限り目をつむる』と、密かに俺に伝えてきました。
今日はそれを伝えに来ただけだったんです」
「…………」
二人はポカンとした顔で見つめ合った。
さぞ気まずかろう。
「ところで、この少年は何者ですか? ケレルガースの謀反人なんて、ここにはいないはずですが」
そこでハッと気づいたらしい堂主が、冷や汗を垂らしながら目を泳がせる。
「そ、そうでした、そうでした! これは我が聖堂に勤める小間使いでしてな! 手癖が悪く、たびたび倉庫の食料に手を付けておりまして、こうして折檻しているところだったのです! いや、勇者様も間の悪いところにお出でになられましたな! 見苦しいものをお見せしました。いや、まったくお恥ずかしい! こら! 反省せぬか! この食い意地ばかりはった大鼠め!」
そういって、堂主は少年を蹴り始めた。
盟主の座を争った謀反人から、手癖の悪い腹ペコ小僧に格下げされてしまった少年は、堂主を憎々しげに睨み上げながら叫んだ。
「叔父上! 私を勝手に謀反の旗頭に祭り上げておいて、いまさら何をおっしゃるのですか!」
「な、な……なにをいうか!
でたらめばかり吹きおって!
勇者様! 私は何も知りませんぞ!
この者は妄想を現実と信じ込む悪癖がありましてな……」
少年が俺に向かって首を突き出しながら叫んだ。
「勇者様! もう覚悟はできております!
この場で私をお斬捨てください!
そして私の首を兄上の下に送ってください!
私が生死不明のままでは、兄上にご迷惑をかけましょう!」
勘弁してくれ。何で俺がそんなに後味の悪い役をしなきゃならないんだ。
「二人とも落ち着いてください。どうでしょう、俺がこの少年を引き取るというのは」
どのみち、彼はもうここにはいられまい。
仕方がないから、トーソンにでも預けてうちの領地で働かせておこう。
神官として教育を受けていたそうだから、読み書きもきちんとできるはずだ。
トーソンも使える人材が増えれば喜ぶに違いない。
だが、俺の提案にネズミの堂主は難色を示した。
「お、おぉ……なんと慈悲深きお言葉……。
しかし勇者様。この者は大変手癖が悪く、勇者様の下で働かせるにはふさわしくありません」
「構いませんよ。トーソンが鍛えなおしてくれます」
そもそも、手癖が悪いという話自体が、この場を取り繕うための嘘じゃないか。
「そ、それにですね……そうです!
この者には虚言癖があると先ほどお伝えしたでしょう。
えぇ、それはもう息を吸うように嘘ばかり言うのです!
こいつのいうことは嘘ばかりです!
まったく信用がなりませんぞ」
堂主がまた冷や汗をかいている。
あぁ、そうか。この御仁は、この少年が生きたまま俺の手に渡るのを怖れているのだ。
なにしろ、先ほどの発言からみるに、この堂主はケレルガースの内乱を煽った黒幕の一人であるらしい。
恐らく、自分の縁者を盟主に据えることで、俗界への影響力の拡大を目論んだのだろう。
この少年の証言でそれが明るみに出れば、彼は直接の危害はないにせよ面白くない立場に立たされるというわけだ。
俺が少年の身柄を抑えている限り、堂主にとっては俺に首根っこを押さえられ続ける形になる。
「見たところ、優秀そうな少年じゃないですか。
ぜひ引き取らせていただきたいですね」
「この者は、神殿の財物を盗んだ極悪人です。この罪を犯したる者は死罪と決まっております」
「なおさらここに残していくわけにはいきませんね。
みすみす死なせるぐらいなら、ぜひとも我が領地の発展に役立てたい」
俺は〈光の槍〉を出現させて少年を縛っていた鎖をなでた後、穂先を堂主に突きつけた。
堂主は、たったそれだけでバラバラになった鎖を見て青ざめたが、それでもなお口を開いた。
「勇者様。先日、御邸宅で奇妙な儀式を催されたとの噂を耳にしておりますぞ。
その上、我が聖堂の罪人まで掠め取ったとあらば、
神への冒涜と異教の崇拝、
さらに神殿への不敬の咎をもって破門ということもあり得ましょう」
おっと、ガクガクと震えながらよく言ったものだ。
その勇気は称賛に値する。
やはり、まったくの小物というわけではないらしい。
「構いませんよ。
ただし、その場合は私も王都へと出向き、国王陛下と大神官長を前に申し開きをすることになります。
その場合、この少年のことも含めて洗いざらい神の御前で告白することになるでしょうね」
異教の儀式といったって、実際はただのゴミ焼きだ。
仮に破門を回避できなかったとしても、正直なところ俺はあまり痛くない。
神殿は大きな支持基盤に違いないが、竜騎士団を始めとして俺の味方は他にもいる。
神殿騎士団も目下再編中で、元々戦力には数えていない。
それにしても、神の御使いが破門されるというのは面白いな。
それに引き換え彼はどうか。
今回の不祥事は、彼が神殿内に抱えている政敵に攻撃の材料を与えるのではないか?
堂主の顔が悔しげに歪んだのを見て、俺はその推測が当たっていたことを確信する。
「……勇者様。一つだけお聞きしたいことがございます」
「なんですか?」
「ケレルガースの謀反人なんぞ抱え込んで、一体どうするおつもりですか」
「特になにも。ちょっと領地の経営を手伝ってもらうだけですよ」
一応、スレットは同じ戦を生き延びた戦友だからな。
無暗に彼の人生をかき回すつもりはない。
ギルス君の存在を匂わせて、オークとの戦いの時に協力してもらえたら嬉しいなぁ、という下心が一欠けらもないとは言わないが。
まぁ、最終的にはギルス君の意志を尊重するつもりだ。
彼がどうしても故郷へ帰りたいと言うなら、その時はこっそりとリカードのところへでも送ってやろう。
次回は11/21を予定しています




