第二十七話 昔話
スレットを追いかけて広間を出たものの、既に彼の姿はなかった。
丁度通りかかった使用人を捕まえ、城主の私室のありかを聞き出す。
スレットの私室は一つ上階にあるとのことだった。
その扉の前には例の髭面の男が立ちふさがっていた。
いつもスレットの一番近くに従っている男だ。
昼間の件といい、主従としても個人としても、かなり親しい関係にあるようだ。
彼は扉に近づく人影に気づいて一瞬制止しかけたが、それが俺だと認めると深く一礼してくれた。
髭のせいで年を食って見えたが、こうして近くで見てみると思いのほか若い。
大体二十代前半といったところか、見かけ上は俺やスレットと同年代だろう。
「我が主は奥の間で休んでおります。しばしお待ちを」
彼はそう言って、部屋の中へ引っ込んだ。
そしてすぐに出てきていった。
「どうぞこちらへ」
そうして、再び頭を下げながら俺に中へ入るよう促した。
通り過ぎ様に、顔を上げた彼と目が合った。
そこには、何とも言えない複雑な光があった。
彼が俺にどんな感情を抱いているかはわからないが、その光の中には明らかに警戒が含まれていた。
いや、警戒というより、心配か。
何しろ、この男を制して、スレットに自身に弟を斬らせたのがこの俺だ。
傷心の主にまた余計なことを言いはしないかと案じているんだろう。
*
部屋の主は力のない笑みを浮かべながら俺を迎えてくれた。
「……先ほどはありがとうございました」
俺に椅子をすすめながら、スレットはそう言った。
多分、処刑の時のことを言っているんだろう。
「余計なことをしたのでなければいいのですが」
「いえ、助かりました。勇者様が制してくださらなければ、あのままリカードに処刑を委ねてしまっていたかもしれません」
情に流され謀反人すら処断できなかったと見なされれば、彼は配下の小領主たちに見くびられることになる。
彼はきちんとそのことを分かっているらしい。
おかげで変な恨みを買わずにすんだ。
まぁ、少なくとも表面上は。
内心まではわからない。
「ところで、勇者様。私に何か御用でしょうか?」
「いえ、特に用事があるわけではないのですが、閣下が気落ちしておられるように見えたので少しお話でもと」
「それは……お気遣い痛み入ります」
沈黙。
酔った勢いというのは恐ろしい。
とりあえず部屋まで来てみたものの、俺はコイツのことをほとんど何も知らない。
どう慰めればいいか見当もつかなかった。
どうしよう。
「……」
「……」
気まずい沈黙が場を支配する。
仕方がないので、俺は昔話をすることにした。
「……昔、仲間の一人が自分の娘を殺さなければならなくなったことがありました。
年は先ほどのハレスト様と同じぐらいでしたでしょうか。
愛らしい、優しい子でした」
「なぜそのようなことに?」
「私のミスです」
言い訳はすまい。
儀式に必要な魔力総量を見誤ったのだ。不足分を補うためには、生贄が必要だった。
否、必要になってしまったのだ。
間に合う位置に、儀式に必要なメンバー以外には、あの子しかいなかった。
「詳細はお話しできませんが、そのミスにより犠牲が必要になってしまったのです」
あの世界の魔法の概念について、彼に説明するのは面倒だ。
説明したところで、それは言い訳めいたものになってしまうに違いなかった。
「ともかく、その男は自身の務めと娘の命を天秤にかけ、自らの手で娘の命を絶つことを決めたのです」
時間が迫っていた。別れを惜しむ間もないまま、あいつは娘を殺した。
あの子は泣いていたように思う。
「……それで、どうなりました?」
スレットが、身を乗り出して縋るように訊ねてきた。
「娘は死に、男は悲嘆に暮れました。
しかし、その世界は滅亡を免れました」
「その男は? どのように立ち直りましたか?」
「……立ち直れませんでした。
立ち直れないまま、次の戦いで命を落としました。
その男と和解することは最期までできませんでした」
「……」
それを聞いたスレットは、項垂れたまま黙り込んでしまった。
彼にとって、まるで救いのない話であったろう。
俺にとっても、忘れちゃならないが思い出したくもない話だ。
何でこの話をチョイスしたのか、我ながら理解に苦しむ。
そうだ別の話をしよう。
「さる人物に代わって、その者の親を斬ったことがあります」
これもやっぱりあまり思い出したくなかった話だな。
「その親は、子を裏切り、私たちの敵に情報を流していました。
その者は、唯一の肉親を自らの手では斬れぬといい、剣を私に託しました」
スレットが、顔を上げて暗い目でこちらを見ていた。
「……それで、どうなりましたか?」
「恨まれました」
まったくもって理不尽な話ではあるが、元々人の心とは理不尽なものなのだ。
「……世の中はままならぬものですね」
スレットは寂しそうに言いうと、また俯いてしまった。
うん、トークは失敗だな。
雰囲気が前よりも暗くなってる。
「……」
「……」
また沈黙が。
もう帰りたくなってきたが、ハイサヨウナラとも言えない雰囲気だ。
そ、そうだ、話を聞こう。
カウンセリングの神髄は聞くことにあると先生も言っていたではないか。
「もしよければ、ご家族の話でも聞かせてもらえませんか」
スレットが顔を上げて、すぐにまた伏せた。
「……家族はもういません。母は私を生んで間もなく死にました。
父は先の戦で。
祖父は父とともに。兄弟たちは……」
それきり彼はまた黙り込んでしまった。
これも地雷だった。
いや、よく考えたら地雷でもなんでもないな、コレ。
見えている爆弾をわざわざ地雷とは呼ばない。
気まずい。
沈黙が支配する中、どうやってこの場から逃げ出そうか算段を練っていると、不意にスレットが話し始めた。
「……いえ、リカードがまだいました」
「リカードというのは、扉の前にいる方ですか?」
「はい。今は従士団を任せています」
どういうことだろう? 血がつながっているわけじゃなさそうだが。
まさか、そういう関係なのか。
まぁ、戦士の集団ではそういう文化が生まれやすいからな。
ひとたび軍役に加われば、若い男ばかりで、何日も、何か月も、下手すれば何年も行動を共にするわけで。
「リカードは私の乳兄弟なのですよ」
あぁ、そっちか。
リカードの母親が、彼の乳母だったのか。
そういや、生まれてすぐに母親が死んだって言ってたもんな。
それで同じおっぱいを吸って育った仲というわけだ。
「子供のころからずっと、兄弟同然に育ってきました。
私が戦うことを決意したときも、リカードは私についてきてくれました」
スレットは寂しそうな笑みを浮かべながら続けた。
「あいつの祖父は、反乱を首謀したあの男です。
つまりハレストの従兄弟でもあったわけです。
リカードはあちら側につくこともできたのに、一族を捨てて私についてくれたんです。
おかげで私は勝つことができました」
まさに骨肉の争いだな。
「それは……良い家臣に恵まれましたね」
「えぇ、まったくです。
今回の内戦で、裏切りや寝返りを嫌というほど見ました。
本当の意味で信用できるのは、もはやあいつだけです」
スレットは深いため息をついて、再び項垂れた。
そして項垂れたまま言った。
「……私は勇者様がうらやましい」
「なぜです?」
「勇者様は、こういった血縁や土地のしがらみから自由であられる」
なるほど、彼にはそう見えるのか。
「私が自由なのは、何も持たないからですよ。
異世界を渡り歩く身の上では、信頼できる友をたった一人持つことすら難しい」
俺にしてみれば、スレットの方がよほど羨ましかった。
彼には信頼できる友がいて、共に守るべき居場所を作っていくことができる。
俺にはそういったものはない。
もちろん、一つの異世界で何年か過ごせば、仲間や居場所ができない訳じゃない。
だけど、世界を救ってしまえばそれまでだ。
俺は元の世界に戻され、築いてきたものとはオサラバになる。
俺にとってそれらは一時的なものにすぎないのだ。
本来の世界ですら、異世界を渡り歩く俺にとっては断片的な存在に過ぎない。
中学時代のかつての友人たちも、今は俺を置き去りにしてそれぞれの人生を歩んでいる。
「……やはり、世はままならないものですね」
「えぇ、ままなりませんね」
ここでまた沈黙。
ただし、気のせいかもしれないが、先の沈黙と比べれば重苦しさが減っていた。
話も何となく一区切りついたような気がするし、さっさと退出させてもらおう。
そう考えて腰を浮かせかけたところで、スレットが口を開いた。
「……勇者様、改めてお礼を述べさせてください」
「なんのです?」
改めてといわれると心当たりがない。
「リカードを止めていただいたことです。
もしリカードに斬らせていたら、先ほどの話の男のようにリカードを……最後の家族を恨むことになっていたかもしれません」
そういうこともあったかもしれない。
リカードには理不尽なことであろうが、人の心は不条理だ。
「一度、ハレスト様のことをよく知る人と、ゆっくりと思い出話でもしてみるといいと思いますよ。
リカード殿は適任でしょう。
私の故郷では、そうやって死者を悼むんです」
「なるほど。そうしてみます」
頃合いだろう。
俺は席を立ち、スレットに一礼して部屋を出た。
部屋を出たところで、リカードが俺に深々と一礼してきた。
答礼しようとしたが、いつまでたっても頭を上げないので、そのままにして立ち去ることにした。
頭を下げたままの髭面男を背に歩いていると、背後で扉が開く音がした。
部屋の中から、微かに声が聞こえた。
振り返るともう扉は閉まっていて、リカードの姿も既になかった。
*
あの宴会場に戻る気にもなれず、俺はあてがわれていた客室に引っ込んだ。
特にすることもなくぼんやりと過ごしていたところ、深夜になって来客があった。
誰かと思えば、髭面のリカードだった。
「まずは先ほどのお礼を述べさせていただきたい。
我が主は勇者様にお会いただいたおかげで、気分を持ち直すことができたようです」
わざわざこんなことを言いに来るなんて、律儀な奴だな。
スレットが信頼するのもわかる。
「いえ、大したことはしていません。貴方という支えがあればこそですよ」
彼は俺の返答を聞いて少しだけ嬉しそうに顔をほころばせたが、まだ何か言いたいことがあるらしかった。
「それで、夜遅くに何か私に用事でも?」
「は、一つ勇者様にお願いしたいことがございます」
「できることであれば、可能な限り対応しますが」
はて、一体何を頼まれるんだろうか。
リカードは、一瞬迷うようなそぶりをした後、用件を切り出した。
「実は、まだ一人だけ、今回の内乱で処断すべき人物が残っておるのです」
あぁ、やっぱりそうか。俺もその点は少し気になっていたのだ。
スレットには二人の弟がいて、その両方がそれぞれ別派閥に担ぎ上げられていたはずだった。
なのに、あの場で首を斬られたのは下の弟だけだったのだ。
てっきり既に戦場で討ち取られたのかと思っていたが、そうではなかったらしい。
「三男のギルス殿が我らの追跡を振り切り、いまだ逃亡を続けております」
「……大丈夫なんですか?」
ただの神輿とはいえ、反乱側の旗印になりうる人物だ。
そんなのがうろつきまわっている状態で、内戦の終結宣言なんか出してよかったのだろうか?
「はい、主だった支持者たちは全て死ぬか、恭順させています。今更何もできますまい」
それなら問題ないな。
だけど、それじゃあなんだっていうんだ?
「それで、私に頼みとは?」
「ギルス殿の痕跡を辿ったところ、隣領に逃げ込んだ可能性が高いことが分かりました」
「隣の領地ですか」
面倒な予感がするな。
「はい。〈カダーンの丘〉です」
やっぱり俺のところか。
「それで、領内を捜索する許可が欲しいということですか?」
俺に預けられてはいるものの、あの領地の本来の所有者は国王陛下だ。
俺が勝手に許可していいんだろうか?
「いえ、そうではありません。
逃げ込んだ先は既に見当がついております。
あの地に、ギルス殿の縁者がおるのです」
俺の領地に、ギルス君の親戚?
ギルス君の親戚ということは、スレットの親戚でもあるんだろうか?
そんな人物に心当たりは……いや、一人だけいたな。
「〈丘の聖堂〉ですか」
「いかにも」
リカードは重々しく頷いた。
「あの堂主は、ギルス殿の母方の叔父にあたります」
あのネズミ顔のおっさんめ。
最初にあった時もやららに三男君を推していたし、妙だとは思っていたのだ。
今朝訪ねた時、やけに慌てていたのはそのせいか。
俺がケレルガースの平定に行くと聞いて、手土産に逃亡中の謀反人を捕まえに来たと勘違いしたんだろう。
「分かりました。領地に戻り次第、聖堂に掛け合って身柄を確保しましょう。
その上で、スレット閣下に引き渡せばいいんですね?」
「いえ、その必要はございません。
先ほども申し上げたように、かの者の支持者は既におりませんので」
おや、意外な答え。
リカードは不審な気配はないかと周囲を窺った後、声を潜めて言った。
「ただ、決してケレルガースには戻るなと、そう伝えていただきたいのです」
「……かまいませんが、スレット閣下は知っているんですか?」
「……我が一存にて」
俺はリカードの目をじっと見た。
彼は目をそらすことなく、こちらを見つめ返してきた。
ふむ、裏切り者の目ではないな。
恐らく、スレットにこれ以上の負担をかけまいとでも考えているんだろう。
昼間のことといい、こいつは過保護すぎるな。
「……分かりました。伝えることだけはしておきましょう」
だが、何も言うまい。
これ以上はこいつらの問題だ。
「ですが、私はギルス殿の所在について何も知らないし、貴方から聞いたこともない。
それでいいですね?」
何かあっても責任は取らんからな。
「はっ! ありがとうございます」
リカードから本人確認をするための情報を二、三教えてもらう。
それから彼は、俺に向かってきっちりとした騎士の礼をとると部屋を退出していった。
彼を見送った後、俺は後悔した。
伝言を届けるには、あのネズミ顔の堂主と顔を合わせなきゃいけないのだ。
実に面倒くさい仕事じゃないか。
やはり安請け合いはするもんじゃない。
次回は11/14を予定しています




