第二十六話 処刑と宴
ケレルガースの盟主ウォーガンの子スレットは、奏上の儀の後、父の戦死の報を携えて故郷に戻った。
スレットにとってウォーガンは良き父であった。
だが、彼は父の死を悲しんではいなかった。
むしろ、父は良き死に場所を得た、という思いの方が強かった。
なにしろ、あの〈姫騎士〉殿下や〈モールスハルツの獅子〉らと轡を並べ、大決戦を戦い抜いた末の討ち死にだ。
父にとっても本望であったろう。
彼の父は根っからの武人だった。
今後のことについては何の不安もなかった。
ウォーガンは自らの死後について、常日頃から周囲のものに言い聞かせていた。
武人の常として、ウォーガンは自分の死を身近なものとしてとらえていたからだ。
曰く
長男ウォレンを次期当主とする。
次男スレットは騎士として、三男ギルスは神官としてそれぞれウォレンを補佐すること。
四男ハレストについては、将来しかるべき地位を用意すること。また、兄たちと同じくウォレンをよく支えること。
ハレストについての遺言が曖昧なのは彼がまだ幼いためだ。
何しろまだたったの六歳だ。
スレットはこの遺言に何の不満もなかった。
世評とは裏腹に、ウォーガンの別腹の子らの仲は極めて良好だった。
兄は病弱ではあったが、知性と人柄は申し分ない。
スレットはそんな兄の剣となり、兵を率いる。
魔力の資質を持つ上の弟は神官として領内の聖堂を束ね、領民を慰撫する。
下の弟には何ができるだろうか?
利発なところがあるから、王宮に出仕させて中央との調整役を任せるのはどうだろう。
まぁ、きっと兄がぴったりの役割を見つけてくれるはずだ。
ともかく、自分のするべきことはわかっていた。
先の敗戦の痛手は大きいが、我ら兄弟が力を合わせれば必ず乗り越えられる。
スレットはそんな風に今後のことを考えていた。
だから父の死は受け入られた。
だが、兄の死は違った。
父の葬儀を終えた夜に兄の容体の急変を告げられたスレットは顔面蒼白になった。
彼は騎士としての教育を受け、できるだけ政事から身を遠ざけていた。
しかし、政治を理解できない男ではなかった。
兄は、自分たち兄弟の未来の中心にいる。
その兄が死ねばどうなるかは明白だ。
必死の手当てもむなしく、翌日長兄ウォレンは息を引き取った。
兄の死を見届けると、スレットはすぐに動き出した。
悲しみに浸っている時間はなかった。
早急に弟たちを確保せねばならない。
だがすでに手遅れだった。
兄の死も待たずに、二人の弟はそれぞれの母の実家に連れ去られていた。
目的は知れている。
彼らの祖父達が、自身の孫を次期盟主として擁立しようと目論んだのだ。
最年長であるスレットの母方の実家は一介の騎士にすぎない。
事実上実家の後ろ盾がないスレットであれば、あるいは勝てると彼らは踏んだのだろう。
それでも、政治的駆け引きの上で弟のどちらかが新たな当主となるのであれば、それに仕えるのも構わないとスレットは考えていた。
少し予定は変わるが、それだけのことだ。
だが、すぐに不快な噂が流れ始めた。
スレットが兄を毒殺したという噂だ。
誰が流した噂かは知らないが、それは明確な宣戦布告だった。
彼の敵は、自身の未来にスレットの居場所を残すつもりはないらしい。
謀反人として、彼を完全に排除するつもりなのだ。
亡き父ウォーガンは誇り高き戦士だった。
スレットは、兄弟の中で最も濃くその血を受け継いでいる。
いいだろう。
そっちがその気なら、やってやろうじゃないか。
スレットは決意した。
誇り高き戦士であれば、仕掛けられた戦は必ず受けて立つものだ。
彼の味方は少ないが、いないわけではない。
だから、負ける気はしなかった。
かくして彼は戦に勝利した。
*
捕虜たちは、ストーンサークルの前に一列に並べられた。
そして、一番右端にいた例の子供がスレットの前に連れてこられた。
怯えてはいたが、泣いてはいなかった。
さすがは大領主の子、といったところだろうか。大したものだ。
俺があれぐらいの頃はどうだったかな。
言うまでもなく年相応のクソガキだった。
あの頃の俺が同じ立場になれば、きっと泣きわめきながら地べたを転がりまわっていただろう。
スレットの後ろに控えていた髭面の男が、彼に何か囁いた。
彼は黙って首を横に振ってその男を下がらせた。
それから、剣を抜き、構えた。
その顔には何の表情も浮かんでいない。
突然、捕虜達の列で騒ぎが起きた。
初老の男が一人、後ろ手に縛られたまま、監視の兵を振り切ってスレットの足元に走り寄った。
そして、両膝をつき、彼の足元に額をこすりつけて哀願した。
「スレット様! ケレルガースの盟主よ! 慈悲深き我らが主君よ!
どうか我が最期の願いをお聞きください!
ハレスト様は無実でございます!
我らが勝手に担ぎ上げたにすぎません!
全ての責任は私にあります!
どうか、我が孫の――閣下の弟君のお命だけはお助けください!」
あぁ、あいつが今回の主犯か。
自分の孫を担ぎ上げてスレットに反旗を翻した有力領主だったっけ?
さて、スレットはどうするつもりかな、と視線を戻した瞬間、スレットが感情を爆発させた。
「黙れ! この痴れ者め!」
そう叫ぶや否や、彼は足元の男の顔を全力で蹴り上げた。
「何をいまさら! お前らが勝ったところで、俺を生かしておくつもりなどなかったくせに!」
憤怒と、悲しみが入り混じったすさまじい形相だった。
「そ、そのようなことは……」
「だったらなぜ一言の相談もなく兵を挙げた! つまらぬ噂まで流して!」
男は申し開きをしようと口を開いたところで、スレットに腹を蹴られて激しく咽た。
そして咽ながらも言葉を続けた。
「か、閣下……どうか……お、お慈悲を……その手を同じ血で汚してはなりませぬ……これは、死に逝く者の末期の忠言でございます……」
「どの口がそれを言うか! 誰が! 誰のせいでこんなことになったと思っている!」
スレットは手にした剣の平で殴りつけ、男の顎を砕いた。
見事な手並みだ。
これでもう、あいつは意味のある音は出せまい。
「こいつは吊るせ。戦士の園にはふさわしくない」
スレットはそういって、厩舎の軒を切っ先で指した。
それを聞いた男の顔が真っ青になる。
すぐに城の使用人と思われる男たちが走り出し、厩舎の軒と縄と踏み台とで即席の絞首台が用意された。
バタバタと暴れる男を兵士たちが取り押さえ、絞首台へ引き摺って行く。
「まだ吊るすな。自分がしでかしたことの結末をしっかり見てもらう」
スレットは氷のように冷たい声でそういうと、しばし天を仰いだ。
視線を弟へ戻したときには、元の感情を押し殺した能面のような顔に戻っていた。
彼は「いくぞ」と小さく弟に声をかけ、剣を振りかぶった。
その時、ハレストが兄の顔を見上げた。
「兄様、僕は兄様を恨んではいません」
それだけ言うと、少年は再び顔を伏せ、首を差し出した。
馬鹿め。それじゃ逆効果だ。
六歳児の精一杯の気遣いだったんだろうが、今は言うべきじゃなかったな。
見ろ、スレットが動けなくなっちゃったじゃないか。
目に涙まで浮かべている。
先ほどの、髭面の男が剣の柄に触れながらスレットに近づこうとしているのが視界の端に映った。
仕方がない。ここはひとつ、憎まれ役を買ってやるとしよう。
俺は〈光の槍〉を伸ばし、その男を制した。
髭面の男が何か言いたそうにこちらを見た。
俺は首を横に振って、下がるよう促す。
それから、スレットに向かって言った。
「閣下。後がつかえております」
最初から処刑人に任せていればともかく、一度剣を手にあの場に立った以上、もう引くわけにはいかないのだ。
スレットは目に涙を浮かべたまま、分かっていると言いたげに俺を睨み、それから視線を落として一気に剣を振り下ろした。
残りの捕虜たちが順番に彼の前に引きずり出され、謀反人達の処刑はつつがなく完了した。
軒先には死体が一つぶら下がったまま放置された。
*
血塗れショーの後は宴会だった。
大広間の中心の炉で、大きな牛が一頭丸ごと炙られている。
それを囲むように円形に配置された机には鳥肉・豚肉・鹿肉・猪肉とあらゆる肉料理、それからリンゴやブドウに何やら見慣れない果物が山と盛られていた。
広間の四隅にはそれぞれ酒樽が山積みされており、出席者を全員を酔い潰して見せようという強い意志が感じられた。
まだ日が高いうちから、酒を浴びるほど飲めるというのは素晴らしいことだ。
椅子は配置されておらず、この宴は立食形式であるらしい。
酒樽と机の隙間に、小領主とその配下と思われる騎士達がひしめいていた。
スレットが角杯を手に牛の丸焼きの前に立ち、開宴の言葉を述べ始めた。
「諸君!戦は終わった!全ての者が血を流し、多くの勇士が倒れ伏した!
だが、全ては終わったのだ!
ささやかではあるが、〈戦士の園〉を模した宴席を設けさせた。
そこでは、死せる戦士たちが敵も味方もなく、互いの武勇を称えながら終わることのない宴を楽しむという」
あぁ、さっきも出てきた〈戦士の園〉とかいうのは、この世界のヴァルハラ的なあれなのか。
「今、この広間は冥府である!
全ての遺恨を酒とともにこの場に流し去り、一切を現世に持ち帰らぬことを望む。
我らは、再び一つとなったのだ!」
そう言ってスレットは手にした角杯を突き上げた。
広間の男共が野太い声でそれに応じ、同じように角杯を突き上げた。
楽しい宴の始まりだ。
宴会は騒々しくも和やかに行われた。
片腕の手首から先を斬り飛ばされた男が、その傷口を晒しながらがなる。
「見よ! この傷を! これは勇士マロルドを倒した折に負ったものだ!」
それを聞いて一人の若者が進み出る。
「マロルドとは我が叔父、隻眼のマロルドのことか。そうか貴殿に討たれたか」
「うむ、真に手強い相手でござった。貴殿も彼の御仁と同じ血を引くことを誇りに思われるがよかろう」
つい先日まで戦っていた者同士が、相手の武功を称え、自らの傷を自慢しながら笑いあう。
広間のあちこちから、てんでばらばらの野太い歌声が聞こえる。どれも戦歌だ。
同じような光景をいくつもの異世界で目にしてきた。
俺の世界でも、歴史を紐解けばさほど珍しいことではなかったらしい。
昔の俺はどうしてこんなことができるのかわからなかった。
戦争の斬った斬られたをスポーツか何かのように歓談できるなんて、きっと人間的に何かが欠落した戦争狂たちなのだと思っていた。
だが、そうではないのだ。
自分自身が勇者としていくつもの戦いに身を投じて、初めて彼らの気持ちがわかるようになった。
これは、彼らごく普通の人間で居続けるために必要な儀式なのだ。
人間誰しも、自分は他人に愛され尊重される存在だと思い込みたがる。
それは、社会的な生物である人間の本能だ。
だが、そうした思い込みは、戦場で敵意を向けられれば無残に砕け散る。
戦場において、敵意に晒されるこということは、危険に晒されたことそのものよりもはるかに強く、深く、精神を傷つける。
どれだけ味方に愛されようが、向けられた敵意は帳消しにはならない。
敵意によって、戦士たちは自尊心を損なわれ、精神に傷を負う。
だが、その敵意は互いの立場の違いや、戦争という非日常ゆえのモノであればどうだろう?
あの敵意が、”自分という存在”に向けられたものではなかったとすれば?
ならば、立場の違いや戦争という非日常が解消されればどうなる?
この宴は、それを確認するための場なのだ。
敵味方に別れた者同士でしか癒せない傷がある。
和解とは、自身に対する癒しなのだ。
もちろん、人の感情というのはそれだけはない。
部屋の隅に、仲間同士で固まっている者たちがいる。
関わりのあった者達から、慎重に、あるいはあからさまに避けられている者もいる。
全ての遺恨を酒で流すなどできはしないのだ。
スレットは当分の間、彼らの間を奔走しなければならないだろう。
それに、こういう”場”が成り立つのは戦士達の間だけのことだ。
お互い様だからああして許し合えるというわけだ。
理不尽且つ一方的に被害を受けた場合は、到底相手を許すどころじゃない。
例えば、もしこの場に、村を焼かれた領民たちが招かれていたならば、宴の雰囲気は大分殺伐としたものになっていたはずだ。
不作で食料が高騰している中で、領民の面倒まで見てやらねばならないとは。
まったく、盟主というのは大変だ。
さて、その盟主様はどうしているかと広間を見まわす。
見つけた。
丁度、人目を避けるようにして広間を出ようとしているところだった。
昼間の髭面の男も一緒だ。おそらく側近なのだろう。
あいつの傷も、この宴では癒せない類のモノだ。
少し話でも聞いてやった方がいいかもしれない。
ああいう優秀な奴に潰れられちゃ困るからな。
俺は酔っ払いたちをかき分けて、広間の出口へと向かった。
俺も、柄にもないことを考えてしまう程度には酔っぱらっていた。
次回は11/7を予定しています




