第二十四話 突然の祭り
メグとの会話を切り上げると、今度はトーソンが申し訳なさそうな様子で口を開いた。
「勇者様、ご報告したいことが……」
「はい、何でしょう?」
「前回、お命じになられた先々代元帥閣下の調度品の撤去が完了いたしました」
良いニュースだった。
先々代の元帥がここの領館に残していった、大量の薄気味悪いオークグッズが無事に館から撤去されたらしい。
これで落ち着いてこの館に滞在できるというわけだ。
だけどどうしてトーソンは申し訳なさそうな顔をしているのだろう?
「何か問題でも起きたんですか?」
「はい……オーマス閣下の相続人にそれらの品を引き取るように要請したのですが、拒否されました」
当然だろうな。どう考えても負の遺産だ。
「先方は好きに処分してよいと仰せだったので、家具商人に引き取らせようとしたのですが……」
聞けば、トーソンは伝手のある家具商人を、事前に詳細を告げることなく呼び寄せたという。
そうして館から運び出した家具を見せられた件の商人は泡を吹いて気絶し、目を覚さますと同時に逃げ去ってしまったそうだ。
「元来気の弱い男でしたので、少し刺激が強すぎたようです。
事前に警告しておくべきでしたが、その場合そもそも商談すら拒否される恐れがあったので……はい、裏目に出てしまいました。
申し訳ありません」
それを横で聞いていたメグが、あきれた様子で口をはさんだ。
「元帥閣下のお屋敷から家具や調度品が放出されるときいて喜び勇んでやってきたのに、出てきたのがあの気味の悪いオークグッズじゃ当然の反応ですね。商人がかわいそうです」
珍しくメグがまともなことを言っている。雨でも降らなきゃいいが。
「返す言葉もございません」
これについてはだまし討ちをしたトーソンに非がある。
というか、騙して呼び出したところで、引き取り拒否になるのは変わらない気がするのだが。
「それで、先々代の遺品は今どこに?」
「敷地の外れに積み上げてあります」
トーソンの視線の先には、確かにがらくたが山と積まれている。
それをみたメグがあからさまに嫌そうな顔でいった。
「なんで焼いてないんですか。あれじゃ化けて出ますよ」
聞けば、オークの死体というのはきちんと焼いたうえで処分するのがこの世界のしきたりなのだそうな。
そうしないと、悪霊となって周囲に害をなすと信じられているらしい。
「それが、二度ほど焼こうと試みたのですが、その度に雨に降られまして。
この時期、急な雨は珍しいものではないのですが、オークの祟りだと皆すっかり震え上がってしまい……」
なるほど。
偶然だろうが、迷信深い人々にしてみれば呪いや祟りに見えても仕方あるまい。
だが、もうずいぶん長いこと「家具」として焼かれもせずに放置されていたんだから、今更悪霊もくそもない気がする。
「前回の雨がまだ完全に乾いていません。
明日あたりにでも、乾燥具合を確認したうえでもう一度火をかける予定です」
俺は近寄って、がらくたの山を見上げた。
薪と一緒に積み上げられた不気味な家具の間から、チラチラと例の剥製の首達がこちらの様子を窺っている。
丁度その時、何の拍子か剥製の首が一つ、俺の足元に転がってきた。
野ざらしになって急激に劣化が進んだらしいそれは、唇がベロンとめくれあがって、まるで牙をむき出しにして笑っているように見えた。
「次でちゃんと火がつけばいいですけど、また雨に降られでもしたらちょっと騒ぎになりそうですね」
背後で、メグがトーソンを無邪気に脅かしているのが聞こえる。
メグの言うとおりだった。万が一、三度続けて燃やすのに失敗するようなことになれば、いよいよ祟りは本物になってしまうだろう。
その上、この時期は突然の雨が珍しくないという。
「勇者様」
メグが俺の隣に来た。
「なんだ?」
「これ、ヴェラルゴンで焼いちゃいましょうよ」
またメグが物騒なことを言い出した。
「そこまでしなくてもいいだろう。竜に食わせる鍛冶屋草だって、そんなに安くないんだぞ」
今日のヴェラルゴンの火炎袋は空っぽだ。
焼き討ち作戦で大量に消費したため、〈大竜舎〉の鍛冶屋草がほぼ底をついているせいだ。
市場に出回る鍛冶屋草には限りがあり、竜騎士団の兵站係は王都の鍛冶屋と奪い合うようにしてそれらを買いあさっているらしい。
おかげで、鍛冶屋草の価格は普段に増して高騰中だ。
「でも今年はこの領地も収穫はいまいちだったんですよね?」
「確かにそうだが、何の関係があるんだ?」
「これで領内で冬の間に病人や死人で出れば、絶対にオークの祟りと結び付けられます。
そうなれば、その不満は祟りを放置した領主に向けられますよ」
何という理不尽。
「領地の食料不足は元からだ。俺のせいじゃないだろ」
「領民たちは、あんまり理屈とかは気にしませんからね。彼らがそう思えばそうなんです」
思わずため息がでたところに、先ほどのニタニタ笑う剥製が目に入った。
その表情がまるで「燃やせるもんなら燃やしてみろよ」とこちらを挑発しているように見えて、俺は妙に腹が立ってきた。
「トーソンさん。ここの竜舎に鍛冶屋草の備蓄はありますか?」
「は、はい。一吹きか二吹き分であれば」
「じゃあ、竜飼いにそれを食わせるよう伝えてください。それから、村長達のところにも使いを走らせてください」
トーソンが目を瞬かせた。
「分かりました。しかし、村には何をお伝えすればいいのですか?」
「あのガラクタの山を焼き払うから、見に来るようにと」
つまらぬ噂が立たないように、きっちり領民たちの目の前であれを焼き尽くしてやるのだ。
それに竜に鍛冶屋草を食わせても即座に火を吐けるようにはならない。
少し間を開けて、火炎袋の中で鍛冶屋草を消化させる必要がある。
村長達がここにつく頃には、ちょうどいい具合に火を吐く準備が整うはずだ。
トーソンは一瞬だけ何か言いたそうにしたが、結局俺の指示通りに使いを出した。
*
この世界でも冬の日差しは短い。
準備を整うのを待つ間に日は大きく傾き、あたりは薄暗くなっていた。
おまけに空模様まですっかり怪しくなり、頭上はどんよりと分厚い雲に覆われ暗さに拍車がかかっている。
がらくたが燃えるのを見に領主館に集まった領民たちが、そんな空を不安げに見上げていた。
村の主だった連中だけ呼んだつもりだったのに、どういうわけか西の村も東の村も、村人総出でこの館に押しかけてきていた。
たぶん、あのリックとかいう、足の速いうっかり者の従者の仕業だろう。
トーソンはいい加減あの男を使いに立てるのをやめるべきじゃなかろうか。
情報の伝達には、速さ以上に重視されるべき項目があるはずだ。
おかげでさほど広くない領主館の庭は人で埋まり、簡素な木柵の外側まではみ出している。
こんな過密状態で火を噴かせて大丈夫なんだろうか?
不安になったが今更どうしようもない。
トーソンに、できるだけガラクタ山の周りから人を遠ざけるよう伝えると、彼は館の使用人たちに命じて、山の周囲から人々を押しのけさせた。
使用人たちに押された村人がそれに反発し、もみあいが起こり始める。
そこかしこで怒声が上がり、場が一気に険悪なムードに包まれる。
ゴミを焼こうと思っただけなのにどうしてこうなった。
どうしてこうなったかといえば、メグが脅すようなことを言ったせいだ。
そのメグはといえば、この騒ぎをニコニコ笑いながら見物している。何がそんなに楽しいんだ。
場の熱気が徐々に膨れ上がり、もはや暴動一歩手前になったその時だった。
不機嫌な咆哮が響き渡り、全員の動きが止まった。
ようやく主役の登場だ。
人々が凍り付く中を、ヴェラルゴンがゆっくりと竜舎から引き出されてきた。
不機嫌は元々だったが、今はそれに輪をかけて虫の居所が悪く見える。
無理もない。
体調が悪い中、無理やり鍛冶屋草を食わされ、嫌々竜舎から引っ張り出されてきてみれば、ご丁寧にも”素質”のない人間どもがかくもぎっしりとひしめいているのだ。
文句の一つも言いたくなるだろう。俺だって言いたい。
もう一度、ヴェラルゴンが天に向かって吼えた。
あちこちで悲鳴が上がり、竜飼いまで腰を抜かした。
俺は慌てて駆け寄り、竜飼いから手綱を受け取った。
ヴェラルゴンは俺を憎々しげに睨み付けたが、ひとまず従ってはくれるらしい。
俺が手綱を引いて前に出ると、人垣がざっと割れてガラクタ山への道が開けた。
ガラクタ山を目にした瞬間、ヴェラルゴンの中で怒りが膨れ上がったのを感じた。
これはマズイ。俺はとっさにヴェラルゴンの脚に触れ、接続を試みる。
脚に触れただけでは不完全にしか繋がることができなかったが、それでも心の内に激しく渦巻くオークへの憎しみを感じとることができた。
部分的にこいつと同期した俺の精神が、それに引きずられるように荒れ狂うのをどうにか抑えつつ、ガラクタ山の前まで竜を曳いていく。
「ガラクタの後ろを空けろ!」
俺が叫びを聞いてに、がらくたの向こう側にいた領民たちが蜘蛛の子を散らすように逃げていく。
竜が焦れている。もう抑えきれん。
「やれ!」
ヴェラルゴンは首を擡げて腹いっぱいに空気を吸い込み、それを振り下ろすように前に突き出した。
目いっぱい開かれた口から炎が噴き出し、ガラクタの山を押し包んだ。
それは一瞬で巨大な火柱へと変わり、天に向けて吹き上がった。
誰も口を開くことなく、呆然とその炎を見守り続けた。
先ほどまでの喧騒とは打って変わって静まり返ったその場に、だたガラクタがはぜる音と、炎が上げる唸りだけが響き続ける。
炎には原始的な魅力がある。
火の粉が妖精のように舞いながら空へ昇り、低く垂れこめた雲を焦がした。
しばらくして、不意に顔にぽつりと水滴が当たった。
空を見上げる。
ポツリポツリと、さらに数滴の水が頬に触れる。
炎に当てられて火照った顔に、その冷たさが心地よく感じられた。
そうしている間に、水滴は少しずつ勢いを増していき、やがて雨になった。
炎を見つめていた人々が、その冷たさに少しずつ正気を取り戻していき、空を見て不安げな声を上げた。
だが、竜炎による火柱は少々の雨で揺らぐことはなく、力強く燃え続けた。
雨はすぐにやんだ。
依然として燃え上がるガラクタ山の前でヴェラルゴンが翼を大きく広げ、まるで勝利を宣言するかのように吼えた。
村人たちも、それに応えるように吼えた。
もはや誰もヴェラルゴンの咆哮を怖れてはいなかった。
誰かが叫んだ。
「神龍様じゃ! 勇者様と神龍様がオークどもの呪いを払ってくだされた!」
場が、先ほどまでとは違う熱気に包まれていった。
何人かが炎の周りで踊りだした。
踊り手たちの影が、炎にあわせて怪しく揺らぐ。
それを見た男衆が肩を組み、揃って足を踏み鳴らしてリズムを刻む。
踊り手たちが、そのゆったりとした、しかし力強いリズムに合わせて回り、跳ねる。
女房達が甲高く震える声で、耳慣れない奇妙な旋律を歌い始める。
歌詞は聞き取れなかった。あるいは、意味のある言葉ではないのかもしれない。
トーソンが、俺の耳元で囁いた。
「これは古い神々を祭る踊りです。今は禁じられています」
俺は何も言わずに、ただ頷いて見せた。
老人たちが白竜の前に跪き、拝み始めた。
領主の館は、唐突に祭りの場と化した。
ヴェラルゴンは、ひとしきり騒いだことで幾分か気が晴れたらしかった。
領民共の騒ぎに背を向け、竜舎に向けてノソノソと歩き出した。
我に返ったらしい竜飼いが慌ててその手綱を取ったが、ヴェラルゴンは特に反発することもなく彼に従った。
それを見送りながら、俺はトーソンを呼び寄せて耳打ちした。
「トーソンさん、彼らに酒を出してやってください」
トーソンは何も言わずにその場を下がると、使用人たちに指示を出し始めた。
ゴロゴロと運び込まれた酒樽に、村人が歓声を上げる。
後はもうどんちゃん騒ぎだ。
時々若い男女が手を取り合って物陰へと消えていくのはご愛敬。
騒ぎはガラクタ山が燃え尽きるまで続いた。
領主館の倉庫から放出された酒樽は次々と飲み干され、空になった樽は炎の中に放り込まれて新たな燃料になった。
酒がなくなり、炎の勢いを失なわれるとともに、人々からも少しずつ祭りの熱気が引いていく。
領民たちは穏やかに明滅する熾火を名残惜しそうに振り返りながら引き上げていった。
祭りは終わり、後には灰だけが残った。
次回は10/24を予定しています




