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第二十二話 意外な報せ

 〈大竜舎〉の内部はいつも薄暗い。

 太古の小人達が作り上げたという大洞窟の中を、ランプと松明の揺らめく明かりが照らし出している。


 その〈大竜舎〉の会議室で俺達は頭を抱えていた。

 室内には重い空気が漂っていたが、灯りによる酸欠はもちろん関係ない。


 古代の小人達は、そんな初歩的な欠陥住宅を拵えたりしなかった。

 どういう仕組みかは知らないが、うまいこと空気が循環するようにできているらしい。


 俺と一緒に頭を抱えているのは、リーゲル殿と五人の古参竜騎士達だ。

 オーク領からの生還から三日、俺は竜騎士団の幹部たちと今後の方針について話し合っていた。


「……まずは現状を確認する。飛行可能な竜は何騎おる?」


 リーゲル殿の問いに、一人の古参竜騎士が疲れ切った顔で答えた。


「あれから出撃を控えておりましたので、現在十二騎の竜が飛行可能となっております」


 俺のヴェラルゴンもまだ寝込んだままだ。

 竜も竜騎士も、一度大きく体調を崩してしまうとなかなか回復しない。


「全て焼き討ちに回したとしても、三日と持ちませんな」


「伝令任務や緊急事態に備えて数頭は残しておかねば――」


「山脈の上空は、冬の到来とともにますます荒れ狂っております。

 病み上がりの竜では、行きはともかく帰途では遭難の可能性が……」


「敵の待ち伏せがあれだけだとは思えませぬ。既に三頭もの竜を失っておるのです。これ以上失うわけには……」


 古参竜騎士たちが口々に、重苦しい調子で作戦の継続に否定的な意見を述べていくのをリーゲル殿が眉間にしわを寄せて聞いていた。


 彼らの言うことはどれももっともだった。

 これ以上の作戦継続は困難だ。

 その時、それまで口をつぐんでいた、一番若い古参竜騎士が口を開いた。


「現状が困難に満ちていることは理解しております。しかしながら――」


 彼はそう言って、他の四人の古参竜騎士たちを見まわした。


「我らはいまだ何の成果もあげておりません。

 此度の作戦は竜騎士団の名誉をかけた戦いであると伺っております。

 このまま引き下がれば、我らの名誉は失われてしまいます」


 その言葉に、他の古参竜騎士たちは黙り込んだ。


「さよう。このまま引き下がるわけにはいかぬ」


 しばらくの沈黙の後、リーゲル殿が重々しく口を開いた。

 俺も含めた全員がリーゲル殿を注視する。


「王の御前でお約束したのだ! 

 何としてでも成し遂げなければ、我らの名誉は永久に失われるであろう!」


 俺はとても申し訳ない気持ちになった。

 なにしろ、あの場で大口を叩いたのは俺だ。

 俺のせいで、竜騎士たちは散々苦労した挙句に引くに引けない立場に立たされてしまった。


 思えば、もっときちんと予防線を張っておくべきだったのだ。

 この作戦は全ての方に成果を保障するものではありませんとか、個人の感想です、とか。


「かくなる上は!」


 リーゲル殿はテーブルを叩きながら立ち上がった。

 一枚岩から削り出されたらしい石造りの円卓がドンと震えた。


「飛行可能な竜全てをもって敵陣に突入せん!」


 俺がくだらないことを考えている間に、リーゲル殿がとんでもないことを言い出した。

 先ほどの古参竜騎士もぎょっとした顔をしている。


 俺は慌てて止めに入った。


「リーゲル殿!早まらないでください!」

「勇者殿! 止めてくださいますな! 最早これしかござらぬ! こうするしかないのです!」


 リーゲル殿は、握りしめたこ拳を机に押し付けたまま、絞り出すようにそう叫んだ。


「やめてください! 無駄ですから!」


 俺はあの村での戦闘で、身をもって思い知った。

 たった百匹程度のオーク相手にあの様だ。

 万を超えるオークに、十数頭の竜で襲い掛かったところで無駄死にするだけだ。


「無駄であればなおのこと!

 もはやオークに太刀打ちできぬというのであれば、我らの存在に何の意味がございましょうか!

 ならば潔く敵前で散ることこそ騎士の本懐!

 命果てるとも、騎士の名誉は保てましょう!

 もうこれしかありませぬ!」


 リーゲル殿の目が血走っている。

 どうにかしてリーゲル殿を鎮めねば。


「リーゲル殿、なにも正面攻撃だけが戦への貢献ではありません。

 偵察や迅速な伝令も、戦の勝敗を左右する重大な任務です。

 竜騎士以上にこれらの任務をこなせるものはいません。

 ここは抑えて――」


「それでは! 騎士の名誉が! 保てぬのです!

 決戦こそが! 我らの死場なのです!」


 リーゲル殿がますます興奮し始めた。

 おまけに、さっきまで作戦継続に反対していた古参竜騎士たちまでリーゲル殿に同調し始めている。

 疲れ切っていた眼の奥に、闘志が沸き始めているのだ。

 もうだめだ。


「わかりました。もう止めは致しません」


「分かってくださりましたか!

 では者ども! 出撃だ! 勇者殿、後は頼みましたぞ!」


「ま、待ってください! 止めは致しませんが、もう少しだけ待つべきです!」


「なんの! 戦場に果てる覚悟はいつでもできております!」


「そうではありません。

 もう少し待てば飛行可能な竜も増えます。

 より効果的な攻撃を行うためには、全頭揃うのを待つべきです。

 全力を振り絞ってこそ、竜騎士の名誉を保てるというものです。

 なに、オークどもは逃げはしませんよ」


 リーゲル殿はむぅ、と言って考え込んだ。

 その眼には少しだけ理性の光が戻ってきている。ほんの少しだけ。


 だが、いい兆候だ。

 全ての竜が回復するまでどれだけの猶予があるかわからないが、その間に冷静さを取り戻してくれることを祈るばかりだ。


 ……だけど、もし竜が揃う方が早ければ、全ての竜が失われることになる。

 あれ、しくじったか?

 素直に送り出しておけば十二頭の損害で抑えられたかもしれないぞ?

 いや、でもリーゲル殿をむざむざ死なせるのもなぁ……。


 バン! という音共に、扉が開かれた。

 同時に駆け込んできた竜騎士に、全員の注目が集まる。

 確かコイツは連絡&警戒係として〈竜の顎門〉に常駐していたはずの男だ。


「ご報告申し上げます!」


 彼はそう叫ぶと、息を整えるためか、しばらく黙り込んだ。

 肩が激しく上下している。よほど急いで駆けてきたらしい。


 全員が、固唾をのんで彼の息が整うのを待つ。

 数秒の間の後、彼は大きく息を吸い込んで、それから報告した。


「〈竜の顎門〉より、オーク軍が撤退を開始しました!」


 リーゲル殿の目が大きく見開かれた。


「そ、それは確かなのか!?」


「私が、自身の眼で確認しております!

 間違いありません! オークどもは続々と谷を離れております」


 リーゲル殿はそのままの顔で、ゆっくりと腰を下ろした。

 それから、もう一度「本当に確かか?」と竜騎士に尋ねた。


 竜騎士が力強く頷くのを見て、リーゲル殿は目を閉じ、天を仰いで何事かの祈りの言葉らしきものを小さくつぶやいた。

 神に感謝を捧げているらしかった。


 勝利の知らせを得たというのに、まったく実感がわかない。

 他の古参竜騎士たちも同じように感じているらしい。

 快哉を上げるでもなく、ただ互いに顔を見合わせている。


 だが。

 誰かが、ふうっと大きくため息をついた。

 それを合図に先ほどの悲壮なまでに張り詰めていた空気が霧散した。


 祈りを終えたリーゲル殿が状況の再確認と、完全な撤退を確認するまで広域哨戒を継続することを決定し、会議は終了となった。


 *


 翌日、俺は状況を確認するために、リーゲル殿を含む三騎の竜たちと共に谷へ飛んだ。


 以前と比べると、オーク軍の陣地は大幅に強化されていた。

 馬防柵は迷路のように複雑にめぐらされ、洪水を意識してか、そこかしこに土盛と空堀に囲まれた避難所らしきものまで作られていた。

 きっとあれは防御陣地としてもかなり厄介な存在になっていたはずだ。

 さらには、恒久的な駐留に備えてか、宿舎と思われる木造の長屋が幾棟も建てられていた。


 だが、それ以上に大きな変化があった。

 前に来た時には気持ちが悪いぐらいに群れて蠢いていたオーク達が、わずかな殿軍を残してきれいさっぱりいなくなっていたのだ。


 防衛陣地が広大で強力な威容を誇っているだけに、なおさらその数の少なさが際立った。

 その殿軍の兵士たちは、上空に竜が現れたのを見るや否や大急ぎで駆け集まって方陣を組み始めたが、あれしきの数なら近づきすぎない限り脅威にはならない。

 放置して偵察を継続する。


 俺は自分の頭上に一騎の竜が張り付いていることを確認してから、森に向けて慎重に高度を下げ始めた。

 退却したふりをして周辺に潜んでいる可能性があるためだ。


 そして森の上を低空低速で旋回する。

 ときおり竜に驚いた動物や鳥が飛び出してくることはあるが、それ以外には何の動きもなく森は静まり返っている。


 ふと、森の縁を見たところで、森の木々にかかる影が大分伸びていることに気づいた。

 顔を上げて見まわせば、太陽は既に大きく傾き始めていた。

 なにしろ谷についた時点で既に正午を回っていたのだ。

 季節を考えればこんなものだろう。


 俺は同じように周辺の森を捜索しているはずのリーゲル殿を探す。

 リーゲル殿の愛竜、鮮やかなエメラルドグリーンの翼をもつグレルゴンはすぐに見つかった。

 彼の援護についた竜は黄色と黒の派手なトラ模様の翼を持っており、目印にはうってつけだった。


 俺はリーゲル殿に向かって大きく手を振った。

 彼がこちらに気づいて手を振り返してくるのを待った後、集合の合図を送る。


 リーゲル殿はすぐに了解の応答を返した後、トラ模様の竜とともにこちらに合流してきた。

 同時に、手信号で「異状なし」と伝えてくる。

 あちら側にも、もうオークはいなかったらしい。


 詳しい情報交換は、戻ってからやればいいだろう。

 俺も同じように「異状なし」とだけ伝え、針路を〈竜の顎門〉へと向けた。


 〈竜の顎門〉に降り立つなり、俺たちは守将であるエベルトから盛大な歓迎を受けた。


「流石は勇者殿! 見事な軍略でありました!

 まさか本当に竜騎士団だけの力であのオークの大軍を退けて見せるとは、まことに感服いたしました!」


 そういってエベルトは俺に抱き着き背中をバンバンと叩いてきた。


「いえ、俺は発案者にすぎません。この成果は竜騎士団が成し遂げたものです」


 暑苦しいので、俺はそう言いながら彼を押しのけた。

 それを見ていた守備兵たちの間で、なぜか「おぉ!」っと歓声が上がった。

 後で知ったことだが、傭兵時代のエベルトは大戦槌を振り回すその怪力でその名を成したらしい。

 一振りで八体のオークを吹き飛ばした伝説を持っているそうだ。


 押しのけられてもなお彼はめげなかった。今度はリーゲル殿に向かっていき、同じように抱き着いた。


「見事でしたぞ、リーゲル殿!

 まさに名誉挽回! 竜騎士団は新たな栄光を得ましたな!」


 彼に抱きつかれたリーゲル殿はすぐに振りほどこうとしたものの、それもかなわず目を白黒させていた。


 小柄なリーゲル殿ではあるが、竜騎士の長にふさわしく鍛えられた肉体の持ち主なのだ。

 それが、歓喜で我を忘れたエベルトにはまるで歯が立たずにいる。

 俺も勇者の力がなければああなっていたのだろう。

 おっさんに抱き殺されるほど嫌な死に方はない。俺は謎の存在に与えられた勇者の力に感謝した。


 しばらくして、正気に戻ったエベルトはようやくリーゲル殿を開放した。

 リーゲル殿はむせながらもエベルトに手を差し出し、固い握手を交わした。

 それを見て、守備兵たちが歓声を上げた。


「我らの救い主、勇者様万歳! 竜騎士団に栄光あれ!」


「万歳!」


「竜騎士団に栄光あれ!」


「栄光あれ!」


 オーク達が本気で攻め寄せて来た時に、最初に死ぬのがこの守備兵たちだ。

 彼らの歓声を聞いて、俺はようやく勝利を実感した。


 俺にとって、この異世界で初めての勝利だった。

 かなりの辛勝ではあったけれど。


次回は10/10を予定しています

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