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第二十一話 生還

 〈黒犬〉が現場に到着したのは、竜の襲撃から二日後のことだった。

 狼煙による通報を受けて、狼鷲兵を率いて急行してきたのだ。


 全ての村にあの竜共に対抗できる守備隊を配置することは不可能だった。

 さりとて竜が姿を現してから迎撃部隊を送り込んでも間に合わない。

 やむなく採用したのが、いくつかの村にだけ守備隊を配置し、敵が罠にかかるのを待つというものだった。


 そのうちの一つに、ようやく敵が引っ掛かったのだった。


 〈黒犬〉を出迎えたのは、まだ少年といってもいい年の見習士官だった。

 聞けば本来の指揮官らは先の襲撃で戦死し、唯一生き残った彼が代理で指揮を執っているという。


 守備隊は兵力の半分を失い、虎の子の大砲は二門とも炎に飲まれてしまっていた。

 まったくもって甚大な被害というほかなかった。

 特に大砲を失ったのは痛かった。旧式砲とはいえども、辺境伯軍にとっては数の限られた貴重な戦力だったのだ。


 それでも、この見習士官は胸を張って誇らしげに報告してきた。

 『それでも我らは三頭もの竜を撃ち落しました!』と。


 それは確かに、あの甚大な被害と引き比べても破格といって良かった。

 何しろこの一か月の間、神出鬼没の竜の襲撃によって、多くの村々と輜重隊が散々に焼き払われてきたのだ。


 これでようやく一矢報いることができた。

 民の信頼をある程度取り戻すことができるだろう。

 伯都の現状を考えれば、非常に大きな戦果といってよかった。


 〈黒犬〉は彼にさらに詳細な報告を求めた。


 大砲による不意の一撃で一頭を撃墜。

 モスグリーンの竜による反撃で、大砲を仕込んだ家屋が炎上。

 仲間を救出しようと降下してきた一頭を、銃撃によって撃墜。

 残る二頭による反撃で方陣は散開。指揮系統が混乱。

 その隙に仲間を救出しようとしたもう一頭を、偶然その場に居合わせた兵士が撃墜。ここまでは上々。


 だが、脱出した竜の乗り手を追跡中に、突如として現れた重装騎兵によって歩兵隊が壊乱。

 指揮官も戦死。被害の大部分はこの時生じた。

 以降、この見習士官の指揮のもと、村に馬防柵を設置して援軍の到着を待っていたという。


 それ以外に彼にできることはなかったろう。

 重装騎兵の数は三十騎程だったという。

 人間どもがシャーマンを伴っていた場合、とてもではないが百名程度の銃兵だけでは勝ち目はない。


 むしろ、このような状況下で部下を掌握し、部隊を維持し続けただけでも大したものといっていい。

 こいつは間違いなく見所がある。〈黒犬〉は、見習士官に改めて名を訊ね、しっかりとその名を胸に刻んだ。


 脱出した竜の乗り手は既に重装騎兵たちとともにどこかへ去っていったようだ。

 さらに翌日、複数の竜が襲撃を行うでもなくこの付近を旋回している姿が目撃されている。

 恐らく、竜の乗り手はもう回収されているはずだ。


 これ以上ここにいても仕方がない。

 〈黒犬〉はそう判断し、守備隊にここを引き払うこと、それから本隊とは合流せず直接伯都へ向かうことを指示した。

 それというのも、谷の出口に陣取っていた辺境伯軍主力に、つい先日になって撤退命令が下されたためだ。


 伯都に流れ込んだ難民によって都市の食料備蓄が圧迫され、辺境伯は軍の備蓄を放出せざるを得なくなった。

 それがために、とうとう軍の動員状態を維持することが困難になったのだった。


 見習士官は、傍に控えていた兵士にその指示を伝え、守備兵たちの下へ走らせた。

 それから〈黒犬〉の方へ向き直り何か言いたそうに鼻を膨らませたが、結局何も言わずに部下たちの方へ歩き去ろうとした。


 〈黒犬〉は、それを呼び止め、何を言おうとしたのかを問いただした。

 見習士官は、しばらく迷うように鼻を鳴らした後、『信じていただけないかもしれませんが』と前置きしてから、追加の報告を行った。

 曰く、竜の乗り手の一人は恐るべき怪物で、仲間を背負いながら猫のように速く駆け、光る槍で二十頭もの熊犬を切り殺し、光る盾を自在に出して、百名からなる三列横隊の連続斉射をことごとくはじき返したのだという。


 常軌を逸した話だ。彼が報告をためらったのもうなずける。

 通常であれば、こんな荒唐無稽な報告をしても正気を疑われるだけだろう。

 この若い見習士官は、過酷な経験からくるストレスに耐えきれず、狂を発したのだと。


 だが、もちろん〈黒犬〉はそのような判断は下さなかった。

 そんな存在に心当たりがあった。間違いなく"アイツ"だ。

 あの追撃戦の最中、彼に傷を負わせた怪物が再び姿を現したのだ。


 脇腹の傷がうずいた。

 手を当てると、また微かに血がにじんでいた。


 報告を聞きながら〈黒犬〉は考え込んだ。

 今回の竜を用いた襲撃――略奪するでもなく、ただ破壊のみを目的とした蛮行――は、これまでの人間どもの行動からすればまったく特異なものだ。

 わざわざ警告を与えて難民を生み出すやり口には、蛮性よりも知性、そしてそれ以上に底なしの悪意が感じられる。


 おそらく、アイツの差し金に違いあるまい。

 あの特異な存在に名前を与える必要がある。さて、アイツを何と呼ぶべきか――


『――まるで物語に登場する魔王のようでありました』


 見習士官が報告をそう締めくくった。


 魔王、か。

 悪魔どもを統べる、残虐無比な邪悪の王。様々な物語に姿を現す恐怖の象徴。

 なるほど、奴にふさわしい称号だ。


 〈黒犬〉は獰猛な笑みを浮かべた。物語では、魔王は必ず英雄によって討たれることになっている。


 *


 ガルオム達と別れた翌日、俺とカイルは無事に捜索のために派遣されてきた竜騎士たちに発見されて帰途に就いた。


 二人乗りで竜骨山脈を越えるのは予想以上の恐怖体験だった。

 なにしろ、普通の竜であれば竜騎士一人を乗せただけでも翌日には寝込んでしまう難行程なのだ。

 そこに成人男性一人分の重量が加われば、どうなるかなんて考えるまでもない。


 せめて自分で竜を制御できれば落ち着くのだが、救助された身分で「お前の竜の制御をよこせ」等と言い出せるはずもない。

 他人の腕の良しあしに命を左右されるのはオークの群れに追い回されるよりずっと怖い。


 俺たちが大竜舎に到着するなり、リーゲル殿は俺たちの下へ全速力で駆け付けると、そのまま足元に跪いた。


「勇者殿! 我らが竜の兄弟を救出せんがため、大変な危険を冒してくださったと聞き及んでいます。

 竜騎士団の長として、感謝を捧げさせてください」


「こちらこそ、お借りしていた貴重な竜を失なってしまいました。申し訳ありませんでした」


「竜よりも、兄弟の命の方が重要です。どうかお気になさらず」


 そういうと、リーゲル殿は俺に一礼して立ち上がった。

 それから俺の隣にいたカイルに向き直ると、いきなり殴り倒した。


 松葉杖をついてようやく立っていたカイルは、リーゲル殿の手加減のまるでない鉄拳に一たまりもなく倒れた。

 が、すぐに立ち上がって再び直立不動の姿勢をとった。

 そんなカイルをジロリと睨みながらリーゲル殿は言った。


「オイフェルから報告は受けておる。

 状況を顧みぬ無謀な行動によって騎竜を失ったばかりか、勇者殿まで危険にさらしたと聞き及んだ。

 何か申し開きはあるか?」


「いいえ、ありません」


「……後日、改めて査問を行う。それまでは謹慎しておれ」


 そういって、リーゲル殿は大竜舎のトンネルを顎で指した。

 カイルは二人の竜騎士に伴われて、トボトボと歩き去っていった。


 思っていた以上にリーゲル殿が怒っている。

 これはマズイかもしれない。

 このままアイツを解任でもされたらたまったもんじゃない。

 カイルにはこれからまだまだ働いてもらわなきゃならないのだ。


「リーゲル殿。彼には見込みがあると思えばこそ、私も危険を冒したのです。

 あまり厳しい処分を下されぬようお願いします」


 俺の言葉に、リーゲル殿は驚いたようだったがすぐにその表情を消し、元の竜騎士の長としての顔で言った。


「ご配慮、痛み入ります。

 しかし、竜騎士の一員としてきちんとけじめをつけさせねばなりません。

 勇者様のお口添えとはいえ、吾輩が自分の孫を特別扱いすればいらぬ憶測を呼ぶことになります」


「……差し出がましいことを言ってしまったようです。申し訳ありません」


 少しだけ沈黙が流れた。


「さて、勇者殿もお疲れでしょう。

 部屋と食事を用意させてあります」


 リーゲル殿は、控えていた従者を呼び寄せて、俺を案内するように命じた。

 従者について少し歩いたところで、不意に呼び止められた。


「勇者殿」


「何でしょう?」


「感謝を。吾輩に遺された、たった一人の孫をよくぞ連れ帰ってくれました」


 そういって、彼は両ひざをつき顔を伏せて、祈りの姿勢をとった。

 声にも涙がにじんでいる。

 竜騎士の長としてではなく、孫を救われた祖父として、改めて感謝を捧げてくれているらしかった。


「よしてください。彼の能力に期待してのことです。打算ですよ」


「分かりました! 必ずや、ご期待にそえる立派な竜騎士に鍛えなおして見せます!」


 今、リーゲル殿に浮かんでいるのは孫を思う祖父の顔だった。

 その顔をアイツにも見せてやればいいのに。

 俺はそう言いかけたが、思い直して口をつぐんだ。

 それこそ余計なお世話というものだろう。


 彼を見捨てずにいてくれるなら、もうこれ以上言うことはない。

 あの苦労が無駄骨にならずに済んだならそれで十分だ。


 俺はリーゲル殿に手を差し出して立たせた後、従者に案内されて部屋に向かった。

 用意された温かい食事をかき込み、藁がぎっしり詰まった暖かい布団に身を投げ出した。

 緊張の残滓が俺に生を実感させてくれる。


 同時に、今朝出撃したばかりのような錯覚に襲われた。

 出撃、村の発見、大砲、大爆発、救出、墜落、犬達との死闘、粉砕された盾の閃光、土煙、閃光、土煙、救いの角笛。


 昨日の濃密な出来事が脳内をぐるぐる回っているうちに、いつの間にか俺は眠っていた。


 *


 久しぶりに悪夢を見た。

 俺が見る悪夢はいつも大体同じだ。

 最初の異世界から戻った後の夢。


「お前は一体、どこへ行っていたんだ!」


 異世界を救ってきたのだといっても、誰も信じてくれない。

 当然だろう。

 誰もが俺を嘘つき呼ばわりする。

 母だけは違った。

 母だけが、俺のことを信じてくれた。

 そして賢明な母は、我が子を信じることと、その言葉を信じることをきちんと区別することができた。


 俺は母に手を引かれて病院へ向かう。

 ついた診断は「強度のストレスによる記憶の混乱」。


「日常に支障がなければ入院の必要はありません。

 どうしても心配なら……そうですか。

 では引き続きカウンセリングを受けながら経過を見ることにしましょう」


 再び母に手を引かれ、家に戻る。

 記憶を否定されてしまえば何も残らない。

 

 俺には、何もない。


次回は10/3を予定しています。

投稿は昼頃になるかもしれません。

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