第十九話 墜落
カイルは信じられないものを目にした。
モスグリーンの竜が、自分に向かって低空飛行で突っ込んでくる。
オークの銃兵がウヨウヨいる中を、あんな低速で飛ぶなんてまったく正気とは思えなかった。
何をしてるんだ? 死にたいのか!?
カイルには自分が馬鹿なことをしたという自覚があった。
仲間が墜とされたことで、彼はすっかり頭に血が上ってしまっていた。
仰向けに転がる竜にオークが近づいていくのが見えた。
そして奴らが、同僚を竜の死体の下から引き摺りだそうとしているのを見て、完全に我を忘れてしまったのだ。
何がしたかったのか自分でもよくわからなかった。
あんな風に竜の下敷きになって、あいつが生きているわけがなかった。
冷静に考えればわかりきっていたことだ。
だが、とにかく何とかしなければ、という思いに駆られ、同僚とそれに群がるオーク以外何も見えなくなっていた。
自分の竜が弾丸を浴びたその時になって、彼はようやく広場に陣取るオークの方陣を思い出したのだった。
間抜けというほかなかった。
だから、自分は見捨てられて当然だと思っていた。
なのに、あいつは俺を助け出そうとしている。
(やめろ!もう十分だ!高度を上げろ!)
そういうつもりで両腕をばたばたと振ってみたが、竜の乗り手はまるで意に介することなく大きく身を乗り出して手を伸ばしてきた。
カイルは自分のことを棚に上げて、そいつを狂人と断じた。
(えい!ままよ!)
カイルはもう目の前に迫っていたそいつに飛びついた。
そいつはカイルを受け止めると、片手で軽々と彼を抱きかかえた。
そのまま前方の森へ向けて一気に竜を加速させてゆく。飛び越えられるかはギリギリだ。
にもかかわらず、そいつは声を出して楽しげに笑っていた。
前方にオーク兵が飛び出してくるのが見えても、まだ笑っていた。
異常な光景だが、その眼に狂気の兆しはまるでない。
カイルは恐怖した。この状況を、正気のまま楽しめるなんて!
オークが発砲し、竜の翼が血に染まる。
ようやく上昇しかけていた巨体は失速し、地面を滑りながら森へ突っ込んだ。
カイルは再び投げ出され、森の中を転がった。
ガンッ!
背中に衝撃をうけ、一瞬呼吸が止まる。
(立たなくちゃ……!)
背中の鈍痛に耐え、咳き込みながらヨロヨロと立ち上がりかけたその時、足に激痛が走り視界がぐらりと傾むいた。
手をつく暇もなく無様に転がる。
足が、不自然な向きに曲がっていた。
今度こそ、もう終わりだ。
ゴロリと仰向けになって空を見上げると、樹々の隙間から一頭の竜が空を横切っていくのが見えた。
多分、オイフェルの竜だろう。
その竜はしばらく森の上を周回していたが、やがて竜骨山脈の方へ飛び去ってしまった。
そういえば、あいつは……勇者は無事だろうか。
無事であってほしかった。
自分の不始末で勇者まで死なせたとあっては、今度こそ祖父に見限られてしまうに違いない。
不意に笑いが込み上げてきた。
この期に及んで、祖父の顔色が気になるなんて。
ガサガサという音を聞きつけてカイルは現実に引き戻された。
何かが藪をかき分けながらこちらに近づいてくる。
そっと、腰の短剣に手を伸ばす。
オークに生け捕りにされた人間がどうなるのか。
恐ろしい噂話の数々が脳裏によみがえる。
だが、そこに現れたのは、ある意味でオークよりも見たくなかった顔だった。
「なんだ、もう諦めたのか」
カイルを見下ろしながら、そいつ――勇者は先ほどと同じ笑顔を浮かべながら言った。
いつもは取り澄ました、しかしどことなくやる気のない表情をしたあの男が、なぜか生き生きと目を輝かせていた。
口調も普段よりも随分砕けたものになっている。
「ようやく見つけた。ずいぶん遠くへ飛ばされやがって。探すのに手間取ったぞ」
呆けたままのカイルを立たせようと勇者が手を伸ばした。
その手をつかみかけたところで、カイルは自分の状況を思い出して手を引っ込めた。
「もう私は歩けません。どうか、貴方だけでも逃げてください」
そう言われて初めて、彼はカイルの足が折れていることに気づいたようだった。
「あー、派手に折ったな。さすがに歩けないか」
「はい、ですから――」
「ちょっと待ってろ。添え木を作ってやる」
勇者はカイルを無視して光の槍を出現させると手近な枝を切り落とし、それをカイルのマントを裂いた即席包帯でもって折れた足にぞんざいにくくりつけた。
「ま、雑だが当面はこれで十分だろ。ほれ、負ぶってやるから掴まれ」
「し、しかし……」
カイルがためらっていると、時間がない、と言って無理やり彼を背負い上げた。
その乱暴な動作のせいでカイルの足に激痛が走った。
「痛っ!」
「静かにしろ。もうオーク達が近くまで来ている」
そう言いながらも、勇者はまだ笑っていた。
「どうして――」
どうしてこの状況で笑っていられるんだ、と聞きかけて言葉を飲み込んだ。
それは今訊ねるには適切ではないような気がしたのだ。
代わって口をついて出たのは――
「どうして私を助けてくれたんですか?」
歩き始めた勇者の答えは簡単だった。
「リーゲル殿の孫だからだ」
なるほど、祖父の威光のおかげというわけだ。
確かにこの男の立場からすれば、自身の後援者の孫を見捨てるという選択肢は取りづらかろう。
カイルは少しだけ失望したが、同時に腑に落ちる答えでもあった。
だから、それに続いた言葉は、彼にとって意外なものだった。
「見たところ、お前もあの爺さんと同じだ。
一度決めたら、絶対に相手を裏切らない。
そういう種類の人間だ。血は争えないな」
「……自分は祖父とは違う人間です」
「そんなことはわかってるよ。
血筋だけで人を判断するほど俺は馬鹿じゃないぞ。
どれだけの異世界を渡ってきたと思ってるんだ」
そういうと、勇者はカイルの目を見てニヤリと笑った。
「だけど、眼を見ればわかる。これについては自信があるんだ。
お前はやっぱり、あの爺さんと同じ目をしてるよ。
現に仲間のために後先考えず飛び出したじゃないか。
まぁ、やり方が下手過ぎたけどな」
「……申し訳ございません」
「いいさ、俺にも覚えがある。
まだ若いんだから、これから覚えていけばいい。
帰ったらリーゲル殿に叱ってもらえ」
「……今度ばかりは、祖父も私を見限るでしょう」
「大丈夫だ。リーゲル殿はこの程度でお前を見捨てるような男じゃない。
とにかく、俺にはお前みたいな味方が一人でも多くいるんだ。
命がけで恩を売るだけの価値があるんだよ」
カイルの胸に熱いものが込み上げてきた。
これは打算には違いなかったが、彼が倦んでいたものとは違う種類の打算だった。
先ほど覚えた小さな失望の正体を、彼はこの時になってようやく悟った。
(生きて帰ったら、この人に誓いをたてよう)
カイルは心の中で密かにそう決意した。だがこの状況で生還できるのだろうか?
「勇者様、生き残るあてはあるんですか?」
「もちろんだ」
勇者は不敵な笑みを浮かべて答えた。
足元が不安定な森の中をカイルを担いで歩いているというのに、この男は息一つ上がっていなかった。
「しかし、オイフェルは一人で帰ってしまいました。
徒歩ではどう考えても山脈は越えられません」
「オイフェルがいたって、三人乗りじゃどのみち山は越えられない。
だが、あいつは少なくとも俺が生きていることを確認している。
だから明日になれば、リーゲル殿が捜索隊を寄こすはずだ。
それまでどこかに潜んでいればいい。
クチバシ犬共もいないようだし、歩兵だけならどうにか撒けるだろう」
そういってから、勇者はニヤリと笑って続けた。
「お前もオイフェルを見習えよ。あいつは仲間を救う最善手が何なのか、よくわかってる」
どうやら、カイルが考えていたよりも状況は悪くないらしかった。
カイルは一人で勝手に絶望していたことを思い出し、恥ずかしくなった。
*
カイルに向かって余裕をぶっこいてみたものの、正直なところ状況はそれほど良くない。
まず、オイフェルが無事に帰還できるかどうかがわからない。
あいつの竜も何発か弾をもらっていた。飛行には支障なさそうに見えたが、失血による体力低下で山を越えられない可能性がある。
それから、オーク軍に増援がくる可能性もあった。
墜落する前に、村の端でピンク色の煙が上がっているのが見えたのだ。
あれはたぶん狼煙だろう。
もし、あのクチバシ犬共が来れば逃げ切るのは難しい。
いかに勇者の力で強化された身体能力があるとはいえ、馬や犬より速く走れるわけじゃない。
そして、今いるこの森はそれほど広くない。ここに隠れ続けることはできない。
とすれば、少しでも村から離れておく必要がある。
「おい、ちょっと揺れるぞ」
俺がそう背中に一声かけてから走り出したその瞬間、背後から何かが藪をかき分けながら近づいてくる音がした。
ワンワン!
振り返った瞬間に視界に飛び込んできたのは、どの異世界にも大抵は存在する、人類最初のお友達だった。
俺も大好きなあの動物がこの世界に存在したことに安堵したのもつかの間、そいつのむき出しの牙を見てすぐに思考を切り替える。
右手を突き出しながら魔力を込めると、光の槍が出現しそのまま犬を貫いた。
芝犬に似たかわいいそいつは、声を上げる間もなく絶命した。
息つく間もなく、さらに二匹の犬が左右から同時に飛び掛かってくる。
俺はカイルを背負ったまま転がってそれを回避し、起き上がりざまに近くにいた一匹に切りつける。
カイルが呻く声が聞こえたが、今は構っていられない。
さらに反転して飛びかかってきたもう一匹も切り伏せる。
ワン! ワン! ワン!
背後から、さらに複数の犬が吠えているのが聞こえる。
それに交じって、ブヒーブヒー! というオーク兵たちの号令も聞こえた。非常にマズイ。
あまり犬に構っているとオーク兵に追いつかれてしまう。
もう背中の荷物に配慮している場合じゃない。
俺は全力で走り出した。首に回されているカイルの腕に、何かに耐えるようにグッと力が入った。
だが、そこから十歩も走らないうちに新手の犬が追い付いてきた。
その吠声と足音から距離を測り、間合いに入ると同時に振り向きざまに斬り払うと、キャイン! という悲鳴とともに脚のない犬が地面に転がった。
のたうち回るその犬に止めを刺すか逡巡しているところに、さらに五匹の犬が藪をかき分けて姿を現した。
新手の犬たちは遠巻きに俺を取り囲むと、盛んに吠え立ててきた。
だが、吠えるばかりで襲ってくる様子はない。
それならばと逃げ出そうとすると、背後から襲い掛かってくる。
かといって突き殺そうとこちらが距離を詰めると、犬達はさっと身を躱して距離をとる。
この連携の取れた動きは間違いなく、良く訓練された猟犬のそれだ。
猟師がくるまで獲物の足を止めようとしているのだ。
カイルを背負っているせいで、動きが鈍っているうえに片手しか使えないのがもどかしい。
いらだち紛れに光の槍を投げつけたが、あっさりと躱された。
その上、こちらの手から得物がなくなったと見るや否や、一斉に襲い掛かってきた。
俺は素早く槍を再出現させ、そのうちの一匹を切り裂き、そのままの動きで別の一匹に槍を投げつけて貫いた。
残る三匹は仲間の死にも怯まず、再びこちらを取り囲んで吠え立てている。
良い犬達だ。どうにかして連れ帰りたいところだが、とてもじゃないが無理だろう。
だが、数が減ったことで逃げ出す算段が立った。
俺は光の槍を出現させ、一匹を切りつける。
もちろん躱されたが、そのまま振り向きざまに背後の一匹に槍を投げつけた。
同じように躱されたが、それによって包囲が崩れた。空いた隙間に俺は全力で駆け込む。
三匹目が背を向けた俺の足めがけて噛みついてきたが、それも予想通り。
背中のカイルを盾にしてそれを防ぐと、新たに出した槍で振り向きもせずにそいつを突き殺す。
後二匹。二匹だけなら、走りながら対処可能だ。
気が緩みかけたその瞬間、例の悪寒が全身を貫く。
とっさに、体を投げ出すようにしてその場に伏せた直後、背後で一斉に銃声が鳴り響き、甲高い音を立てて数十発の銃弾が頭上を通り過ぎていった。
周囲でバシバシと木の幹が弾け、キャン!という悲鳴が響く。
犬が斉射に巻き込まれたらしい。
間髪を入れず俺は走り出した。
今のが戦列からの斉射なら、しばらくは安全なはずだ。
俺の姿を確認したオーク達がブヒーブヒーと怒号を上げているのが聞こえる。
走りながら背後に耳を澄ます。
強化された聴力で、オーク達の蛮声の中からひと際よく通る大声の持ち主を聞き分け、その声に意識を集中する。
ブヒー!
ブッヒ!
ブ ――
号令らしきその声のタイミングに合わせて、声の主に向かって槍を投擲。
同時に、目についた大木の陰に回り込むように飛び込む。
一拍遅れて、ババババーン!という不揃いな銃声が響き、樹の幹が弾け、銃弾に引きちぎられた枝や葉が周囲で飛び散った。
槍が当たったかどうかは知らないが、斉射が乱れていたということは多少混乱させることができたんだろう。
俺は再び跳ね起きて走り出した。
耳を澄ませても、あのよく通る声は聞こえない。
槍の代わりに光の盾を出現させ、それを後ろに向けて銃弾に備える。
背後から、パン!パン!と散発的な銃声が聞こえ、キィン!という甲高い音とともに光の盾が銃弾をはじく。
〈黒犬〉達の短騎銃に比べると一発が重い気もするが、それでも斉射でもって多数の銃弾を食らわない限り俺の盾が粉砕されることはなさそうだ。
突然、森が途切れ視界が開けた。
見上げれば青い空。少しだけ西に傾き始めた太陽が俺の目を刺す。
どうやら、さほど広くもない森の反対側に出てしまったらしい。
目の前に広がるは何の遮蔽物もない荒れ地と小さな丘。
背後では犬達が吠えている。恐らく新手だ。
オークの怒号が前よりもさらに増えている。
村にいた主力が混乱から立ち直り、追跡に加わったんだろう。
ここにとどまっても死ぬだけだ。一か八かだ。
俺は森を飛び出し、全力で丘に向かって駆けた。
次回は9/19を予定しています。
9/11
タイトルを変更しました。
また、これまで投稿した全頁を改稿しました。
改行を増してみただけですが、少しは見やすくなったでしょうか?
第一話は、そのうち大きく変更するかもしれません。
(起きた出来事そのものは変わらない予定ですが)




