第十六話 御前会議
流石の〈黒犬〉も、目の前の惨状には呆然とする他なかった。
苦労して持ち込んだ八門の大攻城砲が人間どもの防塞を覆っていた魔法障壁を打ち破り快哉を上げたのもつかの間。
突如として大量の土砂が濁流となって押し寄せ、何もかもを飲み込んでしまったのだ。
(あの伝承は本当だったのか……)
〈黒犬〉は呻いた。
辺境伯領には、かつてこの地に押し寄せた軍勢が谷に棲む水龍によって押し流されたという伝説が残っていた。
彼の視線の先では、確かに巨大な石の竜――つまり〈竜の顎門〉の水門――が今も轟々と水を吐き続けていた。
幸いにも彼の直属の部下である狼鷲兵は全員無事だった。
狼鷲はもともと険しい山岳地帯に棲む生き物だ。
谷の斜面を苦も無く駆け上がり、難を逃れることができた。
しかし、砲員やその護衛のために連れてきた歩兵隊はその殆どが流されてしまっていた。
あの巨大で鈍重な攻城砲は言わずもながだ。
谷の入口に展開している辺境伯軍の主力は無事だろうか?
〈黒犬〉は振り返ったが、あいにくいま彼がいる場所からは見通すことができなかった。
おそらく大丈夫だ、と〈黒犬〉は考えた。
主力がいた位置からも、あの忌々しい水門が水を吐き出すところが見えていたはずだ。
俺がいなくとも、だれか機転の利くやつが退避命令を出しているだろう。
貴族どもでがっちり固められた本国軍と違い、辺境伯軍はそうした人材に事欠かなかった。
彼らは人間どもとの抗争で鍛えられていた。
主力の安否は気にかかるが、この水が引くまでは合流することもかなわない。
〈黒犬〉は眼下の濁流に目をやった。
その縁に、幸運にも手掛かりを得た幾人かの兵士たちが引っ掛かっているのが見えた。
せめて、今できることをやるべきだ。
〈黒犬〉は狼鷲兵に、彼らを救助するよう指示を出した。
部下たちは命令に従い、即座に行動を開始した。
主力の下へ帰りついたのは、翌朝早くのことだった。
兵員に殆ど損害はなかった。
将校たちは、異変に気付くや否や適切に退避命令を出していた。
しかし、施設にはそれなりの被害が出ていた。
人間の騎馬突撃を防ぐために設置した柵の半分以上が押し流されていたし、さらに悪いことに物資集積所に深刻な被害が出ていた。
中でも問題なのが火薬だった。
その多くが浸水し、使い物にならなくなっていた。
先の会戦のような規模の襲撃を受ければ持ちこたえるのは難しいだろう、というのが将校たちの意見だ。
撤退すべきか?
そんな考えが彼の頭をよぎる。
いや、問題はないはずだ。
あの泥が乾くまでは、奴らの重装騎兵は動けまい。
だとすれば時間は十分にある。
このまま補給が届くのを待てばいい。
一つだけ気がかりがあった。
人間どもが使役する竜の存在だ。
どういうわけか先の会戦でこそ姿を現さなかったが、先日からチラホラ目撃情報が上がり始めていた。
普段ならどうということはないが、火薬不足となれば話は別だ。
いまあの空を飛ぶ獣が大挙して押し寄せればまずいことになる。
だが、〈黒犬〉はその考えを振り払う。
火薬不足とはいえ、相応の犠牲を奴らに払わせることはできるはずだ。
何より、空からではこちらに被害を与えることはできても、追い払うことはできないのだ。
ならば問題はない。
彼は部下たちに補給計画の策定を指示すると、兵士たちの下へ向かった。
〈黒犬〉が無事な姿を見せれば、落ち込んだ士気をいくらか盛り上げることができるだろう。
*
〈竜の顎門〉からオーク領へと続く谷道はすっかり泥で覆われていた。
すでにオーク達は谷の外へと引き上げたようで、谷間に動く影は一つもなかった。
幸いにも〈竜の顎門〉はいまだ健在だったが、以前は満水だったダムの水位が大幅に下がっていた。
おそらく半分もないだろう。
報告によれば、エベルトが水門を開放して谷に侵入していたオーク軍を水攻めにしたらしい。
俺はオークがいないことを確認しながら、慎重に高度を下げていった。
低空を飛んでいる時には、極稀に手練れのオークに狙撃されることがあるとリーゲル殿から注意を受けていた。
目的の物はすぐに見つかった。
それは泥の中から、にょっきりと煙突のように生えていた。
目視できたのは三本。
攻城砲は十門あったと聞いている。
回収された痕跡もないので、残りは完全に泥に埋まっているんだろう。
俺は再び高度を上げると、谷の出口へと向かった。
谷に流し込まれた奔流は、当然その出口に布陣していたオーク達にも被害を与えたはずだ。
うまいこと、全軍を押し流してくれていたりしないだろうか?
あいにくとオーク軍はまだ健在だった。
谷の出口を塞いでいたらしい馬防柵の一部が破損していたが、それだけだ。
谷の外には今でも数えきれないぐらいのオークが蠢いていた。
先の会戦の時と違い陣を組んでいないので大まかにも数えるのは困難だが、印象からいえば大きく数を減らしてはいないだろう。
こちらを視認するや否や、オーク達の一部が何か所かで陣を組み、こちらに銃を向けてきた。
まだ射程距離外らしく発砲はしてこないが、これ以上高度を下げるのはやめたほうがよさそうだ。
馬防柵を修復するためだろうか、森から木を切り出しているオークもいる。
奴らはいまだに戦意旺盛で、今後も居座る気満々であるらしい。
ひとまず見るべきものは見た。俺は〈竜の顎門〉へ戻るべく、針路を北へ向けた。
---
〈竜の顎門〉にあるその一室は、重苦しい空気に包まれていた。
王国最高国防会議の参加者は五人。
国王陛下、竜騎士団長リーゲル、〈竜の顎門〉守備隊長エベルト、今回が初の顔合わせとなる新神殿騎士団長ファーガス、そして勇者にして元帥である俺だ。
近衛隊長もこの場にいるが、彼は席につかず陛下の後ろに直立不動で控えている。
参加者ではなく護衛としてこの場にいるということらしい。
形式としては元帥主催の御前会議だ。
本来なら主だった諸侯も会議に招くべきだったが、今回は事態が事態だ。
彼らが領地から駆け付けるには時間がかかるし、どうせ俺の主催では呼んでも来ない。
メグも今はまだ、俺の紋章入りの剣と鞘を振り回して配下の領主をまとめている最中だ。
「此度の攻撃において、オークどもはこれまで見たこともない大きな大砲を曳き、このあたりに布陣しました」
そう言って、エベルトは卓上に広げられた谷の地図の一点を指した。
谷の中程、〈竜の顎門〉から直線距離にして2kmほどの場所だ。
「数は恐らく十門程。
発射準備を整えるまで半日ほどを要するようです。
午後になり、奴らの砲撃が開始されました。
〈顎門〉の魔法障壁は最初の斉射には耐えたものの、二斉射目で粉砕され、城壁の一部に被害が出ました。
発射間隔は一時間程度かかるようです」
「たった二斉射で!?」
ファーガスが信じられないという顔をした。
竜で駆け付けた俺たちは事前に報告を聞いていたが、この男は陛下とともについ先ほど到着したばかりだった。
「状況は危機的であると判断し、即座に水門の開放を決意しました。
吐き出された水により、谷の内部に侵入していたオークどもはあらかた一掃されました。
水は谷の出口にまで到達し、オークどもが築いた陣地の一部を破壊しております。
以降、オークどもに再攻撃の動きはありません」
「ひとまず、防衛には成功した、とみてよろしいですかな?エベルト殿」
ファーガスはそう訊ねたが、表情を見る限り、口にした当人もそんな甘い考えを持ってはいないようだった。
「はい、昨日の攻撃に限っては。ただ、〈竜の顎門〉は依然として危機的な状況に置かれています」
エベルトはますます表情を険しくしていった。
「先の放水で、ためていた水の半分以上を放出しております。
雪解けの季節まで、水位の大きな回復は望めません。
後一度までなら敵を押し流すとができますが、それ以降は、守備隊が弓矢をもって城壁を守らねばならぬでしょう。
魔法障壁はいまだ回復しておらず、あの巨砲を抜きにしても苦しい戦いを強いられると考えられます」
そもそも〈竜の顎門〉の守備隊はさほど数が多くない。
ここ二百年の間、オークが〈竜の顎門〉まで攻め寄せてきたことがなかったらしい。
大砲だって、谷に埋まっているので全部じゃないはずだ。
なんなら再生産だってできるだろう。
魔法障壁のない状態で撃たれれば、あの大城壁といえどそう長くはもちそうにない。
「魔法障壁はどれぐらいで再展開できるんですか?」
俺が訊ねると、エベルトはファーガスに視線を送った。
魔法については神官たちの管轄だからだろう。
「学僧たちは、幾度にもわたる調査によって魔法陣の構成をおおむね解き明かしております。
再起動はおそらく可能だろうと考えられていますが、二千人を超える神官を集める必要があるかと。
準備にはいささか時間がかかるでしょう」
「おそらく?」
「はい、今のところ儀式の手順は学僧たちの推測でしかありません。
なにしろ初めて行う儀式となりますので……」
本当に大丈夫なんだろうか?
そういえば、大昔の魔術師がこの砦を作って以来、障壁が破られたのは史上初といってたっけ。
ここは再起動の手順を研究していただけでも上出来とするべきか。
「やつらの再攻撃の準備が整う前に、どうにかして奴らを引き下がらせる必要がありそうですな」
リーゲル殿の言葉にその場にいた全員が頷いたが、その方法については誰にもわからなかった。
「……正面攻撃は……無謀ですな」
これまた全員が頷く。
だが、待てよ?前回は使えなかった戦力が、今なら使えるじゃないか。
「竜を使えばどうでしょう?空から奴らを焼き払うことはできませんか?」
誰かがフンと鼻を鳴らした。
「どうやら勇者殿は竜騎士どもを過大評価しておるようですな」
鼻を鳴らしたのファーガスだった。
「いかにも、竜騎士どもは我が国の騎士たちをいとも簡単に焼き殺すことができます。
しかし、オーク相手には何の役にも立ちはしません。
せいぜい物見や連絡といった小間使いができるにすぎませんよ」
「なんじゃと!我が竜騎士団を愚弄するおつもりか!」
リーゲル殿が大声で叫びながら立ち上がった。
握った量のこぶしがプルプルと震え、こめかみには青筋がまで浮かんでいる。
「まぁまぁ、落ち着いてください。偵察や連絡は非常に重要な任務ですよ」
俺はフォローを入れたが、リーゲル殿は収まる様子をみせない。
「違うというのなら、その証を見せてくだされ。どうせできはしないでしょうがな」
ファーガスがさらに煽った。どうやらこの男、リーゲル殿のことをよほど嫌っているらしい。
「ならば貴様らはどうなのだ!坊主頭の若造どもがどれほど役に立つのか見せてもらおうか!」
「我が神殿騎士団は貴殿らとは事情が違う。
リアナ殿下が無謀な突撃ですり潰してさえいなければ、我が騎士団はいまだ健在で勇者殿の切り札としてお役に立てるはずだったのだ。
まったく馬鹿なことをしてくれたものだ」
「姫殿下をかくも侮辱されてはもう許せぬ!決闘だ!」
リーゲル殿が剣を抜いた。
ご自慢の銀の剣だ。
鞘や柄はもちろん、刀身までも全て銀でできているという話だが、刃物としては使い物になるんだろうか?
ファーガスがニヤリと笑って剣に手をかける。わぁ、ほんとにやる気だ。
「やめよ! 二人とも! 余の前でつまらぬ仲たがいをすることは許さぬ!」
国王陛下が一喝した。小柄な体躯に似合わぬ大声だった。
「はっ! 失礼いたしました」
ファーガスはすぐに反応し、陛下に一礼して席に着く。
「竜の爺。お前もだ。剣を収めよ」
リーゲル殿はファーガスをしばらく睨み付けていたが、陛下に促されしぶしぶといった様子で剣を収め、席に戻った。
「……それで、竜騎士がオーク相手に役立たないというのはどういうことでしょうか?」
俺はおそるおそる質問する。
蒸し返すのは良くないとわかっているが、これはぜひとも確認しておかなければならかった。
ファーガスが嬉々として口を開きかけたが、陛下が目でそれを制した。
「リーゲル。勇者殿にはお前から説明してやれ」
「はっ」
リーゲル殿は一瞬だけ悔し気に顔をゆがめたが、すぐにそれを消した。
それから俺の目をしっかりと見据えて説明を始めた。
「理由は全く単純です。
オークどもの銃の威力が向上したためにほかなりません。
竜の炎よりわずかではありますが遠い距離から竜鱗を撃ち抜くことができるのです。
今や、密集陣への接近は竜騎士にとり自殺行為に等しいものになりつつあります」
「なるほど。では、竜騎士で急襲する案は却下ですか」
まぁ、こんな誰でも思いつきそうな案で片付くなら、国王陛下まで血相を変えてここに集まったりしないよな。
「しかし勇者殿! どうか竜騎士が全くの役立たずであるなど思わないでいただきたい!
竜騎士全騎をもって同時に襲撃を仕掛ければ、三頭に一頭は奴らに火炎を浴びせることができましょう!
撃ち落された者共も、慣性を持って敵陣へ突入し必ずや大穴を開けて御覧に入れます!
そこに騎士たちが突入すれば、敵陣は粉砕されたも同然です!」
リーゲル殿の目は血走っている。
「わ、わかりました。いざという時には考慮します……」
俺は言葉を濁した。
竜騎士には他にも便利な使い道がいくらでもあるのだ。
そんな使い捨てミサイルみたいに扱うなんてもったいないじゃないか。
「ほれ、落ち着け、リーゲル」
興奮状態のリーゲル殿をエベルトがなだめてくれた。
それが済むと再び沈黙が場を支配した。
誰も状況を打開する策を思いつかなかった。
いや、俺は一つだけ案を持っていた。実際のところどれほど効果があるかはわからないし、何より後のことを考えればなるべくやりたくない。
だが、まずは目の前の危機をどうにかする必要がある。
「一つ、私に考えがあります」
全員の視線が俺に集まる。
「竜騎士をすべて私の指揮下に置かせてください。
必ずや、奴らを追い返して見せましょう」
効果のほどはわからないが、こういうことは言ったもの勝ちだ。
しょぼくれていたリーゲル殿が期待に満ちた視線を向けてきた。
ファーガスは怪訝な眼でこちらを見ている。
「リーゲル、良いか?」
陛下がリーゲル殿に確認した。
「はっ!我らをいかようにもお使いくだされ!必ずやお役に立ちましょうぞ!」
次回は8/29を予定しています




