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第十三話 モールスハルツの姫君

 城に戻った俺たちをヴェラルゴンが出迎えてくれた。

 ちょうど竜たちの餌やりタイムだったらしい。

 モールスハルツの盟主のオードン君は、巨大な白竜を前にしてカチンコチンに固まってしまった。


「勇者殿!お戻りになりましたか!」


 竜飼いたちの作業を監督していたリーゲル殿がこちらに気づいて駆け寄ってきた。

 が、すぐに俺の隣の女性に気づいて驚きの表情を浮かべた。


「そちらにいるのはメグリエール様ではないですか!

お美しくなられましたな!」


 リーゲル殿はそういって、彼女の前で恭しく片膝をついた。


「お久しぶりです。リーゲル様こそ、昔と変わらずお元気そうで嬉しく思います」


 メグリエールはそう言いながら巡礼服の裾を少しだけ持ち上げて礼を示す。


「お二人はお知り合いだったんですか?」


 あいさつを終えて立ち上がったリーゲル殿に俺は尋ねた。


「えぇ、吾輩が姫殿下の守役をしていたことは以前お話ししておりましたかな?

 その頃にメグリエール様も殿下の侍女を務めておられましてな」


「侍女といっても、遊び仲間みたいなものでしたけど」


 なるほど、人間というのは意外なところでつながっているものなんだな。


「ヴェラルゴンは相変わらず綺麗ですねぇ」


 メグリエールはまるで怖がる様子を見せずに竜に近づいていく。

 あまりに自然な調子だったので止めるのが遅れた。


「危ない!」


 そう叫んだ時には手遅れだった。

 彼女はもうヴェラルゴンの真っ白な羽毛に手を伸ばしていた。

 反射的に光の槍を出現させたものの、間に合いそうにない。

 だけど、恐れていたことは起きなかった。


「大丈夫ですよ、勇者様。初めてじゃないですから」


 彼女はヴェラルゴンを撫でながら屈託なく笑った。

 熟練の竜飼い達でも取り扱いに苦慮するあの白竜が、迷惑そうな色を浮かべながらもおとなしくその身を任せていた。

 どうやら、あの娘は“素質”持ちだったらしい。


「……惜しいことですな」


 リーゲル殿がぽつりといった。


「何がです?」

「メグリエール様ですよ。男に生まれていれば、一流の竜騎士に……いや英雄にもなれたでしょうに」


 不意に背後から絶叫に近い泣き声が響いた。

 振り返ると、オードン君がギャン泣きしていた。

 その横ではトーソンが必死に宥めようとしていたが、オードン君が泣き止む気配はなかった。


 *


 泣きじゃくるオードン君を寝かしつけた後、俺たちはメグリエール嬢の話を聞くため領主の居室に集まった。

 居室へ通されたメグリエール嬢はぎょっとした様子で後ずさった。


 その部屋は他の部屋以上にオークグッズ(婉曲表現)だらけだったからだ。

 先々代の元帥閣下は一周回ってオークを愛していたとしか思えない。

 メグリエールが恐れと呆れが入り混じった目でこちらを見てきたが、それは冤罪だ。

 このオークグッズは俺が集めたものじゃない。


「それじゃあ、事情をお聞かせ願います」


 オークの骨でできた椅子をすすめながら俺は言った。

 彼女はおそるおそるそれに座ると、静かに語りだした。


「叔父はいつも優しく、私やオードンをかわいがってくださりました。

 だから私もオードンが成人するまでの間、叔父が後見人になることに不安を感じてはいませんでした。

 ところが、いざ後見人として実権を握ると、叔父はまるで人が変わってしまいました。


 その日の内に当主の座に腰を据えると、自分自身が当主あるかのようにふるまい始めたのです。

 私と弟は塔の一室に軟禁され、そのことに抗議した者も叔父によって罰せられました。

 ある日、私たちはモールスハルツの城から叔父の居城へ移されることになりました。

 表向きは体の弱いオードンの療養のためということになっていましたが、形ばかりとは言え当主であるオードンをその居城から移すというのは不自然です。


 不思議に思っていた私たちに、心あるものがこっそりとその訳を知らせてくれました。

 それによると、叔父は私たちを密かに殺すつもりだというのです。

 自分の領地であれば、毒を盛ることも死因をごまかすことも、どうにでもなりますから。

 そして移送の当日、休憩の際に隙を見て私たちは逃げ出しました。


 元は、叔父に反対する小領主の下に身を寄せる手はずでしたが、追手に行く手を塞がれ、たどり着くことができませんでした。

 やむなくこちらの領地に逃げ込み、聖堂にて保護してもらおうとしたのですが、その前に追手に見つかってしまい……あとはご存知の通りです」


 なんともまあ、ひどい叔父だ。

 しかし、話自体はどの世界でもよく聞くものだった。叔父とやらを支持する人たちの気持ちもわかる。


 人類はオークに大敗し、周辺でも戦乱の気配が漂っている。

 厳しい時代が幕を開けつつあるのは確実だ。

 そんな時期に、どうして幼児を主君と仰ぐことができようか。

 いま求められているのは頼りになる、強い主君だ。


 その上、どうもこの世界の法律は、相続に関して割と曖昧な規定しかないらしい。


「……それで、メグリエールさんは私に何を求めているんですか?」


 俺は彼女に確認した。


「正義を。生来の権利が、本来持つべきものの手に渡るよう手を貸していただきたいのです」

「つまり、叔父から盟主の座を奪い返す手伝いをしろと」

「はい」


 メグリエールは力強く頷いた。

 瞳には強い決意が浮かんでいる。

 その揺ぎ無い表情を見て、俺はため息をついた。


「当主の座は諦め、身の安全を得ることで満足されてはどうでしょう?」


 俺の提案に、彼女の表情が凍り付く。

 俺の斜め後ろに立っているトーソンが、心底あきれた視線を送ってくるのを感じた。

 リーゲル殿は何の反応も見せていない。この老人は、国王陛下が俺に何を求めているかを知っている。


「盟主の座とモールスハルツの地は、私たちが父から、そして先祖から受け継いできたものです。

 私たちには、それを正しく次の世代に引き継ぐ義務があります!

 不当な簒奪者の手に明け渡すわけにはいかないのです!

 どうか、どうか私どもにお力添えをお願いします」


 メグリエールは必死の形相で俺に訴えかけてきた。

 そこにはもう、先程の白竜を撫でて屈託なく笑っていた少女はいなかった。

 代わりにいたのは、全てを擲って己の義務を果たさんとする高貴な女性だった。

 その姿に、あの少年王の面影が少しだけ被った。


 重い荷を背負わされた年端もいかない少女、その救いを求める声を撥ねつけることができる男がどこにいようか?


「貴女の決意の強さはよくわかりました」


 俺の言葉に彼女の顔が少しだけ緩んだ。


「それでも敢えてもう一度提案させていただきます。

 モールスハルツは叔父上に任せてしまいませんか?

 その上であれば、あなた方の身の安全は私が全力で保証します」


 そう、その男はここにいた!

 俺は勇者だ! ただの男にはできないことでも勇者にはできるのだ!


 悪いが、陛下とこの娘じゃ、背負うものの重さが違う。同列には扱えない。


「どうして……」


 メグリエールが一転して絶望の表情を浮かべる。

 その時、トーソンがたまりかねた様子で一歩前に出た。


「勇者様、臣従の誓いにおける庇護とは単なる生命の保証だけではなく、被庇護者の持つ権利の擁護も含まれています」


 なんだよ、俺が悪いみたいじゃないか。


「トーソン殿、これは勇者殿ご自身が判断すべき事柄ですぞ」


 ずっと黙りこくっていたリーゲル殿がトーソンを窘めた。

 トーソンは何か言いたげに口を開きかけたが、リーゲル殿の強い視線に押され、口にしかけた言葉を飲み込んだ。

 そして、失礼いたしました、といって一礼し、元のように俺の斜め後ろの位置についた。


 気まずい沈黙が流れた。

 ひとまず、俺の考えについて説明する必要がありそうだ。


「正直なところ、元帥たる私の立場としては、その人物が国王陛下に忠誠を誓い続ける限り、誰がモールスハルツを支配しようが構わないんですよ」


 ここでいったん区切り、メグリエールの反応を見る。

 彼女が俯いたまま何も言わないのを確認し、先を続ける。


「私が一番恐れるのは、モールスハルツの後継者争いが拗れ、小領主や周囲を巻き込んで内戦状態になることです。

 南のケレルガースで今何が起きているか、貴女もご存知でしょう?」


 いま、カダーンの丘の南の地では、盟主の座をめぐって小領主たちが激しい内戦を繰り広げている。

 多くの村が焼かれ、農民が殺され、生き延びた人々も飢えに苦しみ、あるいは奴隷へ身を堕とされようとしている。

 これらは、モールスハルツでも今まさに起きようとしていることだ。


「我々人類は、先の敗戦で多くの力ある騎士たちを失いました。

 このうえ内戦でさらに兵を失うのは極力避けるべきです。

 この観点からすれば、私が悪評をこうむってでも貴女を叔父上に引き渡し、彼からさらなる忠誠を引き出す、というのも最適解になりえます」


 俺の発言に背後のトーソンが息を飲むのを感じた。


「無論、誓いの重さは私もよく心得ています。

 だから、こう提案するのです。

 『モールスハルツを諦めませんか?』と。

 あなた方は継承権を放棄する代わりに、身の安全を得る。

 ゴルダン殿はあなた方の完全排除を諦める代わりに、ひとまずの正統性を得る。

 私は名誉の半分を失いあなた方の安全保障に責を負う代わりに、残りの半分の名誉とモールスハルツからの忠誠を得る。

 このあたりが丁度いい落としどころではないかと思うんです」


 しかし、メグリエールは再び顔を上げると、毅然とした態度でこちらを見つめ返してきた。


「勇者様、甥の幼きをいいことにその座の簒奪を試みるような男を相手に、誠意ある取引は可能でしょうか?」


 彼女は諦めることなく反論を続けた。


「我が亡き父の王家に忠誠篤きことは、リーゲル様もよくご存じのことと思います。

 姫殿下より召集がかかれば、父は必ず精兵と名高きモールスハルツの騎士達を率いて馳せ参じてまいりました」


「うむ、いかにも。カールドン殿の忠勤はしかと記憶している。彼は良き騎士であり、友であった」


 メグリエールの言葉に、リーゲル殿は少し懐かしそうに頷いた。

 しかし、その表情は厳しいままだ。


「しかし、叔父は幾人かの小領主たちを抱き込み、度重なる損耗を口実にモールスハルツ勢の従軍に反対しました。

 そのため、ここ数年の戦役においては父は質の劣る自由騎士や傭兵を率いて参陣せざるを得なくなったのです。

 今思えば、これも父を亡き者にしようとする策謀の一端であったのかもしれません。

 此度の大戦も、父が精鋭たるモールスハルツ勢を率いて参加していれば、姫殿下もあるいは――」


 リーゲル殿が微かに反応した。彼の中で、少しだけ天秤が動いたらしかった。


「話がそれてしまいました。

 ともかく、このような不実な者に父と等しい忠勤が期待できるでしょうか?」


 そう言って彼女は席を立った。

 そして俺の前にやってくると、ひざまずいた。


「私どもは、父と同様に、いえ、それ以上に王家と、そして勇者様に忠実に仕えることを改めて誓います。

 モールスハルツを私どもに任せていただけるなら、モールスハルツ総勢千五百騎が、いついかなる時であっても、勇者様ご自身の求めに応じて馳せ参じます。

 中でも父の遺した従士団三百騎は、夜襲もこなす精鋭中の精鋭です。

 必ずやお役に立ってみせます」


 国王陛下にでも、元帥閣下にでもなく、勇者様の求めに応じて、か。

 見事なものだ。感情に訴えるのが無理と見るや否や、実利を前面に出してきた。

 この切り替えの早さは並じゃない。

 だが、彼女の提案は一番肝心な部分を解決できていない。


「私が参戦すれば確かに戦は有利に進められるでしょう。

 しかし、結局のところ戦は避けられないじゃないですか。

 戦が終わった後、千五百騎のうちどれだけが残っていますか?

 それらを無傷で温存することも可能なんですよ」


「もちろん、ちゃんと考えがあってのことです」


 彼女は、跪いたまま毅然とこちらを見上げて答えた。


「考え?」


「はい。実のところ、叔父上に積極的に加担している小領主はごく一部にすぎません。

 大部分は、日和見を決め込んで決着がつくのを待っています」


 なるほど、いかにもありそうなことだ。


「彼らを味方につけることができれば、大勢は決します。

 あとは既に叔父についてしまった者たちを個々に調略すればすぐに片付くでしょう。

 恐らくほとんど血を流す必要はないはずです」


 なんだこれ。フワフワ過ぎるだろう。不安しかないぞ。


「楽観的に過ぎませんか?」


「大丈夫です。私だけではできずとも、勇者様のご威光があれば可能です」


 彼女は不敵な笑みを浮かべて言いきった。なんだかわからないがすごい自信だ。


「勇者様に剣をふるっていただくまでもありません。

 勇者様が私どもにご助力くださるとあれば、必ずや日和見どもはこちらになびきましょう。

 どうしてもうまくいかなければ、私を叔父上に差し出して和睦してください。

 その時はもう文句は言いませんから」


 それをやった場合、俺の評判はがた落ちだろうけどな!

 それにしても大した覚悟だ。

 その点は認めざるを得ない。


 そして名前を貸すだけで、血を流さず、評判も落とさず、その上軍勢も手に入るかもしれないというのは確かに魅力的な提案ではある。

 最悪、ヴェラルゴンで叔父とやらの軍勢を強襲してもいいだろう。

 その場合多少の血は流れるし恨みも買う。

 国王陛下もいい顔はしないだろうが、ひとまず事態を収めることは可能なはずだ。


 念のため、リーゲル殿の意向を確認する。彼は、俺と目が合うと無言で小さく頷いた。


「分かりました。そこまで言うのであれば、貴女に賭けてみようと思います」

 メグリエールの顔がぱっと輝いた。屈託のない、あの笑顔だ。俺は彼女のことが少しだけわからなくなった。


次回投稿は8/15を予定しています。


第十一話を一部変更しました。

(堂主の発言に一部追加)

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[一言] 凄い…勇者何もしてない…
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