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第十話 領地の視察・上

 心臓が浮き上がるような感覚。

 体にかかっていた重力が消え、地面が急速に近づいてくる。

 衝突直前、翼を開いて上体を大きく反らせる。

 何倍にもなって甦った重力によって羽毛の生えた背中に体が押し付けられる。

 大地はあっという間に下に流れていき、真っ青な空が視界いっぱいに広がる。

 太陽が一瞬目を焼いたが、これもすぐに視界から消えた。

 再び重力が弱まり、逆さまになった地平線が上から降りてくる。

 それが真ん中に来る前に視界は横転し、逆さまだった天地が見慣れた位置に戻ってきた。


 一息ついて周囲を見回す。

 三百六十度、障害になるものは何もない。

 地面は遥か下。聞こえるのは真っ白な翼が風を切る音だけ。


 翼が上昇気流を捉え、体が浮き上がるのを感じる。

 すかさず左旋回に入る。

 傾けた左翼が上昇気流を受け水平に戻ろうとする。

 それに抗い、さらに傾斜を深くする。

 旋回半径が狭まり、今度は全身で上昇気流を受け止めた。


 その場で旋回しながら、円柱状の上昇気流からはみ出さぬよう旋回半径を調整していく。

 両翼が気流を完全に捉えると、高度がぐんぐん上がリ始めた。

 一周するたびに下界が遠ざかっていく。

 羽ばたいて上昇することもできるが、あれは疲れる。

 この方がよっぽど楽だ。


 下界を見下ろすと、今やすっかり小さくなった大竜舎が目に入った。

 リーゲル殿や竜飼い達が心配そうにこちらを見上げていた。

 少しはしゃぎすぎたかもしれない。そろそろ戻るとしようか。

 旋回半径を広げて上昇気流の中から出ると、そのまま旋回しつつ緩降下を開始した。


 地上に降り立つと同時に、竜との接続が切れた。

 視界を始めとして二重になっていた身体感覚が消え、自分自身のそれだけが残った。

 本来の状態に戻っただけなのだが、体のあるべき部分が失われたような奇妙な感覚に襲われた。


「勇者殿! ご無事でしたか!」


 リーゲル殿がこちらに走ってきた。


「なんという無茶をなさる! 手綱も鞍もなしに、よりによってこのヴェラルゴンに飛び乗るとは!

 無謀にもほどがありますぞ!」


「すみません。どうしてもこの竜に乗ってみたくなってしまいまして……」


 まるで言い訳になっていないのは分かっている。

 だが、正直に「アイツの目つきに闘争心を刺激されてしまって……」などといえば異常者扱いされるだろう。


 だが勝算はあったのだ。この白い竜と目があった瞬間、何の根拠もなくいけると確信していた。

 だから、あいつが目をそらした瞬間、俺は飛びついた。

 同時に、どうすれば竜と”接続”できるかを本能的に理解した。

 暴れるまわる竜に必死でしがみつきながら背中によじ登ると、竜と自分の精神を接続した。

 白竜は少しだけ抵抗した後、主導権を俺に明け渡した。あとは自由にその体を動かすことができた。


 竜から飛び降りたところで大きくよろめいた俺をリーゲル殿が慌てて支えてくれた。


「本当に大丈夫ですか?」


「えぇ、アイツの足の感覚が消えたせいか、勝手が違ってしまって……」


「なんと、もう一心同体の境地に達しておられるのですか!」


 リーゲル殿が呆れと畏怖が入り混じった目でこちらを見つめてきた。

 別に俺自身が凄い才能を持っていたわけじゃない。

 多分俺を送り込んだ謎の存在のおかげだろうけど、いちいちそんな話をする必要もないだろう。


「あのヴェラルゴンをかくも容易く乗りこなすとは、勇者殿のお力は……」


「マクエル殿以外では初めてですな、団長。」


「うむ」


 周りの反応を見るに、この白い奴はよほどやんちゃな竜だったらしい。

 しかし既に乗り手のいる竜だったのか。残念だ。


「勇者殿」


「はい」


「この竜は勇者殿がご自由にお使いください」


「いいんですか?こいつはマクエルさんの騎竜なんじゃ――」


「マクエルは我が息子の名です。もうこの世にはおりません」


 *


 翌日、俺はリーゲル殿に先導されて、西へ竜を飛ばしていた。

 竜に慣れるための遠乗りを兼ねて、領地を一度訪れてみてはどうかと提案されたのだ。


 本来、王家の直轄領である〈カダーンの丘〉は、王家から派遣された代官が経営してくれているらしい。

 俺のすることと言えば、たまに送られてくる報告に目を通し、必要に応じて税収を王都に送ってくるよう指示を出すだけだ。

 税の大部分は物納されているらしいが、指示を出せばその換金も代官がやってくれる。


「それでも、一度代官と顔を合わせて人となりを確認しておくのがよろしいでしょう。

 中には、領主の不在をいいことに税収を横領して私腹を肥やす者もおりますからな」


 とは、リーゲル殿の言だ。


 俺の領地である〈カダーンの丘〉は、王都から半日ほど飛んだところにあるとリーゲル殿は言っていた。

 眼下には変わり映えのしない景色――森、荒地、畑、時々農村――が延々と繰り返されている。

 それ以外と言えば、城壁に囲まれた街を一つ見かけただけだった。

 竜と感覚を共有して空を飛ぶのは中々新鮮な経験だったが、この単調な景色にはさすがに退屈してきた。

 次回は山の方を飛んでみよう。その方がいろいろ楽しそうだ。


 上空を見上げると、太陽がほぼ真上に来ていた。

 そろそろ着いてもいい頃だ。

 先行するリーゲル殿が振り返ってこちらに手を振っているのを、ヴェラルゴンの視界がとらえた。

 よそ見をしていても、前を”視て”いられるというのは存外便利だ。

 こちらも手を上げて合図に応えると、リーゲル殿は何やら下前方を指差し始めた。


 その方向に目を凝らすと、平地のど真ん中に、お椀を伏せたように不自然に盛り上がった丘があった。

 その頂上には、ストーンヘンジにそっくりな巨石がまるで王冠のように並べられていた。

 どうやらあれが目的地らしい。


 領主の居館はその丘の麓にあった。

 城と呼ぶにはあまりに小さく、かといって館と呼ぶにはごつすぎる中途半端な大きさの石造りの建物だった。

 俺達が降り立つと、居館の中から髪の薄い男が駆けて来るのが見えた。


「勇者様、竜騎士団長閣下。お待ちしておりました。

 私は、この地の代官を務めさせていただいております、トーソンと申すものです」


 髪の薄い男はそういうと、深々と頭を下げた。

 近くで見ると、思いのほか若い男だった。


「あちらに竜舎がございますので、竜はそちらにお預けください」


 そういってトーソンがさした先には石造りの頑丈そうな、倉庫にしては入口の大きい建物があった。

 その横には何やら雑多なものが山積みにされていた。

 多分、普段は倉庫として使っていたんだろう。

 そう頻繁に竜騎士が訪問するわけでもなし、有効利用したくなるのも無理はない。


 それでもこうして俺達が到着するまでに竜舎を空けておいてもらえたのは、昨日のうちにリーゲル殿が先触れとして竜騎士を送ってくれていたからだ。


 その先触れに便乗する形で送り込まれた竜飼い達が、竜を引き取りに竜舎から出てくる。

 彼らに竜を引渡し、トーソンの後に続いて居館に向かう。

 振り返ると、竜飼いの一人がおっかなびっくりしながらヴェラルゴンを引いていくところが見えた。

 そんなに怯えなくても今日は機嫌がいいから大丈夫だ。多分。


 居館の中はオークだらけだった。

 もちろん生きちゃいない。オークの首だけが剥製にされて廊下にずらりと並んでかけられているのだ。


「こ、これは一体……」

「内装は先々代の元帥であったオーマス閣下のご趣向です。

 先代の元帥閣下は数度しかこちらにおいでになりませんでしたので、そのままになっておりまして」


 ちなみに、先代というのはリアナ姫のことだ。

 王都からは竜なら半日だが、馬だとそれなりにかかる。

 王都に居館を持っていたリアナ姫には、わざわざここに来る必要があまりなかったのだろう。

 だけど、リアナ姫がここに寄り付かなかったのはそれだけが原因じゃなさそうだ。


「オーマス閣下は、ご子息を討ち取られて以来、オークを強く憎むようになったのです。

 それからというもの、ご自身で討ち取ったオークの首をトロフィーにして掲げるようになり、館はこのような有様に……」


 トーソンさん、今「有様」って言ったぞ。


「勇者様のお気に召さないのでしたら、片付けさせますが」

「そうしてください」

「では、すぐにでも手配いたします」


 嬉しそうだな、トーソンさん。

 まあ、自分の職場がこれじゃ気が滅入るよな。気持ちは分かる。


 俺達は広間に案内され、そこで食事をとった。

 広間の壁にも、オークの首がぐるりと取り囲むようにかけられていた。

 勧められた椅子の肘掛は何かの骨でできていた。

 トーソンさんに視線で問いかけると


「オークの大腿骨でできております。先々代のご趣向にございます」


 とのことだった。

 じゃあ、あのカーテン代わりに窓にぶら下がっているあの皮は……もう気にしないでおこう。

 それよりも片付けを急がせなくては。

 食事を終えると、トーソンとともに馬に乗って領地を見て回ることになった。

 竜を使えればよかったが、素質を持たないトーソンを竜に乗せるのは難しかった。

 なにしろ、ヴェラルゴンときたらトーソンが近づくだけで威嚇してくるのだ。


「まぁ、馬でも何の問題もありません。それほど広い領地ではありませんから、夕食の前には戻れるでしょう」


 ……ということは、あの館で一泊することになるのか。

 館の中はどこもかしこもオークだらけだ。

 俺が泊まるであろう主人の私室の様子も推して知るべしだろう。


「――〈カダーンの丘〉の収入は、直営地の収穫の他、二カ村の地代、〈丘の聖堂〉からの献納、農具の貸代、粉挽き小屋、裁判、領主による証明書の発行等の各種収入からなっておりまして――」


 トーソンによる領内の説明を聞きながら、従者に先導されて馬を進めていた。

 この従者、なかなかの健脚の持ち主で、馬のペースに合わせて歩いているのにまるで涼しい顔をしている。


 ちなみにリーゲル殿は竜の面倒を見るために留守番だ。

 竜飼いだけにヴェラルゴンを任せるのが不安らしい。


 しばらくして一軒の小屋についた。

 促されて小屋の戸を開けると、何故か全裸のオーク達が鞭でしばかれていた。

 もちろん剥製じゃない。生きているオーク達だ。

 彼らは鎖でつながれ、太い丸木柱に通された横棒を押して何かをグルグル回している。


 なんじゃこりゃ?


 たまに漫画やアニメで見かける謎の装置だが、数々の異世界を渡り歩いた俺も実物を目にするのは初めてだ。

 というより、なんでここにオークがいるんだ?

 これも先々代閣下の趣味だろうか。 


「……ここは一体なんです?」


 トーソンに尋ねると、彼はオークに鞭を振るっていた男に声をかけた。


「おい!ルマ!」


「へぇ、トーソンの旦那。何か御用で?」


 男は鞭をふるう手を止めて振り向いた。

 人の良さそうな、いかにも田舎農夫といった顔つきの男だ。


「こちらが我らの新しい元帥閣下だ。ご挨拶しろ」


 男は俺達の前に跪いた。


「ワシ……あ~、わたしはこの粉挽小屋を預かっております、ルマと申すものでございます」


「粉挽小屋?」


「へぇ……いえ、はい。大臼でもって麦を挽いてるんです」


 そう言って、オークたちが回していた謎の機械を指した。

 なるほど、あれは大臼だったのか。


「挽いた麦の一部が臼の使用料として元帥閣下の懐に収まるという具合でして、へへへ」


「こら、ルマ。勇者様にそのような口の利き方をするんじゃない」


「へ、へぇ……いえ、申し訳ございません」


 ルマはトーソンに窘められ、縮こまってしまった。


「ルマが失礼をいたしました。なにぶん、無知な農民のことゆえ、どうか寛大にお聞き流しいただきたく」


「気にしてませんから大丈夫ですよ」


 そういうと、トーソンはほっとした顔になった。


「ありがたいことです。ルマは粗野ですが非常に正直でしてな。

 挽いた麦をごまかすこともありません。

 こう見えてなかなか得難い男なのですよ」


「なるほど」


 たしかに、いかにも人のよさそうな顔をしている。

 それよりも気になるのは、ここのオーク達のことだった。


「ところで、このオーク小屋も先々代の趣味なんですか?」


 俺の問いかけに、トーソンは不思議そうな顔をした。


「いえ、粉挽き小屋はどこも似たようなものかと。北の方では毛牛を使うところもあると聞きますが、何しろオークの方が安く、餌も少なくて済みますからな」


「なるほど……でも、馬の方が力がありそうですが」

「馬は高価すぎます。維持費もオークの比じゃありません。戦ならまだしも、粉ひきに使うにはあまりにもったいない」


 あ~、なんとなく見えてきたぞ。

 討伐軍が奪ってくるのは食料だけじゃなかったわけだ。

 奴隷として、というより比較的安価な役畜としてオークを攫っているらしい。


 その時、一体のオークが倒れた。

 全員の足を鎖でつないでいるため、臼の回転が止まった。


「おい!誰が休んでいいといった!」


 ルマが倒れたオークの所に行き、鞭でひっぱたいた。

 そのオークはヨロヨロと立ち上がると、すがりつくようにして横棒に取りついたが、すぐにまた倒れてしまった。


「ほら、立て!」


 そう叫ぶと、ルマはオークの腹をけり上げた。

 蹴られたオークは、今度はもう立ち上がる様子もなくただその場で丸まってしまった。

 その背中に、ルマがさらに鞭を浴びせる。


「待て待て。もういい。今日はもう全員休ませてやれ。死んでしまうぞ」


 さすがに見かねて止めに入った俺に、トーソンとルマが訝しげな視線を向けてきた。


「こんなヨボヨボのオークに合わせてたら、いつまでたっても仕事が終わりませんぜ。

 さっさと使い潰して買い替えた方が早い気がしますがね」


 ルマはもうお上品な言葉でしゃべるのを諦めたらしい。


「閣下の財産をむやみに手荒く扱うべきではありませんが、ルマの言うことにも一理あるかと」


 トーソンもルマに同意らしい。完全に家畜扱いだな。

 竜はもちろん、馬だってもっと大事にされているけど。


 もっとも、倫理的な意味で彼らを咎めるつもりはない。

 その世界で何が正しいかは、その世界の住人が決めることだ。

 ただ、人類が圧倒的な劣勢にある今、将来的にはオークとの講和も検討する必要も出てくるだろう。

 とすると、目の前に広がるこの光景はマズイ。


 万が一、これをオーク側に見られたら講和を結ぶのは相当難しくなる。

 最悪、怒り狂ったオークによる人類皆殺しコースだ。

 今すぐ必要になるものでもないが、少しずつ改善していく必要がありそうだ。


 千里の道も一歩から。まずはこの小屋から始めよう。

 とはいえ、リーゲル殿の忠告に従うならば、これは誰にでもしていい話じゃない。

 何か別の理由をでっちあげる必要がある。


「あ~……うん、そうだ、討伐軍が大敗したのは知っているか?」


「へぇ、噂ぐらいは」


「この冬は、オーク領からの収穫が見込めない。つまり、新しいオークを買うのは難しいってことだ」


「……なるほど、確かに最近はオークの値が高騰していると聞きます。

 勇者様の言う通りかもしれませんな。おい、ルマ、今日はもう休ませろ」


「へぇ、旦那方がそうおっしゃるなら」


 そういってルマは壁にかけられたカギを取ると一番内側のオークの所へ行き、丸木柱とオークをつないでいた鎖を外した。

 オーク達は繋がれたまま列を作り、ルマに曳かれてぞろぞろと小屋から出ていく。

 先程倒れたオークは、去り際に小屋の出口に立っていた俺にうつろな視線を向けたが、すぐに視線をそらし仲間の後に続いた。



 粉挽き小屋を出た後、俺はトーソンに尋ねてみた。


「この領内で、他にオークはいるんですか?」


「いいえ、あの粉挽き小屋だけです。さほど大きな領地ではありませんから」


「なるほど。それから、あのルマという男はオークの言葉が分かるんですか?」


 俺の質問に、トーソンはまた怪訝な顔をした。


「オークの言葉……ですか?」

「ええ。言葉が分かるから指示が出せるんじゃなんですか?」


 トーソンは俺の質問に笑いながら答えた。


「勇者様もなかなか面白いことをおっしゃいますな。

 オーク共はブウブウ鼻を鳴らすばかりで、言葉なぞ喋ったりはいたしません。

 犬と同じですよ。号令を出せば、簡単な指示であれば通ります。

 臼を回すにはそれで十分です。

 大道芸人の中にはオークに曲芸を仕込む者もおりますが」


 またこれだ。まあ、かわいらしくもない他種族の扱いなんてこんなものか。

 それはそれとして、オークの言葉を知っている人間がいないか、王都に戻ったら誰かに聞いてみよう。


次回は7/25を予定しています。

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