第一話 勇者、異世界に立つ
オークの軍勢が丘の上に陣取っていた。
彼らの身長の何倍もの長さの槍が横に長く伸びる稜線に沿って林立し、秋晴れの空に穂先をきらめかせている。
太鼓の音がおどろおどろしく響く中、奇妙な格好をしたオーク達がその戦列の前で踊り狂っていた。
シャーマンか何かだろうか。
きっとああやって兵士たちに勇気や祝福を授けているのだ。
この異世界に召喚されて一週間、はやくも俺は敵軍との決戦に挑もうとしていた。
オーク共は他の異世界で見てきたそれと大差ない外見をしていた。
人間の胸ほどの背丈の小柄な、しかしがっしりとした体と、猿と豚を掛け合わせたような凶悪な顔。
下顎から突き出た牙からは涎が滴っている。
俺を召喚した神官たちによれば、オークは悪神がこの世に生み出した邪悪な生物で、「力も敏捷さも人間よりやや劣り、知能に至っては犬並。棒で一対一で打ち合うのなら、そこらの農夫でもなんとか勝てる」程度の生き物に過ぎないらしい。
だが、奴らは恐るべき繁殖力を誇り、数の暴力によって人類を圧倒しつつあるのだそうだ。
話を聞く限りでは、能力的にも他の世界のオーク共とたいして変わらない。
数が多いだけの敵ならいくらでもやりようがある。なにしろ俺は十二の異世界を救ってきたベテラン勇者なのだ。
この世界を救うのもそう難しいことではないと気楽に考えていた。
そうして鼻歌交じりでやってきた俺の目の前に現れたのは、揃いの黒服を着て整然と横隊を組んだ大軍勢だった。
その数は一万に少し届かないぐらいか。
問題は数じゃない。数だけなら予想より少ないぐらいだ。
どう見てもあの動きは高度に統率された”軍隊”だ。
同じ数でも脅威度は格段に違う。犬程度の知能しか持たないケダモノが数を頼りに押し寄せてきているだけと聞いていたのに、いきなり話が違うじゃないか。
雑魚の群れを勇者の力でもって蹴散らしてやればいいものだとばかり思っていたのに。
悪神とやらがあいつらを統率しているのだろうか。
最初に話を聞いた感じでは、実在するというよりは神話上の存在のような印象を受けたんだが。
まぁ、ここも異世界だ。神が実在したとしても別におかしくはない。過去の異世界では殺したことだってある。
それにしても、これだけの数を操ることができる存在がいるとしたら、それは恐るべき力の持ち主に違いない。
そいつを討伐することが、この異世界における勇者としての俺の使命になりそうだ。
困難ではあるとしても、不可能ではないだろう。むしろ勇者の使命としてはわかりやすくていい。
「こちらにおられましたか」
馬を寄せながら声をかけてきたのは、〈銀剣卿〉の二つ名を持つ竜騎士団長のリーゲル殿だった。
今日ばかりはご自慢の銀の剣ではなく、ごく普通の鋼の剣を佩き、重い鋼で全身を覆っている。
俺の隣に馬を並べると、このいつも礼儀正しい老騎士は面頬も上げずに話しかけた非礼を俺にわびた。
「何しろ、髭をしまうのが大変でしてな」
彼は非常に信仰が篤い人物で、同じく竜騎士だった息子を失って以来 神の教えに厳密に従って一度も髭に刃物をあてていないそうだ。
その信心ゆえに「神によって遣わされた勇者」であるらしい俺を世俗諸侯の中では真っ先に支持してくれた上、後見人という名の世話係まで引き受けてくれのだ。
今回の遠征にあたって、武装一式と馬を提供してくれたのも彼だ。
過去に召喚された異世界では、自分たちで召喚しておきながら俺を全く信用しない奴らもいたからな。
ろくな支援もなしに魔王討伐に送り出された、なんてことも一度や二度じゃない。
今回は早々に彼の様な有力者の支持を得られたのだから、まったくもって幸先がいい。
「勇者殿。間もなく始まります。本陣までお戻りを」
リーゲル殿に促されて振り返ると、我らが人類の軍勢、オーク討伐のための諸侯連合軍がようやく戦闘態勢を整えつつあった。
ついさっきまで俺達をもっと前に配置しろだとか、○○家の連中が俺達の右側にいるのが気に入らないだとか、誰それが盾が当たったの当らないので決闘を始めたとかで大騒ぎしていたのだ。
彼らの頭上にはそれぞれに異なった意匠の紋章が描かれた百を超える旗が翻えっている。
その下には板金を重ね合せたラメラーアーマーのような鎧を着こみ、一分の隙も無く武装した騎士たちがひしめいていた。
盾に描かれた紋章は頭上に翻る旗よりさらに雑多だ。
数にしておよそ三千五百騎。この世界の”馬”は、俺の世界のそれよりもかなり大きくがっしりとした重い体躯と一対の鋭い角を持っており、馬というより牛に近い姿をしていた。
その正面は前掛けのような装甲でしっかりと守られており、見かけによらぬ脚力で恐るべき突進力を発揮する。
それに跨る騎士達はほぼ全員が何かしらの猛獣をかたどった兜をかぶっており、正義の騎士団というよりむしろ悪魔の軍団といったいでたちだった。
ともかく、強そうに見えることだけは間違いない。
真っ赤な鎧を着たひときわ派手な装いの騎士が隊列前に出て、手にした剣で他の騎士たちの盾を叩いて回っていた。
盾を叩かれた騎士は雄叫びでそれに応えていく。士気はきわめて旺盛だ。数で勝るオーク軍を恐れる様子はまるでない。
その後ろには歩兵がほぼ同数、不揃いな隊列を組んで待機している。
こちらの武装はピンキリで、手にした武器もハルバードや槍に始まり、斧や剣、弓に弩、果ては草刈鎌と鍋の蓋なんて奴までいる。
騎士たちの従者や傭兵、駆り集められた農民兵らからなる雑多な集団で、戦力としてはやや心もとない。
一応、飛び道具とそうじゃない奴で分けられてはいるらしい。
隊列の隙間をぬって本陣へ馬を進めながら、リーゲル殿に尋ねる。
「敵の方がだいぶ数が多いようですが、大丈夫でしょうか」
「こちらもこれだけの数がおりますからな。あれしきの数、どうということもありますまいが……」
俺は心配事があるらしく口ごもる老騎士に続きを促した。
「……おそらく、あれは囮。丘の向こうに本隊が伏せておるのでしょう」
「神官たちは、オークは知能を持たないケダモノだと言っていましたが」
「奴らは、こと戦にかけては非常に知恵がまわります。神官どものたわ言を真に受けて、油断なさりませぬよう」
リーゲル殿から教会に対して批判的な言葉が漏れたのは意外だった。
まだ短い付き合いだが、彼が食事の前の祈りを欠かしたところを見たことがない。
祈りの言葉を口にするその顔はいつも真剣そのものだ。
「意外ですね。あなたがそんな風に言うなんて」
リーゲル殿は苦い声で答えた。
「吾輩は神官どもを信仰しているわけではありませんのでな」
なるほど。
偵察を出せればいいのだろうが、丘の右手には森、左手には湿地が広がっており、丘の向こうの様子を探るすべはなかった。
「我らの竜がいれば、伏兵の有無も一目瞭然だったのですが」
リーゲル殿が悔しそうに呟く。竜たちは俺が召喚される少し前に、十数年に一度の繁殖期に入ってしまったのだそうだ。
繁殖期にはいると、全ての竜は〈竜山〉へ集まる。
今頃はそこで伴侶探しに励んでいるんだろう。
おかげでリーゲル殿の自慢の竜騎士団はただの騎兵としてこの戦に参陣する羽目になっていた。
もっとも、貴重な竜騎士をただの騎兵として消耗するわけにもいかないので、神官達の護衛として本陣で待機することになっていた。
「とはいえ、こうして諸侯の軍勢を集めて敵と対峙した以上、姫殿下としても一戦も交えずに帰るわけにはいきますまい」
姫殿下というのは、今回の軍役の総大将であるリアナ姫のことだ。
〈姫騎士〉の二つ名で若くして諸侯の信望を集める彼女であるが、王家と領主たちの関係にひどく難しい部分があるのはどこの世界でも同じらしい。
プォォォォオ
大きな角笛の音が響く。
「準備が整ったようですな」
俺達は本陣へと馬を急がせた。
*
俺たちの背後で、千人を超える神官たちが声を合わせて詠唱を開始した。
独特の抑揚をつけて唱えられるそれが、聖歌か何かのように戦場に響く。
その声の高まりに合わせ、彼らの足元で魔法陣が青く輝き始める。
これは騎士たちの盾に貼られた護符に魔力を送り込み、飛び道具を防ぐ魔法障壁を張るための儀式だとリーゲル殿が説明してくれた。
発動すると護符を中心に半径一メートルほどの円形の魔法障壁が発生する。
〈加護の魔法〉というらしい。
やがて、詠唱は低く呟くようなものへと変わっていく。
障壁を張り終え、それを維持するための詠唱に変わったのだ。
その頃合を見計らって大角笛が吹き鳴らされた。
それにいくつもの角笛が呼応する。
右翼、中央、左翼の三つに分けられた諸侯連合軍がぞろぞろと前進を開始し、歩兵隊がその後に続いた。
今回俺が同行することになっている神殿騎士団はまだ動かない。
竜騎士団と並んで王国最強と目されるこの部隊は予備戦力としてリアナ姫に直卒され、機会を見て投入されることになっている。
蹄の音が地響きのように空気を震わせる中、オーク軍にも動きがあった。
最前列にいたオーク達が、銃のようなものを構えるのが見えた。
否、銃のようなものではなく、銃そのものだった。
オークの内の一匹が――操作を誤ったか、あるいは恐怖に駆られたか――号令を待たずに発砲した。
銃口から発砲炎とともに白煙がシュッと伸びるように吐き出される。
その光景に俺の背筋は凍った。
その正面にいた騎士の手前で何かがが薄く青く光り、キーンという甲高い音が響く。
おそらく魔法障壁が弾をはじいたのだろう。
最初の発砲につられるようにオーク達がまばらに発砲を始め、ついになし崩し的に戦列全体が白煙に覆われる。
だがオークの銃撃は、騎士たちに何らダメージを与えていなかった。
煙の合間から、発砲を終えたオークが隊列の後ろ、槍衾の向こうへと逃げ込んでいくのが見える。
もう一度角笛がなり、騎士たちが少しずつ速度を上げはじめた。
それに合わせて地響きのような蹄の音も高まっていく。歩兵隊は少し遅れながらも駆け足で追随している。
彼らが丘の半ばに達したところでオークの第二列が一斉に発砲した。
弾丸を受けた魔法障壁がまるで帯のように光り、銃声と、弾丸と魔法障壁がぶつかるギイィィンという耳障りな音とが遅れて響いてくる。
特に強く光った何ヶ所かでは、その後ろの騎士が幾人か馬から転げ落ちていた。
あの強い光は、魔法障壁が砕ける際に出るものらしい。
背後から聞こえる神官たちの詠唱が微かに乱れる。
砕けた魔法障壁を張りなおすため、一部の神官が最初から唱えなおしているせいだろう。
その間も、怯むことなく騎士たちは前進を継続していく。
速度はすでに全速力に達しつつある。
そしてあと僅かで敵と衝突しようというその時、オークの第三列の斉射が行われた。
至近距離だ。
青白い強い光が隊列のそこかしこで瞬くと同時に、騎士たちは硝煙に包み込まれて見えなくなる。
遅れて響く斉射の轟音。
バキバキという騎馬の群れが槍をへし折る音。馬ともオークともつかない獣の悲鳴。
神官たちの詠唱がますます乱れる。蹄による地響きはまだ続いている。遅れて歩兵隊が煙の中へと消えていく。
強く吹いた風に煙が吹き払われると、ちょうど騎馬集団の最後尾が稜線の向こうへと消えていくところだった。
丘の上では歩兵隊がオーク軍の残骸に打ちかかっている。
丘の上のオーク軍はまだ数では勝っていたが、既に戦意を喪失していた。
悲鳴を上げながら逃げ惑うオーク達を歩兵たちが追い回し、一方的に打ち殺していく。
まさに惨劇。丘はあっという間に血で染まっていった。
丘の向こうからは、新たな敵の発見と突撃の継続を知らせる角笛が響いていた。
それを聞いたリアナ姫の表情が硬くなる。
「戦況を確認する!神殿騎士団は稜線まで前進せよ!勇者様は私と一緒に――」
そういいながら姫殿下がこちらへ顔を向けた瞬間、丘の向こうで轟音が響いた。
その音は先ほどの銃声とは明らかに違っていた。
あれは恐らく大砲の発射音だ。
リアナ姫の顔面が蒼白になるのがはっきりと見えた。唇まで色を失っている。
「あれほど言っておいたのに……!」
その真っ白な唇からつぶやきが漏れる。
罠であることは分かっていた。
だから敵の数が多ければ引き返すよう打ち合わせていたのだろう。
だが、一度突撃を始めた騎兵は簡単には止まれない。
その上乗り手も血に酔っているとなれば、冷静な判断を求めるのは無理というものだ。
誇り高い階級的な戦士の集まりとくればなおさらだ。
彼らは怯懦とみられることを何よりも恐れる。
丘の向こうから今度は銃の一斉射撃の音が響く。つづいて第二射。
もはや、〈加護〉を維持するための低い詠唱を続けている神官はいなかった。
全ての魔法障壁が打ち破られたのだ。
神官たちは強い疲労の色を浮かべながら、てんでバラバラに加護を張りなおすための詠唱を始めている。
さらに三射目の轟音。
そのすぐ後に、騎馬と歩兵がぶつかるあの不快な音がようやく響く。
「急げ!」
リアナ姫の叫びとともに、俺達は丘の上へと急いだ。
一足早く丘の上に駆け付けたものの、眼下の戦場は硝煙に覆われ何も見えなかった。
繰り返し聞こえる銃声と馬の嘶きから、かろうじてまだ戦闘が継続中であるとわかるだけだ。
少しの間をおいてリアナ姫が神殿騎士団とともに追いついてきた。
少しずつ煙が薄れ、視界が開け始める。
最初に目に入ったのは、射撃で打ち倒されたのであろう騎士たち。その先には馬にひき潰されたオーク兵たち。
そこにも若干の騎士たちが混ざっている。そのさらに先には惨状が広がっていた。
丘を下った先の平野にはオーク軍が無数の方陣が斜め格子を描くように整然と並んでいた。
我らが騎士の猛然たる突撃はそのいくつかを粉砕することに成功していた。
だが、それによって彼らは敵陣の真っただ中に突出する形となり、騎士達は半ば包囲されしまっている。
方陣の中にはそれぞれ多数の銃兵が配置され、近づこうとする騎士たちに盛んに銃撃を浴びせていた。
その様はまるで無数の小型火山が噴火しているかのようだった。
小柄なオークからは騎乗した人間を見上げる形になるため、オークの銃兵たちが同士討ちを気にする必要はあまりないらしい。
そしてその火山には鋼の棘が無数に生えていた。オークの長槍兵達だ。
方陣の縁では馬を失った騎士が長槍に滅多打ちにされている。
指揮官はすでに打ち倒されているのだろう。
人類側の統率は乱れきっていた。
その場でただ右往左往する者。破れかぶれに敵陣に切り込む者。
硝煙に巻かれて方向感覚を失っているのか、方陣の隙間を縫って敵陣のさらに奥へと迷いこむ者。
方陣が火を吹くたびにそれらがバタバタと倒れていく。
既に半分以上が血溜まりに沈んでいた。
残りも時間の問題だ。
「退却の角笛を鳴らせ!」
キュイイイイイイイ!
リアナ姫の指示で、即座に甲高い角笛が吹き鳴らされた。
だが時すでに遅し。
彼らの背後では、一度は打ち破られたはずのオーク達が再び寄り集まり、粉砕された隊列を再び組み上げつつあった。
あれが完成すれば、もう彼らに逃げ場はない。
「詠唱はじめ!」
姫が発したのは耳を疑う号令だった。
だが、忠実なる神殿騎士たちは異を唱えることなく、突撃に備え詠唱を開始した。
さすがにこれには口をはさまずにはいられなかった。
「殿下、もう手遅れです」
「分かっています。ですが、僅かな数であっても救えるならば、私は戦わねばなりません」
「引き換えに神殿騎団は全滅するでしょう。釣り合いません」
「神殿騎士団の再建には十年以上かかるでしょうね。ですが、ここで一滴の血も流さずに彼らを見捨てれば、王家は諸侯からの信望を失います。それは我々人類のまとまりが失われるということです。人類が再び相争う時代に戻ってしまえば、百年以上の時が失われます。だから、私はここで血を流さねばなりません」
思っていたより、ずっと先を見据えての決断だった。
こうであればこそ若い女の身でありながら諸侯の軍勢を束ねる〈姫騎士〉たりえたか。
あの猪武者たちと引き換えるにはあまりにも惜しい人物だった。
それでも、彼女の決断はおそらく正しい。
ならば私もともに参りましょう、という言葉をグッと飲み込む。
この世界で俺がどれだけの力を振るえるのか、その確認がまだ十分にできていない。
ゲームに参加するのは、自分の手札をよく確かめてからだ。
「勇者様は本陣に戻り、すぐに神官たちを連れて離脱するようリーゲルに伝えてください」
「……ご武運を」
「勇者様にも、ご武運が長く続かんことを。どうか、この身に代わって人類を御救いください」
「はい、必ずや」
「それから、弟のこともよろしく頼みます。
あれは優しい子ですから」
俺が再び頷くと、彼女は安心したように微笑んだ。
それから敵の方へ向き直ると、再び号令を発した。
「突撃!」
満面の笑みを浮かべながら。
純白の鎧を身にまとい光の盾と光の槍を携えた騎士たちが、火と鉄が吹き荒れる嵐の中目指して丘を駆け下っていく。
それを見送りながら俺は途方に暮れていた。
一体どうやってこの世界を救ったものか。




