24話:魔弾の射手
まだ秋口だというのに、ひどく冷たい空気が辺りを包み、乾いた風は虚しく頬を撫でる。
共に弓持つ白髪の親娘は呆然として佇んでいた。
二人にとってこの再会は慮外のものだったのだろう。
暫くの間、互いの口から意味のある言葉が放たれることはなかった。
「生きて……いたのか」
呟かれた父親の一言には万感の思いが篭っていた。
生きているとは思っていなかったのだろう。
再び会えるとは思っていなかったのだろう。
その一言で、娘が愛されていた事は離れて見ていたカイにも感じられた。
「覚えているか? ルベドだ、ルベド・セルヴリム。お前の……父だ」
「……ちがう」
だが、その再会が果たして祝福されたものであったのか、神ならぬ身ではわかりはしない。
「たったの十年前だ。忘れてしまったのか、アイ――」
「その名前で呼ばないで!!」
鬣の如き白の長髪の奥。額に象嵌された古代種の証を見て、娘は拒絶の声をあげた。
父親は何かを言おうとして、しかし、結局口を噤んだ。
ルベドにしてみればたったの十年。しかし、その十年で娘は見違えるほどに成長している。
親子の時の流れは決して同じではない。
「なんで、こんな、だって、古代種は敵だって……そうでしょう、カイ?」
ゆらり、と震えた声とともに縋りつくような少女の視線がカイに向けられる。
侍は小さく息を呑んだ。少女のそれは寄る辺を失った迷い子のような表情だ。あるいは、真実、今まで己の軸としていたモノが揺らいでいるのかもしれない。
「だが、お前の父親だ。自分でもわかっているのだろう?」
それでも、カイは頷くことはできなかった。
ここで自分が頷けば、きっとこの娘は父親を殺す。それだけは許せなかった。
誰かに言われるがままに“親を殺す”。自分と同じトラウマを押し付ける訳にはいかない。
たとえ、それが少女により酷な選択肢を選ばせることになったとしても。
「受け入れるか、拒絶するか、己で決めろ」
厳しい応えに、少女の顔がくしゃりと歪んだ。
泣き出しそうな表情に今すぐ駆け寄りたい衝動に駆られる。
だが、それは許されないことだ。
「――何故ニンゲンに助けを求める!?」
突如としてルベドが声を荒らげた。
意識の外に追いやっていたカイの姿を認識したことでなけなしの正気も消えうせたのか。
娘に向けられた瞳の真紅が色濃くなったように見えるのは、果たして気のせいであろうか。
「お前の母親は同族に殺されたのだぞ!!」
「父親だって目の前で人間殺そうとしてるわよ!!」
(やはり、この男の怒りの根源は人間か)
燃えるような殺気を受けて、カイの目にも一度は消えた戦意が再び灯る。
同時に、涙を堪える白髪の少女の姿を記憶に焼き付ける。
これが最後の機会かもしれないのだ。
半ば確信している。きっと、カイは少女の父親を斬ることになる。
「お前は俺の娘。お前にも古代種の血が流れている。ニンゲンではない!!」
「違う。私は……」
父親の言葉に娘は激しく頭を振り、目に涙を溜めたまま睨みつける。
動揺しているのだろう。娘はいつの間にか父親の目に灯っていた狂気の焔に気付いていない。
「何故理解しないッ!? 此方へ来い。俺達の居場所はヒトの間にはないのだ!!」
「そんなことない!! きっと居場所はある。そう思ったから私は……」
父親は激昂し、娘は悲痛な声で否定を紡ぐ。
親娘の言葉が交わることはない。
娘の言葉は届かず、親の言葉は娘が受け入れられるものではないのだ。
そして、言葉が通じぬならば採られる手段は古来よりひとつ。
それを証明するかの如く、ルベドの白髪の奥でサードアイに怪しい光が灯る。
殺気を感知して少女が咄嗟に跳び退る。次の瞬間、辺り一面を膨大な魔力が覆い尽した。
離れていてもチリチリと肌を焦がす灼熱の魔力。紛うことなき古代種の魔力だ。
「毒され過ぎたか。娘まで奪うか、ニンゲンどもッ!!」
「あ……」
「ならば、お前の身体から赤い血を全て抜き取り――本物の古代種に変えてやる」
ルベドの中から父としての姿が蜃気楼のように消える。
射抜くような殺気が言葉よりも雄弁に証明する。
憤怒の化身となったその男の目には、最早、最愛の娘の姿さえ映っていない。
(……やはり手遅れか)
精神が軋む音が脳髄に木霊する。
心の奥に重石でも詰め込まれたような気分だった。
ルベドという男から感じるのは怒り。
ただひたすらに全てを焼き尽くさんとする炎のような怒りだ。
その炎をたどれば、隈に縁取られた真紅の瞳に行き着く。
ひどく昏い色をした奈落のような瞳。使徒として呪術を狩っていた頃に何度も見た狂い果てた者の瞳だ。
おそらく、この男は千年以上もの間、幾度の別れを繰り返しながら人間の中で生きようとしたのだろう。
そして、その果てに奇跡的な確率で生まれた娘を愛していた。
きっとそれは真実で、だがもう過去の話だ。
あるいは、親子の情がその怒りを鎮めるのではないかと、そんなありもしない未来を信じてみたかった。
しかし、カイの掌の内は自然とガーベラの柄を握り直していた。
結局、自分はただの一度も刀を鞘に納めなかった。
こうなることが心のどこかで分かっていたのだ。
そう思うと、ひどく息をするのが苦しく感じられた。
だが、だからこそ、やらねばならない。
この重荷を仲間に負わせてはならない。
これは己の役目だ。
「決められないのなら下がれ、イリス」
「……カイ」
「お前まで親殺しになる必要はない」
これは運命なのだろうか。戦乱の才を背負う侍にも因果の行方はわからない。
ただひとつわかるのは、目の前の男がもう止まれないということだけだ。
「ルベド・セルヴリム。イリスを殺したければ、まずは俺を殺してみせろ」
カイはイリスの涙を止める方法を知らない。
故に、刃を構え、心を殺す。
己が手で、己の意思で殺すと誓ったのだ。
元よりこの身は一振りの刃金。
ずっと昔に“そう在れかし”と定めた。ならば、あとはすべてを断ち斬るだけ。
何も変わらない。斬る。その二文字を以て五体を駆動させる。
「ニンゲン、お前か!? お前がいるからッ!!」
灼熱の赫怒とともにルベドが弓を構え、魔弾が装填される。
同時に、カイも全力で駆け出した。
◇
アーチャーは赤神の加護を受けた狙撃と妨害に優れたクラスである。
そして、彼らの放つ投石や投槍、わけても『弓』という遠距離武器の存在は人類が魔物と戦う上で非常に重要な地位を占めている。
生物の常識からかけ離れた再生能力を持つ魔物相手に“刺さる”ことで視覚等の感覚器官を長時間潰すことが出来るのはウィザードにもない弓兵の強みだ。
その一方で、後衛の常としてアーチャーもまた接近戦は不得手であり、決して一対一に適したクラスではない。
その本領は頭数を揃えた上での一斉射撃や攻撃の届かない遠距離からの一方的な狙撃にある。
また、弓兵独自の特徴としてその技術体系が非常に完成されているという点がある。
すなわち、千里眼による命中強化に加えて、拡散、貫通、爆裂、誘導の四種の技能で大抵の状況に対応できる点。
これらの技能は狩人でもあった赤神の権能を人間でも使えるようにしたものであるという。
ファイターの各種強化も元は同じ赤神の権能だが、こちらは複数の武器に適応する汎用性を追求した結果、武器固有の技能は淘汰されてしまった。
そういった意味で、弓兵の技能とは神代の技がそのまま残っているものだともいえる。
だが、その中でただひとつ。秘匿技術だけは出自を異にする。
――『魔弾の射手』
それは、かつて人類が古代種から盗みだしたアーチャーの窮極である。
「――散らせ」
端的な詠唱と共にルベドの放った矢が無数に分裂してカイに襲いかかる。
青空が奪われ、視界の七割近くが膨大な数の矢で埋め尽くされる。
カイは直撃する矢だけを斬り払い、滑り込むようにして残り三割の空白地帯に跳び込んだ。
体のすぐ傍を降り注ぐ矢が断続的に駆け抜ける。
蜂の羽音のような風切り音が聴覚を震わせる。
分散したことで威力は落ちているが、百に分裂した内の十も喰らえばカイには致命傷だ。
更に一歩を踏んで矢の嵐を抜ける。
だが、その先で待ち構えたルベドは既に第二射を放っている。
「ッ!!」
ギンと、胸元近くで甲高い金属音が鳴り響く。
正確に心臓を狙ってきた一矢を刀身側面で受け流す。
明後日の方向に飛んでいった矢は数本木を貫いた所で刺さって止まり、やがて魔力へ還っていく。
(次行動が早すぎる。これが魔弾の射手か)
ビリビリと痺れる手を回復させつつカイは心中で毒づいた。
通常、弓とは矢を番え、弦を引き、狙いを付け、放つ、という四行動で成り立っている。
この一連の動作にかかる時間こそが弓兵が一対一に適していないとされる最大の要因だ。
当然、多くのアーチャーはその欠点を理解している。
これが『魔弾生成』の技能持ちならば弦を引いた弓に直接矢を生成することで“矢を番える”過程を省略し、三行動に短縮することができる。
そして、ルベドは、魔弾の射手はさらにその上をいく。
跳ぶように駆けるカイに雷撃の如き三射目が放たれる。
瞬きの内に迫る最も避けにくい胴体中央部への正確無比な一矢。対処方法も対応する間もひどく限られる。
だが、この窮地こそ侍の戦場だ。凌ぎ合う瞬間を外しはしない。
轟然と迫る矢の射線にねじ込んだガーベラが鏃を絡め取り、擦り上げ、撥ね飛ばす。
飛んでいった矢の行く末を追う余裕はない。
カイは人間の限界速度で以て真っ直ぐにルベドの元へと疾駆する。
そして、ようやく相手が心眼の感知範囲に入った。間をおかず、侍の眼がルベドの魔力の流れを捉える。
――視える。その流れの意味するところがわかる。
射手の体から発せられた赤色の魔力がその体と弓を渾然と包み込み、操作しているのがわかる。
それこそが魔弾の射手の真価だと理解する。
魔力とは奇跡の燃料だ。必要な魔力量とそれを制御する能力さえあれば起こす奇跡に制約はない。
魔弾の射手は魔力を“弦を引き”“矢を放つ”ことに用いる。
結果、射手は狙いを付けるという“一行動”で矢を放つことを可能とする。
(視覚認識では遅すぎる。直感と心眼で対処する)
カイもここまで魔弾の射手に熟達した相手と見えたのは初めての経験だ。
意識を切り替え、視覚を捨てる。見てからでは対応できない。
放たれる前に動かなければ近付くことすらままならない。
現状、相手はこちらが二歩を刻む内に一射を放てる。
剣の間合いまではあと五歩。故に、二射凌いで斬る。
心を定めたカイはイダテンの加護を発動、さらなる加速を両足に叩き込む。
この間合いなら、たとえ逃げの一手を打たれたとて刈り取れる。
俊足で以て二歩を踏む。それと同時に四射目、再度の拡散矢が放たれた。
射手に近付いたことで先よりも収束したそれは既に矢の壁と化している。
だが、心眼に狂いはなく、カイの腕は既にガーベラを振り抜いている。
「――狂い咲け、“菊一文字則宗”!!」
刀気を解放する。鋭い風刃を纏ったガーベラが無数の矢を打ち払い、文字通りひと筋の道を切り開く。
間をおかず、カイはその細い道に全身を絞るようにして潜り込ませさらに一歩を踏みこむ。
「――消し飛べ」
矢の雨を抜けた先、四歩目の踏み込みに合わせて爆裂矢が放たれた。
研ぎ澄ました意識の中、カイの脳裡で死の予感が鳴り響いた。
即座に相手の意図に気付く。これはルベドの仕掛けた二択だ。
爆裂矢の攻撃範囲は接触地点から前面に大きく広がる。
今までの回避方法では避けきれない。しかし、大きく避ければルベドとの距離が離れる。
カイの防御力では防ぎきれない。矢に触れれば炸裂する性質上、受け流すこともできない。
避けるか、死を覚悟するか。選び、賭けなければならない。
相手の殺気を読む。ルベドは避けると踏んでいるのだろう。回避直後を分裂矢で圧殺する心積りとみえる。
堅実な戦術であり、当然の選択だ。彼我に実力差があり、無理に攻める必要のないルベドはただ質と量でねじ伏せるだけでいい。
であるならば、カイの選ぶべき選択はひとつしかない。
迫る一矢を全身駆動で迎撃する。
構えは刀身を寝かせた片手平突き。足先から内転を通じて肩、肘、手首へと威力を伝導。
回転から直線へと変換された加速力で切っ先が大気の壁を割り、高速の刺突が放たれる。
次に瞬間、切っ先と鏃、互いの先端がぶつかり、即座に矢が爆発し刃片を飛ばす。
剣圧によってその多くは破壊されたが、残る数割の極小の刃が勢いよく弾け飛び、顔面を庇った左腕に突き刺さる。
肉の抉れる感触を歯を噛んで堪える。
彼我の技量差を考えれば、損傷は最小限度に抑えたといえる。
そして、これで二射を凌ぎきった。
故に――
「捉えたぞ、ルベド・セルヴリム」
背に爆発の余波を受けながらカイは五歩目を踏みこむ。
賭けはこちらの勝ちだ。ルベドの射線はこちらに戻りきっていない。
好機だ。間合いは合致し、この身は最高速度。
すなわち、心技の条件は揃っている。
自身の裡で歯車をかみ合わせ、一心に刀を振りかぶる。
瞬間、目の前に――文字通り、眼球の皮一枚向こうに――矢が設置されていた。
「ッ!?」
咄嗟に体を捻り首を傾ける。鏃が頬を裂き、左目を保護していた眼帯が千切れ飛ぶ。
機を奪われた。意識の逸れた一刀はルベドの肩口を削るに留まる。
「わざわざ突っ込んで来るのだ。ならば、こちらは矢を置いておくだけでいい」
「――斬刃」
「遅い」
ルベドの視線がカイを捉え直し、その体から放たれた魔力が形を得る。
一瞬の後に、カイの周囲に四つの小さな魔法陣が展開した。
幾重の同心円に導かれた中心には装填済みの矢。カイも初めて視るカタチだ。
だが、わかる。先刻、何もない場所に突如として矢が“発生”したのはこれの権能だ。
魔力で形成された弓。自動生成、自動射撃の遠隔射撃技能。
それはウィザードに匹敵する魔力と感応力を持つ古代種にのみ許された魔弾の弓。
「――舞え、飛翔精」
まずい、と脳が認識よりも早く、カイの肉体が回避行動をとる。
直後に、従者の名を持つ四つの“弓”から膝、脊髄、心臓、首に向けて矢が放たれた。
ほぼ零距離で放たれたそれらを切り払うことはできない。
故に、地面に触れた爪先一つを縁にカイは強引に回避機動をとった。
燕の如き直角の切り返しで膝への一矢を跳び越え、限界まで体を捻りこんで心臓と首への直撃を軽傷に変換する。
だが、胴体に着弾した一発は躱しきれず、急所を逸らすので精一杯だった。
「――ッ、グッ!?」
突き刺さった矢から伝わる衝撃が内臓をかき乱し、魔力に籠った憤怒が灼熱となって傷口を焼く。
貫通はしていない。フィルギアの威力は本体の長弓を介するよりも弱いのだろう。不幸中の幸いだった。
だが、回避は辛うじて致死を避けるのが限界。これ以上近付けば、対応が間に合わない。
(フィルギアとやらの間合いは腕の三倍、角度に制限なし、同時射出数は四)
それでもカイの闘争本能は戦闘継続を促した。
見目こそ異様、対処こそ困難だが、カイの心眼は中空を浮遊するフィルギアを“長い腕”と“弓”の複合だと判断した。
カイが斬ることに特化しているように、相手は魔弾の生成と射出に特化している。
魔弾の射手。その名の通り、全方位、あらゆる角度に対して矢を放つことが出来る。そういう存在なのだろう。
理解が追いつけば、恐怖は駆逐される。
刺さった矢を引き抜き、筋肉を締めて止血しつつ、カイは攻勢を継続する。
背後のイリスのことは既に気にしていられない。死なないだけで精一杯だ。
だが、再び踏み込んでいく中で、カイは己の中の違和感に気付いた。
先の一刀に瞬き一つ分の振り遅れがあったことを悟った。
何故か。それに気付かないほど男はもう鈍くはない。
――末期の一言くらいは遺してやれないか。
そんな考えが一度も脳裡をよぎらなかったとは言えない。
カイに混じった僅かな雑念。
心臓を呪われ、父親を斬っても尚残った人間性という名の楔。
その結論に辿り着くのは僅かばかり遅かった。
直感がルベドの殺気を感知する。体が回避行動に移る。
だが、侍の隙ともいえない極微かなズレを魔弾の射手は過たず撃ち抜く。
“狙う”という一行動で射撃を完遂するが故に、それを可能とする。
果たして、両者の間をひと筋の閃光が走った。
不思議と痛みを感じなかった。
右肩を撃ち抜かれた。カイが気付いた時には既に相手の攻撃は終了していた。
肉の焦げるにおいが鼻をつく。
右腕に力が入らない。気力も伝わらない。神経系が断たれたのだ。
(……不覚)
衝撃で吹き飛ばされつつも、カイは刀を左手に持ち替え地面に突き刺して着地する。
脳裡には色濃い死の予感。距離を離された。間合いを取られた。すなわち――
「詰みだ、ニンゲン」
弓を構えるルベドの真紅の視線がカイを射抜く。
間をおかず、放たれた致死の一撃が侍の胸元に吸い込まれる――
「――障壁、展開!!」
その直前、眩いばかりの白銀の盾が現れた。
即座に形成された半透明の障壁は確と巨矢を受け止め、弾き飛ばす。
「……無事か、カイ? よく踏み留まってくれた」
転移の完了したクルスは背に庇ったカイに視線を寄越して僅かに顔を顰めた。
出血こそ少ないが重傷だ。カイでなければ撤退を促していただろう。
『まだやれる』
侍の視線に籠った決意に騎士は頷きを返すしかなかった。
相手は古代種。元より仲間を欠いた状態で勝てるような相手ではない。
「新手か。舐めた真似を――ッ!?」
闖入者に視線を向けていたルベドは突如として周囲を覆い尽した魔力の気配の出所を探り、空を見上げた。
青空の中、真紅の瞳に蒼い光と溢れだす氷河の如き極北の魔力が映る。
「――氷結せよ、“単独二重詠唱”、ダイアモンドダスト・アクイラ」
詠唱完了と同時に、先の仕返しとばかりに空を覆い尽くすほどの無数の氷槍が降り注ぐ。
咄嗟にルベドも弓と飛翔精を上空へ向けるが、その姿は一瞬の内に降り注ぐ無数の氷槍の中に消えた。
凍りつくような冷たい大気が戦場に漂う。
転移先を上空にすることで奇襲としたのだろう。
飽和射撃を終えたソフィアは足元に風を吹かせてゆっくりと降下してきた。
そのまま探るように自らの作りだした氷山を、正確にはその奥に閉じ込めた敵手を視て、悲しげに顔を歪めた。
クルスもカイの手当てをしつつ、実際に相対したルベドの容姿と呆然と佇んだイリスの様子から凡その事情を察した。
誰も声を上げることなく、数瞬の後、氷山は内側から無数の矢に貫かれて破砕した。
「……一度殺されたぞ、聖性持ち」
砕け散る氷片を纏う魔力の熱で溶かしながらルベドは歩み出る。
自らの体に刺さった氷槍も無造作に引き抜くと、即座に賦活能力が発揮され、傷口がふさがっていく。
貯蔵された命はあといくつか。少なくとも二つや三つではきかないだろう。
「……イリスのお父様、なのですね」
「ならば、矛を収めることはできないのか?」
悲しげな二人の言葉は、しかしルベドの逆鱗に触れただけであった。
「貴様等が俺達を哀れむか。その傲慢、死を以て詫びろ!!」
憤怒が温度を上げていく。心臓より滲みでる狂気は脳を侵し、最早、言葉で止まれる段階にはなかった。
「――――言ったわね」
だが、ルベドもまたイリスの逆鱗に触れた。
それだけは言ってはならなかった、触れてはならなかった少女の根源だ。
「言ったわね。従者の前で主を殺すと」
いつまで腑抜けているつもりだ。イリスは己を叱咤する。
目の前で仲間を、愛する人をむざむざと殺らせるものか。
自分は、今、ここで動かなければならない。
「イリス」
「カイ、援護できなくてごめんなさい」
「いいのか?」
「…………もう選んだから」
魂の軋むような、ひどく痛ましい声が従者の口から零れる。
あれは“敵”だ。従者はそう決めた。
辛くないといえば嘘になる。
母親と共に捨てられたと思っていた。憎んですらいた。その感情をこの十年間、忘れたことはなかった。
それでも、親殺しはきっと辛い。考えるだけで指先が震える。
だけど、それが罪だというのなら、仲間だけに負わせてしまう方がもっと辛い。
「――だから、貴方はここで殺すわ、ルベド・セルヴリム」
決別の言葉と共に、イリス・ナハトは弓を構えた。




