14話:夏の始まり
ルベリア学園の中心部にして枢要部である四つの塔のひとつ、武術の塔には内部空間を拡張された模擬戦用教室が複数内蔵されている。
今も最上階の教室では戦闘の余韻を熱という形で漂わせている。
同様に、まばらに席に着いている学生たちは誰もが打撲や負傷の跡を体に残している。中には、入学早々にアルカンシェルの入団を希望した新入生たちも含まれている。
一方で教壇に立つ壮年の男性教官は二十人からなる学生を相手取ってかすり傷一つ見受けられない。
新入生もいたとはいえ、男に優れた防御能力、あるいは回避能力があることは疑いが無いだろう。
武術担当教官リヒャルト・グランベルト。
“中らず”の二つ名を持つその男には右腕が無かった。
男の右腕は肩の付け根あたりで断ち切られ、古い傷痕は今も空恐ろしいほどの美しい断面を露わにしている。
ナイトであるリヒャルトにとって利き腕の喪失というのは致命的な戦力減であっただろう。
再生魔法が普及しているこの大陸においては、断たれた腕であっても回収さえできれば低くない確率で繋げることが出来る。
であるのに、それをしていないことから、リヒャルトが腕を失った事態がそれだけ切羽詰まったものであり、同時に片腕を失った状態でその窮地を切り抜けた技量を有していることを証明している。
「――この中には食うのに困って冒険者になった者もいるだろう。そういう者こそ装備に金は惜しむな」
赤髪にいくらかの白髪が混じり始めているリヒャルトは誰が言うよりも説得力のある台詞とともに教卓の上に拳大の金色の塊を置いた。
水晶のように微かな透明度を持つ結晶は見た目とは裏腹に、物理的な大重量を以て教卓の表面を僅かに軋ませる。
「不壊金剛。知っている者もいるだろうが、現状、我々が加工できる金属の中では最硬の強度を持つ。この大きさだと適正価格で購入すれば金貨50枚といったところだな」
リヒャルトが素っ気なく告げた金額に学生たちは息を呑んだ。
金貨五十枚といえば各国首都に豪邸を建てられる額だ。一度の依頼で稼げる額が多い冒険者でも用立てるには困難が伴うだろう。
「アダマンが市場に出回ることは殆どない。加工できる鍛冶士もドワーフの中に極僅かにいる程度だ。実際に購入し、加工するならば金貨100枚でも足りんだろうな」
「教官、それでは……」
「手が出ないか? だが、お前たちには別の方法がある。すなわち、己が手でアダマンを入手することだ」
その言葉に火を着けられた数人の学生をみてリヒャルトは微かに口元を歪ませ、指先でアダマンを軽く弾いた。
キン、と涼やかな音が教室内に響き渡る。
この場で教官相手に奪いに来ない程度には新入生にも“教育”が行き届いているのだ。
「アダマンは魔法金属の一種だ。魔力を込めると最小構成単位で“集まり”硬化する摩訶不思議な性質を持つ。そして、その性質上、普通の鉱山ではとれない。魔力の薄い場所では目に見えないほど小さな粒でしかないからだ」
「では、魔力の濃い場所なら違うのですか?」
「そうだ。古い遺跡や霊峰など、魔力を発する場所で長い時間をかけてアダマンの結晶はできていく。そうして生まれるのが世界最硬の可能性を秘めた金属だ」
隻腕の騎士は残る片腕でアダマン塊をむんずと掴むと皆に見えるように持ち上げた。
「とはいえ、アダマンも素の硬度は他の金属より二、三段階優れる程度。その真価が発揮されるのは魔力を込めた時だ」
言葉と共にリヒャルトの体から魔力が発せられ、綿布に垂らした水の如くアダマン塊の中に吸い込まれていった。
次の瞬間、アダマンが煌々と輝き形を変える。先程まで多少の凹凸があった表面が一瞬で磨き上げたように滑らかになった。
「アダマンはその性質により魔力を与えれば与える程その硬度を増す。おかげで精密部品には使えない上、加工の難度は他の追随を許さんがな」
言葉と共にリヒャルトはアダマン塊を軽々と宙に放り投げ、腰の鞘から長剣を逆手で抜き、落下軌道にあったアダマンに打ち付けた。
加減のない一撃に火花が散り、金欠に喘ぐ学生たちが本気の悲鳴をあげた。
「だが、この性質はうまく利用すれば強力無比な防具となる」
リヒャルトの一撃で再度跳ねあがったアダマンは、数秒の浮遊の後に教卓に着弾した。
衝撃で教卓の表面を大きく陥没させた黄金塊には、しかし、傷ひとつみられない。
英雄級のリヒャルトの加減のない斬撃を無傷で受ける強度。加工されていない状態でこれならば精錬されたならばどれほどのものになるのか。
その先を想像して学生たちはごくりと唾を飲み込んだ。
「理解したか? 俺たち人間は魔物と比べれば紙きれの如く貧弱だ。俺たちには奴らの一撃一撃が致命であることを忘れなるな」
「――――」
「ふむ、身にしみている奴もいるようだな。よろしい。では、次だ」
そう言って、リヒャルトは今度は白銀色の塊を取りだした。
向こう側が透けるほどの透明度を持ち、内に硬質な銀の光を湛えるそれはこの世のものとは思えないほどの美しさを持っていた。
「至高白銀。アダマンよりもさらに人目に触れることは少ないだろうな」
上級生でも初めて見る者もいるのだろう。
並の宝石を軽く凌駕する輝きに幾人かの学生が感嘆したように熱い息を吐いた。特に錬金術士を目指している者はギラギラとした視線を銀塊とリヒャルトに向けている。
「オリハルコンも魔法金属だ。魔力を込めることでその形状を変化させる」
リヒャルトが先程と同じ手順でオリハルコンに魔力を込めると、キンと硬質な音を立ててオリハルコン塊は精緻な六角柱へと形状を変えた。
一切歪みのない完全な正六角柱。現在の人間の技術では人為的な再現は困難であろう。
「このように未加工のオリハルコンは概ね柱状に変化し、精錬すれば魔力を込めた後の形状も変化する。アダマンと異なり、この変化の法則は未だに不明だ。各国王家に残されている記録によれば、かつては純オリハルコンの剣を打つには鍛冶士の魂を捧げなければならない、などと言われていたようだ」
暫くして、オリハルコンから魔力の輝きが消え、静かに元の塊に戻っていった。
「気力が肉体に起因するように、魔力は魂によって生成される力だ。記録にある鍛冶士の魂とは、つまり、精根尽き果てるまで魔力を注ぐことを暗喩しているのではないか、と現在では考えられている」
それも現在では魔力結晶を用いた魔力貯蔵装置を利用することでさして苦労せずに達成できる。
この方法が確立されたことで各魔法金属を加工できる鍛冶士の数は爆発的に増加した。この世界において、生成できる魔力量は生まれ持った才能によって決まるため、鍛冶の腕はあっても魔力が足りないという事例は数多くあったのだ。
その一方で、赤神の聖地『真なる火』を守る古きドワーフたちは神話時代から連綿と続く昔ながらの鍛造方法を固持している。
選び抜かれた鍛冶士がひとり聖地に入り、相槌すらなく、三日三晩魔力を注ぎ込み金槌を振り続ける。
鍛冶士の命すら危うくすることもあるその方法は、しかし、至高の白銀を至高の剣とする為の唯一つの解法である。
魔力結晶を介する方法ではどれだけ精度を高めても“命の一振り”には届かないのだ。
「さて、これで前期の講義は終わりだ。試験に挑む者は準備を怠らないように。遠征に出る者は必ず生きて帰ること、以上だ」
リヒャルトが講義の終わりを告げると同時、学生たちは慌ただしく教室を出ていった。
数日後には各教官による前期試験週間が始まる。
一年度に二回しかない機会を存分に活かすべく、今から資料を集める者、鍛錬を積む者、目指す己の姿を脳裡に描き学生たちは駆けていく。
それが終われば今度は夏季休暇だ。
新入生は特に前期中に受けた依頼の対価として、今まで得たこともないほどの大金を得ている。その使い道を誤って痛い目を見る者も毎年少なからずいるが、大多数は充実した休暇を満喫できるだろう。
実家に帰る者、バカンスに行く者、あるいは夏季休暇全てを犠牲にして常は行けぬ秘境へと旅立つ者もいる。中にはリヒャルトの言葉に奮起して霊峰や遺跡に挑む者もいるかもしれない。
誰もが皆、この季節にふさわしい活気のある表情を引っ提げて動き出していた。
◇
夏本番に向けて学園全体が騒がしくなっていく中、アルカンシェルの一行もまた慌ただしく旅の準備をしていた。
各人の試験終了後すぐに、大陸東部の『青国』へと向かうことになっているからだ。
海岸に面した都市を多く持つ青国は夏のバカンスに訪れる者も多い。が、一行の主目的は依頼である。
先日のギルド連盟の支部長会議において、半ばベガの思惑通りに各国支部長に見込まれたアルカンシェルは各国の重要依頼を受けることとなった。
白国支部長セレナからは先日のアウディチ領の革命鎮圧。
緑国支部長クィーニィからは辺境の巡回討伐。
そして、青国支部長クウラからは――
「――“謎の影の調査”か」
ここ数カ月、殆ど帰ってこなかった寮の自室にて、溜まっていた書類を片付けながらクルスは呟いた。
隣で甲斐甲斐しく衣服を畳んでいたシオンが顔を上げて首を傾げるが、何でもないとばかりに頭を撫でる。
シオンのしっとりとした緑髪の感触を指先に感じつつも、クルスの思考は依頼の再び内容に沈んでいく。
青国の海都パルナースの沖合では、ここ数カ月、何隻もの船が痕跡ひとつ残さず行方不明となる事件が発生している。そして、彼らが消息を絶った海域では海中に巨大な影が目撃されている。
クルスたちが依頼されたのはその影の調査だ。
討伐ではなく、調査としていることから連盟の方でも詳細は掴めていないのだろう。
一行は斥候にでるギルド所属の船舶に同乗し、必要に応じてその戦闘能力を発揮することを期待されている。
敵戦力など現時点では不明な点も多いが、支部長直々の依頼である以上、危険性は高いものと考えられる。
よって、準備は万全にしておくべきだが、内陸国の白国では海上装備を手に入れるのも一苦労だ。防具などは青国に入ってから調達することになるだろう。
「クルス、この荷物はどこに置けばいい?」
その時、片づけを手伝っていたカイの平坦な声が多少埃っぽくなった部屋に響いた。
視線を向ければ、両手に山のように荷物を満載して頭頂部まで隠れたカイがいた。
「そっちの部屋の隅に積んでおいてくれ」
「了解」
殆ど帰ってこないことと数カ月空けることは似ているようで異なる。学園内とはいえ、盗難等が皆無という訳ではない。
クルスとしても片付けついでに防犯対策はしておこうと考え、依頼と鍛錬以外に予定のないカイはその手伝いを申し出たのだ。
とはいえ、既に卒業要件を満たしているクルスとは異なり、カイは今期も試験を受ける予定である。
しかし、学術系の試験を無視し、全て実技で突破する予定の侍は特に準備することがない。精々、刀を研いでおくくらいであろう。
実力については言うまでもない。魔力生成ができないとはいえ、カイの全身全霊は戦いに特化しているのだ。
ただ、クルスから見て、実戦に大きく偏っているとはいえカイの頭は決して悪くないように思えた。
むしろ、多少知識を補強すれば学術試験でも通用すると確信できる程度には良い。
地頭ではない。たしかに勘の良さや経験の蓄積もあるのだろうが、その根本にある論理的な思考は明らかに高度な教育を受けて培ったものだ。
勿論、幼少の頃から近衛騎士とその先の十二使徒を想定して鍛えられていた以上、ある程度の学力は必要だったのだろうが――。
(それだけではないのだろう。明らかに知識の幅が広い。きっといつか、カイが使徒とは別の道を目指す時に必要になると考えたから――)
「クルス?」
「あ……いや、手伝ってもらって言うのもなんだが、カイはもう出立の用意はできているのか?」
誤魔化すように間を繋いだ台詞にカイは小さく頷きを返した。
「頼まれていたギルドハウスの方も手続きを終えている。問題ない」
「武器防具はそのままでいいのか? 依頼の性質上、海上に出ることになるぞ」
「そちらも問題ない。ガーベラは錆程度なら自動で禊ぐ。銀剣も――」
見せた方が早いかとばかりに、カイはおもむろに銀剣を抜いた。
鞘から出でて露わになる銀一色の刃は窓から差し込む陽光を受けて清らかな輝きを湛えている。
「刃殻は不朽銀。芯刃は柄頭から切っ先までオリハルコンでできている。この剣に錆びる部分はない」
「ふむ、成程な」
意識の集中に応じて、クルスの蒼色の目が微かに細まる。
シオンと繋がっているクルスの感応力は銀の刃殻の裡に透けるようなオリハルコンの刃が存在することを確と捉えた。
「たしかに二重の造りだな。しかし、これは何の意味があるのだ?」
クルスの問いは、強度で言えば外側の刃殻もオリハルコン製にする方が有効だろうということと、その剣を打ったドワーフの長老の技量ならばそれも十分に可能であった筈だという二つの意味を含むものだった。
元より、現存する純オリハルコン製の装備はすべて赤神かその関係者が打ったものだ。
つまり、赤神の技術を継承している彼ら、真なる火の防人たるドワーフが作れぬのなら、この大陸に純オリハルコン製の装備を作れる者、あるいはその為の技術は現存しないことになる。
「……オリハルコンは非常に扱いの難しい金属だ」
「精錬や鍛冶が難しいのか?」
「いや、戦闘に使用することの難度だ」
クルスの問いにカイは銀剣の刀身を見遣りつつ答えた。
柄を通じて伝わる至高白銀の冷たさは、その内部に魔力の通っていない証だ。
銀剣はその担い手の魔力しか受け付けない。今のカイはそれに応えることができない。
「オリハルコンは使用者の魔力を吸って形状を変え、真価を発揮する。ただし、その際に魔力を消費し続けるため長時間の使用はできない。魔力を失う前の俺では一戦闘が限界だった。聖性持ちの現六位なら一週間はもつが……」
「成程、刃殻は通常戦闘、芯刃――真の刃を抜くのは短期決戦という訳か」
それならばとクルスも納得した。
戦闘中に魔力を放出する端から剣に吸われてしまっては困るにも程がある。
魔力を失う前のカイはファイターの技能も使っていたと聞いているし、そうでなくとも、戦闘中に魔力が枯渇すれば今のカイのように魔法への抵抗力がなくなってしまう。刃殻のような安全策は必須であろう。
逆に言えば、銀剣の在り方それ自体が、他の魔力消費技能全てを斬り捨てて一極集中することが肯定されるだけの性能を有していることを証明している。
製法が現存する中で最古の魔導兵器にはそれだけの性能があるのだ。
「しかし、あのソーニャという子の魔力量で一週間なら、俺だと一日くらいか?」
「――シオン、いる」
「ああ、すまない。そうだな、二人の魔力なら三日はいけるのか」
無表情の中に自己主張を滲ませるシオンがクルスの袖を引いて抗議する。
可愛らしい抗議にクルスは苦笑を片頬に残したまま謝った。
シオンの表情は変わらないが、クルスが自分のことを理解しているのがわかると微かに目尻が下がった。
その一瞬の笑みは、かつて精霊であった頃のシオンを思い出させる慈母のような笑みであった。
一瞬、クルスが驚き、やわらかな笑みを返す。
笑い合う二人の姿は親娘にも兄妹にも、あるいは恋人にもみえる。
ただ暖かく、微笑ましい。
カイはそんな二人を見て、顎に指を当てて黙考する。
かつて、ギルド“アルカンシェル”を組んだ時、カイはメンバーは誰でもいいと思っていた。魔力のない自分に選ぶ余地などないと諦めていた。
だからこそ、学生としては多少名が立つ程度のクルスたちの誘いに乗った。
もしも、過去に戻れるのなら――伝承において、極限られた回数だけそれを為す加護が存在したという――クルスたちの覚悟を軽んじた当時の自分を殴り倒したい気分だ。
背に負った鞘に静かに銀剣を納める。
銀剣の真の刃は使用者の魔力を吸い、その魂を映す。性質上、同時に使えるのは一度に一振りだけだ。
故に、銀剣はひとりの人間にふた振りもいらない。
暫くして、侍は小さく頷いた。
人知れぬその決意が結実するには数ヵ月を待つ。
木々は青々と繁り、生命は高らかに燃えて、死んでいく。
生と死が最も色濃く刻まれる季節――夏が始まる。




