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刃金の翼  作者: 山彦八里
三章:暗雲
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13話:血脈

 帝都貴族街。

 ディメテル家の別宅にて、オーヴィルは一振りの剣を手にしていた。

 柄に象嵌された紅玉は深みを増し、刀身に刻まれた刻印術式は試作品とは比較にならない緻密で整然とした、芸術品にも似た細剣だ。


「……完成したか」


 老兵の呟きには大きな達成感と僅かな後悔が滲む。

 偶然か、あるいは必然か。生きて完成をみることはないだろうと思っていたそれが今、手の中にある。


 魔導兵器。

 魔法を使えぬ者でも魔法を使えるようになる武の器。

 魂を持たぬ武器でありながら、擬似的な刀気解放さえもできる量産品。

 事情を知らぬものが聞けば、夢のような兵器だと歓喜するだろう。


 確かにこれは人の英知の結晶であり、しかし、戦争を拡大する悪魔の業でもある。

 量産の暁には人は神の加護なくとも魔物に抗することが出来るようになる。

 今は剣型だけだがいずれ射撃に特化した形状のものも生まれるだろう。

 そうして、一部の契約者だけが戦う時代は終わり、これからは誰もが戦える――あるいは、誰もが戦うことを課せられる時代になる。


 ――あの時、これがあれば。

 それはいつの頃からかオーヴィルの心の片隅を占めるようになった想いだ。

 誰かが無力を嘆かぬように。誰かが誰かを守れるように。

 その信念のもとに作った筈のその兵器が不思議と重かった。


「オーヴィル様、カイ・イズルハ様がお越しになられました」

「ん? ああ、もうそんな時間か」


 侍女の控え目な言葉にオーヴィルは没頭していた思考から引き戻された。

 内容も告げずに貴族の許に訪れるなど普通は許されることではないが、相手が弟子の仲間であり、孫の師であるなら話は別だ。


「さて、今度は何の用事であろうな」

「中庭にてお待ちのことです」

「うん? そうか。準備が終わり次第、すぐに向かうと伝えてくれ」


 中庭に呼ぶということは戦うということだろうと、オーヴィルは僅かに痛む腰を叩きつつ広間を後にした。



 ◇



 中庭には微かな風が吹いている。

 ぬるま湯のような微かな暖かさを感じさせる風を受けて、ミハエルは袖口で額に浮いた汗をぬぐった。


「緊張しているのか?」

「うん。もし、勝てなかったら……ううん、勝てたとしても爺ちゃんを殺してしまったらって思うと……」

「……」


 見届け人として同行したカイは何も言わずに少年の頭を軽く叩いた。


 幸か不幸か、ミハエルは無明の習得に成功した。

 とはいえ、身に付けただけで未だ使いこなせているとは言えない。戦闘で使えるのは数分程度だろう。

 それでもミハエルはオーヴィルと戦うことを決め、カイも反対はしなかった。

 元より勝ち目の薄い勝負だ。下手な小細工を打つよりも気力の充実している内に挑む方が勝算があると判断したのだ。


「何で手が震えるんだろ。い、今更だよね」

「ミハエル、剣を振るコツは覚えているか?」

「え? ……うん。忘れたことなんてないよ」


『剣を信じろ。一瞬の迷いもなく振り抜くこと、それが秘訣だ』


 かつて、勝機を掴んだその言葉は少年の魂に深く刻まれている。

 その一心で少年の体から徐々に硬さがとれていく。


「お前が最上の結果を望むなら全てを賭けて目指せ。もしも、失敗した時は――お前が狂った時は、俺が斬る。だから、お前は前だけ向いていろ」

「……うん。ありがとう、師匠。僕は、やるよ」


 そうして、ミハエルが心を決めてから暫く、中庭にオーヴィルが姿を現した。

 前にあった時と同じ飄々とした出で立ちに年齢を感じさせぬ足運び。表情に刻まれた皺は深く、しかし、眼光の鋭さは現役の戦士のそれだ。

 どうやら気力が充実しているのはミハエルだけではないようだ。


「久しぶりだな、カイ君。いつもエルが世話になっている」

「お呼び立てして申し訳ない。今日は俺の弟子が貴方に用があって来た」

「……エル坊が?」


 祖父のいぶかしむ様な視線を受けて、ミハエルは表情を緊の一文字に結んで前に出た。


「爺ちゃん――ううん、オーヴィル・L・ディメテル。あなたに決闘を申し込む!!」


 胸を張って敢然と宣言されたその言葉に、オーヴィルははじめ顔を顰め、次いで、怒気を露わにした。

 それは戯れに使っていい言葉ではないのだ。


「暫く帰ってこなかったと思えば……ミハエル、決闘の意味を知らぬとは言わせぬぞ」

「うん。今日、僕はあなたに勝つ為にここに来た」

「……故を聞かせてくれるか?」


 冗談でないならば、その後には不可解だという気持ちが生まれる。

 オーヴィルは孫に決闘を挑まれる理由に心当たりがなかったからだ。

 その瞬間までは。


「オーヴィル、あなたは過去の後悔を引きずり、今、大陸全てを戦乱に巻き込もうとしている。僕はあなたの係累として、その後悔を断つ」


 それが何を指すかは、訊かずともわかった。


「……魔導兵器の開発は人類の発展の為だ」

「ならば、何故、胸を張ってそう言わない!? 力なき者に戦う術を与える為だというならば、誰に憚らず――父さんにもそう言えばいい!!」

「ミハエル!! 何も知らぬ小僧がそれを言うか!!」


 にわかに空気が張り詰める。

 心の奥底に土足で踏み込む言葉にオーヴィルは思わず剣を、完成したばかりの魔導兵器を抜いていた。

 応じてミハエルも剣を抜く。もう後戻りはできない。


「……師匠、お願いします」


 互いに退く様子のない二人を見遣り、カイは静かに片手をあげた。


「公正に審判することを我が剣に誓う。――両者、前に」


 告げられた宣誓を半ば聞き流し、二人は互いだけに集中する。

 間合いはミハエルの足で五歩。オーヴィルなら三歩の距離だ。


「――始め!!」


 直後、激昂にかられるオーヴィルが勢いよく踏み込んだ。

 無論、怒りだけが理由ではない。オーヴィルという戦士はそんな甘くはない。

 ミハエルが同じ迎撃主体の剣士であり、老齢により体力的に劣るオーヴィルは持久戦になれば後手に回る。

 故に、己の戦術でなくとも攻め入らねば勝てないと、戦士としての直感が告げたのだ。

 必然、この場はオーヴィルが攻め、ミハエルが受けるという形になる。カイが無明を授けた理由だ。


「――チェエエッ!!」


 上背で勝るオーヴィルが気炎をあげてミハエルに斬りかかる。

 対するミハエルは手に持つ細剣を斜めに構え、振り下ろされる一刀に鎬を合わせてギリギリで受け流す。

 火花が散り、互いの剣線が逸らされる。


 即座に弾かれ、素早く剣を引き戻したオーヴィルが今度は胴を払う。

 ミハエルは紙一重で迫る横一文字を屈んで避け、素早く後退して息を整えた。


 “無明”の防御において最も重要なのは覚悟である。

 相手がどう攻めてくるかを読み、理解し、受け止める。

 如何な攻撃でも来るとわかっていれば受けられる。その覚悟こそが無明を流儀たらしめるのだ。

 今のミハエルには無明を維持し続けるだけの能力はない。だが、体勢が十全の状態であれば、心もまたそれに追随する。


「――フゥ」


 細く鋭く呼気を吐き、ミハエルの細剣が自身を中心にゆるやかな円を描く。

 彼我を分かつ三歩。その間合いを細剣が不可侵領域へと変える。


 そして、“無明”に入ったミハエルに対し、再度オーヴィルが殺到する。


 老兵は先の二太刀で孫が何かを身に付け、結果として防御性能が上がったことに気付いていた。

 故に、連撃で崩す。

 如何な剣技も剣を振るうことができなければ無意味であると証明する。


 老兵は踏み込みの勢いのままに、撓めた腕を抉り込むように伸ばし、ミハエルの胸元に向けて刺突を放つ。

 一点狙いの攻撃をミハエルが辛くも回避するのを確認するや否や、肘を曲げて引き戻し、次撃で肩を狙う。

 極僅かな手首の返しで狙いを変えた二撃目をミハエルの剣は防ぎきれず、切っ先が肩の肉を浅く抉った。


 中庭の下草を孫の血が汚す。

 それでもオーヴィルは止まらない。鈍痛を発する体を叱咤し、絶え間なく突きを放つ。


 断続的に響く金属音の中でオーヴィルの脳裡を過去の記憶がよぎった。


 魔導兵器の開発に着手したのは力がないと嘆く者がいなくなることを願っての為。

 それは赤神に誓って真実だ。

 魔物は増加している。いつか、神の加護だけでは全ての人を守れない時が来る。

 だから――


「――だから、儂はッ!!」


 殊更に強く放った一閃がミハエルの構えた刀身を捉え、その小柄な体を吹き飛ばした。

 たたらを踏んだミハエルの体勢が大きく崩れる。

 五歩を要する間合いはオーヴィルの距離だ。

 老兵の戦勘が勝機を嗅ぎつける。

 本能に従い、一瞬の溜めから内転を練り上げて刺突を放つ。

 踏み込みに連動して剣線が真っ直ぐに伸びる。痛みを忘れ、刹那の間、肉体が現役時代の早さを取り戻す。

 そうして、オーヴィルに今できる最高の一撃が放たれた。


 研ぎ澄まされた剣先は過たずミハエルの胸元に吸い込まれ――


「――ハッ!!」


 突き刺さった筈の剣が、いつの間にか引き戻されていたミハエルの剣に受け止められていた。


「ア、アアアアアッ!!」


 さらに、ミハエルが手首を返し、刀身を滑らせるようにして剣先を受け流す。

 甲高い金属音と共に火花が散り、互いの剣が僅かに撓む。

 オーヴィルは反射的に剣を引き戻していた。

 そのまま流されれば致命的な隙を晒すからだ。


 しかし、その一瞬こそミハエルの待ち望んだ“間”だ。

 引き戻される剣に追随するようにミハエルが一足飛びに相手の懐に飛び込む。


 互いの鍔がぶつかる至近距離。

 その間合いこそ、体躯で劣るミハエルが全てを賭ける距離だ。

 オーヴィルの直感が鋭く警告を発する。

 見れば、ミハエルの細剣は手品のように既に振りかぶられている。


 相手の攻勢を凌ぎ、防ぎ得ぬ隙間に斬り込む流儀。

 “無明”転じて法性。暗闇に差す一閃の光こそ勝機を掴む一手である。


「ッ!! ――術式起動、“ラハヴ・ジャディーダ”!!」


 しかし、窮地に陥って尚、オーヴィルの反応は戦闘を継続した。

 柄から離した左手を引くことで瞬間的な上半身の捻りを加え、急角度で突き込む刀身に炎が付加される。

 足りない攻撃力を炎の術式が補う。狙いは頭部。当たれば致命傷になる。


 だが、迫る炎剣を見てもミハエルは止まらない。

 半歩先に死を感じつつ、少年の心と技が合致する。


「――術式起動、“マイムⅡ”!!」


 白熱する意識の中で発した声に従い、術式が起動。刀身を水の刃が包み込む。

 極限の集中力を発揮したミハエルの目が迫る炎剣の内側、術式の核を捉える。


「――やあああああッ!!」


 振り抜く一閃は炎の魔法を撃ち破る“焔切”。

 師より伝えられたもう一つの技が、狙い違わず刀身ごと術式を断ち斬った。




 静寂が中庭を支配する。


 小さな音を立ててオーヴィルの手から剣が滑り落ちた。

 老いて尚鍛えられた体へ浅く袈裟掛けに斬線が走っている。

 ミハエルがあと半歩深く斬り込んでいれば致命傷だっただろう。


「……儂の負けか」

「ハア、ハア……僕の勝ちだ、オーヴィル……爺ちゃん」


 噛み締めるようにオーヴィルが告げ、残心をとるミハエルが息を絶え絶えに、しかし、胸を張って声を返す。


「儂は……」

「爺ちゃん、そんな貌をした爺ちゃんはいやだよ」

「なに? ……ッ!?」


 指摘に従って己の貌に触れて、オーヴィルは愕然とした。

 鋭く尖った目、吊り上がった口角。


 それは悪鬼の貌に他ならなかった。


「な、何故、儂は人々を守る為に……」

「ねえ、爺ちゃん。あなたの魂はどこにあるの?」

「儂の魂? 儂の魂は――」


 老兵は地面に転がった折れた魔導兵器を見遣り、息を呑んだ。

 幾度となく刃を合わせた刀身は欠け、刻まれた術式もボロボロに崩れていた。

 この有様では、断たれるまでもなく二度目の発動はできなかっただろう。


 怒りで目が眩んだ、などということはない。

 感情が振り切れた中でも積み上げた技は確かに生きていた。

 故に、刀身の傷は己が魂を省みていなかった証、自傷の痕に他ならない。


「儂はただ己の後悔から目を背けていたのか……」


 思い返せば、いくつもの想いが溢れ出てきた。

 死体で舗装された道にも大事なものはあった筈なのだ。

 老兵はそれ以上は何も言わず、ただ膝をついた。


「――勝者、ミハエル・L・ディメテル」


 決闘を見届けたカイは静かに宣言を下した。


「……師匠」


 剣を納めたミハエルの声は常より重い。

 柄に絡まった指が外れていない。固く握った覚悟が強張りを残している。

 致命傷には至らなかったとはいえ、少年の手にも祖父を斬った感触は長く残るだろう。


「よくやった、ミハエル」


 それでも、きっと正せたものが、守れたものがあるだろうとカイは願った。

 ミハエルはまだ十歳と少し。家族を斬るには幼すぎる。

 ほんの一抹でいい。何かが残ってほしいと願った。


「うん、きっと大丈夫だから。僕も爺ちゃんも」

「そうか……」


 カイはミハエルと目を合わせ、静かに頭を下げた。


「ミハエル、礼を言わねばならない」

「え? いいよ、お礼なんて。むしろ僕の方が……」

「父の流儀を残しておける。自分でも気付いていなかったが、どうやら心残りだったらしい」


 ミハエルに視線を戻せば、幾度となく剣戟に晒された少年の体は傷だらけだ。しかし、致命傷はひとつもない。

 無明の流儀は欠けることなく、確とミハエルを守り切ったのだ。


「だから、ありがとう」


 かつて、父にされたようにカイもミハエルの頭を撫でる。

 父の教えは受け継ぐべき者に伝えられたのだ。侍はそれで十分だった。


「俺からはそれだけだ。……オーヴィルの傍にいてやれ」

「……うん。またね、師匠」


 少年の表情に向日葵のような笑みが戻る。

 この明るさが傍にいるなら、きっとオーヴィルも大丈夫だろう。

 そう信じて、カイはその場を後にした。


 空を見上げれば、雲ひとつない青空。

 暖かな日差しは誰の元にも平等に降り注いでいる。


 もしも、運命に分かれ道があったのなら、この一戦こそ“それ”であったとカイ・イズルハは述懐する。

 運命は巡る。戦いの宿命はまだ終わりをみせない。

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