12話:後悔
赤国帝都ジグムントの郊外。
遠く大城壁の見える草原にカイとミハエルの姿があった。
周囲にはいくつもの魔力結晶が散乱し、それを挟んで狼型の魔物、グランドウルフ三体が警戒の滲む唸りをあげている。
対峙しているのはミハエルひとり。
カイは剣も抜かず、三歩下がった位置から黙って弟子の背を見つめている。
三体のグランドウルフとミハエルでは集団としての戦力は魔物側に軍配があがる。
とりわけ、この狼型の魔物は知能が高く連携に秀でている。かつてクルス達も苦しめられたことがあるほどだ。
しかし、少々の負傷と引き換えにミハエルは既に四体を撃破している。
同位階において魔物は人間の三倍の能力を持つと言われている。しかし、だからといってむざむざやられるわけにはいかないのは自明の理。
実力で勝る相手に勝つこと。魔物との戦いを生業とする冒険者にとっては日常に等しいことだ。
両者は数秒ほど睨み合っていたが、痺れを切らしたのはグランドウルフが先だった。
三体は咆哮をあげて散開。正面、右、左と三方向から同時にミハエルに飛びかかった。
「――ッ!!」
ほぼ同時にミハエルも前に出た。
魔物とは対照的な静かな歩みで、しかし、瞬く間に正面の大狼との最短距離を結び、振り上げた細剣を真っ向から叩きつけた。
“水”の名を持つ剣はその名の通りに流れるように大狼の顎を斬り抜ける。
ミハエルはそのまま振り抜いた勢いを利用して魔物の左脇を抜け、死体を盾に右側からの攻撃を防ぎつつ、左から迫る大狼の胴を薙いだ。
走る相手の体にひっかけるようにして放った斬撃は大狼の胴を真一文字に抜け、その身を切り裂いた。
右側を抜けたグランドウルフが着地した時には既に二体の死体は四散し、魔力結晶だけが地に落ちる。
そして、大狼が振り向くよりも早く、素早く距離を詰めたミハエルの突きが過たず魔物の核を貫いた。
(……慣れてきたな)
数歩下がって残心をとる弟子を見遣りつつ、カイは小さく頷いた。
徐々にではあるが、この数カ月でミハエルは己の戦術を確立してきた。
すなわち、相手の力を利用するカウンターを主軸とする戦い方だ。
まだ十歳と少しのミハエルには己の膂力だけで魔物を斬り倒すのは難しいし、無理に筋力を付けさせても成長するにつれ歪みが増して逆効果になってしまう。
故に、今ある物で対応し、応用する。
その意味においてミハエルは非常に真っ当な冒険者として成長しているといえる。
自分のような歪な師からここまで定石に則った弟子が育ったことにはカイ自身驚きを感じていた。
思い返してみれば、十二使徒時代に自分も指導に加わった後継、現六位と現七位は基本、力押しで戦闘を進めるきらいがある。
先手をとり、相手に機先を許さずひたすら攻め続ける。二人はカイの教えた通りを己の術理としている。
それ自体はカイとて間違いであるとは思わないが、常に単独で立ち回ることを要求される十二使徒と異なり、ミハエルは集団で戦うことを視野に入れている。
学院でも、かつてカイも巻き込まれたひと騒動の結果、友誼を結んだ学友たち、フィフィアーナやマルクと組んで模擬戦を行っているという。
故に、そう遠くない未来にこの弟子が手に余る日が来ることをカイは直感していた。
これから先、ミハエルがどのような道を進むにしても、自分と同じ道に進むことはないからだ。
流儀“無間”。
それが、それだけがカイの進んでいる道だ。
先の先をとる俊敏性とその速度を斬撃に変換する戦術。
防御を捨てて斬りかかり、自分より遥かに格上の相手に対しても一寸の勝機を見出す。
しかし、それは後の先をとって攻撃を返すミハエルに合致するものではない。
流儀は技能として身に付ければ必ず力になる。連綿と受け継がれ、淘汰されてきた武術には歴史に裏打ちされた力がある。
けれども、世に数多の流儀あれど最強の流儀というものは存在しない。全ての流儀に長所があるように、全ての流儀に短所がある。
(ひとまずはクルスに盾使いを師事させるか、それとも先に無手術を教えるべきか)
無間とて請われれば教えるし、実の所、ミハエルに合致する流儀にもアテはあるのだが、それを教えるのが正しいのか迷う所であった。
ミハエルはまだ原石だ。己をどのようなカタチに研磨するかは師とて勝手に決めて良いことではない。少なくともカイはそう考えていた。
(しかし、これが弟子を育てる感覚か。成程、悪くない)
毎日倒れるまでしばき倒している内に勝手に成長していったソーニャやクラウスとは異なる感覚だ。
いつか自分を超えるかもしれない。自分が気付かなかったことに気付くかもしれない。そんな弟子を育てることが面白い。そう感じていた。
「どうしたの、カイ?」
「……いや、俺の師達もこのような気持ちだったのかと思っただけだ」
「よくわからないけど、とりあえず依頼はこれで達成だよね?」
「ああ。街に戻るぞ」
「うん!!」
お守付きとはいえ単独で依頼を果たせたのが嬉しいのか、ミハエルは満面の笑みを浮かべた。
しかし、その笑顔も数瞬して不意に沈んだ。
「どうした? 何か問題か?」
「あ、うん……」
並んで街道を歩きつつ、カイは問う。
先の戦闘に問題はなかった筈だ。無論、粗はいくらでもあるが、それは鍛錬で克服できる類だ。
とはいえ、ミハエルは年齢の割に聡い部分がある。そのために、またぞろ新たな悩みが生えてきたのかとカイは考えた。
だが、少年の悩みはカイが考えるのとはまったく別のものだった。
「カイは爺ちゃんのことどう思う?」
「オーヴィル・L・ディメテルのことか? ふむ……」
唐突な問いを受けて、侍は脳裡に老兵の姿を思い浮かべる。
ミハエルの祖父、オーヴィル・L・ディメテルについてカイが知っていることは多くない。実際に会ったのも数度しかない。
ただ、一度手合わせしたことで戦士としてのオーヴィルのことはわかる。
「後の先を取る戦い方はお前とよく似ている。攻撃の捌き方や突きの精度は現在でも通用するだろう。総じて、長い年月をかけて練磨された英雄級だといえる」
「な、なら、僕は爺ちゃんに勝てるかな?」
少年の問いにカイは僅かに顔を顰めた。
声には深刻な色が含まれている。ともすれば、血が流れる類の問いだ。
家族を斬る剣。そんなところまで似なくてもいいだろうと思わずにはいられなかった。
「祖父を斬るか。家族を斬るのは……辛いぞ」
「ううん。僕が斬りたいのは、爺ちゃんの“後悔”なんだ」
そして、ミハエルはぽつぽつと祖父オーヴィル・L・ディメテルの半生を語り始めた。
◇
オーヴィルはこの大陸で魔物の活動が落ち着き、大国間で小競り合いが頻発していた時代に生まれたディメテル家の嫡男であった。
代々が武官であるディメテル家でも稀に見る剣才に、武器全般への高い理解力をも具えた、まさに時代の寵児であったといえる。
物心ついた時より、オーヴィルは生まれの命じるままに戦い続けた。
白国の中でも北方に、つまりは暗黒地帯に近いヴェルジオン領は元より魔物の出現が多い。剣を磨き、武器を鍛える相手には事欠かなかった。
戦い続けている内にいつの間にかオーヴィルは父になり、当主になっていた。
当時のオーヴィルは貴族としての地位にはあまり興味はなかったという。
また、家族を愛していなかった訳ではないが、格別大事にも思っていなかった。
オーヴィルの全ては武器にあった。
十年前、ミハエルが生まれてすぐの頃、ディメテル家の受け持つ地域で二か所同時に魔物が発生した。
領内の魔物の討伐は貴族の義務である。既に当主を退いていたオーヴィルとてそれは例外ではない。
だが、オーヴィルの息子であり、ミハエルの父であり、現当主であるレント・L・ディメテルは決して武に優れた人物ではなかった。
人並みの武こそ身に付けたものの、戦場に立つには些かの不安が付きまとっていた。
オーヴィルは少数の兵を率いて片方の討伐を請け負った。そして、大多数の兵を息子に預けてもう一方に向かわせた。
その判断は今でも正しかったと多くの者が肯定している。
しかし、オーヴィルの関心の多くは新たに開発した魔導兵器にあった。手ずから鍛えた剣を手に振り向くことなく戦場へと出陣した。
その為に、己の背に向けるレントの焦りを孕んだ瞳に気付かなかった。
結論から言って、討伐は両方とも成功した。
しかも、オーヴィル側はほぼ無傷での勝利だった。
そこまではよかった。
屋敷に帰ってきたオーヴィルへの第一声は息子の意識不明の重体の知らせだった。
レント側は辛勝だった。
時間をかければ確殺できる相手に対し、短期決戦を挑んだという。
たしかに、人間とは比べ物にならない体力を持つ魔物に対して短期で勝負をつけるのは常道ではある。戦闘が長引けば、それだけ領民の負担になるのも真理だ。
しかし、苦しげに眠る息子の顔を見た時、オーヴィルは落雷に打たれたように悟った。
レントは功を焦ったのだ。
その心の裡はわからずとも、そうなるだけの条件は揃っていた。
図らずも、父と自分を比べる形となった二つの討伐令。
しかも、父は少数の兵のみ。自分に父ほどの才はない。兵達の人望は父に向いている。
焦りが生まれることは当然の帰結であったと言っても過言ではない。
オーヴィルは後悔したという。
息子にそれだけのものを負わせていたことに今の今まで気付かなかったのだ。
幸いにして、レントは一命を取り留めた。代わりに、二度と戦えない体になった。
レントが当主として動けるようになるのを待って、オーヴィルは武器開発を理由に赤国へと活動拠点を移した。息子に合わせる顔が無かったからだ。
それでも、生き方を変えることはもう出来なかった。その足元は、夥しい死体で舗装された道なのだ。
故に、決意したという。
才なき者でも気後れすることなく戦えるチカラを、その為の兵器を。
たとえ、戦争のカタチが変わり、全ての民を戦いに巻き込むことになろうとも。
◇
「……それは本人に聞いたのか?」
「うん。聞いた以上、爺ちゃんをこのままにしては駄目だと思う。きっとどこかで間違えてしまう。だから、僕は――あの人の前に立たないといけないんだ」
そう言ってミハエルは腰の細剣を引き抜いた。
魔導兵器。完成した暁には神との契約がなくとも魔物と戦える可能性を持つ、これまでの常識からは考えられない武器だ。
今はまだ刻印を刻みやすい剣型しかないし、魔力も使用者が補充しなければならない。
だが、逆に言えば、それらの問題が解決されれば魔導兵器は契約者に取って代わる存在になり得る。
その一方で、使い方を誤れば、魔導兵器は全ての人間を戦場に駆り立てる総力戦の引き金にもなり得る。
故に、その開発責任者であるオーヴィルが間違った道に進もうとしているなら、誰かが止めねばならない。それは確かだ。
「……」
黙したままカイは思う。お前がその役目を負う必要はない。腕の立つ者に任せればいい。そう言うのは簡単であろう、と。
たとえば、今のカイならオーヴィルを下すことは容易とは言えないが、難事というほどでもない。互いに命を賭けたなら十に九は勝利できる。
全盛期のオーヴィルならいざ知らず、老いた剣士にはカイの向こうを張るだけの継戦能力がないからだ。
しかし、成程、カイでは勝つことはできても、“後悔”を斬れるかと言えば口を噤まねばなるまい。
他の誰が挑んだとて同じだ。オーヴィルの後悔の途上にいるミハエルだけがその任を果たせるのだろう。
ならば、師としてその心意気に応えねばなるまい。
おそらく、それこそがオーヴィルがミハエルに魔導兵器を与えた理由なのだから。
「今のお前がオーヴィルに勝つのは困難だ。六十年近い年月を武と武器に捧げてきたオーヴィルの技量は甘いものではない」
「今の僕がダメでも、明日の僕なら勝てるの?」
未熟な剣士は、しかし、真っ直ぐな瞳で師を見上げる。
ここ数カ月、カイやクルスなど格上との訓練を繰り返していたミハエルの戦士としての嗅覚が可能性を嗅ぎつけたのだ。
「……いいだろう」
迷ったのはわずかに数瞬。
カイもまた覚悟を決めた。
「来い、ミハエル。――お前に覚悟があるのなら」
ミハエルと初めて会った時と同じ言葉を残し、カイは踵を返して歩き出した。
そして、少年は迷いのない足取りでその背を追いかけた。
◇
「お前に教えるべきことはひとつだけだ」
帝都郊外。遮るもののない平原に二人は向かい合って立つ。
「ひとつだけ? たったひとつでいいの?」
「ああ。それで足りる」
家族を斬る剣はカイの本分だ。
それを人に教える日が来るとは思いもしなかったが。
老いて一線を退いたとはいえ、オーヴィルは決して弱くない。凡百の剣士では勝てないだろう。戦闘経験も年月に比例して豊富だ。
老練、という言葉がよく似合う剣士だとカイは認識していた。
ミハエルにオーヴィルと斬り結ぶ技量はまだない。
斬りかかれば返される。無為に待てば崩される。
それだけの差が祖父と孫にはある。
故に、学ぶべきは避けられない瞬間に確実な一撃を入れる武術。
それを凌ぐだけの無理をオーヴィルの老いた体は為し得ない。
「教えよう。俺の父、ジン・イズルハの流儀――“無明”を」
“無明”はジン・イズルハが見出した独自の流儀だ。
敏捷性を捨てる代わりに、自身を中心とする防御領域を形成する堅守の構え。
その原理は単純にして明快。
確実に斬れる瞬間まで耐え、相手が防げぬ瞬間に斬りかかる。その一点にすべてが集約された流儀だ。
求められるのは鋼のような忍耐力と、確実に攻撃を凌ぐ防御術。攻撃は相手を斬れる必要十分で事足りる。
つまりはカウンター主体のミハエルの戦術を突き詰めた先にあるものだ。
「……無明は俺では完全な習得はできなかった」
「カイでもできないの!? そ、それを僕が習得できるの?」
「できるかどうかはお前次第だ」
無明をカイが習得できないのは、既に無間というまったく逆方向の流儀を身に付けているからだ。
特攻戦術たる無間の術理に耐えるとか、守るという発想はない。
相反する流儀を身に付けても双方が鈍るだけで何の益もないのだ。
「だが、お前は違う。元々、迎撃主体の戦闘方法を取るお前なら無明は相反しない。習得できれば、必ず力になる」
「わかった。やるよ、師匠!!」
「……そうか」
師匠と呼ばれてもカイは否定しなかった。
それはカイの中で最も大事にしている父親の一部を教えるからであり、同時に、もしミハエルが道を外れた際には、その手で斬ることを決意した証左でもある。
「型は教える。相手も務める。あとは、お前次第だ」
返事を待たず、カイはガーベラを抜いた。
陽に照らされた白刃は持ち手の意を受けてその鋭さを詳らかにする。
「習得できねば死ね。覚悟が覆るようなら――やはり死ね」
「――――ッ」
殺意を込めたカイの言葉に、ミハエルは腰の剣を抜いて答えた。
カイは小さく頷くと静かにガーベラを振り下ろした。
それから一週間、平野に剣戟の音が止むことはなかった。




