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刃金の翼  作者: 山彦八里
三章:暗雲
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10話:道程

 山々の稜線に沈みゆく太陽がかかり、燃えるような夕焼けが徐々に静かな夜色へと変わっていく。

 激動の一日となったアウディチ領にようやく夜が訪れる。

 とはいえ、数百人が激突した戦場は荒れ放題のままだ。

 幾人もの人が忙しく走り回り、ある者は散々に荒れた街道を補修し、ある者は解凍され正気に戻った騎士の介抱をしていた。


 そんな中、戦場の片隅に張られた大型の天幕の中にアルカンシェルはいた。

 天幕の中には他に、形式上捕縛されたダリオや革命軍リーダーのサルガ等も席についている。

 略式だが、戦後交渉とアウディチ領の今後を決める話し合いの場だ。

 戦闘後にやってきたダリオだが、顛末は既に聞いている。クルス達が革命軍を説得して天幕に引き入れたのだ。そうでなければとうに袋叩きにあって死んでいただろう。


「……下手人は取り逃がした。今回の首謀者のようだったが」


 険悪な雰囲気と緊張感に包まれる天幕の中で、ひとまずといった風にカイが口火を切る。

 その両腕は既に治癒術式をかけられ、十全の動きを確保している。

 あるいは、この後、もう一度だけ振るわれることを予期しているのだ。


「ま、どちらかというと見逃してもらったって感じだけどね」


 その隣、いつもの軽鎧に着替えたイリスがひらひらと手を振る。

 報告を聞いたソフィアが暫くの間イリスを抱きしめて離さなかったが、今は両者とも落ち着いて席についている。


「そうだな。今回の革命は仕組まれたものだった可能性が高い。ダリオ殿に伝わった報告の多くが改竄されていた。侍女に扮していた古代種――アルベドによって籠絡された為だと思われる」

「確かか? 虚報では革命軍は止まれんぞ。既に拳を振り上げている」


 クルスを間に挟んでダリオを睨みつけるサルガが獣人(セリアン)特有の喉奥で低く唸る声で告げる。

 革命軍にとって上で何があったかは過程に過ぎない。彼らにとって重要なのは自分達が困窮し、弾圧されたという結果だ。


「カイ達が遭遇して一戦交えた。手口からしてアルベドは先の教皇襲撃事件の下手人でもある疑いも強い。実際、中央側の帳簿も改竄されていた。疑わない方が不自然だ」

「叔父上は手遅れだったのか……」


 天幕を貫いて感じる民兵たちの憎悪混じりの視線を受けながらダリオは天を仰ぎ、力なく呟いた。声に混じるのは後悔の色。膝上に置いた拳も震えている。

 それはすぐ傍にいた家族の異変と凶行に気付けなかったが故か。


「……“戦乱の導”。アイツは確かにそう言ったわ」


 イリスがぽつりと声を漏らす。アルベドの去り際の言葉だ。

 アルベドは主がいるとも言っていた。併せて考えれば、戦乱の導とはその主本人か集団を指すものだろう。


(危険な相手だ。今回のアルベドに狙撃手、それに……)


 クルスはちらりと視線をカイに向けた。

 侍は座したまま何も言わず目を閉じている。

 アルベドは一目見ただけでカイにかけられた呪術を見抜き、あまつさえその名を知っていた。

 この期に及んでカイと父親(ジン)を呪った“呪術士”と関係が無い、などということは有り得ない。間違いなく、件の呪術士はアルベド達の仲間だ。

 自らの人生を狂わせた相手をみつけた侍の心境は如何なるものか。押し殺された気配からはその内心は読み取れない。


「カイ……」


 ソフィアが気遣わしげに男の拳にそっと手を重ねる。

 白い繊手が強張った拳を解けば、ぴちゃりと音がして地面に赤梅の花が咲く。

 本人すら気付かないまま爪が肉を突き破るほどに拳は硬く握られていた。


「カイ、治療を」

「無用だ。少し気が急いていた。それより、サルガ」

「……なんだ?」

「言いたいことがあるなら言っておけ。最期の機会になる」


 そう言ってカイが促すと、セリアンの青年は微かに目を細め、俄かに殺気が漏れる。

 僅かな沈黙の後、それまで溜めていたものを吐き出すように厳かに口を開いた。


「……オレ達が踊らされたってのは理解できた。だが!!」


 椅子を蹴飛ばしてサルガが立ち上がる、

 その双眸には炎のような怒りが灯っている。


「お前が、お前が何もしなかった為に幾人も民が死んだ!! 首謀者がいた? 事態を知らなかった? そんな戯言が通じるものか!!」


 心から溢れだす憤怒のままにサルガは大股で天幕内を横切り、ダリオの胸元を掴み上げた。

 男の長身とセリアンの膂力によって吊り上げられたダリオの爪先が地面から離れる。


「サルガ!!」

「好きにさせてあげなさい、クルス。死にはしないわ」


 立ち上がろうとしたクルスをイリスが制する。

 従者から見ても、サルガの怒りは尤もだ。

 たしかに、アルベドは自身の精神操作魔法と呪術を使い、巧妙に立ち回っていた。

 実際に城に入ったクルスやイリスにさえギリギリまで尾を掴ませなかったのだ。

 仮に、ギルド連盟から他の人員が派遣されていても、それこそ支部長あたりを連れてこない限り結果が変わることはなかっただろう。


 しかし、ダリオには時間と機会がいくらでもあった。

 帳簿や報告の改竄に気付かずとも、せめてグーウオンの異変には気付くべきだった。それだけでも、ここまで追い詰められる結果にはならなかっただろう。


「オマエの無知が、怠慢が多くの者を殺した!!」

「……そうだな、サルガとやら。申し開きも出来ない。僕は何も気付けなかった……何も」


 ダリオにかつての傲慢な装いは既にない。そこにいたのは、どこにでもいるただの青年だった。

 サルガは一度強く鼻を鳴らすと荒々しく手を離した。

 強引に椅子に戻されたダリオは咳き込みながらも視線をあげた。

 まだ最期の仕事が残っているのだ。


「クルス殿、中央から代官の派遣を頼む。アウディチ領は白国の穀倉地帯だ。多少荒れてても中央は無碍にできないだろう」

「ダリオ殿、なにを?」


 訝しげに問うクルスに対し、ダリオはただ疲れた笑みを返した。


「命の使い時だ。僕の首があれば民達も多少は溜飲を下げるだろう。……頼めるか、サムライ?」


 それは初めから定められていた事だ。

 サルガの様子を見れば革命軍が未だ憤懣やるかたないのは明白。

 将軍の首は既に刎ねた。故に、次を刎ねるだけのこと。


 カイは無言で立ち上がり、ガーベラの鯉口を切った。


 だが、一刀が振り抜かれる直前、天幕の入り口から転がりこんだ人影がカイの前に立ちはだかった。


「リア!?」


 ダリオが驚きに目を瞠る。

 侍女服は散り散りに破れ、両手足に痛々しい拘束痕を残すその少女は青年が喪ったはずの存在だった。


「お、お前、逃げたんじゃなかったのか!?」

「主をおいて逃げ出す侍女など失格です。舐めないでください、ダメ当主」


 救護所を抜けだしたダリオの側付たるクレリアは息を荒げながらも表情はいつもの無表情のまま。

 しかし、カイに向けた瞳の奥には命を賭した覚悟が窺える。


「何のつもりだ?」

「主よりも長生きする側付などおりません。どうぞ諸共にお断ちください」

「……ソフィア」


 固い声に、侍の背後でソフィアが目を蒼く光らせて侍女の心身を解析する。


「呪術の痕跡は見られません。イリスは間にあったようですね」

「女子供に手を出すのは憚られますか? であるなら、自刃いたしますが」

「説得は無駄か?」


 ゆらりと刀を上段に構えた侍の問いに、侍女は目を閉じて頷きを返した。


「……どうぞ、ご随意に」


 答えを聞くと同時、カイは躊躇なく刀を振り下ろした。


 天幕に甲高い音が響いた。


「……?」


 暫くして、予期した衝撃がこないことを疑問に思いクレリアがゆっくりと目を開ける。

 見れば、カイの一刀は目前で横合いから差し込まれた盾によって阻まれていた。


「止めろ、カイ」


 クルスの盾だった。

 続く声には確かな覚悟を滲ませている。


「革命軍が納得しないぞ?」

「いいや、きっとわかってくれる」

「根拠は?」

「ない。だが、彼らは背に負った街を守る為に只人の身で立ち上がった。怒りだけでは為し得ないことだ」

「……」


 強い光を湛えた騎士の蒼瞳が静かに佇む侍の黒瞳と交差する。

 誰をも見捨てられないのは果たして強さなのか、弱さなのか、侍には判断が付かなかった。


「俺は彼らの心を信じる。信じたいんだ、カイ」


 だが、その光は少なくとも自分にはないものだ。それだけはわかった。


「それがお前の判断か?」

「ああ。無為に命が失われるより、よほどいい」

「……了解した」


 リーダーが結論を出したのなら、カイに否やはない。

 刃を返し、刀を鞘に納めると数瞬前と同じように席についた。


「――サルガ」

「たしか、クルスとか言ったな」


 騎士は静かに頷きを返す。

 最初の難関だ。革命軍を説得するなら、まずはこの男を納得させねばならない。


「アンタも貴族なのか?」

「生まれはそうなる。Fのヴェルジオンだ」

「そいつの命を助けるの何故だ? アンタも貴族だからか? そいつにまだ価値があると思っているのか?」

「……ダリオ殿の死に価値はない」


 静かに紡がれる言葉はクルスの信念だ。

 死んで価値のあるものなどない。だが――


「だが、その生にはきっと意味がある。彼が生きることで変わることがきっとある」

「……理想論だな。誰の腹も膨れん」

「かもしれない。だが、決めたんだ。道を違えることはできない」


 確固としたクルスの言葉に揺らぎはない。

 自分より五つは若いであろう騎士の言葉に、サルガはこれ見よがしに溜め息を吐いた。


「いつもなら下らんと一蹴するところだ」

「……」

「だが、アンタがいなければ革命軍は壊滅していた。命の借りがある」


 サルガは小さく息を吐いて立ち上がった。

 視線は未だ強く、拳は握り込まれたままだが、怒りは腹の底に沈められている。


「革命軍の中にも多少は頭の回る奴がいる。そいつらを監視役に任命しろ。あとは、暫くの免税、村の立て直し。対価はそんなところだろう。誓えるか?」

「感謝する、サルガ。白神イヴリスに誓う、調停者として必ず約束を果たす」

「なら、革命軍の説得はこちらで受け持つ。それで貸し借りなしだ」


 そのまま踵を返し、天幕の入口に手をかけたサルガはふと思い出したように振り向いた。


「領主よ、アンタの命、高く付いたぞ。精々大事にするんだな」

「ああ、肝に銘じておくよ、セリアンの戦士よ」


 端的にダリオの生を認めたサルガは、そのまま振り返らずに天幕を出て行った。



「ダリオ殿、貴方はこの騒乱の責任をとらねばならない。だが、何もかもが失われた訳ではない。私はそう思います」

「……そうだな」


 サルガの退出を見届けて気絶したクレリアを抱きかかえながら、ダリオは深く頷いた。

 腕の中の侍女は微かな寝息を立てている。カイの前に立った時点で精根尽きていただろうに、それでも尚、その身を立たせていたのは如何なる感情か。

 聞くだけ野暮か、と若き当主は心中で苦笑した。


「世話になった、クルス殿。僕は僕に出来ることをする。この命の価値を証明してみせよう」

「はい。またいつかお会いしましょう」


 二人は握手を交わし、互いの責務へと戻っていった。




 数日後、中央からアウディチ領全体を取り仕切る代官が派遣された。

 領主こそダリオのままだが、その権限は大きく制限されている。

 中央からすれば、領民の好悪の内、悪感情はダリオに向かって欲しいのだろう。面倒な場面ばかりがダリオには割り振られている。

 それでいて、貴族位はまだ戻っていない。ダリオは数年、あるいは一生涯その苦労を負うことになる。

 しかし、若きアウディチ家の当主の貌に翳りはなかった。

 傍に仕える無表情な侍女と共に領地の復興に尽力している。

 いつか、その苦労が報われる日が来るだろう。


 また、ギルド連盟に復帰したサルガも護衛兼監視役として城に配属された。

 当主と領民を繋ぐ窓口でもあるセリアンは荒々しくも面倒見がよく、多くの人に慕われているという。


 赤剣傭兵団はきっちり割増料金をせしめて帰っていった。

 去り際、ルッツは一行に「連盟にいられなくなったらウチに来い」などと冗談めかして言っていた。彼なりに思うところはあったようだ。



 他方、アルベド・ディミストは行方不明のままだった。

 四大国とギルド連盟によって大陸中に手配されたというのに、その影すらみつけられていなかった。

 実際に遭遇したアルカンシェルは通常依頼と並行して、その行方を追うよう特別依頼を受けていた。



 そうして、いくつかの謎を残したままアウディチ領を揺るがした革命は収束に向かっていった。



 ◇



 アウディチ城を脱してから十日後、アルベドは大陸の北の果て『暗黒地帯』にいた。

 常に雷雲に覆われた空と草木の一本も許さぬ赤茶けた死の大地。

 人類の追及の手も魔物ひしめく暴虐の地までは届かない。無論、そこで生き抜けるのなら、という前提の上であるが。


「ここでいいですわ」


 しかし、その前提は古代種たるアルベドには通じない。

 魔物が古代種を攻撃することはない。“統率個体”と同様に、一定の手順さえ踏めば従属させることも可能だ。

 それが千年以上前に古代種がとある存在との間に交わした約定だからだ。


 ここまで自分を運ばせた亜竜の頭を撫でて、アルベドは黒のドレスをはためかせ、ふわりと死の大地に着陸した。

 そこは大陸の北に広がる暗黒地帯の中心部。ここ千年の間に他者が訪れたことのない人の世とは完全に隔絶した場所だ。


 そこには都市一つ入るほどの巨大な大穴がある。

 何か強大な力によってすり鉢状に抉られた大地。その表面は悍ましき黒色の魔力結晶でびっしりと覆われている。

 暗黒地帯の中でもそこは一等異様な場所であった。何かを畏れてか、魔物すら近付こうとしないほどだ。


 この場所こそが千二百年前のヒトと古代種の決戦の地。

 古代種にとって全てが始まり、全てが終わった終焉の地である。




 ――記憶が摩耗するほどの遥かな昔のこと


 この大陸の覇者はヒトではなく古代種であった。

 全体数こそ少ないものの、今とは異なる文明を築き、生まれついての強大な能力と千年単位の寿命を有する彼らを脅かす者などいなかった。

 古代種は永遠の栄華を約束された種である――筈であった。


 異変が起きたのは、森林や洞窟で暮らすヒトの中から毛色の違う者が現れた時だ。

 それまで、百年程度の寿命しか持たず、生誕時には滓のような力しか持たないヒトを古代種は気にも留めていなかった。少々頭の回る猿程度にしか考えていなかった。


 だが、時にヒトの中から発生したソレ等は違った。

 古代種の言葉を解した者がいた。古代種の生まれつき持つ能力を模倣し、体系化した者がいた。中には古代種と比肩しうる戦闘能力を持つ“英霊”さえも居た。


 その段に至ってようやく、古代種は自らの種族的優位が脅かされていることに気が付いた。

 生誕時には自らを生かすことすらできない惰弱な生物は、しかし、次代に知識と技術を継承させることで総体として古代種に追いついたのだ。

 それは生まれつき単体で完結した古代種にはなかったものであった。

 ヒトが増え、大陸中に拡散し、原始的ながら社会集団を形成したとき、遂に古代種は生存闘争をヒトに挑んだ(・ ・ ・)


 それは厳密にはヒトを恐れたからではない。

 真に古代種達が恐れたのは、自らを超える――その身を弑する存在だ。

 生まれついての英知を有する彼らには確信があった。

 人の身で偉業を成す英雄を踏み超え、人外の領域に足を踏み入れた英雄が成り果てる“武神”(カミゴロシ)、いつか生まれ出ずるであろうソレは自分達を殺すに足るモノであると。


 その確信が正しかったことが証明された時には既に、古代種は僅か四十八人となっていた。


 ――彼らに残された策は唯一つしかなかった




 それから長い時が流れた。

 運命は古代種に味方しなかった。

 大陸には魔物が溢れ、人間型の古代種は片手で数えるほどしかいなくなった。

 竜種のように魔物の類縁に身を窶した者もいた。あるいは、額のサードアイを隠して人の間に溶け込もうとした者もいた。


 そして、ヒトは健在だった。


 起死回生の策は失敗した。同胞の中に裏切り者がいたのだ。

 その為に、滅びる筈だったヒトは生き残り、あまつさえ大陸全土を席巻するようになった。

 生き残りの一人であるアルベドにとって屈辱以外の何物でもなかった。


「――ですが、それももう終わりますわ」


 怨嗟と嫉妬が綯い交ぜになった言葉を吐いてアルベドは恍惚とした表情を浮かべた。

 深い愛情が憎しみに似るように、深い憎しみもまた愛情に似る。

 三千年以上、一途にヒトのことだけを考え続けてきたその心は、既に本人にすら制御の出来ない猛毒の蜜に変わっていた。


 艶やかな笑みを浮かべたままアルベドが軽やかに歩きだす。

 踊るように進む女の足元はいつしか赤茶けた大地から一面に(・ ・ ・)砕けた魔力結晶の敷き詰められた世界に変わっていた。

 それは先の大穴よりもわかりやすく、これ以上ない程に異常だった。

 大地を埋め尽くす程の魔力結晶を得るにはどれ程の魔物を狩ればいいのか。少なくとも千や万では足りないだろう。

 そして、更に驚くべき事に、砕かれた結晶の断面はどれも同じであった。

 つまりは、同じ存在が同じ方法によってそれだけの数の魔物を殺し、その核を砕いたのだ。


 結晶の絨毯を進んだ先には朽ちた神殿があった。

 複数の柱が屹立し、荘厳な雰囲気を醸し出していたのも今は昔、長い時に削られた神殿にかつての面影はない。

 暗黒地帯特有の乾いた風がアルベドの頬を撫でる。


「ああ、ここもこんなに朽ちてしまって……」


 声とともに、失われたものを悼んだのは一瞬、突如としてその身に叩きつけられた殺気に反応して女の体が自動的に戦闘態勢に入る。

 額のサードアイが輝いて“支配”の魔法を発動、同時にドレスの袖から鎖が勢いよく飛び出し、主の周囲を旋回する。


「うふ、貴方の殺気はいつも心地いいわ、“ガイウス”」


 笑みを深くしたアルベドの視線の先、朽ちた神殿の入口には所々が砕けた血染めの鎧を纏った男が佇んでいた。


 端的に言えば、ソレは絶望が肉を纏ったような存在だった。


 返り血に染まった赤黒の短髪に、感情の失せた黒瞳。

 鎧の上からでもわかる程に鍛え抜かれた肉体に、数え切れないほどの傷痕を刻み、それに倍する血を浴びた人型の刃金。


 ガイウスと呼ばれた男は何も言わず、背の柄に手をかけた。

 それだけで空間が歪んだかと錯覚するほどの濃密な殺気があたりに満ちる。


「――ッ!!」


 次の瞬間、男がその場で剣を振り抜く。ほぼ同時に、アルベドは跳躍した。

 横薙ぎに振るわれる一閃は古代種の視覚にも捉えられない神速の域。

 重力を振り切って放たれる斬撃は大気を断ち割り、遥か遠くまで衝撃波を引き連れていく。

 宙を舞うアルベドがつと振り向けば、丁度、結晶絨毯の始点辺りで魔獣級の巨人、ヘカトンケイルが横一線に断ち切られているのがみえた。


 “遠当て”と呼ばれる技法の一種だ。

 モンクの“破拳”と同じく、気を放ち触れずして相手を倒す遠隔攻撃。男はそれを剣で為したのだ。

 しかし、気を斬撃に乗せて放つというのは本来有り得ない技だ。

 攻撃系の気功は武器と併用(・ ・)できない(・ ・ ・ ・)。それは神が定めた絶対の法である筈だ。


「相変わらずの仕事熱心で結構ですが……」


 音を立てず着地するアルベドの背後で巨人の断裂死体が消滅し、砕けた魔力結晶が新たに絨毯の一部となる。

 誰に言われずとも理解させられる。一面に広がる砕けた魔力結晶の絨毯はこの男が為したことなのだと。


「――女の顔くらい見分けなさいな、ガイウス」


 瞬間、低く発した声とともにアルベドがドロリとした粘性の殺気を放つ。

 それを受けて、二撃目を放とうしていたガイウスの手が止まる。

 恐れによって――ではない。

 “武神級”となった男は五感で他者を区別できず、ただ殺気だけが他者を感知する唯一の縁となっているのだ。


「……」


 無言のまま、いつの間にか剣を納めたガイウスが鋭い視線で以て神殿の奥を指し示した。


「ああ、主様が退屈なさっているのですね。まったく“ニグレド”や”ルベド”はどこに行ったのかしら」

「……」

「たまには喋られたらどうですか? 言語機能はまだ残っているのでしょう?」

「……さっさと行け」


 地獄の底から絞り出したような嗄れた声でガイウスは告げる。

 アルベドは愉快そうに笑みを浮かべると、軽やかな足取りで神殿の階段に足をかけた。

 奪うことしか知らない女が絶望以外を忘れた男の横を通り過ぎる。

 互いの視線が交わることはなく、安堵を許さぬ緊迫した空気だけがその場を包む。


 男が切り裂いた大気の断層に濁った風が吹き込む。

 暗黒地帯の空が晴れることはなく、遠くから響く魔物の咆哮だけが辺りに満ちていた。

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