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刃金の翼  作者: 山彦八里
三章:暗雲
81/144

9話:革命鎮圧

 城の地下から地面を貫いた大穴から土煙が立ち昇る。

 同時に、全ての矢を起爆して地下室の天井をぶち抜いたイリスが地上へと帰還した。

 纏う侍女服は矢の刃片で傷だらけだが、その裡にある肉体は賦活能力によって既に修復が完了している。


「痛ゥ……」


 それでも、痛みがないわけではない。

 暗闇と恐怖に削られた体はあえぐように空気を求める。失った血も多い。従者は既に戦える状態にない。


「魔法陣は壊されてしまいましたか。残念ですわ」


 だが、敵は未だに顕在であった。

 土煙を避け、皮肉なほどに優雅に着地した女が手を振ると虚空から妖艶な黒のドレスが現れ、肢体を覆い隠す。

 密閉空間での爆破だ。無傷で済む筈がない。

 現に女の頬には大きな裂傷が走っている。が、それもふわりと手を振れば消える。古代種の生命力を前にしては、イリスの攻撃は決定打に欠けていた。


「さて、クレリア様を回収する前に貴女をいただきましょうか」

(これは死んだかしらね……)


 女が腕を振ると二条の鎖の蛇は地面を這いずり、死を予感するイリスに殺到する。

 それでも従者は残る気力を振り絞って背後へ跳んだ。

 だが、それまでだ。

 音を立てて軌道を変え、宙を追い縋る鎖に抗う術はもうない――イリスには。


 刹那、大気を断ち割る鋭い銀光が鎖を弾き飛ばした。


 次いで、落下するイリスの体が背後から抱きとめられた。


「無事か、イリス?」

「あ……」


 振り向かずともわかる。もう短くない付き合いなのだ。

 落ち着いた低音の声に大樹のような気配と微かな血のにおい。

 イリスは万感の想いを込めてその名を呼んだ。


「カイ……カイ!!」

「遅くなった」


 抱きしめ返した侍の体は微かに汗ばみ、鼓動は常よりも早い。

 伝わる熱から、それが自分を想ってのものだと理解したイリスは何も言えず、男の胸に顔をうずめた。

 それだけで体の奥から尽きた筈の力が湧いてくる。

 魂が燃える。目の前の難敵への恐怖が失せていく。


「この血のにおい、将軍は斬られましたか。残念ですわ」

「――貴様」


 着地したカイはイリスを背に庇って前に出る。

 愉快気に笑みを浮かべた女を前に侍の戦意が炉心の如く熱せられていく。

 仲間を甚振られて怒らぬほどカイの心は枯れてはいない。


「……ふむ、貴方は“不死不知火”の生き残りですか」


 心臓の共鳴を感じたのか、女が目を細め、腕に巻き付いた鎖が不協和音をかき鳴らす。

 その禁術の名を知っているという事実が端的にカイを呪った者の一味であることを証明していた。


「――ッ!!」


 イリスが止める間もなく、カイは即座に間合いを詰めて首元に抜きつけた。

 迅雷の如き踏み込み。しかし、女は笑みを浮かべたまま全身から黒い靄を発する。


 女の姿が霞み、靄に触れた剣線が空を切る。常の侍ならば有り得ないことだ。


「幻惑、精神操作か」

「魔力のない貴方は奪われる側ですわ。全てを捧げなさい」


 女の宣言通り、魔法に対して抵抗力を持たないカイの五感が奪われ、意識が暗黒に落ちていく。

 自分の舌打ちすら既に感じられない。


 だが、それがどうしたというのか。侍は奥歯を噛み締めて遠ざかる意識を縫いとめる。

 覚悟を決める。元より対処のしようがないなら意識を失う前に一太刀で斬り抜けるのみ。

 そうして決意と共に踏み出した暗闇の中で――


「カイ!! 私ごと斬りなさい!!」

「!!」


 なけなしの力を振り絞り、隠蔽(ハイド)をかけて女の背後に回ったイリスが逆手に持ったナイフを突き立てる。

 それ自体は自動的に反応した鎖の蛇に防がれたものの、二重の防御の片方を引きつけた。


「――狂い咲け、“菊一文字則宗”!!」


 届かない筈の仲間の声がその身を駆動させる。

 上下左右も判然としない中、侍は風刃を纏った一刀を横薙ぎに振り抜いた。



 黒い霧が晴れる。

 カラン、と音を立てて断ち切られた鎖の蛇が地に落ちた。

 同時に残る一条の鎖がうねりイリスを弾き飛ばす。


 カイの一撃は鎖を盾にしたことで女とイリスにまでは届かなかった。


「……斬ら、れた? 私の蛇が?」


 だが、鎖の断面を見つめて女は久しい驚きに目を見開く。

 失われた技術で作られた鎖には女の魔力が伝導して最小構成単位の“継ぎ目”を埋めており、物理攻撃によって損傷を受けることはない。

 それは技術等によって覆されることのない絶対の法則である。


 ――唯ひとつの例外を除いて。


 加護や契約ではない(・ ・ ・ ・)

 それらはあくまで生来持つ可能性を拡張するだけ。法則を覆すほどの力はない。

 だが、女は知っている。数百年に一度それは綺羅星の如く現れる。

 悠久の時の中で僅かに数度見えた古代種にはない輝き。

 偶然、あるいは必然により出ずる強者の天敵。

 彼岸の世界に刃を届かせる者。



 英霊の果てる先、武神――またの名を“神殺し”と云う



「……その剣は危険です。いつか貴方様は我が主の障害となりましょう」

「傍迷惑な主従だ」


 女はこの段に至って初めて殺気を発した。粘つくような殺気、ヒトの発するものでは決してない。

 黒い霧の範囲外ギリギリに立つカイもまた静かに構えを深くする。


 斬れる、と思考は判断した。

 負ける、と心眼は予測した。


 片一方となった鎖の守りだけなら機動力で突破できる。

 だが、女の周囲に恒常的に展開しているあの黒い靄が厄介だ。

 五感と意識を奪うそれは魔法への抵抗力のないカイには致命的だ。

 術式の核と効果範囲が離れている魔法は雷切でも崩せない。速度で突破する以外の手が無い。


(意識を喪失する前に斬れるかは五分、か)


 裡に複数の命を貯蔵する(・ ・ ・ ・)古代種は簡単には倒しきれない。

 精霊級の怪物を如何に殺しきるか。対古代種戦闘における最大の難関である。


「貴方がたは群れのご様子。お二人だけということはないでしょう。ならば、時間をかければこちらが不利」

「……」

「しかし、貴方様は、貴方様だけは排除したい。故に、手札を一枚切らせていただきます」


 殺気に彩られた笑みで嘯く女の額に象嵌された蒼の結晶――サードアイが妖しく輝く。


「私は『戦乱の導』に付き従いし一翼、“縛愛の鎖”アルベド・ディミストと申します。貴方様の首を手折り、その血を啜る者です。どうぞお見知りおきを」


 アルベドと名乗った女は一礼と共にその裡から膨大な魔力を解放した。


「――畏れによりて、魂を下す、惑え(ルフト)


 その不吉な魔力のうねりを心眼が捉えた瞬間、カイは本能的に駆け出していた。



「――貴殿らを隷属せし吾が威令を発す“兵たちよ、狂い舞え”」



 声に、一歩、届かなかった。

 その刹那に艶然と微笑むアルベドの術式が完成する。



『――――アアアアアアアッァアアアアッ!!』



 遠くで聞こえる騎士たちの焼けつくような多重の咆哮。

 アルベドの持つ支配の権能の全力発動。

 ロードの“号令”の原型たる古代種の“扇動”の言霊。

 支配下に置いた対象を一種のトランス状態にして限界以上の力を引き出させるおぞましき威令である。


「呪術には及びませんが、死ぬまで狂乱する彼らはこのまま山を下り、城下町を襲います。貴方たちはそれを見過ごせない」

「……」

「英雄は数で殺せ。ヒトの見出した法則ですわ。どうかご堪能くださいまし」

「このッ!!」


 アルベドは優雅に一礼して黒い靄の中に消えていく。

 カイが再度斬りかかり、一矢報いんとイリスは残る力を振り絞り、矢を生成して投擲しようとする。



「――射抜け(ヘーズル)



 刹那、遥か後方で小さな光が瞬いた。


 それは半ば本能による反応だった。

 カイは認識とほぼ同速度で地面に踵を打ちつけて体を反転、真後ろに向けて刀を振り切っていた。

 イリスを庇うように振り抜いた剣線が弾くのは高速で飛来した極大の矢。

 驚きに目を見開く従者の目前で宙に火花が散り、矢の出す音とは思えない轟音が響き、痺れるほどの衝撃が侍の手に返る。


「狙撃!? 私の感知外から!?」

「伏せろ、イリスッ!!」


 直後、叫ぶカイの額三寸に二射目が迫っていた。

 音に比する速度と空恐ろしいほどの正確さで放たれた矢は既に視覚では捉えきれない。


「――ッ!!」


 故に、文字通りの間一髪。

 気合とともに背から振り下ろされた銀剣が一閃。迫る巨矢を叩き落とした。

 衝撃で額に裂傷が走り、反動で手から銀剣が弾け飛ぶ。

 防がれることを想定してか、二射目には二人を射抜くに足る威力が篭っていた。


「…………」


 カイは警戒したまま動かない。否、動けない。

 踏みしめた両足は地面にめり込み、強引に矢を切り払った代償に両腕橈骨にヒビが入っている。

 次に同じ威力で射られたら腕か命を捨てる必要がある。カイは痛みを堪えるように奥歯を噛み締めた。


 だが、三射目は来ない。

 アルベドを逃がす為の時間は稼いだということだろうか。


「……射角からしてあの山の頂上からね」


 伏せたまま千里眼を開いたイリスが彼方に霞む山上を指さす。

 直線距離で一里は優にあるだろう。

 その距離で一射目から正確に此方を狙ってきたのだ。

 射手の筆舌に尽くしがたい壮絶な腕前を感じて、カイは細く息を吐いた。


「次、来ないわね」

「そのようだな。……イリス、この矢を維持できるか?」

「ん? ああ、私のと同じ魔弾なのね」


 イリスに引き摺られるようにして遮蔽物の影に移動したカイは先程叩き落とした巨矢を見せる。

 いやな縁ね、などと呟きつつも、イリスは徐々に魔力に還っていく巨矢に魔力を込めて形状を維持した。


「うん、これで数日はもつわ」

「かたじけない。そちらの負傷は――」


 警戒しつつ、視線を傍らのイリスに向けたカイは微かに眉を顰めた。

 変装用に着ていたイリスの侍女服はあちこち裂けて襤褸になり、その下の肌は傷痕こそないが痛々しいほどに血の気を失っている。


「あ!! ……その、はしたないわね。ごめんなさい」


 慌てて胸元を隠すイリスにカイは無言で己の外套を投げ渡した。


 少女は小さく礼を告げて少々袖の余る外套を羽織る。

 場違いに早まる鼓動は秘かに隠した。


「動けるか?」

「ん、なんとかね。そっちこそ大丈夫? 腕、マトモに動かないでしょ?」

「治せば動く。行くぞ」


 眼下の麓からは既に咆哮と共に金属の激突する音が響いている。

 互いの肩を支えつつ、二人は仲間の元へと急いだ。



 ◇



『――――アアアアアアアッァアアアアッ!!』


 騎士たちが――騎士だった者達が喉を裂かんばかりの咆哮を放つ。

 遠くから響く大気を震わせるその叫びは民兵たちを震え上がらせるには十分すぎる恐怖だった。


 嫌だ、死にたくない、逃げよう、神様――民兵たちが呟く、思いつく限りの死に際の台詞を聞きながら、ルッツは盛大に舌打ちした。

 退き際だった。無論、傭兵団(じぶんたち)の、だ。

 五百人からなる足手纏いを連れては、相手がどれだけ鈍足でも追いつかれるだろう。


(幸い、むこうの馬はさっきの咆哮で頓死してる。オレ達が逃げるだけならいけるか。問題は――)

「ルッツさん」

「うおっ!? ど、どうした、嬢ちゃん?」


 驚きつつも作り笑顔で打算を隠したルッツは声をかけてきたソフィアと目を合わせ、そして、己の不利を悟った。

 少女の仄かに輝く蒼の瞳に虚偽は通じない。

 これ見よがしに溜め息をつく。読心の存在を知らずとも、数多の死線を潜り抜けた傭兵の本能がそれを理解した。


「正直、今すぐ逃げたいんだが……ダメか?」

「はい。もう少しだけお付き合い願います」

「もう少しっていつまでだ?」

「すぐですよ? 今からやって来る騎士の方々を止めるまでです」


 美しい笑みを浮かべて言い切る少女を前に、ルッツは今度こそ頭を抱えた。


「勝機はあるんだろうな、嬢ちゃん?」

「はい。もう着きます」

「……なに?」



「――間に合ったか」



「ぴったりです、兄さん」


 そうして、戦場に不朽銀の鎧を纏ったクルスが降りたった。

 城内にいた騎士の中でただ一人、アルベドの“扇動”を凌いだのだ。

 おそらくは初めの接触の際に下準備がされていたのだろうとクルスは予想した。シオンがいなければ耐えられなかったかもしれない。


「時間がない。将軍は撃破したが、騎士たちは正気を失っている。ここで止めるぞ」

「はい」


 兄の覚悟を察したソフィアがくるりとルッツに向き直る。


「ルッツさん、わたしたちは負けません。勝つからです」


 そう言ってソフィアは微笑んだ。

 気負いのないその表情はこの場が戦場であることを忘れるほどにやわらかなものだ。


「……負けたよ、嬢ちゃん。兄ちゃんよ、ちゃんと追加料金は貰うぜ」

「お手柔らかに頼む」

「ハンッ!! 精々ふっかけてやるよ」


 腹を括ったルッツがクルスを動揺の続く革命軍の前へと引っ張り出す。


 クルスが初めて見た革命軍は戦う前から既に敗北していた。

 辛うじて隊列の体を維持し、食料と共に掻き集めた槍と盾を持つ彼らは、しかし、戦士ではない。

 心が、折れているのだ。


 騎士は不安げな表情で立ち竦む彼らを見回し、その中でひとり精力的に走り回っているセリアンを見つけた。

 民兵たちが逃げずにこの場に留まっているのはそのセリアン――サルガの努力によるものだ。

 実力はあっても外様の傭兵やソフィアには信頼がない。

 鉄火場ではそれまで築いてきた関係が物を言う。


「貴方が革命軍リーダーのサルガか」

「なんだ、お前は?」


 呼びとめられたサルガはクルスを一目見て、微かに目を細めた。

 騎士の纏う真新しい血のにおいを嗅ぎ取ったのだ。


「……そのにおい、お前はカイの主か?」

「仲間だ」


 端的に告げたクルスはそのまま腰を折ってセリアンに一礼した。


「礼を言う、革命軍の頭領よ。貴方のお陰で勝機がある」

「お前は、この状況で勝てるというのか?」

「……」


 クルスはサルガの問いに答える代わりに、大きく息を吸い、



「――“聞け”、革命軍の諸君ッ!!」



 戦場に響き渡るほどの大声をあげた。


 微かに反響が残る中、五百人の視線が一斉にクルスに集中する。

 束ねた視線の圧を肌で感じながら騎士はゆっくりと一歩前に出た。

 チャンスは一度だけ。その一度を騎士は決して無駄にはしない。


「諸君らは何の為に戦いを始めた?」


 問いに答える者はいない。

 この場にいる革命軍にクルスを知る者はいない。

 誰もが訝しげな視線で騎士を見遣る。

 それでいい、と騎士は考える。

 ほんの一瞬だが、彼らの思考は逃げることをやめた。


 その一瞬で十分だった。

 クルスにはまだ声が残っている。


「領主の圧政を糺す為か、自ら権力を握る為か。――違うのだろう!!」


 その声には不思議な暖かさと力強さがあった。

 俯いていた者達が顔をあげる。心のふるえを感じたのだ。


「隣いる者を見ろ。そこに答えがある」


 騎士の言葉に従い、互いに顔を見合わせた兵達は思い出す。

 痩せた頬、汚れた肌、みすぼらしい服。

 だが、そこには彼らの生活が、命があった。


「サルガが立ち上がった時、共に立ったのは何故だ!!」


「……そうだ。そうだったな」


 心の底から声をあげる騎士の背を見てサルガは思い出す。

 自分を助けてくれた気の良い者たちを助けたかった。

 その一心でここまで来たのだ。


「脅威が迫って尚、この場に留まっているのは何故だ!!」


「へえ。やるじゃねえか」


 声を張り上げるクルスの背後でルッツが楽しげに口笛を吹いた。

 ルッツ達がこの二日で革命軍に教えたことは三つだけだ。

 すなわち、「守れ」「叩け」、そして「聞け」だ。

 図らずも、騎士は最適解を選び取った。


「そうだ。オレ達は――」

「――失いたくなかった。違うか!!」


 兵達がハッとした表情を浮かべた。


 失いたくない。そう願ったのは誰だったか。

 兵達は思い出す。

 失いたくなかった。友を、妻を、子供らを。


 彼らはただ、失われる者の為に立ち上がったのだ。


「今逃げれば、犠牲になるのは背後にある町だ」

「い、嫌だ!!」

「そんなのは認められねえ!!」

「ならば立て!! 俺達には力がある!!」


 声と共にクルスが剣を抜く。

 太陽の輝きを反射する鋼色の刀身が眩く輝く。


 彼らの誰もクルスを知らなかった。

 突然やってきた年若い騎士に向ける視線は暖かいものではなかった。


 だが、僅かな間で彼らはクルスを知った。

 敗北が迫り、絶望の中で騎士の姿は一筋の光のように彼らの目には映った。


「ひとりひとりの力は弱くとも、俺達は独りではない!!」


 世に英雄は数多あれど、他者と共に戦える者は多くはいない。

 英雄は強さの為に何かを捨てるからだ。


 だが、騎士は違う。

 騎士は誰かを守る為に在る。その身は常に誰かの盾として在る。

 ひとりではいられないのだ。

 故に――


「――故に、立て!! 守るべき者の為に戦え!!」


 僅かな残響を残し、騎士は一旦口を閉ざした。

 そして、代わりとばかりに


『――オオォォオオオオオオオッ!!』


 五百人からなる鬨の声が上がる。

 天地を震わすその声は、紛うことなき戦士の声だった。


「どんな時でも喪われていい命などない。違うか、革命軍よ!!」

「そうだ」

「おれ達は……」

「聞こえんぞ、革命軍!! 声をあげろ!!」



「おれ達は――――戦える!!」



 戦う。守る。失わせない。

 恐怖を振り捨て、今や一団となって声をあげる革命軍をその背に負ってクルスが振り向く。


「ルッツ、最初のひと当てだけでいい。何としても止めるぞ」

「おいおい。それが一番きついんだぜ」

「頼む。それが勝利条件だ」

「アンタのかい?」

「皆のだ」


 茶化すように告げる傭兵の問いに騎士はかぶりを振って端的に応えた。

 雲間を抜けた太陽が輝く。

 その輝きで瞬く間に兵達の心を掴んだ声が長く戦場にいた傭兵の心にも届いた。


「了解だ、“大将”。傭兵の戦いをご覧あれってな!!」



 ◇



 アウディチ家の騎士達が茫漠とした表情のまま進撃する。

 各々の顔には振り切れた狂気を張り付け、ひたすらに街道を突き進む。

 その歩みは決して速くないが、止まることを知らない死者の行軍のようだ。


 暫しの死者行軍の後、彼らは道の先に獲物を見つけた。

 まともな装備のない農民崩れ。

 戦うことしか考えられなくなった彼らの目にはそう映った。


 彼らの前には無数の馬防柵が立っている。

 僅かでも勝機をあげる為に足りない時間をやりくりしてルッツ達が立てさせたものだ。


 子供だましだと、胡乱な思考が結論する。

 神の加護を受けた自分達はその程度で倒れるほど柔ではないと。

 騎士たちは一斉に駆け出した。女神の敵を斬る。ただそれだけの為に。


 まず突撃槍を構えた騎士たちが鎧を鳴らして走りだす。

 邪魔だとばかりに勢いと振り切れた豪力に任せて馬防柵を打ち砕いて進む。

 破片が目や肌に刺さるが構わない。

 前列の速度が鈍れば、後列が前列を踏み潰すようにして更に進撃する。

 馬防柵が二段、三段と続いても彼らは止まらない。止まれない。

 ただただ、ひたすらに進み続ける。


 そうして、無数の柵を越えた先で、騎士たちは地面の感触が変わったことに気付いた。

 泥濘(ぬかるみ)だ。街道沿いの地面をソフィアが芯から凍らせ、然る後に溶かしたのだ。

 鎧と武器を装備した騎士の体重を泥濘は支えきれない。

 彼らの足首が粘質な音を立てて沈み込んでいく。


 もしも、騎士たちに正常な思考があれば別の道があっただろう。

 しかし、今の彼らは扇動に狂った暴徒である。ひたすらに進む以外の道を忘れていた。


 膝まで泥濘に沈んだ騎士たちの目前には木製の大盾を構えた農民たちが二重の横列のままにじり寄る。

 咆哮をあげ、泥を掻き分けるようにした騎士たちは進み、農民崩れなどひと当てで崩さんと木盾の前に殺到する。


「今だ――みんな“守れ”!!」


 最前列で共に盾を構えるクルスの声が強く響く。

 皆が底力を振り絞り、足を踏ん張り、盾を突き出す。


 そうして、両者は激突した。

 互いの咆哮がぶつかり、いくつもの木盾が割れ、民兵が吹き飛ばされる。

 しかし、驚くべき事に、騎士たちの突進はここに押し留められた。


 本来、木の盾など彼らにとっては物の数ではない。

 だが、数度の柵越えと泥濘によって速度の鈍った彼らは、勢いよくぶつかってきた民兵に僅かに押し返された。


 勇将の元に弱卒なし。クルスの統率する民兵たちは束の間、限界を超えた。


「ウオオオオオオッ!!」


 そして、足の止まった騎士たちに対し、盾の前に躍り出たサルガと傭兵達が気炎をあげて襲いかかる。

 サルガの手斧が騎士を鎧の上から弾き飛ばし、傭兵達は数人で騎士ひとりを相手取り、無力化していく。

 だが、サルガと三十人の傭兵達では地形の有利があっても人数と実力で勝る騎士たちを抑えきれない。

 故に、全隊を指揮するルッツはここ一番の大声をあげた。


「槍持ち、前へ!! 気張れッ、野郎共!!」


 応じて、盾持ちの前列の隙間から長槍を持った民兵たちが前に出る。

 騎士たちの足が止まったのは数秒に満たない。

 防御力などないに等しい民兵が一方的に攻撃を加えられるのはその間だけだ。


「トドメに固執するな。頭しばいてやるだけでいい。ゾンビもどきに付き合う必要はねえ!!」

「応ッ!!」

「いい返事だ!! 全隊、叩きつけろ(・ ・ ・ ・ ・)!!」


 ルッツの指揮に従い、民兵達が振り上げた長槍を騎士たちの頭上に向けて振り下ろす。

 木柄のしなりで加速する穂先が騎士の兜に激突し、火花をあげる。


 無論、民兵の膂力では騎士の防御力を突破できない。

 しかし、人間である以上、構造上うけるダメージを完全になくすことはできない。脳を揺らせば――常人よりも遥かに頑丈で、回復も早いが――僅かだが、その動きは鈍る。

 そこに、弱者が強者に噛みつける隙が出来る。


 それは自らに倍する能力を持つ英雄級とも戦ってきた傭兵達の経験が導き出した戦術であった。


「ッ!?」


 ダメージを感じない筈の騎士たちの動きが止まる。

 兜内に響く残響が耳の奥を揺らし、数瞬、地面を踏みしめる感覚が無くなる。

 その隙に、再度振り上げた長槍の叩きつけが彼らを襲う。

 重なる乱打によって、遂に最前列の騎士たちは転倒し、泥の中に沈んだ。


「敵さんはそこらに転がしとけ。丁度いい障害物だ。――よし、大将!!」

「承知した」


 そのまま三度攻撃を命じ、敵陣を縫い止めたルッツが合図に送る。

 二度はできない。持てる全てを振り絞った一瞬の奇跡だ。


 頷きを返し、クルスは全魔力を解放する。

 目前には倒れかけながら尚も剣を振りかぶる敵。

 背後には守るべき者たち。

 ここに、クルスの心技の条件は全て揃った。


「――我が誓いは朽ち果てず」


 民兵たちは奮闘した。傷つきながらも十分に敵を引きつけた。

 前線の足を止められた騎士たちはそのまま玉突きのように押し合いになり、ほぼ全員が横に並ぶ単横陣崩れになっている。

 相手の攻撃は激しく、此方の防御面積は広くなる。


「――この身、この盾、この一心こそ誓いの証」


 だが、“射程内”に全員を捉えた。

 それこそがクルスの狙いであり、革命軍の唯一の勝機。


「――来たれ、欠けること無き絶対不落」


 ただ一人で五百人を守る。

 如何な相手を前にしても揺らぐことのないその誇りがここに顕現する。



「――展開せよ、“エンブレム・オブ・トリニティ”!!」



 そうして、クルスの心技が完成する。

 宙に展開するは、巨大な三重の大障壁。

 全魔力を賭して形成された一切の飾りのない無骨な盾。

 魔物の大群すらも押し留める広域防御系心技。


 だが、今回は僅かに形状が違う。

 守られる革命軍からは全体像が見えないが、上空から見れば一目瞭然だっただろう。

 クルスの三重盾は対峙する相手を包み込むような半円状の形状に展開している。


 全ては唯、敵を一ヶ所に集める為に。


「弾けろ!!」


 物理、魔法の盾が相手の攻撃を防ぎ、最後の一枚、反射の権能を持つ盾がクルスの咆哮と共に騎士たちを弾き返す。

 己の攻撃を返された騎士たちは吹き飛ばされ、折り重なるように一ヶ所に集められた。

 狂奔する彼らは盤面が詰んだことに気付かない。


「――大気に溢れる無尽の凍気よ」


 扇動の言霊は死なないと解けない。ある種の呪いに等しい。

 陣央で詠唱するソフィアはその蒼い瞳でそれを読み切っていた。


 故に、殺す。

 この場で唯一、ソフィアにはそれができる。


「――雪風に舞う精霊の許しを得て、我が前に力を示せ」


 百人を射程に捉えた少女の詠唱が朗々と戦場に響き渡る。

 合わせて、少女の感応力を受けて現界した魔力が肌を切るような冷気を発する。


「――氷結せよ、“拡散制御”、ダイアモンドダスト・グレイシャル」


 そうして生まれるは極北の吹雪。

 無数の氷結晶が結びつき、小さな蝶を象って舞い踊り、触れた騎士たちに凍結の波動を与えていく。


 それは触れる者全てを凍らせる、冷たくも優しい慈愛の北風だった。


「……あ、ああ」


 騎士たちが狂乱の中、どこか安堵したような声をあげる。

 少女の放った極大の冷気は一ヶ所に集められた彼らをひとり残さず凍てつかせた。


 死なないと解けないのなら一度、心臓を止めて仮死状態にする。

 力技に等しいその手法を少女の膨大な魔力と人外じみた感応力が奇跡として現実に変える。


 そうして、遂に、全身を氷に包まれた騎士たちの動きが止まった。


「カイの呪いを解くことはできませんでしたが、成功してよかったです」


 緑杖を下ろしたソフィアがほっと安堵の息を吐く。

 確殺せず、仮死状態に留める繊細な出力はソフィアをして日に一度しか不可能。

 それゆえの決死の防衛戦だった。



「……勝った? おれ達は勝ったのか?」


 冷気の余波を浴びて震えながら、民兵たちはぽつりと声を漏らした。

 最前線にいたサルガが振り向き、片頬に笑みを浮かべたルッツがクルスの肩を叩く。

 心技を発動した虚脱感を感じながらも、クルスは最後の声を発した――勝利を告げる、その声を。


「俺達の勝ちだ。鬨の声をあげろ!!」

「おおおおおおおおおおッ!!」


 そうして、長く響く歓声はひとつの戦場の終わりを告げていた。

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