5話:革命軍
明朝、朝靄のかかる街の入り口でカイとソフィアは赤剣傭兵団の面々と対面していた。
太陽が山々の稜線から顔を出したばかり。辺りはまだ薄暗く、門番を除けば他に人はいない。
「まさか、本当に依頼されるとはな、おっかない方の兄ちゃんよ」
武装した三十名近い配下を従えた団長のルッツは顔の傷を掻きながらどこか呆れたように告げる。
齢四十になるルッツは若い頃から傭兵一本で生きてきたが、ギルド連盟の正式な依頼に付き合わされたのは初めての経験だ。
「型通りの依頼だ。それから兄はやめろ。カイでいい」
「へいへい。――じゃなくて、アンタはギルド連盟所属なのに傭兵使っていいのかって話だよ。どう繕ってもオレらははぐれ者の集まりだ」
「冒険者よりも対人経験の豊富な傭兵が最適だと判断した。それだけだ」
どこか警戒したようなルッツの様子にもカイは頓着しない。
睨みつけてもいつまでも様子の変わらないカイとその斜め後ろで微笑んでいるソフィアを見て、ようやくルッツも観念した。
実の所、イズルハの姓はルッツも聞き覚えがあった。
十年以上前、ルッツがまだ若造であった頃、戦場で聞いた“必勝”の噂。
依頼を受けた理由のひとつにそれがあることは否定できない。
「――で、暴発寸前の革命軍にオレらを引きいれてどうする気なんだい?」
「……」
総じて傭兵の耳は早い。
ギルド連盟のように諜報と戦闘を完全に分断しておらず、個々の団それぞれが自己の生存の為にあらゆる手を打つ。
それが傭兵の流儀であるからだ。
「ひとまずは民兵五百人の隊分け、訓練だ。方法は任せる」
「おいおい、そんな暢気でいいのかよ。開戦間近なんじゃないのかよ?」
「問題ない。実際に戦闘になれば一瞬で結果が出る」
「ほう。その心は?」
探るようなルッツの目をじろりと見返し、侍は腰に差したガーベラの柄を軽く叩いて告げた。
「俺が双方の大将の首を刎ねる」
「…………マジでやる気か?」
「領主は即位してまだ半年。挿げ替えもきく。革命軍も同じだ」
カイの剣に区別はない。触れた者は貴族であろうと斬り捨てる。
前にルッツも配下の腕を数本斬られている。
処置が適切であった為に脱落者こそ出なかったが、目の前の侍が必要ならばやることは身を以て体験している。
故に、口から漏れるのは乾いた笑いだけだった。
「はは、アンタみたいなのが出張るとオレらの仕事がなくなっちまうぜ」
「そうはなるまい。絶対的に紛争の方が多い」
「いやまあ、そうだわな」
暫くして、門番を叩き起こして開門許可を得てきた配下が戻って来た。
これで晴れて赤剣傭兵団は革命軍の一部となる。
その様子を眺めながらカイは懐から銀貨の詰まった袋を取り出した。
「問題ないようだな。では、契約通り、前金として銀貨百枚、成果に関わらず報酬としてさらに百枚を渡す。依頼の性質上、革命軍から成功報酬は貰えんだろう」
「ま、そいつはしょうがねえな」
ルッツは中身を確認して会計係に銀貨の袋を投げ渡した。
合計で銀貨二百枚、一般家庭の年収に匹敵する額は傭兵団ひとつを数日雇うにしても些か多い位だろう。
「成功報酬は金貨での受け渡しの方がいいか?」
「両替が面倒だ。銀貨でいい。あと、連盟から貰った活動費、こっちに預ける気はないか? ツテを頼って食料の買いつけくらいはできる」
「では、金貨三枚を預ける。革命軍の一週間分の食料と酒を買い入れてくれ。余った金は其方の物だ」
抜け目のないルッツに口の端を歪めつつカイは更に金貨を渡した。
交渉もなく提案が通ったことにルッツは訝しむも、金貨は迷わず受け取った。
「中々傭兵の使い方をわかっているな。けど、もう少し人を疑ってかかった方がいいんじゃないのか?」
「備えはしている」
表情を変えず嘯くカイの背後でソフィアが蒼い目を瞬かせる。
ソフィアの読心がある以上、嘘は通じない。裏切ろうと決意した瞬間に首が飛ぶ。
活性化した少女の魔力を受けて周囲の温度が僅かに下がる。
直感的に死の匂いを感じたルッツはしかし、威勢のいい笑みを浮かべた。
戦いを生業とする者特有の肉食獣のような笑みだ。
「それこそ問題ねえよ。貰った金の分はちゃんと働くさ」
「みんな援軍が来たぞ!!」
「はいはい。戦争の犬が来ましたよっと」
一晩をおいて革命軍が拠点にしている酒場にルッツを伴ったカイ達が戻ると、其処此処で管を巻いていた男達が俄かに活気づいた。
概ね好意的に受け入れられているのを見てルッツがこれみよがしに苦笑する。
傭兵が反乱に加わる場合は二通りしかない。
すなわち、勝つ側であるとみた時か、沈みかけの船から一切合財を奪う時のどちらかだ。
傭兵たちの長は革命軍に現実が見えているのか少々不安になった。
「あ、あんた達は本当に俺達の味方をしてくれるんだな?」
ふと、無邪気に喜ぶ革命軍の面々を眺めていたルッツの元に一人の男が近寄って来た。
痩せこけた体に、縋るような目。戦場で幾度となくみた“持たざる者”の姿だ。
「おうよ。オメエ等がクソだろうと負け犬だろうと貰った金額分は味方だ。縁が切れんよう気を付けてくれよ」
「いや、それでもいいんだ」
茶化すようなルッツの物言いにも痩せた男の様子は変わらず、拝むようにルッツの手を取った。
長らく農業に従事した男の手は体以上にボロボロに見える。
握った感触は剣を振り続けて固くなった傭兵の手とは違う、骨それ自体のようなゴツゴツした固さの手だった。
「新しい領主に期待した俺達が馬鹿だったんだ。徴税官に税が重くて食べていけないって言ったら、女の面倒はこちらでみてやるって……」
「そうかい。それで、アンタは領主軍の戦力がどのくらいか知ってるか?」
「え、いや、えっと……」
「武器の訓練は? 長槍くらいは使えるだろう?」
「その……武器はあまり……」
どもる男の手を離し、ルッツがカイに向き直って肩を竦めた。
「こいつら戦いに向いてないぞ。鍬でも持ってる方が似合ってるぜ」
「そうするのが俺達の仕事だ」
「――おい」
その時、それまで黙っていたサルガが酒場を大股で横断し、カイとルッツの前に立った。
並んで見るとサルガは大きい。背も高く、肩幅も広い。
なにより、それを支える分厚い筋肉の鎧がそこらの農民あがりとは異なる種類の存在であることを誇示している。
獣人の中でも生まれついての戦士なのだろう。
爪か牙か。その時が来れば、首を取る代わりにどちらかは受けるかもしれないと、カイは素知らぬ顔で判じた。
「契約に従い、赤剣傭兵団を連れてきた」
「団長のルッツだ。アンタがここの頭のサルガでいいな?」
ルッツの出した手をサルガは痺れるのではないかというほど強く握り返す。
二人の顔に笑みはない。
戦場で戦士に出会って喜べるほど両者の人生は甘いものではなかったのだ。
「まずは今後のことだが――」
「なんにしろ、まずはこいつらを戦えるようにせんといけんだろう。違うか?」
「……そうだな」
先手を取って告げたルッツの言葉にサルガは苦虫を噛み潰したような顔で頷いた。
よしきた、と手を叩くルッツがカイの方を見てにんまりと笑う。
「なら、まずはコイツ等に現実って奴を教えてやろうか」
数分後、街の大通りに気を失った民兵がずらりと並べられた。
その数は既に五十人を数えており、ソフィアや手すきの者が忙しなく介抱に回っている。
「どうした!! 領主に喧嘩売ったオマエ等の根性ってのはそんなもんか!!」
ルッツの激が飛ぶ先には長槍を持った民兵十人が隊列を組んで立っている。
そして、彼らが穂先を向ける先ではカイがひとり、木剣をゆらゆらと構えている。
一対十、理論上は一般人と冒険者の間に戦力差はない。しかし、それは十人全員が有効に機能した場合の話である。
どれだけ数を揃えようとも、経験の差は如何ともしがたい。カイに殺気混じりに睨まれただけで腰を抜かす者もいる程だ。
「そこ、柄はしっかり握れ!! 腕だけで振るな、全身を使え!!」
「う、うああああああ!!」
対峙するカイの威圧に負けた民兵のひとりが隊列を抜けて突っ込んだ。
槍の長さは二メートル強。柄の半ばを握っても木剣よりも間合いは広い。
故に、槍が届くことはあっても逆に木剣が届くことはない、本来ならば。
「――――」
だが、民兵が走った勢いのままに槍を振り下ろした瞬間、カイは横に半歩ずれて穂先を避けた。
槍が地面を叩くと同時、侍の足裏が柄を踏みつけて固定。そのまま柄の上を歩くように三歩前進し、限界まで加減して振るった木剣が民兵の意識を刈り取った。
「隊列を乱すんじゃねえ!! 常に四人以上でかかれ!! 相手を同じ人間だと思うな、魔物と思え!!」
「おおおおおおおッ!!」
「……随分な言われようだ」
無数の穂先を避け、あるいは受け流し、返す刀で四人の意識を刈り取ったカイがぼそりと呟いた。
尤も、カイは彼らの知る魔物とは比較にならないほど厄介であろう。
殊、対人戦闘においては、生まれは同じ人間でも、二十年近く剣を振り続け、戦い続けたカイと民兵たちとでは何もかもが違うのだ。
「方法は任せるって言ったのはアンタだぜ?」
「お前の配下は?」
「隊分けした奴らの指導で忙しいんだ。それともアンタがやってくれるのかい? あんま向いてないように見えるが?」
「……」
ルッツの軽口にカイは溜息を吐きつつ、残りの民兵を打ち倒した。
これで六隊目。人数にして六十人が撃破されたことになる。
「そろそろ介抱の手が追いつかねえな。一旦止めるぜ」
「……お前達は一体何がしたいんだ!?」
休憩に入ると同時に状況についていけず呆然としていたサルガが再起動して噛みついた。
青年からしてみれば、理由もわからず共に戦ってきた同志が軒並み打ち倒されているのだ。
むしろ、今までよく我慢できたというべきだろう。
「お前がアイツ等を甘やかしていたからだろうが」
「ッ!!」
「兵士も肉体と同じだ。鍛えておかんと有事に動かん。無駄死にするだけだ。わかるか? アイツ等はお前の怠惰のツケを払ってるんだよ」
「う、ぐ……」
「ハン、理解はできるが納得いかんってツラだな。だったら、どうするんだ、ええ?」
ルッツのこれみよがしな挑発にサルガは乗った。無言で腰裏から得物を抜きだす。
日の光を浴びるのは無骨な刃を具えた手斧。刃は研がれ、すり減った柄が青年の半生を物語っている。刃の形状からして投擲も可能だろう。
獣人の中でも獣の形質が強く発現したサルガには発達した爪と牙がある。極論、武器がなくともその五体だけで戦えるのだ。
「……ルッツ」
「いや、ここはオレが出るぜ、カイ。ちとアンタはやりすぎるケがある」
「……」
「盛り上げるのも大事だが、肝心の神輿は崩しちゃいけねえんだよ。特にこういう集団ではな」
嘯くルッツは慣れた手つきで小手を締め直し、腰から剣を引き抜いた。
露わになったのは赤胴色の長剣。
弓も槍も使えるルッツが、しかし、ここぞという時に頼りにするのはこの一振りだ。
向かい合う二人の間合いは五メートル。数歩で致死圏内に入る距離だ。
「いくぞ――“豪力”」
「フン――“強靭”」
サルガは筋力を強化し、ルッツは肉体強度を強化する。
俄かに戦意を発する二人の周りから民兵たちが慌てて退避する。
「来いよ、若造」
「――ガアアアアッ!!」
瞬間、咆哮をひとつ残し、サルガは猛然と突進した。
強靭な後ろ肢が地面を踏み抜く勢いで全身を前方に射出する。
やや遅れて、十分に引きつけたルッツも剣を刺突に構えて一気に前に出た。
狙いは明白。後の先を取った上で、相手の勢いを利用したカウンター。
「――ッ!!」
互いが間合いに入ると同時、サルガはブーツを突き破った爪で地面を噛み、疾走の勢いを腰の回転に変換、勢いを肩の先に伝導し、全身の膂力に遠心力を加えた手斧を横薙ぎに振るう。
合わせて、ルッツもサルガの喉めがけて上り調子の片手突きを放つ。
距離は至近、大気を割って走る互いの得物が外れる余地はない。
直後、ギンと鈍い金属音が連続して響いた。
「ッ!?」
「ふん、こいつは中々のもんだな」
動きを止めた二人の周囲をどよめく民兵が取り囲む。
サルガの振るった手斧は首の間際でルッツの掲げた小手に柄を取られて押し留められていた。
同様に、ルッツの剣も切っ先が顎下に触れるか否かという所でサルガの逆の手の爪に阻まれていた。
突進の勢いをぶつけあい。互いの両腕を封じた状態。
傍から見ればこの光景は引き分けであろう。
「――お、おおおおお!!」
「さすがサルガだ。俺達も負けてねえぜ!!」
状況を理解した民兵たちが歓声を上げた。
自分達のリーダーが傭兵団長と引き分けたのだ。
先程までカイにいいように打ちのめされていた反動が彼らの士気を否が応にも上げていく。
(クソ、引き分けな筈があるものか!!)
しかし、得物を納めたサルガの心中は複雑だ。
先程の一戦、サルガは手斧を見せ札に爪と牙による連撃を企図していた。
無論、読まれる可能性は考慮し、手斧もきっちりと急所を狙った。青年の必勝の型だ。防がれてもセリアンの膂力で押しきる自信があった。
だが、実際には手斧は力が乗り切る前に抑えられ、正確に顎下を狙った相手の刺突に爪と牙は出鼻をくじかれた。
こちらは三手を弄し、相手はそれを一手で止めたのだ。
どちらの方が余力が残っているかは明らかだ。
「やるじゃねえか、サルガ」
「馬鹿を言うな。貴様、手を抜いたな?」
「んな訳ねえだろ。きっちり全力だ。見ろよ、柄取ったのに小手が凹んでるぜ」
「……」
ひらひらと手を振るルッツをサルガは親の仇のように睨みつける。納得がいかないとその総身で語っている。
闘争心の高さは獣人によく見られる傾向だ、それが彼らの長所であり、短所でもある。
ルッツは頭を掻きながら大げさに溜息を吐いた。
「実際のとこ、素の実力はアンタの方が上だ。オレ達みたいな傭兵は対人戦が主だ。逆に冒険者のアンタは魔物との戦いが多い。その経験の差が出ただけだよ」
「……対人戦の経験、か。オレも自負はあったが、本業には敵わんか」
心なしか肩を落としたサルガは、しかし、表情を引き締めると真っ直ぐにルッツを見据えた。
「オレの仲間達が戦場に出るまで何日かかる?」
「三日だ。三日でこの有象無象を兵士にしてやる。それまでは何としても暴発を抑えろ」
「わかった。それはオレの仕事だ」
サルガは踵を返し、毅然として去って行った。
宣言通り、訓練に参加していない者達を抑えるつもりだろう。
「これでいいか、雇い主さんよ?」
「……ああ。上々だ」
二人のやり取りを黙って見ていたカイは小さく頷いた。
大部分は訓練で疲弊し、あぶれた者もサルガが抑える。
あとは食料さえ足りていれば、少なくとも一週間は保つだろう。
「で、こっちはいいとして領主側は大丈夫かい? さすがに足手纏い連れて撤退戦なんて勘弁だぜ」
「問題ない。向こうにはクルスも――イリスもいる」
「へー。……ん? オレの部下が運んだのは男一人だった筈だぜ? もう一人はどこだよ?」
「無論、城にいる」
二人の視線が自然、遠く霞む山上の巨城へと向く。
不気味な沈黙を保つ城はその背に暗雲を背負っている。
その様はまるでこれから起こる不吉な未来を暗示しているかのようだった。




