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刃金の翼  作者: 山彦八里
三章:暗雲
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3話:銀の剣

 赤国帝都の閑静な住宅街にある小さな酒場、ビフレスト。

 寡黙なマスターと奏者のいないピアノが印象的な店は早朝から店を開けていた。活動時間の不定期な冒険者たちの為だ。

 他にも酒を飲めない客の為に紅茶を常備するようにしていたりと、マスターの淡白な態度とは裏腹な面倒見の良さから最近は常連も増えてきている。

 そんな照明が抑えられ、ワイン樽のような落ち着いた色合いをした店内にカイ達はいた。

 中々帰ってこないクルスを迎えに帝都までやって来たのだ。


「でも、まさか支部長会議に出席してるとはねー」


 奥まった場所のテーブルを三人で陣取る中、イリスはマスターに預けられていた手紙を指先で遊ばせる。

 中身はクルスの筆跡で、簡潔に己の状況を伝えていた。


「連盟本部にも問い合わせましたが、会議中は人の出入りが制限されているようですね」

「情報流出を抑える為なんだろうけど、あと四日は拘束されるだろうって……はあ」


 溜息と共にあめ色のテーブルにぺたりと伏せる従者をソフィアは苦笑と共に見つめる。その隣で紅茶を啜っているカイも、これからのことを決めかねているのか何も言わない。


 ギルド『アルカンシェル』はクルスをリーダー、カイをサブリーダーとしているが、ギルドの方針の決定権が誰にあるかと言われると明言しにくい。

 というより、依頼を受けてそれを解決するという手順を辿る以上、ギルドの在り方はどうしても受動的になる。

 その上、カイ達には確たる方針がない。半ば強引に二級ギルドにされた辺りから連盟から名指しで依頼が回されるようになり、それをこなすだけで精一杯の状況だ。


 これが他の二級ギルドなら事情は少々異なる。

 たとえば、アンジール率いるアイゼンブルートならば積極的に国軍と関係を繋ぎ、護衛などの集団戦闘を主とする依頼を優先して受ける。長期的な依頼も隊分けした人員を入れ替えることで対応している。そうして、ギルドのすべてが各国国軍に入るという目的に繋がっているのだ。

 「ほんとに偶にしか休日がない」とメリルがぼやいていたのをソフィアとイリスは聞いたことがある。

 それは、逆に言えば、将来を見据えてそれだけ真摯に取り組んでいるということでもある。


(まあ、それをウチに求めるのは無理かなー)


 口には出さず、イリスは心中で呟いた。

 依頼は遂行するもの、民草は救うものと規定するクルスと、命じられた通りに相手を斬ることを本質とするカイが頭にいる以上、今の状態がアルカンシェルの正しい状態だといえる。

 ともあれ、“何もしない”というのは精神によくない。

 未来につながる何かを開拓するべきかと従者は思考する。


「あー、考えてみたら私達って趣味とかないわよね」

「そうでしょうか?」


 小首を傾げるソフィアにイリスは微かに苦笑した。

 かつて、目の前の少女は趣味どころか自分さえなかったのだ。

 過去と今の違いは白紙のキャンバスと色付けした絵画の如く顕著で、先日の会食の折、滅多なことでは表情の動かない彼らの父親がこれ以上なく驚いたほどだ。

 きっと、その変化は好ましいものなのだろう。


「ソフィアは依頼も講義もない時って何してるか覚えてる?」

「えっと、術式の構成を見直したり、料理の練習したりしていますね」

「……セーフかなあ」

「イリスはどうですか?」

「掃除とか、洗濯とか、あとは溜まった雑事を片付けたりかな。……あ、買い物が趣味よ、趣味」


 その買ってくる物の多くがソフィアの服や装飾品であることは忘却しつつ、イリスは自分を無理やり納得させた。


「問題はクルスよね。暇を見つけたら嬉々として書類仕事に励んでるもの。何か趣味の一つでも押しつけた方がいいんじゃないかしら」

「そうですね。何か考えておきましょう。それで――」


 二人の視線がいつの間にか紅茶を飲み干していたカイに向く。


「カイはお休みの日は何をしているんですか?」

「……依頼を見繕ってくる」

「こら。苦手な話題だからって逃げちゃ駄目よ」


 席を立とうとしたカイは左右から両腕を掴まれ、渋々椅子に座りなおした。


「いい機会ですし、カイも何か趣味を持ちませんか?」

「クルスと同じでいい」

「……カイ」


 速攻で話を切ったカイに対し、ソフィアは寂しげな瞳で見上げる。

 今は何の魔力もこもっていない筈の蒼い瞳に何故か引きつけられる。

 堪らず、男は黙して続きを待つ蒼い瞳から顔を背けた。


「じー」


 逃げた先で、これ見よがしにジト目を向けるイリスと目があった。

 仕方なく今度は上を向いて天井の染みを数えるが、視線が圧力となって肌を刺すのに耐えきれず、わずか数秒で観念した。


「…………釣りはどうだ?」

「釣り、ですか」

「あら、カイにしてはいい案じゃない。学園にも湖はあるし、今度みんなで行きましょう」


 ようやく視線の圧力から解放されたカイは小さくため息を吐いた。

 男のそんな様子を余所に、ソフィアとイリスは俄然やる気になっていた。


「道具はたしか商業区に一式売ってたわね。餌はどうしようかな」

「わたし、お昼ごはん作ります」

「頑張りなさい。今度は爆発させちゃ駄目よ」

「しません!!」

「……」


 カイとしても、ソフィア達が楽しそうにしているのに水を差す気にはなれない。

 それに、クルスに何か息抜きが必要と言うのもわからない理屈ではない。

 自分のことは棚に上げてそう結論付けて、再びカップを傾ける。


「おい、お前達に客だぞ」


 その時、黙々とグラスを磨いていたマスターがカイ達に声をかけた。

 振り向けば、カウンターの前に一人の侍女が立っていた。

 きちんとした服装と静かな佇まいは貴族か、それに類する者に仕えていることを感じさせる。


 つまりは、厄介事の予感だった。



 ◇



 三人が連れて来られたのは帝都の貴族街にある豪勢な屋敷だった。


「間もなく当主が参りますので、しばしお待ちください」


 カイ達を応接室に案内した侍女は丁寧に一礼してその場を辞した。

 要件をまともに伝えられずにここまで来た三人は、困惑しつつもひとまずは会ってみることにしたのだ。


「……カイはアウディチ家って知ってる?」

「いや、知らん。白国の貴族か?」

「そうそう。門のとこに紋章が刻んであったわ。ここはDの四等家、アウディチ家の別宅よ」


 明らかな警戒の色を滲ませるイリスにカイとソフィアは首を傾げた。

 帝都に別宅を持っている白国の貴族は少なくない。何かあった際に逃げ込むには同じ白国よりも人の出入りの激しい赤国か、船舶という移動手段のある青国が都合いいのだ。


「イリスはアウディチ家を知っているのですか?」

「当主が変わったばかりで領地が荒れてるって話を少し。でも、問題はそこじゃないわ」

「……ああ、そうでしたね」


 イリスの思考を読んだソフィアが憂鬱そうに頷いた。


「何が問題だ?」

「ギルドへの依頼ならいいけど、“ヴェルジオン家”に話をしに来たなら別ってこと」

「ヴェルジオン家に? ……等級か」


 そこまで説明されてカイもようやく得心がいった。


 ヴェルジオン家はFの六等家、家格でみればアウディチ家よりもふたつほど低い。

 等級は白国の貴族にとって絶対のものだ。

 特に五等級以内は教皇家との血縁関係が強く、六等以下の家は基本的には上位者に服従しなければならない。

 無論、それぞれが領地を経営している以上、口を出せる部分は限定される。

 しかし、例えば縁談などについては上位の意向がかなり関係してくる。

 等級が絶対である以上、それを覆されることは支配者層にとって看過出来ることではないからだ。


「今回の場合だと、ソフィアを嫁にくれ、とか言われたら断りにくいわ。クルスもイオシフ様もいないから突っぱねられるとは思うけど……その、既成事実とか作られるときついわ」

「随分と理不尽だな」

「こればっかりは――」


 言葉を交わす二人は秘かに視線をソフィアに向けて思わずぎょっとした。

 周囲の空気ごと表情を凍りつかせた少女からは抑えきれない魔力が沸々と漏れ出していた。

 イリスは慰めようとして、しかし、かぶりを振って表情を引き締めた。

 甘やかすのは彼女の仕事ではないのだ。


「でもね、ソフィア。アンタだっていつかは嫁に行くのよ」

「カイ、婚約しましょう、今すぐに」

「そういう問題じゃないでしょう」


 仮に、四等家が本気ならば平民との婚姻などいくらでも握り潰せる。

 無論、ソフィアをどこかへ連れ出すか、あるいは武力を以てアウディチ家を脅し上げることもカイ達の実力からして可能であろう。

 それをして窮地に立たされるのはヴェルジオン家であるが。


「まあ、まずは相手の話を聞く所からね。先に言っておくけど、相手の態度によってはソフィア、貴女が交渉しないといけないわよ」

「わかりました」

「限界だと思ったら言え。口封じは得意だ」

「……がんばります」


 そうして、ソフィアが覚悟を決めるのとほぼ同時、奥の扉から先程の侍女を伴ってひとりの青年が入室してきた。

 年は二十歳程度か。整った顔立ちに映える灰色の髪は教皇家の近親の証だ。


「君がソフィア・F・ヴェルジオンで違いないか?」

「はい、閣下」


 どこか急くような青年の物言いに対し、立ち上がったソフィアはローブの端を摘んで丁寧に一礼した。

 青年は少女の全身を上から下まで睥睨すると満足そうにひとつ頷いた。


「顔を上げろ。僕がアウディチ家当主、ダリオ・D・アウディチだ」

「お目にかかれて光栄に存じます、ダリオ様」


 ソフィアの社交辞令と作り笑顔もダリオにはそれなりに効果があったのだろう。

 席を勧める青年の頬は明らかに緩んでいた。


「早速だが、君には我が領地に来てもらう」

「領地に?」


 侍女が二人の前に紅茶のカップを置くと、脚を組んだダリオは単刀直入に本題を切り出した。


「望むならアウディチ家への輿入れも認めよう。喜びたまえ」

「……わたしの一存では決められません」

「ふむ、勘違いされては困るな」


 遠まわしに断るソフィアにダリオは尚も言い募る。


「これは要請ではなく保護だ。教皇猊下が襲撃された現状を鑑みて、稀有な戦略級契約者を我がアウディチ家が保護するのだ。上位者(ぼく)の善意、断ってくれるなよ」

「――――」


 ソフィアが小さく息を呑む。

 白国に於いて等級が絶対である以上、ヴェルジオン家といえども正当な理由なく格上の相手の“善意”を断る訳にはいかない。その意味において、ダリオの提言は決して不法な類ではないのだ。


「既に護衛も用意してある。そこの小汚い男はもう必要ないだろう」


 ソフィアの返事を待たず、ダリオは詰めに入る。

 カイを横目で睨みつつ青年が手を叩くと、部屋の外に控えていたのか、堂々とした身なりの剣士が応接室にやって来た。

 大柄な全身鎧を纏い、背に大剣を背負ったまま足音も立てない様子には正規の鍛錬の跡が窺える。


「赤国の騎兵隊で鳴らした兵だ。出自もはっきりしているし、腕も確かだ」

「申し訳ありませんが。既にギルドを組んでいますので……」


 ソフィアが作り笑顔を固定してやんわりと断る。

 読心も全力で閉じている。今、相手の心中を読んでしまったら我慢できる自信がないからだ。

 しかし、そんな少女の心中に気付かず、ダリオはこれ見よがしに鼻を鳴らす。


「そんな些事はどうとでもなる。僕はソフィア嬢の身を案じているのだ」

「ですが……」

「そういうことなら――」


 それまで顔色一つ変えなかったカイがはじめて口を開いた。

 侍の感情を窺わせない無表情はいつも通りだが、口出しを咎めようとしたダリオは確かに気圧された。戦いに携わったことがなくとも、首筋を撫でる死の気配は感じられたのだ。


「俺にも剣士としての自負がある。手合わせを願う。ソフィア……様も直に実力を見た方が安心できるだろう」

「た、たしかに。ではひとつ決闘といこうか。おい、白手袋を渡してやれ」


 ダリオがどこか安堵したように笑い、侍女に指示を出す。

 青年にとってこの状況は非常に好都合だ。

 カイが負ければ予定通りソフィアの身辺に介入できる。

 逆に、カイが勝てば恥をかかされたとヴェルジオンに文句を言って放逐させてしまえばいい。それができるのが上位者の特権なのだ。

 自然、ダリオの心中には邪な期待が浮かぶ。


 あるいは、この場でソフィアを自領に連れ去ってしまっても構わないか。既成事実があればヴェルジオンの当主も文句は言えないだろう、と。


「では、中庭で待つとしよう。さあ、ソフィア嬢はこちらに」

「……お気遣いなく」


 手を取ろうとするダリオを自然に躱し、ソフィアは応接室を後にした。


「……わかっているな、匹夫。精々、恥の上塗りにならんよう気を付けるんだな」


 向ける先を失った手を戻し、ここぞとばかりにダリオがカイを睨みつける。

 しかし、侍は意に介した様子もなく、外套を外し、黙々と決闘の準備をしている。

 ダリオが舌打ちと共に応接室を出て、入れ違いに先の侍女が白手袋を手に戻って来た。


「ウチのボンクラ当主の所為でいらぬお手間をおかけします」

「いや……」


 一礼と共に告げられた辛辣な言葉にこそカイは面食らった。

 自分の仕える主をこうもこき下ろす従者というのは初めて――視線の先で苦い顔をしているイリスを見て、何ともいえず沈黙した。


「こちらの手袋をどうぞ」

「……かたじけない」

「剣もご自分のをお使いになられるようですね。では、私はダメ人間のお世話に戻りますので、何かありましたら屋敷の者にお申し付けください」


 人形のように表情の変わらない侍女はもう一度丁寧に礼をしてその場を辞した。

 間の抜けた空気が応接室を流れるが、カイは気を取り直して白手袋を懐にしまった。


「それで、どうするの? 勝っても負けても角が立つよ、この勝負」

「……無論、手はある」


 苛立たしげな声とは裏腹に、どこか心配そうな表情のイリスにカイは端的に応えを返す。

 常に戦闘を想定しているカイは特別な準備を必要としないが、今回ばかりはそのままという訳にはいかない。

 相手の思い通りに進んでいる現状を覆さなければならないのだ。


 故に、カイは腰からガーベラを鞘ごと引き抜いてイリスに預けた。


「あれ、ガーベラじゃ、な……」


 刀を受け取ったイリスの動きが止まる。カイが何をする気なのか分かったのだ。


「――――」

「…………カイ?」

「何だ?」


 いつの間にか部屋の空気がひどく張り詰めている。

 原因は目の前のサムライだ。


 触れる全てを断ち切らんばかりの鋭い気配。感情が失せた無機質な表情。

 そして、イリスを見返す瞳はこれから斬る相手を見定めるような修羅のそれ。

 ソフィアのような読心がなくとも想像できる。


(これが使徒としてのカイってとこかしら)


 あるいは、カイにとってこの状態こそが『斬ること』に最も適したカタチなのかもしれない。

 今なら、命じられれば、何の感慨もなく自分達をも斬れるのだろう。その確信がある。


 ――そんなのは嫌だった。


 そんな目でソフィアを、自分を見て欲しくない。

 この仲間達(カゾク)が大切なのだ。失いたくないのだ。だから――


「ッ痛……よし」


 従者は自らの唇を噛み切ると、両腕を男の首に回し、互いの唇を触れ合わせた。

 突然の柔らかな感触に男の瞳孔が微かに開き、互いの唇の隙間からつと赤い滴が零れる。


 血に魔力は宿る。それは魂と肉体の連結点である心臓と深いかかわりがある故だ。

 そして、既に一年以上、魔力を喪失している者にそれを与えれば、正気を呼び戻すに十分な刺激となる。


「!?」

「んっ……」

 

 互いの舌を微かな痺れが襲う。

 そうして、口の中に広がる鉄錆の味を感じて、ややあって、カイの気配は落ち着き、目には感情の色が戻った。

 数秒して離された互いの口から微かに息が漏れる。


「……イリス」

「目は覚めた、カイ?」


 微かに頬を赤らめつつ、イリスは取り出したハンカチでカイの口元を拭い、次いで、自分の口元を拭った。

 その時には既に従者の唇に傷はない。高い賦活能力で以て再生したのだ。


「俺は――」

「今は何も聞かない。言わせてあげない」

「……」

「そんな顔しないの。ほら、おまじないもしたんだから、ちゃんと勝ってきなさい!!」

「……了解した。ありがとう」


 照れ隠しと分かる言葉にカイは小さく笑みを零し、踵を返して応接間を後にする。

 背後で、今更ながら自分の行動に悶えている従者の姿には気付かなかったことにした。



 ◇



 中庭は十分に広く、芝は綺麗に刈られており、足が取られる心配はなさそうだ。

 そんな益体もないことを考えながら、ソフィアは表情を固めたまま隣のダリオの戯言を聞き流していた。

 日頃の少女なら魔法の一つでも叩き込んでいる所だが、父も兄もいない以上、ヴェルジオン家を守るのは自分だと言い聞かせて忍耐力の限界を更新していた。


「それで、イズルハと言いましたっけ、あの剣士は?」

「はい、そうです」

「遅いね。まさか逃げたんじゃ――」

「カイはそんなことしません!!」


 反射的にソフィアは言い返していた。

 予想外の大きな声にダリオどころか自分でも驚いた。


「……失礼しました。ですがご安心ください。彼は竜種を前にしても逃げるようなことは致しません。紛うことなき一流の剣士です」

「フ、フン。そうだといいが。――おや、来たようだ」


 つられて見れば外套を外して身軽になったカイが丁度やって来ていた。

 だが、腰に佩いているのは鞘の上からでも分かる直剣だ。彼のいつもの得物ではない。

 ソフィアは愕然として、己の目を疑った。

 隣のダリオはまだ気付かない――カイがどれ程の覚悟でこの場に臨んでいるのか、気付いていない。


「遅くなって申し訳ない。すぐにはじめてよろしいか?」


 カイは無造作に白手袋を投げて、相対する剣士に問いかける。

 対する剣士はそれを片手で掴むと背後に投げ捨てた。

 お互い、決闘の作法など興味はないのだ。


「構わない。すぐに終わらせてやる」

「カイ……」


 小さく投げかけられたソフィアの声にカイはちらりと視線を合わせ、ほんの僅かに頷いた。


「あ……」


 いつも通りの無愛想な様子にソフィアは胸のつかえが取れるのを感じた。

 彼ならば問題ない。互いに命を預け合った仲間なのだ。

 そんな当たり前の事をソフィアは遅ればせながら思い出した。


「僭越ながら審判は私が。公平に判じることを白神イヴリスに誓います。双方、前へ」


 侍女の声にカイと剣士が前に出て、同時に剣を抜く。

 剣士の得物はやや幅広の騎士剣。瀟洒な装飾のなされた一目で高価な品と分かる一品だ。


 対するカイの剣は装飾のない無垢な直剣。

 目を引くのはまったく継ぎ目がなく、刀身から柄まで艶消しされた銀一色であること。

 そして、刀身の中ほどに刻まれた、剣を抱いた白鳥を意匠化した紋章。



 ――その美しき紋章こそ白国の武の頂点、如何な害悪も退けることを誓った証。



「近衛騎士の紋章!? ではその剣は――“銀剣”か!?」

「はあ!? そん、な、バカなっ!?」


 相対する剣士が驚愕し、次いでダリオが素っ頓狂な悲鳴を上げる。

 無理もない。カイが持っているのは白神の加護を受けて教皇から手ずからに下賜される、本人のみにしか抜くことのできない唯一無二を保証した名剣だからだ。

 不壊金剛(アダマン)と並ぶ希少金属の最上位たる“至高白銀(オリハルコン)”を芯金に、ミスリルの刃殻を誂えた“銀剣”はたとえ一等家でも、あるいはどれだけ金を積もうとも下賜されることはない。

 ただ、強く在ること。それだけが銀剣を賜る条件であり、それ自体が白国における騎士の最高の名誉の一つなのだ。


「嘘だ。嘘だ!! 調査ではそのような事実は……」

「現役の近衛……じゃねえな。覚えのない面だ」

「既に放逐された身だ。通り一遍調べただけでは分かるまい」


 剣の一振りで事情は変わった。

 Dの男が喧嘩を売ったのは格下のFではなく、一等級のA、教皇の信頼した騎士へと移ったのだ。

 あるいは、ダリオがより正確な調査を命じていれば、カイが十二使徒であることも知れたかもしれない。

 しかし、それはソフィアのおまけ程度にしかカイを見ていなかった者には望めぬことであろう。


「過日の栄誉を持ち出すなど厚顔の至りだが、Dの格付けを受けた剣士を前に手ぶらというのもな」


 カイの視線が相手を見据える。まさかこの程度で臆してくれるなよ、と。

 相手の剣士もその意味を理解したのか、苦笑しながらも戦意を強くする。


「いや、子供のお遊びに付き合わされたと落胆していたら思わぬ相手に出会えたものだ。これも何かの縁、一手ご指南願おう」

「お、おい、勝手に話を進めるな!!」

「ダリオ様、既に決闘は始まっています。近づかれては危険ですよ」

「な!? クソッ!! なら勝て!! この場でその男を斬り殺してしまえ!!」


 予想外の状況に混乱しているのだろう。

 ダリオの支離滅裂な発言に剣士は苦笑した。


「……苦労しているな」


 カイが相手にだけ聞こえるように小さく口を開く。


「なに、十分な給金は貰っている。ここらが退き時だったのだろう。とはいえ、土産話のひとつもなしでは面白くないな」

「……承知した」


 軽口を閉じ、互いに構えを取る。

 剣士は正面に体を向けつつ切っ先を右に向けて構える。

 馬上での戦いも想定した構えだ。騎士として正式な訓練を受けていることを窺わせる。


 対するカイは半身になって上段を取る。

 天を突く銀剣には、一刀の下に全てを斬り伏せる意志を込める。


 カイの目が確と語る。来い、と。

 剣士は小さく息を吸うと早駆を発動し、一足で間合いへ飛び込んだ。

 踏み込みを足裏が受け止め、騎士剣が全身の膂力を総動員して横薙ぎに振るわれる。

 猛然と背中側へ迫る一撃はカイの構えでは最も迎撃しにくい場所だ。

 しかし――


「――シッ!!」


 刹那、銀剣が迅雷の速度で振り下ろされた。


 構えの不利など感じさせない超速の一閃。

 狙いは相手の刀身の中心。最も力のかかる一点を正確に穿つ。


 風を巻いて二振りの剣が激突し、一瞬の火花が散る。

 僅かに遅れて、金属の断たれる高音が中庭に響き渡った。


「――」

「――」


 剣を交わした二人は互いに背中を向けて振り抜いた姿勢で残心をとる。


 結果はこれ以上なく明白。

 剣士の持つ騎士剣は刀身の半ばで断ち斬られていた。

 鋼鉄製の断面はおそろしく滑らかで、それが一切の魔法を用いず為されたとは俄かには信じがたいだろう。


 そして、誰もが驚きで我を失う中、宙に舞う断たれた切っ先が回転するままにダリオの足元に突き刺さった。

 ダリオが悲鳴を上げて腰を抜かす。ソフィアは心の中で小さくガッツポーズをとった。


「剣を代えてもう一度やるか? 次は命まで賭けて貰うことになるが」

「いや遠慮しておこう。土産話は出来たからな」


 剣士は手に持つ騎士剣の断面を見せて苦笑する。

 銀剣と相対したとなればそれだけで話題になるだろう。次の雇われ先に困ることもない。


「では――それまで!!」


 そうして、決闘の終わりを告げる侍女の声が中庭に響き渡った





 その後、放心状態のダリオを侍女が自室に叩き込み、一連の騒動は終了した。


「当主が失礼致しました」

「これっきりにしていただきたいです」

「……おそらくはそうなるでしょう」


 門前にて、ソフィアの率直な物言いに侍女は頭を下げるとそのまま屋敷に戻っていった。

 最後に告げた言葉の意味はソフィアも計りかねていたが、今、重要なのはそこではなかった。


「すみません、カイ。このような些事に付き合わせてしまって……それに、その剣は……」

「終わった事だ。それに、いい機会だった」


 折れるのではないかというほど深々と頭を下げるソフィアに対し、苦笑するカイは背に戻した銀剣を見遣る。

 目に映る色は再びその剣を抜けたことへの安堵か。

 父を斬った剣。同時に、己の一部でもある剣。複雑な来歴があるが、カイが心の底からこの剣を大事にしていることは確かだ。

 伝わる心の切なさにソフィアは何も言えず、顔を伏せた。



「それにしても、何でアウディチ家はあんなに焦ってたのかしら?」

「……さてな」


 イリスの疑問は尤もだ。

 ダリオはソフィアを、というよりも戦略級契約者としての能力を欲しているように見受けられた。

 一領主の当主が、なぜそんなモノを求めるのか、カイ達はわからなかった。



 しかし、程なくして、答えはまったく別の場所から提示された。


 五日後、クルスがひとつの依頼と共に帰還した。

 依頼内容はアウディチ領で勃発した“革命”の鎮圧だった。

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