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刃金の翼  作者: 山彦八里
幕間
71/144

幕間:目にはみえぬもの

 慌ただしくやってきた春も落ち着きをみせてきた頃。

 アルカンシェルの活動拠点であるギルドハウスの裏庭には精根尽き果てた少年が転がっていた。


 ミハエル・L・ディメテル。

 ディメテル家の嫡男であり、クルスやソフィアとは遠縁関係にある少年であるが、擦り傷と切り傷に塗れたその姿をみて貴族だとわかる者はいないだろう。


「限界か、ミハエル?」

「もう動けないです、師……じゃなくて、カイ」


 声をかけたカイは「そうか」と頷き、適当な場所に腰をおろして瞑想に入った。

 依頼を受ける傍らに、学院から直帰したミハエルに稽古を付けるのがカイの最近の日課だった。

 しかし、十歳を過ぎたばかりのミハエルの体力はそう多くなく、学院との二足の草鞋はかなりの負担になっている。

 それはカイも承知しており、一般的な見解はどうあれ、本人としてはかなり加減して稽古を付けていた。使徒時代の後輩たちが見れば絶句する光景であろう。



「そういえば、カイは心眼が使えるんだよね?」


 陽光を受けてほのかな暖かさを保つ芝生を背にしたままミハエルが質問を投げかけ、うっすらと目を開けたカイが小さく頷く。


「ああ。この間、取り戻した」

「心眼って何が視えるの?」


 頬に当たる芝の感触がくすぐったいのか、時折身をよじるミハエルを見遣りつつ、カイは暫し黙考した。


「……目新しい何かが視える訳ではない、普通はな。ただ、経験から数瞬先の未来を予測するだけだ」

「未来が視えるの?」

「いや、あくまで予測だ。外れることもあるし、経験したことのない攻撃には対応できない」

「でも、カイは魔力も視えるんだよね。僕も視えるようになるかな?」

「……どうだろうな」


 カイとしては要領を得ない解答だが、それも仕方のないことだろう。

 侍が魔力を視えるようになったのは本人の能力だけではなくソフィアの協力があったからなのだ。


 クレリックの上位術式『視覚共有』

 それを受けた経験がカイの心眼に本来は捉えられない筈の魔力を“予測”させることを可能とした。

 しかし、通常、視覚共有はクレリック二人が協力、二重詠唱して維持するものだ。

 その構成はあくまで双方向。片方だけによる維持は想定されていない。

 事実、後に試した所、カイ以外の相手――クルスやイリスであっても――この方式で共有することは失敗した。

 これがミハエルならできるかと問われれば、試してみなければわからないというのが正直な所だ。


「そっか。ちょっと残念かなあ」


 掻い摘んで説明を受けた少年剣士は残念そうな顔をした。


「魔力を視たいのか?」

「うん。フィフィが魔法の習得に手間取っているみたいだから」


 頷くミハエルは数刻前まで自分がいた学院を思い浮かべた。

 ミハエルやフィフィが通う帝都学院は中流階級以上の者たちで構成されるが、ウィザードやクレリックに関してはその母数の少なさから市井に広く門戸が開かれている。

 だが、それでも生徒数は前衛職に比べれば遥かに少ない。この慢性的な生徒数の不足がそのまま教員の不足とその質の低下に繋がっている。

 効率的に魔術士を輩出するノウハウがないこと。それは赤国が魔術大国といわれる青国に大きく劣る点でもあった。

 フィフィもまた教員の指導だけでは要領が掴めず、魔法の習得は半ば行き詰っていた。


「フィフィ? ……誰だ?」


 とはいえ、カイにおいてはそれ以前の問題だった。

 ミハエルは寝転がったまま肩を落とすという器用な行動をとった。


「フィフィアーナ・ニミュエス。前に誘拐された所を助けた子だよ」

「…………ああ」

「ホントに忘れてたの!? あのあと何回か会ったよね!?」

「すまない。人の顔を覚えるのは苦手なのだ」


 そう嘯く師の顔を見上げてミハエルは苦笑した。

 カイには時折驚くほど幼い側面がある。ただ、それが不思議と嫌ではなかった。


「お姉ちゃんたち、苦労していないといいけど」

「仲間の顔は忘れない。お前の顔もな」

「あ、うん。それでね、僕は魔法については斬るくらいしかできないけど、何か手伝えないかなって思ったんだ」


 どこか照れた様子のミハエルは初々しくも春を満喫しているように見える。

 その様子をどう受け取ったのか、朴念仁はならばと口を開く。


「ルベリア学園に来い。教官の人格は保証しないが、腕はいい」

「うーん。それはさすがに難しいんじゃないかなあ。僕と違ってフィフィはこの国の貴族だし。留学も家が認めるかどうか……」


 誘拐事件の解決に助力したこともあってミハエルには好意的に接してくれているニミュエス家も、一人娘が国外留学するとなればおいそれと頷くことはできないだろう。


「あ、ソフィアお姉ちゃんに魔法の相談するのはどうかな?」

「フィフィ某がか? やめておけ」


 名案だ、という顔をするミハエルに対し、カイはかぶりを振った。


「ソフィアはウィザードとして規格外だ。あいつの魔法には苦労がない」

「習得に困ったことがないってこと?」


 無邪気に首を傾げる少年はウィザードの資質について正確に理解しているとは言いがたい。魔術士としての栄達に生まれついての才能がどれ程影響するかの実感がないのだ。

 それでも、師の告げる言葉の意味をおぼろげながらも咀嚼した。


「そうだ。心技と転移術式を除けば、ソフィアはあらゆる術式を視ただけで再現できたらしい。――そして、これからもそうなるだろう」

「じゃあ、人に教えるとかアドバイスするとかは?」

「……ソフィアが、相手が何故できないのかを理解出来ればいいが」

「教える以前に自信なくしそうだね」


 ミハエルはごろりと向きを変えて空を見上げる。

 太陽は頂点を過ぎ、抜けるような青空が視界一杯に広がっている。

 青空をみていると、何故か涙が滲んで来る。その理由を知らず、少年は才能という漠然とした壁を感じた。


「僕、強くなれるかな」

「……鍛錬が足りんようだな」

「待ってカイ。大丈夫だから。そういう意味じゃないから」


 いつの間にか鯉口を切ってミハエルを間合いに捉えていたカイがいそいそと元の場所に戻った。


「急にどうした? 必要なら第五位(ジョセフ)直伝の肉体を一切傷つけない拷問で――」

「ホ、ホントに大丈夫だから!! ね?」

「……」

「言うから。言うから待って」


 どう考えても相談する相手を間違えているが、後に引けなくなったミハエルはぽつぽつと心情を吐露した。


「特に何かがあった訳じゃないんだ。マルクにも勝ち越しているし……でも、何かが足りないんだ。あと一歩、薄紙一枚先に手が届かないんだ。だから……」

「…………」


 果たして、自分がその不安を覚えたのはいつだっただろうか。カイは思い出せなかった。

 侍の師達は容赦がなく、大雑把で、命の危険ばかり感じる相手ばかりだったが、いつでも傍にいてくれた。

 だから、カイが目標を見失うことはなかった。受ける傷がひとつ減る度に成長を実感した。


「お前の不安は剣を握っている限り一生付きまとうものだ。折り合いをつけろ」


 結局、心の問題は自分で何とかするしかないという結論に至った。

 目標に手が届かない焦り。自分では駄目なのかという不安。

 それは誰の心にも存する影だ。駆逐することはできない。


「今は体を作る時期だ。器を誂えれば自然と中身はついてくる。不安になるのはそれからでも遅くはない」

「うん……」


 こちらの言葉がどこまで伝わったのか。

 ミハエルは幼いながらに師を気遣うような笑みを浮かべるばかりだ。

 どれだけ才があろうと、ミハエルはまだ十歳。精神的には未熟。

 その幼さ故に自分を誤魔化すことも出来ないのだろう。


「……ふむ」


 カイは思考する。心持ちについて安易な助言は禁物だ。

 記憶を掘り返す。第六位(ソーニャ)第七位(クラウス)を鍛えていた時はどうしただろうか。あるいは、自分の時は――


「――ミハエル」

「カイ?」


 カイの声音が変わったのに気付き、ミハエルは上半身を起こした。

 師の真摯な声。あまり起伏のない言動でも数カ月の付き合いで何となく違いがわかるようになってきたのだ。


「俺はいつ死ぬかわからない生き方をしている。それを変えるつもりもない」

「うん」

「だから、お前を最後まで導けないかもしれない。師としては甚だ不適当だ」

「……うん。でも、今さらだよ。僕の師匠はカイだ」


 そう言って朗らかに笑う姿はひどく眩しい。カイは微かに目を細めた。

 弟子は覚悟している。ならば、師としてそれに報いねばならない。


「なら、最後の教えを先に伝えておく」

「最後を、先に? それっていいの?」

「覚えるだけでいい。今のお前ではどうあがいても不可能だ」

「む、そんなのやってみないとわからないよ!」

「……そうだな」


 不安がその心を覆っても、心の芯が揺らぐことはない。

 その姿が眩しい。だからこそ、腐らせるわけにはいかない。


「俺が最後に教えるのはきっと“英霊”の成り方だ」

「英霊の? 戦って成長するだけじゃなれないの?」

「無論それも必要だ。たしかに、苦難を糧にすれば“英雄”にはなれる。実際、俺やクルスは英雄の域に指がかかっている。しかし、それだけでは足りない」


 ざあ、と小波のような音を立てて二人の間を風が吹き抜けた。

 ミハエルが微かに息を呑む。

 身を斬るほどに鋭く硬質な気配が辺りを包む。

 常は殺している気配を露わにしたカイはひどく異質だ。

 少年の目にはまるで人のカタチをした何か別のもののように映る。


「英霊は英雄とは在り方が異なる。端的に言えば、人間を捨てたか、そうでないかだ」

「人間を、捨てた? 人間じゃなくなるの?」

「英霊は人間では太刀打ちできないモノを相手にする為の存在だ。その為にいくつもの荷を捨てる必要がある。そして――」


 カイは言葉を切り、細く息を吐いた。


「己の“魂の名”を知らねばならない」

「魂の名前?」

「そうだ。英霊の能力に耐え得る肉体(ウツワ)、英霊を必要とする状況(サダメ)、そして、その時に“魂の名”を唱えることができれば――」



 ―― 人は英霊になる



「で、でも、魂の名なんてどうやったらわかるの?」

「それが分かれば苦労はない。だが、手掛かりはある」

「手掛かり? ……加護のこと?」


 ミハエルは自分の肉体に宿る“砕けぬ刃”を思い浮かべる。

 同様に、カイには“クサナギ”“イダテン”の加護がある。

 全体像をみるにはまだ欠片が足りていない。

 しかし、ここに連なる先にこそ目指す道がある。


「己を表す神の恩寵。“魂の名”とは己が己に与える加護であるのなら――」


 人が全てを捨てて神に縋り、それでも尚覆せない絶望に直面した時、英霊は生まれる。

 殻は固い。英霊は世界にとっては異物だ。人の世とは相容れない。

 故に、只人としての幸福を求めるなら、英霊になどならない方が幸せなのだろう。


「だが、俺もお前も戦乱の才がある。戦いから目を背けることは許されない」

「……うん」

「いつか必要になった時に思い出せ。きっとお前の助けになる」


 その日が来なければいい、などとは言わない。

 そんな世迷言を宣う前に、伝えるべきことがまだまだあるのだ。


「休憩は終わりだ。立て」

「はい!!」


 師弟は剣を振るい、己を研ぎ澄ませる。

 いつか来る、その日の為に。

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