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刃金の翼  作者: 山彦八里
幕間
69/144

0話:刃金の誕生

 それは今より八年ほど前のこと。

 まだ十二使徒の席次の多くが欠けていた頃、ソーニャを拾う半年ほど前のことだった。

 十二使徒が所有する訓練用の森の中で、もうすぐ十五歳を迎えるカイは今日も今日とて鍛錬に勤しんでいた。


「……」


 風貌にまだ幼さを残す少年は無言で刀を振るう。

 振りかぶり、切り下ろす。それだけを何十時間と繰り返す。

 既に前に眠った日は思い出せない。しかし、それでも足りないとばかりにひたすら剣を振り続ける。

 ヒュン、と小気味よく風を切るのは二尺六寸の“数打ち兼定”。

 十二代兼定とも呼ばれる発掘品は、実用を旨とした飾り気ない拵えと厚みのある刀身を持ち、業物の一端にかかる一振りだ。

 しかし、刀気解放はできず、刀としての完成度では真打ちに及ばない。

 人は斬れても、竜種は斬れないであろう。


 この剣は自分だ、とカイは思った。

 刀の形こそしているが魂が宿っていない、そんな自分だ。


 戦士にとっての魂とはすなわち心技に他ならない。

 たとえば、剣鬼には後の先をとりつつ、必ず相手より先に斬る心技がある。

 あるいは、拳聖には気を熱量に変換して周囲全てを焦土に帰す心技がある。

 心技は人に許された奇跡の具現であり、何よりの魂の証明である。


 そして、十年近くの間、血が滲み、肉体が腐るのではないかというほどの鍛錬を己に課して、それでも尚この身に心技がないという事実は、ひとつの事柄を示している。


 ――カイ・イズルハには剣の才能がない。


「――っ!!」


 思考の乱れに引き摺られて剣筋が僅かに乱れた。刃音に雑味が混じる。

 ため息を一つ。柄を緩めて心を落ち着かせ、肉体の挙動を制御し直す。

 然して、事実をあるがままに受け入れる。


 剣の師である“剣鬼”ゲンハ・ザカートや、父である“必勝”ジン・イズルハのような輝かんばかりの剣才が自分にはない。これは事実だ。

 剣以外の才能がある訳でもない。弓や槍も一応は訓練したが人並み程度が精一杯だった。近衛騎士やその先の十二使徒の任務に耐えうる域にはない。

 十年間、寝る間も惜しんで鍛え続けた剣と肉体だけが己の武器なのだ――それすら、未だ師や父に一太刀も入れられない程度のものであるが。


「何が足りない?」


 森に溶け行く自問には答えがない。

 素振りを止めて、森の中に乱立する大樹の一本の前に移動する。

 気を整えてゆるりと兼定を上段に取り、一気呵成に振り下ろす。


 斬、と一刀が阻むものなどないかのように振り抜かれた。


 刀の切っ先は運剣に従い、大樹を真っ向から叩き割り、衝撃は地面深くまで届いた。

 刀を引くと大樹は自重に従い、断面を晒しながら左右それぞれに倒れ込む。


 “兜割”と呼ばれる技だ。

 強固な兜に衝撃を透し、中身の頭蓋を砕く技だった(・ ・ ・)

 斬撃と同時に衝撃を打ち込むという単純な原理をカイは突き詰めた。今では、木石はおろか下手な鉄兜すら紙の如く斬り割れる。

 この一技においてカイの右に出る者はいない、少なくともこの大陸には。

 剣鬼や父も違う技で同じことはできても、この技に関してはカイに軍配があがる。それ程の錬度を積みあげた。


 三年前に兜割を学んだ時、これ(・ ・)だとカイは直感した。

 才能がないなら、生来の心技がないなら、これを心技にすればいい。そう決意した。

 技が心技に昇華されるというのは珍しいことではない。

 使い続けた技が何かしらのきっかけを得て、魂の具現となる。その為に必要なのは才ではなく、弛まぬ努力ときっかけとなる事柄だけだ。自分とて出来ないことではない――筈なのだ。


(何かが足りない。全力を振り絞るには何かが……)


 カイの心中に燠火のように微かな焦りがくすぶる。

 自分が十二使徒において対人特化――同じ使徒を斬る為に鍛えられていることをカイは知っている。

 その任を果たす為には、今のままでは駄目なのだ。

 才能の無さを嘆く暇はない。この剣で以て、相手の能力、才能、そして何十年と積み上げた鍛錬の差を覆さなければならないのだ。


 カイの肉体はまだ成長の只中にあるが、それは緩やかな上昇に過ぎない。目前に迫る使徒の就任には間に合わない。


(鍛錬もこれ以上は体がもたない。欠けているのは――)

「……心、か」


 そればかりは今のカイでは如何ともしがたかった。



 ◇



 結局、これといった方策は見つからず、カイは心技が完成しないまま十二使徒の入団試験に臨んだ。


 指定された場所は竜の谷と呼ばれる場所だ。

 暗黒地帯にほど近い断崖絶壁。風に削られて尖った岩と一帯に点在する焼け焦げた跡が目につく。


 渇いた風に洗われる目の前の殺風景な光景にカイは微かに眉を顰めた。

 竜の谷には唯々、噎せ返るほどの死が満ちていた。

 腐臭が漂い、炭化した何某かの遺体や、相争った竜の死体がそこらに転がっている。

 その名の通り、竜種が数多く生息する谷は訪れる者すべてを焼き殺す。それが人間であれ、暗黒地帯から南下する魔物であれ、例外はない。


「竜種ってのは古代(アーキ)種のなれの果てだ」


 見届け人として同道する剣客の老人“剣鬼”ゲンハが誰にともなくひとりごちる。

 谷間を抜ける風に肩掛けした羽織を遊ばせ、彼方を望む姿には、此処が人間にとっての死地であることを感じさせない洒脱さがある。

 ただ、老人の洗練された所作の中で、口調だけが真剣さを帯びていた。


「魔物と同じと思うな。頭も回るし、学習能力もある。伊達にン千年も齢食ってるわけではない」

「……らしくないな、ゲンハ」


 警戒を促すような言葉は常に飄々とした剣客には似合わない。

 とはいえ、自覚はあるのだろう。白髪の後頭部を掻く姿にそれが表れている。


「自分を殺すかもしれない相手のこと位、お前も知っておいた方がいいだろうよ」

「成程、一理ある」

「……おい、先輩よ」


 頷き合う師弟の一歩後ろから生意気そうな声が投げかけられた。

 視線を向ければ、短く刈り上げた茶髪と利発そうな鋭い目を具えた、七、八歳ほどの少年がこちらを睨み上げていた。


「アンタを倒すのはオレだ。勝手に死のうとするんじゃねえ!!」


 言葉と共に少年は背から槍を引き抜き、その切っ先をカイに向けた。

 如何にして隠していたのか、その槍の長さは少年の身長の二倍ほどもある。

 年齢に似合わぬ錬度で以て鼻先に据えられた槍を見下ろしつつ、カイは溜息をついた。


「クラウス、槍を抜いたら迷わず突き込めと教えた筈だ」

「はあ!? アンタ今から試験なんじゃヘブッ!!」


 クラウスと呼ばれた少年は、すらりと間合いに踏み込んだカイに鉄鞘で脳天を打たれ、暫し悶絶した。


「俺が使徒になれば、次はお前の番だ、クラウス。よく見ておけ」

「……んだよ、やる気あるんじゃねえか」

「当然だ」


 頭を押さえてぶっきらぼうに告げるクラウスから視線を外し、カイは歩みを再開した。


 カイの師たる使徒たちは、カイに課した鍛錬を元に他の人間でもこなせるような鍛錬方法を構築した。

 特化性能は多少落ちたが、少なくとも使徒になるまでに二桁の回数で死ぬことはない程度に抑えられた。

 詰まる所、カイを試しとするなら、今現在クラウスに課しているのが本式だった。

 先輩と言い出したのはクラウスだが、成程、言い得て妙だろう。


「呵々ッ、後輩の前だと気合が入るか、カイよ?」

「特に変わりはない」

「だが、今まで通りでは、おぬしは死ぬぞ」

「……わかっている」


 微かに眉を顰めた師の言葉にカイは同意を示した。

 谷の向こうから感じる気配は既に肌を切り裂かんばかりの圧力を伴っていた。



「ここから先はお前一人で進め」

「了解」


 脳裡には死の予感がひしひしと点滅している。その予感の大元に引き寄せられるように、カイは絶壁に挟まれた谷間へと消えていった。


「……おい、ゲン爺」

「なんじゃ、クラ坊」

「その……先輩は、カイは大丈夫なんだろうな?」

「ここで死ぬならそれまでよ」


 嘯くゲンハはクラウスを連れて絶壁の上へと跳んだ。

 勝つにしろ、死ぬにしろ、見届けるのは師としての義務だ。



 ◇



 探すまでもなく気配の大元はすぐに見つかった。

 相手は隠れる必要がないとばかりに、両側を絶壁に挟まれた谷間の真ん中で堂々と待ち受けていたからだ。


「――ッ!!」


 その姿を見て、カイは知らず息を呑んだ。

 天を衝く巨大な威容、全身を覆う強固な竜鱗。感応力に乏しいカイでも感じられる絶大な魔力、本能に畏怖を呼び起こす真紅の瞳、そして、喉元に燦然と輝く青い魔力結晶(サードアイ)

 ただ存在するだけで他者を平伏させる圧倒的な威圧感を放ち、身じろぎひとつが根源的な恐怖を呼び起こす。

 同じ竜でも唯の魔物に過ぎない亜竜とは次元が違うことを否が応にも理解させられる。


 たった一体にして暴威の総体として成り立つ精霊級の存在。


 カイは無意識に唾を飲み込んで息苦しさを誤魔化した。常日頃からネロの威圧に慣れていなければ、対峙した時点で心臓が止まっていたかもしれない。


「――――」


 強者である自負故か竜は無駄に吼えることない。

 ただ、微かに長首を起こし、目の前の羽虫を払うかのように両翼を一振りした。


「ッ!?」


 直感に従い、カイは咄嗟に跳躍した。

 直後、少年の足元を不可視の刃が通り過ぎる。

 標的を見失った刃は背後の岩壁にぶつかり、轟音と共に深々と裂傷を刻んだ。


(翼の一振りが既に魔法。古代種の名は伊達ではないか)


 着地したカイは恐怖を押し殺し、彼我の戦力差を考察する。

 相手は生まれついての精霊級。千年に及ぶ戦闘経験を有する文字通りの怪物。

 たかだか十五年しか生きていない自分との差は如何ほどか。


「……だが、斬る」


 元より、自分はその差を覆す為の剣だ。ここで退いては鈍らに堕する。


 次の瞬間、カイは敢然と疾走を開始した。

 同時に、竜もまた気配を強めて次手を講じる。


 恐るべきことに、竜に出し惜しみはない。

 驕りもなく、油断もなく、全力必勝の構えで以てカイと相対する。獅子が兎を刈るのに全力を尽くすように、竜は相対する者が何であれ、全力で以て葬る。

 もはや衝撃と何ら変わりのない咆哮でカイを足止めしつつ、竜は喉元の魔力結晶に魔力を込める。


 古代種は心臓とは別に外部に露出した魔力結晶“サードアイ”を持つ。これは身体維持とは独立した攻撃専用の術式器官であり、機能特化した分、その性能は非常に高い。

 その中でも、竜種が喉元にもつ六角形の魔力結晶は逆鱗とも呼ばれ、ただひとつの魔法を行使する機能しか有していない。

 それこそは竜種を竜種たらしめる絶対の一。


<ゴァアアアアアア――――ッ!!>


 ――“竜の吐息(ドラゴンブレス)”である。


 極大の殺意と共に、竜の口腔から莫大な光の奔流が放たれた。

 マグマを彷彿とさせる高熱の光撃は谷の幅とほぼ同一の口径で以て猛然と侵攻する。

 この一撃に特化した魔力結晶で構成されたブレスは掠っただけで人体など欠片も残さず焼き尽くす。籠められた熱量は亜竜のそれとは文字通り桁が違う。


 カイは疾走から体を起こし、向かって右の岩壁に向けて跳躍した。

 心中では舌打ちをひとつ。苛立ちは自分に向けたもの。この段になって漸くゲンハの言った意味が理解できたのだ。


 あの竜ははじめからこの形で決めるつもりだったのだ。

 遮蔽物のない直線の谷間で、殆どの相手が防ぎようのないドラゴンブレスを叩きこむ。

 迎撃においては必殺の方式と言っていいだろう。


(だが、相手の足は止まった。この一手で決める)


 カイは岩肌に着地するとイダテンの加護を乗せて疾走を再開した。

 そのまま絶壁を足場に、地面と水平に地上と遜色ない速度で駆け抜ける。

 数メートル下を抜ける光撃の余波で皮膚が瞬く間に焼けていくが、構わず走り続ける。


 いくらブレスが強力であっても放った直後は隙ができる。その機を逃さず斬り伏せる。

 至極単純な覚悟を胸にひたすら走り続ける。


 間合いまであと三歩、二歩、一歩。

 竜がブレスを吐き終える。

 同時に、カイは岩肌を踏み抜く勢いで竜の頭上へと飛び移った。

 空中をいくこちらを捉える竜と視線が交わる。だが、もう遅い。


「――シッ!!」


 間髪いれず、カイは兼定を全力で振り下ろした。

 必殺を期した“兜割”。跳躍と落下の勢いを加えた、今のカイに放てる最高の一撃。

 その一撃が狙い違わず竜の額に打ち込まれた。


 風を切る微かな刃音、会心の出来。

 徹した衝撃は喉元の魔力結晶まで届いた――筈だった。


 打ち込んだ直後、カイは刀身に違和感を覚え、反射的に後方へ跳躍した。

 視線を手元に落とし、小さく息を呑む。


 手の中にある兼定はその刀身の半ばで折れていた。


(不覚。斬り損じたか)


 竜鱗の強度に兼定が耐えきれなかったのだ。

 見れば、切っ先こそ額に突き刺さっているものの、斬り込んだのは一寸ほど。竜鱗とその巨体を支える骨格の強度を考えれば致命傷とは言えないだろう。


「ならば、もう一度――」


 斬ると決意した刹那、心眼が数瞬後の相手の攻撃を予測した。

 視えたのは、視界一杯に広がる丸太の如き竜の尾。

 反射的に左腕を盾にする。直後、体がバラバラになるほどの衝撃がカイを襲った。


「ガ、グ――ッ!!」


 数十メートルを吹き飛ばされ、地面を数度転がった後、跳ねるように立ち上がる。

 倒れてなどいられない。この相手を前に隙を晒せば、確実に殺されるからだ。


(左腕の感覚はない。が、他は動く)


 警戒しつつ、自己の状態を把握する。

 視界は真っ赤に染まっているが問題ない。竜の巨体は見える。

 全身に激痛。チャクラを練って和らげる。内臓の損傷は致命に至らず。

 肋骨に損傷。片肺が機能していないが無視して呼吸を取り戻す。

 ギリギリで後退跳躍していたのが幸いした。左腕こそ粉々に砕けたものの、ダメージは最小限に抑えられた。

 こちらの反応が僅かでも遅ければ左腕は肩からもぎとられていただろう。


 気息を整えつつ、改めて竜を見る。

 距離こそ離れたが、発せられる強烈な威圧感に変化はない。

 真紅の瞳に映るのは強大な殺意と闘争心。逃がす気などないと分かる。


(残ったのは両脚と右腕、半ばで折れた兼定。ならば、次のブレスが来る前に――)

「――と思ったのだが」


 苦笑するカイの視線の先で、竜は轟然と両翼を羽ばたかせ、空中へと至っていた。

 滞空するのは左右の絶壁よりさらに高い高度、カイの素の跳躍力では僅かに届かない高さ。


(攻撃手段、機動力、どちらも見切られたか)


「ゴォオオオオオ――――ッ!!」


 そして、咆哮と共に竜の喉元の魔力結晶に再度魔力が装填される。

 竜には油断も慢心もない。確殺する為の手を打つ。


(このままでは死ぬ、か)


 直感の告げる死を意識して頭の隅に追いやる。今更な話だ。

 そうして、徐々に臨界に近付いていく魔力結晶を見遣りつつ、走馬灯のように過去が思い起こされる。



 ふと、一年前、(ジン)が同様の試験を受けた時のことを思い出す。

 今回のクラウスのようにカイも見届け人に同行していたのだ。


(たしか――)


 真っ向から相対したジンは魔力を込めた無銘でブレスを受け流し、間合いに捉えた竜に心技を放つことで“必勝”の名を示した。


 心技の名は“イツノオハバリ”。

 ジンの天性の才覚である相手の動きの隙間を見抜く嗅覚と、金城鉄壁を誇る流儀“無明”の受け太刀からの反撃を心技の域に昇華させたものだ。


 父神が子神を殺す際に用いた神剣(キセキ)は、たとえ母神を焼き尽くすほどの炎神であっても一撃で絶命させる“必勝”の運命を内包する。

 それを技術によって現代に蘇らせた心技は、避け得ぬ瞬間に防ぎ得ぬ一撃を打ち込み勝利を確定させるという破格の効果を持つ。“相手の攻撃を凌ぐ”という必ず後手になってしまう条件すら、ジンにとっては相手の動きの隙間を打ち抜く為の動作となる。


 同じことがカイに出来るかと言えば、否だ。

 イツノオハバリは相手の攻撃を絶対に凌ぐという信念が結晶化したもの。父の生まれついての心技だ。

 それと同じ方向性の心技を持つのは、同じ方向性の信念を持つ者だけだろう。


(……信念か)


 竜の翼が起こす乾いた風が火傷に塗れた頬を撫でる。


 ならば、己にとっての信念とは何か。

 無論、考えるまでもない。



 ――“斬る”、その一念こそ己の全て。



 刹那、魂の奥底でギチリと何かが羽ばたく音がした。


「……そうか。そうだったな」


 自分の思考に苦笑と納得を覚える。

 答えは死と隣り合わせのすぐそこにあったのだ。


 この身は万物を断つ刃金。断てぬ者なき必斬の剣。

 ずっと昔に“そう在れかし”と決意したのだった。


 覚悟が決まり、心が定まる。迷いはなくなった。



<ゴァアアアアアア――――ッ!!>



 そうして、充填を終えた竜が必殺の息吹を解き放つ。視界一杯に極熱の奔流が広がっていく。


 このままでは死ぬ。ならば避けるか。


「無用だ」


 カイは降り注ぐブレスに向けて疾走を開始した。

 この脚は何のためにある。逃げる為や避ける為に鍛えたのではない。

 相手を間合いに捉える為のものだ。

 近付かなければ剣は届かない。だから、近付いて斬る。それだけの話だ。


 その為に要らないものは――命か。

 ならば捨てよう。剣を振る為の腕と、剣を振る為の意思と、相手を斬る為の技だけあればいい。

 たとえ“相討ち”でも、相手を斬れるのならそれでいい。


 規定された自己に従い、脳内で何かがカチリと嵌まった音がした。

 今まで鍛え、苛め抜き、練り上げたものが整然と組み合わさる感覚。

 澄んだ意識が頭のてっぺんから爪先までを満たしていくのが分かる。


「――“無間”」


 まずは竜の知らない一手。

 防御を捨てた分だけ敏捷性を上げるカイ独自の流儀。

 風を切って竜へと走る身が数段階加速する。

 これで竜の予測よりも速く、高く跳べる。剣は、届く。


「ッ!!」


 ブレスが着弾する、その瞬間にカイは全力で蒼穹目がけて跳んだ。

 足下で高熱と衝撃が膨れ上がる。既に体のどこにも焼け落ちていない肌はない。

 加えて、余波までは避けきれず両脚の感覚がなくなった。

 だが、加速は最高速度に乗った。足はもういらない。


 魂が冷え切り、しかし、火花が散るように意識は白熱する。

 音が消え、視界が収束し、体感時間が引き延ばされていく中、切っ先の刺さったままの竜の額が間合いに入る。


 無我の境地の中で、右腕が自然と折れた兼定を振りかぶる。


 この剣は兜割にして兜割にあらず。


 父の心技が受け太刀の集大成ならば、この剣は攻勢の極致。

 意識、反応を超えて神速に迫る一刀。

 古今無双と語られる神剣が一振り、技によって成る心技がひとつ。

 八重の垣根、八つの首を諸共に断ち切る神代の概念(キセキ)


 この一刀に断てぬ物はない。元よりこの身はそれだけを突き詰めた刃金なれば。

 故に、必要なのは唯、必斬の意志のみ。それ以外のすべてを捨てる。


「――斬刃、一刀」


 誓いの言葉は簡潔に。

 一刀のもとに斬り伏せる。ただそれだけを突き詰めた必殺が今、完成する。



 ――心技“アメノハバキリ”――



 その日、少年の魂は遂にカタチを手に入れた。



 ◇



「……く、痛ッ」


 全身を襲う激痛でカイは目が覚めた。一瞬、自分がどこにいるのか思い出せなかったが、徐々に覚醒する脳髄が現実を認識させる。

 おそらく気を失っていたのは数秒だろう。目の前の真っ二つに(・ ・ ・ ・ ・ )両断された( ・ ・ ・ ・ ・)竜の死体から、まだ青い血が流れ続けていることからそう判断する。


 自分の状態を確認しようとして、その無意味さに気付いて止めた。

 この瞬間まで自分が地面に倒れていることを認識できないほどの重傷なのだ。

 負傷がないのは脳くらいのものだ。後はどこも何かしらダメージを受けている。

 特に両脚の状態が拙い。このまま放置されていれば数分と経たずに死ぬだろう。


(それも悪くないか)


 寝転がったまま物言わぬ竜の死体を見上げる。

 死体の断面はそれが己の手で為したと思えぬほど綺麗だった。

 元から両断されていたと言われても納得できるし、左右の断面を合わせればぴたりと接着するであろうことも予想できる。

 そんな矛盾するような切り口だった。


(アメノハバキリ、か……)


 心技は成った。十年に及ぶ鍛錬は無駄ではなかった。

 なのに、不思議と達成感の一つも湧かない。

 まるではじめから“そう在る”ものであったかのように、心技は魂のカタチとしてすとんと収まっていた。

 だからこそ、理解できた。

 心技は元々魂の中(ここ)にあったのだ。ただ、カタチを成していなかっただけ。気付くか、気付かないかの問題だったのだ。


「……すまない、兼定」


 最後まで手放さなかった兼定は罅割れた刀身を晒して何も言わない。

 損壊した状態で心技を放ったのだ。修復は不可能だろう。


「それから、ありがとう。お前の……お陰だ……」


 徐々に意識が薄れていく。最期の時が近い。

 そして、再び意識を失う直前、「合格だ」と告げる師の声が聞こえた気がした。



 ◇



 次にカイが目が覚めたのは十二使徒が保有する屋敷にある自室だった。

 殺風景な部屋を見回して脳髄に覚醒を促しつつ、自己の体の治療が済んでいることを確認した。


「三日は寝ていたか」

「うむ、そんなところだな」

「……ゲンハか」


 いつから居たのか、漆黒の両腕を袖に隠し、扉を背にした師が口元に笑みを張り付けて立っていた。


「試験は合格だ。どうだ、おぬしの剣には何が宿った?」

「さてな。斬りあえば伝わるだろう」

「呵々ッ!! では、いつか来るその時を楽しみにしておこうかの」


 闊達に嗤うゲンハは袖に隠していた物体をカイに投げ渡した。

 咄嗟に受け取ったのは澄んだ蒼色の宝玉。一切曇りのない曲面を描き、自然体でありながら世の凡百の宝石を優に超える輝きを有している。

 そして、感応力の低いカイにも宝玉の内部からは隠しようのない莫大な魔力が感じられた。


「これは……?」

「“ドラゴンハート”、聞いたことはあるだろう。お前が斬った奴のだ」

「これが……」

「精霊級の竜の心臓が魔力結晶と化したものだ。魔法の触媒としては最上であろう。ウィザードやクレリックなら本来は使えぬ魔法すら膨大な魔力に飽かして発動できる」

「俺には使い道がない」

「記念に持っておけ。いつか、使う日が来る。お前はそういう星の下にいる」


 予知の権能もないのに、素知らぬ顔でゲンハは当然のことのように語る。

 説明する気のない師に対してカイは微かに顔を顰めた。


「そんな日が来るのか?」

「仮におぬしが平和に一生を終えられるのなら、来ぬだろうなあ」

「……無理だな」

「であろう?」


 口角を吊り上げる師を視界から外し、カイはベッドから降りた。

 体は万全だ。これ以上休んでいると逆に鈍ってしまう。


「動けるか。ならば来い、“第九位”」

「……第九位」


 それがカイの今の位階。第八位の父と共に運用される親子刀。

 仲間(カゾク)を斬る為に鍛えられた刃金。


「ぼさっとするでない。猊下より新しい刀と使徒の証“銀剣”の拝領が命じられている。第八位(ジン)もおぬしを信じて今日まで銀剣を受け取っておらんのだぞ」

「わかっている」


 ゲンハを追い越すようにカイは自室の扉を抜ける。


 辿り着いたのは血と臓物に噎せる屍で築いた席次。

 それでいい。元よりこの身は一振りの刃金。相討ちを旨とする必斬の剣。

 “そう在れかし”と願われた通りに何をも断ち切る刃となる。この命はただその一点へと収束する。


「おっと、忘れておった」

「ん?」


 振り返れば、目に映るのは流麗な仕草で一礼する師の姿。


「ようこそ、十二使徒へ。肩を並べる日が来たこと、嬉しく思うぞ、カイ・イズルハ」


 ――その日、歴代唯一のヒトを斬る為の使徒が生まれた。

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