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刃金の翼  作者: 山彦八里
二章:ギルド
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31話:ぬくもり

 

「――そのような経緯で俺は学園に来た。後は皆の知る通りだ」


 その言葉を最後に、カイの語りは終わりを告げた。

 窓の外を見れば既に夜の帳が落ちている。

 カイもここまで長く話し続けたのは初めてだった。大きく吐いた息には疲労の色が滲んでいる。

 自らの心傷を掘り起こした消耗もあるのだろう。どこか悄然とした姿には常の刃のような鋭さがない。


「そんなの……そんなの呪術の所為じゃない!!」

「ああ、そう言うのは簡単だ。たしかに、意識は殆どなかった。だが……」


 悲痛なイリスの叫びを受けて、カイは父を斬った左手に視線を落とす。

 正気を失っていた。狂気に陥っていた。だが、本能が相手を強者と認識していた。

 だから、命を賭けて全力を尽くした。


 あの剣に勝つために、全てを捨てた。


「今でもこの手に感触が残っている。肉を斬り、骨を断ち、魂まで届いたあの感触が……」


 忘れてなどいなかった。自分はあの瞬間にひと振りの剣として“完成”した。

 最も大切だった者を斬ったが故に、他に斬れない者はもういない。

 カイとて木石ではない。父を殺したことは悔いている。悲しんでいる。それは確かだ。

 しかし、誰よりも強いと信じていた者を己が手で斬ったことに、剣士として歓喜していることもまた事実であった。



「……カイ、俺ははじめてお前の悲しみを知った」


 ふと、それまで黙って話を聞いていたクルスが口を開いた。

 堪え切れず、蒼い瞳からは透明な滴が零れている。


「何故、お前が泣く?」

「お前が流せない分だ。だが――」


 歯を噛み、袖で拭えば涙は既に止まっている。

 残ったのは悲しげな、しかし、憐れむことのないまっすぐな視線。


「辛くても、悲しくても、それでもお前に生きて欲しい。それは許されないのか?」

「……いつか、お前のことも斬ってしまうかもしれない」

「ならば、誓おう!」


 何かをふっ切ったようなクルスの目には、声には力がある。

 雨が止んだ後に差しこむ太陽はかくの如く眩ゆい。


「“そのとき”に、お前が斬りたくないなら、斬りたくないのに止まれないなら、俺がお前を止める。俺の全存在を賭けて」

「殺すとは言わないのか?」

「舐めるな。俺が守る中にはお前も入っている」

「…………そうか」


 カイは視線を上げて、まっすぐにクルスをみた。

 迷いのない言葉が心の奥底にじんわりと沁み込んでいくのがわかる。


「お前は怖いな。だが、そうだったな」


 いつか、自分の前に立つと騎士は誓ったのだ。

 もし、自分が再び狂った時、この男ならきっと止めてくれる。そう確信できるだけの覚悟がここにある。

 ならば、クルスという騎士に出会ったこの道程にもきっと意味はあるのだろう。


「俺ももう少しだけ自分を信じてみよう」

「ああ、それでいい。……今は休め。今日ぐらいは全てを忘れてもいい筈だ」

「で、では、わたしも――」

「ソフィア、今日は自分の部屋で寝なさい」


 従者の制止に、少女は動きを止めた。

 ソフィアの行動は誰よりもカイの心を知っているからこそだ。

 はじめて会った時からカイの心を察していたソフィアは既に伝えるべき言葉を伝えている。残る想いは行動で伝えるばかりだ。


「こういう時こそ、ひとりは辛いのでは……」

「大丈夫だ、ソフィア。俺は、大丈夫」


 仲間は依存するものではなく頼るものだ。カイがそれを履き違えることはない。

 ソフィアは続く言葉を呑みこみ、そっとカイを抱きしめた。


「……辛かったら、伝えてください。言葉にしなくてもいい。そう想っていただければ、わたしはすぐにお傍に参ります」

「ああ。ありがとう」


 名残惜しそうに体温は離れ、そうして、部屋にはカイひとりが残った。



「…………」


 カイは無言で枕元に置いていた父の銀剣を手に取り、鞘を払った。

 太陽の沈んだ部屋に、曇りなき銀の刃が露わになる。刀身に触れれば金属特有の冷たさが指先を微かに震わせる。

 ここに剣の魂はない。使い手が死んだことでミスリルの刃殻の中に眠る“真なる刃”もまた喪われた。

 新たな使い手の為に打ち直されるまで、この剣は眠り続けるのだろう。

 カイは目を閉じ父の冥福を祈った。

 祈る神を持たない男にはそれしかできることがなかった。


「父さん、貴方の願ったとおり、俺は生きている。偶然だが、父さんの位階を受け継いだ。呪いも必ず打ち破る。魔力もいつかは取り戻す」


 この一年で色々な人に出会った。

 歌姫に会った。人の喜びを歌う純粋な歌を聞いた。

 筋を通す傭兵にも会った。彼らとはまた会う予感がする。

 妖精が仲間になった。得体の知れない神様のような者とも斬り合った。

 久しぶりに訪れたドワーフの里では長老に励まされた。

 師匠なんて呼ばれもした。柄ではないが、弟子は少しだけ貴方に似ている。

 猊下や使徒の皆とも再会した。まだ恩は返しきれていない。


 それから、この一年で大陸の色々な場所を回った。

 緑神の神樹もみた。予想を遥かに超えて大きかった。

 何年かぶりに真なる火にも行った。火は変わらずに燃えていた。

 生誕祭に出たのは何年ぶりだったか。生誕祭なのに仕事が無いのは新鮮だった。


 なにより、仲間が出来た。大事な仲間だ。俺にはもったいないくらいだ。

 だから――


「――父さん、貴方を斬った俺に生きる価値はありますか?」


 記憶の中の父は何も言わない。

 だから、ここに誓う。その時が来るまで懸命に生きると。

 いつか原初の海で再会した時に胸を張って報告できるように。


 その日、カイ・イズルハは二十年ぶりに泣いた。

 忘れていた涙の流し方を仲間達が思い出させてくれたのだ。

 枯れたと思っていた透明な雫は尽きることなく、悲しみを癒すように流れ続けた。



 ◇



 そうして、再び朝が訪れた。誰の上にも平等に太陽は昇る。

 辛くても悲しくても未来はやってくる。



「おはよー」


 部屋を出ると、屋敷の侍女に混じって働くイリスがこちらに気付いて手を挙げた。

 従者のいつも通りの様子に少しだけ安心した。心配されてばかりでは立つ瀬がない。


「丁度いいわ。正装出したからこっち来て」


 いつかと同じように従者が問答無用でこちらの手を引き、手早く着替えさせ、後ろ髪を解いて櫛を入れる。

 聞けば、今日はクルスたちの父、イオシフとの会食があるらしい。

 そういえば、前に会った時にそんな約束もした気がする。


「日頃からもう少し格好つけてもいいんじゃない? 男前がもったいないわ」


 たしかに、こうも着飾ったのはジルベスター以来だろう。

 冗談めかして言う従者も黒を基調とした正装を着ている。とはいえ、白髪をアップにして纏め、細いスラックスを履いた執事然とした姿は男装のようにもみえる。


「私? 私は護衛だから動きやすさ重視。身内だけとはいえ今日はちゃんとした場だからクルス達のお付きもするし。それとも侍女服が良かった?」


 後ろ髪を束ねていた従者が覆いかぶさるようにして目を合わせる。

 従者の髪から垂れるリボンの感触が頬をくすぐる。


「その代わりカイもお揃いだよ? 意外と似合いそうよね、カイ。顔はちょっと厳めしいけど、線は細いし化粧のノリも良さそう」


 寒気を感じてその場を去ろうとしたが、首に回された従者の腕はがっちりとこちらの動きを止めている。

 肩を外せば抜けるが、そこまでする気は流石にない。


「まだ結び終わってないから動いちゃダメ。ああ見えてイオシフ様は心配性なんだから、きちっとしたとこ見せて安心させてあげないと」


 優しい手つきと共に軽く触れ合う体からは微かに草原のようなにおいがする。

 それきり、どちらも何も言わず、数分で準備は終わった。

 暫くしたら出発だから、と背後から告げる従者が顔を寄せる気配がして、次いで、柔らかな感触がうなじに触れた。

 だが、こちらが振り向くよりも早く従者は離れ、そそくさと仕事に戻って行った。

 気を遣われたのだろう。

 暫くの間、従者の触れた首筋に微かに感触が残っているような、そんな気がした。



 ◇



 時間が少し空いた。

 出発までに日課の鍛錬を済ませておこうと中庭に出ると、既に先客がいた。


「カイか。おはよう」

「――おはよう、いい天気」


 クルスは正装の上着を脱いで剣を振っていた。忙しい中でも鍛錬を欠かさない勤勉さは青年の美徳だ。

 離れた所で見ているシオンも無表情な中に寛いだ様子が見て取れる。やはり、騎士の近くにいるのが一番落ち着くようだ。


「カイ……いや」


 騎士はこちらが背に銀剣を負っているのを見て言葉を呑みこみ、ひとつ頷いた。

 言葉にせずとも伝えるべきことは伝わったのだろう。


「折角だ。手合わせを願えないか? 最近していなかったしな」


 頷く。特に断る理由はない。剣を抜き、間合いを合わせて騎士の前に立つ。

 互いの戦意が研ぎ澄まされ、瞬間、騎士が一足で間合いに跳びこんできた。

 大きく、確かな踏み込みには弛まぬ努力が窺える。


「――ハッ!! セアッ!!」


 実直に振るわれる剣を躱し、払い、応じるように斬り込んでいく。

 騎士の反応は早く、引き戻した剣がこちらの剣を弾き返した。


 以前のように容易く切り崩せなくなったことが、自分のことではないのに誇らしい。

 追いつかれることへの焦りも何故か感じない。

 むしろ、自分に足りなかった何かが埋まっていく気すらする。

 騎士の剣には芯がある。覚悟がその身を確と立たせているのだ。

 その輝きに、悲しみに沈んでいた心のひと欠片が引き上げられていくのがわかる。


 心の高揚に応じて、振るう剣にも熱が伝わっていく。


「――ふたりとも、楽しそう」


 視界の端でシオンが柔らかに微笑んでいるのが視える。

 同時に、互いの体に暖かな力が満ちていくのを感じた。

 妖精の祝福に感謝しつつ、剣を繰ることに集中する。


 それから暫くの間、心の命ずるままに存分に剣を汲み交わした。



 ◇



「おはようございます、カイ」


 鍛錬も一通り終わり、出発まで瞑想でもしていようかと思ったとき、廊下の向こうからソフィアが顔を出した。

 少女は金の髪をいつか見た蝶の髪留めでまとめ、シンプルな淡い水色のドレスを身に纏い、顔には薄く化粧が施されている。

 苦手な父と顔を合わせることへの不安をおくびにも出していない様子は流石と言うべきか。その上で、どう声をかけるべきなのか暫し迷った。

 一方で、その様子を何と勘違いしたのか、ソフィアは俄かに慌てだした。


「昨晩はだいじょうぶでしたか? や、やっぱり十二使徒の方々と比べると私たちは力不足ですか? 彼らならあなたが辛い時に……」


 心が読めても、その心が示す先までは少女にはわからない。

 気にするな、と告げても、少女はしゅんとして俯いたままだ。

 苦笑しつつ、整えた髪を乱さないようそっと少女の頭を撫でた。


「あ……」


 言葉は往々にして嘘になる。心さえ時に己を偽る。

 だが、触れ合う温度だけは、いつでもどんな時でも確かに存在する。

 氷が溶けていくように少女の表情が柔らかなものに変わる。


「カイ、前に言いましたね。わたしはあなたになら斬られてもいい。わたしが今、生きていると実感しているのは、心を閉ざさずに生きているのは貴方のおかげです」


 ソフィアがこちらの手を取り、両手で包み込む。

 孤独を癒し、ぬくもりを分け与えるように。


「わたしも約束します」



「あなたがどんな道を生きようと、わたしは一緒にいます。どうかお傍に」



 そっと頬に触れる細い指に従い、顎をわずかに引く。

 少女が少しだけ背伸びする。甘いかおりが鼻をくすぐる。

 そうして、互いの距離は零になった。


「……ん」


 長いようで短い一瞬が終わり、二人は互いの肩が僅かに触れるいつもの距離に戻った。

 しかし、よく見ればこちらを見つめる少女の白い頬には朱が差している。

 はじめてなんです、と恥ずかしげに告白する相手に何と言うべきかは知らない。


「ところで、イリスと何かありましたか?」


 問いに、無意識に首筋に手をやったことは責められることではないだろう。


「……だいじょうぶです。イリスは口紅していませんから」


 何が大丈夫なのか分からないが、そういうことなのだろう。

 ちょっと拗ねた様子のソフィアは、しかし、一転して笑顔になった。

 彼女が心を偽ることはない。その愛は与えるものであって独占するものではないのだ。


 だから、隣に立っても恥ずかしくないようにこちらも笑おう。


「――そろそろ行くか。皆を待たせている」

「はい!!」


 差し出した手に触れる感触はどこまでも優しい。


 このぬくもりを失いたくないと、その日、カイ・イズルハは願った。




 二章:ギルド 完

あとがき、三章開始については活動報告にて。

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