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刃金の翼  作者: 山彦八里
二章:ギルド
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30話:親子刀

 カイが倒れてから一昼夜が経過した。

 侍にとっては数か月、ひょっとすれば数年ぶりのまともな睡眠だ。

 しかし、自らその安らぎを拒絶するかのように侍は跳び起きた。

 意識が覚醒するより先に転がるようにベッドを下りて、すぐ傍に立てかけられていた刀を手に取る。


「……ここは?」

「アンタの部屋よ。こんな形で役に立つとは思わなかったけどね」


 視線を巡らすカイに、ベッド横の椅子に座っていたイリスが声をかけた。

 仲間の姿を見て、カイはようやくここ数日寝泊りした部屋であることを理解した。


「大丈夫? ずっと魘されてたのよ」

「……」


 躊躇うことなくカイの間合いに入り、そっと額に触れるイリスの手は温かい。

 イリスの目の下には薄く隈が残っている。夜を徹して看ていてくれたのだろう。


「クルスとソフィアを呼んでくれ。それから銀剣を二振りとも持ってきてくれ」

「……いいの?」


 気遣わしげに従者が問いかける。カイが銀剣にトラウマを負っているのは一目瞭然だ。

 しかし、侍の視線が緩むことはなかった。

 意地っ張り、と小さく呟いた声は誰に届くこともなく大気の中に霧散した。



「カイ!! 目が覚めたんですね。よかった……」


 扉を開けると同時に胸元に飛び込んできたソフィアをカイは確と抱きとめた。

 目を微かに潤ませる少女にカイは大丈夫だと示すように頭を撫でる。

 カイが気を失っている間も、その感情は堰を切ったようにソフィアに流れ込み、大きな負担となっていた。

 優れたクレリックであり、また、本人の性格的にも看病に立候補するであろうソフィアが離れた場所で待機していたのはその為だ。


「すまない。余計な心労を負わせた」

「いいえ、余計などではありません。カイの痛みが少しでも和らぐなら、わたしは……」

「その位にしておけ、ソフィア。カイは病み上がり、とは少し違うがまだ安静が必要なのは確かだ」


 シオンを肩に乗せたクルスが妹を落ち着かせる。

 緑神の眷族であったシオンはチャクラや精神安定の術を修得している。日頃はあまり表に出ないシオンが顕現しているのもカイの容態に備えた故だ。


「クルスも、すまなかった。シオンにも礼を言う」

「お前が無事ならそれでいい」

「――どういたしまして」


 まるで親子のような揃った物言いに、カイは小さく苦笑した。

 だが、どこか壁を感じさせる侍の表情を見て、イリスは眉を顰めた。


「もしかして、何か思い出したの、カイ?」

「イリス!!」


 従者の物言いにクルスが声を荒げるが、先んじてカイがそれを制した。


「大丈夫だ、クルス。イリスもすまない。気を遣わせた」

「……なんでも一人で背負おうとしないで。私からはそれだけよ」

「そうだな。……仲間で家族なのだからな」


 腹にたまったものを吐き出すようにカイは大きく息を吐いた。

 クルス達とはまだ一年にも満たない付き合いだが、心から想われていることが伝わってくる。

 だからこそ、隠しておくわけにはいかない。

 相手は直に教皇を狙った。第一位(ネロ)は確実にこちらを巻き込む気だ。

 もうカイだけの問題ではない。


「忘れていた訳ではなかった。ただ、思い出そうとしなかっただけだ」


 忘れられるものか。この手には確かに感触が残っているのだ。

 肉体は既に結論を出している。ならば、心がいつまでもぐずっている訳にはいかない。


 カイの表情に罅が入る。現れたのは能面のような無表情。


「――あの日、俺はこの手で父を斬った」


 カイの意識は自己の内へと深く、暗く、埋没していく。

 そうして、心の奥底、癒えることのない傷を切り開いた。



 ◇



 カイ・イズルハにとって、父親であるジン・イズルハは世界そのものだった。

 物心ついた時には既に父しかいなかったが、それで十分だった。

 その大きな背中が憧れだった。ふとした時に無骨な手で頭を撫でて貰うのが何よりの誇りだった。


 ジン・イズルハは他者とは違う強さを持っていた。

 傭兵として各地を転々とする中で、ジンは必ずついた陣営を勝利させた。

 如何な窮地苦境も耐え抜き、覆し、雇い主に勝利を齎す“必勝”の剣。その名は戦場で勇名として伝わっていた。


 そんなジンに転機が訪れたのはカイが五歳の時だった。

 ジンが戦いに出ている内に、カイが留守番をしていた家を強盗が襲ったのだ。

 そして、強盗たちの押し入りを察したジンが戻った時には既に、息子の手は返り血に染まっていた。

 通常は教会で手続きを踏まねば契約は得られないが、如何な運命のいたずらか、命の危険に瀕したカイはクラスを任じられた。

 そして、若干五歳にしてサムライとなった。そうでなければ死んでいた。


 その時、息子に課せられた波乱の運命をジンは確信した。


 “戦乱の才”と後に判ざれる、戦いを呼び込む因果である。


 ジンは苦悩した。戦いに関して息子には人並みの才能しかない。それを理解していた。

 常人の身に、波乱の天命を負わせてしまった。

 この時ほど、己に戦う才能しかないことを悔いたことはなかった。戦いから離れて生きられる技能があれば、こんなことにはならなかったのではないか、と。

 しかし、戦いしか知らないジンには他に採り得る道はなかった。


 ジンは白国での仕事の時に勧誘を受けた、ある組織を訪ねることを決意した。


「息子を鍛えたいなら皇都に来い。地獄を見せてやる」


 英霊級と思しき気配を纏った美麗な男の言葉がジンの脳裡に残っていたからだ。

 あるいは、遠からずカイが天命を背負うことを予期していたのも知れない。その組織、“十二使徒”には予知の権能を持つ者がいたのだ。

 ジンに選択肢はなかった。息子を生かす為、その為に傭兵の流儀を捨て、近衛騎士となった。


 そうして、血反吐を吐くような鍛錬の日々が始まった。

 息子が少しずつ削れていくことに悲しみを感じ、それでも、天命に抗い生き延びていることを喜びながら、十数年の時が流れた。



 ◆



 本人は既に覚えていないが、二十二歳となったその日、カイは屍の山の上で朝日を迎えていた。

 夜を徹した乱戦の中、纏う黒衣は余すところなく返り血で染まった。

 そして、それは向こうで同様に血の河を作り上げたジンも同様であった。


「怪我はないか、カイ?」

「問題ない」


 親子の会話とは思えない殺伐とした会話。しかし、戦場にいる二人にとってはそれが常態だった。

 余計な呪術(モノ)に手をだして狂った盗賊たちの殲滅。

 対人に特化したカイと、傭兵経験の長いジンにとっては与し易い相手だった。


「ジョセフから風声が届いた。近くの村でも狂った者が出ている。行くぞ」

「了解」


 応答は端的に。二人は同時に走り出した。

 地を駆けるその身は馬よりも尚早い。早駆を使うジンと人極の敏捷性を持つカイに追いつける者はいない。


「冒険者も多く流入しているらしい。オレ達は先行して数を減らす」

「作戦は?」

「状況次第だ。数によっては援軍を待つ」


 風を切って走る中、ジンが拳を強く握り込む。

 その憤りは、無辜の民を巻き込んだ首謀者へ向けられたものだろう。

 カイはその感情に共感できない。

 狂ったのならば殺す。それだけの話に、何故怒りが生まれるのかわからなかった。

 聞いても理解できないだろう。それは、カイの唯一知らない父の一面、自分が生まれる前の経験に由来するものだからだ。

 父の気持ちを共有できないことが、カイは少しだけ寂しかった。



「これは……」


 暫くの間走り続けて、二人は白国辺境の村だった(・ ・ ・)場所に辿り着いた。

 今、その場は地獄に様変わりしていた。


 ――全てが、狂っていた。


 全身を呪詛に染め上げた狂気の集団が蝗か何かのように、通った場所にあるものすべてを叩き壊していた。

 正気である者など一人もいない。

 呪術を受けて目を狂の証たる真紅に染め上げ、狂気のままに他者を蹂躙する。

 おぞましさなど遥かに通り越して、ある種、滑稽なほどにその場は血と汚泥に塗れた釜の底だった。


「こんな……こんなことが許されていいのか!!」


 堪らず、ジンが激昂した。静かな、しかし、烈しい怒りがその身を震わせる。

 自分達が討つべき呪術はこういうものだと理解していた筈だった。

 それでも胸に去来する怒りと悲しみは例えようもなかった。


 一方で、カイは微かに眉を顰めたきり、何も言わずに刀に手をかけた。

 人間相手でも呪術を受けた者には銀剣を抜くことも許されているが、多数を相手取るならば取り回しの利くガーベラの方が有利だ。


「カイ、彼らは――」

「彼らはもう戻れない。なら、終わらせるのが俺達の役目だ」

「ッ!!」


 ジンの顔が苦しげに歪む。一瞬でも息子を疑った己を恥じた。

 この血で血を洗う光景に何も思う所がない筈がない。ただ、どう取り繕っても結論は変わらない。


 ――狂ったならば、斬る


 カイは役目と言った。思い出す。『呪術を狩る』、十二使徒たる己の役目だ。

 悲しんでも、憤っても、結局の所、斬る以外に手はないのだ。

 ジンが背中の長剣“無銘”を引き抜く。

 無骨な長剣が朝日を浴びて、血に染まる世界に束の間、鋼色の光を齎す。


「……呪術の核は心臓だ。首を落としても動く可能性がある。核を潰すか、四肢を断って行動不能にする」

「了解」


 心が決まれば、後は体を動かすだけ。

 そうして、二人の剣は都合百人の村人だったモノを斬り捨てた。



 ◆



「ふむ、この魔力は……噂の十二使徒だろうか。面白い」


 果たして、それは如何な運命の皮肉だろうか。

 カイ達から遠く離れた小高い丘で、漆黒のローブで顔を隠した呪術士は己が展開した地獄への闖入者を感知した。

 あるいは、男がもう少し近くに居ればカイ達もその気配を感知できたかもしれない。

 しかし、それは叶わなかった。卓越した感応力の持ち主――それこそ聖性持ちと比肩する――でなければ、遠くで佇む男の存在に気付くことはできなかっただろう。

 端的に言って、男の方が一枚上手だった。


「良く似た魔力の気質だ。親子か兄弟か」


 常ならば、男は呪術災害を起こしたらすぐに現場を去る。

 男にとって大事なのは呪術によってヒトが汚染されたという過程と、その結果として失われる命にこそある。

 故に、呪術が発動した時点でその場に自分がいる必要はないのだ。

 それが今回に限って現場に居たのは、偏に呪術災害の拡大を防ぐ邪魔者を排除する為であった。


 それは千年を超える試みの中で男が初めて採った行動だった。


「では、ひとつ踊って貰うとしよう」


 ローブの下で口元を歪ませた呪術士は懐から黒い魔力結晶を取りだした。

 大きさは掌から余るほど。おそらく元は精霊級の魔物の核。


「――いざ狂え、哀れなる生贄よ、我は対価に強大なる魂の根源を捧げん」


 詠唱と共に、男の手の中で黒い魔力結晶が砕け散る。

 同時に、澄んだ青空が俄かに暗雲に覆われていく。

 男の邪なる祈りは世界の境界を越えて、元素の世界の奥底で眠る何かに届く。



 ――禁呪・不死不知火――



 生まれるのは、ただひとつの悲劇。

 人類が生まれてからこれまで飽きるほど繰り返してきた“同族殺し”。



 ◆



「――――あ」


 先にかかったのは魔力への守りの薄いカイだった。

 銀剣の精神防壁を突破し、自己の裡へと入り込んで来る夥しい悪意を感知した。

 咄嗟に跳ね除けようとして失敗。次いで、ガーベラを己の心臓に向けた。

 心臓が呪術の核ならば、心臓がなければかからない。その当然の事実に従って、カイは最も確実な手段を選んだ。

 常のカイならば、胸に刃を突き立てるなど一瞬の内に済ませただろう。


「罠か!? カイ――」


 だが、その場にはジン・イズルハが、カイの父親がいた。

 振り向いた父親の驚きと悲しみ、そして、此方へと一心に手を伸ばす姿にカイの手が一瞬止まった。

 今日まで自分を生かしてくれた父への恩が、愛が、その手をほんの僅か止めた。


 その一瞬が明暗を分けた。


「――ギ、ガアアアアアアアッ!!」


 運命はカイを生かした。代わりに、残る全てを奪った。

 虚空に向かって吼える声はふたつ(・ ・ ・)

 父子の目が狂の証たる真紅に染まる。

 正気を失い、目の前で息をするただ一つの物体に視線を向ける。


 狂気に犯された思考が見出す結論はひとつ。視界に入る全ての命を刈り取ること。

 その定めに従い、互いに向けて剣を振りかぶる。


「アアアアアッ!!」


 唸りを上げたカイのガーベラと、ジンの無銘が互いの首を刎ねんと奔る。

 呪術に枷を外された肉体が暴力的に躍動する。真紅に染まる視界は正気を失っている。

 それでも尚、二人の剣はそれが嘘に思えるほどに精緻であった。

 切っ先が届くのは同時、そして、回避も同時だった。

 互いに首を傾けて一閃を避ける。剣線は止まることなく翻り、再び互いの肩口に向けて袈裟切りを放つ。


 鏡映しの軌道を描く二本の剣がその軌道上で鎬を削り、火花が散った。


 威力は互角。互いの剣が擦れあって止まる。その直前、ジンは全身を隆起させて剣に更に力を込め、カイは直蹴りを放った反動で距離を取った。

 カイが離れると同時、振り下ろされた無銘が地面を深々と切り裂いた。衝撃が剣の長さ以上の亀裂を地に刻む。

 身体能力だけではない。ジンは狂気に犯されたまま、豪力による強化をその身に付加していた。

 無意識の領域にまで高めたが故の、正気すら必要としない技術であった。


 間合いが離れ、二人の動きは止まった。

 二合の斬り合いを経て、ただ攻め立てれば勝てる相手ではないと互いの本能が理解したのだ。

 たとえ、正気を失おうと二人の魂は戦士のそれだ。

 目の前の相手を斬る為に、持てる技術の粋を尽くし、鍛え抜いた戦闘本能が最適解を導き出す。

 過去の記憶から相手の手を読み、心眼を開いて動きを予測し、互いに一挙手一投足で流れを呼び込もうとする。


「――――」


 カイは狂ったままに思考する。

 間合いは相手の方が長いが、踏み込みは自分の方が速い。

 しかし、戦闘経験は相手が上、戦いにおける感性も相手が上だ。並みの手筋では打ち崩せない。相手に手を出されては十一手で詰む。

 相手は強い。このままでは負ける。


 ならば、如何するか。答えはひとつしかない。


「――ギ、ガアアアアアアッ!!」


 吼える、吼える。更に一段階深く肉体の枷を外す。

 筋肉の裂ける音が、骨の砕ける音が体内から響くが無視。

 後のことなど知らない。今この一瞬に相手を上回ることだけが全て。

 その為に、全てを捨てる。いつだって自分はそうして来たのだ。


 ――“無間”、防御を捨てた最高速度の剣、そこに勝機を見出す。


 次の瞬間、カイの姿が消えた。


 ほぼ同時、咄嗟に体を反らしたジンの肩口が切り裂かれていた。


 相対するジンは無論、それを読んでいた。

 だが、動きの起こりを見切って尚、反応が遅れた。致命を避けるのが限界だった。

 真正面から斬り掛られたにもかかわらず、相手の姿は捉えきれない。視界の端を微かに黒い道衣の裾が翻るのみ。

 地を蹴る速度が疾風ならば、振るわれる剣戟は雷鳴か。触れる者全てを切り裂き、それでも尚、悲しいほどに正確に相手の急所に襲いかかる。


 鍛え抜いた肉体の生み出す速度と、それを余すところなく殺傷力に変換する剣技。

 今、カイ・イズルハという剣は未だかつて到達したことのない領域に至っていた。


 剣と剣が擦れ合い火花を散らし、風を切る刃音と噴き散らす血の赤が二人の周囲を染め上げていく。

 頸を刎ねんと走るカイの一閃をジンの大上段からの斬り下ろしが迎撃し、弾いた勢いで放つ返しの横薙ぎがカイの胸元を切り裂いた。


「――――」


 ジンは目の前の相手が何であったかも忘れて、ただ静かに無銘を構える。

 再びカイの姿が視界から消え、死角から放たれた斬撃がジンを襲う。

 だが、同じ攻撃が通るほどジンは甘くない。

 斬撃の軌道上に差し込まれた無銘の厚い刀身が確かにガーベラの一撃を弾き返す。


 ――“無明”、自身を中心とする絶対防御領域、そこに勝機を見出す。


 意識ではなく、反応による瞬間防御。ジンの最も得意とする受け太刀の完成形。

 無間が攻勢の極みならば、無明は守勢の極致。

 高速の移動と連撃で攻め立てるカイに対し、ジンはその場から動かず、ひたすらに剣線を弾き続ける。

 幾ら斬りかかろうとも絶対に凌がれるのだ。相対する剣士にとっては恐怖でしかない。

 そして、カイの動きと動きの隙間、並の剣士ならば捉えようもないその瞬間に、


「――ッ!!」


 烈火の如き打ち込みを捻じ込む。

 攻勢の最中、身を捻って躱したカイの腕を浅く斬り裂いた。避けていなければ腕が斬り飛ばされていただろう。

 無明転じて法性。暗闇に差しこむ一筋の光こそ“必勝”の二つ名の所以である。

 それを可能にするのは、五感で捉えきれない相手の隙すら見抜く天才的な嗅覚。

 息子には受け継がれなかった、剣の才能。


 だが、高速度域に入ったカイを止めるにはその一撃は足りない。

 自ら骨肉を砕き、血霞をまき散らしながら加速していくカイに比例し、ジンは防御に割く時間が増えていく。それでも防ぎきれない斬撃が体を徐々に削っていく。


 嵐のように荒れ狂う剣閃と、巌のような鉄壁の防御。

 二人の流儀はこれ以上なく噛み合っていた。

 故に、互いに、その終わりにこそ勝機があることを本能で理解する。

 何もかもが狂気に埋没した中で、培われた戦闘技術が命を削り合う。


 戦いは続く。血が噴き出し、肉が千切れ、骨が砕けても二人は止まらない。

 周囲にあったものは悉くが余波で切り払われ、吹き飛んだ。

 今や二人の戦いを阻むものは何もない。


 そうして、何度目かの斬撃を凌がれ、カイであった何かは覚悟する。

 相手がどれだけ正確に防ごうと、反応を超える攻撃には対応しきれない。

 ならば、更に加速する。相手の反応速度すらも置き去りにする斬撃で以て斬り殺す。


 踏み込みが音を超え、振るわれる剣が防御の剣を抜いて相手の肉を削ぎ落していく。



 無数の斬撃に晒されつつ、ジンであった何かは覚悟する。

 どれだけ加速しようとも、相手は攻撃の瞬間そこにいることに変わりはない。

 ならば、流れを断つ。相手が攻撃に移る一瞬に後の先を取って切り崩す。


 死角から迫る剣を打ち払い、急所に突き込まれる無数の剣先を弾き返す。

 そうして、二人は再び拮抗状態に戻った。


「――――」

「――――」


 既に呼吸すらも止めて、二人の剣が無数に交差する。

 カイが全身を断裂させながら更に加速していく。魂の命ずるままに縦横無尽に振るわれる剣が徐々に相手の命へと迫る。


 ジンがその身を削りつつも防御領域を確保していく。既に反射反応ですら捉えきれない相手を、歴戦の勘と生まれ持った感性で凌いでいく。


 かつてのカイが超えられなかった十一合目を遥かに越え、親子の剣戟は続く。



 そして、定められた終わりを迎える。



「――斬刃一刀」



 全てを賭けた祝詞。狂気の中にあってさえ、その言葉は純粋さを秘めて地獄に響く。

 斬り続け、加速し続けたカイの速度が最高速を迎える。

 つまりは、切り札たる心技の発動条件を満たした。

 絶叫する心に従い、肉体と刀がひとつとなり、体の奥底から魂を振り絞る。


 一直線に踏み込む速度が人極を超える。

 振り下ろす一閃は限界すら彼方に追いやった神速の領域。



 ――心技・アメノハバキリ――



 その一閃こそ竜種の頭蓋すら斬り裂く“必斬”の剣。己が魂の証。

 武と技によって成る神代のキセキ。八首を諸共に斬り落とす古の神剣。

 この一刀に断てぬ者はないと信仰する。透徹された一念が狂気さえも沈黙させる。

 意識が白熱し、無我の境地で振り抜くガーベラに己の全てを注ぎ込む。



「――魂魄一閃」



 しかし、ジンもまたここで無為に終わる剣士ではない。

 “相手の連撃を凌いだ”ことで心技の発動条件を満たしたのだ。

 男の研ぎ澄まされた本能が相手の一刀が振り抜かれる一瞬に勝機を見出す。


 それは相手の動きの“間”を衝く己の特性を運命干渉の域まで高めた因果反転の剣。

 武と技によって成る、人間に許された極限の奇跡の結晶。



 ――心技・イツノオハバリ――



 迎え撃つ一閃こそあらゆる存在に打ち勝つことを確定させる“必勝”の剣。

 相手の避け得ぬ瞬間を嗅ぎ取り、防ぎ得ぬ一撃を打ち込む天稟の剣。

 子殺しの逸話を持つ神代のキセキ。断てぬものなきもうひとつの絶対。


 ――そして、彼らが親子であることを証明する魂の相似形。


 心技たるその理に従い、真円を描く無銘が真っ直ぐにカイの胸元へと打ち込まれる。


「――――ッ!!」

「――――ッ!!」


 音さえも置き去りにした世界の中で、魂を露わにして二人は激突した。

 剣がぶつかり奏でる澄んだ高音、瞼に焼きつく眩い閃光。

 刀身は既に視覚で捉えられる速度域にはない。

 予測に追いついた神域で、互いの心眼だけが触れ合う剣を知覚する。


 そして、互いの心技が砕けるさまを視た。


 必斬と必勝。

 全てを断ち切る剣同士がぶつかったのなら双方が砕けるのは必定だった。


 限界を超えた力の激突に、カイの腕があらぬ方向へ折れ曲がり、ジンの砕けた指から無銘が離れ、吹き飛んだ。

 心技は互角。それは魂の領域で二人が同位となったことを示す。

 才の有無を乗り越え、この段に至って遂に子は親に追いついた。


 ――親子が並び立つ時が、今この瞬間に訪れたことこそ、あるいはこの先の未来を決した因果であったのかもしれない。


「ッ!!」


 互いに片腕を犠牲に、吹き飛ばされても尚、勝敗は決していない。どちらも生きているからだ。

 そして、続く判断は親子であることを証明するかのように、まったく同時。

 決着の予感を胸に、互いに背の銀剣を引き抜き――



 躊躇なく、全力で斬りつけた。





 果たして、その結果をどう捉えるべきであったのか。

 “相討ち”を本質とするカイの本領が発揮されたのか、ジンの年齢による僅かな衰えが枷となったのか。

 あるいは、子に対する愛情が腕を鈍らせたのか。


 まったく同時であった筈の剣はしかし、子の剣のみが振り抜かれていた。



「…………え?」


 ぴちゃり、と噴き出した赤黒い血がカイの両腕を染め上げる。


 ひとつの命が終わる。潰える。露と消えていく。

 それは、その場に自分以外の生命がなくなったということであり、呪術が停止する条件である。

 その無慈悲な法則に従い、狂気はなりを潜め、カイは正気を取り戻した。


「父、さん……?」


 呆然と呟く声には力がない。

 咄嗟に引き抜いた銀剣はその刀身の半ばまでを血に濡らしていた。

 見れば、ジンの体は袈裟がけに切り裂かれている。心臓、肺、脊髄、複数の急所を通した紛うことなき必殺の一撃。

 己の手と技が為した、生まれてから今までの中で最高の一撃であった。


「ゴホ……ッ」

「父さん!?」


 ジンが血を吐き、傷口から零れるのと合わせて足元に赤い水溜りを作る。

 カイは剣を捨てて父の体を支えるが、頭の中の冷静な部分が手遅れだと判断していた。

 触れた体は急速に体温を失いつつあり、その魂も散逸が始まっている。


「……下手人を追え、カイ。近くに、いる、筈だ」

「ッ!?」


 だからこそ、ジンが言葉を発せたのは奇跡以外の何物でもなかった。


「すまない、オレは、少し休ませてもらう」

「なら、せめて、最期を――」


「――甘えるな、カイ・イズルハ!! 役目を果たせ!! 天命を超えろ!!」


 ならば、奇跡を超えて息子を一喝する父の姿を何と言うべきか。

 子を想う親の執念、その一言では言い表せないほどにジンの姿は気高かった。

 肉体は死に、魂は消えかけても、親としての責務がその体を駆動させていた。


「……了、解」

「そうだ。それでいい。それでこそ……オレの自慢の息子だ」


 背を向け、己の二剣を鞘に納めたカイの肩が震える。

 役目を果たした自分は、しかし、一番大切な人を斬った。

 嬉しいのに、やっと認めて貰えたのに、これ以上なく悲しかった。


 振り向かず、歯を噛み締め、カイはがむしゃらに駆ける。

 悲しみがその身を苛むが、その走りは力強い。これが父親に見せる最後の姿であるならば、無様な姿を見せるわけにはいかなかった。





 息子が駆け去るのを見送り、ジンは大きく息を吐こうとして、既に呼吸が止まっていることに気付いた。

 心中で感嘆の息を吐く。

 その身に受けた一刀こそ人の極み。

 息子が血の滲む鍛錬の果てに身に付けた武の確かな証明であった。


 ――悔いは、無論ある。


 息子の手を汚させてしまったこと、これから更に成長する姿を見れぬこと、数えだせばきりがない。


(だが、これでいい。アイツに伝えるべきことは全て伝えた)


 脳裡を今までの半生がよぎるが、そのどれもに息子の姿があった。

 人生を賭けた甲斐があったと、今なら言える。


「お前は空を翔けよ……オレは原初の海に還る」


 いつか、水平線のように遥か先の未来でふたつは交わる。


「――いざ、さらば」


 その日まで、暫しの別れを。


 それが戦場に在り続けた男の最期の言葉だった。



 ◆



「ふむ、反応がひとつ消えた、か」


 火花のようにぶつかり合っていた気配のひとつが消えたことを呪術士は知覚した。

 彼にしては珍しく己の凶行の終わりを見届ける心算であった。

 それは魔力を通じて伝わってきた感情を味わいたいが故であった。


 正気に戻っても尚残る、狂おしい程の怒り、悲しみ、憎悪。

 呪術によって植え付けたそれとは根本から異なる純粋な感情の発露は、呪術士も久しく感じていなかったものだ。


「とはいえ、長く留まり過ぎたか――?」


 ふと、男は視線の先に、一本の剣が地に刺さっているのを見つけた。

 先程の戦闘の余波で飛んで来たものだろうか。その無骨な作りの長剣に男は微かに覚えがあった。


「この剣は私達の時代のものか。まだ残っていたとは」


 男は半ば気まぐれでその剣をローブの内に収納した。

 今となっては詮なきことだが、それでも自分たちの作ったものを人間(・ ・)に使われるのは些か屈辱だった。


「では、残りを片付けるか。――大気に満ちる無限の熱素よ」


 男の手にはいつの間にか杖が握られていた。

 詠唱に従い、二匹の蛇が互いの尾を食む禍々しい意匠に魔力が充填される。


「――集い、燃やし、偽りの翼を溶かし尽くせ」


 構築されるのは本来、男には使えない筈の高位炎熱魔法。

 ウィザードでない男は、しかし、杖に内包された魂を消費し、奇跡を顕現させる。

 使い潰される魂こそがウィザードだった者たちであるが、鋳潰した他者の魂に何か想うような者ならば、元よりそのような機能の杖を作ることはないだろう。


「――昇華せよ、プロミネンスブレイズ」


 そうして、夥しい犠牲の下に詠唱が完成し、天より極大の炎が墜ちた。

 村のあった場所を中心に、莫大な熱量と衝撃が全てを焼き尽くしていく。

 周囲一帯、影すら消し飛ばし、後には、灰すら残らないほどの大火力。


 男の元まで届いた熱風が纏う漆黒のローブを飄々と揺らす。


「ふむ、後始末はこんなもので――」


「――シャアアアアアッ!!」


 瞬間、爆炎を突っ切って奔る閃光が男の頸を斬り落とした。


 数瞬して、左手でガーベラを振り抜いたカイが地面に二条の轍を曳きながら着地した。

 視線は首のない男に向けて油断なく向けている。


 確かに斬った。頸を落とした。なのに、命に届いた感触がない。

 対人戦闘に特化したカイは己の感覚を信じた。

 体中の筋肉が断裂し、感情が振り切れた状態であっても、身に付けた技術は裏切らない。父の命を代価にそれは証明されている。


「おかしいな。何で君は正気に戻っているんだ?」


 そして、侍の感覚は正しかった。

 地面に転がった首が不思議そうな声を上げる。

 カイはトドメを刺そうとして、首のない体の放った雷撃魔法に出鼻をくじかれた。


「禁呪が不完全なのか。……そうか。君、トドメをささなかったのか。つまらないな」


 首が何もない空間にふわりと浮きあがり、次いで、空中を浮遊して体の元に戻った。

 上下が正しい位置に来ると同時、断面が痕も残らず接合する。人形の首を嵌めるような、どこか無機質な光景。

 切り裂いたフードさえも再生し、やはり男の表情は窺えない。


「なんで殺さなかったんだい? 慈悲で正気は奪ってあげただろう?」

「……何?」


 それでも尚、声に含まれる嘲りの色をカイは確かに感じた。


「その手で同族を斬ったんだろう? 全力を尽くしたんだろう? なのに、トドメを刺さないなんて片手落ちもいい所じゃないか」

「キサマァアアア――――ッ!!」


 カイが再び斬り――かかろうとして、足が動かず、無為に地面を転がった。

 そして、気付く。足だけではない。体全体に力が入らない。魂の一部を失った、そんな感覚が壮絶な倦怠感と共にその身を襲った。


「おやおや、どうしたのかな? ……いや、これは肉体が呪術を抑え込んでいるのか。不完全とはいえ、【神】の呪いに只人が対抗するか。面白い事例だ」


 ローブの奥で感心したように男が告げる。

 長い年月を生きる男でも、この現象を直に見たのは僅か二度(・ ・)だけだった。


「サンプルに持ち帰りたいが、ふむ、心臓だけでいいか。あとはこれといって見るべき所はない」


 そう言って、男はカイの積み重ねてきた全てを否定するかのように杖を振り上げた。

 回避しようとカイがもがくが、体は機能を停止したように反応を返さない。


「それでは、さようなら」

「――させん」


 刹那、男の背後から胸前へと一本の腕が貫いた。

 一切の反応を許さぬ完璧な奇襲。篭手を纏った腕は正確に男の心臓を握り潰している。

 男の背後で空間がじわりと滲む。影を踏むような距離には、帽子で顔を隠した十二使徒のジョセフがいた。


「退くぞ、カイ」

「ジョセフ!! しかし、こいつはジンを、父さんを!!」


 ジョセフは答えず、カイの胸ぐらを掴むと大きく後ろに跳んだ。

 殆ど同時に、直前まで二人の居た位置を巨大な炎柱が発生した。


「まだ潜んでいたか、十二使徒。ホントに十二人だけかい、君ら?」


 心臓を握り潰されたというのに呪術士の様子に変化はない。傷口もいつの間にか塞がっている。

 鬱陶しそうな口調と共に杖を構え、次の魔法を装填する。

 しかし、炎柱の消えた先にカイとジョセフはいなかった。

 呪術士は即座に広域探知を発動するが、二人の気配は杳として知れない。


「隠し身? 他者を引き込める錬度となると私では見つけられないか」


 サンプルを逃した落胆からか、男は小さくため息をついた。

 しかし、すぐに調子を戻すと何処かへと転移を開始した。


 さらなる悲劇を生み出す為に、邪悪は蠢動を続ける。

 積み重ねた怨嗟の響きが天に届く、その日まで。



 ◆



 それからは語るべきことはない。

 カイは呪術によって能力の大半を失った。十二使徒としての最低基準を下回った。

 しかし、使徒は基本的に終身制である。

 老化と違い再起の目がある以上、簡単に切る訳にもいかない。

 ひとまずは任務失敗の責任を取る形で騎士位の剥奪と放逐が決定した。

 それでも、銀剣の所持は許されていた。最大限の譲歩と言っていいだろう。


 それらの通達をカイは黙って受け取った。

 焼け跡から回収されたジンの銀剣の前で一晩過ごした後は、数少ない所有物を処分してその日の内に使徒の本拠地を去った。


 行く宛などない。適当に戦場を放浪する。その程度の目的しかなかった。

 あるいは、それを見越していたのだろう。

 ふと、どこからか繋がれた風声がカイの耳に届いた。


「ルベリア学園を知っているな? 学長に貴様を紹介しておいた。ひとまずはそこで己を取り戻すといい」

「……」


 他にアテが無い以上、カイにはネロの言に従う以外の道はなかった。

 侍はガーベラを佩き、銀剣を背負って歩き出した。

 見送りもなく、剣と外套以外は全て捨てた。

 他には何もない。必要とはどうしても思えなかった。

 思えば、自分は父親を殺しても涙さえ流していない。

 尤も、それは遥か昔に使わなくなった機能なのだが。


 ――だが、それは、なんと空虚なことか。


「……それでも」


 カイは顔を上げる。道は遥かに続いている。目的地はまだ見えない。

 それでも、まだ自分は生きている。腕は動く。剣は触れる。



 一番大事であった人を斬ったこの剣にはもう斬れない者はない。



 ならば、この道の果てを目指そう。その死を無為にしない為に。

 この身は既に刃金なれば、いつか全てを断ちきる剣にも届く。


 その為にも、今は進む――目指すはルベリア学園。

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