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刃金の翼  作者: 山彦八里
二章:ギルド
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23話:過去からの客人

 カイが森でイアルと再会を果たした頃。

 突然の攻撃によって爆発した馬車を脱し、やや離れた位置にクルス達は着地した。


「わざと外されたみたいね」

「そのようだな。ソフィア、離れるなよ」

「はい」


 即座に陣形を組んで警戒を露わにしつつ、クルス達は互いの思考が同じ結論に至ったことを確認する。

 先の一撃、魔法の一種だと考えられるが、当てようと思えば馬車の中のクルス達に直撃させることも出来た。それだけの錬度を感じさせる攻撃だった。


「勿論、この程度でどうにかなるとは思っていない」


 答えはすぐ近くから発せられた。

 はっと三人の視線が向く。


 そこにいたのは一人の少女だった。

 年の頃は十五歳程度だろうか。容貌は整っているが、まだどこか幼さを感じさせる。

 だが、ブルネットの髪と同色のマントを纏い、身長に迫る長さの矛を構える姿は感じる幼さとは対照的なまでに堂に入っている。


 何より、その細腰に差しているのはカイが持つのと同じ“銀の剣”。それが少女の身分をこれ以上なく表していた。


「“十二使徒”!?」

「そのくらいは知らされているのか」


 驚きと共に紡がれたクルスの言葉に少女は意外そうな顔をして言葉を返した。


「私は十二使徒の第八位、ソーニャ・ワン。貴方達に決闘を申し込む!!」


 改めて顔を引き締め、声と共にソーニャは矛を振る。

 軽やかに舞う矛の軌跡に従って魔力の残光が曳かれていく。その武器が矛であると同時に杖であることが窺える。


「故を聞いてもいいか?」


 クルスが代表して尋ねる。

 使徒は同時に白国の正式な近衛騎士でもある。ならば、“決闘”もまた正式なものだ。

 決闘は名誉と命を賭ける。軽々しく舌に載せていい言葉ではない。


 問われたソーニャの顔がひと際厳しいものになる。


「貴方達“アルカンシェル”が第十位、カイ・イズルハにふさわしいか、我が武によってそれを問う!!」


 敢然とされた宣言は少女が本気である証だ。

 決闘の故を明らかにしたならば、もう後戻りはできない。


「使徒に停滞は許されない。貴方達がカイの足枷となるなら、私が斬る」

「カイが鈍ったって言いたいの?」

「それは第六位が確かめる。私が知りたいのは貴方達のことだ」


 イリスの問いにもソーニャは揺るがない。

 その心を示して、矛の切っ先もクルス達に向けたまま微動だにしない。


「兄さ……カイは英霊を斬る定めを負っている。騎士位を廃されても使徒であることに変わりはない。そして、ひとたび使徒となれば、その者の道行はもう他者とは相容れない」


 ソーニャの目にひと際力がこもる。

 それは力持つ者の宿命だ。安穏とは生きられない定めだ。

 己の道を行く者は多くの荷を捨てることになる。その為に、多くの可能性を切り捨てることになる。


「だけど、共に進むことはできる。行く先は違えど共に研鑽を積むことはできる」


 暗にお前たちはカイと共に歩めるのか、とソーニャは問う。

 魔力を帯びた真っ直ぐな瞳がクルス達を射抜く。


「それは使徒の、教皇猊下の意か?」

「いいえ。私の独断だ。だから、貴方達は受けなくてもいい。……逃げてもいい」

「下手な挑発ね。いいわ。乗って――」

「イリス、わたしがやります」


 従者の言を遮り、それまで黙っていたソフィアが静かに進み出た。


「ソフィア? 一人じゃ厳しいわよ。相手はどう見ても……」

「だいじょうぶです、イリス。相手が英雄級でも負けるつもりはありません」


 ソフィアの目は魔力を受けて蒼い光を放っている。読心によってソーニャの心をいくらか知ったのだろう。


「……わかった。行って来い」

「気をつけてね」

「ありがとうございます、兄さん、イリス。いってきます」


 二人に微笑を返し、ソフィアはソーニャと対峙する。

 褐色の髪をなびかせ、笑えば愛らしいのであろう美麗な少女も今は戦意を滾らせている。必死すぎる表情は見ていて痛々しいほどだ。

 だからこそ、ソフィアの心にもその想いが伝わって来た。


「あなたはカイが好きなのですね」

「な!? ……この魔力の流れは読心か。人の心を読んだくらいで分かった気になるな!」


 一瞬動揺したソーニャが怒りも露わに敵手に矛を向ける。

 その鋭い切っ先を見ながらも、ソフィアは静かに頷いた。


「そうですね。少し読み取ったくらいで理解できるほど人の気持ちは安くありません。あなたのその気持は尊い」


 けれど、とソフィアは続ける。

 少女の蒼い瞳には既に、相対する使徒にも劣らない意志の光が灯っている。


「それでも、わたしはカイと共にいたい。たとえ、あなたの気持ちを否定することになっても。だから、負けられません」

「……いいだろう」


 ふわりとソーニャの身が浮いたかと思うと、その身が背後に大きく跳んだ。

 身体能力によるものではない。しかし、傍から見ているクルス達にはいつ術式が行使されたのかわからなかった。

 少女は十分に距離を取って着地する。

 その時には、ソフィアも転移によってソーニャの十メートルほど手前に移動していた。


「――来い!!」

「ソフィア・F・ヴェルジオン、参ります」


 宣言と同時に二人は互いに矛と杖を向け合い、高らかに詠唱を開始した。


「――暗雲満たす豪放なる雷霆よ」

「――大気に溢れる無尽の凍気よ」


 漏れた魔力の余波だけでも既に並のウィザードに匹敵する程の大出力。

 膨大な魔力が世界を震わせ、元素の世界から引きずり出された奇跡がここに発現する。


「――怒れ、ヴォルテックシュート!!」

「――氷結せよ、フリーズバイト」


 天から落ちる雷撃を無数の氷の牙が迎撃し、轟音と共に相殺した。

 離れて見ていたクルス達も思わず身構えるほどの威力。

 放たれたのは中位詠唱。しかし、威力はどちらもその枠を超えている。


 激突の余波が大気を切り裂かんばかりに震わせる中、ソーニャとソフィアは互いを見つめて目を瞠っていた。


「この威力は……」「この感じは……」


 それは対峙した時点で気付いてもおかしくなかったことだ。

 二人はどちらも通常ならば有り得ないほどの魔力と感応力を有している。


「あなたは」「わたしと同じ」


『――聖性持ち』


 二人の声が唱和する。その言葉は確信として互いの胸の内に渦巻いた。


 沈黙が二人の間を支配する。

 次手も構えず、ソーニャは俯き、褐色の前髪に視線が隠れた。


「……何で」


 ぽつりと呟かれたのは押し殺された想いの発露。

 瞬く間に噴火する火山のような凝縮された熱だ。


「何で、あなたは良くて私は駄目なの!? おんなじ“人外”のクセに!!」

「――――」


 次の瞬間、ソーニャの感情が爆発した。同族嫌悪と家族を奪われたことへの怒りが相まった強烈な情だ。

 ソフィアは生まれて初めて本気の怒りと憎しみを向けられ、その想いの強さに一瞬意識を持っていかれた。

 その隙を逃さずソーニャが飛び出し、斬り込む。


 同じ聖性持ちが相手では通常の魔法では決着がつかない。

 故に、攻める。攻めて、攻めて、攻め続ける。カイ仕込みの攻性戦術だ。

 そして、ソーニャのクラスは魔法剣士(フェンサー)。遠近共にこなせる万能者である。


「――“詠唱省略”、怒れ、ヴォルテックシュート!!」

「ッ!?」


 突き込まれる矛の穂先から再度、雷撃が放たれる。

 詠唱という過程の省かれたそれは、ソフィアの予想より圧倒的に早く到達した。

 咄嗟に障壁形成を停止、術式を転移に書き換えてソフィアは空間を跳躍する。


 空中を雷撃が走り、その後を視界外から逆風に振り上げた石突きが薙ぎ払った。

 ギリギリのタイミングでソフィアは転移に成功。その姿が霞み、八メートルほど離れた場所に出現する。


(これがフェンサー。それも詠唱省略持ちですか。厄介、です)


 仮に、障壁で雷撃を受け止めていたら、その後の矛の一撃に打たれていただろう。

 ウィザードの行使する障壁はナイトのそれとは比べ物にならない程、脆い。

 発動までに時間差のある魔法を詠唱省略で早め、間合いの広い矛で彼我の距離を支配し、同時攻撃を敢行する。

 ソーニャの戦術は単純だが、それ故に防ぐのが困難であろう。


「読心に、術式の改変。その独創性と感応力があなたの聖性のカタチか」

「わたしも詠唱省略は初めて視ました。……再現は難しそうですね」


 開いた間合いを埋めるように二人は言葉を交わす。

 神に愛されし者、“聖性持ち”の才能の発現の仕方は千差万別だ。過去には大量の魔力を与えられたが魔法の詠唱はできない、などという者もいた。

 その中で、ソフィアの聖性は主に感応力と精神力、すなわち魔法の威力に表れている。読心と広域殲滅型の心技がその代表例だろう。

 対して、複数の魔法の並列制御と詠唱を省略する構成力がソーニャの聖性の発現だ。


 両者の優劣は簡単には付けられない。

 一撃の威力ならばソフィアが上だ。読心による先読みの利点もある。

 しかし、小回りが利くのはソーニャだ。詠唱という工程が省け、しかもそれを連発できるのだ。中距離はおろか近接の間合いですら彼女は魔法を行使できる。


 敢えて言うなら、この場で有利なのはソーニャだ。

 それを理解しているからこそ、間髪入れずソーニャは再度突撃をかける。

 相手が何であれ、もう攻め手を緩めるつもりはなかった。


「――撃ち抜け、“五連”、エアロブリッド!!」

「――障壁、展開」


 矛の切っ先に魔力が収束し、風の弾丸が断続的に射出される。

 ソフィアが左手を掲げて形成した障壁を、鉄鎧をも貫く威力を孕んだ風弾が連続して襲いかかる。


「――氷結せよ、アイスニードル」


 風弾に削られる障壁をなんとか維持しつつ、反撃とばかりに蓮杖から放たれるのは得意の氷結魔法。

 針と名がつくが、全長は既に突撃槍のような長さとなった一撃が風弾の弾幕を突き破って飛翔する。


「強い。でも、遅い。それじゃ私には当たらない」


 目の前に飛んで来た氷のランスに対し、ソーニャは前に踏み込みつつ身を捻り、瞬間的な加速で回避した。

 空を切る氷柱。その時には既に少女の身は既にソフィアを矛の間合いに収めている。

 その段になって、ソフィアは敵手のカラクリに気付いた。

 これは、戦士技能の早駆(ダッシュ)だ。

 ただでさえ詠唱が短い身体強化を“詠唱省略”で更に短縮しているのだ。


「――シッ!!」


 どこかカイに似た動きでソーニャが矛を一閃させる。

 狙いは首元。咄嗟にソフィアが退く。が、互いの敏捷に差があり過ぎる。

 鋭く真円を描いた一撃が、後退に遅れた蓮杖を少女の手から斬り飛ばした。

 蓮を象った杖の上部が陽の光を浴びてクルクルと宙を舞う。


「兄さんの仲間は私だけでいい。兄さんの剣すら受けられない人達が仲間面するな!!

 ――怒れ、“三連”、サンダーボルト!!」


 続いて、烈しい戦意と共に放たれた三条の雷線をソフィアは両手で形成した魔法障壁で防御する。

 杖を破壊されたのは痛い。

 集中を助け、詠唱を補助する杖なしでは魔法術式の精度は著しく低下する。

 このままでは押し切られる、とソフィアは予感した。

 敵手はあのカイが指導したのだ。流れを掴んだ今、みすみす勝機を逃がすようなことはしないだろう。


 しかし、敗北の予感を前にしても、ソフィアの意志は挫けない。

 蒼の瞳は高まる魔力の波動に呼応して、煌々とした輝きを深めていく。


「たしかに、まだカイの仲間として不足かもしれない。それでも、わたしたちはカイの仲間です。命を預け合った仲間です。そう足らんと決意しています」


 無数の魔法を全力の障壁で凌ぎながら、ソフィアは理解した。

 ウィザードの錬度はこちらが勝っているが、戦闘経験は明らかに向こうが上だ。

 故に、心で負ければこの相手には勝てない。


「カイは嬉しい時に笑うことも、悲しい時に泣くこともできません」

「知ってる。兄さんは仲間の為にしか笑わない――笑えない」


 魔法の弾幕の合間に矛を叩き込みつつ、ソーニャが応える。


 刀は己の意志で振るう。刃は己の心で振るう。

 だが、決して己の為(・ ・ ・)に振るわれることはない。

 あらゆる武器が使い手の意に反しないが如く。

 己を刃金と定義したが故に、その身は常に誰かの為に在る。感情でさえ例外ではない。


「兄さんは、使徒の中でも随一の対人戦に特化した剣だ。暴走した仲間を誅する為に鍛えられた」

「それは……」

「心を読めても理解はできないだろう。兄さんがどんな気持ちで、尊敬していた父を、師達を斬る為に剣を鍛えたか!!」


 認めている。尊敬している。だからこそ“その時”に備える。

 いつか訪れる破滅の時に、迷わぬように、長引かせぬように、確実な死を。

 それがどれ程辛い道であったのか、ソフィアには想像もつかなかった。


 だが、同時に心のどこかで納得した。

 だからこそ、カイの剣はああも優しいのだ。


「障壁、解除」

「……負けを認めた、という訳ではないな」

「はい。これがわたしの本気です」


 冷気が集まり、ソフィアの手の中に氷の杖が形成される。

 その場凌ぎに過ぎないが、これから行使する術式にはどうしても必要だった。


「“魔力解放”」


 覚悟を秘めた声に応じて、一人の人間から放出されたとは考えられないほどの莫大な魔力がソフィアの周囲を舞い踊る。

 ソフィアは魂の中に貯められている魔力の全てを外部に放出した。溢れ出た魔力は詠唱を待たず、既に凍りつかんばかりの冷気を放っている。

 咄嗟にソーニャは退いた。でなければ、吹きつける冷気に動きを取られていた。


「――大気に溢れる無尽の凍気よ」

 「――天の星河を越えしオオワシよ」


 そうして、ソフィアの口から二重(・ ・)に詠唱が紡がれる。

 いかなる御技か、音程の違う二つの声音が小さな口から同時に発せられる。


 相対するソーニャは知らない。

 ソフィアはかつて魔力のないカイに対して二重詠唱の『視覚共有』を単独で成功させている。

 それが魔力を用いて可能なことならば、この世に少女にできないことはない。


「――雪風に舞う精霊の許しを得て、我が前に力を示せ」

 「――無空の宙にてその羽ばたきを示し、雄々しく飛翔せよ」


「ひとりで二重詠唱!? 無茶苦茶だ!!」


 驚愕しつつもソーニャが雷撃魔法を連続して放つ。

 だが、ソフィアは自己の魔法抵抗力に任せて防御を放棄した。

 襲い掛かる無数の雷撃にローブが千切れ、その下の柔肌に裂傷が走る。

 それでも詠唱は止まらず、最後の一節が謳われ、二つの詠唱はひとつになる。


「――氷結せよ、“単独二重詠唱”、ダイアモンドダスト・アクイラ」


 そうして、有り得べからざる奇跡が現世に顕現する。

 ざあ、と小波のような音を立ててソフィアの背に展開するのは一片十メートル近い長さを誇る二対四翼の“氷の翼”。

 水晶のような輝きを放ち、人の腕ほどもある氷の槍が無数に連なって四翼を形成する。


 かつて、仲間の死を基点に発動させたオオワシの切り札を、少女は有り余る才覚で再現してみせた。

 その上で自らに合うように改良を施された奇跡は、元の術式とはかけ離れた極大の威力を秘めている。


 少女が手に持つ氷の杖が輝きを発し、展開した全ての“羽”の切っ先が敵手へと向く。

 ソーニャは知らず固唾を呑んだ。発せられる魔力の気配だけで頬を伝う汗が凍りつくのを知覚する。


「――貫け(スラスト)


 そして、短い号令に従って、無数の氷槍が射出、驟雨の如く辺り一面に降り注いだ。


 ソーニャもまた回避機動を取りつつ、連続して魔法を放つが、迎撃が間に合わない。

 威力と数、そして制圧力に差があり過ぎて相殺しきれないのだ。


 風を切って飛来した氷槍の内、ソーニャに当たらなかった物は先端を地面に埋め、周囲一帯に凍結の波動を迸らせる。

 放たれる撃槍は十を超え、瞬く間に百二十を数えた。

 そうして、全ての“羽”を撃ち尽くした時には、辺り一帯は氷原に様変わりしていた。


「あ、ぐ……」


 そんな中、ソーニャは矛を支えにして辛うじて立っていた。

 無傷ではない。防具は砕け、マントは跡形もなく、避けきれなかった両足と左腕が氷に覆われている。

 それでも、その目は光を失っていない。

 残る右手一本で回転させて構えた矛には十分な戦意が――この段に至っては殺意と言い換えてもいい――乗っている。


 だが、相対するソフィアにはその奥にある感情まで伝わって来た。

 感じるのは痛々しいほどの怒り。だが、それは向ける先を見失った迷い子の感情だ。


「何であなた達なの? 兄さんが一番辛いときに……何で!?」


 押し殺すように紡がれたのは悔悟の情。


 “何故、共にいるのが自分でないのか”


 悲しいほどに鋭い刃が感応力を通じてソフィアの胸に突き刺さる。


「おじ様が死んで、兄さんまでいなくなって、私は――!!」


 そして、悲鳴のような想いは敵手に対しては高純度の殺意と化して放たれる。


「――“詠唱省略”、“八連”、怒れ、ヴォルテックシュート!!」


 魔力を振り絞って天に顕現するは、巨大な剣にも似た八本の雷撃。

 心技を除けば、これがソーニャの全力だ。

 聖性持ちの底なしの筈の魔力がごっそりと減ったのを自覚する。二度はできない。


「私は、負けない!!」

「――連弾、ダイアモンドダスト・アクイラ」


 応じて、ソフィアもまた切り札をきる。

 “連続詠唱”、人外の感応力が発現させた、ひとつの詠唱で二度目の行使を可能とする高位技能。それは魔法でさえあれば、二重詠唱にも適用される。

 この一撃においてのみ、ソフィアの速度はソーニャに追いつく。


「いっけええええ!!」

「――貫け(スラスト)


 宙に展開した氷の翼が再び射出され、雷撃の剣を迎撃する。

 轟音と共に落ちる雷撃が凍りつきながら氷翼の槍を噛み砕く。

 凍結の波動が、雷撃の発する熱量で溶かされる。

 相食む二つの奇跡は威力の差と数の差が相殺された。


 無数の魔法の激突で雲が散り、束の間、青空が開けた。


 そして、天地が割れるのではないかという衝撃を残し、人外の魔法の応酬が終わる。

 互いに杖と矛を構えたまま、二人は静止していた。

 連続して強力な魔法を行使したことで精神に大きな負荷がかかっているのだ。


 だが、ここに形成は逆転した。

 負傷は同程度、しかし、現時点で有利なのはソフィアだ。ソーニャにはもう残存魔力が殆どない。

 対して、ソフィアはまだ余裕がある。元より、大規模戦を得意とするソフィアだ。魔力量の管理は徹底していた。


 局地戦に特化している自分では長期戦は分が悪い。

 荒い息を吐きつつ、ソーニャはこのままでは負けると理解した。


「私は――」


 敗北が脳裏をよぎった瞬間、無意識にソーニャの手は腰の“銀の剣”にかかっていた。

 本能が告げていた。まだ魔力が残っている内に抜かなければ、勝ち目はないと。


 ソーニャの動きに応じてソフィアも無言で氷の杖を構え直す。

 やるしかない、とソーニャは決死の覚悟を決めた。

 残る魔力を振り絞り、銀剣へと注ぎ込む。


「真に輝け、至高なりし――」

「――そこまでだ」


 しかし、剣が抜かれるより僅かに早く、突風と共にソーニャの喉元にピタリと白刃が突き付けられていた。


「……え?」

「動くな」


 一瞬前にはいなかった筈のカイが、いつの間にか一刀を手に隣に立っていた。

 ソーニャの顔が喜色に染まる。首元に突き付けられた刃には目もくれていない。


「兄さ――」

「お前が人間相手にソレを抜くことは許されていない」


 後輩の声を遮って、カイが厳かに続ける。

 目には微かな怒り。摂理に違反した使徒を斬るのはカイの役目だ。


 状況を思い出したソーニャは寂しそうに肩を落として戦闘態勢を解いた。

 合わせて、カイも首元から刃を外す。鞘に納めると共に溜息を一つ。

 そのまま己の外套を外し、纏うローブが千切れかかって、所々から素肌が見えているソフィアに投げ渡す。


「手前勝手だが、勝負はここまでだ。ソフィア、すまなかった」

「お気になさらないでください。とても勉強になりました。機会があればまたお相手してください、ソーニャさん」

「あ、はい」


 さっきまで半ば殺し合っていたとは思えないソフィアの朗らかな笑みに、毒気を抜かれたソーニャは反射的に頷いてしまった。



「やっぱり、その娘が前に言ってた妹みたいな後輩?」

「ああ」


 決闘はひとまず終わったとみて、イリスが近付き口を開く。

 妹という部分に反応したソーニャがぱっと顔を上げる。

 侍は自分のことを忘れたわけではない。それが分かっただけでも少女にとっては救いだった。


「兄、さん……」

「兄はやめろと言った筈だ」

「け、けど……」


 戦闘中と打って変わってオロオロとするソーニャをみて、クルスは苦笑した。

 まるで昔のソフィアを見ているようだった。


「積もる話もあるだろう。俺達は先に戻っている」

「馬車の修理もあるもんねー」

「それでは、また」


 クルスたちはソフィアを連れて馬車の元へと戻って行った。



 ◇



 二人きりになると同時にソーニャの雰囲気は一変した。

 先程までの鋭い戦意は失せ、ちらちらとカイを見て、声をかけようとしては口を閉じるのを繰り返している。

 年相応の、それこそ町娘のような様相だ。


 そうして、縋るようなソーニャの瞳に、しかし、カイは首を横に振った。


「十二使徒に情は不要だと教えただろう」

「で、でも、兄さん!!」

「……お前が家族であることに変わりはない」

「なら、あのソフィアって娘と私、どっちが大事なの?」

「――俺にその問いは無意味だ。忘れたのか?」


 嫉妬からつい漏れてしまった問いへの答えは、少女が予想していた通りのものだった。


 愛している。大事に想っている。家族に対する情はカイも持ち合わせている。


 ――だが、斬れる(・ ・ ・)


 慈悲なく、葛藤なく、斬る段になって迷いはしない。

 故に、その愛がどれだけ深くとも意味はない。

 首を刎ねれば、全てが同じ価値に帰するのだ。


「……そこは変わっていて欲しかった」


 そう言って、ちょこんとカイの道衣の袖を掴む少女の姿は、かつて違法オークションに賭けられていた時から変わっていないように思えた。

 侍にはそれが、少しだけ悲しかった。


 暫くそのままで静止していた二人だが、踏ん切りがついたのか、ソーニャは掴んでいた袖を離した。

 表情は泣き笑い。笑顔で別れたかったのだが、今はそれすら難しい。


「バイバイ、兄さん」

「ああ、ソーニャ、またな」

「え? あ……」


 何気なく告げられた再会の願い。今、ソーニャが最も欲していた言葉。

 それは、かつてのカイにはなかったものだ。


「うん!! またね、兄さん。――大好き!」

「そうか。だが、第七位、懲罰役(ジョセフ)には伝えておく」

「ええ!?」


 一瞬前の感動が吹き飛び、ソーニャの顔が真っ青になる。

 第七位“顔無”は諜報の他に他位の使徒の懲罰を担っている。アレに比べれば拷問さえも生温い、とは後輩の弁だ。


「力の濫用、感情の暴走、銀剣の無断解放未遂。再教育されてこい」

「兄さんのバカ!! 鈍感!! 全自動首刈り機!!」

「達者でな」

「死刑宣告にしか聞こえないよ!!」


 口の端を微かに曲げたカイは軽くソーニャの頭を叩き、クルス達の元に戻って行った。



「……兄さん」


 遠ざかる背をじっと見送るソーニャの隣には、いつの間にか老人がいた。


「追いかけなくていいのか?」

「いいんです、義父さ……って、その傷!?」


 老人の道衣は袈裟がけに切り裂かれ、その下の肉体にも鋭い裂傷が走っている。

 しかし、傍目には致命傷の筈なのに、血の一滴も流れていない不可思議な傷だ。


「これは兄さんの……でも、何これ、血が出ていない?」

「お前も精進しろ、ソーニャ。カイは段階を一つ上げた」


 遠くを見る老人の視線に混じるのは期待。

 肉体に融合した精霊を斬られたことで、拳聖の心技は不発に終わった。しかし、悔いはない。

 カイが至ったのは人極の技。それは、侍の剣が元素の世界に届いた証左に他ならない。

 今のカイならば、魔力を斬り、元素の世界より響く音を断つことも可能だろう。

 そして、もしも、その技を極めたのなら、あるいは、現世とは別次元、彼岸の世界の最奥に座す“神”にすらその刃を届かせることが出来るかもしれない。


 イアルは知っていた。

 そこに行き着いた者は――“神殺し”と、そう呼ばれることを。

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