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刃金の翼  作者: 山彦八里
二章:ギルド
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21.5話:家族

 ――冷たい檻の中。それが私の原初の記憶。


「さあ、本日最後の商品です!! ここまで静観されていた皆さまもどうぞ奮ってご参加ください!!」


 照明の絞られた空間に甲高い司会の声が響く。

 私はそれを聞きながら、爛れている、とそんな感想を抱いた。

 檻の中から窺える先にはそう表現するしかない醜悪な光景が広がっていた。


 豪奢な椅子に腰かけ、絢爛豪華な宝石で飾り立てた貴族や富豪たち。

 同じ人とは思えないほどに肥え太った彼らは家畜を品定めするような目つきで私を見下ろしていた。


コレ(・ ・)は若干六歳で既にウィザードとして契約した聖性持ちです。希少性はご理解いただけるでしょう!!」


 司会の姿は檻に遮られて此処からは見えないが、その興奮した気配は魔力を通して感じられた。続けて微かなどよめきも聞こえてくる。吐きそうだった。

 コレ、というのは私だ。檻に入れられて、低俗な貴族たちの悪趣味な競りにかけられている。幼い頭でもそれは理解できた。

 魔法を使わせないようにギリギリまで食事は減らされ、杖になりそうなものは檻の中や手の届く範囲にはない。

 出来るだけ価値を高めようと顔色の悪さを化粧で誤魔化され、仕立ての良いドレスを着せられているが、扱いはむしろ兵器のそれだろう。


コレ(・ ・)はまだ何も知りません。自分好みに染め上げることが出来ます!!」


 嘘だ。口元を固く閉ざしながら、私は心中で毒づいた。


 私は既に絶望を知っている。


 私は生まれつき魔法が使えた。村の近くに出る魔物は一瞬で焼き殺す力があった。

 ただ、その為に村から追い出された。随分と高値(・ ・)で売れたらしい。

 恐れとお金。どちらが主目的であったかはわからない。

 もう、私を売った両親の顔さえ思いだせない。微かに思い出せるのは自分が連れていかれる時に見せた、村の者たちの安堵した表情だけだ。


「金貨五十!! 素晴らしい!! さあ、積み上がった金貨の塔に挑まれる勇者はおられませんかっ!?」


 自分はこれからどうなるのだろうか。

 魔法が使える影響か、私は六歳という年齢の割に自分がしっかりしていることを自覚していた。

 だからこそ、思い描いた暗澹たる未来に絶望していた。良くて奴隷、悪くて兵器。そんなことしか思い浮かばなかった。


 心の中をドロドロとした黒い感情が覆い尽くす。

 何が神だ、英雄だ。神様も、王子様も、英雄も助けに来てくれない。

 何に祈っても結果は変わらない。

 既に記憶も薄れた過去、ベッドの中で聞いた古の英雄譚はおとぎ話も過ぎなかったのだ。現実には何の意味もなかった。


「さあ、さあ!! 誰か、誰かおられませんか!!」


 司会の振り切れたような声から決着が近いことに気付くが、心は石のように固いまま。

 こんなことなら自分は生まれてこなければよかったのだ。そうすればこんな絶望を知ることもなかった。

 だが、それすら叶わぬならばいっそ――――



「――狂い咲け、“菊一文字”」



 自分か、あるいは他の誰かか。

 その時願った死は誰に対するものだったのか、私は今でも思い出せない。


 薄暗い会場に夥しい鮮血がまき散らされた。

 無数の肥え太った首が飛び、床に敷き詰められた絨毯を赤黒い血が染め変えていく。

 ヒトの血は意外と黒いんだなと、目の前の惨状に対して私はそんなことを想った。


 ぐるりと一周した剣線、払われた血が真円を描く中心には、ひとりの男の子がいた。

 十五歳くらいだろうか。薄暗い照明の下、小柄な体と黒髪黒目の顔立ちからは正確な年齢は分からない。

 背には抜かぬままの銀の剣。細身の体に纏った黒と藍で斑になった道衣はさらに返り血に染まり、手に持つ一刀は怜悧な美しさを詳らかにしている。


「――――」


 殺しに来た。八つ裂きに来た。首を刎ねに来た。


 沈黙したまま、ゆるりと肩口に持ち上げられた名刀の冴えが、何にもましてその意思を表しているよう。

 そのまま男の子は踏み出し、次の瞬間には取り囲んだ貴族の護衛達の首が飛んでいた。

 監視の時に手練だと自慢気に語っていた傭兵達は誰も反応出来なかった。

 男の子は無言で剣を振るう。剣線の数だけ、鮮血と肉片が辺りに舞う。


 しゃべるまいと閉じていた口から、ああ、と思わず声が漏れた。

 勇者も、王子様も英雄も来なかったけど、死神なら来てくれた。


 おぼろげな記憶の中で、この時のことだけは鮮明に覚えている。

 私はきっと、この刹那に【死】に魅せられたのだ。



 ◇



「なんだお前はっ!? 我々が誰か知っていての狼藉か!!」


 一番初めに声を上げたのは、奇しくも檻の中の少女を競り落とした貴族の男だった。

 でっぷりと太った腹を揺らしながら、怒気も露わに闖入者を糾弾する。


「ワシのイニシャルは“D”、その意味を知らぬ訳ではあるまい!」

「……」


 この期に及んで自分が殺されると思っていない物言いをするあたり、ある意味、この貴族は大物だろう。

 少年は答えず、その目は恐ろしい程に冷え切っていたが、その一方で、起伏の乏しい表情は不思議と何かを待っているようにもみえた。


「口の利き方も知らぬのか、小僧!! そもそも――」



「白国は慈愛を司る白神の“色”を受け継いだ国ではなかったのか。貴き者よ、恥を知れ」



 さらに声を張り上げる男に対して、ステージ脇の暗がりから静かな怒気の籠った応えが返った。

 皆の視線が向いた先、灯火の下に進み出たのは背に銀と鋼の二刀を背負い、コート状の軽鎧を纏った大柄な剣士だった。

 光に照らされた顔には歴戦を思わせる無数の刀傷。背中で括った黒髪と落ち着いた黒目は少年とよく似ている。

 そして、足元には無数の死体。今の今まで誰も気付かなかったのがおかしい程に夥しい血が撒き散らされている。


「――ジン(・ ・)


 自らの父を名で呼ぶ少年。父親も反論しない。戦場で情を交わす意味も、これから殺す相手の前でわざわざ親子であることを明かす理由もない。


「奥に繋がれていた奴隷は全て保護した。あとは、この場の始末だけだ」

「き、貴様らは一体何だ!? 一体どこの――」


 男の声は突如響いた岩を砕くような轟音によって遮られた。

 カイとジンを除く皆が油の切れた歯車のようにぎしりと首を巡らせる。次の瞬間、視線の先で固く閉ざされていた会場の入り口が轟音と共に弾け飛んだ。

 オーク材に鉄板を仕込んだ重い扉が、皆の頭上を紙か何かのようにくるくると舞い飛ぶ。その様子を生き残った貴族たちは口をあんぐりと開けて見送った。


「――“十二使徒”」


 開け放った入口から悠然と進み出た、少年と揃いの道衣を着て、同じように背に銀剣を背負った老人が厳かに告げる。

 照明を微かに反射する白髪、白髭に反し、袖から覗く腕は明らかに鍛えられた戦士のそれ。片手には護衛に配置されていた傭兵を数人まとめて引き摺っている。

 外見は老齢なれど、発する威圧感は心臓が竦み上がるほど。故に、誰もが見ずとも強制的に理解させられた。今、この老人は素手で扉を殴り飛ばしたのだ。


「テメエッ!!」


 仲間を助けようと生き残った傭兵達が果敢に老人に向けて大挙するが、突き込まれる無数の剣槍を老人は羽虫でも払うかのように片手で打ち払った。

 老人が纏う気の鎧は既にミスリルに迫るほど強固なものだ。そして、それは同時に強烈な武器でもある。


「――風精よ、力をお貸しください」


 返す刀で老人は腰を落とし、簡潔な祝詞と共に何もない空間に向けて掌底を放った。


「――透剄・風伯」


 次の瞬間、巫術によって精霊の権能が込められた衝撃波が会場中に鳴り響いた。

 伝播した力の波をまともに食らった傭兵達は吹き飛ばされ、離れた場所にいた貴族達も衝撃に耳から血を噴いて倒れた。


「未熟」


 残心をとりつつ、老人が倒れた傭兵達を簡潔に断じる。気合や怒りで超えられる実力差でなかったのは明白だろう。

 実際、会場の中心辺りにいるカイは無傷だ。今の衝撃波を“斬った”のだ。その背後の檻の中の少女も無事なのは偶然ではない。

 ジンもまた如何にしてか防いでおり、まったくの無傷だ。

 

 だが、本来、単体に対し鎧を無視して肉体内部を破壊する技である“透剄”が、数十人規模に効果を及ぼすことのできる範囲攻撃に昇華されたというのは端的に言って異常である。

 才能以上に、その域まで精霊の権能を引き出すには人間をやめなければならない。


 そして、この老人はそういう領域にいる存在だ。実際、年齢も優に百を超えている。

 詰まる所、どう転んでも傭兵たちに勝機はなかった。


「外は済んだか、イアル翁」

「ああ。残るは首魁のみ」


 剣士と老人は手短に言い交わし、視線を一人残った、否、残した“D”の貴族に戻す。


「十二使徒!? 教皇直属部隊が何でこんな所に!? 貴様等は対災、対魔部隊ではなかったのか!? なぜ、ワシが狙われる!?」

「理由? 理由は――“遊び”だ」

「な、なにィッ!?」


 押し殺した剣士の声に、貴族は状況も忘れて顔を真っ赤にして激怒した。

 命を弄んでいいのは貴族(ジブン)たちだ。お前たちではない。倒錯した自意識が束の間、死を警告する本能を超えた。


「遊び? 遊びだと!? 貴様らは戯れにワシらの命を奪うのか!?」

「いいや。遊んだのはお前(・ ・)の方だ」

「ッ!?」


 貴族が言葉に詰まり、会場を沈黙が支配する。剣士の言葉に思い当たる節があったのは一目瞭然だ。

 そうして、顔色を赤から青へと変える貴族の男を睥睨しつつジンは言葉を続ける。


「覚えがないとは言わせないぞ。怪しげな魔法陣の上、多数の奴隷を最後の一人になるまで殺し合わせる儀式。執り行ったのは貴様だ」

「そんな!? 配下の者から聞いた唯の趣向だ!! 本気じゃなかった!!」

「その配下とやらが誰か思い出せるか?」

「え? いや、それは……あれ? 何で思い出せない!? な、何で!?」


 貴族の男が脂汗を流しながら狼狽する。そんなことだろうとジンは顔には出さず心中で己の予想を肯定した。

 ただ奴隷を殺し合わせるだけでは飽きた(・ ・ ・)。満足できない。だから、趣向を変えて呪術のような雰囲気を出してみた。その程度の認識だった筈だ。

 まさか、教えられたそれが本物の呪術だったとは露とも思わなかっただろう。


 しかし、だからといって、人の命を弄んだ輩を生かしておく理由にはならない。


「し、知らなかったんだ!! 本当だ!! 助けてくれ!!」

「駄目だ。殺す」

「何でもする。どんな償いでもする!!」

「無駄だ。使い潰された者たちの魂はもう跡形もない。“原初の海”に還ることすらできない。永遠に消え去った」

「ち、ちがう!! 嫌だ!! 助けてくれ。タスケ――」


「――黙れ。徒に命を弄んだ責、その身に受けろ」


 背から引き抜きざまに打ち下ろされた長剣の一撃は、懇願する男を一刀両断した。

 確実に、躊躇なく、一撃。男には痛みを感じる間もなかった。その一点においてのみ、ジンの剣は慈悲深かった。




「これで任務は完了か」


 ジンはどこか粘つく血を振り払い、無骨な長剣を背の鞘に納める。その剣は無銘だが、大業物に匹敵する切れ味と長剣の割に取り回しに優れる点が気に入って、ジンは長く愛用している。

 十二使徒として下賜された銀の剣は効果が特殊で、端的に言って継戦能力に欠ける。そのため、使徒の全員が別に武器を持っている。ジンは長剣、カイは刀、イアルは拳がそれにあたる。


「カイ、そちらの子を出してやれ」

「了解」


 応えたカイが即座に檻の前面を斬り落とした。鋼鉄製の檻もカイとガーベラの前では飴細工に等しい。

 斬鉄を容易く為した息子の姿にジンは、うむ、と満足げに頷いた。


「ガーベラは馴染んでいるようだな。今度は壊すなよ。大業物は数打ち兼定のように代えがある訳ではない」

「ああ。これならそう簡単に折れない」

「いやいや、折るなと言っているんだ。大事にしろ」

「大事にしても折れる時は折れる。それが武器の定めだ」


「そして、武器が失われれば残るのは肉体だけだ。ゆめ忘れるな」

「師父」


 周囲の掃討を終えて戻って来た老人――イアル・ワンが言葉少なに侍を肯定する。

 サムライとモンクというカイ・イズルハの両輪の片側、モンクの技術を教える師に頷きを返す。二人とも頓に無口な性質だが、意思の疎通は足りている。


「それで、この娘はどうする?」


 助けるように指示したジンに向き直り、カイが問いかける。

 カイとイアルで向かう任務にジンは自ら参加を願い出た。商品として売られていた奴隷の解放の為だ。

 息子とは対照的に、ジンには弱者に対する情が厚い。元傭兵らしくないその気質の原因は誰も聞いていないが、察してはいた。

 己の妻、カイの母親について固く口を閉ざしているのも同様の理由なのだろう。



「そうだな……」


 ツテのある孤児院に、と口に出そうとして、ふと、ジンは自分を見上げる息子に視線を向けた。

 無表情に見返す視線は無垢だが、温度がない。

 師達が教える以上に、自ら剣に道にのめり込んでいる息子を誇らしく思うと同時に、一抹の不安がある。

 戦乱の才。強くなければ生き残れない。カイはそういう運命にある。

 五歳の時、押し入って来た強盗を殺した時から、もう十年近く経つ。


 この子は強くなった。今戦えば、おそらくは相討ちになる。その域に至っている。

 だが、弱さを知らぬ者は、いつかその強さを陰らせることになる。それは十二使徒では教えようがないものだ。ジンはそう考えた。


「お前ならどうする、カイ?」

「……」


 戦うことしか知らない自分の許に、戦うことでしか生きられない子供を授かったのは必定だったのか。答えはまだ出ていない。

 問いを返されて見るからに嫌そうな顔をするカイに対して、ジンは口元に笑みを浮かべたままその肩を叩いた。


「たまには頭なりなんなり使ってみるといい」

「……了解」


 カイは渋々といった風に視線を檻に戻す。檻は斬ったのに少女はその場から動こうとしない。目を瞠ったまま硬直している。

 どうするべきかカイは迷った。ちらりと横目で見れば、イアルも父も黙って立っている。自分でどうにかしろ、ということなのだろう。


(脅して泣かれるのは面倒……泣いていない?)


 周囲にはカイ達を見て卒倒し、失禁した者もいるというのに、大した胆力だろう。

 この檻の中で、しかし、少女は誰にも負けなかった。それは褒められるべきことだ。


「ふむ……」


 しばらく考えたカイは父がするように少女の頭を軽く撫でた。他のコミュニケーション方法を知らなかったからだ。

 無骨な手によって、くすんだブルネットの髪が静かに揺れる。


「よく頑張った」

「あ……」


 じわり、と少女の目が潤む。カイの平坦な声に、しかし、固まっていた少女の心は再び動き始めた。

 少女はカイの胸に顔をうずめて泣いた。枯れたと思っていた涙は尽きることなく、止まらなかった。



 ◇



 行く宛のなかった私は十二使徒を目指すことにした。


 幸い、この身には聖性という形でウィザードの才能がある。何もない所から目指すよりは可能性があった。

 再出発にあたって、新たにソーニャ・ワンという名前も貰った。もう顔も思い出せない両親の付けられた名前は捨てることにした。

 あの時、助けてくれた使徒のひとり、第六位“イアル・ワン”――イアルさんが私の義父となった。年齢的には曾祖父と孫と言ってもいいくらいだけど。

 本来ならジンおじさんが義父になるのが自然だったのだけど、限りなく零に近い未来であっても希望を残しておきたくて、そこだけは無理を言った。義兄妹では可能性すら残らない。


 近衛騎士を目指す傍ら、先に師事していた男の子と一緒に使徒の皆さんから修業を付けて貰える事になった。師の中にはカイ兄さんやジンおじさんもいた。

 嬉しかったけど、修業の日々はとても辛かった。

 はじめは痛みと疲労と緊張で夜も眠れない日々が続いた。何度も魔力が枯渇して、「あ、コレ死んだ」と思ったことも二度や三度じゃなかった。

 装備なしで――さすがに服は勘弁してもらった――遺跡に放りこまれたり、いきなり魔獣級の前に転移で放りこまれたこともあった。

 我ながら、よく生き残れたと思う。


「修業というのは生死の限界を見極めることが肝要だ。如何に致死量ギリギリまで毒を呷るか、そういう類のものだ。……我は元から強いからしないがな」


 そう言って、ものすごくいい笑顔で無理難題をふっかけてくる第一位のネロさんには何度殺意が湧いたことか。

 けれど、辛かったけど、私は確かに生きていた。どんなに辛くてもあの檻の中よりはマシだった。


 それに、修業の場にはいつもカイ兄さんがいた。私はそれだけで頑張れた。

 兄さんが教える側に回ることもあったけど、人に教えた経験がないからか、「できるまでやれ」とか「体で覚えろ」とか、それ何も教えてないよっていう状況が長く続いた。

 なまじ自分が鍛錬で身に付けたから、やってるうちに覚えるだろうみたいな所が兄さんにはあった。


 けど、文句を言おうとは思わなかった。

 兄さんは使徒の誰よりも長く、誰よりも辛い訓練を自己に課していた。私は兄さんが眠った所を見たことがない。記憶にあるのは刀を振っている背中ばかりだ。

 その傷だらけの背を見ていると、私も頑張らないとって思えた。口では不満ばかり言っていた兄弟子もなんだかんだで兄さんのことは慕っていた。


 それでも、ひとつだけ不満があった。


「兄さん」


 そう呼ぶ度にカイ兄さんは苦い顔をする。

 暫くしてその意味を理解した。

 十二使徒に情は不要。実の父すら名で呼び、情を抑えていた。誰よりも父を尊敬していた兄さんにとって、それがどれほど辛いことか私にもわからない。

 カイ兄さんは“役目”故にそういった振る舞いを自らに課していた。いつか、他の使徒を斬る時の為に、自己を削って削って限界まで研ぎ澄ましていた。

 私は心を隠した。そうしなければ兄さんから遠ざけられると思ったのだ。




 三年が経った。

 私は近衛騎士の試験に合格すると同時に十二使徒への就任が決まった。兄さんの最年少記録を超えたのはちょっとした自慢だ。

 位階は十位。実力による繰り上がりのある使徒の中ではほぼ最下位だ。

 それでも構わなかった。やっと兄さんの役に立てる日が来たのだ。その為に私は強くなったのだから。


 それからは戦いばかりの日々で血を見ない日はなかったけど、私は幸せだった。

 英雄を目指す者は皆孤独になる。

 いつか、義父さんがそう言っていたのを思い出した。

 強い力は恐れを呼ぶ。だから、私たちのような存在は人の間では生きられない。戦場にしか居場所がない。

 でも、はじめからそうだったのだから、特に嘆くことはなかった。



 ――けれど、そんな日々も長くは続かなかった。



 ある日、任務から帰ってくると、私の位階が二つ上がっていた。

 いなくなったのは兄代わりだった人とその父親。何があったかは訊かずともわかった。


 私は再び家族を喪った。


 何もかもが色褪せて見えた。私だけじゃない。他の人もふとした時に何かが足りないと感じているように思う。

 兄さんは無口で不器用で鈍感だけど、鋼の如く、刃の如く、誰よりも鮮烈に生きていた。

 私は目標を失っていた。このままではいつかドジを踏んで死んでしまうと分かっていても、魂が熱を持とうとしなかった。


 そうして退屈な日々を続けていたら、ついこの間、報せが届いた。


『ご指南を賜りたい』


 心臓が止まったかと思った。


 兄さんが帰って来る。差出人の名前はなかったけど筆跡を見れば一目瞭然だ。間違える筈がない。

 一年六か月とんで八日ぶりの報せだというのに、その一言で済ましてしまう辺り、兄さんは変わっていないのだと確信した。

 魔力を失った兄さんが、それでも兄さんのままでいたことが泣きたくなるほどに嬉しくて、誇らしかった。


 けれど、懸念があった。


 兄さんは帰ってくるけど、“戻って”来たわけじゃない。

 指南を受けに立ち寄るだけだ。用事が終われば、また出て行ってしまう。仲間の為に、新たな家族の為に。

 ある意味、兄さんらしい。あの人は決して己の為に刀を振るわない。

 その刀は仲間の道を斬り開く為に。あるいは、道を外した家族を斬る為に振るわれる。

 “そうあれかし”と心に決めた武は折れず、曲がらず、錆びつくことはない。


 だから、私も武を以て問う。

 ――彼らがカイ・イズルハの仲間にふさわしいのか。


 今度こそ喪わせない。届かないなんて言わせない。この手で守ってみせる。

 そう決めたのだ。たとえ兄さんに斬られることになっても、私は私の道を貫く。


 それが十二使徒の第八位、ソーニャ・ワンなのだから。

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