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刃金の翼  作者: 山彦八里
二章:ギルド
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21話:ワイバーン

 夜が明けて次の日。

 リハビリがてらシオンとニッキィを両肩に乗せて水汲みに行った帰り、クルスは山々に魔物の咆哮が木霊するのを聞き付けた。

 声に混じっているのは確かな怒り。

 間違いない。橋を焼き落としたあのワイバーンだ。


「――クルス」

「ああ、近いな。血のにおいを追跡されたか?」


 亜竜種の特徴の一つに視覚と嗅覚の発達が挙げられる。

 一度相対すればそのにおいを追って数キロ先の獲物を捉え、視界に入れば高高度から正確に襲撃をかける。彼らが強敵として認識されている要因の一つだ。


 川に流されたことで一度は途切れたクルスのにおいを再び感知したことで活動を再開したのだろう。

 まだ姿こそ見えないが、シオンは気配を捉えていた。遠からず亜竜は現れる。

 自己を走査する。体は万全とはいかないが、一晩休んだことで傷は殆ど治っている。

 何より、気力は溢れんばかりに満ちている。


 戦える。騎士は己をそう断じた。


「里に戻るぞ、シオン、ニッキィ」

「う、うん……」

「掴まっていろ」


 返事もそこそこにクルスは二人を抱えて走り出した。




「長老!!」


 里に駆けこんだクルスは広場に長老を中心に里の者が集合しているのを見て取った。

 皆、どこか不安そうにしている。ワイバーンの咆哮がここまで届いたのだろう。

 膂力に優れ、武器防具の開発も得意なドワーフだが、それが戦闘能力に直結するかはまた別の話だ。

 その中で、長老は驚きもせず、落ち着いた眼差しでクルスを見ている。

 二人は互いの様子から凡その事情を悟った。


「ふむ、やはり汝の言っていたワイバーンかの?」

「理解が早くて助かります。迎え撃つのでブレスの届かない屋内に避難してください」

「では、少々手狭だが“真なる火”の元に避難しよう」

「あそこなら、たしかに。了解しました。自分の鎧はどうなりましたか?」

「其処に。丁度直った所であるよ」


 長老の指さす先、ドワーフの若者が三人がかりでクルスの盾と鎧を運んで来た。

 不朽銀(ミスリル)の鎧は完全な形に回復しているが、所々にクルスの記憶にはない金色の輝きが見える。


「これは――不壊金剛(アダマン)!?」


 鎧に触れたクルスが瞠目する。

 アダマンは赤国の一部でしか採れない最高級の金属だ。

 その並ぶ物なき最高硬度を誇る希少金属を鎧の補修と刻印術式の押印にふんだんに使っているのだ。

 最高級の金属と赤神直伝の鍛冶の腕。値段などつけようもないだろう。


「よろしいのですか、とても貴重なものでは?」


 この里に余裕があるとは思えない。

 だが、クルスの狼狽を長老は笑って吹き飛ばした。

 その手には金槌を振るった跡がある。盾と鎧を打ち鍛えた跡だ。


「我らは鍛冶の一族。その防具を見れば汝がどのような戦士か分かる。防具は嘘を吐かない。汝は良い戦士だ。立派に仲間を護って戦ってきたのだろう」


 長老の黒瞳に浮かぶのは誇りと敬意。

 鍛冶士は物を作ることはできても、その行く末を左右することはできない。


「良い戦士には良い装備がなければならん。ならば、これは始祖様の思し召しだ」

「……感謝します!!」


 クルスは盾と鎧を装着した。

 華美な装飾はなく、ただ装着者を守ることだけを考えられた防具。

 異なる金属を使ったというのに違和感はなく、アダマンの分も重さも感じない。今までなかったのが不思議なほどにしっくりとくる。

 まごうことなき匠の技だ。


(見ず知らずの自分にこれほどのものを……)


 積み重ねられた研鑽の歴史の詰まった防具。そこに込められた想いの重さをクルスは確かに感じた。


「ニッキィ、剣を渡してあげなさい」

「はい!!」

「ありがとう、ニッキィ」


 少女に手渡された長剣を腰に帯びる。これで戦闘準備は整った。

 クルスは視線を彼方に向けて気配を探る。


「――クルス」

「ああ。分かっている」


 定位置の肩に乗ったシオンに頷きを返す。

 感じる。空の向こうに一滴落とされた気配を確かに感じる。


 そして、もうひとつ。里に続く道の向こうから見知った姿が見える。

 黒ずんだ道衣の侍、白神のローブを翻す妹、皮鎧と銀の胸当てを着た従者。


 知らず、クルスの口元に笑みが浮かぶ。


「みんな無事だったか!!」

「そりゃこっちの台詞よ」

「兄さん!!」


 肩を竦めるイリスの横を抜けて、走って来た勢いのままにソフィアが兄に抱きついた。

 しっかりと抱き留めたクルスは妹の表情から、彼らがずっと自分を探していたことに気付いた。


「心配したんですからね、兄さん」

「ああ、すまない」

「シオンもよくご無事で」

「――元気、大丈夫」


 二人の返答を聞いてやっと安心したのか、ソフィアが手を離し、目尻に浮かんでいた安堵の涙を拭う。


 誰一人としてクルスが死んだとは思っていなかったのだろう。

 だからこそ、ここまで必死に探してくれた。

 その信頼が騎士は誇らしかった。


「クルス」


 すっと騎士の傍らに立つ侍はいつも通りの無表情、に見えて口の端に微かに笑みを浮かべている。

 騎士もまた頷きを返す。意思の疎通はそれだけで足りた。

 何一つ欠けることなく、ここにアルカンシェルは揃った。


「行くぞ」

「無論だ。この里は必ず守る!!」



 ◇



 空を翔けるワイバーンはその雄大さとは裏腹に憤怒に燃えていた。

 地を這う虫けらに傷つけられたその身、胸の傷はほぼ癒えているが、片目は剣が刺さったままだ。

 そこから断続的に伝わる痛みが、体躯に比べて小さな脳髄を焼き切らんばかりの怒りで満たしている。


 切り裂き、噛み砕き、焼き尽くす、必ず殺す。


 単純化された思考に体を任せ、胸の核が伝える狂気(・ ・)のままに血のにおいを追った。

 そして、見つけた。山の中腹の広場に陣取る金属を纏った虫けら。

 その姿を見た途端、残っていた僅かな理性も蒸発した。


 空中から急降下をかける。

 一度は防がれた。故に、今度は高高度から一気に――


「――散れ!!」


 声と共に地上からこちらを迎え撃つように無数の矢が放たれた。

 だが、そんな飛礫ごときに傷つけられるこの身ではない。


 故に、躊躇せずに矢の雨に飛び込んだ。


 その外皮で矢を片っ端から弾きつつ、――チカリと地上で何かが光ったのを見て、本能的に両翼を閉じた。

 続いて、翼に何かが触れた瞬間、至近距離で爆発が起こった。


 そのまま魔力を帯びた翼で続く砕片の乱撃を防ぐ。

 射手こそ見えないが、この攻撃は先日、この胸を傷つけたものだろう。しかもご丁寧に残る片目を狙っていた。

 怒りが、狂気が燃え上がり、さらに熱量を増した。


 乱撃を凌ぎ、亜竜は体勢を立て直そうと翼を開く。そこに、


「――暗雲満たす豪放なる雷霆よ」


 凍てつく氷河のような静かな声が聞こえた。

 囁くような声に反して、地上で高まる魔力はこちらの想像を絶する大きさだ。

 反射的に翼を振って急速転回する。


「――怒れ、ヴォルテックシュート」


 詠唱の完成と同時、地上を見下ろすこちらのさらに上方から巨大な雷撃が落ちた。

 直撃は避けたが、掠った翼の先が焼け落ちた。

 翼を覆う魔力が削り取られ、体勢が僅かに崩れる。


「――“連弾”、ヴォルテックシュート」


 故に、二発目は避けられなかった。

 背骨の真ん中に落ちた雷撃は莫大な熱と衝撃で以て空を舞う亜竜を撃ち抜いた。


 羽ばたきが乱れ、巨体が宙で揺らぐ。

 痛みと痺れが体を苛み、高度を維持できない。

 僅かに残る翼の魔力で落下速度を軽減するが、このままでは――


 だが、首を地上に向けた時、ワイバーンは無事な片目で確と見た。


 金属を纏う虫けらが両の足をしっかりと大地に打ちつけ、盾を構える姿。

 こちらを見上げる視線は力強い。亜竜の良く知る怯え表情など欠片もない。

 護る。防ぐ。守りきる。敵は総身で以て不退転の覚悟を示していた。


「グゥオオオオオオアアアアアッ!!」


 力の限り咆哮を上げる。

 一瞬前の思考は吹き飛んだ。虫けらの挑発に等しい姿に狂気と憤怒は振り切れた。

 空も飛べぬ身で何たる不遜か。アレだけでも必ず殺す。その意気で周囲の魔力を食い散らかし、口腔に充填させる。

 顎門を通して急速に熱が高まっていくのを感じる。


 それこそはワイバーンの絶対。


 必殺の意志を込めて、莫大な熱量を込めた炎のブレスを地上に向けて解き放った。

 天から地へと、触れるもの全てを焼き尽くす極大の火線が走る。


「――障壁、展開」


 迫る炎の奔流を前に敵は掲げた盾を覆うように半透明の障壁を展開した。

 そんなもので防げるものかと、亜竜はさらに魔力を追加する。

 ブレスの勢いが一段と大きくなる。


 ワイバーンはこれを放って負けたことはなかった。

 いつだって後に残るのは消し炭と地に焼き付いた影だけだ。

 今回もそうなる筈だと信じていた。


 だが、敵の掲げた盾に施された刻印が眩いほどの金色の輝きを放ち、障壁を硬く堅く強化していく。


 微かな焦りと共に、魔力を追加する。飛翔の為の魔力も、生命維持の為の魔力も全てなげうってブレスに込めた。


 そうして、放って、放って、放って――――遂に魔力が尽きた。


 全ての魔力を絞り尽くし、ブレスが徐々に細まり、遂に途切れた。

 空と地上を結ぶ間に、熱せられた大気の残滓だけが残る。

 ワイバーンはブレスの結果を見届けようと視線を向けて、硬直した。


 地に立つ敵は傷一つなく障壁を維持していた。

 炎の一片たりとも、敵の後ろには届いていなかった。


 己の絶対を防がれたワイバーンに僅かに動揺が走った。

 あるいはそれは虫けらと侮っていた敵に対する恐怖であったのかもしれない。


「――障壁、収束展開」


 その隙を見逃さず、敵が盾の先端を向けて半透明の杭を射出した。

 咄嗟に高度を上げようとして、魔力が足らず、翼は無為に大気を叩いた。


 次の瞬間、勢いよく放たれた杭に片翼が撃ち抜かれた。

 痛みは既に麻痺していた。ただ、狂気だけが荒れ狂わんばかりに溢れていた。

 片翼を射抜かれたまま、せめてあの敵だけでも噛み殺そうと首をもたげた。



 ――刹那、ふと、風を感じた。



 皮膚感覚などとうに失せているのに、冷たい風が魂の奥底に吹いたのを確かに感じた。


 見れば、翼に刺さった杭を伝って黒い風が迫っていた。

 狂気に支配された脳髄が、しかし一瞬後の死の予感に震えた。


 アレはまずい。その背後に確実な死が視える。本能が警鐘を鳴らしていた。

 ついぞ感じたことのない死の予感に狂気すら怯えを孕む。


 身を捩る、そんな間がある筈もなく。

 己の首を斬り裂く閃光の一閃が亜竜の最後に見た光景だった。



 ◇



「――――」


 『真なる火』を前に長老は自分の為した結果を見ていた。

 細い月の如き涼やかな鋼の一刀。

 ガーベラの愛称で呼ばれる古代より伝わる大業物は今、拵えも新たに再誕した。


 名刀は“刀気解放”を行っていないにもかかわらず、刀身に風を纏っている。

 触れる者全てを断つ無慈悲で平等な剣。技量の伴わない者が使えば、刀に引き摺られて無作為な暴力を行使してしまうだろう。

 しかし、妖刀ともいえるその在り方こそ、この刀の真の姿だ。


 鍛冶士として自分に出来る全てをこの剣に籠めた。

 声にはせずとも、一刀の鏡面の如き輝きはそれを確かに証明していた。


「これで、この剣は完全な姿になった。だが、鋭さを増した分、無駄がなくなった。それが良いか悪いかは汝が行く道で定めよ」

「それでいい。他に何が出来る訳でもない」


 長老の作業を黙って見守っていたカイは端的に告げた。

 一刀が己の一部であるなら、己の全てもまた一刀に集約される。それだけの話だと。


「汝がそう決めたのならよかろう。――それから、背の剣を出しなさい」

「これは……」

「使っていないであろう? 見れば分かる。だが、これからも使わない訳ではあるまい。汝も、その剣もまだ生きている」

「……」


 カイは無言で背の剣を鞘ごと外し、鯉口を緩めて長老の手に渡した。


「報酬は周辺の魔物の掃討と、あとは橋の修理の手伝いか」

「うむ、よろしく頼む。亜竜は一体だけだと思いたいがの」

「大陸全体で魔物は増加している。警戒はしておくべきだ」


 それだけ言って、カイは背を向けた。

 その態度に長老は眉を顰めた。

 他人が――たとえそれが作り手自身でも――剣に触れているのに侍が目を背けるなど初めてのことだ。

 かつて、この剣を打った時など三日三晩この場所に張り付き、まんじりともせずに作業風景を見ていたほどだというのに。


 その時、長老は銀剣を抜いたカイの手が微かに強張っているのに気付いた。


 触れた感触では銀剣に歪みはない。

 この剣を抜いてカイが斬り損じたことのない証だ。

 それは必然である。

 錆びれば用を成さない“武器”の力でも、心が壊れれば喪われる“才能”でもなく、修練によって身に付けた“技術”は決して使い手を裏切らない。


 たとえ、狂った(・ ・ ・)としても魂に刻みつけた武は不変だ。


 だが、それ故に、時に武は悲劇を起こす。


刀身(・ ・)を見れぬのか? 早いか遅いかの違いだぞ?」

「……」


 それでも長老は言葉を紡ぐ。作り手として使い手に告げる。

 剣は振るう為に創られる。剣士は斬る為に鍛えられる。

 その世界に踏み入った以上、停滞することは許されない。


「汝は剣士だ。その道を行く以上、より優れた剣を手にするのは必然だ」

「……まだ、その時ではない」


 振り向かず、カイはそのまま聖地を後にした。

 その背はしかし、どこか欠けているように見える。

 抜けずとも、使わずとも、その剣もまた侍の一部なのだ。




 ソフィアの転移を利用し、その日の内に資材が移送され、橋の修理が開始された。

 さすがはドワーフというべきか。専門ではない架橋工事でさえ、その技術力がいかんなく発揮されている。

 あっという間に橋が修復されていく様子をクルス達は驚きと共に眺めていた。資材を運んだきり、他に手伝えることなどなかった。


 アルカンシェルの一行は粛々と魔物の掃討に移った。

 山間にある村の周囲は自然こそ豊富だが、崖や谷間が多く足場が悪い。必然的に大型の魔物や動きの鈍い魔物は生息し難い。

 飛行種は少なからずいたが、殆どが小型であった。つまりは、ソフィアとイリスの敵ではなかった。

 探索と掃討は順調に進み、特に異常は見受けられず、だからこそワイバーンが突然現れたことの異質さが際立っていた。

 そうして、疑問を残しつつも、掃討は一昼夜で完了した。



 次の日、里の入口には里の者が総出で見送りに来ていた。

 いつの間に仲良くなったのか、イリスは食堂で給仕をしていた女性と料理の話で盛り上がり、ソフィアはシオンと共に子供たちと遊んでいる。

 ソフィアが子供好きというのは新たな発見だった。シオンも楽しんでいるのが雰囲気から伝わってくる。


「クルス!!」

「どうした、ニッキィ?」


 子供たちの群れから飛び出してきて裾をちょこんと掴む少女に、クルスは屈んで目線を合わせる。


「また、来てくれる?」

「ああ、約束する。ニッキィにもまだ恩を返し切れていないからな」

「うん!! また遊びに来てね!! カイもだよ?」

「ああ」

「約束だからね!!」

「……了解」


 微笑むクルスと仏頂面のカイに向日葵のような笑顔を返したニッキィは意気揚々とソフィア達の方に戻って行った。

 クルスは立ち上がり、子供たちを優しげな黒瞳で眺めている長老へと向き直った。


「お世話になりました。この礼は必ず、この里にふさわしい形でお返しします」

「そうかの。汝の思うようにするといい」

「はい!!」


 長老の視線は子を見守っていた時と同じ暖かな視線だ。

 クルスの青臭い物言いも頷き一つで受け容れている。

 その度量の広さは、彼らが赤神から受け継いだ中で最も尊いものなのかもしれない。


「汝も達者でな。剣はいつでも汝と共にある。それを忘れなさんな」

「……覚えておきます」


 同じ視線のままカイにかけた声には微かな心配の色が混じっていた。

 妖精すらも見通す老成した黒瞳には侍の辿る苦難の道が視えているのかもしれない。


「いつでも来るといい。汝らは良き風だ」


 火を祀っている彼らにとってその言葉は最大級の褒め言葉だ。

 火は風を受けて燃え上がる。

 風が途切れぬなら、いつか燻った火もまた熱を取り戻す。


「――――」


 カイは長老に向けて頭を下げた。今できる最大限の誠意だった。



 そうして、見送るドワーフ達に手を振り返し、一行は里を後にした。



「……」


 帰途につく途上でカイはそっと腰の刀に触れた。


『菊一文字則宗』


 真打ちたるその一刀のみに許された真名。

 己ではまだ扱えぬと封じていたそれを今、取り戻した。


 予感があった。ワイバーンの首を刎ねた時に直感した。

 己も覚悟を決めるべきだと、運命が囁いていた。

 背の銀剣が瞬いた、そんな気がした。

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