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刃金の翼  作者: 山彦八里
二章:ギルド
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19話:鍛冶

 そこは赤国の山間にある小さな村だった。

 人口は五十人を少し超える程度。家屋も数える程度しかない。

 そんな地図にすら載っていない隠れ里に、しかし、数日前から山を越えて客が訪れていた。


「フッ!!」


 村の端にある鍛冶場前の広場で、黒髪に汗を流し、銀に輝く剣を振るうのはコート状の軽鎧を纏った大柄な男だ。

 顔から首、そして袖から覗く腕にも無数の古傷の目立つその姿は歴戦の戦士であることを窺わせる。

 力強く振られる銀の剣は男の大柄な体を考慮するとやや細身だが、しっかりとした作りと刀身の“粘り”によってよく力を伝えている。


「大方、馴染んできたようだな、“必勝”の」


 一心に剣を振るう男に声をかけたのは、少し離れてベンチに座る老人だ。腰に刀、背に銀の剣を背負っている様子から、男の同僚であることが察せられる。

 白一色の髪や皺の目立つ顔から、年の頃は六十代を優に超えているように見えるが、背は真っ直ぐに伸び、全身に余すところなく分厚い筋肉の鎧を具えた姿は現役の戦士のそれだ。


「少々軽い気もするが、取り回しに不満はない。見事なものだ」


 剣を振っていた男、ジン・イズルハは一旦手を止めて老人に向き直る。

 言葉の通り、男が背に負った長剣『無銘』は手の中の銀の剣よりも拳二つ分ほど幅が広い。日頃からこの長剣を振っているならば、いくら銀剣が比重の重い金属を使っているとはいえ、軽く感じてしまうだろう。


至高白銀(オリハルコン)の芯金に不朽銀(ミスリル)の刃殻など、はじめて聞いた時は正気を疑ったものだが、成程、まるで自分の体の延長のように感じられる」

「覚えが悪いのもアレだが、お前のように教えることがないというのもつまらんな。これでも儂、一応お前等の師匠役なのだがな」

「指導には常日頃から感謝している、ゲンハ殿」


 大真面目に頭を下げるジンに対して老人、ゲンハ・ザカートは目を細めて視線の温度を下げた。


「そういう所がつまらんのだ。少しはカイを見習って師に仕事をやらんか」

「カイの覚えの悪さは、すまない」

「別に謝らんでもいいがの。あ奴は体で覚える性質なだけ。何かと比べて劣っている訳ではない」


 苦労はするがな、とゲンハは腰に佩いた刀の柄頭を叩く。

 応じて、刀が微かに水飛沫を発した。鍛冶場から漏れる熱の為に、この広場は少し暑い。


「元より剣の鍛錬は数だ。他人の倍、四倍の鍛錬をしてはじめて一人前になる。結構なことだ。羨ましいくらいよな――鍛錬すれば身に付くのだからな」


 呟くように告げたゲンハの両腕は丸太のように太く、そして黒一色に染まっている。

 褐色ではなく漆黒。人間種において有り得ない漆黒の色は老人の両肩まで染め上げている。

 その特異な両腕故にゲンハは“剣鬼”と呼ばれるだけの独自の剣と十二使徒としての地位を勝ち取った。代償に、尋常なサムライの剣を身に付けることはできなかったが。


「まあ、儂もあまりいい師とは言えんがの。師としての出来はイアルの方が上だろう」

「それでも、カイの剣の師は貴方だ。オレではない」

「ん? なんじゃ、羨ましいのか?」

「ああ。オレはいい父であるとは言えない。何か残してやりたいとは思うのだが」


 冗談めかして尋ねるゲンハにジンは即答で返した。

 男の返答に老人からもからかいの色が消える。


「……カイを使徒にすること、後悔しておるのか」

「いいや。アイツの運命は天の采配。むしろ、15歳でも遅すぎたくらいだ」

「それでも最年少の入団になるがの」

「しかし、第三位の予言が正しければ、アイツは10年以内に……死ぬ」


 ジンが苦渋を吐き出すようにして言葉にする。

 “戦乱の才”。それこそがジンがあらゆる手を尽くしてカイを十二使徒にした理由である。

 十二使徒の第三位、“先読みの魔女”は未来を読む『予知』の権能を持つ。

 予知された内容は運命という大きな流れが変わらない限りは外れることはない。代わりに、常は個人に関する事項などを細かく読むことはできないという。

 しかし、使徒に推挙されたジンがカイを連れてきたとき、珍しく魔女ははっきりと告げたのだ。


『この子は必ず戦乱に巻き込まれる。どこにいようとも必ずその場を戦場にする。そして、その中で狂い死ぬ。おそらく、25の誕生日は迎えられないわ』


 その時、まだ十歳にもなっていなかったカイには全てを教えなかったが、第三位に教えを受けている中で予知にも似た直感を身に付け、己でそれを自覚してしまった。

 その日を境にカイは変わった。

 まず、表情が消えた。笑みが消え、涙が消え、いつしか何度死のうと淡々と修練を続ける剣そのもののような存在になっていた。

 今も“聖地”で己の剣が打たれるのを微動だにせずに見つめている。完成まで三日はかかるが、何を言っても動かないだろう。


「ムシのいい話だが、“その時”に、アイツの側に仲間がいてくれればいいのだが」

「それが儂ら十二使徒であれば話が早いがのう」

「ああ。無論、オレもそう簡単に脱落する気はない。それがアイツにしてやれる数少ないことだ」

(そして、いつか、誰かと共に笑い合うことのできる日々をあの子に――)


 息子から多くを奪うことに加担した自分が口にすることはできないと思いつつも、それでもジンは願わずにはいられなかった。

 三日後、カイ・イズルハは十二使徒となった。十五歳の時だった。



 ◇



「む……」


 春の訪れを感じさせる暖かな昼下がり、ギルドハウスの自室でガーベラストレートこと『菊一文字』を分解して整備していたカイは小さく唸った。


「刀身はともかく、拵えはもう限界か」


 胡坐をかいた侍の手の中、幾度の使用で表面の削れた柄糸を見て小さく溜息を吐く。

 今の状態ではカイの全力にガーベラの拵えが耐えられないのだ。

 中でも、柄の“かかり”はサムライにとって非常に重要な要素だ。

 自身の状態は勿論のこと、柄の状態、柄糸の絞まり、あるいは爪の長さまでが剣速に僅かずつ影響してくる。

 極論、刀身さえあれば刀は機能する。柄が砕けて(なかご)を直接握って刀を振るったこともある。

 しかし、速度を身上とするカイにとってはどれひとつとして軽視してよい問題ではない。


「他も……やはりガタがきているか」


 侍の足元に並べられた鍔、切羽、目釘、鮫皮、柄頭、そのどれもに小さな傷が散見される。

 いくつかの部品は交換しながら使っているが、それでも全体として摩耗していると言う他ない。


 その中で唯一、刀身だけが折れず、曲がらず、刃は鋭く、傷一つない鏡の如き姿で鎮座している。


「刃に問題ないのは幸いか。相変わらず砥ぎ要らずだな」


 刀気解放に対応している“魂を持つ”武器には魔力を循環させることによって、ある程度なら自己修復する能力がある。

 だが、それは元に戻る“恒常性”の機能であり、それ以上にはならない。

 武器は決して“成長”することはない。

 使い手がそれ以上を求めるなら専門の鍛冶士に頼むしかない。


「……いい機会か」


 位階も多少は戻った今が換え時なのだろう。

 加えて、統率個体と呪術の関係性が浮上した今、備えはしておかなければならない。

 直感や本能ですらなく、それは呪術を受けた者としての義務である。


 結論は出た。

 カイはガーベラを組み直して鞘に納めると、静かに立ち上がった。





「では、鍛冶士(フォージャー)の元に行くのか?」


 リビングで食後の紅茶を楽しんでいたクルスは一通りカイの話を聞いて、問いを返した。


 鍛冶士(フォージャー)は主に金属鍛冶、金属細工を担い、人に鍛冶の技術を伝えたと言われる赤神ザーレストを契約神としている。

 ただ鍛冶仕事をするだけなら契約する必要もないのだが、魔力を鍛冶に利用するにはどうしてもクラスの助けが必要になる。

 特に刻印術式の押印や調整、魂を持つに至った武器の強化は専門の鍛冶士が何年も鍛錬を積まなければ手を出すことすら叶わない領域だ。

 鍛冶士の間口は広く、種族としては鉄人(ドワーフ)に適性があるが、金属を苦手とするエルフを除けば他の種族にも契約者は数多いる。それが四大国で最も鍛冶製鉄が発達した赤国ならば尚更だ。


 ちょっとした日用品や数打ちの武器程度なら街の鍛冶士に頼んでもいいのだが、そんな所にガーベラのような大業物を持ち込んでも断られるだけだ。端的に言って分野が違う。


「俺やイリスはいつも学園内の店に頼んでいる。学生相手だが腕は悪くないぞ。それか、鍛冶街もあるこの帝都なら腕利きを探すこともできるな」

「いや、近衛騎士の頃からの行きつけがある。少し遠いが」

「……そうか。それなら安心だな」


 クルスは心中の驚きを顔に出さず、ただ頷いた。


 少々意外ではあった。

 カイは騎士位を剥奪された際に背に負った銀の剣を除いて装備その他を捨てたという。

 あるいは鍛冶士も新たに探すのかと思ったのだ。


「まあ、こればかりはな」


 クルスの心中を読んだのか、カイが腰に挿した刀を軽く叩く。

 ガーベラストレートはカイの体の一部といっていい。多少気まずくても、妥協する気はない。


「一人で行くのか?」

「ふむ……そうだな。手が空いているなら皆で行こう。相手が気に入れば、他も見て貰えるかもしれない」

「では、ソフィア達にも連絡しておこう。予定は空いているから明日には出られるだろう」

「わかった」



 ◇



「……ねえ、カイ?」


 空気の澄んだ山道を歩きながら、振り返ったイリスが遂に口を開いた。


「カイ? アンタ、す・こ・し遠いって言ったわよね?」

「ああ」


 侍は淡々と足を動かしながら、短く答える。

 かなりの高さの標高まで登ってきているが、その足取りが乱れることはない。

 そんな侍の様子に従者は少し拗ねた様子を見せる。


「カイの少しってどのくらいよ?」

「歩いてあと二日ほどだ」

「どこが少しよ、ソレ!? 十分以上に遠いわよ。ここまでにもう三日かかってるのよ!!」


 声と共にイリスが両手を拡げる。

 右手側は天辺が雲の上まで伸びて見えない山々。

 左手側は遥か下まで続く崖。試しに石を投げ入れてみても底が分からなかった。


 一行の現在地は赤国南部にある大山脈の中腹だ。

 麓に着いてから既に丸一日歩き通している。


「大山脈を越える訳ではない。ここを抜ければあとは下りだ」

「疲れたのなら、お休みしましょうか?」

「ちっがーう!!」


 天然二人組に突っ込みを返そうとして力尽きたのか、イリスはがくりと肩を落とし、大きくため息を吐いた。


「はあ。不覚ね。カイの行きつけっていう時点で常識を捨ててかかるべきだったわ」

「あまり言ってやるな、イリス。たまにはこうして山歩きも悪くないだろう。自然も豊かで水や食料にも困らない。のんびり行こう」

「――景色、いい」


 シオンを肩に乗せたクルスが苦笑と共に告げる。


 たしかに周囲を見渡せば、天を衝く山々の威容と、眼下に広がる雄大な自然に思わず感嘆の吐息が零れ出る。

 それらを眺めている内に、イリスの心も徐々に落ち着いていった。

 彼女とて、“イリス・ナハト”と名乗る前は野山に住んでいたのだ。決して自然が嫌いなわけではない。


「なんか、シオンが来てからクルス余裕が出来たよね」


 そんな自然の解放感からか、ぽつりと従者が呟く。

 口元に浮かぶのは微笑。図らずも、従者の願い、クルスの心の救済は叶えられたのだ。


「そうですね。兄さんはお優しくなられました」

「そうか? 自分ではよく分からないな」


 そっとシオンの頭を撫でる姿には愛情が溢れている。

 妖精も表情こそ変わらないが、どことなく満足そうだ。


(ちょっと悔しいかな。従者なのに、主を支えられなかったのって)

(ですが、わたしたちにはできなかったことです)

(……そうね)


「どうした、二人とも?」


 クルスが首を傾げる。

 ソフィア達が小声で言い合った内容は聞こえなかったようだ。


「ないしょ、です」

「なんでもないわ。早く行きましょう」


 笑顔の二人は足取りも軽やかに、先を行くカイを追いかけた。


「はしゃぎすぎて転ぶなよ」

「わかってます!!」

「やれやれ」


 苦笑を浮かべつつ、クルスも二人の後に続いた。




「此処を超えれば後は下り。里までもうすぐだ」

「カイのもうすぐはちょっと信用できないんだけど」

「あと一日と少しだ」

「……もうつっこまないわよ」

「いや、それよりもこの橋を渡らないといけないのか?」


 一行の前には崖から崖を繋ぐ、見るからに老朽化した橋が架かっている。橋の長さは五十メートルを超えている。

 相変わらず下は底の見えない奈落だ。落ちたらどうなるか考えるまでもないだろう。


「えっと、雰囲気のある橋ですね」

「一人ずつ抱えて向こうまで跳べるが?」

「そこまでしなくてもいいか。気をつけて渡ろう」


 鎧を着こんでいる分、一番重量の重いクルスがそっと橋に足を載せる。

 ギシリ、と橋板が鳴り、橋を支える太縄が絞まる。


「大丈夫、のようだな」

「あ、ホントだ。意外としっかりした作りなのね」


 クルスに続いてイリスが軽やかに橋板を渡る。

 従者は絶妙な平衡感覚と体重を感じさせない歩みでテンポよく渡っていく。

 それに続こうとしたソフィアに対して、カイは手を差し出した。


「ソフィア、手を。ここで躓くと死ぬ」

「そんなお転婆だと思われてたんですか、わたし?」


 ソフィアが少しだけ拗ねてみせる。

 が、カイと手を繋いでいる内に表情は満足そうな笑顔に変わっていた。

 侍に悪意が無いことなど心を読むまでもなく分かっているのだ。


 手を繋いだまま、二人は風に揺られ、橋板の軋む古橋を渡っていく。


「カイが懇意にしている鍛冶士さんはどんな方なのですか?」


 ふとソフィアは隣を見上げて尋ねた。

 会えば分かることではあるが、カイの印象を聞きたかった。


「そうだな……」


 侍が脳裏に鍛冶士の姿を思い浮かべて考えているのを少女は読心によって感じながらも、侍が口に出すのを黙って待つ。

 心ではなく、言葉が聞きたいのだ。


「温和な人だ。だが、鍛冶について妥協がない。俺の知る限りで最も腕のいい鍛冶士だ」

「……カイがそこまで手放しでほめるのは珍しいですね」


 ソフィアは少しだけ嫉妬を感じた。

 カイが口に出さずとも自分たちのことを誇りに思っているのは感じているが、それでも言葉にして欲しいと最近は思えるようになったのだ。

 傍らの少女の以前にはなかった反応に侍は小さく苦笑する。


「拗ねるな、ソフィア。こればかりはお前も認めたことだ」

「すねてなんか……認めた? あ、まさか」


 カイは頷き、背中に装備した銀の剣を軽く叩く。剣は鈴の音のような澄んだ金属音で以て主に応えた。


「これから会うのは、“十二使徒”それぞれに銀剣を打った大陸でも最高峰の鍛冶士だ」

「それは……待ってください」


 会話の途中でソフィアがぴくりと反応を示した。

 突如として、広域探知に魔物の気配が掛かったのだ。


「速い――来ます」

「ッ!? 上か!!」


 ソフィアに遅れること数秒、その強大な気配を感知したクルス達の目が上空に向く。

 視線の先、青空を背景に零された黒い点が急速に大きさを増していく。


 それは本来ならば空を飛ぶことなどできない筈の巨体だった。


 だが、ソレは確かに飛んでいる。

 腕の代わりに皮膜の発達した翼で魔力を受けて羽ばたかせ、鱗のない灰色の体躯をくねらせるようにして飛翔している。

 一見すると翼の生えた蜥蜴のように見えて、しかし、その口角には鋭い牙が整然と並んでいる。

 魔獣級にして亜竜。その名は――


「“ワイバーン”だと!? こんな所で!?」


 驚き共にクルスが歯を噛む。


 飛行系の魔物というだけでも厄介なのだが、その中でも竜を模した亜竜種というのはとりわけ強敵だ。

 学園でも何度となくその危険を教えられている。

 手の届かない高さから、竜、亜竜特有のアレを使われれば――


「急げ、橋を渡るぞ!!」

「了解!!」


 クルスが指示を出す。

 幸い、まだ距離はある。平地で迎え撃てば――


「グゥオオオオオオアアアアアッ!!」


 儚い予想はワイバーンの大気を震わせるような咆哮によって断ち切られた。

 亜竜の口腔に魔力が収束していく。

 それが何を意味するのか、四人は本能的に察知した。


「跳べっ!!」


 クルスの命令に即座に反応したカイがソフィアを抱えて対岸に向けて跳躍する。

 その後にイリス、クルスと続く。連続した衝撃に橋全体が大きく揺れる。


 直後、ワイバーンの口から膨大な炎の奔流が放たれた。


 『ブレス』と呼ばれる原始魔法の一種だ。

 周囲の魔力を取り込み、自身の内部で凝縮、現象化して放たれる炎熱魔法。人間の使う術とは系統を異にする竜種独自の物だ。

 そして、死体が四散する魔物の特性からその構成を解明することはできず、ただその脅威のみが知られている。


 伝え聞く通りの膨大な炎が橋を撫で、一瞬の内に触れるもの全てを焼き尽くした。

 熱波で大気が歪み、炭化した橋の残骸が谷底へと落ちていく。


「やってくれるわね、羽付きトカゲ!!」


 ブレスを吐きながら接近してくる巨体に、空中で弓を展開したイリスが狙いを付ける。


「――消し飛べ!!」


 生成し、放たれる矢は爆裂の刃矢。

 風を切って飛んだ矢は過たず胸の中心部に突き刺さり、即座に爆破。

 衝撃と刃片に胸をズタズタに切り裂かれたワイバーンが微かに苦悶の声を上げる。


 だが、穿たれた胸から血をまき散らしながらも亜竜は突進の速度を緩めない。

 落下速度を加えて鋭い角度で迫る、その狙いは最後尾の騎士だ。


「来るわよ、クルス!!」

「――障壁、展開!!」


 咄嗟に盾を構えて障壁を展開したクルスの元に顎門を大きく開いたワイバーンの巨体がぶつかった。

 激突の衝撃と共に大気中に火花が散り、金属の擦れるような不協和音が辺りに響く。


 亜竜が障壁に牙を突き立てながら不快感も露わに唸る。

 自身の半分の大きさもない矮小な存在に牙を阻まれたことなど初めての経験だったのだろう。


 だが、現実として両者は拮抗している。

 クルスの人間としては驚くべき強度の障壁は亜竜の突進程度では抜かれはしない。

 突撃を完全に受け切り、その巨体を横へと撥ね飛ばした。

 だが――


「クッ!? やはり空中では……」


 空中で踏ん張りが利かなかった分、かなり押し戻された。

 跳躍した分を相殺され、その身はもう対岸には届かない。

 行く先は――谷底だ。


「クルス!? イリス、“矢”を寄越せ!!」

「ッ!! ――いっけええええ!!」


 未だ空中、騎士の状況に気付いたカイは片手に掴んでいたソフィアをイリスに投げ渡す。

 ほぼ同時に、従者が空中に複数の矢を生成。一直線に並ぶそれらはクルスへのか細い道だ。


 侍は複数の矢を飛び石の如く足場にして、騎士に向け一直線に跳んでみせた。

 軽身功の一種だが、その錬度は既に体を身軽にする、などという段階にはない。


「クルスッ!!」


 侍の敏捷性は不可能を可能にした。

 矢を足場に、宙を走り、手を伸ばす。その手は確かに騎士に届いた。

 クルスは掴もうとして――侍の背後から再びワイバーンが迫っているのに気付いた。


 最悪のタイミング。しかし、クルスは迷わなかった。


「避けろ、カイ!!」


 騎士は伸ばす筈だった手で腰の剣を抜き、投擲した。

 真っ直ぐに飛んだ剣が狙い通りワイバーンの右目に深々と突き刺さる。


 亜竜の視界を血が穢し、次いで痛みに悲鳴を上げ、突進が逸れる。


 その代償に、カイの手はむなしく空を切った。

 互いの距離が離れる。騎士の身が落下を開始する。


「クルスッ!?」


 珍しく、本当に珍しくカイが表情を驚愕と絶望に染めてリーダーの名を呼ぶ。


 だが、無情にも騎士の体は谷底の暗黒へと吸い込まれていった。

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