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刃金の翼  作者: 山彦八里
二章:ギルド
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17.5話:夜が明けて

 戦いの夜が明け、ゆっくりと太陽が昇っていく。

 暖かな日の光に晒された大地には、無数の折れた曲刀と鈍く光る魔力結晶が散乱している。

 死体こそないものの、正しくそこは戦場跡である。


 まるで、墓標のようだと獣人(セリアン)の少女、メリルは思った。


 少女は今、戦場跡を見下ろす村の入口にひとり立っている。

 治療も終わり、井戸で体の汚れこそ落としたものの、纏う白神のローブは所々に血の斑点が残り、昨日の死闘を窺わせる。

 それでも、手を組み、聖地の方角へと一心に祈る姿は侵しがたい清廉さを湛えている。

 かつて、畜生混じりと差別を受けていた時もあるセリアンには信心深い者が多い。何もかもが不平等であった時代でも、信仰だけは平等だったからだ。


 そのまま無言で祈り続けてどれだけ時間が経っただろうか。完全に山間から顔を出した太陽につられるように、少女の背後にふらりと人影が近付いた。

 いつもの鎧を脱いで楽な恰好をしたユキカゼだ。


「日課は終わっているか、メリル?」

「うん。おはよう、ユキカゼ。そっちも日課は終わったんですね」


 丁度祈りを終えた同僚に声をかけた女剣士は、いつもは結い上げている黒髪も今は背に流すままにしている。

 微かに水気を残していることから、朝の禊ぎを済ませてきたことをメリルは察した。


「身を清めてからと思ったのだが、少し遅かったか」

「遅い?」


 首を傾げるセリアンの前に剣士は折れた愛刀を差し出した。

 根元から折れた名刀は唯々沈黙している。かつては抜かずとも感じられた剣気も今はない。


「すまんが、こいつの分も祈ってくれ。自分は祈る神をもたないのでな」

「そういえばユキカゼは精霊信仰でしたね」


 ならば、と頷き、恭しく受け取ったメリルは神官(クイント)の父に習った手順を思い出しつつ、静かに鎮魂の祈りを捧げる。


「白神イヴリスよ、この者の魂に、どうか安らぎを」


 祈るセリアンの隣で、東方の女剣士もまた目を閉じ黙祷する。

 刀は鍛冶士の元に持って行けば打ち直してもらえる。

 だが、再び魂が宿るには長い年月がかかる。あるいは、自分が生きている間にはその姿を見ることはできないかもしれない。

 寝床に戻った時は泣いた。だが、それでもいいと今なら思えた。役目を果たした魂は根源たる“原初の海”へと還り、いつか別の姿を得るのだから。

 願わくば、この魂にひと時の平穏を。声に出さず、女剣士はそう願った。


「祈る神がいないといいますが、ユキカゼ、貴女は辛い時に神に縋りたいとは思わないのですか?」


 儀式が一通り終わった時、ぽつりとメリルが問いかけた。


「ユキカゼ……私は今になって怖くなってきました。いえ、今までも、これからも、私にとって戦いはおそろしいものです。仲間の命が失われるかと思うと、私は……」


 クルスやアンジールと共にいる時には感じなかった感情が、緊張の糸が切れた今になってメリルの身を震わせていた。

 二十歳にもなっていないメリルだが、それでも己が兵たる自覚はある。戦いを前にして恐れを表に出すことはない。

 だが、こうして目の前に広がる戦いの残滓を見ていると、心の中にふと染みのようにそれが現れるのだ。


「ふむ、これだけ強くなってもその想いを忘れないお前だからこそ、皆がついて来るのだろうな」

「茶化さないでください、ユキカゼ。私は……」

「だが、我らは勝った。傷ついた者はいる。だが、死んだ者はいないのだろう?」

「それは結果に過ぎません」

「……」


 これは重症だな、とユキカゼは溜め息をついた。

 親友の思慮深さは基本的には美徳だが、その所為で時々思考が隘路に嵌まってしまうのだ。


「そうだな。ひとつ、小噺をしよう。我らの国に伝わる話だ」

「ユキカゼ?」

「まあ聞け。そう長くはない」


 唐突に始まった語りに眉を顰めるメリルを制しつつ、剣士は語る。


「我ら東方の民には奉ずる神はいない。この大陸のように確立された神がいないからだ。しかし、その似姿はいる」

「似姿?」

「ああ、その域に至った者は、神ではなく、人ではなく、また、神であり人でない者でもなく、神でなく人である者でもない」

「えっと、それは誰でもないということですか?」


 何だかんだできちんと合の手を入れる親友に笑いかけつつ、ユキカゼは先を続ける。


「そうだ。人を超えた“何か”、テトラレンマをその身で体現した存在。仙人とか超人とか呼ばれる超越者だ。我ら東方の民には神がいない。だから、神を目指す(・ ・ ・ ・ ・)

 それこそが、遥かな昔、この大陸よりサムライの理と共に伝わった――祈りだ」


 そこまで一息で語り、剣士は小さく一度息を吸った。


「自分は昨夜、ソレを垣間見た」


 戦場で荒れ狂う嵐、舞い散る刃片の中を駆ける黒い風。

 あるいは、あの姿こそが人より生まれ出る神の似姿なのかもしれない。


「お前も、見たんじゃないか?」

「……かもしれませんね」


 戦場に立つ不屈の盾、常に先陣に立つ燦然とした不朽銀の輝き。

 背中に守る者がいる限り、決して膝を屈さぬその姿は瞼の裏に焼き付いている。

 十倍以上の数を相手に、ただの一人の脱落者も出さなかったのは彼がいたからだ。それは共に戦った誰もが同意することだろう。

 現に昨夜、戦いが終わるまで騎士は一体たりとも敵をその背後に抜かせることはなかったのだ。


「まあ、つまり、人間もそう捨てたものではないということだ」


 そう結論付けて、ユキカゼは語りを終えた。

 不器用ながら励まされた、ということはメリルも理解した。


 しかし、それで終わるユキカゼではない。

 女剣士は真剣な表情から一転して悪戯を思いついたような表情をメリルに向ける。

 いつもこちらを弄る時にする表情だ、とメリルは猫耳を逆立てて警戒を露わにした。

 そういう態度が相手の悪戯心をくすぐるのだと、少女はいまだに気付いていない。


「昨夜、自分はカイ殿に命を救われた」

「はい。…………え?」

「それで、命の借りは命で返すと言ったら、クルスの為に使ってくれ、と言われた」

「え、ええ!?」

「喧嘩して飛び出してきた手前、今さら実家に帰るのもなんだしな。ひとつ、クルス殿をご主君と仰いで命を賭けようと思う」

「命軽くないですか!?」


 一族のしきたりだからな、と嘯く剣士は、しかしメリルの言を否定しない。

 サムライとは元より仕え、侍る者。命もまた、これと決めた主君の為に使い潰すものだ。現代のサムライの発祥たる東方では、この大陸よりもその観念が強い。


「まあ、一回分だけだがな、まだ」

「まだって、貴女……」

「命以外も捧げるに値するかはご主君次第だ」

「にゃ!? そ、それって……」


 誘いだとわかっていても、ついついメリルは乗ってしまった。

 つまりは、いつも通りだった。


「たしか、メリルも学園を出た後はヴェルジオンに行く予定であったな」

「いえ、それは、単に話の中で言われただけで……」

「なんだ、押しかける気はないのか。ソフィア嬢とも親しくしているし、てっきりそのつもりかと」

「――ユキカゼ、私はそういう気持ちでソフィアさんと仲良くさせていただいている訳ではないです」


 メリルはきっぱりと言い切った。話に流されず、そこだけはきっちりと訂正する。

 ソフィアが読心ができるという話は聞いている。

 だからこそ、偽りのない気持ちでいたい。少女はそう考えていた。


「失礼した。まあ、お前はそういう奴よな。良くも悪くも打算がきかん」


 その返答は予想していたのだろう。

 ユキカゼは謝りつつも、本題に入る。


「だがな、そのつもりがあるなら此方から押していかねば、ああいう殿方はこちらを見てくれんぞ」

「そんなことは……」

「あるさ。それだけクルス殿の行く道は険しい。強くなる為に捨てる筈のものを、しかし、取り零さぬよう生きるには、人の掌はあまりに小さい」


 正直な所、本隊が誰も死んでいないと聞いた時、ユキカゼは耳を、次いで自分の正気を疑った。

 元より無理をして隊を分けたのだ。多少の損害は出るものと覚悟していた。アンジールにも同様の覚悟があった筈だ。

 だが、クルス達の存在はそれを覆した。

 その事実に、ユキカゼはむしろ危うさを感じた。

 放っておけば、止まり木のない鳥のように、いつか空の彼方に飛んで行ってしまうのではないか。そんな危うさを感じたのだ。


「手の届くうちに行動しておかないと後悔するぞ」

「で、でも私なんかが……」

「……そうか。発破はかけた。あとは自分でどうにかするといい」


 言うべきことは言ったとばかりに、ユキカゼはメリルの背をトン、と押した。

 見た目には軽い仕草だったが、前衛の膂力で押されたメリルは体勢を崩し、躓きそうになった。

 たたらを踏みつつ、恨めしそうな顔をして振り返れば、既にユキカゼは背中越しに手をひらひら振って持ち場へと帰って行っている。

 文句を言う暇もなかった。


「もう……」

「おはよう、メリル」

「にゃ!? ク、クルスさん!?」


 離れていく背に小言の一つでも言おうとしたメリルは、背後から、件のクルスに声を掛けられた驚きで、本能的に耳と尾をピンと張りつめた。

 クルスの接近に気付いていたユキカゼは、今頃、悪戯の成功にほくそ笑んでいることだろう。


「お、おはようございます!」

「随分慌てているが、何かあったのか?」

「な、なんでもないです!!」

「そうか? ならいいのだが」


 あわあわと手を振るメリルにはそれきり追求せず、クルスは少女の隣に立って、朝日に照らされた戦場跡に目を遣った。

 凄惨な光景を脳裏に焼きつけるようにじっと見ている険しい横顔は、あるいは自分の決断の結果を心に刻んでいるようでもあった。


「クルスさん?」

「ん、どうかしたか?」


 遠くを見ていた視線が自分に焦点を合わせる様子に、メリルの心音が大きくなった。

 初めてあった時から変わらない真っ直ぐな蒼い瞳が眩しかった。


「い、いえ……その、以前、学園を出たらお家の方に来るといいって……」

「ああ言ったな。別に焦って決めなくていい。メリルの腕ならどこでもやって――」

「いえ、むしろこちらからお願いします!!」


 騎士が本気であったことに嬉しさを感じつつ、メリルは反射的に返事をしていた。

 たしかに、少女には働くアテがある。有力ギルド所属で、且つサブリーダーという経歴は勿論、獣人のクレリックであることが少女の戦術的価値を高めているからだ。

 種族として生命力に優れるセリアンは戦場でも長持ち(・ ・ ・)する方だ。それが回復術式を担うクレリックならば尚更だ。

 そして、それ故に、かつてセリアンは戦奴として人間に隷属を強いられていた時期があった。実際に隷属していた世代はもう亡くなっているが、今でも父祖の屈辱を恨んでいる者もいる。

 だが、たとえ過去がそうであっても、メリルは、人間という種ではなく、クルス・F・ヴェルジオンという存在に仕えたかった。

 この騎士の進む先に何があるのか、一緒に見たいと思った。


「そうか。そう言ってくれるとありがたい」


 そうして、返ってきたのは、どこかほっとしたような笑み。だが、その奥に微かに緊張があることにメリルは気付いた。

 以前のクルスなら、そんな弱さは頑なに隠していただろう。今は、それを無理に殺さなくても生きていける余裕があるのだ。


「クルスさんでもご当主になることに不安があるのですか?」

「ああ、当然ある。偶然、貴族の家に生まれただけで俺もまだまだ未熟だ。今年に入って特にそれを痛感した」


 騎士の表情に一瞬だけ影が差す。メリルの見たことのない表情だった。

 それは新鮮であり、同時に驚きであった。


 クルス・F・ヴェルジオンは少女の憧れだった。

 同期の中でも燦然と輝くダイヤの原石。誰をも守ろうとする騎士の鑑。


 けれど、この騎士もまたヒトなのだ。悩みもするし、嫌なこともあるだろう。

 そのことに少女は今の今まで思い至らなかった。


「貴方は……」


 そうして、押しつけられた理想にどれだけ応えてきたのですか。


 問いは声にならなかった。自分もまたそんな身勝手な理想を押し付けていた一人なのだ。


「メリル?」


 傍らの少女の様子がおかしいことに気付いたクルスが心配そうに声をかける。

 いけない、とメリルは顔をふるふると振って弱気を追い出す。こっちから行けとアドバイスを受けたばかり。

 そして、この機会を逃せば、次はいつ会えるかもわからないのだ。


「クルスさん!!」

「ど、どうした?」

「私、決めました。学園を卒業したらクルスさんにお仕えします!」

「俺に?」

「はい。先陣を切る騎士(えいゆう)でも、ヴェルジオンの次期当主でもなく、クルスさん自身にお仕えします。これでも尽くすタイプなんですよ?」


 心中で親友の後押しに感謝しつつ、メリルは満面の笑みで騎士の視線を見返した。

 はじめは面食らっていたクルスも暫くして頷き、太陽のような笑みを見せた。


「……そうか。なら、楽しみにしておこう」

「はい、必ず!!」


 朝の光が優しく照らす中で、将来の主従は固く握手を交わした。







「ちなみに、卒業は大丈夫なのか?」

「だ、大丈夫です!! ……試験さえ受けられれば」

「そんなにギルドは忙しいのか?」

「そうなんですよ!! ユキカゼもリーダーも書類仕事苦手だからって私に回してくるんです!!」

「はは、それならウチに来た時に頼んでも大丈夫そうだな」

「も、もう!! クルスさんまでからかわないでください!!」


 ヴェルジオンでのメリルの立場が決まった瞬間であった。

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