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刃金の翼  作者: 山彦八里
二章:ギルド
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17話:統率個体

「――大気に溢れる無尽の凍気よ」


 金の髪を夜風に靡かせ、ソフィアがその身に宿る膨大な魔力を解放する。


「――雪風に舞う精霊の許しを得て、我が前に力を示せ」


 ランプの光に照らされた美麗な横顔はしかし、見る者を凍てつかせるような戦意に彩られている。

 そして、紡がれるは、少女にとって初めての実戦運用となる高位氷結魔法。


「――氷結せよ、“ダイアモンドダスト”」


 詠唱が完成し、蓮杖で指し示した敵陣に突如として白い竜巻が起こった。

 低位の氷柱や中位の氷牙とは根本から意を異にする、構成段階から範囲攻撃として完成した高位詠唱が吹き荒れる。


 瞬間的に噴出した冷気は複数のファルシオンリザードを骨の芯まで凍らせ、次いで竜巻に巻き込んだ衝撃で粉々に砕いていった。


 その名の通りの氷の塵が村へと続く夜の山道に舞う。

 月光を反射する細氷が舞い降りる光景は幻想的で美しいが、その実は死神の残り香に等しい。


 さすがに少女の心技には劣るが、一撃で数十体を氷塵に還した威力、範囲は高位詠唱の名に恥じない。

 そして――


「――連弾、ダイアモンドダスト」


 魔法であるならば“連続詠唱”が適用される。

 再度、氷の竜巻が敵陣のど真ん中で吹き荒れ、諸共に凍てつかせ、砕き散らしていく。

 敵手が一度目を避ける為に狭い山道でさらに密集していたこともあって、二回目はより多くを巻き込んだ。

 僅か二発の魔法で、魔物の本隊は全体の一割近くを喪失した。


「ソフィアさん、そろそろ前衛部隊が接敵します。中位魔法に切り替えてください」

「わかりました」


 遠距離部隊の指揮をするメリルの指示に頷き、少女は再度杖を構える。

 周囲のウィザードも範囲魔法から単体魔法へと切り替え、詠唱完成と同時に次々と撃ち放つ。


 暗闇を吹き散らすかのように、炎の矢が、氷の槍が、雷撃が、風や土の弾丸が空を翔けて敵手へと殺到していく。

 先制攻撃には範囲魔法が最適だが、前衛の援護に使うなら、ある程度の効果範囲を確保しつつも数を撃てる中位魔法の方が適している。


「――氷結せよ、フリーズバイト」


 少女の落ち着いた声音の詠唱が戦場に響き、合わせて氷の牙が現出し、次々と魔物を貫いていく。

 瞬間火力では高位に劣るが、ソフィアの高い精神力と氷結魔法への高い適性が合わさり、着実に相手の数を減らしていく。


 加えて、ソフィアの攻撃は空恐ろしいほどに的確だった。

 攻撃しようと考えた(・ ・ ・)者から順に魔法で吹き飛ばされていく為に、魔物たちは完全に攻め時を失っていた。

 それもその筈、ソフィアは詠唱と並行して“読心”を駆使し、敵手の思考を読んで出鼻を挫いているのだ。

 殺意を隠すなどという芸当ができるほど、魔物は賢くない。

 結果、敵手は数の利点を活かせず、進軍も半ば停止してしまっていた。


 とはいえ、これもデメリットがない戦法ではない。


「ソ、ソフィアさん、大丈夫ですか? お顔が真っ青ですよ?」

「……だいじょうぶ、です」


 メリルの心配に答えるソフィアの額を冷たい汗が一筋流れる。

 この方法は思考の段階で先手を取れるという凶悪な手段だが、大量の敵手に読心を仕掛けるソフィアの負担は相応に莫大なものになる。


 今も処理しきれない情報量に脳が万力で絞められたような痛みを発している。常ならば倒れてもおかしくない程の痛みだ。

 それでも、ソフィアの血の気を失った口は朗々と詠唱を紡ぎ続ける。


 少女は理解している。この戦いに長期戦はない。

 今は押しているが、それは此方が切れる札を片っ端から切っているからだ。長くは持たない。


 そして、札が無くなれば、残るのは心技を発動しての削り合いだ。

 五十人が戦線離脱を前提に、一人ずつ心技を使っていくことになる。

 その段まで長引けば、自分の心技の発動条件を満たす前に、確実に死者が出る。


(そうはさせません)


 大も小も捨てたくないと、(クルス)が言ったのだ。

 今まで、多くを語らず、一人で全て背負おうとしてきたあの兄が、初めて望みを口にしたのだ。

 呆れた物言いかもしれない。夢物語かもしれない。未熟な若者の戯言かもしれない。


「それがどうした、です」


 少女はいつかの侍の口調を真似る。


 其処に最善の可能性がある。それを信じた。信じると誓った。

 だから、あとは全力を尽くすだけだ。


 壊すしかない己が兄の役に立てる場面は貴重だ。

 故に、少女が手を抜くことはなかった。聖性持ち、つまりは、生まれついての魔法戦闘の申し子としての能力を限界まで発揮する。


 詠唱は加速し、構成の冴えは時を経るごとに研ぎ澄まされていく。

 満開に咲く花のように、氷の牙が戦場に次々と生まれていった。



 ◇



「仕掛けるぞ、野郎共!!」

「オオオオッ!!」


 予め仕掛けておいた魔法罠が其処彼処で爆発し、束の間、辺りを真昼間のように明るく照らしていく。

 その中を盾を構えたクルスとアンジールが率いる近接部隊が猛然と突き進む。

 彼らの頭上を後衛の放った魔法が通過し、敵陣の中腹に着弾していく。


 此方の狙い通り、魔物は本能的に山中の魔法罠を嫌い、多少の損害を許容して山道を進むことを選択した。

 その為、細い山道に展開した敵の隊列は細く長く伸びている。

 近接部隊はその横腹に突撃を掛けた。


 別働隊相手に人数を割いたものの、戦術自体に変更はない。

 削りは遠距離部隊に任せ、近接部隊は統率個体の発見と捕捉、可能ならば撃破する。

 規模は違えど、戦い方は先の防衛戦争と同じだ。


「ギシャアアアッ!!」

「――障壁、展開!!」


 咆哮と共に夜闇から飛び出してきた敵の刃をクルスは半透明の障壁で弾き飛ばす。

 盾に傷はなく、歩みに遅滞はなく、攻め来んだ敵を逆に踏み潰さんと進撃を続ける。


 クルスがいるのは近接部隊の最前線だ。盾を構えて敵の曲刀を弾きつつ、先へ先へと進んでいく。

 アイゼンブルートにもナイトはいるが、クルスよりも防御力が高い者はいなかったが為の配置である。


「無理にトドメを刺そうとするな!! 足が止まれば死ぬぞ!!」


 敵味方の怒号の中、それ以上の大声で指示を出しているのはアンジールだ。

 夜闇の中でも、青年の赤毛と振り回される大剣はよく目立つ。

 今も、無理やり突っ込んできたリザードを真っ向から叩き割っているのがみえた。


「押し返すぞ、アンジール!!」

「応ッ!!」


 だが、敵味方を含めて、戦場の流れは少しずつクルスを中心とする物になっていった。


 当然ではある。

 最前線で盾を構えるクルスは、常に敵味方が交戦する境界線に立っている。

 そして、天性の才か、少人数ギルドに居るのが不思議なほどに“陣取り”が上手い。

 ここぞという部分を決して外さず、しかも一度ラインを確定させると、その堅固さで決して敵に譲らない。

 自然、味方はクルスより後ろで攻撃を凌ぎ、クルスと共に前に出て攻撃するという流れが出来る。

 その流れは敵さえも徐々に呑み込み、巨大なうねりと化している。


 相手すら呑み込むその様はどこか“盤上の魔王”の采配を彷彿とさせる。

 先の防衛戦争での経験がクルスの中で少しずつ結実化しているのだ。



「ブチ抜け――豪力(ストレングス)!!」


 クルスの隣で、何度目かも分からない筋力強化をかけたアンジールが大剣を勢いよく振り抜く。

 厚みのある大剣は斬るというよりも叩き潰すといった体でリザードを破壊する。

 最初の数体を斬った時点で刀身が血と脂に塗れているので、どうしても力任せの攻撃になってしまうのだ。


「っと、こんなことならメイスにでも持ち替えとくんだったぜ」


 死体から大剣を引き抜き、担ぐようにして構え直したアンジールが軽い調子で愚痴る。

 元より、精妙な運剣が苦手だからこそ重さで叩き斬れる大剣を選んだのだ。切れ味もなくなった今では鈍器とそう変わらない。


「そう変わらないなら使い慣れた武器で良いではない、かっ!!」


 クルスは台詞の終わりと共に盾を押し出し、突っ込んできたリザードを撥ね飛ばした。

 手に返る衝撃は軽くはないが、日ごろの鍛錬でカイの攻撃に晒されているクルスにしてみれば、力任せに突っ込んで来るだけの相手は遥かに与しやすい部類だ。


 押し込み、撥ね飛ばし、轢き殺し、相手を押し下げた分、部隊を前進させる。

 逆に敵は一度に攻めすぎたからか、足並みが揃っておらず攻撃は散発的になっている。


 押している。それを確認し、クルスはちらりと視線をアンジールに向ける。


(あと、どれくらい持つ?)

(気力体力は一刻くらいだな。そっから先は削り合いだ)

(それまでに殲滅するか、統率個体を見つけて撃破するのが最上か)


 小声で交わす内容に、二人は明確な制限時間を自覚する。

 今の撃破効率を維持できるなら殲滅も可能だが、それは厳しい。

 あと四半刻程度でほぼ全員の魔力が枯渇するからだ。魔力消費の激しい後衛は更に早いだろう。


 わかっていたことだが、敵の撤退も望み薄だ。

 相手が人間なら確実に撤退を始めているであろう損害を与えても、魔物の群れが退く様子はない。

 ただ咆哮を上げて、狂ったように前進を続けている。


 相手を退かせるのが無理な以上、こちらは一個の塊のように進撃する中から統率個体を見つけ、撃破しなければならない。

 目の前のリザードの剣撃を防ぎつつ、クルスは必死に目を凝らす。


(どこだ、どこにいる!?)


 焦りが喉から溢れそうになるのを堪え、じりじりと敵を押し返していく。

 数の差を考慮しても、まだ暫くは優勢を保てる。それを理解していても、仲間にいつ被害が出るかと思うと気が気ではなかった。

 覚悟していることとはいえ、自分が訴え、実行したことで誰かが死ぬ未来を思うと、気が狂いそうになる。

 それでも、選んだのはクルスだ。その選択を嘘にしない為に、誰よりも先陣を切り、命を賭ける。


(どこに――)


「――クルス」


 そのとき、加熱した騎士の脳髄を冷ますかのように、落ち着いた声音が耳朶に触れた。

 見れば、クルスの中から現れた鎧の肩部に器用に腰かけ、エメラルドの瞳でこちらを見返している。


 あまりにいつも通りの様子にクルスは一瞬、此処が戦場であることを忘れた。


「シオン、どうした?」

「――探しもの」


 クルスの問いに妖精が敵陣の一点を指し示した。目を細めてその先を見遣る。

 じっと見ていると、緑の鱗のリザードが蠢く中に、一体だけ赤黒い肌の魔物がいるのが分かった。

 腰に襤褸布を纏っただけの巨体、額の一本角の下、両の目は赤々と光っている。

 鬼人種、おそらくはオーガ。そして――


「赤い眼、統率個体か!!」

「――たぶん、そう」


 クルスの言に、シオンがこくりと頷きを返す。

 レンジャーに類似する気配探知だが、シオンの精度はそれと比してもかなり高い部類だ。緑神配下の精霊であった名残なのだろう。

 この混戦の中でも確かに対象を捉えられたのはその為だ。

 おまけにクルスの体力も多少回復している。同じく緑神契約のモンクのチャクラだ。


「でかした、シオン!!」

「――ん」


 少しだけ自慢気な表情をしてシオンは消えた。

 クルスとしてはシオンを戦闘に出させる気はなかったが、本人がやる気な上、短時間とはいえ索敵と体力回復が出来るのは大きい。


「なんか今、お前の肩に幼女が乗ってた気がするんだが?」

「後で説明する。それより、統率個体を見つけた。仕掛けるぞ」

「後で聞くかんな。――戦士部隊、突撃すっぞ!!」

「オオオオオッ!!」


 アンジールの声と共に各々で身体強化をかけたファイターが飛び出す。

 剣が、槍が、斧が、唸りを上げて進路上の魔物たちを撃破していく。

 前衛の後ろで援護に徹していたレンジャー達もここぞとばかりに矢の雨を放つ。


 そうして無数の死体が魔力結晶に変わる頃、遂に統率個体への道が拓けた。

 だが、アンジールが第二隊へ指示を出そうとしたその時、統率個体が突然背を向けて下がり始めた。


「逃げる気か!?」

「設置した罠に気付かれたのかもな。とりあえず追いかけ――っと!?」


 こちらが指示を変更する一瞬の内に、統率個体への進路を埋めるようにファルシオンリザード達が立ち塞がっていた。

 その様は群れというよりも既に壁。

 あの密集具合では自慢の曲刀を振るうことも出来ないだろう。


「こっちは時間かかりそうだな。全軍、遅滞戦闘に移行、潜伏部隊に風声繋げ」

「これで仕留められるといいが」


 クルスは従者たち潜伏部隊が潜んでいるであろう森に視線を向ける。


 統率個体が逃げる可能性は考えていた。

 他の魔物を従え率いるという特性を考えれば、その立ち位置は人間で言う所の軍の指揮官に近い。

 指揮官が逃走に成功すれば、軍の再編ができる。

 それを防ぐために、予め隠蔽(ハイド)技能の高い数名を森に潜ませておいたのだ。


 人間の常識が魔物にどこまで当てはまるかは分からなかったが、今回は正解を引いたようだ。


「頼むぞ、イリス」



 ◇



「……痛ゥ」


 ズキリと額が痛み、木の上で待機しているイリスは思わず顔を顰めた。

 痛みでハイドが切れかかり、慌てて集中を取り戻す。


(なんか、最近酷くなってる気がする)


 それは魔力を使おうとすると時折感じる痛みだ。この痛みのせいで、従者は感応力の制御にムラが出来ている。

 体内治癒専門のクレリックにもかかったが原因は不明だった。“神樹の森”に行った折に作ったエルフの霊薬も効かなかった。


 クルス達には言えなかった。

 足を引っ張るなど護衛失格であるし、何より、この痛みの原因(・ ・)に気付くべきではないと本能が告げていた。


 無意識に髪を結ったリボンに触れる。

 何故かはわからないが、痛みが少しだけ和らいだ気がした。


 痛みに耐えながら少し経ったとき、従者の耳をふわりと夜風が撫でた。魔力によって声を伝える通信術式“風声”だ。

 魔力の質から相手はソフィアだと聞く前から分かった。


『イリス、統率個体をみつけました。見た目は鬼人種、そちらに向かっています』

『……ええ、視えたわ』


 頭痛はまだ疼くようにあるが、声音はいつも通りだった筈。従者はそう判断した。


『イリス、どうかしたのですか?』


 なのに、ソフィアは従者に心配そうに声をかけた。

 何に気付いたのかは分からない。この距離では読心も届かないのに、しかし、近頃のソフィアはこういうことがままある。

 あるいはソフィアの人間的な成長が読心に追いついて来たのかもしれない。


『ううん、大丈夫。ソフィアもまだ気を抜いちゃ駄目よ』

『……わかりました。イリスもお気をつけて』


 風声が終了し、周囲に静寂が戻る。

 その中で、イリスの眼はこちらへと向かって来る巨体を確かに捉えた。



「――彼方より、祈りを込めし、上弦の」


 イリスは木の枝の上で立ち上がり、長弓型に展開した弓を構える。

 狙う動作に入ればイリスの心技は使用条件が満たされたに等しい。


 そして、逃げる者、味方の影に隠れている者を撃つ――“狙撃”はイリスの真骨頂だ。

 自前の射程で射らなければならないという点も、アーチャーのクラスを得た今なら殆ど問題にならない。


「――触れざる故の優しさに」


 似ている。


 弦を引き絞りながら、イリスは千里眼で捉えた統率個体にシンパシーを感じていた。

 隠れて狙撃する自分と、魔物を従えて暴れる鬼。

 似ている個所などまるでないのだが……


「――ただ触れたいと願いし御手は」


 思考を振り切り、イリスは改めて集中する。

 そうして、限界まで引き絞った弦を開放し、心技の矢を放った。


 閃光の如き一矢が夜を切り裂くように走る。

 狙いは違わず、矢は統率個体の胸の真ん中に命中した。


「ギ、ガア、アアアアアッ!!」


 だが、統率個体は胸を射られただけでは死ななかった。

 射られた瞬間こそ仰け反ったものの、すぐに体勢を立て直し、跳躍と共に従者に向けて巨拳を打ち出した。


「ッ!!」


 イリスが咄嗟に後方に跳ぶ。

 巨体の重量が集約された拳は一撃で寸前まで従者の立っていた木を粉々に打ち砕いた。


 無数の砕片が吹き飛ぶ中、二人の赤い眼が合い、混じりけのない殺意を交わす。


 巨人が咆哮を上げて再度拳を振りかぶり、空中にいる従者は巨人の胸に刺さったままの矢へと掌をかざす。

 そして、力の限りに握り込み、魔力の全てを振り絞る。


「――祝福しろ、“カラナック・ライン”!!」


 声に応じて、イリスの心技が発動した。

 基点となる一矢を中心に、敵を覆い尽くすように空中に無数の魔弾が生成される。


 一瞬で展開された包囲網に統率個体が唸り、闘争本能に従い、矢を払おうと腕を振る。


 だが、それより一瞬早く、全方位から迫る矢が射出され、巨体を滅多撃ちにした。


 巨体の全身に無数の矢が突き刺さる。

 肉が抉れ、血が噴き出し、痛みかあるいは怒り故か、甲高い咆哮を上げる。


 それでもまだ死んでいない。

 片目には矢が突き刺さっているが、残る片方の赤い眼で従者を射殺さんとばかりに睨みつけている。

 オーガの上位種としても破格の生命力だろう。


 しかし、それは予想された範疇だ。


 苦しげな咆哮をあげながらも、巨人は狂気のままに疾駆する。

 痛みも、苦しみも無視して目の前の敵を殺さんと――


「いいえ。アンタの攻撃はもう届かない」


 振るわれた巨拳はあえなく空を切る。宙にいる筈の従者の姿が夜闇に滲み、純白の髪色すら徐々に消えていく。

 そこにいるのに触れられない。そこにあるのに届かない。


 レンジャーの秘匿技術、『隠し身』である。

 効果時間こそ短いものの、隠し身に入った者を捉えることはできない。

 まさに、隠形の最奥だった。

 そして、夜闇に霞む従者は最後の一手を発動する。


「さよなら。――消し飛べ」


 瞬間、その声を鍵として、巨体に刺さったすべての矢が爆発し、無数の刃片となって巨体内部で弾けた。


 生成された魔弾ははじめから全て爆裂矢に変えてある。

 心技に更にフレグメントアローを付加(エンチャント)するのはかなりの負担だが、その分、威力も大幅に増加した。

 連続する爆発に巨体が食いちぎられ、噴煙に覆い隠される。


「……いけた、かな?」


 従者は確かな手ごたえを感じていた。

 その身は心技の消費に加え、魔力で体を覆い存在位置をズラす“隠し身”の反動である激痛で限界が近い。

 しかし、ふらつきながら着地したイリスは、それでも新たに矢を生成し、弓に番えて狙いをつける。

 ここで確実に仕留めることが己の役割なのだ。


 待つこと数秒。

 爆炎の晴れた先、体の殆どを失い、子供のような大きさになった統率個体はしかし、奇跡的に残った片足で従者に向けて飛び掛かった。


「くっ!!」


 従者が歯を噛み、矢を放とうとした瞬間、木々の間から黒い影が飛び出した。

 一瞬そちらに矢を向けかけたが、従者は気配から即座に闖入者が誰か理解した。


「カイ!!」

「――ッ!!」


 侍はそのまま従者の前に立ち、相手が自らの間合いに踏み込むと同時に腰の一刀を抜き放った。

 傷だらけの統率個体の首に閃光が――触れる直前で止まった。


「カイ、どうしたの?」


 侍らしくない挙動に、警戒を残しつつ従者がいぶかしむが、侍は首を横に振って剣線を外し、鞘に納めた。


「もう死んでいる」

「え……」


 見れば、統率個体の体が徐々に力を失っていき、二人に届く前にどさりと地に倒れた。

 魔物だった何かは、それきり、動かなくなった。


 侍は倒れた相手をただ無表情に見下ろす。


 一瞬の沈黙。その刹那に何を感じたのかは分からない。


「……眠れ」


 暫くして、誰にともなく呟かれた言葉は夜闇に溶けていった。






(……うん。おやすみ)


 それでも、その一言は静かに少年の心に届いた。


 次に見る夢はどうか幸せなものでありますように。

 そんな儚い願いを抱きつつ、少年の意識は闇に落ちていった。




「どうかしたの、カイ?」


 沈黙したまま統率個体を見降ろす侍に、従者はいつもと少し違う雰囲気を感じた。


「――――」


 侍は答えず、ただ道衣の上から胸を押さえている。


 確かに感じたのだ。

 統率個体が死ぬ間際、互いの“心臓”が共鳴していた。


(統率個体に共鳴した? やはり――)


 その鼓動は同類の証。

 同じ呪術を受けた者の証明に他ならなかった。

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