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刃金の翼  作者: 山彦八里
二章:ギルド
47/144

12話:試験週間

学園回です。

 大陸北部ではようやく雪が解け、春雷の遠鳴りが新しい季節の予感を感じさせる、そんな頃。

 最上級生の卒業と新入生の入学を控えたこの時期にルベリア学園ではひとつのイベントがあった。

 実力主義を旨とする学園における一年間の集大成にして学生たちの優劣、強弱を分かつ地獄の週間。


 ――試験週間である。


「もう一度言ってくれ、キリエ・ノーステン」

「だから、授業は免除だが、『進級試験』まで免除するとは言われてないだろう、カイ・イズルハ」

「そうだったか?」

「これ要綱な。つべこべ言わずに受けろ」

「……」


 苦虫を噛み潰したように顔を顰めたカイはキリエの突き出した試験要項を渋々受け取った足で教官控え室を退出した。

 部屋の外にはクルスとイリスがそわそわしながら待っており、カイの気配に二人同時に顔を上げた。


「カイ、どうだった? 何か問題があったのか?」


 途端に言い募るクルスだが、その焦りようも無理はない。

 ミハエルの鍛錬もひと段落して、溜まった依頼を消化しようとした矢先に学園からの招集である。

 呪術、魔力なし、元・近衛騎士、現・十二使徒。

 どの地雷が爆発したのかと危惧するのも当然だろう。


「試験を受けろとのことだ」

「試験? ……ああ、進級試験のことか」


 返答を聞いてクルスはほっと胸を撫で下ろした。


 学園の試験はカイが合格できないようなものではない。過去のクルスでも一年半で卒業資格まで取ることが出来る程度だ。

 難易度だけみれば、白国の近衛騎士の登用試験の方が遥かに高いだろう。

 実技、戦闘能力は勿論、筆記試験や論文も戦闘に関することならカイでも問題ない。足りない知識も補強すればいいだけだ。


「……まずいわね」


 それなのに、イリスだけは明らかに焦った表情をしている。

 三人の中でただ一人、従者だけが現状を正確に把握していた。


「何故だ? カイの実力なら正直、どの試験も余裕――いや待て、今日は何日目だ?」


 クルスもまた気付いた。カイはまだ首を傾げている。



 その日は試験最終日であった。



 ◇



「今からじゃ論文は無理ね。筆記試験は……もうないわね」

「実技試験で勝負するしかないか」


 当の本人を置いてきぼりにして、試験日程を睨む二人は手早く狙いを絞る。


 ルベリア学園の試験は講義ごとではなく教官ごとに二、三種類が課されており、何らかの形で教官四人の合格を貰えれば進級が認められ、十人の認可で卒業資格を得られる。

 したがって、全て実技試験で合格することや、逆に全て論文試験で合格することも不可能ではない。

 事実、読心のせいで筆記試験不可、魔法が強すぎて加減が出来ずに対戦系の試験不可のソフィアは論文試験で多くの合格を貰う作戦でいる。

 今も寮の部屋で根を詰めて作業している筈だ。十日近くカイや兄に会っていないので、その内暴走するかもしれない。


「実技なら狙い目はキリエ教官、ヴァネッサ教官あたりか」

「ウィリアム教官もカイならいけるわ。ライカ教官は……そうね、私が一緒に受けるわ。丁度まだ取ってなかったし」

「……別に進級できなくても困らないのだが」


 思わず零れた呟きに、二人の視線がじろりと突き刺さる。

 そもそもカイが学園に来たのは呪術の解析の為、だからこその授業免除である。

 つまり、モルモットがわざわざ進級する必要はないのだ。


「ダーメ。絶対一緒に卒業するんだから!!」


 だが、イリスはそう言って、憮然とする侍にニッと笑みを見せた。


「しかし、呪術が」

「あと二年で解除できればいいんでしょう?」

「まあ、そうだが」

「ね、ね。だからさ、頑張ろうよ。二年後にアンタだけ居残りとか嫌よ」

「イリス、お前……」


 どこか必死な様子にカイは眉を顰めた。

 この半年で気付いたことだが、イリスには仲間を“置いて行く”あるいは自分が“置いて行かれる”ことを酷く恐れている。

 自覚はあるように見える。それでも、その姿勢を曲げないということは、己にとって――前向きか後ろ向きかは定かでないが――信念だからなのだろう。

 それは隠している内心に関わる、従者の中で唯一譲れない部分だ。


「わかった。お前の流儀に付き合おう」


 カイは言葉少なく頷いた。

 自分にとってはあまり意味のないことでも他人とっては有意義なこともある。

 イリスのほっとしたような表情を見れば、自分の選択は間違いではなかっただろうと思えた。

 こちらの心中を察したクルスも小さく笑みを見せている。


「そうと決まれば順に片付けて行こう。手続きはこちらでする。受けられさえすれば後はこちらのものだ。存分にやってみせろ、カイ」

「了解した」



 ◇



 その日最初の実技試験はヴァネッサ・アルトレングス魔法担当教官のものだった。

 カイが試験会場に着いた時には既に第一陣が開始していた。

 視線の先では、身長五メートルほどのロックゴーレムが両腕を振り回し、学生を好き勝手に吹き飛ばしている。

 ヴァネッサ本人は少し離れた位置で箒に腰かけて浮遊したまま、学生が死なないようゴーレムに絶妙な制御をかけていた。


「話は聞いてる。加わっていいよ」


 眠たそうに目をトロンととさせたままヴァネッサがカイに告げる。

 前が見えているのかすら怪しい状態でゴーレムを制御できるのか不思議だが、見ている限りでは制御をしくじる様子はない。

 この学園の教官は奇人揃いかとカイが思ったのと同時、ヴァネッサの尖った耳がピクリと動いた。


「馬鹿にされた気がする。“おかわり”を投入する」

「ネッサ教官!?」


 ようやく一体目のゴーレムを倒した学生たちの悲鳴を無視して、ヴァネッサは懐から巻物(スクロール)を取りだした。

 スムーズに魔力を通していくお手製のスクロールにはゴーレム生成の術式が刻印されている。

 ヴァネッサの周囲に魔法陣が発生し、地面がぼこりと盛り上がり小山が出来たかと思うと、瞬く間にロックゴーレムが生成された。

 生まれた数は三体。膝をついて整然と並び、創造主の命を待っている。

 一体でも苦戦していた学生たちが絶望的な表情をした。ゴーレムの三体同時制御という離れ業もヴァネッサには造作もないようだ。


「複製は得意」

「得意とかそんな問題じゃないでしょう、コレ!!」


 何故か自慢げに薄い胸を張るヴァネッサへ学生たちがヤケクソ気味に抗議する。

 それを黙って眺めながら、カイは心中でハーフエルフの教官の評価を上方修正した。


 スクロールによる補助ありとはいえ、ゴーレムの生成は普通、一体につき数刻はかかる。三体同時制御に至っては並のウィザードでは失神する業だ。

 ヴァネッサの高速生成はウィザードとしての技量と同時に、物質の把握と構築、すなわちアルケミストとしての力量の高さを示していた。

 それは能力というよりも、思考と魔力の運用の無駄のなさだ。経験の――おそらくは実戦経験の――なせる技だろう。


「……いくか」


 体内で気を練り上げつつ、カイが足取り軽く戦闘区域へと踏み込んだ。

 相手が優れたゴーレム使いであることさえ分かっていれば、あとは不要だ。

 ゴーレム相手なら気兼ねなく戦える。

 殺人が御法度なこの学園では、対戦形式なら相手を斬らないよう注意を払う必要があるかのだ。


「貴方の力量は把握している。――連携攻撃、開始」


 ヴァネッサは見えないピアノを弾くかのように両手の指をリズムよく宙に走らせる。

 合わせて、縦に整列したゴーレムが無駄に流麗なフォームで走り出し、一斉にカイに襲いかかった。


「一号、薙ぎ払え」


 使い手の声に応じて先頭のゴーレムが両腕を振って前面を扇状に薙ぎ払った。

 巨体を利用した足止め狙い。避けきるのは困難と見て、狙い通りとわかっていてもカイは足を止めざるを得ない。

 こちらの領分である機動戦に持ち込ませる気はないようだ。


「いって、二号」


 侍が足を止めると同時に、ヴァネッサが二体目に指示を飛ばす。

 二体目は加速を付けたまま一体目の頭上を跳び超え、空中から全身でもって押し潰しにかかる。

 ゴーレムの巨体で視界が翳る。岩石含有率十割の大質量が落下軌道に入る。


 だが、それでは足りない。

 一瞬で最高速度に達する加速力こそサムライの敏捷性の本分。

 カイは即座に再スタートを切った。三歩で最高速度に乗り、最後の一歩を大きく踏み切って跳ぶ。

 地を払う一体目と、宙を舞う二体目の間を矢の如く翔け抜ける。

 背後で轟音が鳴り、何もない地面を二体目が押し潰したのを知覚する。


「うん。ここまでは予測通り」


 二体の攻撃が避けられてもヴァネッサは動じない。

 忙しなく指を巡らせ、最後の手札を切る。


「――そこ。撃ち抜け、三号」


 カイは見た。

 一体目と二体目を超えた先、足を止めて片腕を突き出した体勢で静止している三体目のゴーレム。

 その巨体を通じて放たれたヴァネッサの殺気がカイの直感にかかった。咄嗟に宙で体を捻る。


 次の瞬間、ゴーレムの肘から先が爆発と共に発射された。


「ッ!?」


 人の拳とは比べるべくもない巨大な石拳が断面から炎を噴き上げて宙を走る。

 慮外の攻撃方法にカイの反応は僅かに遅れ、次の瞬間には元居た場所を石拳が軌跡を描いて走り抜けた。

 チッっと空気の焦げる音と共にカイの姿が掻き消え、噴煙の帯が軌道を描いて残る。


「射出機構。制御はまだ難があるけど、使えそう」


 両の指を目まぐるしく舞わせつつ、ヴァネッサがぼそりと呟く。

 ゴーレムの身体構成の一部を意図的に暴走させて射出する遠距離攻撃。クルス達から聞いた杭を射出する機構を自分なりにアレンジしたものだ。


「だけど、おかしい。彼が消えた。直撃したら挽肉になっている筈なのに」

「あの、教官、殺人は厳禁なんじゃ……」

「大丈夫。治すから」


 さらりと恐ろしいことを宣いつつ、ヴァネッサはカイを探した。が、見つからない。

 その内に楕円軌道を描いて射出した拳が三号の元に戻って来た。そのままガチリと腕に嵌まる。

 機構に問題なし、とヴァネッサは判じた。


 そうしてヴァネッサが手元の制御に集中した一瞬を衝いて、三号の胸の真ん中から勢いよく腕が生えた。

 カイの腕だ。巨体の背中に取りついた侍の貫手は過たず核を抉り貫いていた。


「成程……射出部位に掴まって移動するとは盲点だった」


 ヴァネッサが感心したように呟く。

 拳が大きな分、避け際に掴まる程度は造作もなかっただろう。

 砂に戻っていく巨体を尻目に、カイは既に残りのゴーレムへと駆け出している。


「でも、まだ二体残っている。命令変更、挟撃、圧殺」


 間合いに飛び込むカイに対し、左右から押し潰すように迫る二体。

 だが、今の間でカイはこのゴーレムの弱点を見つけていた。


 制御が“精密”すぎるのだ。


 ゴーレム相手ではなく、少々でかい人間相手だと考えて問題ない。


 向かって右から来た一号がズシリと踏み込んだ瞬間、その足首に向けて気を練り込んだ足払いを放つ。

 綺麗に関節を打ち抜いた感触。だが、質量差からか、ゴーレムはたたらを踏みつつも耐えた。

 とはいえ、予想の範疇だ。カイの追撃は続く。

 一号の片足が浮いた間に返す足で震脚を放つ。地面が陥没し、着地する筈の岩足が空を切る。

 そのまま踏み込みで得た力を腰の捻りで逆の足に伝導。宙を泳ぐ岩の上体に回し蹴りを叩き込んだ。


 固いということは短所にもなりうる。人間のように重心をずらすことのできないゴーレムで精密な動作をしていれば、付け入る隙はいくらでもある。


 衝撃と共に足甲に重心を打ち抜いた感触が返る。

 そして、連鎖した衝撃に一号の体勢が完全に崩れた。


 徐々に傾いでいく一号は逆側から迫った二号を巻き込んだ。

 二体は巨体同士故に避けきれず、互いに体を引っ掛け合いながら豪快に地面に倒れた。

 大重量の転倒に地面が揺れ、離れて観戦していた学生たちの体が震動で僅かに浮いた。


「これはマズイ」


 ヴァネッサの呟きも既に手遅れだ。

 もつれ合い、立ち上がろうと手足をばたつかせる二体の上にカイが軽やかに跳び乗った。

 逆手に持つガーベラは刀気を解放されて、刀身に風刃を纏わせている。


 そうして、クサナギの加護の乗った一撃が二体を一気に串刺しにした。



「どうだ?」

「合格。文句なし」


 砂に戻るゴーレムから飛び降りたカイに、ヴァネッサは無表情なまま頷きを返した。


「了解。では、これで」

「ちょっと悔しい。ここからはアイアンゴーレムでやる」


 表情には出なかったものの、悔しさは爆発寸前だったのだろう。

 学生たちの本日最大の悲鳴を背に、カイは試験会場を後にした。



 ◇



 己の試験会場でキリエ・ノーステン武術担当教官は待ちぼうけを食らっていた。

 彼女の実技試験は対戦形式である。ルールは互いの実力差に応じて変更するが、当然、対戦相手がいないと成り立たない。

 最後の一人は教官自身が相手するのだが、先程、イリスから「もう少しでカイが着きます」と風声で連絡があったのだ。


(まだか、カイ・イズルハ?)


 苛立ちは別に誰に対してのものでもない。

 ただ、最終日になって試験の通告したのは律儀な彼女としては不満だった。公平ではないと感じていた。

 だからこそ、こうして対戦相手を待たせているのだ。


「私達の相手はまだなのかね、キリエ教官?」

「見ればわかるだろう。大人しく待て」


 気障な上に厭味ったらしい台詞にキリエは面倒くさそうに返した。

 何の因果か、カイの対戦相手は学生唯一のロードであるパトリックだった。

 二人の間には半年ほど前にちょっとしたいざこざがあったと他の学生から聞いていたが、真相は定かでない。


「対戦相手が逃げても致し方ないことでしょう。私達も以前とは違う。鍛えに鍛えた騎士部隊。もはや学生相手に遅れをとることなどない」

「まあ、サポートを四人まで許可したのは私だがなあ」


 戦闘において、遠近問わず、一人の相手に対して同時に攻撃できるのは四人程度だと言われている。

 それ以上は誤射や効率の問題がでてくる。無論、相手が巨人種や竜種のような建物並の巨体なら話は別であるが。

 ロードによって強化した攻撃要員が四人。これで駄目なら、たとえ倍の人数を動員してもカイには勝てないだろう。


「ところで、今日の私達の対戦相手は誰かな、キリエ教官?」

「勝ち確定みたいなこと言う前にそれを訊け。……いや、いいか。そら、相手が来たぞ」

「む、どこだ?」


 パトリックが辺りに首を巡らせた次の瞬間、空から落ちて来たカイがぐしゃり、と生々しい音を立てて青年を下敷きにした。


「遅参した」

「なに、構わんさ。ああ、対戦相手はお前の足元だ」

「ん?」


 指摘されたカイがひょいっと退くと、そこには地面に半ばめり込んだまま痙攣している男子学生がいた。


「ギ、アガ……」

「お、生きてる。本当に鍛えていたらしいな。感心感心」

「失礼した。誰か治癒は――」


 できないか、と視線を向けると、おそらくこの学生の仲間であろう鎧姿の男達が一斉に竦み上がった。


「ヒィィィッ!!」

「く、来るな!!」

「な、なんで“斬首の鬼人”がこんなとこにいるんだよ!?」

「まさかコイツが対戦相手なのか!? 勘弁してくれ!!」


 サポートの四人全員が錯乱していた。

 文字通り腕を砕かれたトラウマが再発している者もいる。話は通じそうにない。


「待て。斬首の鬼人? なんだその二つ名は?」

「くく、いいじゃないか。似合ってるぞ」

「笑うな、“烈剣”」


 何が可笑しいのか、腹を抱えて笑っているキリエに、カイは怒気混じりの視線を投げかける。

 だが、女サムライは意に介した様子はなく、ひたすら笑い続けている。


「甘んじて受けろ。防衛戦争からこっち派手にやっているんだ。二級ギルドへの昇格も最速だったらしいじゃないか。だったら、こいつは必然だろうさ。くく、腹が痛いな」

「……“天翔ける戦女神”」


 その時、カイがぼそりと告げた言葉にキリエの笑いがぴたりと止まった。

 顔色がみるみる青くなっていく。


「ど、どこでそれを?」

「俺の師の一人は隠密と諜報の達人だ。俺もこの程度なら造作ない。まだまだあるぞ。“赤国のペガサス”、“翼の生えた剣”、“天使の――」

「やめろっ!! ほ、ほら、そこの残りを片付けたら合格でいいぞ」

「いいのか?」

「ああ。一刻も早く私の視界から消えてくれ」

「了解した」


 その後、数人の心に深い傷を残しつつ、カイは次の試験会場へと向かって行った。



 ◇



「やあ、来たね」


 いつも講義で使う森の入口でウィリアム・ボウ技能担当教官は軽薄そうな笑みと共にカイを迎えた。


「俺一人か」

「僕の試験は毎回意地が悪いって評判だからね。一縷の望みを賭けてやって来る学生達を絶望に叩き込むのが楽しいんだ」

「趣味が悪いな」

「無策で突っ込んで来る子たちが悪いのさ」


 挨拶代わりの軽口の応酬を交わしつつ、ウィリアムは懐から緑色に塗装された石を取りだした。

 特殊な染料によるものか。緑石は僅かに燐光を放っている。


「森の中にこれと同じ『発光石』を隠した。それを探すのが試験内容だ」

「ふむ……」


 カイは秘かに鼻をひくつかせる。石に色付けした染料からは微かに香料の匂いがする。何となくだが、魔力も感じるような気がする。

 となると、カイは魔力を感知できない分、大きなハンデがあることになる。

 侍は頤に指を掛けて黙考し、暫くして徐にウィリアムに尋ねた。


「確認するが、今回確保すべきはそれと同じものだな」

「肯定だ」

「この場所は既に森の中に含まれるか?」

「うん? 肯定、でいいかな」

「では、お前が手に持つそれを奪うというのはアリか?」

「……」

「……」


 次の瞬間、二人は同時に駆け出した。


 五分後、追撃戦に勝利したカイは、発光石を手に森を後にした。



 ◇



 四つ目の試験。カイにとって本日最後の試験は武術の塔の傍に設けられている野外闘技場が会場となっていた。

 一足先に着いていたイリスが嬉しそうに手を振っている。


「こっちよ、カイ!! その様子だと他三つは合格できたみたいね」

「ああ、あとは此処だけだ」


 二人の視線の先、深紅の道衣に身を包んだライカ・パウウェル武術担当教官は微動だにせず、静かに気を練り上げている。

 どう見ても戦闘体勢に入っている。常の怠け気味な様子とはまるで正反対だ。


「意気込んで来た所悪いけど、あたしも仕事だからね。簡単には合格もやれないわ」

「いつもみたいにダラけてもいいんですよ?」

「嫌よ。殴れる時に殴っておく主義なの。カイには借りも返したいしね」

「……カイ、教官に何したの?」

「さてな。ライカとは直接当たったことはなかった筈だが」

「そうなの? まあ、向こうはやる気満々だし、気合入れていきましょう!」


 声と共にイリスは背から弓を取り出し、展開する。

 魔力は十分。魔弾の生成に不安はない。

 カイも静かに刀に手を掛ける。手を抜いて勝てる相手ではないのだ。


「試験内容はあたしに一撃入れること。シンプルでいいでしょう?」


 気楽そうな口調で告げるライカ。だが、口元に浮かぶ獰猛な笑みは見紛うことなき戦士のそれだ。


「その代わり、本気でいくわよ。――地霊と水霊よ、我が身に宿れ」


 簡潔な祝詞共に、巫術が起動する。

 一時的に力を借りうける術式ではなく、一定時間、その身に精霊を宿らせる高位降霊術式。


「――気鎧・白澤」


 ライカの身に二柱の精霊が宿り、同時に肉眼で捉えられるほどの密度の気が全身を覆っていく。

 二重巫術を合わせた黄金色の気の鎧。

 複数の精霊を降ろすことに耐えられる隔絶した魂の容量。モンクの中でも巫術に優れる一部の者だけが名乗ることを許される『巫女』の権能であった。


「いくぞ、イリス」

「りょーかい、後ろは任せて!!」

「――来なさい」


 ライカに声に応じるように、先陣を切ってカイが走る。

 一足飛びに間合いへ入り、全身の捻りを加えてライカの顔面に刺突を放つ。

 加速は十分。走る切っ先に全体重を乗せて突き出す。


 だが、ガーベラがライカに触れた瞬間、切っ先が見えない壁にぶつかったかのように押し留められた。

 目を狙ったというのにライカは一切回避行動を取らず、カウンターの拳を放とうとしている。


「チィッ!!」


 刀を通して止められた感触が伝わると同時、カイは即座に背後へ跳んだ。

 入れ替わりにイリスの矢が立て続けにライカを襲うが、その体に触れた矢の悉くが勢いを失って落ちた。

 纏う気の鎧を貫ける様子はない。


「硬っ!?」

「いや、硬い訳ではない」


 着地したカイは改めて無言で構えるライカを見遣る。

 単純な身体強化でカイの刀を防ぐことはできない。その程度の自負はある。


「切っ先から伝わった感触は水に突き込んだようなものだった」

「んー、圧縮した気を水か泥みたいに纏っているのかしら。無茶苦茶ね」

「ああ。本体まで刃が届かないのは癪だ」


 通常、刃を押し止める程の大量の気を纏い続けるのは不可能だ。体力が保たない。

 ライカが気鎧を維持できるのは、その場から動けなくなる代わりに大地と一体化したことで莫大な生命力を地中から汲み上げているからだ。

 そうして得たもの全てを防御に当てた一種の不動結界がこの術である。

 二柱同時降霊の難度を併せると、使えるのは大陸全体でもライカだけだろう。

 修得困難な割に使い勝手は良いとは言えないが、拠点防御用と割り切ればこれほど厄介なものもない。


(クルスと相対した者はこういう気分を味わうのか。恐い話だ)

「それで、どうするの?」

「無論。届かないなら、届くまで削るだけだ」

「ん、了解。フォローするね」


 カイが地面を蹴って再度斬り込む。

 応じてライカも拳を構えるが、その先端に狙い澄ましたイリスの矢がぶつかり、軌道を逸らす。

 矢は気の鎧を貫けないが、衝撃自体は徹る。拳やこめかみなどを的確に撃たれては如何な達人とて動きが鈍る。


 そこに侍の剣撃が殺到する。手応えは薄い。気の密度が厚過ぎて刃が届かない。


「――シッ!!」


 故に、攻撃を連続させる。

 汲み上げる量よりも削られる量が多ければいつかは貫ける。

 ならば、その瞬間まで攻撃し続ければいいだけだ。


「この、鬱陶しいわね!!」


 ライカが強引に腕を払う。未だ無傷であるが、全身を打たれるのは無論、気分のいい話ではない。

 いつ呼吸しているのか疑うほどにカイの連撃が続いているのもそれに拍車を駆けている。

 カイの敏捷性とイリスの妨害が合わさると攻撃がまるで当たらなくなる。苛立ちばかりが溜まる。


「吹き飛べ。――発剄!!」


 このままでは埒が明かないと見て、ライカは気を衝撃波の如く全方位に放射する。

 が、攻撃の予兆を見切ったカイが一瞬早く下がる。

 それでも、ひとまず一息つけるかとライカは思考し、同時にイリスの姿がないことに気付いた。


「こっちです、教官」


 視界の隅を、たなびくリボンが掠めた気がした。

 背後からの声にライカは反射的に裏拳の一撃を放っていた。

 気配は何故か捉えられず、感覚頼りの攻撃だが、拳の間合いでスカるほどライカは甘くない、筈だった。


「っと!? やっぱりまだ完全じゃないか」


 必中を企図した拳撃は空を切った。そのまま伸びる腕に逆らわず背後に振り向く。

 狙った通りの位置に弓を構えたイリスが居た。つまりは至近距離。互いの呼吸を感じる。そんな距離。

 だからこそ、先の一撃が当たらなかったのが不可解だ。

 しかし、ライカはひとつの予測を得た。カイやクルスは無理でも、この生徒ならば可能な技術がある。


「あなた、まさか!?」

「舌噛みますよ、教官。――散れ!!」


 警告を残し、イリスは零距離から矢を放つ。弦から解き放たれた矢は瞬時に分裂してライカの全身を打ち据える。

 貫けぬなら面攻撃で削る。矢が分裂するアローレインの特性上、貫通力は低いが制圧力は高い。


「クッ!!」


 気絶を防ぐため、ライカは咄嗟に両腕で顔面をガードした。

 ほぼ全身に分裂矢が当たり、連続する衝撃に一瞬呼吸が詰まり、五感が制御を離れた。

 それでも、迫る気配に戦闘本能が反応した。

 踵を返し、正面からカイを捉える。

 気力は削られたが、それでもまだ侍の攻撃を防ぐには十分な量がある。


 この時、ライカはひとつだけ判断を誤った。

 サムライには気鎧を削り切ることを可能とする技があることを失念していた。

 否、存在することは知っていても、その目で見たことはなかったのだ。


 カイが刀を上段に構えたまま、するりと間合いに踏み込む。

 即座に振り抜かれる一刀は強靭だが、しかし、ライカの身には届かない――“一撃”だけでは。


 一刀が振り下ろされた次の瞬間、鋼刃が羽ばたいた。


 ライカは己の目と感覚を疑った。

 振り抜かれた筈の一刀は終点で止まらず、まるで初めからそう決まっていたかのように、刀全体がくるりと反転したのだ。

 刃は上向き、水月から脇へと抜けるように逆袈裟に斬り上げていく。

 その様はまるで翼が翻るかの如く、有り得ない軌道を描く刃が風を切って走る。


 一振りにて数撃を放つ運剣妙技の極致。


 ――その名を“飛燕剣”と云う


 瞬きの間に放たれたのは四閃。

 一撃では届かずとも、一瞬で立て続けに斬られてはさしもの金城鉄壁も補い切れなかった。

 ライカが大地から気力を汲み上げるよりも圧倒的に早く鋭く連続して、カイの剣は気鎧を削り斬った。


 斬、と振り抜く袈裟の一刀。切っ先で確かにライカ本体を捉え、皮一枚断った感触が手に残る。

 前にオオワシ戦で使った時は体が追いつかなかったが、もうそんなことはない。

 『最速の一撃を連続で放つ』というカイの完成形にまた一歩近付いた瞬間だった。



「届いたぞ」

「そうね、合格よ。一発も殴れなかったのはちょっと不満だけど」


 ライカが構えを解き、合格を告げる。

 と、その時、先の一撃に切り裂かれたライカの道衣の胸元がはらりと落ちた。

 常は道衣に押し込まれている二つの果実が露わに――なる前にイリスがカイの両目を塞いだ。


「どうした、イリス?」

「カイは見ちゃ駄目。見たいなら私かソフィアが見せてあげるから」

「何の話だ?」

「はいはい、ご馳走さま。イリスも合格だから、とっとと帰りなさい」


 道衣を適当に縛って当座の処置をしたライカはどこからともなく瓢箪を取り出して一気に呷り始めた。

 かなり度の強い酒なのだろう。酒精の匂いがカイ達の所まで漂ってくる。

 どう見てもヤケ酒だ。この学園の教官は誰も彼も負けず嫌いなのだろうか。

 ともあれ、あまり酒に強くない侍は従者と共にそそくさとその場を後にした。



 ◇



「んー、終わったー。あとはクルスと合流するだけね」


 のびのびと両腕を伸ばしてイリスが呟く。

 遠くを見れば、山間に日が沈みかけている。夕暮れは目にしみるような眩しさを放っている。

 二人は微かに目を細めながら、なんとはなしに日没を眺めていた。


「助かった」

「いいのよ。私の試験でもあったんだし」


 簡潔すぎるカイの礼にもイリスは気を悪くした様子はなく、いつもの笑みを返す。

 ただ、目には微かに後ろめたさのようなものがあった。


「それに、私は、私の為に他者に尽くしてるの。気付いているんでしょう?」

「それでも、ありがとうとソフィアなら言うだろう」

「……ええ、多分そう言うわね」


 主の微笑みを思い浮かべ、従者は頬を緩ませた。

 誰よりも人の心に影があることを理解しているのに、ソフィアの笑顔は透き通るように純粋だ。

 人が醜くて、心中はエゴで満ち満ちていることを感じながら、それでも少女は人の善意を信じているのだ。

 主がまっすぐ育ったことは、共に生きる従者にとって誇りだった。


「ん? 噂をすれば影か」


 カイが顔を向けた先、道の向こうからソフィアが夕日を受けて輝く金の髪をなびかせて走ってきていた。

 そのまま止まることなく少女は両手を伸ばして飛び込んだ。もし避けられたら、などとは一片も考えていないのだろう。

 侍は苦笑しつつ、驚くほど軽い少女をしっかりと抱き留めた。


「ハア、ハア、ハア。……カイ、カイ!!」

「どうした?」

「ううん、何でもないです。ようやく時間が空いたので会いに来ました」


 胸にすっぽりと収まり、ぴたりと体を寄せた少女から、微かに花のような香りがした。

 少女もまた十日ぶりの侍の気配に荒んでいた心を落ち着かせていった。灯台(シルベ)を元に自分の居場所を再確認する。


「……カイも大変だったようですね。お手伝いできず、申し訳ありません」


 抱き合ったまま、心を読んだソフィアがしゅんと項垂れる。

 ただでさえ日常生活では役に立てないのに、他の面でも不要になったら立つ瀬がない。

 ギルドを組んでから十日も離れていたことが初めてということもあって、心中では焦燥を感じていた。

 対する侍は溜息を吐いて、腕の中の少女の表情を隠す金の髪をやや乱暴に撫でた。


「ん……」

「依頼も溜まっている。これから存分に動けばいい」

「はい!!」

「それで、ソフィアはもう論文提出したの?」


 目を細めて可憐に微笑むソフィアの頬をイリスがつつきながら問う。


「はい、つつがなく。イリスもお疲れさまでした」

「うん。じゃあまあ、久しぶりにみんなで酒場(ビフレスト)でも行かない?」


 ちらりとカイに視線を向ければ、特に断る風もなくただ頷きが返ってきた。


「クルス次第だな」

「説得するわ!!」

「ふふ、おまかせしますね、イリス」

「任されたわ。さあ、早く行きましょう!!」


 二人の手を引いてイリスが足取り軽く進んでいく。

 夜はまだ遠い。

 そうして、騒がしくも平和な一日は続いていった。

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