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刃金の翼  作者: 山彦八里
二章:ギルド
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10.5話:因果の剣

 赤国は帝都の一角にミハエル達が通う学院はあった。

 創立から約五十年。貴族しか通えないためにルベリア学園ほどの規模はないが、軍国主義が後押ししていることもあって戦闘教義と関係設備は一流所が揃っている。

 その中でも演習用のアリーナは学院を象徴する建造物として有名である。

 円形状の外観と、すり鉢状の観客席に、シンプルな砂地の戦場。

 シェルターなどにも使われる硬化、障壁発生の刻印術式をふんだんに刻んだ壁で観客席と隔てられた戦いの場は、設立されてから一度として観客席に流れ弾を通したことがない。

 そのアリーナの中には今、一人の男性と二人の子供がいた。


 ブルネットの巻き毛の下、目を閉じ、手を組んでいるのは、フィフィアーナ・ニミュエス。

 彼氏よりも半年早く誕生日を迎えて十一歳となった少女は、見るからに悲痛な表情で一心に祈りを捧げていた。


 対して、フィフィと対照的にイライラとした様子で待つのは赤毛の少年。

 代々ウィザードを輩出してきたヴァリド家の長男。名をマルク・ヴァリドという。

 生まれついての貴族であり、家から連れてきた配下を横に侍らせている姿も様になっている。

 だが、苛立ちを示すように、手に持つ大仰な杖の石突きで地面を叩いている姿にはあまり余裕が感じられない。

 そんな、どこかチグハグな印象を受ける少年だ。

 しかし、本人以上に、その印象を助長しているのは間違いなく杖の所為だ。長大な杖はとてもではないが子供の身長にあっているようには見えない。


 杖はウィザードにとって騎士の剣に等しい。身の丈に合わない物は使いこなすことはできない。

 無数の術式強化刻印がなされたその杖は、赤国でも一般にはまだ出回っていない軍の最新装備だ。

 少年の両親が金にあかして商人ギルドから秘かに買い取ったものだ。

 息子がその年齢で使いこなし、あまつさえ凶器に等しいそれを級友に向けるとは両親も考えてもいなかっただろう。


 端的に言って、少年は力に酔っていた。

 無理もない。少年には才能があった。“聖性持ち”には劣るが、それでも世のウィザードの多くを抜く程の才だ。

 息子が学院の誰よりも早くウィザードとなったことで両親も浮かれていたのだろう。

 幼い心と体に、魔法という強力すぎる力が宿る危険性を考慮していなかった。



 そもそも、この決闘の発端は学院で飼っている馬に向けて少年が魔法を撃っているのをフィフィが注意したことだった。

 同じウィザードとはいえ、フィフィは契約こそしたものの、魔法の詠唱はできない半人前だ。

 少年の幼い心は、格下とみなした相手からの言葉に怒った。対抗手段を持たない少女へ杖を向けた。


 そこに割って入ったのがミハエルだった。


 少年はさらに激怒した。

 同級生で唯一魔法が使える自分に、剣を振るうしか能のない雑魚が食ってかかった。そう認識した。


 少年は相手がファイターだと理解した上で、自分が負けることがないとわかった上で、決闘を吹っかけた。


 そして、勝利した。

 相手を黒焦げにして――ミハエルに加護がなければ死んでいただろう程の怪我を負わせて――これ以上なく勝利した。

 少年は勝者である自分が全てを手に入れると思っていた。


 だが、現実は違った。

 倒れたミハエルに泣きながら縋りつくフィフィを見て、少年はこれ以上ない程の屈辱を感じた。


「勝ったのはボクだ!! お前はボクの物だ、そいつのじゃない!!」


 そうして、理不尽のままに少女の腕を掴もうとした時、殆ど死体になっていたミハエルが動いた。

 ヴェルジオンに連なる不屈の魂が、幼い体を動かしていた。


「……勝手なことを、いうな」


 瀕死のミハエルはしかし、その目に強烈な光が宿っていた。

 マルクは知らない。目の前のソレが死線を潜り抜けた戦士であることを。

 だが、本能が理解した。目の前のソレは殺意を以て自分を殺せる存在だと。

 その時、マルク・ヴァリドは確かに恐怖した。

 恐怖した自分と、させた相手が許せなかった。


「だ、だったら一週間後、もう一度決闘だ!!」


 今度は、息の根を止める。暗にそう告げていた。

 そうして、一週間が経ち、状況は今に至る。



 ◇



「に、逃げたんじゃないのか?」

「……」


 マルクの声にフィフィは応えない。ただ、一心に祈り続ける。

 少女はミハエルが来なければいいと、半ば本気で思っていた。

 目の前で炎に焼かれた想い人の姿は脳裏に焼き付いている。

 それをもう一度見たくはなかった。


 だが、そんな自分勝手な願いが叶わないこともまた、理解していた。


 その時、軽快な足音がフィフィの耳に届く。

 目を開け、顔を上げる。

 聞き間違えることなどない。それは、いつだって少女の心に光をくれる少年の足音だ。


「待たせちゃったかな?」


 アリーナの入口に、ミハエル・L・ディメテルが現れた。

 自分と同じくらいの身長なのに、フィフィにはその姿がやけに大きく感じられた。


「やっぱり来ちゃうのね」

「うん、約束だからね」


 多少の緊張を滲ませながら、ミハエルはフィフィに答えた。

 少しだけ固い、しかし、いつものように向日葵のような笑みを浮かべる少年を見て、フィフィは我慢できなくなった。

 両手を伸ばして抱きつき、その胸にすがりつく。

 しっかりと抱き留めてくれる頼もしさが、しかし、今は悲しかった。

 そんな力が、才能がなければ、ミハエルは退くこともできたのかもしれないのだ。


「死んじゃ、ダメだよ」

「ごめん。でも今度は大丈夫だから」


 確信を込めて告げられた言葉に少女は顔を上げる。

 そして、気付いた。たった一週間会わないだけで、想い人は様変わりしていた。


 栗色だった髪は――おそらくは火に晒されて――明るい茶色になっており、肌も焼け、顔にもいくつか傷痕が残っている。

 纏う雰囲気もどことなく鋭さを増し、体つきも一回り大きくなっている。


「ミハエル?」

「大丈夫だから。はなれてて」

「うん……」


 フィフィは邪魔にならないよう観客席に避難した。

 それを確認して、ミハエルは先程からこちらを睨んでいるマルクに向き直った。

 敵意と戦意の籠もった二人の視線が交わる。


「今度も丸焼きにしてやるよ、ファイター」

「一週間前と同じだと思うな、ウィザード」

「……審判」

「ハッ!!」


 マルクの声に隣に侍っていた男性が進み出る。

 決闘の見届け人はマルクの家の者だ。でなければ、決闘自体を止められる可能性が高いからだ。命を賭けるには、二人はまだ幼すぎる。


 審判役はミハエルを見て若干気の毒そうな顔をしたが、少年が小さく頷きを返すと、覚悟を決めて右手を挙げた。


「公正に審判することを赤神ザーレストに誓います。――両者、前に」


 十分な距離を取ってミハエルとマルクは対峙し、互いに剣と杖を構える。


「それでは、始め!!」


 二人の状況を確かめ、審判は右手を振り下ろした。


「あつまれ……」


 開始の号令から即座にマルクは魔力の充填を始めた。

 掲げられた杖の先端を中心に世界が書き換えられていく。

 一週間前は感じられなかったそれをミハエルの鋭敏化した意識は確かに感知した。


「お前の剣は届かない。燃えろ、燃えてしまえ!!」

「それを決めるのは君じゃない」


 互いに己の心を奮い立たせる為に言葉を放つ。

 だが、台詞とは裏腹にミハエルの体は竦みかけている。一度黒焦げにされたのだ。恐くない筈がない。


 それでも、と少年は歯を食いしばって耐えた。

 それでも、退く訳にはいかなかった。

 この決闘は既に自分だけのものではない。ここで負ければ、多くのものが喪われる。


 敗北の先にある暗い未来は、この身を焼いた炎などよりもずっとずっと恐ろしいものだ。自分以外の何かが喪われる。それが何よりも怖かった。

 だから、退くことはできない。


 そうして、心臓が忙しく脈打ち、掌を汗が伝う中、ふと心中をよぎったのは侍の言葉だった。


『剣を信じろ。一瞬の迷いもなく振り抜くこと、それが秘訣だ』


 その言葉の意味は、こうして実際に決闘に入ってやっとわかった。

 恐怖を消すことはできない。緊張するのは避けられない。

 けれど、手に持つ一刀はそんな気持ちを遥かに超えていく。


 祖父の貸し与えてくれた剣、クルスと共に学び、カイによって鍛えられた武。

 一人ではここに立つことも出来なかっただろう。

 だが、一人ではないからこそ、信じることが出来る。


(僕は僕たち(・ ・ ・)の剣を信じるよ、カイ)

「――来い!!」


 ミハエルはその場で両足を開き、剣を正眼に構える。

 明らかな迎撃の構え。意図もまた明白だ。

 十メートルを隔てて、マルクの顔が激情で真っ赤に染まったのが見えた。


「――昇華せよ、フレイムランス!!」


 たっぷりと時間をかけて、遂に炎の槍が放たれた。

 轟と燃える炎、敵手を貫かんと伸びる穂先。

 大陸で最も使い手が多く、それ故に、戦場で最も多くの命を奪ってきた炎熱魔法が牙を剥く。


 対するミハエルは小さな体にありったけの勇気を滾らせ、炎槍を迎撃する。


「――術式、起動、“マイムⅠ”」


 この一週間で何度となく繰り返した起動手順をなぞる。

 声と共に、腕を伝って刀身に魔力を流し、刻印術式を起動。

 ミハエルの手に持つ細剣から水刃が勢いよく伸びる。

 薄く、透明な刀身はしかし、確かな刃を具えている。


 魔導兵器。その存在はマルクも知っていた。魔法には遠く及ばない性能であることも。


「そんなもので!!」

「――――」


 ミハエルは答えない。限界まで集中した視界の中でゆっくりと迫る炎槍に意識の全てを集中する。

 赤々と燃える炎の穂先が徐々に視界を占めていく。高熱を感じてチリチリと産毛が焼かれている。

 そして――


(――視えた)


 あと少しで着弾という段になって、ミハエルの意識はようやく術式の核を捉えた。

 位置はカイとの訓練通り、中心よりやや前方。

 狙うべき場所を認識すると同時、ミハエルは剣を振りかぶり、大きく一歩を踏み出す。


「はああああああっ!!」


 迫る炎槍に負けじと腹の底から咆哮を上げる。

 その刹那、少年の意識はすべてを振り切り、純粋な一心で剣を振り下ろしていた。


 “焔切”


 美しさすら感じられる心剣一致。

 七日間、飽きるほど繰り返した動作を体は遅滞なく再現する。

 剣が振り抜かれる。

 炎の槍に斬った感触はなく、しかし、ミハエルには届いた確信があった。


 そうして、水刃を纏った一閃が正確に術式の核を切り裂く。

 炎槍を構成する術式は解れ、魔法という奇跡は武術という必然によって霧散する。

 秘匿技術に迫る技は、確かに魔法を打ち破った。


 後には、微かに熱が感じられる魔力の残滓だけが残った。



 その一刀は決して褒められた存在ではない。元を正せば、子供の喧嘩から生まれたものなのだ。

 だが、相手の子供(ウィザード)にはヒト一人を容易く焼き殺す力があり、それを躊躇なく行使していた。

 心と力のアンバランス。これを放置すれば、いつかより大きな悲劇が起こる。

 故に、斬る。

 ヴェルジオンに連なるミハエルの不屈の魂は半ば本能的にそう決意した。

 そして、幼き心に灯った勇気は外から吹いてきた風が高めた。

 高まる熱は戦士を鍛え、ここにその全てを結実させる。



「ば、馬鹿な。ボクの魔法が斬られた!?」

「――早駆(ダッシュ)!!」


 敵手が動揺している内に、漂う魔力の残滓を突き破ってミハエルが加速する。

 十メートルという距離の守りが即座に消える。

 二人の間合いはウィザードから、ファイターのそれへと移る。


「く、来るなッ!!」


 マルクの悲鳴もどこか遠く、ミハエルは踏み込みのままに細剣を一閃する。


「ッ!?」


 反射的に目を閉じたマルクだが、その体には傷一つない。

 代わりに、その手から杖が真っ二つになって弾き飛ばされた。

 からん、と甲高い音を立てて両断された杖が地面に転がった。


「あ、ボクの、ボクの杖が……」


 咄嗟に拾い上げようと手を伸ばすマルク。

 しかし、喉元に突き付けられたミハエルの剣が押し止めた。

 水に濡れ、ひやりとした冷たい刃の感触に、マルクはようやく状況を把握した。

 すなわち、自分の命は今、敵手が握っているということを。

 今まで命を奪ってきた動物たちの姿が脳裏をよぎった。そして、彼らと今の自分の立場が同じだということも理解した。


「あ、あああ……」

「降参しろ」

「……え?」


 次の瞬間にくるであろう痛みに怯えていたマルクが呆然と聞き返す。

 ミハエルは真剣な表情のまま、同じ言葉を繰り返した。


「降参しろ。一週間前、君は再戦のチャンスをくれた。だから、今度は僕の番だ。一週間後、もう一度戦おう。……うん、次は、何のしがらみもなくね」


 最後の一言には小さく笑みを添えて、少年は告げた。


 その時、マルクは幼いながらも、相手との差を感じた。

 一週間で炎槍を攻略してみせる技量、相手を赦す度量、どちらも自分にはない物だ。


「……ボクの負けだ」


 悔しさから俯きながらも、少年はしっかりと口にした。

 ミハエルは頷き、剣を納めた。


「審判さん」

「あ、はい!! ――勝者、ミハエル・L・ディメテル!!」


 終わってみれば呆気ないほどの時間で、しかし、当事者にしてみれば数時間にも感じられた数十秒をもって、決闘は終了した。



 ◇



 一週間後の再戦を約束して、マルクは去って行った。


「次は負けない」


 涙の跡と赤みの残る目で、しかし、しっかりとこちらを見据えて告げたマルクの姿に、ミハエルもまた気を引き締めた。

 自分が一週間で対抗策を身に付けたのだ。同じ時間で相手が何もできないと考えるのは楽観的すぎるだろう。



「ミハエル」

「あ、フィフィ」


 観客席から戻って来たフィフィが目の前に立つ。

 こちらも目には赤みが残っている。いつもは無邪気に笑いかけてくれるその顔も今は固いままだ。

 ミハエルは少しだけ気まずさを感じた。結果はどうあれ、心配させたことに変わりはないのだ。


「それ……」

「ん? あ、残ってる?」


 フィフィの細い指がそっと頬の傷痕に触れる。少しくすぐったい。

 決闘で付いたものではない。とすれば、訓練の間に受けた傷なのだろう。


「無茶したんだね」

「うん。ちょっとだけ……じゃないけど」

「もうこんなことしないでって言ったら、きいてくれる?」

「……ごめん」


 ミハエルはフィフィの言葉に頷けなかった。

 少年の肩には既に『魔導兵器を実戦運用した』という責任が乗っているからだ。

 かつて、カイが祖父に語った内容を思い出す。


『魔導兵器の導入によって戦争は大衆化する。より多くの者が戦争に参加し、それだけ多くの者が死ぬことになる』


 図らずも、単独で魔法を撃ち破り、ウィザードに勝ったことで自分はそれを証明してしまった。

 最も間口の広いファイターが、絶対数の少ないウィザードを武器ひとつで打ち破れるようになれば、戦争は確実に変わる。

 あるいは、自分は魔導兵器が普及する一助になってしまったかもしれない。

 少なくとも、一週間の訓練で蓄積された戦闘記録は魔導兵器の開発を加速させる要因となるだろう。


「……ミハエル」


 フィフィの悲しげな表情にミハエルは何も言葉を返すことが出来なかった。

 そうして、沈黙したままいくらか時間が経った時、フィフィは「わかった」と頷いた。


「私も強くなる。ミハエルと一緒に戦う。魔法も覚える」

「フィフィ!?」


 少年の驚きを余所に、少女は淡々と覚悟を決めていく。


「誘拐事件の時と今回で、私は二度命を救われた。その恩を返す、残りの人生で」

「そ、それは……」

「いらないの?」

「そんなわけないから泣きそうな顔しないで!!」


 じわりと涙目になった少女を前に、ミハエルは慌てて応えを返す。


「うん、じゃあ、これからもよろしくね!!」


 承諾を受けて、一転して笑顔になるフィフィ。

 「男は女に勝てるようには出来ておらん」と祖父が言っていた意味をミハエルはおぼろげながら理解した。


(僕も頑張らないと)


 ひとまずは、師匠(カイ)に報告に行こう。

 そうして、少年は少女の手を取って、アリーナを後にした。

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