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刃金の翼  作者: 山彦八里
二章:ギルド
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6話:神樹

 森人(エルフ)という種族は人間に最も近く、同時に最も遠い種族でもある。


 ハーフエルフのヴァネッサ教官のように、エルフは人間との間に子を成せるという点では獣人(セリアン)水人(メロウ)よりも生物として人間に近い。

 肌の色が格別に白いことや、耳が尖っていることを除けば外見的差異も殆どない。また、亜人の中で最も古くから人間と交流を持つ種族ということもその意識を後押している。

 千年以上前、大陸の五大国の原型が出来た時には既にエルフは人間と共にあったのだ。

 特に緑国はエルフの血が濃く、国民の多くが混血であるとすら言われている。


 しかし、同時に、人間の十倍ともいわれる寿命の長さ故に、エルフは始祖『緑神ネルニア』の血を色濃く継承しており、全種族の中で最も神に近しい存在だと言われている。

 高い魔力と生まれつきレンジャーやモンクの適性を持つ彼らは緑神の眷族として聖域の守護を己に任じており、その為に五大国の黎明期には開拓者となる者も多かった。

 その結果、現在、彼らは大陸南部を中心に広い地域に分布し、しかし、聖域の防人としてどこか閉鎖的であるという矛盾を孕んだ“生きる幻想”となって、今に至る。



(緑神の眷族、聖域の守護者、始原の一族。人間に近しいとはいえ、エルフは神聖な種族であり、敬意を以て接する存在の筈……)

「このお店は鳥の香草の包み焼きがとってもおいしいんですよ!!

 あ、今の時期ならシチューもいいですね。そうすると食前酒は白ワインの方が――」

「筈なのだが……」


 満面の笑みで菜譜をめくるクィーニィにクルスは硬い笑みを返した。

 一行はクィーニィの笑顔に押し切られ、いつの間にか通りの食堂のひとつに入店していた。場の主導権は既に彼らの手にはない。


(イリス、エルフとはこういった種族だっただろうか?)

(私に聞かないで、お願い。今頑張って自分の中のエルフ像を修正してるの)


 二人の視線の先、構われまくったソフィアが笑顔のまま固まっている。クィーニィの母性全開の怒涛の攻勢に脳の許容量を超えてしまったのだろう。

 起こしてもまた固まってしまうだろうからそっとしておくことにした。


 彼らが入った食堂は冒険者だけでなく一般客も利用する普通の飯所だ。他国と比べてエルフが多いのが珍しいくらいだろうか。

 店内は昼時ということもあって少々混んでいたが、クィーニィに気付いた客が快くテーブルを空けてくれた。

 どこぞの支部長とは違い、民にも随分と慕われているのが窺える。


「クルスさん、もしや香草は苦手でしたか? それでしたら此方の――」

「あ、いえ……」

「クィーニィ」


 ここに来て漸くカイが口を開いた。

 顔に「苦手だ」とはっきりと書かれているのに、表情はいつも通りの無表情なのが不気味だ。

 斬りかかったりしないよな、と信用や信頼とは別の次元で騎士は侍の動向を心配した。


「試験内容について説明してくれ。その方が皆、食事に専念できる」

「あら、それは失礼しました。では、先に試験の説明をいたします」


 一旦菜譜をおいてクィーニィが姿勢を正す。

 その間にイリスがこっそりソフィアを起こして、全員が聞く体勢に入った。


「といっても、難しいことはないんです。試験内容は皆さんの中からお二人を選んで、神樹の森にある『試練の(うろ)』に入り、その中から『リンドバウムの実』を取って来るというものです」

「ふむ……」


 洞というのは樹に出来た穴のことを指す。街の外からでも見える神樹の巨大さなら、洞の大きさも相当なものになるだろう。


「二人という制限は何故ですか?」

「神樹の側の許容量の限界で二人までしか入れないんです。あ、あと金属の武器防具は森自体に持ち込めません」

「やはり、そうですか」

「多くの聖地では血を流すことを禁じていますからね」


 戦闘能力が激減する制限だ。杖なしでも多少は魔法が使えるソフィアはまだどうにかできるが、それでも辛いことに変わりはない。

 素手で戦うなら兎も角、普通は余程のことがない限り戦闘を避けるだろう。


「戦闘を回避して実を取ってくればいいのですか?」

「ちょっと違います。試練の洞というより神樹の森自体、防人が保護しているので身体への危険はありません。もちろん魔物もいませんよ」

「へー、さすがはエルフね」


 レンジャーとしてその苦労が理解できるイリスが感心したように呟く。

 遠目に見ても神樹の森はそれなりの広さがあった。その隅々まで手を行き届かせるのは、森に適応した種族であるエルフでなければ不可能だろう。


「始祖様のお住処ですから!! また、洞の中に入って出てこられなかった方や、負傷した方もいません。

 あ、実を取ってこれなかった方はいますよ? ですが、失敗しても今月中ならあと何度か挑戦できます」

「実というのはどのようなものなのですか?」


 好奇心に目を輝かせたソフィアが尋ねる。

 形状、性質等はクルス達も知りたかったので特に止めない。


「実というのは神樹の内に溜まった魔力を凝縮したものです。

 これを生み出すことで神樹は転生……というと大げさですが、一種の再誕を行っているんです」

「実を付けることを条件に緑神の『豊穣』の加護を受けているということですか?」


 学園の蔵書の殆どを読破したソフィアの知識は伊達ではない。

 加護の中には青神の『嵐避け』や『雨乞い』、緑神の『豊穣』など自然環境に直接効果を与えるものがある。

 そして、緑神の住処たる神樹が加護の一つも受けていないとは考えられない。


「その通りです。ですから、実を取って差し上げないと神樹は再誕できず、いずれ枯れてしまうんです。

 実自体も魔獣級の魔力結晶に匹敵する貴重品ですから気を付けてくださいね」

「い、意外と重要なんですね……」


 扱いは丁重にしないとね、とイリスが苦笑する。

 つい斬ってしまいました、などとなれば冗談では済まないだろう。


「昇級試験としての条件は?」

「特にありません。実を取ってくれば合格とします」

「……失礼ですが、それは試験として難易度が低すぎませんか?」


 条件だけ聞けば誰でも達成できそうな内容だ。

 クルスはそこまで二級という地位を軽視してはいない。


「そう思われるのも当然でしょう。ですが、ベガさんが薦めたということは、今の皆さんに相応しい依頼だからではないでしょうか?」

「ふむ……」

「クーさんもそう思ったんですか?」


 此処がこの支部長の人物像を掴む正念場だと判断したイリスが斬り込む。

 いくらエルフが長命故に他種族よりも長く勤められるとはいえ、ただのマスコットが就けるほど支部長という立場は甘くない。


 じっと見つめるイリスの視線にクィーニィは変わらず笑顔を返す。


「いいえ、私はベガさんほど頭は良くないので。なぜかと訊かれれば、ペルラちゃんから聞いていた皆さんに会ってみたかったから、といったところでしょうか」

「……えっと、それはいいんですか? 職権の濫用ですよね?」

「ええ。――ですが必要な(・ ・ ・)ことでしたので」


 その時、確信を込めて頷いたクィーニィの胸元から小さな光が舞い踊るように現れた。

 感応力のないカイにはみえないが、それは凝縮された魔力の光だ。


「……精霊? いえ、妖精ですね」


 発現した光に呼応するように瞳を蒼く輝かせたソフィアがその正体を看破する。


 人間で云う所の英霊に伍する魔物を『精霊級』と呼称するが、その語源となったのが独立して動く神の一部であり、時に人に味方し、時に敵対した超常の存在である『精霊』である。

 対して、『妖精』は一ヶ所に集まった魔力が自立して行動するまで成長したある種、生物に近い存在である。

 生まれたばかりの妖精は見かけは光の球体でしかなく、意思と呼べるものも殆どないが、年を経た妖精は人型を取って魔法の行使さえ可能とし、成長すれば最終的に精霊になるという。


 そして、人間の中でも妖精を身辺に招き寄せ、共存する素養を持つ者は『妖精憑き』と呼ばれる。

 妖精によって好む魔力の波動が違うので、妖精憑きになれるかどうかは運に等しい。一国につき一人か二人いる程度、大陸全体でも十人に満たない。


「クーさんは妖精憑きだったんですね」

「はい。この子たちが教えてくれたんです、今の内にあなた達に会っておけって。何故かはこの子たちも分かっていないみたいですけど」


 そう言ってほほ笑み、慈しむように妖精に触れるクィーニィ。

 美女と妖精による幻想的な光景に、クルス達だけでなく周囲の客達まで見入っていた。


「で、試練の洞には誰が挑む?」

「カイ、カイ!! ここ多分空気読むところよ!!」

「視えないものはしょうがあるまい」


 イリスに突っ込まれるが、カイに気にした様子はない。苦手な相手との会話を早々に終わらせたいのだ。

 こっちの気を知ってか知らずか、クィーニィは侍の憮然とした表情にも笑顔を返す。


「視えていなくても感じてはいるのに、そんなつれないこと仰ってはこの子たちも寂しがりますよ」

「さてな。妖精を斬ったことはない。だが、いつか試してみようと考えていた」

「あらあら」

「あーよし、探索メンバーを決めましょう!!」


 微妙な空気を押しやるようにクルスが強引に話を進行させる。


「先に意見があるなら聞いておきたい。誰かあるか?」

「兄さん、何度でも挑戦できるのなら、わたしは後にしていただけませんか?

 せっかくフロレントまで来たのですから本場の巫術をみておきたいです」

「それなら私がお見せできますよ?」


 第一線からは退いているものの、クィーニィは一流の戦士である。

 支部長の座こそ現場から四十年ほどかけてのんびり出世して最終的に就いた地位だが、戦争経験もあるベテランである。


「お願いします。カイもご一緒しますか?

 今は感応力がなくて習得はできないでしょうが、いつか――」

「いや、遠慮しておく。元より巫術は使えない」

「使えない? 瞑想の完成まで至っているのに?」

「ああ。師によると驚くほど感応力に欠けている、らしい」


 防衛戦争でライカが巫術で震脚を広範囲の地割れにまで強化していたのを思い出す。

 同じことは、たとえ魔力と感応力が戻ったとしても出来る気がしない。

 難しい、ではなく不可能だ。カイ・イズルハの性能ではどれだけ鍛えても巫術が使えるようにはならない。


 『巫術』とは元素を外部に発現させる魔法と違い、己の気を以って元素を内側に降ろす一種の降霊術だ。構成としては魔法に近い。

 魔法ほど精密な効果は望めないが、直接物質界に降ろすよりも負担少なく奇跡を起こせる。何より魔力を消費しない。


 ただし、何を降ろすかを認識しないといけないので感応力――つまり元素への理解力、交信力である――がある程度必要になる。

 感応力(さいのう)が足りなければ巫術は習得はできない。零と一の差は侍でも飛び越えられない。


「だから、いい。付いて行っても足手まといになる」

「……そうですか。残念です」

「んー、それなら私も後でいい? ソフィアに付いておくし、あと、巫術もそうだけどエルフの薬草調合も学んでおきたいの」


 イリスが手を挙げる。

 薬草学はレンジャーの習得技術の一種だ。錬金術のような厳密な学問ではないが、長ずれば治療薬の現地調合や効果の高い霊薬の作成が出来るようになる。中でもエルフは長い歴史の中で調薬技術を磨いてきた種族だ。

 基本は学園でも学べるが、蓄積した経験や器具の種類などはこちらの方が上だ。


「クーさん、たしか支部で一部知識は公開されてるのよね?」

「はい、資料の閲覧は可能です。受付で申請していただければ器具の貸し出し、購入もできますよ」

「ってことなんだけど、いい?」

「構わんぞ。なら、第一陣は俺とカイだな。いけるか、カイ?」

「問題ない」


 やっと話が終わった、と侍が珍しく安堵の息を吐いた。

 そして、一行に向けてクィーニィが笑顔のままに菜譜を取り出した。


「では、お話が終わったということでお昼ご飯にしましょう!!」

「……お手柔らかに」



 ◇



 クィーニィに薦められるがまま満腹になるまで緑国料理を堪能した一行はその足で『神樹の森』まで来ていた。

 首都からすぐの場所に、天まで届くような巨大な神樹とその周りに鬱蒼とした森が広がっている。

 エルフの防人が常駐して一般人の立ち入りは禁止されているが、森の外にはできるだけ近くで神樹を見ようとここまでやって来た観光客がまばらに点在している。


「意外と人気なんですね、観光名所ということですか?」

「はい、他に何もないというのもありますけど、皆さんに大事にしていただいています」

「あー、確かに。森の中から感じる気配が凄いわ、コレ。普通の森の何倍も生き物の気配がする」


 加護による気配察知にかかった動物の多さにイリスが困ったように眉根を寄せる。

 これ程多くの気配を同時に察知したことが無いため、脳が処理しきれないのだ。


「少し離れた方がよろしいかもしれませんね」

「いえ、まだ大丈夫です。森の中まで行くなら気合いれないと、ですけど」

「そうですか。では、えっと……あ、レギュンさん!!」


 クィーニィに呼ばれた弓を背負ったエルフの防人が振り向き、笑顔で応じる。

 その顔を見て、エルフとは笑顔の多い種族だな、とクルスは感想を抱いた。意外な発見だった。


「クィーニィ様、何か御用でしょうか?」

「はい、御用です。こちらのお二方が試練の洞に挑まれるので道案内をお願いできますか?」

「依頼書をお願いします」

「こちらにあります。どうぞ」


 クィーニィから書状を受け取った防人は内容を確かめ、漏れがないことを確認して頷いた。


「ギルド『アルカンシェル』の試練の洞への挑戦を受諾します。森に入るのはお二人だけでよろしいのですか?」

「それでお願いします」

「では、あちらの受付で武器防具を預けてください。また、森内部には希少な植物などもありますので、遵守事項の説明をさせていただきます」

「わかりました。行こう、カイ。ソフィア達も気を付けて。クーさんもまた後ほど」

「兄さん達も。どうかご武運を」

「こっちは任せといて。別に一発成功させていいんだからね」

「がんばってくださいね!!」


 ソフィアとイリス、おまけにクィーニィの応援を背中に受けつつ、二人は防人の後に付いて行った。





「鎧も盾がないというのは意外と心細いな」

「まったくだ。昔を思い出す」

「昔?」

「訓練の一環で裸で遺跡に放りこまれたことがある」

「……冗談だよな?」

「さてな。薦めはしない」


 全ての装備を預けて平服姿となったクルスと、同じく二刀と暗器を預けて道衣だけになったカイ。

 二人は防人の先導で聖域『神樹の森』の奥へと向かっていた。

 聖域たる森は外から見ると鬱蒼としていたが、実際に入ってみると背の低い植物も多く、所々に木漏れ日が差し、木陰をリスなどの小動物が走っているのどかな風景が広がっていた。


「しかし、この森はなんというか……」

「酔いそうか?」


 前を歩いていたレギュンと呼ばれていたエルフの防人が振り向く。

 後ろ向きに歩くことになるが、防人の歩みは軽やかで迷いはない。この森のことは木の根の一つに至るまで熟知しているのだ。


「聖域の多くは天然で魔力量が多い。初めて入るヒトの中には外界との濃度の差に戸惑う奴もいる。酷いようなら酔い止めを渡すぞ?」

「そこまでではないです。お気遣い痛み入ります」

「吐かれても困るからな、辛くなる前に言ってくれ。

 ……そちらの剣士殿は平気そうだが」


 防人の視線がカイに向く。

 彼が今まで案内した者たちは多かれ少なかれ森の魔力の多さに戸惑ったものだが、侍は表情一つ変えずに追随している。


「問題ない。それより、この森の中に本当に魔物はいないのだな?

 こうも生物の気配が多いと気の探知も意味がない」

「その心配は無用だ。私がこの森の警護についてからの五十年。魔物の侵入、発生は一件たりとも起こっていない。父祖の名に誓ってもいい」


 特に先祖の名を大事にするエルフにそこまで言わせたのだ。本当に魔物は存在しないのだろう。


(一種の結界というわけか。ソフィアに教えたら喜びそうだな)

「そろそろ試練の洞に付く。覚悟を決めておくといい」


 防人の言葉と共に森が途切れる。まるで木々がそこから先へ枝葉を伸ばすのを畏れたかのようにくっきりと境界線が敷かれている。

 その境目を踏み越えると同時にクルス達も空気の違いを感じ取った。

 甘さと酔いを含む森とは違い、神樹のふもとの空気は清浄で、どこまでも澄み渡っている。


 そして、その中心に座するは樹齢数千年ともいわれる巨大神樹『リンドバウム』

 緑神の聖地は巨人より尚高く、樹というより山か何かに見える。胴回りは成人男性百人が手と手を繋いでもまだ足りないだろう。


「でかいな……」

「ああ」


 しばしの間、二人して感嘆と共に緑神の住処を見上げる。近付いたことでより一層、神樹の存在感を感じられる。

 その巨大さに反して神樹に威圧するような雰囲気はなく、ただそこに在り、あるがままを受け入れている。

 クルスは素直にその在り方が尊いものだと感じられた。エルフ達がその長い一生を捧げて守っている気持ちも分かる気がした。


「感動してくれるのはいいのだが、いつまでもそうされていても困るのだが?」


 笑みの滲むレギュンの声に我に返り、騎士は慌ててその後を追った。


 神樹の外周を四分の一ほど周った所に目的地の『試練の洞』はあった。

 その名の通り、神樹の根元にぽっかりと空いた木の洞だった。特に飾られている訳でもなく、ここだと言われなければ、そのまま通り過ぎていただろう。


「ここに入ればいいのか?」

「そうだ。二人同時でないと遅れた方は入れないことがあるから気をつけろ」

(“二人”というのはやはり物理的な話ではなく、神樹の魔力面(キャパシティ)の問題か)


 クルスが心中で予測を立てる。

 洞の内部は暗く見通せないが、入口の大きさからして一軒家くらいは優に入りそうだ。二人しか入れないほど窮屈には見えない。


「私はここまでだ。あとはお前達の足で進め。出てきた頃にまた迎えに来る」

「案内、感謝します」

「……己を信じろ。私から言えるのはそれだけだ」


 防人はそのまま来た道を通って森の中へと消えていった。


「心の準備はいいな、カイ?」

「大丈夫だ」

「――よし、いこう」


 言われた通り、二人は肩を並べて同時に神樹の洞の中へと踏み入った。


 瞬間、淡い光が辺りを包み、二人の意識は急速に薄れていった。



 ◇



「……ここは?」


 カイが気が付いた時、その身は曇天の下、風の吹き抜ける荒野にあった。


(暗黒地帯? 否、瘴気は感じられないな)


 周囲は赤茶けた大地が続くばかりで何の存在も感じられない。

 記憶にある暗黒地帯はこうも平穏ではない。一分も同じ場所にいれば確実に魔物に襲われている。


 それに、どうにも記憶が曖昧だ。■■■と『実』を取りに来たことは覚えているが、それ以上を思い出せない。

 ひとまずは自分の体を確認することにした。体がちゃんと動くなら大抵のことはどうにかできる。


「……ん?」


 首を傾げる。軽く動かす中で確かな違和感を感じた。


 ――調子が良すぎる(・ ・ ・ ・)。洞に入る前の状態どころか、ここ数年で最も良い。


 何より最大の違和感は、森の外に置いて来た筈のガーベラがいつの間にか腰に差さっていることだ。

 試しに抜いて二度三度振ってみる。恐ろしいほどイメージ通りに体が動く。だが、これもあまりに完璧すぎる。

 故に気付いた。


「意識と反応の差がない。……体がない(・ ・ ・ ・)のか。となると、ここは夢か幻か」


 今、自分は魂だけの状態なのだろうと当たりを付ける。


 そうだとすれば、外界に置いて来た自分の体がどうなっているか不安だが、夢、幻覚、あるいは心象風景だろうか、であるこの世界から出る方法がわからない。

 軽く頬を叩いてみる。肉体はないのに痛覚は機能している。


 どうやら、おとなしく実の回収を目指すしかないようだ。

 問題は、どの方角に進めばいいのかすら分からないことだが――



『そんなにピリピリしなくても大丈夫だぜ』



 突然、声を掛けられた。


 いつからそこにいたのか、異装の男が目の前に立っていた。

 腰に剣を佩き、簡素な甲冑を身に纏い、無地の仮面で顔を隠した異様な風体。

 カイよりやや身長は高く、立ち姿からは無駄な力が抜けていて自然体なのに隙がない。


 カイは咄嗟に腰を落とし、柄に手を掛けて構えた。

 相手の実力の高さを感じた体が自動的に反応したのだ。


(間合いに入られて気付かなかった? これほどの存在感を放つ相手に?)

「誰だ……いや、“何”だ、お前は?」


 見た目こそ人型だが、それが人間、あるいはその魂ではないと直感が告げていた。

 仮面の男は沈黙したままゆるりと一歩前に踏み出す。


「もう一度訊く。お前は何だ?」

『何だと思う?』


 カイは無言で腰の一刀を抜いて首刈りを放った。

 幸い、夢幻の中であってもいつも通りに動けた。

 一足で間合いを詰めて、白刃を一閃する。


『おっと、危ないな』


 だが、男はまるで来るのが分かっていたかのようにふわりと跳び退って侍の一刀を避けた。


 ガーベラを振り抜きつつ、その一挙手一投足をつぶさに見ていたカイは相対する相手が遥かに格上の『武神級』だろうと見当を付けた。

 あくまで見当に過ぎない。カイが会ったことあるのは師の『英霊級』が最大だ。

 武神はその名の通り、一芸を極めて神に並んだ存在だ。

 過去、その域に至ったといわれている存在は三柱だけ確認されている。その内の一柱はこの大陸においてサムライが契約している――


『活きがいいな。それにこの状況にも既に適応している。中々だ。だが、まあ――』


 カイの思考は男の言葉で中断された。

 着地すると同時、仮面の男は涼やかな音を立てて腰の鞘から一刀を抜いた。


 柄から切っ先まで一体で作られた一切の装飾のない漆黒の刀が露わになる。

 刀身は反りの少ない二尺四寸強だが、纏う空気の違いか実際よりも大きく見える。

 そして、姿形こそ実用一辺倒の無骨さだが、発せられる清浄な剣気から伝説上の『神剣』であることをまざまざと理解させられた。


『剣士はやっぱりコレで語らないとな』

「――ッ!!」


 その剣を確と見た瞬間、カイは一片の躊躇もなく“無間”による最大加速で斬りかかっていた。

 本能が既に確定した【死】を告げていた。

 客観的に見ても、武神級が神剣を持って立っているのだ。

 勝機はないに等しい。


 だから、あとはいつも通りだ。

 防御も、命も捨てて斬りかかる。先んじることができなければやはり死ぬだけだ。

 元より喪うことが確定しているなら惜しくはない。


 ただ、斬る。その一心で刀を走らせる。


 だが、秒をさらに切り分けた刹那の世界で男は追いついてきた。

 人極たるカイより尚速い。


「――斬刃一刀」


 それでもカイは迷わなかった。

 斬らねばならないと決意している。

 全力を出さねば追い越されると直感している。


 故に、その刹那に意識と魂の全てを賭けて、心技を放った。


 ――“アメノハバキリ”――


 振り抜く一刀は神代の概念(キセキ)

 必斬の神剣はあらゆる守りを斬り捨てる。それは武神級だろうと変わりはしない。

 刃に触れた者は斬り捨てる。ただ、それだけを突きつめた一刀。


 故に、男もまた切り札を切った。


「――震えろ、“■■”」


 激突の直前、仮面の奥で男が呟いた一節はカイの耳までは届かなかった。


 漆黒の剣が輝きを増し、次の瞬間、神速に迫る二振りの剣が振り抜かれた。


 荒野を二迅の疾風が吹き抜け、曇天を交差した二刃が斬り裂き、束の間、幻想の世界に青空が広がった。





「――――」


 今、確かに斬られた。カイは一刀を振り抜いた体勢のまま確信していた。


 だが、その身には傷一つない。自分が無事でいることが不思議だった。

 おまけに心技を放った腕も折れていない。まだ技に己は追いついていなかった筈だ。


 振り返れば、相手も剣を振り抜いた体勢のまま止まっている。


『……驚いた』


 男が誰にともなく呟いた。声には明らかな驚きが混じっている。


『まさか、英霊級にも達してない奴に一太刀いれられるとはな』


 振り向いた男の仮面に一筋の傷が入っていた。

 仕損じたか。カイは小さく唸った。

 こちらは何故か無傷、相手は面に引っかき傷ひとつ。手心を加えられたのだろう。


 相手が剣の神だというなら、容赦なく斬り捨てて欲しかった。

 何より、そこまで持ち込めなかった自分の技量が恨めしかった。


『おいおい。天地ほど差があるのにその態度はないだろうが』

「手を抜いておいてよく言う。抜いたら斬る。それが剣だ。違うのか?」

『――――』


 当然のことだと言い返したカイの言葉に男の動きがピタリと止まった。

 ややあって、侍のセリフを何度か反芻した男は、おもむろに仮面の奥で笑い始めた。


『ククク……ハッハッハ!! オレに剣を教える奴がまだ現世にいるなんてな。これだから人間は(・ ・ ・)面白い(・ ・ ・)!! そうだよな、剣は斬れてナンボだよな!!』


 そのまま笑い続ける相手に警戒を向けつつ、カイはガーベラを鞘に納め、心を鎮めた。

 思考を切り替える。期待はできないが、この仮面の男が現状唯一の情報源だ。


「次はどうする?」

『なに、今のはちょっとした予習だ。俺は道案内だよ。“実”の所まで案内するぜ、後輩』


 ひとしきり笑って満足したのか、男も剣を納めて踵を返した。

 何とも怪しい話だが、嘘は吐いていない。そんな気配がした。それより――


「後輩?」

『ああ、未来(・ ・)のな。偶然ってのは恐ろしいな。誓って言うが、お前がこの時代、この場所にいるのはホントに偶然さ。――だからこそ、恐ろしい』

「何の話だ?」

『仲間を大切にしろって話だよ。さ、行こうか』


 問いに真面目に答える気がないのか、男は言いたいことだけ言ってさっさと歩きだした。

 他に手掛かりがない以上、従うしかない。


 カイは黙って男の背を追いかけ、無尽の荒野を進んで行った。



 ◇



「ここは……どこだ?」


 周囲は白銀の光を放つ不朽銀(ミスリル)や、黄金の輝きで場を満たす不壊金剛(アダマン)の結晶に彩られた洞窟。

 気が付いた時には既にクルスは其処にいた。


 試練の洞に■■と共に入った瞬間に転移術式を食らったのかとも思ったが、周囲を見回してすぐに目の前の光景は有り得ない類のものだと気付いた。

 ミスリルとアダマンは産出される地域がまったく異なるのだ。特にアダマンは赤国の一部地域でしか産出されていない。


「ならば、この光景は幻か。――我が精神を鎮めよ」


 ひとまず、治癒術式で自己の回復を試みる。


「……駄目か」


 術式に反応がない。つまり、解除できないのではなく、今の状態が正常だということだ。

 死に等しいショックを与えたら分からないが、並大抵の方法では目は覚めなさそうだ。


 ふと自分の身を省みれば、いつの間にか修理に出している筈のミスリルの鎧と盾を装備している。

 幻よりも夢の可能性が高くなってきた。


 だが、夢の中とはいえ、武装するということは戦闘の可能性があるということだろう。

 クルスは警戒しつつ希少鉱石に照らされた洞窟を奥へと進んで行った。




「……水の音?」


 体感時間で一刻は進んだ頃、クルスの耳は微かに聞こえた水音を捉えた。

 手掛かりを求めて進路を変更する。


 洞窟の壁に反響しているが、ある程度当たりを付けて進んでいくと、少しずつ音が大きくなってきた。

 意識すると夢幻の中だというのに喉が渇いてきた。心持ち足を速める。


「これは、地底湖か?」


 緩く湾曲した洞窟を抜けた先は巨大な湖が鎮座する広間になっていた。

 澄んだ水が鉱石の輝きを反射して空間を眩い光で満たしている。

 騎士はしばしの間、目前に広がる幻想的な光景に目を奪われていた。


 それ故に、気付くのが遅れた。

 地底湖には先客がいた。



「――誰?」



 生まれたままの姿の女性が湖の半ばで水浴びをしていた。

 振り返り、そのエメラルドの瞳と騎士の蒼い瞳があう。


 クルスは静かに息を呑んだ。


 水が滴り、一糸まとわぬ白磁の肌が希少鉱石にも劣らぬ輝きを放つ。

 深緑の髪をかきあげる仕草に従って、腰まで伸びた美しい深緑の髪の間から細く尖った耳が露わになる。


 水滴が散り、微かな明かりが膝まで湖に浸かった女の体を照らす。

 それはまるで、一枚の絵画のような完成された光景。


 声もなく、騎士は魅入られたようにただ立ち尽くしていた。

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