5話:昇級試験
鬱蒼とした森が陽光を遮る中、複数の影が木から木へと飛び移るようにして隊列を組んだ学生たちを取り囲んでいる。
学生たちは前衛が前に出て後衛をカバーしつつ、四方に気を配って警戒を露わにしている。
「――氷結せよ、“拡散制御”アイスニードル・カルトロップ」
前衛の背中を視界に捉えつつ、ソフィアは杖を振って詠唱を完成、広範囲に拡散させた低位氷結魔法を顕現させる。
地面や木々の枝、至る所から出現した無数の氷柱が周囲に散らばっていた“影”を貫いていく。
魔法を継続させつつ、少女は自分の攻撃の結果を魔力を籠めた蒼の瞳でつぶさに観察する。
「……ここも違います」
「また外れ。これで空振りは四回目ね」
彼らの視線の先、氷柱を受けた影が煙のように消えた。
空蝉によって生成された複数の囮だ。
デコイは文字通り“影”に等しく、攻撃能力は無い。しかし、今この森に展開されたデコイはそのどれもが本人と寸分違わぬ気配と魔力の波動を持っている。
尋常でない錬度の技能に学生たちの集中力は少しずつ削られている。
並みのレンジャーでは同等の物を一体生成するだけでも難しく、デコイの中から本人を見抜くのはそれに輪をかけて困難なのだ。
「他の隊が見つけてればいいんだけど……」
「無理だろ。ソフィアさんでも見つけられないんだぜ」
「すみません……」
「いや、責めているわけじゃない。相手はあのウィリアム教官なんだ。仕方ないさ」
慰めるように言う男子生徒はこの班のリーダーだ。
主に遠距離職が受けるこの講義では珍しい剣持ちのファイターで、いざという時の判断力を買われてリーダーとなっている。
班員はソフィアを含めて四人。残りの二人はレンジャーとアーチャーで、それぞれがいつでも得物を構えられるようにしながら周囲を警戒している。
遭遇戦での対処を学ぶという体で、学生たちは今“鬼ごっこ”の鬼と追われる側の両方の役を課されている。
遠距離職の多くは接近されると脆い。
故に、仲間に守られるだけでなく、いかに自分たちの土俵に引き込むか、いかに有利な距離を保てるかが肝要となる。
講義の終了条件は班に分かれて森の中に隠れている教官を発見するか、あるいはこちらが“全滅”判定を受けるか。
ハンデとして生徒が探索を開始してからは教官自身は動かず、デコイを撒くだけ。
代わりに、もう一人の雇われの“鬼役”がこちらを狩りに来ているという。
現に五つあった班の内、三班は既に壊滅判定を受けているのがソフィアの探知で判明している。
「――届け」
ソフィアは意識の糸を張り巡らせるようにして周囲に探索網を拡げた。
森の中というの伏撃を受ける可能性の高い非常に危険な場所だ。
視界は悪く、隊列は取りずらい。その上、大小様々な生物が生息する為に広域探知は精度が落ちる。人外じみた感応力を持つソフィアでさえ、二百メートルより先は感覚が怪しくなってくる。
現在、ソフィアが展開した探索網の中にはいくつもの気配が点在している。確実に人間だと思えるのは固まって移動している五つ。これはもう一つの班だろう。
他に位置不明の朧げな気配が九つ。その内七つは再配置されたデコイで、あとの二つが教官と鬼役の筈だ。
特に鬼役と思しき他の八つと明らかに違う気配は移動速度が速すぎて捕捉にかなり気を使う。
(まだ探知範囲内には入っていない。おそらく、ですが)
この講義を担当しているウィリアム・ボウ技能担当教官は英雄級のアーチャーにしてレンジャーだ。
秘匿技術“隠し身”こそないものの、その隠蔽技能の高さは今までの講義で嫌というほど体感している。
(“共鳴”を使えば正確に把握できますが……)
できるが、それをソフィアは口にしない。
『読心』の上位技能である『共鳴』は自分と相手の魂を同じ波に乗せる、ソフィアの感覚としては“ひとつにする”ものだ。森と一体化すれば隠れている教官も確実に発見できる。
だが、森と共鳴するとその中に居る存在全ての情報も取り込んでしまい、ソフィアの処理能力を超えてしまう。
ただでさえ慣れない人間が近くに居て負担になっている今の状態で、下手に共鳴までしようものなら倍々に増えた情報を処理しきれず、そのまま倒れてしまうだろう。
「次のポイントに向かう。みんな、周囲を警戒してくれ」
結局、教官は見つけられず、リーダーの声に従って移動を再開する。
相手は英雄級の野伏だ。一体どこに潜んでいるのか見当もつかない。
木々の作る影に警戒し、突然鳴り響く鳥の声に身を竦ませながら、とにかく何も見逃さないよう注意しつつ進む。
ソフィアも広域探知を続けながら班員に追随するが、探知に集中している分、体の操作は疎かになり木の根を踏んで何度か転びかけた。
同じように警戒に意識を割いている班員たちにソフィアを気遣う余裕はない。それは少女も了解している。
ただ、これがアルカンシェルならソフィアが探知に集中している時はその場を動かないか、あるいはメンバーの誰かが体を補助してくれていた。
その気遣いがあまりに自然すぎてソフィアは今の今まで意識したことがなかった。故に、この発見はちょっとした感動だった。同時に自分の鈍臭さに少し凹んだが。
(今度ちゃんとお礼を言いましょう。特にカイには――)
続きを思い浮かべる前に、閃きが脳内を駆け抜けた。
慌てて探知を全開にして鬼役と思しき気配に的を絞る。今までその速さに意識が向いていて気付かなかったが、改めて詳しく探ればその気配からは魔力がまったく感じられない。
ソフィアの知る限り、そんな存在は一つしか心当たりがない。相手が気配を変化させている為にかなり混乱したが、間違いない。
「今すぐもう一つの班と合流しましょう」
「いきなりどうしたんだ、ソフィアさん?」
焦ったように告げるソフィアにリーダーが何事かと振り向く。
「鬼役がわたしの所属するギルドのメンバーです。この四人だけでは対処できません」
「……え? メンバーの誰?」
「カイです。カイ・イズル――」
刹那、トン、と首筋に衝撃を受けたソフィアの意識が暗転する。
倒れる最後の瞬間、黒ずんだ道衣が翻り、素手で次々と班員を打ち倒される光景が視界に映った気がした。
◇
「四半刻か。もった方かな」
声と共に深緑の外套とシンプルな革鎧を着た、見た目は学生とそう変わらない若さの男性教官が落胆した学生たちの目の前に出現する。
ウィリアム・ボウその人だ。
驚くべきことに、彼は開始位置から一歩たりとも動いていなかった。開始と同時にその場で自らの姿を隠しただけであった。
全滅判定を受けて全員が戻って来たのを見計らって隠蔽を解除した時点ではじめて学生たちはそれに気付いた。
「観察力が足りていないね。状況が逼迫している時こそ冷静に行動できないと死んじゃうよ」
そう言って、してやたったりと笑う姿に探知に自信のあった学生たちは本気で落ち込んでいた。
ソフィアも次同じ形式があった時はひとまず開始位置に魔法を打ち込んでおこうと秘かに決意した。
その後、いくつか改善点の指導をして講義は終わり、学生たちがぞろぞろ森を出て行く。
彼らの背を見送る教官の傍らには、いつの間にかカイが立っていた。
各個撃破とはいえ二十人を単独で相手したというのに、その身には汗ひとつ掻いていない。
正面から相手取れば、無論、カイとて苦戦しただろう。ソフィアが相手にいる以上、敗北の可能性もあった。
だが、枝葉に遮られた視界、木の根を踏む不安定な地面、デコイによって散漫になった意識。
それだけの状況を利用すれば奇襲から全滅させることは不可能ではなかった。
端的に言って、彼らとは戦場での経験が違いすぎたのだ。
「これで依頼は完了か?」
「そうだね。はいこれ約束の金額。急に頼んで悪かったね」
カイは渡された革袋の中を確かめ、無造作に懐に入れた。
元より馴れ合うつもりはない。ギルドへの正式な依頼だったから受けただけだ。
――“外さず”のウィリアム・ボウ
父祖のエルフの血が色濃く表れた為に外見こそ若いままだが、この男は戦場に三十年以上立ち続けたベテランの戦士だ。
今でも生ける伝説として出身地の緑国では神の如く崇められている。
カイ自身、戦場でカチ合った時は辛酸を舐めさせられた。その上、どこか師に似た雰囲気もあって正直苦手な相手だった。
「生徒もなかなか楽しめたようだ。ありがとう。次もよろしく頼むよ」
「楽しくないです!!」
「ソフィア? っと」
依頼が完遂されるまで待っていたソフィアがその長髪を振り乱してカイの胸に飛び込んできた。
少女の珍しく積極的な行動にカイは多少驚いたが、その細い体をしっかりと抱きとめることに成功した。
「どうした、ソフィア?」
自分は何かやらかしただろうかとカイは心中で首を捻るが、思い当たることがない。
腕の中で見上げるソフィアと目を合わせて答えを求める。
「えっと、違うんです……その……」
ソフィアも勢いで抱きつくところまではいけたのだが、そこで勇気が底をついてしまった。肝心なことが言えていない。
ウィリアムも空気を読んでいつの間にかいなくなっている。
少女はしどろもどろな口調で何かを言おうとしては止めてを繰り返している。
遂には耳まで真っ赤にして男の胸に顔を埋めてしまった。
「あうぅ……」
「……しばし待て」
その段になって漸くソフィアの求めていることを察したカイは静かに気息を整えた。
途端に、カイ本来の古い大樹のような雰囲気が戻ってきた。
今の今まで、探知を妨害する為に気配をずらしていたのだ。
人間は大きな違和感と小さな差異が同時に発生すると、どうしても大きい方へ目が向いてしまう。
隠蔽技能のないカイは探知から完全に逃れることはできないが、そうして相手の意識を誘導することで探知を妨害することができる。
実際、ソフィアは通常のカイよりも『大きく』『無駄に』動く気配を追ってしまいその現在位置を探れなかった。
「あ……」
(カイがここにいます……)
ソフィアが改めてカイを抱きしめ返す。いつもの場所に帰って来たという安心感が胸を満たす。
カイも別に悪い気はしないので、不器用ながら乱れた少女の髪を指で梳く。
暫くそうしていると、その感触に表情を緩ませた少女が胸に頬をこすりつけてきた。
無意識の反応なのだろう。侍は思わず微苦笑を浮かべた。
「気配、そんなに違ったのか?」
声を掛けられて自分の現状に気付いたソフィアが顔を赤らめてぱっと離れた。
「い、いえ、そういう訳ではないんですが……改めて探れば普通に見つけられましたし……ただ、いつものカイの波長に意識を割いていたので、そこがぽっかりと空いてしまうと、どうしても不安になって……」
「お前は人より色々なものが視えている。だが、一つの感覚に頼り過ぎるな。人は時に自身にさえ嘘を吐こうとする」
先日、ソフィアの視界を借りて幻想の世界を体験したカイは感応力に頼ってしまう少女の気持ちが理解できた。
概念のみで構成された世界。それ故に嘘は無く、害意もない。人の内心と違い、そこにソフィアを傷つけるものはない。
「わかってはいるんですが……」
少女がしゅんと項垂れる。
ソフィアとて日増しに強くなる感応力と仲間の存在に依存している自覚はある。
「それでも、そうしなければおかしくなりそうなんです。今ではもう寝ても覚めてもその世界が視えてしまうんです」
涙の代わりに零れたのは少女にしては珍しい弱気だった。
力がなければ役に立てない。だが、力がある故に苦しむ。
いっそ捨てられるなら逆に覚悟も決まるかもしれないが、この能力は魂に由来するものだ。変えることも減らすこともできない。
「そうか。……もう暫く辛抱しろ」
「カイ? なにか手が?」
顔を上げて目を合わせたソフィアにカイは確かに頷きを返す。
ジルベスターからずっと考えていた。この娘の為に、自分は何ができるのか。斬ることしかできない自分に何ができるのか。
答えにはまだ届いていない。
「可能性はある。だから、できる。必ず届かせる」
それでも、カイははっきりと宣言する。
心の読めるソフィアに下手な慰めは逆効果だ。
故にカイは可能性を信じる。何か一つを信じることは得意なのだ。
「……それは人間にできることなのですか?」
「俺一人では寿命が足りないかもしれない。――だから、“師”の力を借りる」
「よろしいのですか? 一度は放逐されたのでしょう?」
「気にするな。面の皮は厚い方だ」
十二使徒の名は侍にとっても軽いものではない。それでも、必要なら恥も外聞も投げ捨てて頼る。元より、気にしなければならないほどの体裁がある訳でもない。
目標を持つのも久しぶりだな、とソフィアの頭を撫でつつカイはひとりごちた。
「ありがとうございます、カイ」
「まだ何もしていない」
「それでも、ありがとう、です」
「……そうか」
ようやく見れた少女の笑みに、男の心臓は少しだけ鼓動を速めた。
「あ、忘れてた」
「ひゃっ!?」
その時、突然背後に現れたウィリアムにソフィアが飛び上るほど驚いて咄嗟にカイの背後に隠れた。
今日はソフィアの珍しい顔をよく見るな、とカイは小さく笑った。少女の魔力探知をすり抜けられる存在などそうそういない。
「お、脅かさないでください、ウィリアム教官」
「気を抜いている君が悪い。それより、コレ渡すの忘れてた」
そう言ってウィリアムが差し出したのは一通の便箋だ。
赤国支部長の印璽で封蝋がしてあることから、公的な文書であることが窺える。
「これは?」
「読めばわかる。――『昇級試験』のお知らせだよ」
◇
一週間後、アルカンシェルの面々は緑国の街道をのんびりと進む馬車に揺られながら、改めて便箋を験していた。
内容は簡潔なもので、ギルド連盟赤国支部長および緑国支部長の連名でアルカンシェルに昇級試験を課す、というものだ。
通常、ギルドの昇級は依頼をこなすか連盟の大きな利となる、あるいは武功をあげるなどした節目に行われる。
だが、実力と合致しないランクはギルドと連盟双方にとって非効率だ。それ故に支部長二名以上の賛成を以て特定のギルドに昇級試験を課し、合格したら級を上げることができる。
ギルド設立の際に制度としてあることは聞いていたクルスだが、まさか自分たちに適用されることになるとは思ってもみなかった。
「俺達は年明けに三級に上がったばかりなのだが……」
「連盟としてはさっさと二級に上げたいみたいねー。調べた限りだと、戦略級契約者が所属している所はどこも二級か一級よ」
「支部長が俺達を扱き使う気だというのも理由の一つだろう」
「それはあるだろうな」
御者台に座るカイの言葉にクルスは苦笑する。
学生ギルドながら二級である『アイゼンブルート』も最近は忙しく大陸を回っているらしい。新年になってから学園でも数えるほどしか顔を合わせていない。
連盟全体として見ても依頼の数が、特に魔物の討伐依頼の数が増加傾向にある。使えるものは使っていかないと立ち行かないのだろう。
「だからといって、あまり無茶振りされても困るのだが……ベガには色々と面倒を見て貰った恩義がある」
「クルスのそういう気質を見抜いて恩売ってるんだと思うけどねー」
「だが、他者を効率的扱うという点に関して私情を挟むような男ではない。利用価値が見出せる内は切り捨てるような真似はしないさ」
「……だといいけど」
「ベガ様ならこちらが死なないギリギリを狙ってきそうですが」
「う、うむ……」
そんなことはないと言えない辺りがベガという人間の怖いところだ。
ともあれ、クルス達としても不満は無い。ランクが上がれば青国の国立図書館の禁書の閲覧や秘匿技術の解禁など、それだけ選択肢を増やすことができる。
カイの心臓にかかった呪術、ソフィアの感応力の急激な成長。なりふり構ってはいられないのだ。
「見えてきたぞ」
御者台から告げられた声に、一同は幌を上げて外を見遣る。
視界一杯に広大な草原が広がり、春めいた爽やかな風の吹く牧歌的な光景が広がっている。
遠くに見えてきた天を突く巨大な樹とその麓に広がる都市こそ緑国の首都『フロレント』だ。
緑国はパルセルト大陸の南部に四大国中最大国土を持つ農業国で、首都を中心に緩やかな合議制を敷いている。
主な輸出品は小麦と木材および希少な薬草で、大陸の食料供給の大きな部分を担っていることもあり、常に中立を旨とする四大国の仲裁役となっている。
実際、軍国主義の赤国、貴族主義の白国、官僚主義の青国と比較すると問題も少なく、非常に大らかな国だと言える。
しかし、国軍は歩兵が主だが防衛力としては不足気味で、広大な国土の辺境まで手が回らず魔物による被害が増大している。連盟への討伐依頼も最も多い国だ。
一行は馬車を門衛に預け、そのまま首都へと入っていった。
緑国の国民性を反映してか、フロレントは一国の首都にしては古い趣を色濃く残している。城の代わりに同等の大きさを誇る神樹があるのが特徴的だ。
街には訪れる者を威圧する大城壁も、整然とした白亜の建物もなく、木造の柵と建物がそこかしこに残る落ち着いた雰囲気が広がっており、所々で露天商が野菜や木彫細工を売っている。
「空気がきれいですね、カイ」
「……ああ」
街のあちこちを眺め、大気中の魔力に触れたソフィアが若干弾んだ声でカイの手を引く。
古い森林など、長い年月を経たことで魔力を多く有する自然地帯である『聖域』を国内にいくつも保有している緑国は、それらを手付かずのまま保護している。
結果として木々は繁り、空気は澄み、魔力は活性化し、よって自然は豊かさを増すという循環が古来より続いている。
農業や林業が発達しているのは農耕技術や国土の広さだけでなく、土地自体の豊穣さに支えられているからでもあるのだ。
「街全体が森に包まれているような感じだ。エルフの国らしい雰囲気だな」
「木造の家も多いし、微かに薬草の匂いもするねー」
緑神の眷族であるエルフは森の民と呼ばれ、特に自然を敬う傾向が強い。自然を大切にすることと始祖たる緑神への信仰が一体化している種族なのだ。
「あれが連盟の緑国支部ではないか?」
「ん、どれどれ? ……あ、ホントだ。鐘の紋章がついてるね」
のんびりと歩みを進める中、カイが通りに面した木造四階建ての建物を見つけた。ちょこんと吊るされた看板には確かにギルド連盟の建物であることを証明している。
「えっと、あれが緑国の連盟を統括してる場所なのよね?」
「なんと言いますか……ふつう、です」
女性陣が言葉を選んで感想を述べる。
別に威圧感たっぷりの建物を期待していた訳ではないのだが、下手すると学園の寮よりも小さいというのは逆に意表を突かれた。
「まあ、先に帝都の連盟本部を見ているからそういった感想になるのだろう。あれはあれで風情があっていいと思うぞ」
「あらあら、ありがとうございます。築百五十年以上だし、そろそろ建て直そうって仰る方もいるのですけれど、やっぱり愛着があるんです」
「へー、百五十年だったらまだ当時のエルフは生きてるんじゃない?」
「はい!! 長老様がご存命です。ただ、概念化が進んでいてあまり人前には出られませんが」
「それはしょうがないって……あれ?」
はたと気付いた一行は同時に横を見遣った。
彼らのすぐ隣を溢れんばかりの笑顔を浮かべた女性が共に歩いている。
見た目は二十代半ば、身長はカイと同じくらいで、色白の肌に豊かな胸と女性的な体つきをした美女だ。
弓なりに細めた垂れ目とたおやかな笑みが美麗さよりも母性を際立たせており、そして、そこにいることがあまりに自然すぎて会話に参加していたことにまったく気付かなかった。
「……」
気配を察知できなかったカイがぴくりと片眉を上げる。
それでも動かなかったのは、その女性が連盟員の制服を着ているのを見て取ったクルスが制したからだ。
空気の変わった一行を見て、件の女性は小首を傾げる。
「あら、もしかしてペルラちゃんから聞いてなかったのでしょうか?」
「ペルラさんから? 特には聞いておりません。失礼ですが、お名前を伺っても?」
クルスの問いにポンと両手を合わせた女性が笑顔を深くする。
その拍子に髪が揺れ、ちらりと見えた尖った耳はこの女性がエルフであることを示している。
「はい、私はギルド連盟緑国支部長クィーニィ・ハーヴェストと申します。どうぞクーちゃんと呼んでください!!」
「…………え?」
告げられた役職と名前にクルスとイリスが絶句する。
その後ろでソフィアは苦笑し、カイは溜息を吐いた。
「ベガ様の時もたしか突然でしたね」
「支部長連中は自己紹介で人を驚かせないといけない制約でもあるのか?」
「何のお話ですか?」
「……お気になさらず」
カイはこっそりと支部長の視界外に消えた。気配まで抑えて完全にクルスに押し付ける心算だ。
あとで愚痴ろうと誓いつつ、クルスは何とか会話を試みる。
「えっと、クィーニィさん?」
「クーちゃんでいいですよ?」
「……クーさん、何か御用ですか? 自分たちは昇級試験を受けに来たのですが?」
「ええ、ペルラちゃんから聞いていますよ。遠縁とはいえ親戚ですから、手紙のやり取りはしているんです」
「そうでしたか。それで、自分らに何か?」
「僭越ながら私が案内をさせていただきますので、まずはご挨拶をと思いまして」
告げられた内容にクルスは微かに眉を顰める。
「支部長が直々に?」
「はい、他の役員の方に私が執務室にいてもしょうがないから外回りに行ってこいとお願いされたんです」
(え、それ厄介払いされてない?)
(お飾りの支部長なのか? まさかな)
クルス達が微妙な表情をするが、クィーニィは笑顔のまま話を続ける。
「毎年、『神樹』の防人さんから依頼される案件が丁度この時期にあるんです。その依頼を昇級試験にすることは過去何度かありましたし、あまり緊張されずとも大丈夫ですよ?」
「お、お気遣いありがとうございます」
「はい!! あ、先にお昼ご飯にしますか? 試験場はそんなに遠くありません。というより、そこを中心にこの街は発展していったので当たり前なのですが」
「……あそこに見える『神樹の森』ですか?」
ソフィアが街に入る前から見えていた巨大な樹を指さす。
城に匹敵する大きさの樹となれば大陸中探してもあの一本しかない。
“神樹”の名の通り、あの樹は緑神の住処、あるいはその御身の一部であると言われている。
「ご存知でしたか、ソフィアさん。ええ、今回は皆さんにあそこへ行っていただきます。神樹の森は、白神の『聖なる丘』と同じように緑神の“聖地”となっているんですんですけど、この時期にはいつも――」
「えっと……私の名前もペルラさんにお聞きしたのですか?」
自分の名前が出たことでやや警戒を強めたソフィアが尋ねる。
ペルラには読心の能力があることを伝えてある。知られているかどうかで対応は考えないといけないのだが――
「いえ、連盟に登録された冒険者の方の名前は全て覚えていますよ?」
それがどうかしましたか、と首を傾げるクィーニィを見て、クルス達はこういう存在なのだと諦めと共に受け入れた。




