4話:ゴーレム
退路を崩す代償に追手を撒いてから既に一刻、カイとソフィアは休憩を挟みつつ奥へ奥へと進んでいた。
遺跡は完全に構造が変わっており、地図も役に立たなくなって久しい。
「スケルトンの気配がなくなったな」
「ですが、その分はゴーレムに置き換わっています」
「……ソフィアはここで待て」
通路の終点にある扉を睨みながら侍は口を開く。その向こう側から二つほど無機質な気配を感じる。
光源のない遺跡では時間の感覚もあやふやになっているが、遺跡に潜ってから半日は経過している。
いつ出られるか分からない以上、温存できる部分はするべきだろう。
「魔力にはまだ余裕があります」
「精神力の消耗の方が問題だ。疲労すると体力ほど簡単には戻らない」
「……わかりました。ですが、いつでも援護に入れるよう構えておきます。お気をつけて」
「了解」
カイは静かに扉を開ける。中は薄暗く、天井も横幅も狭い通路だった。
この狭さでは刀も満足に振れないだろう。
しかも、奥には二メートル超のボーンゴーレムが二体、頭部を天井に掠らせながら巡回している。
「カイ、お一人でだいじょうぶですか?」
「問題ない。――“無間”」
一歩目を踏み出すと同時にカイの体が防御を捨てて一気に加速し、十メートルあった間合いを瞬く間に詰める。
足は止めず、逆手で引き抜いたガーベラを加速に任せて一体目の胸に突き刺す。
反応すら許さない絶命の一撃が走る。
骨を割るのに似た手ごたえを感じつつ、刀身は確かに基幹部を貫いた。
僅かな痙攣を残しながら一体目のゴーレムの目から光が消える。
侍は即座に刀を手放し、その奥から同族を踏みつぶす勢いで突進してきた二体目のゴーレムの殴打を躱し際、震脚を用いた再加速でその懐に滑り込む。
強烈な踏み込みが発した振動に相手の体勢が僅かに崩れる。
そのまま流れるように、小指から人差し指を揃えて気で覆い、ほぼ零距離から腰を入れて貫手を放つ。
硬化された指先が震脚の踏み込みによる加速を受け、人間で言う所の鎖骨のやや上、首と胴体の継ぎ目を正確に貫いた。
ブツリと妙に生々しい感触を残して貫手は太首を半ばまで断ち斬り、間をおかず、捻りを加えつつ引き抜かれる。
第一関節を曲げて“返し”にした貫手にはゴーレムの主要回路が引っ掛かっている。
人間でいうところの脊髄が抜かれたことで機能を維持できなくなったのか、人工の目から光が消え、次いで魔力結晶を残して骨の巨人は崩れ去った。
カイが手早く刀と魔力結晶を回収し、ソフィアが構えていた杖を下ろす。
「ゴーレムって素手で撃破できるんですね」
「この程度ならな。……そろそろクルス達に近付いてきた筈だ。いけるな?」
「はい、がんばりましょう」
◇
「すまない。イリス、代わってくれ」
「はいよ。――我が前に光を」
魔力の減ったクルスに代わってイリスがクレリックスキル『灯火』の術式を発動する。
従者の指先に拳大の光が発生し辺りを照らす。
街灯などにも使われている灯火は暗視よりも難易度が低い代わりに、周囲を照らす性質上、敵に気付かれる可能性が高い。
イリスも自分だけなら暗視を使うが、それを他者にも掛けるというのは難しい。
「ホント、才能の違いを感じるわね」
「人それぞれの天命があるというだけだ。比べても仕方あるまい」
「それもそう……ん、敵ね」
「ああ、行くぞ!!」
視線の先、ボーンゴーレムが扉の前に立ち塞がっている。
余計な行動をされる前に倒さんと、素早く弓を展開したイリスが立て続けに矢を放つ。
放たれたのは四発。それぞれがゴーレムの四肢の関節部に正確に刺さり、その動きを阻害する。
「押し込む!!」
相手の動きが鈍った隙に、白銀の鎧を魔力で輝かせたクルスが障壁を展開してシールドバッシュを叩き込んだ。
強化された障壁がゴーレムの怪力すら完全に抑え、突撃の勢いで扉を突き破って部屋の壁まで押し込んだ。
激突の衝撃が全身を震わせる中、クルスは壁と障壁の間に敵を挟んだまま、空いた片手で引き抜いた剣を相手の胸部装甲に叩き込んだ。
一撃では基幹部まで到達せず、ガチリと刀身が骨格を噛んでしまった。しかも、相手が身を捩った拍子に半ばで折れた。
騎士は構わず折れた剣を再度振り上げて、杭打ちの要領で刺さったままの刀身を押しこんだ。
胸に刀身が深く刺さったゴーレムの体がビクリと震え、徐々に力を失っていき、遂に停止した。
「クルス、ちょっと焦り過ぎ」
周囲に警戒を発しつつ、イリスが注意する。
常ならここまで強引な戦い方をする青年ではない。補給の出来ない遺跡内では剣が折れたというのも大きな損失だ。
「ああ、そうだな。カイなら剣を折ることは無かっただろう」
「そういうこと言ってんじゃないの。飛ばし過ぎよ。向こうはカイとソフィアなんだから何とでもなるわよ。それともアンタは二人と合流した後、魔力切れで戦えませんって言うの?」
「……む」
従者の諫言に騎士は一度深呼吸し、おもむろに兜を外した。
不測の事態で自分の手の届かない所に仲間がいる。
それでは守れない。焦る気持ちが膿のようにジクジクと心を苛んでいる。
だから、暗い感情を吹き飛ばす為に騎士は自分の頬を両手で思いきり叩いた。
バチンと加減のない音が遺跡に響いた。
「目、覚めた?」
「ああ」
従者が小さな笑みと共に尋ねる。
兜を被り直した騎士からは先程までの焦りは見られない。
元より仲間のことは信頼している。その上で尚、心配だっただけだ。
騎士の心胆さえ据われば、問題は残らない。
「すまなかった、イリス。そうだな。焦らず慎重に、その上で急いで行こう」
「ええ、了解。二人の気配もすぐそこだしさっさと合流して――」
「――狂い咲け、“菊一文字”」
従者の台詞の途中で横手の壁に閃光が走った。
慌てて二人が下がると同時、真っ二つになった壁が内側に倒れ込んだ。
障壁すら容易く断ち切る斬鉄の切れ味は見間違えようがない。
倒れた壁の向こうではカイが残心もそこそこに刀を納め、その後ろでソフィアがクルス達を見つけてぱっと表情を明るくする。
「兄さん、イリス、ご無事でしたか!!」
「うん。今ちょっとヒヤっとしたけどね」
笑顔で手を取るソフィアに従者は苦笑を返す。
「近い位置に薄い壁があったのは幸運だった」
「あ、ああ。今度から一声かけてくれ。心臓に悪い」
「……了解」
侍のいつもの無表情の上に微かに反省の色が浮かぶ。
叱られた犬のような様子に、ソフィアとイリスは少し和んだ。
「ともかく合流出来て良かったわ。クルスがもう焦って焦って困ってたのよ」
「悪かった。だから、あまり言わないでくれ、イリス」
「ふふ、それはお互い様ですよ、兄さん」
「ソフィア?」
見れば、ソフィアの顔はいつも以上に青白い。
戦闘に手間取ることはそうそう無かっただろうが、それでも二人だけでこの遺跡を踏破するのは厳しかったのだろう。
「一度どこかで休んだ方がいいわね。もう夕飯の時間だし」
「そんなに経っていたのか。案外気付かないものだな……」
「相変わらずイリスは時間に正確ですね」
「……少し先に行った所に広場がある」
「んじゃ、そこに行きましょうか」
四人は遺跡の奥の間で休憩を取ることにした。
周囲に魔物の影は無く、目の前に巨大な扉が屹立しているだけだ。
扉のさらに奥からは明らかに他とは違う気配がする。おそらくはこの遺跡の核を守る守護者だろう。
「なんかここのゴーレムって人間臭いわね」
「人間臭い?」
胸当てを緩め、次いでブーツを脱いで、羚羊のような足を存分に伸ばしていたイリスの呟きにカイが反応を寄越した。
丁度似たようなことを考えていたのだ。
「うん。自分で罠踏んで起動させたり、こっちが不利になる地形を選んで攻めてきたりとか」
「そちらの話か」
「カイは何だと思ったの?」
「材質だ。おそらく、ここのゴーレムはスケルトンを骨格に肉付けされたものだ」
一体のボーンゴーレムを作るのに何体のスケルトンを使用するのかは分からないが、構造変化後の奥まった場所にはスケルトンがいないことから、それなりの数を使用したのではないかと侍は考えた。
「半生体ゴーレムをわざわざ作るとは随分と手が込んでいるな。とすると、あの扉の先にボスがいるとしたら、その発展型の可能性が高いのか」
「これで全然関係ない魔物がボスでもそれはそれで面白いけどねー」
「扉の向こうには広域探知が殆ど効きません。実際に確かめてみるしかないです」
クルスは頷き、全員の体力が回復しているのを確認して盾を構え直した。
「では、ボスとご対面といこう」
◇
扉の先に居たのは予想通りゴーレムだった。天井ギリギリのその大きさは五メートルほどだろうか。
だが、その外見はクルス達の予想を大きく裏切っていた。
――“血”だ。
ゴーレムの全身を鎧のように凝固した血が覆い、溢れ出た一部が足元の魔法陣を赤黒く濡らしている。
その醜悪な外見と噎せ返るような鉄錆のような臭いに一行は顔を顰めた。
魔物の名は『ブラッドゴーレム』という。
カイを含めて全員が遭遇するのは初めてだった。
ゴーレム種の中でもブラッドゴーレムは目撃数が少ない。暗黒地帯でも自然発生せず、錬金術士による錬成によってしか創造されないからだ。
この時点で、この遺跡には何者かによる手が加えられていることが確定した。
背後でばたりと扉が閉まる。
ゴーレムを撃破しないと帰れないということだろう。ついぞ出会わなかった先に入った筈の二組は、あるいはこのゴーレムに喰われたのかもしれない。
血を流しながら沈黙するゴーレムを前に、イリスが弓を、ソフィアが杖を構える。
その時、秘かに足元の魔法陣が不気味な輝きを発して起動を始めていた。
「いくよ――貫け!!」
「――怒れ、サンダーボルト」
矢と雷撃魔法の先制攻撃。
しかし、完成した筈の魔法は発現せず、放たれた矢も徐々に細くなってゴーレムに達する前に消えてしまった。
「矢が消えた!? 構成が解かれたっていうの?」
「――――ッ!!」
攻撃に反応したブラッドゴーレムが声なき声をあげ、丸太ほどもあるその両腕を振り回す。
咄嗟に前に出たクルスが障壁を展開しようとするが――
「障壁が展開しない!? ――この魔法陣のせいか!!」
足元の魔法陣を視て思わず舌打ちする。クルスの乏しい感応力でも魔法陣が魔力を吸い込んでいる様が微かに視えた。
騎士が魔法陣に気を取られた隙に、その頭上に血のこびり付いた巨腕が振り下ろされる。
「下がれ、クルス」
声と同時に盾と巨腕の隙間にカイが滑り込み、高速の抜き打ちで巨腕の側面へ斬りかかった。
不朽銀すら断つ一刀は、しかし、その途上で凝固した血に阻まれ、結果として軌道を逸らされた腕が地面を叩くだけに終わった。
カイはクルスが後退したのを確認し、続けざまに振るわれる巨腕の薙ぎ払いを壁や天井を足場に連続跳躍して回避する。
そうして、ひとまず巨腕の暴風圏内から退避するが、
「ゴーレム内部の魔力増大、気をつけてください!!」
後衛からソフィアが叫んだ瞬間、ブラッドゴーレムの背中が盛り上がり、次の瞬間、複数の杭が勢いよく射出された。
「カイッ!?」
空間を走る無数の杭は、未だ空中に居るカイには避けようもなく、同時に切り払える数を明らかに超えている。
一瞬後に刺し貫かれる光景が皆の頭をよぎった。
だが、カイはあろうことか飛んできた杭を次々と足場にして安全圏まで跳んでみせた。位階が上がった今ならこの程度は造作もない。
「そっちにもいったぞ、クルス」
「ここなら大丈夫だ――障壁、展開!!」
一部の杭がソフィア達に向かって飛んでいくが、魔法陣の範囲から出て、改めて障壁を展開したクルスが防ぎ切る。
貫通力の高い硬質な弾丸も、加護で強化されたクルスの障壁を抜くには至らない。
続けて、障壁の範囲外である頭上から落ちてきた一本も折れた剣で切り払った。
こちらの訓練の成果はきちんと出ている。
「だいじょうぶですか、カイ?」
「問題ない。それより」
魔法陣の外に着地したカイに駆け寄ろうとするソフィアを制して疑問を口にする。
「奴の体、切っ先が滑る。斬った感触がするのに斬れていない」
「あの血の所為か? 弾かれてはいないということは単純な防御力や物理障壁ではないな」
「視てみます。――アクセス」
気を取り直して、ソフィアの目が魔力を帯びて蒼く輝き、魔法陣の中心から動こうとしないゴーレムを視る。
足元の魔法陣に魔力が吸収されてしまい、いつものような精査は出来ないが、細い糸のように意識を繋いで辛うじてその構成は読み取れた。
「これは……?」
それが何で出来ているかを理解した瞬間、ソフィアは思わず口元を押さえた。
「ソフィア!?」
「…………だいじょうぶです、兄さん。カイ、斬れなかった理由がわかりました」
呼吸を整えたソフィアが彼女としては珍しく敵意も露わにゴーレムを睨んでいる。
「あのゴーレムを覆っている血の鎧はここに来た冒険者の血肉と魂を変換したものです。……端的に言えば、あの血の中でまだ生きています」
「何っ!?」「嘘!?」
騎士と従者が絶句する。
生きたまま血の鎧に加工される。それがどれほど惨いことか、俄かには想像できなかった。
「成程。斬りやすい方に刃が流れたのか。……舐めた真似を」
侍は表情を変えず、ただ己の手応えが正しかったことを理解した。
斬ったのはゴーレム本体ではなく血の中の命だったのだ。
「助けることはできないのか?」
「……不可能です、兄さん。精神は既に死んでいます。魂もあくまでゴーレムの燃料に過ぎません。生きていると表現したのは、術式で魂が散逸するのを防いでいるという状況を他に言い様が――」
「ソフィア、もういい。あまり自分を追い詰めるな」
「……はい」
カイがソフィアの肩にそっと触れる。ソフィアは置かれた手に手を重ねて一筋だけ涙を流した。
彼らの魂と其処にこびり付いた断末魔が視えるのはソフィアだけなのだ。
「――倒すしかないか」
唇を噛み締め、絞り出された騎士の覚悟に皆が頷く。
魔物の一部として使い潰されるくらいなら、いっそ殺してやるのが同業者としての情けだろう。
「でも、倒すにしてもアイツは厄介よ。物理攻撃は効かない。魔力を吸収する陣の上から動く気も無い。徹底してるわ」
魔法陣の外にいるこちらを無機質な瞳で眺めながら、射出杭の再構成中のゴーレムは不気味に沈黙している。
「ソフィア、魔法陣の範囲外から圧殺することは可能か?」
「不可能ではありませんが、遺跡ごと破壊するくらいの威力が必要です」
「魔法陣を破壊するのは?」
「…………地下に埋め込まれた一片約十五メートルの金属立方体に刻印されています」
「魔法なしでそれは辛いな。カイの心技はどうだ?」
「出せるなら斬り込めるだろうが……」
珍しく言葉を濁すカイ。
“アメノハバキリ”の唯一つの発動条件は『無間による最大加速』であり、それさえ満たせばどのような状況下でも発動できる。
しかし、今閉じ込められているこの部屋の中、中心にいるブラッドゴーレムまでの距離は約四メートル。最大まで加速するには直線距離が短すぎる。
常なら空中で距離を稼げるのだが、天井とゴーレムの高さがほぼ等しいこの部屋はあまりに狭すぎる。
「すまない。間合いが近すぎる」
「そうか……」
騎士が喉の奥で小さく唸る。妙案が浮かばない。
あまり時間をかければゴーレムが攻撃を再開してくるだろう。その前に打開策を見つけねばならない。
(物理攻撃が完全に無効化されている訳ではない。ソフィアを回復に専念させて力押しで血の鎧を超える損傷を与えてみるか。長期戦になるが出来ないこともない、か?)
「……そういえば、あのゴーレムは魔力で動いているのにあの魔法陣の上で動けるのね?」
「わたし達の体内の魔力が吸収されないのと同じです。外部に放たれた魔力のみ吸収するのでしょう。構造としては、大気中に放出された魔力をあの魔法陣で回収し、その一部をゴーレムに還元しているのかと」
「術式や魔法が使えないのはその為か」
「だから半生体ゴーレムなんて面倒なタイプにしてるのね」
生体型のゴーレムは人間と同じ内骨格だ。
逆に、外骨格構造のゴーレムでは露出した関節部から魔力が吸収されるのかもしれない。
「つまり、腕の一本でも捥げば魔力を吸い出されて崩壊するのか」
「私たちもそうだけどね。射出杭なんて貫通力高い武器載せとくなんてエグいけど良く出来ているわ」
「俺ひとりで戦うのは?」
「魔力切れ狙いですか」
まったく魔力を使わない、もとい使えないカイだけが魔法陣の上に乗れば、たしかに相手はいずれ魔力供給が追い付かなくなる。
相手が魔法陣の範囲外に攻撃を撃加えてこないのも同様の理由だろう。
「いけるのか?」
「賭けになる。相手の魔力供給が尽きるまで体力が持つか未知数だ」
「ふむ、最終手段としておこう」
そうしてゴーレムを観察していた騎士はふと侍に問いかけた。
「カイ、血の鎧の術式を“対象”にして斬ることはできるか?」
ゴーレムへのダメージは血の鎧に流れる。つまり、血の鎧自体にダメージが蓄積するならば、いつかは破壊することも出来る筈だ。
そして、壊れるという未来があるならば、一足飛びにその未来を現実にすることもできる。術式の核を斬れるカイならそれができる。
それは神託にも似た騎士の確信だった。
「それって『魂を括る』術式の破壊なんだから、雷切、というかその前提の刀気解放が使えないから無理じゃない?」
「いや、一瞬だけなら刀気解放は使える筈だ」
「どういうことだ?」
「思い出せ。魔法陣の上でソフィアの魔法は発現しなかったが、イリスの矢は徐々に消えていった。つまり現象化した魔力を吸収するには多少の時間がかかる」
「ほぼ零距離で発動すれば、吸収されるより先に術式を斬れるか」
「ああ。その間に波状攻撃を掛ければ本体にダメージを与えられる筈だ」
それでも、発生した魔力が吸収されるより早く術式を狙って斬るというのは人極の域にある技だろう。
カイの他にできる可能性のある者が大陸にあと何人いるだろうか。
侍は目を閉じて周囲を探るが、暫くして首を横に振った。
「術式の核が感知できない。近づくか……視えれば」
それは魔力を失ったこの身ではできないことだ。
一度、ダメージ覚悟で斬り込んでみるしかない。
「では、わたしが“目”になりましょう」
成り行きを見守っていたソフィアが進言した。
「目に? ……できるのか?」
「カイ相手でも短時間の『視覚共有』ならだいじょうぶです」
(五感の共有はクレリックでも高位の“二重詠唱”魔法の筈だが……)
精密な制御を必要とする感覚共有を一人で代替する。それがどれほど困難なことなのか、元より魔法の才能を持たないカイには想像もつかない。
だが、ソフィアができるというならできるのだろう。魔法に関して少女の見立てが外れたことはない。
「どちらの目がいいですか?」
「右目に頼む」
「では、目を閉じてください。――我が光をこの者に分け与えよ」
言われた通り目を閉じると、両の頬に細い指がそっと触れる感触がした。ソフィアの手だ。少女は男よりも少しだけ体温が高い。
少女は男の頬に両手を添えたまま、詠唱を紡ぐと共にゆっくりとその小さな唇で男の目蓋に口付けた。
柔らかな感触と共に右目に魔力が注ぎ込まれる。
感応力に欠ける男にも確かな暖かさが感じられる。
「あけていいですよ」
「……これは」
声に応じて開いた視界は二重映しの世界。
右目に映るのは色鮮やかな世界、元素と精霊が舞い踊る高次元の光景が広がっている。
まるで別世界の様子に侍が小さく息を呑む。
「ソフィアには世界がこのように視えているのか」
珍しく感嘆したような男の呟きに少女は微笑みを返した。
今のカイの目にはソフィアは全身から輝くような膨大な魔力を発しているのが見て取れる。総量では己の師の一人である“魔女”すら凌駕するかもしれない。
およそ、人間には有り得ない魔力量。聖性持ちである証だろう。
「視覚はこちらで……維持、補正するので……若干、遅れます。気をつけてください」
「了解」
「どうだ? 視えるか?」
右目を蒼く輝かせる侍に騎士が尋ねる。
侍は目を細める。ゴーレムを覆う血を縛るように鎖を模した術式が幾重にも展開しているのが幻想の視界に映る。
「問題ない」
応える声には微かに熱が籠っている。
それは戦意の発露だ。この仲間達はふとした時に己の限界を超えさせてくれる。故に、挑みがいがある。
「いけそうだな」
「こっちの準備もできてるよ」
イリスは魔法陣の外で一本の矢にありったけの魔力を注いでいる。
現象化した魔力は吸収されるのに時間がかかる。ならばより多くの魔力を、より強固な構成にして注げばそれだけ吸収されるまでの時間も延びるだろう。
「わたしは……視界の維持、に……集中、します」
本来は双方向で維持する二重詠唱を単独で成立させる荒技はソフィアを以ってしてもかなりの集中力が必要なのだ。
徐々に顔色を青くしていく少女を見て、皆これが一回きりの好機であることを悟る。
「叩みかける。カイ、――彼らを縛る鎖を“解き放て”!!」
「了解!!」
クルスの指示に応じてカイが勢いよく先陣を切り、一瞬で魔法陣の内側へ侵入する。
即座に反応したゴーレムが迎撃に射出杭を撃ち出す。
侍は高速で迫るそれらを紙一重で回避し、振り回される両腕を跳び越え、刀を振りかぶる。
狙いは直上。右目の視界に映る術式の核。三重の防壁に守られた一点。
侍が気炎を上げる。
己の命に等しきこの一刀、吸収できるものならやってみるがいい。
この切っ先に触れるならば何者であろうと斬れないものはない。そう信仰する。
侍の剣速は一瞬を何度も切り分けた“刹那”に至っているが、それでも遅い。
故に、限界に挑む。より速く、もっと速く、その先を――
(――視えた)
瞬間、極限まで集中した意識が、刀身と術式が触れる直前の“六徳”を捉えた。
此処だ。思考を飛び越えて本能に従い吼える。
「――狂い咲け、“菊一文字”!!」
“雷切”
瞬間的に発生した神速の風刃が吸収されるまでの一瞬で術式の核を斬り捨てる。
ガラスが割れるような音を立ててゴーレムを護っていた血の鎧が剥がれ落ちた。
「続くぞッ!!」
そこにクルスが飛び込み、全身を使って盾を振りかぶり、残る全魔力を体内でこれでもかと燃焼させる。
不朽銀の鎧が魔力を受けて白銀に輝き、筋肉がギチギチと悲鳴を上げる中、己の限界を超えた勢いで盾の先端を叩きつける。
ゴーレムはギリギリで両腕を交差し、突き込まれた極厚の先端部を受けた。
鈍い金属音と共に火花が散り、硬い衝撃が互いを弾き飛ばす。
騎士の手に巨体の骨に当たる部分が折れる感触がしたが、腕を砕くには至らない。
それでもクルスが持てる魔力の全てを一撃に込めた甲斐はあった。
ゴーレムがたたらを踏み、その体からミシリと異音がした。
その時、剥がれた血がゴーレムに引き寄せられるようにして再構成を始めた。
術式に再生機構を設けていたのだ。作成者は随分と用心深かったようだ。
だが、再び血の鎧が完成するより一瞬早く、稲妻のように一本の太矢が飛び込んだ。
「さっきのお返しよ!!」
魔法陣の範囲外ギリギリからイリスが全魔力を限界まで込めて放った一矢だ。
生成された魔弾は通常の矢の五,六倍、バリスタ用の角矢ほどの太さと大きさがある。
ゴーレムが腕を掲げて防ごうとするが、その身が軋んで反応が遅れる。
魔弾は徐々に魔法陣に吸収されながらも鋭さを保ったままゴーレムの首元に突き刺さった。
イリスが施したのは矢の二重加工。吸収されることを前提に外殻と本体を別々に構成したのだ。
外殻は魔力の結びつきの強い硬化術式。本体には――
「――消し飛べ!!」
声と同時に矢に込められた魔力が爆発した。
アーチャーのフラグメントアローだ。
尾羽から鏃へと順に爆裂していくことで貫通力を増した矢が先端をゴーレム内部にねじ込むと同時に、幾つもの魔力の刃となって弾けた。
一瞬、ゴーレムの体が二回りほど膨らみ、次いで弾け飛んだ。
内部からズタズタに千切られたゴーレムの首と四肢が飛び、傷口から魔力が吸い出されていく。
ゴーレムに還元される量より魔法陣が吸収する量の方が多かったのだろう。徐々にその動きがぎこちなくなり、遂に動作を停止した。
合わせて魔法陣も光を失い、ゴーレムの体が砂のように崩れていく。後には血だまりとゴーレムの核たる魔力結晶だけが残った。
暫くして、部屋の奥、ゴーレムに守られていた最後の扉が露わになり、入って来た扉の蝶番が外れる音がした。
「勝ったか。……彼らの魂にどうか安らぎを」
クルスが目を閉じて噛みしめるように呟く。
視覚共有を解き、同じように黙祷するソフィアが大きく息を吐く。気が抜けてふらついた体を隣に着地したカイが支えた。
一分ほどそうした後、クルス達は丁寧に床の血を拭った。
術式を切った以上、その中に魂はもう残っていない。
遺跡の自己修復機能でブラッドゴーレムが再設置されるとしても、彼らの魂まで復元されることはない。
彼らは解き放たれ、原初の海へ還ったのだ。
「矢が大きすぎたかなー。弓歪んじゃった」
「わたしも今後こういうことがないよう吸収されない魔法を考えておきます」
「そうだな。課題の多く残る戦いだった」
「ま、とにかく先進みましょう。罠も魔物もないみたい……次は生肉ゴーレム、なんてことになったら泣いてたかもしれないわ」
弓を畳み、手早く扉を調べたイリスが報告する。
クルスは頷きを返し、自ら扉を押し開けた。
遺跡最後の部屋は意外と狭く、学園の寮の二人部屋と同程度の広さだ。しかし、その中に所狭しと宝石や魔力結晶が積み上げてある。どうやら自分達が第一発見者のようだ。
それらの俗な輝きにクルスとイリスは疲れたように溜息を吐いた。
金額にすれば金貨二十枚を超えるであろう大きな収穫だ。無駄遣いしなければ十年は遊んで暮らせる。
だが、命には代えられない。悪趣味なゴーレムと併せてこの徒労感を狙ったのなら、作成者はかなり性格の悪い人物だろう。
「……どうする、クルス?」
「ここに残して、再配置されるブラッドゴーレムの餌食を生み出すわけにもいくまい」
「じゃあ、とりあえず外に出しましょうか」
二人が機械的に財宝を纏めている中、ソフィアは魔法陣が刻印されていた床を調べていた。
ゴーレムの消滅と連動して魔法陣も消え去ったが、微かに残る残滓をその類稀な感応力で捉えたのだ。
「どうした、ソフィア? 時間がかかるならクルス達を呼ぶが?」
「……お願いします」
カイがひとつ頷いてクルス達を呼び戻した。
「どしたのー?」
「何か見つけたのか?」
「この術式、非常に新しい物です。おそらく刻印されたのはここ三年以内です」
特に感応力に優れるソフィアだからこそ気付けた。同等の能力のない者では痕跡すら見つけられなかっただろう。
顎に指をかけて思案する侍も少女に同意する。
「分断された際、壁に刻印術式による物理障壁が張られていただろう? あの方式は五年ほど前に発明された形式だ」
「ギルド連盟が管理している遺跡を更新している暇人がいるのか?」
「それも刻印術式やら生贄必須の半生体ゴーレムを用意できる趣味の悪い凄腕がねー」
「報告に追加しておくか……しかし解せん。目的は何だ?」
「――“実験”」
「ん、カイ? 何か言ったか?」
「いや、聞き流してくれ。ただの想像だ」
「……」
頭を振り、無意識に胸を押さえるカイをソフィアが心配そうに見つめていた。
後日、専門のレンジャーが改めてこの遺跡を調査したが、新たな発見や下手人の情報は得られなかった。
遺跡には財宝の代わりに遺跡の構造を変える大がかりなギミックと不可解な謎が残され、それがかえって多くのギルドを呼び込むこととなった。
この遺跡で行われていたことの意味は何だったのか、それが判明するのはもう少し先の話である。




